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聖女加護、解約済みです。王太子殿下の頭皮は自己責任でございます【連載版】  作者: あゆと


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11/14

011 一週間後、王宮は少し静かになりました。頭皮箱を除いて

ここまでお読みいただきありがとうございます。


第11話は、一週間後の整理回でした。

王宮も少し落ち着いてきました。

頭皮箱だけは増えております。


次回、エルミナは王城へ向かいます。

婚約者としてではなく、契約相手として。


続きが気になりましたら、ブックマーク・評価で応援していただけますと励みになります。

 ミリア様が花一輪から始めることになってから、一週間が過ぎた。


 王宮からの緊急便は、目に見えて減った。


 その代わりに届くようになったのは、礼状、申請書、契約書の控え、経過報告、そして王太子殿下の追伸である。


 最後のものだけ、量がおかしい。


 ローゼンベルク公爵家の朝食室には、今日も湯気が立っていた。


 鶏肉と根菜のスープ。

 焼きたての丸パン。

 香草入りのバター。

 蜂蜜を少し落とした紅茶。


 王宮の鐘は鳴らない。

 殿下の寝癖も確認しない。

 楽団の音程も、神殿長猊下の後光も、貴族街の巻き髪も、朝食前の私の担当ではない。


 分かっている。


 分かっているのに、まだ少しだけ、廊下の向こうから誰かが走ってくるのを待ってしまう。


「エルミナ」


 母が、私の前にスープ皿を少し押した。


「温かいうちに」


「いただいております」


「見ています。匙が止まっています」


 私は匙を見た。


 確かに、止まっていた。


 スープはまだ温かい。

 呼び鈴も鳴らない。

 王宮からの使者も来ていない。


 なのに、体のどこかが待っている。


 急な儀礼を。

 殿下の気まぐれな確認を。

 湿度と音程と後光と頭髪を。


 待たなくていい。


 そう自分に言い聞かせて、私は匙を動かした。


 ひと口。


 温かい。


 喉を通って、胃のあたりがゆっくりほどける。


「……おいしいです」


「よろしい」


 母は満足そうに微笑んだ。


 姉はすでに朝食を終えて、食卓の横に手紙の束を並べていた。

 赤ペンもある。


 赤ペンには朝食が必要ないらしい。

 たいへん勤勉である。


「食後に、各方面からの手紙を確認します」


「食後に」


 母が即座に言った。


「もちろんです」


 姉は赤ペンを置かなかったが、封は切らなかった。


 父は紅茶を飲みながら、穏やかに言う。


「王宮も、少しは落ち着いたようだよ」


「少し、ですか」


「うん。少し」


 父の言い方で、私はだいたい察した。


 大きな火事は消えた。

 小さな煙は出ている。

 そして、どこかで頭皮箱が増えている。


 おそらく、そのあたりである。




 朝食後。


 食卓の上には、各方面から届いた手紙が並べられた。


 王宮楽団からの礼状。

 王太子側近団からの申請書控え。

 王都大神殿からの契約書返答。

 貴族街社交調整会からの共同申請。

 王妃陛下からの通知。

 王太子殿下からの謝罪文。


 そして、端に置かれた木箱が一つ。


 それは、最初に用意された頭皮箱ではなかった。


 新しい箱である。


「セドリック」


 私は木箱を見た。


「これは」


「第二頭皮箱でございます」


 朝食室が静かになった。


 母が紅茶を置いた。


「第二」


「はい。第一頭皮箱が満杯に近づきましたので、書類保全のため増設いたしました」


 セドリックは、まったく揺れない声で答えた。


 姉の赤ペンが動く。


 頭皮箱、増築。


「一週間で?」


「一週間でございます」


 父が目を閉じた。


「王太子殿下の頭髪は減ったのに、箱は増えるのだね」


「お父様」


「事実だよ」


 母が、たいへん静かに言った。


「髪は戻らなくても、書類は増えるのですね」


「お母様」


「感想です」


 私は第二頭皮箱を見た。


 箱には、きれいな札がついている。


 王太子殿下頭皮関連暫定箱 二。


 暫定。


 まだ暫定らしい。


「永久分類になる日は近そうですね」


 姉が言った。


「お姉様、縁起でもございません」


「書類量の話です」


「髪の話にも聞こえます」


「どちらも、増減の管理が必要です」


 私は返す言葉を失った。


 セドリックが、第一頭皮箱の目録を差し出す。


「この一週間で追加された主な照会でございます」


「主な、ということは」


「細かな追伸は省いております」


「追伸があるのですね」


「多いです」


 私は目録を受け取った。


『頭髪保護特別枠における日光の影響について』


『帽子着用時の王族品位維持に関する相談』


『枕との摩擦が頭皮に与える影響について』


『花一輪の回復事例を頭髪へ応用する可能性について』


『聖女加護と育毛は同義か否か』


 私は、目録を閉じた。


「最後のものは、頭皮箱へ入っていますか」


「はい」


「では、そのままで」


「承知いたしました」


 姉が赤ペンで小さく書いた。


 同義ではない。


「お姉様」


「先に答えを書いておきました」


「助かります」


 助かってしまった。




 頭皮箱の確認を終えたあと、姉はようやく本来の手紙を開いた。


「まず、王宮楽団からです」


 姉は封を切り、文面を確認する。


「王宮楽団長ベルトラン様より。音響調整加護の仮復旧後、祝典行進曲は葬送曲ではなくなったそうです」


「よかったです」


「ただし、太鼓担当者の調和には継続的な訓練が必要とのことです」


 遠くから、かすかに太鼓の音が聞こえた気がした。


 どん。


 いや、たぶん気のせいである。


 気のせいであってほしい。


 姉は手紙の下部を見た。


「添え書きがあります。『私は、調和します』」


「太鼓担当の方ですね」


「筆圧が強いです」


 父が静かにうなずいた。


「決意があるのは良いことだね」


「はい。ただし、楽団長様から別紙で『決意だけでは音量は下がらない』とあります」


 母が紅茶を注いだ。


「現実的ですね」


「太鼓は現実的に大きいのでしょう」


 私は台帳へ記録した。


 王宮楽団、仮復旧後は改善。

 太鼓、調和訓練中。


 次は、王太子側近団からの申請書控えである。


 封筒は、妙に角ばっていた。

 たぶん、騎士らしさを出したかったのだと思う。


 姉が封を開けた。


「ダリオ・グレイシア様より。王太子側近団の威厳演出補助について、正式申請の控えが届いています」


「シャキーン音ですね」


「はい。正式名称では、剣抜刀時金属音補助、重厚型」


 父が書類を覗き込む。


「重厚型にしたのかい」


「申請理由に、王太子側近団としての式典時威厳確保、とあります」


「シャキーンが欲しい、とは書いていないのだね」


「さすがに学んだようです」


 私は少しだけ安堵した。


 ダリオ様も成長している。


 姉が次の行を読んだ。


「ただし、備考欄に『可能であれば、心に響くシャキーンを』とあります」


 安堵は少し早かった。


 母が紅茶を置いた。


「心に」


「はい」


「剣ではなく」


「音が」


 姉の赤ペンが走った。


 心に響くシャキーン、要審査。


「お姉様」


「通すかどうかは別です」


 父が穏やかに言う。


「マントなびき補助は?」


「控えめ型で申請されています。前回の戦術的沈下を踏まえ、足元事故防止目的に変更されています」


「それは良いね」


「名乗り声反響補助は、控えめ型。斬撃余韻補助は、実戦時ではなく式典演武時のみ」


 姉が少しだけ頷いた。


「全体として、以前より現実的です」


「セルフシャキーン禁止は」


「契約条項に入っています」


「セルフザンは」


「そちらも入っています」


 母が、少しだけ遠い目をした。


「契約書に入る言葉なのですね」


「再発防止でございます」


 私は台帳へ記録した。


 側近団、威厳演出補助を正式申請。

 シャキーン、重厚型。

 セルフ効果音は禁止継続。


 王国は少しずつ、音から現実に戻っている。


 たぶん。




 次は、王都大神殿からの封筒だった。


 以前ほど金色ではない。

 少しだけ金が減っている。


 神殿長猊下の後光とともに、封筒の金も自粛したのかもしれない。


「神殿長猊下は、契約書をまだ読んでおられます」


 姉が言った。


「一週間経っておりますが」


「条文の一つ一つに、祈りの意味を確認しておられるそうです」


「それは丁寧なのでしょうか」


「遅いとも言えます」


 父が書類を見る。


「ただ、読んでいるならいい。確認印だけ押すよりずっといい」


 王太子殿下の話である。


 誰も言わなかった。


 全員が理解した。


 母が別紙を見て、少しだけ目を細める。


「聖鐘は磨かれたようですね」


「はい。鍋音から、鐘寄りへ改善したとのことです」


「鐘寄り」


 姉の赤ペンが動いた。


 聖鐘、鍋より回復。


「お姉様」


「完全回復ではありません」


 神殿長猊下の後光は、まだ窓頼み。

 ありがたい声は、壁で終了。

 聖鐘は、鍋から鐘へ戻りかけ。


 神殿は、ゆっくりだが進んでいる。


 たぶん。


 少なくとも、窓の位置を後光と言い張る段階からは、一歩進んだ。


 次は、貴族街社交調整会からの共同申請である。


 封筒からは、相変わらず良い香りがした。

 ただし、前回ほど必死ではない。


「ヴィオレット・ランベル伯爵夫人より。舞踏会用巻き髪湿気耐性加護の共同契約について、社交会内で仮申請を進めているとのことです」


「契約書は読まれておりますか」


「はい。追記があります。『窓際での長時間情報交換については別契約とのご指摘、社交会内で大変な議論となっております』」


 父が小さく笑った。


「そこは大事なのだね」


「重要な戦場だそうです」


 姉が別紙をめくる。


「リリアンヌ様より、就寝時刻の改善報告。三時就寝をやめ、一時半まで早めたとのことです」


 朝食室が静かになった。


 母が紅茶を置く。


「まだ遅いわね」


「本人は、大きな進歩だと思っておられるようです」


「では、次は日付が変わる前ですね」


 私は台帳へ記録した。


 リリアンヌ様、睡眠改善中。

 ただし、改善幅の認識に課題。


 姉はさらに続ける。


「エドモン様より。舞踏会前の鴨を一皿に減らしたところ、礼服の前ボタンは旅立たなかったそうです」


「よかったです」


「ただし、チーズ入りの小さなパイが六つに増えています」


「なぜでしょう」


「鴨を減らした分、空いた心を埋めたのでは」


 父が穏やかに言った。


「食事管理は、長い戦いだね」


「はい」


 私は台帳へ記録した。


 衣装負荷軽減補助、契約前。

 本人努力、方向修正が必要。


 世界は、少しずつ変わっている。


 ただし、かなり人間らしい速度で。




 ミリア様についての通知は、王妃陛下から届いていた。


 封筒は薄い。

 文面も簡潔。


 けれど、丁寧だった。


『ミリア・ファルネーゼ嬢は、聖女として扱わないことを王宮内へ通達しました。神殿では、祈りの基礎と花の世話から始めさせます。演出補助の再付与は禁じます』


 私は、その一文を少し長く見た。


 花の世話。


 あの小さな白い花は、今どうしているだろう。


 豆粒ほどの光ではなく、水と土と根を見るところから始める。


 ミリア様がそれを続けられるかどうかは、まだ分からない。


 けれど、少なくとも「本物の聖女」という名前で持ち上げられるよりは、ずっとましだと思った。


 姉が通知の余白に赤ペンを入れる。


 聖女扱い禁止。

 演出補助禁止。

 花一輪から。


「お姉様」


「良い条件です」


「はい」


 母が静かに言った。


「その子には、その子の場所がある方がよいわ」


「そうですね」


 私は答えた。


 聖女ではないことは、終わりではない。


 ただ、聖女ではない場所から始めればよいだけである。


 王太子殿下の謝罪文は、その後だった。


 後回しにされたわけではない。


 ただ、頭皮箱の横に置かれていたため、どうしても後回しに見えた。


「王太子殿下から、謝罪文の再提出がございます」


 姉が言った。


 朝食室が少しだけ緊張した。


 私は封筒を見る。


 以前より、文字が落ち着いている。

 封蝋も乱れていない。

 追伸が封筒の外にはみ出してもいない。


 少し、ましである。


 姉が文面を読み始めた。


『エルミナ・ローゼンベルク嬢へ。先日の婚約破棄および断罪の場において、私はあなたの働きと立場を正しく見ていませんでした』


 朝食室が静かになった。


 姉の赤ペンは、まだ動かない。


『あなたが王宮にいた三年間、私はその働きを当然のものとして受け取り、報告書を読まず、確認印だけを押していました』


 父が静かに目を伏せた。


『ミリアを本物の聖女と呼んだことも、あなたの聖女としての立場を軽んじるものでした。私の理解は浅く、判断は誤っていました』


 母が紅茶を置く音も、今度はしなかった。


 姉は、黙って読み続ける。


『謝ったから許されるとは思っていません。まず、読んでいなかった報告書を読みます。あなたが何をしていたのか、今度は確認します』


 私は、少しだけ息を止めていた。


 殿下の言葉としては、かなり良い。


 かなり良いのに、私はすぐに受け取れなかった。


 三年間、欲しかった言葉に近い。


 けれど、遅い。


 あまりに遅い。


 胸の奥が、ほんの少しだけ痛んだ。


 嬉しいのではない。

 許したいのでもない。


 ただ、ようやく届いたものが、もう戻れない場所に落ちた気がした。


 姉が静かに文面を置いた。


「かなり改善しています」


「はい」


「ただし、追伸があります」


「あるのですね」


「あります」


 姉は、二枚目を開いた。


『追伸。頭髪保護特別枠についても、報告書を読みながら理解を深めている。頭皮環境の改善は生活習慣から始まるという助言を受け止め、整髪料を減らした』


 朝食室が止まった。


 父が額に手を当てた。


 母は紅茶を見つめた。


 私は、目を閉じた。


 姉が赤ペンを走らせる。


 謝罪文は改善。

 頭皮は継続。


「お姉様」


「事実です」


 セドリックが静かに尋ねた。


「追伸は、頭皮箱へ分類いたしますか」


「謝罪文の一部として保管し、頭皮関連写しを頭皮箱へ」


「承知いたしました」


 分割管理される頭皮。


 王太子殿下は、少しずつ進んでいる。


 ただし、頭皮を連れて進んでいる。




 手紙の確認が終わった頃には、朝の光が少し高くなっていた。


 私は、台帳を閉じる。


 王宮は、完全には落ち着いていない。


 楽団は調和を学んでいる。

 側近団は心に響くシャキーンを諦めきれていない。

 神殿長猊下は契約書を読み続けている。

 貴族街は湿気と睡眠と鴨に向き合っている。

 ミリア様は花一輪から始めた。

 王太子殿下は、謝罪文を改善しながら頭皮箱を増やしている。


 それでも。


 止まったものが、少しずつ別の形で動き始めていた。


 私が何もかもを無償で支え続ける形ではなく。


 誰かが契約書を読み、誰かが睡眠を取り、誰かが鴨を減らし、誰かが自分の指先ではなく花を見る。


 遅い。


 とても遅い。


 けれど、止まったままではない。


「エルミナ」


 父が言った。


「今日は少し休んでもいい」


「手紙の写しを」


「午後でいい」


 母が、私の前に温かい紅茶を置いた。


「紅茶は今です」


 私はカップを見た。


 湯気が、まだある。


 温かいうちに飲む。


 それだけのことを、今日は選んでよい。


「……いただきます」


 紅茶は、少し甘かった。


 蜂蜜が入っている。


 私は、ゆっくり飲んだ。


 呼び鈴は鳴らない。


 王宮の鐘も聞こえない。


 頭皮箱は増えているが、今は開けなくていい。


 その事実だけで、朝食室は少し静かだった。




 静けさは、昼前まで続いた。


 かなり長く持った方だと思う。


 セドリックが運んできた最後の封筒には、王妃陛下の封蝋が押されていた。


 緊急便ではない。

 頭皮照会でもない。


 正式な招待状だった。


「王妃陛下よりでございます」


 私は封を開いた。


『王城の再契約状況を確認するため、ローゼンベルク嬢に一度お越しいただきたい』


 文字は落ち着いていた。


 余計な装飾もない。


 そして、最後に一文。


『婚約者としてではなく、契約相手としてお迎えします』


 私は、その文字をしばらく見つめた。


 王城へ戻る。


 ただし、今度は婚約者としてではない。

 呼び出される聖女としてでもない。

 王宮の都合に走る便利な加護係としてでもない。


 契約相手として。


 姉が招待状を覗き込む。


「王妃陛下は、言葉の置き方が上手いですね」


「はい」


「行くの?」


 母が尋ねた。


「行きます」


 私は答えた。


「王家中枢分の仮契約を結んでおります。現地確認は必要です」


「無理はしないこと」


「承知しております」


 父が静かに笑った。


「では、明日は王城だね」


「はい」


「頭皮箱は持っていくのかな」


 私は、第二頭皮箱を見た。


 見てしまった。


 セドリックも、箱を見た。


 姉も、箱を見た。


 母だけは紅茶を飲んでいた。


「持参しない方がよろしいかと」


 私は答えた。


「王太子殿下が、希望を持ちすぎます」


「妥当だね」


 父がうなずいた。


 姉が赤ペンで書いた。


 頭皮箱、留守番。


「お姉様」


「重要な運用判断です」


「はい」


 私は聖女加護管理台帳を閉じた。


 一週間ぶりの王城で、まず確認すべきことは決まっている。


 王宮の加護が、契約通りに使われているか。


 侍女の皆様が、無理に微笑んでいないか。


 そして。


 王太子殿下が、頭皮箱の不在に耐えられるかどうかでございます。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


第11話は、一週間後の整理回でした。

王宮も少し落ち着いてきました。

頭皮箱だけは増えております。


次回、エルミナは王城へ向かいます。

婚約者としてではなく、契約相手として。


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― 新着の感想 ―
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