第4話【1】
アスファルトに咲く一輪のタンポポのよう、夜空の中で煌めく月が再び眠りにつこうとする。東京都北区赤羽の街は夜明けを迎えていた。
少し前まで満開の桜を見ようと花見客がバーベキューをしに訪れた、赤羽の荒川河川敷は都会の喧騒とは真逆の緑豊かな自然を楽しめ、穏やかな川風が吹く場所だ。
日常生活で疲弊した心身を癒す、解放感のあるジョギングコースとして人気な場所でもある。
昇りゆくオレンジ色の陽射しが河川敷土手と、その上で入念に準備運動をするサングラスのランナーの男を照らす。
「フ~、寒い寒い! 闘志が漲みなぎってきますぞ!」
と、まだ地域住民がぐっすり眠っている中で男は走り始める。
「いや~、サイコーですなっ! 全身が整いますなっ!」
肌に当たる風のおかげか、存分に解放感を味わう。彼は不定期に走るランナーだ。
サウナ好きでもあり、心が整う感覚も知っている。ジョギングで肉体を整えて、赤羽駅そばのサウナで心身を整えてから仕事場がある渋谷へと埼京線で向かう。
これが彼の生きがいだ。ドキドキでワクワクなスリルが病みつきらしい。
夜明けすぐの風が肌に刺さるのか、男の他に走る人はいない。
散歩に行こうぜばーさん、と家の中で吠えてうるさかったチワワを連れた老婆がサングラスの男とすれ違う。
「おはよー、ござい、まーすっ!」
男はさわやかに挨拶した。老婆は瞼をこすりながら答えた。
「はいはい、おはよう……え?!」
なんだこの変態は、と愛犬が男に吠える。
不審に思った老婆は振り返り、男をまじまじと見る。
ギャー、と悲鳴が平坦な河川敷に響いた。
「さー、始まりますぞっ! よ~し、加速しますぞっ!」
悲鳴が心地よいのか、男は走る速度をぐんぐんと上げていく。
「兄貴、出ましたよ、シューティングスターが!」
河川敷野球場のプレハブ小屋を借りて、冷えた身体を温めようとココアを飲んでいた男二人が助けを求める声に気づいた。
「よし、聖夜。今日こそ変態野郎を捕まえて、帰りにラーメン食うぞ!」
「打ち上げのラーメンっすね! 朝メシは博多とんこつのバリカタだ!」
四月下旬にさしかかっても肌寒く、濃緑の制服の上にダウンジャケットを羽織る心霊保安官二人の耳にはフカフカな耳当てだ。望遠鏡を覗き、河川敷を見渡す。
そして、カーボーイの男が朝日が照らす全裸の男を見つける。
「聖夜、岩淵水門付近だ!」
「よっしゃ! 霊道院の短距離走で三連覇した実力、お前に見せてやるぜ!」
プレハブ小屋から快足を飛ばして、男が走る赤い水門へと向かう。
サングラスの男は雄叫びを上げる緑髪の男に気づいた。
「私に勝つなんて、十年早いわっ! うおおおおおおおおおお!!!!」
パーマの毛先が風に揺れる心霊保安官、芦田聖夜はあしだせいや男のケツをがむしゃらに追う。
「待てゴラ、変態野郎ッ!」
「変態、なんてすばらしい響き! ほれほれ、ほれほれ!」
と、メンズエステで整えた己の尻をペチペチと叩いて挑発する。
「汚ねぇケツを振るんじゃねぇよ!」
「汚いだと、私の尻は世界一キレイだ! うおおおおおおおおお!!!!」
聖夜が追う男は全裸だ。通称『シューティングスター』という。
年明けから夜明けの河川敷を彗星のごとく走る素っ裸の男が目撃され、赤羽署に何件も通報が入っていた。警察官が白い息を吐きながら追いかけるも、男の速さから何度も取り逃がして逮捕できず、もしかして心霊の仕業じゃないかと思い、赤羽神社の心霊保安官に応援を要請したのだ。
そのカウボーイハットがトレードマークの近藤愛之助が全裸男を追うのは二度目だ。前回は張り込みの際、空腹に耐えきれずにカップラーメンを食べてしまった。しかも、鶏五目おにぎり二個付きで。
そのせいで腹が重くなり、男の速度に敗北した。一切の重りがない男は隼のごとく速いのだ。失敗から学んだ近藤は今回はココアで空腹をしのぎ、俊足がご自慢の部下を呼んだ。
「俺をなめんじゃねぇぞ。足なら誰にも負けねぇからっ!」
「めちゃくちゃはえーじゃねぇか! なにくそおおおおおお!!」
と、全裸男は迫りくる心霊保安官に唖然とした。
サングラスを放り投げて加速するも、スタミナも走力もある彼に焦ってしまう。
「こうなれば、手段は一つだ!」
と、河川敷のバーベキュー場へと降りて行く。隙を見て茂みに紛れる作戦だ。
が、速度を緩めず突入したせいで足がもつれ、土手から派手に転んでしまう。
アスファルトの上を勢いよく転がる全裸男は擦り剥けて血に染まった。
「おいおい、大丈夫かよ……」
望遠鏡で駆けっこを目撃していた近藤は自転車でゆうゆうと現場へと向かう。
「おせーよ、兄貴!」
バーベキュー場から上官を親しげに呼ぶ部下が何かを見つけたようだ。
変態な全裸男は手錠とジャケットをかけられて傷心中だ。
なぜ男が全裸で走っていたのかはひとまず置いておき、心霊保安官二人はその何かを探ることにした。
「なにこれ……スーツケースじゃん」
真っ黒なスーツケースが川辺に漂着していた。変態男同様、ただただ怪しい。
「もしかしたら、札束じゃないっすか? ネコババしましょうよ!」
「捕まるわ。ま、とりあえず開けてみよう」
部下を諫めた近藤がケースを引っ張り上げて道に置いた。
「もしかして、爆弾じゃ?!」
部下の冗談に、ビクッと背筋を伸ばす上官だ。
「聖夜、やめて。マジでビビった」
「兄貴って、意外とピュアですよね」
「こんな顔でも、愛を信じていますからね」
イケメンに生まれたかったと自虐しつつ、ケースを片手でそっと開ける。
とたんに、鼻を抑えたのは近藤だ。
「くっさ!」と、部下も全裸男も顔を背けた。
「聖夜、警察に通報してくれ。ラーメンはランチまでお預けだ」
中には透明なビニール袋、バラバラに切断された肉体がぎっしりと入っていた。




