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聖女加護、解約済みです。王太子殿下の頭皮は自己責任でございます【連載版】  作者: あゆと


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10/12

010 豆粒発光は聖女認定に含まれません。まずは花一輪でございます

王妃陛下より、ミリア様の今後について確認依頼が届きました。

豆粒発光は、聖女認定に含まれるのでしょうか。


 王妃陛下から届いた封筒は、王太子殿下の頭皮照会より薄かった。


 ただし、薄いからといって軽いとは限らない。


 封を切る前から、父の目が少しだけ裁判所になっていた。姉は赤ペンを構え、母は黙って紅茶を置く。


 王妃陛下の書状は、いつも通り簡潔だった。


『ミリア・ファルネーゼ嬢の今後の扱いについて、今代聖女としての確認を願います』


 私は、その一文を読み終えてから、聖女加護管理台帳にしおりを挟んだ。


 ミリア様。


 あの舞踏会で、王太子レオナール殿下に「本物の聖女」と呼ばれたことで、王都中に名が広まってしまった男爵令嬢である。


 王太子殿下の言葉は、すでに王都を歩いている。


 しかも、たいへん困ったことに、靴音が大きい。


「王妃陛下は、ミリア嬢を聖女として扱いたいわけではなさそうだね」


 父が書状を見ながら言った。


「はい。神殿はミリア様を聖女とは認定しておりません。ただ、殿下が公の場で本物の聖女だと宣言してしまった以上、放置もできないのでしょう」


 姉の赤ペンが動いた。


 恋愛の粉飾表示。


「お姉様」


「かなり控えめに書きました」


 控えめかどうかは分からないが、方向性は間違っていない。


 王太子殿下には婚約者がいた。


 その状態でミリア様を寵愛し、舞踏会で私を断罪し、彼女を本物の聖女だと言った。


 真実の愛という言葉で飾れば、裏切りが儀礼になるわけではない。


 さらに問題は、聖女という名だった。


 この国で、聖女は特別な存在である。


 神に認められ、祈りによって加護を扱う者。


 聖女は、同じ時代に一人だけ。


 先代の聖女は、母。

 今代の聖女は、私。


 神殿も王家も、それを知らなかったわけではない。


 ただ、王太子殿下は聖女というものを、少しばかり勘違いしていた。


 聖女は、常に白く光り、清らかに微笑み、涙すら美しく、祈れば花弁が舞うものだと。


 私が王宮でしていたのは、結界の調整、王族の健康補助、王城の湿度管理、儀礼加護の維持、月次報告書の作成である。


 殿下の目には、あまり聖女らしくなかったらしい。


 ならば報告書を読んでいただきたかった。


 心から。


「ミリア様ご本人は、本日いらっしゃるのでしょう?」


 母が尋ねた。


「はい。王妃陛下の手配で、午後に来られるそうです」


「王妃陛下の手配なら、逃げることも隠すこともできないわね」


「その方がよろしゅうございます。中途半端に周囲が庇うと、また話が大きくなりますので」


 姉が赤ペンを持ち直した。


「問題は、ミリア様に才がまったくないわけではない点です」


「はい」


 私は台帳を開いた。


 ミリア様には、小さな祈りの才がある。


 花を少し元気にする程度の力。

 指先に弱い光を灯す程度の力。


 ただし、それは聖女である証ではない。


 そこへ、王宮の演出補助が重なった。


 王太子殿下の隣に立つ女性は、王家の威信にふさわしく美しく見えねばならない。


 その考えから、王宮儀礼係や侍女長が、たいへん真面目に、たいへん余計な補助を積み上げたのである。


 涙が一筋だけ美しく落ちる補助。

 睫毛の震えが儚げに見える補助。

 祈る指先が清らかに見える補助。

 声の震えが聞く者の庇護欲を誘う補助。

 周囲の光粒がいい感じに舞う補助。

 花弁が偶然っぽく舞う補助。


 もともとの微弱な光に、それらが重なった。


 ミリア様は、聖女ではない。


 ただ、王太子殿下が思い描く“聖女らしさ”には、あまりにも合ってしまった。


 姉が赤ペンを走らせる。


 演出補助、過剰。

 聖女認定の根拠としては不適。


「お姉様」


「記録としては妥当です」


「はい」


 妥当である。


 悲しいほどに。




 午後。


 ミリア様は、王妃陛下の侍女に付き添われて、ローゼンベルク公爵家へやって来た。


 以前のような華やかなドレスではない。


 淡い桃色のリボンも控えめで、髪も少しだけ落ち着いている。舞踏会場で見た時より、ずっと小さく見えた。


 それでも、彼女が扉の前に立った瞬間、応接室の空気は少しやわらいだ。


 セドリックが、いつもより静かに扉を開ける。

 母が、いつもより早く紅茶を用意する。

 父も、声を荒げないようにしている。


 ミリア様には、そういう天性がある。


 泣けば、誰かが手を差し伸べたくなる。

 微笑めば、周囲が少しだけ良い方に解釈する。

 小さく震えれば、責める声が一拍遅れる。


 まるで、物語の中心に置かれる方のように。


 それは聖女の証ではない。


 けれど、人の視線と善意を集める力ではあった。


 姉だけが、赤ペンを持ったまま、まっすぐミリア様を見ている。


 強い。


 姉は、物語の中心に置かれる方に強い。


「ミリア・ファルネーゼでございます」


 ミリア様は深く頭を下げた。


 声は震えていた。


 以前なら、その震えには庇護欲を誘う補助が乗っていただろう。今は、ただ不安で震えている声だった。


 それでも、少し守ってあげたくなる。


 天性とは、厄介である。


「お座りください」


 私が告げると、ミリア様は椅子に腰を下ろした。膝の上で両手を握りしめ、視線を落としている。


 睫毛が震えていた。


 普通に震えていた。


 演出がないと、かえって痛々しい。


 王妃陛下の侍女が、封筒を差し出した。


「王妃陛下より、検査記録の写しでございます。神殿は、ミリア様を聖女とは認定しておりません。ただし、微弱な祈りの才は認められるとのことです」


「承知いたしました」


 私は書類を確認し、台帳の該当欄を開いた。


「まず、はっきり申し上げます」


 ミリア様の肩が震えた。


 私は声を強くしすぎないように気をつけた。


「ミリア様は、聖女ではございません」


 応接室が静かになった。


 ミリア様の顔から、血の気が引いていく。


 その表情に、また誰かが手を差し伸べたくなる気配がした。


 だが、ここで曖昧にすると、また誰かが彼女を祭り上げる。


「聖女は、同じ時代に一人だけです。今代の聖女は、私でございます。ミリア様は、神殿が把握していない未確認の聖女でもございません」


 ミリア様は唇を噛んだ。


「では、私は……何だったのですか」


 小さな声だった。


 責める声ではない。

 すがる声でもない。


 自分が立っていた場所が、急になくなった人の声だった。


「何もない方ではございません」


 私は答えた。


 ミリア様が顔を上げる。


「あなたには、小さな祈りの才がございます。花を少し元気にする程度の力、弱い光を灯す程度の力。そして、人に手を差し伸べられやすい天性」


 姉の赤ペンが動いた。


 見栄えの補助と本人の天性が混同された可能性。


「お姉様」


「今回は少し長めに書きました」


「正確でございます」


 ミリア様は、泣きそうな顔をした。


 涙が目元にたまる。


 以前なら、ここで一筋だけ美しく落ちたはずである。


 だが、今は普通に両目が潤み、少し鼻も赤くなった。


 姉が赤ペンを置いた。


「涙一筋美化補助、停止済みですね」


「お姉様、今は」


「すみません。確認癖です」


 ミリア様は、困ったように笑った。


 その笑い方は、以前よりずっと頼りなかった。


「私、あれも加護だったのですね」


「涙の流れそのものは、ミリア様のものです」


 私は台帳をめくる。


「ただし、王宮儀礼において、王太子殿下の隣に立つ女性が美しく見えるよう、王宮側の演出補助が複数かかっておりました」


 父が目を伏せた。


「レオナール殿下が言いそうだね」


「記録がございます」


 私は該当欄を読み上げた。


「王太子殿下同伴女性儀礼印象補助。涙が一筋だけ美しく落ちる補助。睫毛震え儚げ補助。祈る指先清廉化補助。声震え庇護欲誘導補助。周辺光粒反射補助。花弁偶然風演出補助」


 応接室が沈黙した。


 王妃陛下の侍女が、たいへん遠い目をしている。


 母が紅茶を置いた。


「ずいぶん積みましたね」


「王宮儀礼係と侍女長が、王家の威信と外交上の見栄えを理由に整えたようです」


 姉が台帳を覗き込む。


「発端の発言は」


「こちらです」


 私は小さな付箋を示した。


『私の隣に立つ女性が、涙で顔を崩すなど王家の品位に関わる』


『私の愛する女性は、どの角度から見ても神に祝福されているようでなければならない』


 父が静かに目を閉じた。


 母は紅茶を見つめた。


 姉は赤ペンを走らせた。


 殿下、美意識が職務を圧迫。


「お姉様」


「かなり控えめに書きました」


 控えめだった。


 ミリア様は、膝の上で手を握りしめていた。


「私は、それを知りませんでした」


「そうでしょうね」


「でも、嫌ではなかったのです」


 その言葉に、応接室の空気が少し変わった。


 ミリア様は、俯いたまま続ける。


「男爵家の娘として、舞踏会ではいつも誰かの後ろでした。名前より先に家格を見られて、座る場所も、話しかけられる順番も、全部決まっていました」


 彼女の声は、少しずつ震えた。


「レオナール様が、私を本物の聖女だと言ってくださった時、やっと誰かの隣ではなく、私が見られた気がしたのです。光れば、皆が見てくれました。泣けば、皆が優しくしてくれました。私は……それが嬉しかった」


 責任はある。


 けれど、嘘だけではなかった。


 私は、台帳を閉じた。


「嬉しかったことと、聖女であることは別でございます」


 ミリア様の肩が小さく揺れた。


「分かっています」


「本当に?」


 姉が静かに聞いた。


 ミリア様は、すぐには答えなかった。


 その沈黙は、少しだけ長かった。


「……今、分かろうとしております」


 姉の赤ペンが止まった。


「よい返答です」


 ミリア様は、驚いたように姉を見た。


「責められると思いました」


「責める材料はあります」


「ありますよね……」


「ですが、今の返答は、以前よりましです」


 姉は淡々と言った。


 厳しい。


 だが、嘘はない。


 ミリア様は少しだけ背筋を伸ばした。




 私はセドリックへ視線を向けた。


「用意を」


「承知しております」


 セドリックは、銀盆の上に小さな鉢植えを載せてきた。


 白い小花の鉢である。


 ただし、花は少ししおれていた。


 葉も元気がない。水は足りているが、根が弱っている。


 今日の確認には、ちょうどよい。


「ミリア様」


「はい」


「この花を、少し元気にしてみてください」


 ミリア様は目を見開いた。


「私が、ですか」


「聖女であるかどうかの確認ではございません。あなたの祈りが、何に届くのかを見るだけです」


 ミリア様は、震える指を花へ向けた。


 その姿勢は、たしかに絵になった。


 小さく震える睫毛。

 祈るように組まれた指。

 少し潤んだ瞳。


 演出補助は止まっている。


 それでも、どこか場面が整って見える。


 まるで、物語の中心に置かれる方のように。


 ミリア様は目を閉じた。


「神よ……どうか、この花に清らかな光を」


 ぽ。


 指先が光った。


 豆粒ほど。


 花は、何も変わらなかった。


 姉の赤ペンが動く。


 豆粒発光。花、無反応。


「お姉様」


「必要な記録です」


 ミリア様は耳まで赤くなった。


「やはり、私は何も」


「違います」


 私は遮った。


 短く言ったせいで、ミリア様がびくりとする。


 私は少し声を落とした。


「光ることが目的ではございません」


「でも、聖女は光るものだと」


「殿下の理解です」


 父が遠くを見る。


「重いね」


「はい」


 私は鉢を少しだけミリア様の方へ寄せた。


「花を見てください。あなたを見てもらうのではありません。花を見るのです」


 ミリア様は、戸惑いながら花を見た。


「水が足りないのか、根が弱っているのか、日差しが強すぎたのか。祈りは、相手を見ずに投げるものではございません」


 ミリア様の瞳が、小さく揺れた。


 彼女は、初めて自分の指先ではなく、花の葉を見た。


「……少し、葉の端が乾いています」


「続けて」


「土は湿っています。でも、根元が固くなっているような気がします」


「よろしいです」


 母が小さな水差しを出した。


 セドリックが細い木の棒を添える。


 ミリア様は困ったように周囲を見た。


 誰かが手を貸したくなる空気が、また応接室に満ちた。


 それは聖女の力ではない。


 けれど、悪いものでもない。


 私は言った。


「あなたは、助けられやすい方です」


 ミリア様の手が止まる。


「それは、聖女の証ではございません。ですが、人と一緒に何かを整える力にはなります」


「私は、助けられてばかりでよいのですか」


「いいえ」


 私は首を横に振った。


「助けてもらった手で、次に何を見るかでございます」


 ミリア様は、しばらく鉢を見つめていた。


 それから、水を少しだけ足し、固くなった土をそっと緩めた。


 もう一度、祈る。


 今度は、指先を高く掲げなかった。


 涙も見せようとしなかった。

 睫毛の震えも、伏し目も、誰かに見せるものではなかった。


 ただ、小さな花を見ていた。


「……少しでいいので」


 ミリア様は呟いた。


「元気に、なってください」


 光は、ほとんど出なかった。


 けれど、しおれていた葉が一枚だけ、ほんの少し持ち上がった。


 応接室の誰も、すぐには声を出さなかった。


 ミリア様自身も、信じられないものを見るように、花を見つめている。


「できましたね」


 私が言うと、ミリア様の目から涙が落ちた。


 今度は一筋ではない。


 ぽろぽろと、不格好に落ちた。


 けれど、その涙は、前よりずっと本物に見えた。


「これが、聖女の力ですの?」


「いいえ」


 私は答えた。


「聖女の力ではございません。ミリア様の祈りの始まりです」


 ミリア様は、花を見たまま、小さくうなずいた。


「私は、聖女ではないのですね」


「はい」


「でも、花一輪なら」


「届きました」


 姉が赤ペンを置いた。


「豆粒発光より、こちらの方がましです」


「お姉様」


「褒めています」


 ミリア様は、泣きながら少し笑った。


 その笑顔は、相変わらず人を助けたくさせる。


 けれど、もうそれだけではなかった。




 その時、セドリックが新たな封筒を持って入ってきた。


「お嬢様。王太子殿下より、追加照会でございます」


 応接室の全員が、わずかに身構えた。


「件名は、花の回復と頭髪への応用可能性について、でございます」


 ミリア様の涙が止まった。


 姉が赤ペンを持ち直す。


「早いですね」


「殿下は、頭髪と希望に関する情報だけ、たいへん早く拾われます」


 セドリックは封を開いた。


『花を元気にできるなら、頭髪にも応用できるのではないか』


 私は静かに目を閉じた。


 父が額に手を当てる。


 母は紅茶を置いた。


 姉が赤ペンを走らせた。


 頭皮は花壇ではない。


「そのまま返信してよろしいでしょうか」


 セドリックが尋ねる。


「少しだけ丁寧にしてください」


「承知いたしました」


 ミリア様が、困ったように笑った。


「レオナール様は、まだ頭髪を」


「はい」


「私が言うのも何ですが、少し落ち着かれた方が」


 応接室が静かになった。


 父が感慨深そうに言った。


「ミリア嬢がそれを言えるようになったのは、大きいね」


 ミリア様は、また顔を赤くした。


「私も、落ち着いておりませんでしたから」


「存じております」


 姉が即答した。


 ミリア様は小さく縮んだ。


 だが、逃げなかった。


 私は王妃陛下の侍女へ向き直る。


「王妃陛下へお伝えください。ミリア様を聖女として扱うことはできません」


「承知いたしました」


「ただし、神殿で基礎を学ぶことは可能です。祈りの扱い、花や水への小さな働きかけ、儀礼補助の基礎。ただし、聖女扱いをしないこと。持ち上げないこと。演出補助を乗せないこと」


 侍女は深く頭を下げた。


「必ずお伝えいたします」


 私はミリア様を見る。


「よろしいですか」


 ミリア様は、しばらく自分の膝を見つめていた。


 やがて、ゆっくりとうなずく。


「花一輪から、始めます」


 その声はまだ弱かった。


 けれど、舞踏会場で聞いた甘い声より、ずっとましだった。


 私は聖女加護管理台帳を閉じる。


 ミリア様は、聖女ではない。


 未確認の聖女でもない。


 けれど、花一輪を見ることはできた。


 なら、まずはそこからでございます。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


第10話は、ミリア様の確認回でした。

豆粒発光は聖女認定に含まれません。

ですが、花一輪には届いたようでございます。


次回、ミリア様は神殿で基礎から学ぶことになります。

なお、頭皮は花壇ではございません。


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