第3話【3】
「いいか、球理きゅうり。お前は天才だ! 絶対に投手でも野手でもプロに行けるぞ!」
庭で父親の熱心なコーチングを受ける少年は黙々とネットにボールを打ち込む。
父親は元社会人選手で子供を必ずプロ野球選手にする夢があった。息子が逆位の心臓であると知るものの、霊道士という霊能力者の怪しい職業に就かせる気はない。
「ナイスバッティング! 球理、今日はこれで終わりだ。ちゃんと、野球ノートに反省点を書いておけよ」と、父は息子に片付けを任せて居間に上がる。
「父さん」息子が呼び止めた。「なんだ?」
威圧的な口調に、言葉が詰まる。父はそのまま居間のソファーに座った。
息子は自室に戻ると、溜息を吐いてベッドに体を投げる。
「あー、マジで面倒くせーな、野球って」
父親が監督を務める赤羽の少年チームに所属する町岡球理まちおかきゅうりは四番でエースだ。チームから頼りにされていることは自他共に理解している。
だが、できるゆえの悩みか、試合で簡単にホームランを打てて三振も取れるので野球に飽きていたのだ。
「あー、サッカーしてーな。あのおっさん、すぐ恫喝するから嫌いなんだよ」
父親をおっさん呼ばわりするあたり、反抗期に入りかけていた。
その息子の感心はサッカーに向き始め、暇なときは動画配信サイトでスーパープレイ特集を眺める。一方、父親は野球一筋の男だ。サッカーは野球人の天敵だと高校時代の監督に教え込まれてしまい、サッカーボールは買わないし、蹴らない。息子に代表戦すら見せない徹底ぶりだ。全てはプロ野球選手にするためだ。息子本人はプロの世界に興味はないが。
「球理くん、球理くん」
声をかけたのは学習机に飾るみかん色ウサギのぬいぐるみだ。耳を折り、ウインクする仕草は愛らしいものだ。
「退屈そうだから、また霊力で遊ばない?」
キレイなお姉さんのような声だと小学生男子は思う。
「遊ぶたって、ボールを宙に動かすのは飽きたよ」
「短期間で動かすだけでもすごいのに……天才ね、あなたは」
「なんか……ありきたりなんだよね、霊能力ってさ」
と、床に転がる野球ボールを宙に浮かした。
「そっか、球理くんは『普通に』飽きちゃったんだね」
「あー、そうかもしれない。なんか、楽しいことってある?」
今年度で小学校六年生だ。もうすぐ中学生、何か物足りない毎日だ。
「じゃあ、悪戯してみる? 霊能力の醍醐味よ」
「でも、人に迷惑かけるなって母さんがうるさいし」
「ちょっとぐらい大丈夫でしょ? あ、わかった。お父さんやお母さんに怒られるのが怖いのね。まだまだ子供だからしょうがないか」
プライドを刺激され、子供は見栄を張る。
「別に怖くはないよ。ただ、ケガさせたら面倒じゃん」
「ただの悪戯よ」
「じゃあ、悪戯って例えば?」
「例えば学校の授業でさ、ゴニョゴニュ」
「え、先生に怒られそうじゃない?」
「ビビってるの?」
からかうウサギが仰向けの少年の腹に乗る。そのぬいぐるみを両手で掴む。
「ビビってないよ! わかった。明日、やってやるよ」
「きっと、楽しくて病みつきになるわ。明日、わたしを学校に連れて行って」
『ごめんね。誰かいい人に拾われてね』
十日前か、子供心を悪に染めるぬいぐるみと出会ったのは。悪寒に悩んでいた女子高生が河川敷にそのぬいぐるみを捨てたときから始まる。
『ねぇ、聞こえる?』
『え、誰? どこ?』
『ここよ、こーこ!』
『ウサギのぬいぐるみ? え、てか、なんでしゃっべてるの?!』
町岡球理は言葉を話す橙色のぬいぐるみを、野球の練習中に拾った。
なぜ話せるのか、それは霊能力によるものだと子供心ながらに悟った。小学校に入学して赤羽神社にお参りしたとき、定年間近の心霊保安官から告げられた。
『君の心臓は左胸ではなく、右胸にある。だから、心霊が見えるはずだよ』
保育園のときから何かが見えていたような曖昧な記憶がある。今思えば、それが心霊だろう。
いわゆる逆位の心臓であれば霊能力が使えるらしいが、霊能力を自由自在に使えるほど霊力に目覚めていなかった。悪霊を感じると、なんとなく寒気が、熱気がする気がした。もちろん、今の力では心霊霊眼などできるはずもなく、はっきりと心霊が視えることはない。
その後、新しく赴任したラブヘルパーを名乗る心霊保安官から毎年確認されるも、霊能力に変化はない。
しかし、拾ったこのウサギのぬいぐるみ、正しくはそれに憑依した女が少年の霊能力を次々と開発していくのだ。
『この世界には心霊が住む霊界と人間が住む人界があって、逆位の心臓を持つ者は両方の世界を行き来できるのよ。正確には、霊体になる能力ね』
『へー、その能力って修行すればできるようになるの?』
『そうね。修行して心霊開眼を習得すれば霊体になれるわよ』
『心霊開眼……なんかカッコいいな。どんな修行するの?』
『まずは、霊気を感じる練習ね。深呼吸して、その場の空気を味わう。そうすると、冷たかったり、温かったり、軽かったり、重かったりする。それがわかるようになると、霊気を集められるようになる。その霊気を力に変えれば、物を動かせる。それが霊力よ。心霊番組でよく見るでしょ、心霊現象で宙に物を浮かす、アレよ』
『え、アレってガチなの? 物を動かせるってすげーな』
『試しに、心霊球を投げてみる? コツさえ掴めば簡単だから』
心霊球とは野球の試合でたまに起こる現象で、心霊がボールに憑依して民間人を困らすものだ。プロ野球の試合でも起き、動画サイトで数百万回再生される人気だ。
みかん色ウサギに教わった通り、練習試合で投げた。高めに投げたボールが急速に落ちた。誰が見ても小学生が投げる球ではないので、監督は赤羽神社を訪れた。
赤羽神社本殿の大きな鏡の前で、心霊保安官は彼が霊能力を習得しつつあると告げた。ウサギとの約束から、なぜそうなったのかは秘密にした。
『球理くんが正しいわね。あのカウボーイの心霊保安官は怪しいでしょ?』
『うん。学校でも父親が殺人犯だって噂だし、無視したほうがいいよね?』
『護神庁の心霊保安官は子供が嫌いだから、そうしましょう』
ウサギ曰く、護神庁という霊能力者を管理する機関は逆位の心臓を持つ子供を見つけては、スポーツ選手のよう若いうちから仲間にすべく勧誘しているらしい。
才能がないと判断すれば、ゴミのよう捨てられると聞いて不信感を抱く。
『そんな護神庁に行くよりも、霊能力を極めて自分のために使いましょう。球理くん、霊能力の才能があるから、すぐに霊眼が開眼するわよ』
『ほんと?! 眼の色が変わるんだよね。楽しみだな、俺は何色なんだろ』
頑張ってね、とウサギはにこりと笑い、更なる力を授けていく。
霊能力開発のおかげで、町岡球理はすっかり悪戯っ子になった。
悪戯の内容は些細なものだ。授業中に隣の席の消しゴムを落としたり、テレビの電源を入れたり、時計の針を戻したり、トイレに入った嫌いな子を閉じ込めたり、だ。
少年は悪戯に困惑する教員と同級生を面白がった。ミステリーの犯人もこんな気持ちなのかと、すっかり犯罪の快楽に目覚めつつあった。
「さーて、明日は誰に悪戯しよっか、ウサギちゃん」
「そうね……あれ、球理くん、野球の練習はしないの?」
「そんなんやめたよ。おっさんにブチ切れたら、勝手にしろって逆ギレされて」
夕食後、ウサギと学校でする悪戯を考えることが楽しくなった。父親との野球の練習は息子がその横柄な態度に怒りをぶつけてから休止中だ。ウサギの悪知恵だが。
「じゃあ、明日はちょっと過激なことしない?」
「過激なこと?」ウサギのアイデアに、少年は瞳を輝かせた。
翌日、給食終わりの昼休み、彼は同級生と廊下で話していた。
赤羽駅から左手、飲み屋街の中になぜか建てられた小学校に球理は通っている。
話題は昨日のプロ野球の試合だ。
「あそこでペーグヤンが打てば勝てたのによー、三振しやがってー」
「今年のタイガースの助っ人ダメじゃね? 十三打席連続三振ってすげーよ」
「絶望だよな。夢がねーよ。あれで年俸三億だぜ。悪霊でも憑いてんじゃね」
「『アサノ、ナットウハ、ムリデース』とか、マジで舐めてるよな」
サッカーユニフォームの、ボールを持った少年トリオが野球少年に近寄る。
「お前らまだ野球の話してんの? サッカーに乗り換えようぜ」
「んだよ、サッカーなんてしねーよ、バーカ!」
この小学校では、六年生はサッカー派と野球派で対立している。
「野球は人気落ちまくってんじゃん。時代はペペロ・チッチーノなんだよ」
ガイア共和国のサッカーリーグで最も有名な選手で、年俸は百億円だ。
「パスタみてぇな名前なんか、知らねーよ」
「うっそーだ、野球人は常識もねーのかよ。世界一稼ぐスポーツ選手だぞ、ペペロ・チッチーノは。ストライカーでめちゃくちゃカッコいいんだぞ」
「野球選手なんて体がブヨブヨだから、相撲と二刀流したほうがいいって」
「あの体はプリンだわ。プルプルじゃん。やっぱ、ペペロ・チッチーノだよな」
「ペペロンチーノはうめーよな。あー、パスタ食いてーわ!」
「野球みたいなマイナースポーツ連中なんか無視して、校庭でサッカーしよーぜ」
と、サッカー少年たちは喧嘩を売り終わったのか、グラウンドへと向かう。
「んだよ、野球をバカにしやがって。カルボナーラでも食ってろや!」
「あいつら、ヘディングしすぎてバカになったんだよ。な、球理。あれ、球理?」
リーダー格の少年は彼らの背中をそっと追っていた。
「お前ら、ちょっと調子に乗りすぎなんだよ。バーカ!」
サッカー少年たちが階段を降りて校庭へ出ようと玄関を通る。
だが、急に重い扉が閉まったのだ。全速力で向かっていた少年三人は気づかず、顔面から思い切り激突してしまう。
バリンッッッ!
分厚いガラスが割れた。破片が肌や首を切り、鮮血が辺りに飛び散る。
女子生徒の悲鳴が校内外で響き渡った。駆け付けた教員たちが大声で叫ぶ。
「おい、救急車だ! 早く、救急車を呼べ!」
教員は血だらけのサッカーユニフォームを抱き、何度も生徒の名前を呼び続けた。




