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聖女加護、解約済みです。王太子殿下の頭皮は自己責任でございます【連載版】  作者: あゆと


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13/14

013 殿下の頭部装具が落ちました。王族品位は固定不足でございます

王城での現地確認は続きます。

侍女の微笑みは戻しません。

そして、王太子殿下と再会します。

 王太子殿下の声は、廊下の向こうから聞こえた。


「……中央か」


 侍従が答える。


「やや右でございます」


 短い沈黙だった。


 けれど、王城の廊下には、なかなか重く落ちた。


 王妃陛下は扇を閉じた。


 ぱちん。


 上品な音である。


 ただし、その音を聞いた王妃陛下付きの侍女が、そっと視線を下げた。今の沈黙に、王太子殿下の頭部周辺事情が深く関わっていることを、王城の皆様は理解しているらしい。


 私は聖女加護管理台帳を抱え直した。


 王太子殿下付き侍女の微笑みについては、確認を終えた。


 自然な微笑みを戻す加護は、再契約しない。


 侍女たちは、殿下の自尊心を支えるために笑わなくてよい。帽子が曲がっていれば、曲がっておりますと答える。不自然であれば、不自然でございますと答える。


 人を鏡にしない。


 ここまでは、かなり明確になった。


 問題は、その鏡を見るべきご本人が、廊下の向こうにいることでございます。


「エルミナ嬢」


 王妃陛下が静かに言った。


「このまま、レオナールにも会っていただけるかしら」


「承知いたしました」


 断る理由はなかった。


 王太子殿下の健康維持と発言前思慮補助三倍は、王家中枢分の仮契約に含まれている。契約相手として、確認は必要である。


 そう自分に言い聞かせても、指先は台帳の角を少し強く押さえていた。


 一週間ぶりに会う。


 あの舞踏会場で、私を偽の聖女と呼び、婚約破棄を宣言し、三秒後に髪を散らした方。


 謝罪文は改善していた。発言前思慮補助三倍も効いている。けれど、紙の上で改善した人と、目の前に立つ人は、同じようで少し違う。


 私は、深く息を吸った。


「参りましょう」


 王妃陛下が歩き出す。


 私はその半歩後ろを歩いた。


 婚約者だった頃なら、王太子殿下の部屋へ向かう時、私はいつも少し急いでいた。


 殿下を待たせてはいけない。機嫌を損ねてはいけない。式典前の寝癖を整えなければならない。公務前の顔色を調整しなければならない。


 今は違う。


 私は急がない。


 王妃陛下も急がない。


 廊下の窓から入る午後の光が、白い床に落ちている。その光は、何も盛られていない。ただの光だった。


 悪くない。


 王太子殿下は、小さな控えの間にいた。


 鏡の前で、じっと立っている。


 以前より少し痩せたように見えた。顔色は悪くない。王太子殿下の健康維持加護は、正常に働いているようである。


 そして。


 頭部には、金色の帽子があった。


 いや、帽子と呼ぶには少し髪に近い。


 髪と呼ぶには、少し帽子に近い。


 たいへん判断に困る、王族品位に満ちた何かが載っていた。


 艶のある金色。整った前髪。左右の流れも美しい。


 ただ、どこか、ほんの少しだけ、王太子殿下ご本人より礼儀正しい。


 王族品位維持頭部装具。


 先ほど侍女長クラリスが使った言葉を、私は思い出した。


 通称は、まだ言わない方がよい。


 たぶん。


 王太子殿下は、私を見た。


 その瞬間、表情が忙しく変わった。


 驚き。安堵。気まずさ。言い訳。未練。


 それから、何かを言いかけた口が止まる。


 発言前思慮補助三倍。


 効いている。


 かなり効いている。


 以前なら、ここで「やはり戻ってきたか」か、「私のそばにいるべきだと気づいたのだな」あたりが飛んできたはずである。


 今の殿下は、それらを喉の奥でどうにか踏み止めた。踏み止めた結果、眉間にたいへんな力が入っている。


「エルミナ」


「ご機嫌よう、王太子殿下」


 私は礼をした。


 婚約者だった頃の呼び方はしない。


 その一線に、殿下は気づいたようだった。喉が一度、静かに動く。


「……来てくれたのだな」


「王妃陛下より、王家中枢分の仮契約確認を承りました」


「そうか。契約、か」


 殿下は、小さく繰り返した。


 胸の奥に、ほんの少しだけ痛みが走る。


 王太子殿下は、それを見逃さなかった。


 以前なら、見逃していただろう。今は、見た。ただ、見たからといって、何を言えばよいかまでは分からないらしい。


 それでも、何か言おうとした。


「謝罪文は、読んでもらえただろうか」


「拝見いたしました。以前の文書より、謝罪として整っておりました」


 殿下の肩から、少しだけ力が抜ける。


「その一言で安心している自分が、少し情けないな。だが、読んでもらえたならよかった」


 その言葉には、安堵と悔しさが混じっていた。


 謝罪文の出来を褒められて安心する王太子殿下。


 かつてなら想像もできなかった。


 王妃陛下は何も言わない。ただ、息子を見ている。


 私は台帳を開いた。


「ただし、追伸部分については、謝罪文本体とは別に分類いたしました」


「別分類か。今の私には、その言葉だけで嫌な予感がする。聞かない方が王族品位を守れる気もするが、聞かずに済ませるとまた同じことを繰り返すのだろうな」


 発言前思慮補助三倍が、嫌な予感と学習意欲を同時に働かせている。


 たいへん優秀である。


「頭髪関連文書として保管しております」


「頭髪関連文書」


 殿下は、ゆっくり繰り返した。声が少し低い。


 王妃陛下が、わずかに扇を握り直した。


「それは、正式な分類名か」


「ローゼンベルク家内の管理分類でございます」


「名を聞こう。いや、聞けば傷つく気がする。だが、知らないまま傷つくより、知って傷ついた方がまだましだ」


 発言前思慮補助三倍は、殿下を前向きに傷つかせている。


 私は覚悟を決めた。


「王太子殿下頭皮関連暫定箱でございます」


 控えの間が、停止した。


 王太子殿下の表情も停止した。


 頭部装具だけが、王族品位を保っている。


 殿下は、王族らしく口元を引き結んだ。だが、目だけは明らかに揺れている。


「……箱にするな。いや、書類をまとめる必要は分かる。分かるが、その名は王族の尊厳を削りに来ている」


「書類保全上、分類名は必要でございました」


「では、せめて頭髪と言え。頭皮は近すぎる。距離が近い。あまりにも、現実に近い」


「頭髪関連照会箱という案もございました」


「そちらにしろ」


「ただし、略称が頭髪箱になります」


 殿下はしばらく黙った。


 頭部装具が、ほんの少しだけ右へ寄った。


「……頭皮箱よりは、ましだ。ましだが、王族の尊厳が箱単位で削れていく感覚はある」


「書類量に応じた分類でございます」


「その書類量を私が増やしたことまで含めて痛い」


 王妃陛下が静かに目を閉じた。


 侍従は壁を見ている。


 私は台帳を見た。


 王太子殿下は怒鳴っていない。


 これだけ頭皮箱で殴られて、怒鳴っていない。


 発言前思慮補助三倍。


 やはり効果はある。


 ただし、怒りは抑えても、頭部装具は動く。


 王族品位とは、繊細でございます。


「レオナール」


 王妃陛下が言った。


「あなたの頭髪関連照会が多いのです」


「分かっております、母上。分かっているからこそ、箱の存在を否定しきれないところが、今とても苦しいです」


「品位を気にするなら、追伸を減らしなさい」


 殿下は何か言いかけた。


 飲み込んだ。


 飲み込んだ顔で、鏡を見た。


 頭部装具がやや右。


 殿下は、そっと手を上げる。


 しかし、途中で止まった。


 私の視線に気づいたらしい。


「これは、契約対象外なのだな」


 頭部装具のことである。


 直接名を出さないあたりに、王族品位が残っている。


「本日の頭髪は、契約対象外でございます」


「これは頭髪ではない。そこは、今の私にとってかなり重要だ」


「では」


 殿下は一瞬だけ、王族らしい顔で黙った。


「王族品位維持のための、頭部装具だ」


「承知いたしました。頭部装具」


「繰り返すな。自分で言っておいて何だが、かなり傷つく」


「申し訳ございません」


「通称は」


 殿下が聞いた。


 自ら傷口に近づいている。


 発言前思慮補助三倍は、そこまで止めなかったらしい。


 私は少しだけ視線を伏せた。


「記録上、必要な場合のみ使用いたします」


「何だ」


「カツラでございます」


「記録するな」


「管理上、必要でございます」


「管理するな」


「装着角度、保管状態、王族品位維持への影響を確認する場合がございますので」


 殿下は額に手を当てようとして、途中で止めた。


 装具に触れるか迷ったらしい。


 手を下ろした。


 成長である。


「母上」


「何です」


「私は今、かなり耐えております」


「見れば分かります」


「褒めていただいても」


「耐えるのは当然です」


 王妃陛下は強かった。


 殿下は、少しだけ肩を落とした。


 その姿が、以前より人間らしく見えた。王太子としての輝きは少し減ったかもしれない。


 けれど、私はそちらの方が見やすかった。


 私は台帳の別項目を開いた。


「侍女の皆様の微笑みについても、確認いたしました」


 殿下の表情が変わる。


 さきほどまでの頭部装具の羞恥とは違う。


 少し、真面目な顔だった。


「クラリスたちから聞いたのか」


「王妃陛下のご依頼で、現場を確認いたしました」


「私は、彼女たちに無理をさせていたのだな」


 その問いには、もう答えが含まれていた。


 私は、静かに言う。


「殿下が求めておられたものは、職務上の礼節を越えておりました」


 殿下は、その言葉をすぐに飲み込まなかった。


 口元が少し歪む。


 怒りではない。


 痛みを、どう置けばよいのか分からない顔だった。


「王宮職務上の礼節維持補助は、必要範囲で検討できます。ですが、殿下の自尊心を支えるため、侍女の皆様が自然に微笑んでいるように見せる加護は、再契約できません」


「分かった。いや、分かったと言うには軽すぎるな」


 殿下は鏡を見た。


 鏡の中の王太子殿下は、整っている。頭部装具はやや右。けれど、以前のように、周囲全員が「完璧です」と微笑む空気はない。


「私は、今日の私はどうだ、と聞いていた。髪が落ちる前も、後も。装具になってからも」


 装具、という言葉で少し傷ついた顔をした。


 自分で言ったのに。


「そのたびに、誰かの微笑みを待っていた。返ってくる笑顔を、自分の正しさの証のように扱っていた」


 殿下は、鏡越しに私を見た。


「私は、人の顔を鏡にしていたのだな」


 王妃陛下は、何も言わなかった。


 私も、すぐには言わなかった。


 言ってしまえば簡単である。


 そうです。

 その通りでございます。

 やっとお分かりになりましたか。


 でも、その言葉は、今ここで必要なものではなかった。


「今後は、鏡をご使用ください」


 私は言った。


 殿下は、一拍遅れて、少しだけ笑った。


「厳しいな」


「実務でございます」


「そうか。実務なら仕方ない」


 殿下は鏡に向き直った。


「この装具が中央かどうか、侍従に確認してもよいか」


「職務上の事実確認であれば、問題ございません」


「自然な称賛ではなく、事実確認」


「その通りでございます」


 殿下は自分で鏡を見た。


 右手を上げ、頭部装具をほんの少しだけ直す。


 慎重に。


 かなり慎重に。


 さきほどより、中央に近くなった。


 侍従が横から言う。


「中央でございます」


 殿下は、侍従を見た。


「職務上の事実か」


「その通りでございます」


「ならば、受け取ろう。ありがとう」


 侍従は礼をした。


 自然な微笑みはない。


 けれど、嘘もない。


 殿下は、それを受け取った。


 王妃陛下が、小さく息を吐く。


 ほっとしたのか、疲れたのか。


 おそらく両方でございます。


 私は台帳へ記録した。


 王太子殿下、鏡使用を開始。

 職務上の事実確認で対応可能。

 自然な称賛補助、不要。


 そこまで書いた時、殿下がこちらを見た。


「エルミナ」


「はい」


「私は、お前にも同じことをしていたのだな」


 手が止まった。


 控えの間の空気が、少しだけ変わる。


「私がどう見えるか。私が正しいか。私が王太子として輝いているか。お前は、いつも答えていた」


 殿下の声は静かだった。


「いや、答えさせていた」


 言葉が、胸の奥へ落ちた。


 遅い。


 本当に遅い。


 けれど、今の言葉は、以前の殿下なら出なかった。


「殿下」


 私は台帳を閉じた。


「私は、王太子殿下の婚約者として、長く隣に立っておりました」


 殿下は、少しだけ目を伏せる。


 返事はしなかった。


 ただ、聞く姿勢を取った。


 それだけでも、以前よりはましだった。


「その間に、私自身も、当たり前になっていたことがございます。殿下を支えること。王城の空気を整えること。誰かが笑えるように、誰かが怒らないように、誰かが困らないように、先回りすること」


 声は、思ったより落ち着いていた。


「ですが、それはもう終了いたしました」


 殿下の手が、わずかに動いた。


「婚約も、婚約者特典も、終了しております」


「私が終わらせた」


 殿下は、絞るように言った。


「その通りでございます」


 控えの間に、短い沈黙が落ちた。


 今度の沈黙は、気まずくはなかった。


 痛いだけだった。


「今後、必要なものは契約で確認いたします。不要なものは戻しません。無理に笑う加護も、殿下の自尊心を支える加護も、自然な称賛も、対象外でございます」


 殿下は黙って聞いていた。


 王妃陛下も、何も言わなかった。


「そのかわり、必要な健康維持、発言前思慮補助、王家中枢の運用補助については、契約通り確認いたします」


 殿下が顔を上げる。


「契約相手として、か」


「王妃陛下より、王家中枢分の仮契約確認を承っております」


「婚約者としてではなく」


 私は、少しだけ間を置いた。


「はい」


 これだけは、短く答えるべきことだった。


 殿下は目を伏せた。


「分かっている。私が、その立場を壊した」


 王妃陛下の扇が、少しだけ動いた。


「私は、まだ分かっていないことが多い」


 殿下は、苦く笑った。


「そこは否定しないのだろうな」


「事実でございますので」


「そういうところは、変わらない。いや、私が今まで聞いていなかっただけかもしれないな」


「契約相手として、正確であるよう努めております」


「そうか」


 殿下は、また鏡を見た。


 今度は、私ではなく、自分を見た。


 鏡の中の王太子殿下は、以前より少し地味で、少し疲れていて、少しだけ現実に近かった。


 そして、頭部装具は中央だった。


「エルミナ」


「はい」


「頭皮箱という名称は、変えられないか」


 王妃陛下が、ほんの少し肩を落とした。


 私は台帳を開かずに答える。


「検討は可能でございます」


 殿下の顔に、希望が差した。


「本当か」


「王太子殿下頭髪関連照会箱、という案がございます」


「頭皮箱でよい」


 早かった。


 たいへん早かった。


 私は深く礼をした。


「承知いたしました」


 王妃陛下が扇で口元を隠した。


 侍従が視線を下げた。


 殿下は、少しだけ悔しそうに頭部装具へ触れそうになり、また手を止めた。


 触らなかった。


 成長である。


 ここで終われば、たいへんよかった。


 王太子殿下は怒鳴らず、侍女の微笑みに頼らないと認め、鏡を見ることを覚えた。


 頭皮箱の名称も、一応は受け入れた。


 頭部装具も中央である。


 このまま確認書へ移れたなら、王城の午後はかなり美しく終わっただろう。


 けれど、王太子殿下は王太子殿下である。


 彼は、私へ向き直った。


 そして、深く礼をしようとした。


 おそらく、謝意を示そうとしたのだ。


 王族として。


 誠意を込めて。


 今までの自分を恥じて。


 とても、よい心がけだった。


 ただし。


 その礼は、頭部装具には少し深すぎた。


 王太子殿下が頭を下げる。


 深く。


 たいへん深く。


 王族としては、見事な礼だった。


 す。


 金色の何かが、殿下の頭から静かに前へ滑った。


 控えの間が止まった。


 王妃陛下の扇も止まった。


 侍従の呼吸も止まった。


 私の聖女加護管理台帳の上に、王族品位維持頭部装具が着地した。


 ふわり。


 たいへん上品な着地だった。


 品位だけは、最後まで守ったらしい。


 私は台帳を見た。


 台帳の上に、金色の頭部装具。


 記録と現物が、完全に一致している。


 姉がいれば、きっと赤ペンでこう書いただろう。


 品位、滑落。


「……返してくれ」


 殿下の声は、王族としてぎりぎりの品位を保っていた。


 ただし、頭部は品位を保っていなかった。


 私は、台帳ごと両手で持ち上げた。


「殿下」


「何だ」


「本日の頭部装具は、固定補助の対象外でございますか」


「今、それを確認するな」


「落下後の現物確認は重要でございます」


「現物と言うな。私の尊厳が、物として扱われている気がする」


 王妃陛下が、ゆっくり目を閉じた。


「レオナール」


「はい、母上」


 殿下は、王妃陛下には反射で返事をした。


 頭部装具なしで。


「頭を下げる時は、先に固定なさい」


「学びました。代償は大きいですが、忘れようがありません」


「一つ賢くなりましたね」


「母上、その言葉は今、とても刺さります」


 控え室の侍女たちは微笑まなかった。


 誰も、微笑まなかった。


 ただ一人、若い侍女の肩が、ほんの少しだけ震えた。


 クラリス侍女長が、静かに一歩前へ出る。


「体調不良でございます」


 嘘である。


 だが、職務上の優しさだった。


 王妃陛下は何も言わなかった。


 私は頭部装具を慎重に持ち上げ、侍従へ渡した。


「保管状態は良好です。落下時の損傷も見当たりません」


「だから今、それを確認するな。いや、損傷がないのはありがたい。ありがたいが、確認の順番が私の心に優しくない」


 殿下は低く言った。


 だが、怒鳴らなかった。


 かなりすごい。


 侍従は震える手で頭部装具を受け取り、殿下へ戻す。


 殿下は、背筋を伸ばしたまま受け取った。


 顔は赤い。


 耳も赤い。


 頭部は、かなり心細い。


 それでも、殿下は逃げなかった。


 装具を自分の手で載せ直した。


 鏡を見る。


 右。


 直す。


 左。


 直す。


 中央。


 今度は、侍従に聞かなかった。


 自分で見た。


「中央だな」


 小さく、殿下が言った。


 侍従が静かに答える。


「職務上の事実として、中央でございます」


「なら、よい」


 殿下は息を吐いた。


 その息には、屈辱と安堵が半分ずつ混じっていた。


 私は台帳へ記録した。


 王族品位維持頭部装具。

 礼法時、固定不足により脱落。

 落下後の損傷なし。

 今後、深礼前の固定確認を推奨。


「その記録は残るのか」


 殿下が聞いた。


「残ります」


「削れないか」


「事故防止記録でございます」


「事故か。確かに事故だな。二度と起こしたくない」


 とても切実だった。


 王妃陛下の応接室へ戻ると、確認書の最後の項目が追加された。


 王太子殿下の健康維持、正常。


 発言前思慮補助三倍、継続。


 自尊心確認時自然微笑み補助、再契約不可。


 装具角度確認は、鏡および職務上の事実回答で対応。


 頭皮関連照会箱名称、現状維持。


 王族品位維持頭部装具、固定確認を推奨。


「最後の項目は必要かしら」


 王妃陛下が言った。


「現物落下を確認いたしましたので」


「そうね」


 王妃陛下は署名した。


 私は控えを受け取る。


 王城の窓から、午後の光が差し込んでいた。


 来た時と同じ光だ。


 何も盛られていない。


 けれど、少しだけ違って見えた。


 王太子殿下は、まだ頭皮箱の名前を気にしている。


 頭部装具も、これから何度も右へ寄るかもしれない。


 謝罪も、理解も、まだ始まったばかりである。


 けれど、少なくとも今日は、人の微笑みを鏡にしないと決まった。


 そして、頭を下げる時は先に固定することも学んだ。


 それだけで、王城の廊下は、少しだけ歩きやすくなった気がした。


 帰り際、王太子殿下から小さな封筒が届いた。


 早い。


 私は嫌な予感とともに封を見た。


 差出人は、王太子レオナール殿下。


 件名は。


『礼法時における頭部装具固定補助の必要性について』


 私は封筒をセドリックへ渡した。


「頭皮箱へ」


「頭部装具でございますが」


「頭皮に近いです」


「承知いたしました」


 分類は、ときに広い。


 馬車に乗る前、私はもう一度だけ王城を振り返った。


 白亜の城は、以前より少し静かだった。


 侍女の皆様は、無理に微笑まなくてよくなった。


 王太子殿下は、鏡を見るようになった。


 頭部装具は、一度落ちた。


 そして頭皮箱は、また少し増える。


 進歩とは、時に箱と落下を伴うものでございます。


【あとがき】


ここまでお読みいただきありがとうございます。


第13話は、王太子殿下との再会回でした。

頭部装具は中央でしたが、礼には固定が必要でございます。

自然な称賛は、再契約対象外でございます。


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