010 豆粒発光は聖女認定に含まれません。まずは花一輪でございます
王妃陛下より、ミリア様の今後について確認依頼が届きました。
豆粒発光は、聖女認定に含まれるのでしょうか。
王妃陛下から届いた封筒は、王太子殿下の頭皮照会より薄かった。
ただし、薄いからといって軽いとは限らない。
封を切る前から、父の目が少しだけ裁判所になっていた。姉は赤ペンを構え、母は黙って紅茶を置く。
王妃陛下の書状は、いつも通り簡潔だった。
『ミリア・ファルネーゼ嬢の今後の扱いについて、今代聖女としての確認を願います』
私は、その一文を読み終えてから、聖女加護管理台帳にしおりを挟んだ。
ミリア様。
あの舞踏会で、王太子レオナール殿下に「本物の聖女」と呼ばれたことで、王都中に名が広まってしまった男爵令嬢である。
王太子殿下の言葉は、すでに王都を歩いている。
しかも、たいへん困ったことに、靴音が大きい。
「王妃陛下は、ミリア嬢を聖女として扱いたいわけではなさそうだね」
父が書状を見ながら言った。
「はい。神殿はミリア様を聖女とは認定しておりません。ただ、殿下が公の場で本物の聖女だと宣言してしまった以上、放置もできないのでしょう」
姉の赤ペンが動いた。
恋愛の粉飾表示。
「お姉様」
「かなり控えめに書きました」
控えめかどうかは分からないが、方向性は間違っていない。
王太子殿下には婚約者がいた。
その状態でミリア様を寵愛し、舞踏会で私を断罪し、彼女を本物の聖女だと言った。
真実の愛という言葉で飾れば、裏切りが儀礼になるわけではない。
さらに問題は、聖女という名だった。
この国で、聖女は特別な存在である。
神に認められ、祈りによって加護を扱う者。
聖女は、同じ時代に一人だけ。
先代の聖女は、母。
今代の聖女は、私。
神殿も王家も、それを知らなかったわけではない。
ただ、王太子殿下は聖女というものを、少しばかり勘違いしていた。
聖女は、常に白く光り、清らかに微笑み、涙すら美しく、祈れば花弁が舞うものだと。
私が王宮でしていたのは、結界の調整、王族の健康補助、王城の湿度管理、儀礼加護の維持、月次報告書の作成である。
殿下の目には、あまり聖女らしくなかったらしい。
ならば報告書を読んでいただきたかった。
心から。
「ミリア様ご本人は、本日いらっしゃるのでしょう?」
母が尋ねた。
「はい。王妃陛下の手配で、午後に来られるそうです」
「王妃陛下の手配なら、逃げることも隠すこともできないわね」
「その方がよろしゅうございます。中途半端に周囲が庇うと、また話が大きくなりますので」
姉が赤ペンを持ち直した。
「問題は、ミリア様に才がまったくないわけではない点です」
「はい」
私は台帳を開いた。
ミリア様には、小さな祈りの才がある。
花を少し元気にする程度の力。
指先に弱い光を灯す程度の力。
ただし、それは聖女である証ではない。
そこへ、王宮の演出補助が重なった。
王太子殿下の隣に立つ女性は、王家の威信にふさわしく美しく見えねばならない。
その考えから、王宮儀礼係や侍女長が、たいへん真面目に、たいへん余計な補助を積み上げたのである。
涙が一筋だけ美しく落ちる補助。
睫毛の震えが儚げに見える補助。
祈る指先が清らかに見える補助。
声の震えが聞く者の庇護欲を誘う補助。
周囲の光粒がいい感じに舞う補助。
花弁が偶然っぽく舞う補助。
もともとの微弱な光に、それらが重なった。
ミリア様は、聖女ではない。
ただ、王太子殿下が思い描く“聖女らしさ”には、あまりにも合ってしまった。
姉が赤ペンを走らせる。
演出補助、過剰。
聖女認定の根拠としては不適。
「お姉様」
「記録としては妥当です」
「はい」
妥当である。
悲しいほどに。
午後。
ミリア様は、王妃陛下の侍女に付き添われて、ローゼンベルク公爵家へやって来た。
以前のような華やかなドレスではない。
淡い桃色のリボンも控えめで、髪も少しだけ落ち着いている。舞踏会場で見た時より、ずっと小さく見えた。
それでも、彼女が扉の前に立った瞬間、応接室の空気は少しやわらいだ。
セドリックが、いつもより静かに扉を開ける。
母が、いつもより早く紅茶を用意する。
父も、声を荒げないようにしている。
ミリア様には、そういう天性がある。
泣けば、誰かが手を差し伸べたくなる。
微笑めば、周囲が少しだけ良い方に解釈する。
小さく震えれば、責める声が一拍遅れる。
まるで、物語の中心に置かれる方のように。
それは聖女の証ではない。
けれど、人の視線と善意を集める力ではあった。
姉だけが、赤ペンを持ったまま、まっすぐミリア様を見ている。
強い。
姉は、物語の中心に置かれる方に強い。
「ミリア・ファルネーゼでございます」
ミリア様は深く頭を下げた。
声は震えていた。
以前なら、その震えには庇護欲を誘う補助が乗っていただろう。今は、ただ不安で震えている声だった。
それでも、少し守ってあげたくなる。
天性とは、厄介である。
「お座りください」
私が告げると、ミリア様は椅子に腰を下ろした。膝の上で両手を握りしめ、視線を落としている。
睫毛が震えていた。
普通に震えていた。
演出がないと、かえって痛々しい。
王妃陛下の侍女が、封筒を差し出した。
「王妃陛下より、検査記録の写しでございます。神殿は、ミリア様を聖女とは認定しておりません。ただし、微弱な祈りの才は認められるとのことです」
「承知いたしました」
私は書類を確認し、台帳の該当欄を開いた。
「まず、はっきり申し上げます」
ミリア様の肩が震えた。
私は声を強くしすぎないように気をつけた。
「ミリア様は、聖女ではございません」
応接室が静かになった。
ミリア様の顔から、血の気が引いていく。
その表情に、また誰かが手を差し伸べたくなる気配がした。
だが、ここで曖昧にすると、また誰かが彼女を祭り上げる。
「聖女は、同じ時代に一人だけです。今代の聖女は、私でございます。ミリア様は、神殿が把握していない未確認の聖女でもございません」
ミリア様は唇を噛んだ。
「では、私は……何だったのですか」
小さな声だった。
責める声ではない。
すがる声でもない。
自分が立っていた場所が、急になくなった人の声だった。
「何もない方ではございません」
私は答えた。
ミリア様が顔を上げる。
「あなたには、小さな祈りの才がございます。花を少し元気にする程度の力、弱い光を灯す程度の力。そして、人に手を差し伸べられやすい天性」
姉の赤ペンが動いた。
見栄えの補助と本人の天性が混同された可能性。
「お姉様」
「今回は少し長めに書きました」
「正確でございます」
ミリア様は、泣きそうな顔をした。
涙が目元にたまる。
以前なら、ここで一筋だけ美しく落ちたはずである。
だが、今は普通に両目が潤み、少し鼻も赤くなった。
姉が赤ペンを置いた。
「涙一筋美化補助、停止済みですね」
「お姉様、今は」
「すみません。確認癖です」
ミリア様は、困ったように笑った。
その笑い方は、以前よりずっと頼りなかった。
「私、あれも加護だったのですね」
「涙の流れそのものは、ミリア様のものです」
私は台帳をめくる。
「ただし、王宮儀礼において、王太子殿下の隣に立つ女性が美しく見えるよう、王宮側の演出補助が複数かかっておりました」
父が目を伏せた。
「レオナール殿下が言いそうだね」
「記録がございます」
私は該当欄を読み上げた。
「王太子殿下同伴女性儀礼印象補助。涙が一筋だけ美しく落ちる補助。睫毛震え儚げ補助。祈る指先清廉化補助。声震え庇護欲誘導補助。周辺光粒反射補助。花弁偶然風演出補助」
応接室が沈黙した。
王妃陛下の侍女が、たいへん遠い目をしている。
母が紅茶を置いた。
「ずいぶん積みましたね」
「王宮儀礼係と侍女長が、王家の威信と外交上の見栄えを理由に整えたようです」
姉が台帳を覗き込む。
「発端の発言は」
「こちらです」
私は小さな付箋を示した。
『私の隣に立つ女性が、涙で顔を崩すなど王家の品位に関わる』
『私の愛する女性は、どの角度から見ても神に祝福されているようでなければならない』
父が静かに目を閉じた。
母は紅茶を見つめた。
姉は赤ペンを走らせた。
殿下、美意識が職務を圧迫。
「お姉様」
「かなり控えめに書きました」
控えめだった。
ミリア様は、膝の上で手を握りしめていた。
「私は、それを知りませんでした」
「そうでしょうね」
「でも、嫌ではなかったのです」
その言葉に、応接室の空気が少し変わった。
ミリア様は、俯いたまま続ける。
「男爵家の娘として、舞踏会ではいつも誰かの後ろでした。名前より先に家格を見られて、座る場所も、話しかけられる順番も、全部決まっていました」
彼女の声は、少しずつ震えた。
「レオナール様が、私を本物の聖女だと言ってくださった時、やっと誰かの隣ではなく、私が見られた気がしたのです。光れば、皆が見てくれました。泣けば、皆が優しくしてくれました。私は……それが嬉しかった」
責任はある。
けれど、嘘だけではなかった。
私は、台帳を閉じた。
「嬉しかったことと、聖女であることは別でございます」
ミリア様の肩が小さく揺れた。
「分かっています」
「本当に?」
姉が静かに聞いた。
ミリア様は、すぐには答えなかった。
その沈黙は、少しだけ長かった。
「……今、分かろうとしております」
姉の赤ペンが止まった。
「よい返答です」
ミリア様は、驚いたように姉を見た。
「責められると思いました」
「責める材料はあります」
「ありますよね……」
「ですが、今の返答は、以前よりましです」
姉は淡々と言った。
厳しい。
だが、嘘はない。
ミリア様は少しだけ背筋を伸ばした。
私はセドリックへ視線を向けた。
「用意を」
「承知しております」
セドリックは、銀盆の上に小さな鉢植えを載せてきた。
白い小花の鉢である。
ただし、花は少ししおれていた。
葉も元気がない。水は足りているが、根が弱っている。
今日の確認には、ちょうどよい。
「ミリア様」
「はい」
「この花を、少し元気にしてみてください」
ミリア様は目を見開いた。
「私が、ですか」
「聖女であるかどうかの確認ではございません。あなたの祈りが、何に届くのかを見るだけです」
ミリア様は、震える指を花へ向けた。
その姿勢は、たしかに絵になった。
小さく震える睫毛。
祈るように組まれた指。
少し潤んだ瞳。
演出補助は止まっている。
それでも、どこか場面が整って見える。
まるで、物語の中心に置かれる方のように。
ミリア様は目を閉じた。
「神よ……どうか、この花に清らかな光を」
ぽ。
指先が光った。
豆粒ほど。
花は、何も変わらなかった。
姉の赤ペンが動く。
豆粒発光。花、無反応。
「お姉様」
「必要な記録です」
ミリア様は耳まで赤くなった。
「やはり、私は何も」
「違います」
私は遮った。
短く言ったせいで、ミリア様がびくりとする。
私は少し声を落とした。
「光ることが目的ではございません」
「でも、聖女は光るものだと」
「殿下の理解です」
父が遠くを見る。
「重いね」
「はい」
私は鉢を少しだけミリア様の方へ寄せた。
「花を見てください。あなたを見てもらうのではありません。花を見るのです」
ミリア様は、戸惑いながら花を見た。
「水が足りないのか、根が弱っているのか、日差しが強すぎたのか。祈りは、相手を見ずに投げるものではございません」
ミリア様の瞳が、小さく揺れた。
彼女は、初めて自分の指先ではなく、花の葉を見た。
「……少し、葉の端が乾いています」
「続けて」
「土は湿っています。でも、根元が固くなっているような気がします」
「よろしいです」
母が小さな水差しを出した。
セドリックが細い木の棒を添える。
ミリア様は困ったように周囲を見た。
誰かが手を貸したくなる空気が、また応接室に満ちた。
それは聖女の力ではない。
けれど、悪いものでもない。
私は言った。
「あなたは、助けられやすい方です」
ミリア様の手が止まる。
「それは、聖女の証ではございません。ですが、人と一緒に何かを整える力にはなります」
「私は、助けられてばかりでよいのですか」
「いいえ」
私は首を横に振った。
「助けてもらった手で、次に何を見るかでございます」
ミリア様は、しばらく鉢を見つめていた。
それから、水を少しだけ足し、固くなった土をそっと緩めた。
もう一度、祈る。
今度は、指先を高く掲げなかった。
涙も見せようとしなかった。
睫毛の震えも、伏し目も、誰かに見せるものではなかった。
ただ、小さな花を見ていた。
「……少しでいいので」
ミリア様は呟いた。
「元気に、なってください」
光は、ほとんど出なかった。
けれど、しおれていた葉が一枚だけ、ほんの少し持ち上がった。
応接室の誰も、すぐには声を出さなかった。
ミリア様自身も、信じられないものを見るように、花を見つめている。
「できましたね」
私が言うと、ミリア様の目から涙が落ちた。
今度は一筋ではない。
ぽろぽろと、不格好に落ちた。
けれど、その涙は、前よりずっと本物に見えた。
「これが、聖女の力ですの?」
「いいえ」
私は答えた。
「聖女の力ではございません。ミリア様の祈りの始まりです」
ミリア様は、花を見たまま、小さくうなずいた。
「私は、聖女ではないのですね」
「はい」
「でも、花一輪なら」
「届きました」
姉が赤ペンを置いた。
「豆粒発光より、こちらの方がましです」
「お姉様」
「褒めています」
ミリア様は、泣きながら少し笑った。
その笑顔は、相変わらず人を助けたくさせる。
けれど、もうそれだけではなかった。
その時、セドリックが新たな封筒を持って入ってきた。
「お嬢様。王太子殿下より、追加照会でございます」
応接室の全員が、わずかに身構えた。
「件名は、花の回復と頭髪への応用可能性について、でございます」
ミリア様の涙が止まった。
姉が赤ペンを持ち直す。
「早いですね」
「殿下は、頭髪と希望に関する情報だけ、たいへん早く拾われます」
セドリックは封を開いた。
『花を元気にできるなら、頭髪にも応用できるのではないか』
私は静かに目を閉じた。
父が額に手を当てる。
母は紅茶を置いた。
姉が赤ペンを走らせた。
頭皮は花壇ではない。
「そのまま返信してよろしいでしょうか」
セドリックが尋ねる。
「少しだけ丁寧にしてください」
「承知いたしました」
ミリア様が、困ったように笑った。
「レオナール様は、まだ頭髪を」
「はい」
「私が言うのも何ですが、少し落ち着かれた方が」
応接室が静かになった。
父が感慨深そうに言った。
「ミリア嬢がそれを言えるようになったのは、大きいね」
ミリア様は、また顔を赤くした。
「私も、落ち着いておりませんでしたから」
「存じております」
姉が即答した。
ミリア様は小さく縮んだ。
だが、逃げなかった。
私は王妃陛下の侍女へ向き直る。
「王妃陛下へお伝えください。ミリア様を聖女として扱うことはできません」
「承知いたしました」
「ただし、神殿で基礎を学ぶことは可能です。祈りの扱い、花や水への小さな働きかけ、儀礼補助の基礎。ただし、聖女扱いをしないこと。持ち上げないこと。演出補助を乗せないこと」
侍女は深く頭を下げた。
「必ずお伝えいたします」
私はミリア様を見る。
「よろしいですか」
ミリア様は、しばらく自分の膝を見つめていた。
やがて、ゆっくりとうなずく。
「花一輪から、始めます」
その声はまだ弱かった。
けれど、舞踏会場で聞いた甘い声より、ずっとましだった。
私は聖女加護管理台帳を閉じる。
ミリア様は、聖女ではない。
未確認の聖女でもない。
けれど、花一輪を見ることはできた。
なら、まずはそこからでございます。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
第10話は、ミリア様の確認回でした。
豆粒発光は聖女認定に含まれません。
ですが、花一輪には届いたようでございます。
次回、ミリア様は神殿で基礎から学ぶことになります。
なお、頭皮は花壇ではございません。
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