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私の中のリアル  作者: 五月雨
Account-List 1
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What color the flower, in your hand ?

 その日は、雨だった。


 分厚い曇り。まだ昼前というのに、宵闇の暗さを思い起こさせる。雨足は弱く、ぬかるみに足を取られて転ぶことはなさそうだ。視界を遮られて難儀するほどでもない。下ろしたてのローブが染みになるくらいか――厭なことを挙げるとすれば。


(旅立ちの朝としては、悪くない……)


 鈍色の空を見上げながら、軒下のイスカはそう思った。


 どうせ雨は降る。何日も歩いていれば、その間ずっと天気に恵まれることなんてない。ならば気力が充実した初めのうちに、やり過ごしておくほうがマシというわけ。何かと大雑把で油断しがちな、旅の道連れを戒めるためにも。


「…よ。早かったな?」


 重剣士が現れた。大柄だが達磨ではない。力と敏捷のバランスが取れた体格。嬉しそうな表情が何となく癇に障って、じとりとした視線を投げかける。


「……遅いです。約束は二十分前でした」


 毅然と指摘したつもりが、拗ねた声になってしまう。なおのこと相好を崩す男の顔を、今度こそ氷の視線で睨みつけた。


「いや悪ぃ。手間取っちまってな……その……仕事の、ほうが」


 首を竦めて、ちらりと顔色を窺う。イスカは怒っていなかった。むしろ労るような声音で、こんなことさえ言ってくる。


「現場は部下に任せればいいでしょう。何でも自分でやろうとするのは、昔からあなたの悪い癖です」


 長身痩躯の男――ハンスは、水飴のような空気を飲み下しながら反論した。


「それはお前も同じ……」


「違います。私は、若いですから」


 昔から言われていることだ。苦労は若いうちにしろと。簡単に言い負かされてしまったが、内心ハンスは首を捻る。どうにも自分の場合――歳を取ってからのほうが、苦労を背負い込まされているような感じがするのは気のせいか……?


 イスカの視線がハンスのブーツで止まった。よく見れば褐色の水玉模様が、膝の辺りまでを埋め尽くしている。


「ところで、あいつはどうした。まだ来てないなら減給ものだぞ」


 更に五分以上が経過した。


 確かに遅い。無事と聞かされてはいるが、先日の例もある。母親の暴力を逃れながら自活し、そのくせグラキエル内では平気な顔を装った。


 事実が確認できても、役所はすぐに動けない。加えて本人が拒むとなれば、他人のアリスにできることは限られている。


(連絡してみようか)


 病室で一度会って以来、ユンイェとは顔を合わせていない。母親がいよいよ精神疾患の様相を呈し、我が子への異常な執着を見せはじめたからだ。刺激を与えないよう、女のアリスはリアル側で近寄らないほうが。そう話し合って決めたのである。


 裁判を《支援する》代わり、息子の養育に関わらせてもらう。ユンイェの父とは、そのように約束した。具体的には自由な面会の確保。不始末を隠したうえに大口投資家と縁ができるのだから、文句を言われる筋合いはない――金と権力はこんなふうに使うのだと、アリスの父は自嘲気味に嘯いた。


「…おっ。来た。早速言い訳を聞いてやるか」


「その言葉遣い、どうにかなりませんか?」


 非難というより呆れていた。これから三人は同盟領へ出かける。敵地ゆえの困難が予想され、なるべく無用な諍いは避けたい。


 ゲーム内で死ぬと再ログインできなくなる噂は事実だった。運営側の説明不足もあり、今グラキエルは未曽有の混乱に見舞われている。少数精鋭の同盟と最大勢力の連合に挟まれた協会は、いかにも苦しい。それで休戦を持ちかけに行くのである。


「ごめん。遅くなった……」


「三十分の遅刻。今から手前ェは虫けらに格下……げっ!」


 イスカの杖がハンスの後頭部を直撃。恨み言は無視して、ロゴが刻まれた真新しいレインコートを見る。


 最近ミロスにも企業関係者が増えてきた。察するに街角で配られた販促品。来月以降は分からないが、今はまだ高値のつく段階ではないだろう。


 遅れた理由を訊いてみると、ウゥヤは不満そうに唇を尖らせた。児童相談所の職員が二人、早朝からユンイェの家を訪れたらしい。


「…あまり眠れてないんだ。山ほど質問されるし、ママはすぐ興奮するし。言わないでって頼んだのに、通報なんかするから……」


 ハンスとイスカは互いの顔を見合わせた。


「…何の話ですか?私は連絡していません」


「ああ。というか俺は、お前のリアルを知らねえ」


 児童相談所の管轄は、市区及び郡単位に分かれている。子供の住所を知らなければ、相談のしようがない。


「……あの人ですか」


 それか襲ってきた連中。彼らが本当に警察なら、そういうこともあるだろう。


 しかし油断はできなかった。児童相談所のケースワーカーを訪問させる名目で、監視役を堂々と送り込めるようになったとも言えるのだから。国のどこまでが関与しているかにもよるが、利用はしつつも疑っておいたほうが無難である。


「……出発しましょうか。ワヤドまでは時間がかかります」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 本部前のカフェテラス。屋根つきの張り出した席に、コーヒーカップを傾ける姿がある。


 受け皿に戻して少し噎せると、女は小さな声で独り言を呟いた。


「…β、γ及びδ。ミロスを離れます。αとの接触はありません。もうよろしければ、監視対象を切り替えますが……?」


 雨足をものともせず、三人組は遠ざかってゆく。


 行き先は分かっており、また捉まえるのは造作もない。しかし大丈夫と言えるのかは分からなかった。何故彼らを見張る?その理由を彼女は全く知らなかったから。


「……はい。では今から……はい。まだ町を出てないはずです。多分、雨が上がり次第……はい。まずは遠巻きに様子を窺います……」


 紙幣を数枚、テーブルの上に置くと、女は足早に店を出た。杖を脇挟み、蛙の顔みたいなフードを目深に被る。思わず身震い、身体の芯から寒さを追い払う。


 もうひとつの監視対象は、休日の昼前だというのにログインしていなかった。


 インカネイト名レオン。日に焼けた黒髪の格闘タイプ。その女の動向を探ること。


 理由は知らない。ただ喜んでもらうために、優しげな感謝のメールを読むためだけに。忠実な下僕として役割を果たし続けるのだ……



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…あれ?あなたは……」


 本部へ戻る途中、通りすがりの相手に呼びかけた。


 感じるものがあって、としか言いようがない。何を忘れたか忘れてしまった、そんな冴えない思いつきが浮かぶ。


「どこかでお会いしませんでしたっけ?」


 こちらが立ち止まると、一応相手も止まってくれた。前線の町としては平均的な格好。樫の杖に厚手のローブ、旅姿なのが少し気になるかも。それとて持久戦の備えなら、あり得ないことではない。


 ふと、何を忘れていたのか思い出す。それは相手の顔を半分以上隠している緑色のけろぴょんフード。


「あぁそう、そのフード……最近お友達になった人がね、言うんですよ。こないだ魔獣狩りに行ったんですが、それを被った言霊使いの人もいたはずだって。おかしいですよね?他の人達は誰も知らないのに」


「…………………」


「そういえば、あなたも言霊使いですね。まさかとは思いますけど、お名前教えてもらっていいですか?一応訊いてみたくて……あっすみません、私はももと言います」


 返事は素通り。申し訳程度の会釈をしたのみ。


 云わば全くの無視。


 照れ隠しに、人差し指で右の頬を掻く。


「……あらら。つれないお人です」


 そろそろ昼食の準備をしないと。休みの日も主婦は忙しいのだ。


 歩き出しながら、東の空を見上げる。


(イスカさん達、元気にしてるかな……)


 雲間の綻びに、陽光が滲んでいた。

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