2.仕返し、ですか?
陽が落ちはじめる頃。
あの執事なら、そろそろ起きているはずだと探しに向かったのだが――。
「アレスター! キッチンにもいない……?」
ドラグのツノ磨きに対する、微妙な反応のわけを訊きたかったのに。
「まだ起きてない……なんてことはないか」
寝室代わりの棺桶にも、シャワー室にも気配を感じない。
「あの“ショタじじ吸血鬼”まさか……いや、買い物かな?」
何百年もグロウサリア家に仕えている彼が、今さらサボるなんてあり得ない。
彼の推しである“歌姫のショー”が、夕方から開催でもない限り。
玄関掃除をしつつ、帰りを待つことにするか――。
「箒は……昨日、談話室に置いたかな」
執事以外使用人のいない当家は、領主夫人だろうと働かなければならない。
すっかり着慣れたエプロンをドレスの上から身に着け、談話室へ向かっていると。
「なるほどのぅ」
今の低音は――。
「アレスター……?」
それに。
「うん。だから、どうしたらいいかな……って」
談話室から漏れるもうひとつの声は、推しの沈んだ声。
「もう、ふた月は我慢してて……正直、気が狂いそうなんだ」
何だか深刻そうな話をしている――。
とっさに息をひそめ、扉に背中を張りつけた。
ガタガタと、棚やテーブルを動かす音が聞こえる。
いつもの掃除中みたいだが――話は、いつもの雑談ではなさそうだ。
「ワシも分かるぞ、その気持ち。自慢の牙をそんな風にされたら……うっかりガブっといってしまうじゃろうな」
「うん、だから……」
仕返ししたい――。
ドラグの低い声に、肩が跳ねた。
「え……」と、心の中の声がこぼれた瞬間。
「あれ……エメル?」
「……!」
マズい。
考えるより早く、足が廊下を駆けていた。
だいぶ談話室から離れられたけれど――ふたりとも、追ってきてはいないみたいだ。
「はぁはぁ……ん? なんで私、逃げてるんだろ」
来たばかりだと言えば良かったのに。
やはりアレか。
『仕返ししたい』――直前に聞いたドラグの声が、まだ頭を回っているせいだ。
「どういう意味だったんだろう……」
たしかその前に、アレスターは「自慢の牙をそんな風にされたら……」と言っていた。
「まさか!」
あれはツノの話だったのだろうか。
仕返ししたくなるほどに、私のツノ磨きが嫌だった――?
絨毯を踏みしめる足が、ついに止まった。
「でも、あれは……」
私にとっての、推しへの奉仕――ではなく、夫への愛情表現のつもりだった。
元の世界ならば大罪に値する、推しとの密着・認知・結婚。それに耐えられない虚弱な私が、せめてもと思って実行している――というのは言い訳だ。
あのツノを磨くことでしか得られない、“幸せ成分”を摂取しているのだから。
「いったいどうしたら……」
「人の嫌がることをしてはいけない」と、元の世界の両親から教わった。基本道徳は履修済みだ。
でも、あれに一生触るななんて言われた日には――いくら私でも立ち直れない。
「待って、でも……」
本当に、あの行為が竜にとって“嫌なもの”かどうかは、まだ分からない。
「うーん。竜のことなら竜へ、かなぁ」
こうなったら、手段を選んではいられない。
自室へ駆け込み、無駄に大きなクローゼットを開いた。
“竜の巣”の崖地帯でも耐えられる、厚めのコートを装備するために。




