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私の中のリアル  作者: 五月雨
Account-List 6
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Player12  Masaki Alford

 眩暈がする。そう感じたのは一昨日のことだった。


 グラキエルで食事を摂り、居眠りするまで捜索を続けてログアウト。その途端、激しい空腹に襲われる。意識と肉体の乖離が、悪心となって衰弱に追い撃ちをかける。


「…うっ。ぁ……あ………」


 吐いては駄目だ。私にはもう、新たな栄養を摂取できる当てがない。


 お金がなかった。村を出るとき若長より授かった餞別は、大半をマインドリンクの端末に充ててしまっている。早く父を見つけたかったからだが、今にして思えば軽率だった。こういうことは細く長く続けるのが大切なのだと、今更ながらに後悔している。


 ここはアパートの一室。端末を設置するために無理して借りた棲処。安いのだろうが楽ではない。無収入の者にとっては。


 何度も働こうとした。かつて父を訪ねたとき、母がそうしていたように。食糧は法に触れない場所で採取し、最低限の仕事でよいと。ところが今は、自然の森や川は近郊から姿を消してしまった。これでは狩りの腕も意味がない。


「……はぁ…はぁ………」


 吐き気が収まってきた。端末の時計を見る。


 職探しに行かないと。家賃を払えなければ、ここを出るしかない。図書館の端末でもログインできるが、一番人口が多い休日と深夜は無理。


 そんなことにでもなったら、父様の手掛かりを摑むのは絶望的だ。最初からサブフレームカフェに寝泊まりすればよかった、というのは後の祭り。飲み物を取れるしシャワーも自由に使えるから、もっと長続きしたはず。


 だが今は、後悔より進むべき。どうにか立ち上がると、身支度をして外へ出た。


 商業施設を回り、無料の求人を集めて歩く。正直、期待していない。この国へ来たばかりの頃を思い出し、妙なことに巻き込まれるのではという警戒心が先立つ。


 試食コーナーの前を通ったとき、胃のあたりが気持ち悪くなった。腹が空きすぎて、もはや食糧ですら異物なのだろう。


 青果コーナーの前を通った。リンゴは売られていない。ここが遠い異境の地なのだと、否応もなく思い知らされる。いたたまれなくなって店の外へ。


 それが最後の記憶だった。もう一度目覚める前の。


 次に見たのは、やたら眩しい清潔な天井。後で知ったのだが、それは病院と呼ばれる場所だった。一定の額を払えば誰でも治療を受けられるという。


(……私は、どうなったのだ……?)


 あまりに脈絡がなさ過ぎて、よもや死んだのではという不安に囚われる。


 当たり前かもしれない。もう十日は食べていないのだから。胃が収縮して水を飲むのも辛くなっていたほど。それがどういうわけか、完調には遠いものの腕に力が戻っている。不思議と疲労を感じなかった。まるで奇蹟を受けたよう。


 外見の差による無用な揉めごとを避けるため、リトラの大使館員は色の白いニウェウスで占められている。彼らは法術師であり、治療を得意とする創術は扱えない。プロトスの国にも創術師がいるのだろうか。


 右腕に疼きを感じて、そちらへ顔を向ける。


 上腕から紐のようなものが伸びていた。痛みの元は、その先端にあるらしい。頭上に透明な水の入った袋が提げられており、中身が半分ほど減っている。


 薬の一種にしても、ここまで強力なものがあるとは。いや――そうとも言い切れなかった。そもそも私は、どれくらい気を失っていたのか……?


 まだ起き上がることはできない。とりあえず状況を把握したかったが、外へ出るのは難しそうだ。白で統一された部屋の中に私ひとり。窓が遠いため、ここからは空しか見えない。少なくとも一階ではないことだけが見て取れる。


「……………………」


 泣いてなどいない。父と母は、もっと若い頃にリトラ島へ流れ着いた。それに比べれば大したことはない。何でもないはずなのだ。なのに、どうして胸が締めつけられる?誰もいない隣の寝台を見ていると。


「……っ………」


 今は休むのだ。休んで身体の力を取り戻す。


 どれくらいそうしていられるのか分からないが。今はそうするしかない。敵に捕まったのだとしても、そのときはそのとき。覚悟を決めて瞼を閉じた。


 外では、耳馴れない小鳥が唄っている。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 私はマサキ。そう名づけられたのは十年前のことだ。


 父様がつけたらしい。五歳の誕生日のとき、母様がそう教えてくれた。


 とても優しいヒトなのだそうだ。それでいて、すごく強い。エア様よりも?と訊いたら、笑って違うと言われたけれど。そのような意味ではないのだという。


 父様の話をすると、エア様やバルザ様は決まって渋い顔をする。何か悪いことをして村を追い出されたのかというと、そういうわけでもないのだと。あまり訊いてほしくないような感じなのだ。困っている、という言葉が近いかもしれない。


 でも母様だけは違った。父様のことを話すときは嬉しそうで――さすがにエア様達の前では遠慮していたが――聞いているこちらのほうが恥ずかしくなるほど。母様は父様のことが大好きなのだと思い、心の底から幸せな気持ちになったものだ。


 その母様が今、行き方知れずになっている。


 森へ出たきり、夕方になっても帰らない。慣れているといっても、このあたりの夜は危険だ。グリフィンなどの魔獣がいるし、崖から足を踏み外してしまったり。エア様は首都の警備に行って留守。身体の悪い族長代理のバルザ様に代わって、若長のアローナ様が捜索の指揮を取っている……


 私が生まれる前にも、同じようなことがあったらしい。父様も一緒だったが、二人揃って首都にある族長の館から姿を消したという。そのときはアウラ様が見つけたものの、父様が村を出るきっかけになってしまった。


 子供は寝て待つように言われたけれど、不安で眠れない。今度は母様が?そんなはずは。みんなが捜してくれているのだから、たとえアウラ様がいなくたって。


 願いは叶わなかった。十日経っても、母様を見つけられなかったのだ。


 次の日から、私も外出を禁じられた。ラフィニアの聖域から脱け出した特殊性は、もしかすると私にも受け継がれている――迷いに迷った末、バルザ様は私に本当のことを教えてくれた。監視者の目を欺けるとは思えないから、家で隠れるのは気休めだとも。


 私も捜すと言ったら、珍しくアローナ様が怒った。あなたまでいなくなったら、この先エアはどうするの、と……


 直接頼んでみようと、エア様が首都から帰ってくるのを待った。


 答えは同じ。いつもの声で駄目よ、と言っただけ。溜息を洩らしながら、まるでもう諦めてしまったみたいに。父様に会いたいと駄々を捏ねると、今度は困ったように俯いた。


「…まだ早いわ。森の外へ出るのは」


 監視者が現れるにしても、そうではないにしても。


 十五歳以上の戦士、それが成人として認められる条件。口だけ大人の真似をしても――子供の私は、事実を受け容れることができなかった。


「!?…待ちなさいっ!」


 村を出て森の奥へ。止めようとする声は、それ以上耳に届かない。


 森の外へ出るのは早いと言った。なら森の外でなければよいだろうと。そこまで考えたのかは憶えていない。とにかく走る。駆け抜けていった。


 早く。早く。


 エア様がアウラ様に出逢ったという。


 あの願いの森へ。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…あなたの父様は、遠い遠い海の向こうにいます」


 透ける身体を瓦礫に座らせて、アウラ様はそう言った。


 初めて会ったときは、何日も幻の中を走り回ったと。それがこんな簡単に――本物のアウラ様か疑いたくなってくる。


「どうして?」


 私の前に現れたこと。母様を助けてくれないこと。


 事情があるのだろう。なら今度は父様と二人で、母様を迎えにゆく。


「だめ」


「どうして」


「あなた達は行けないの。あのヒトが隠れてる場所には」


 前のときと違って、世界のどこにも母様を感じないという。


 だとすれば考えられるのはひとつ。この世界の外側だ。力は及ぶが、あまり自由が利かない。つまりアウラ様にとっても危険な場所。


「シンシアは名簿から消えていません。だから、あの子よりレイのほうが心配。彼の名前は、わたしの記憶から消えることがあるの」


「それは、どういう……?」


「解らない。でも消えている間は無事。アカシャにないものは、直接捕まえないと攻撃できないから」


 それなら、なおのこと捜しにゆくべきだ。父様も危ない目に遭っていて、私達の助けを求めているのかもしれない。


「……それは、ないと思う」


「あの子はいま、シンシアを捜してるはず。どんなに自分が危なくても、レイはシンシアを見捨てない。昔から、そういう子だった」


「…………………」


「大きくなったら会いに行きましょうね。そのときは、わたしがあなたを護ります」


 それから毎日、願いの森へやってきた。新しく分かったことはないか訊くために。


 だが次の兆しは、何もできない私のほうに転がってきた。父様を名乗る何者かから、私宛てに言葉が届いたのだ。


 罠かもしれないとか、そういうことは考えなかった。思いつきもしなかった。いきなり目の前に半透明の大きな窓枠が浮かぶ。そこには一行だけ『愛する娘へ』という文字列と、幾つかの記号らしきものが並んでいる。


「待って」


 無意識に触れようとした私を、厳しい声が遮った。


「騙りかもしれない。あの人がレイのふりを」


「何のために?」


「分からない。ヴァルマは天才だもの」


 何をしても自分の上をゆく、と。あまり口惜しくなさそうに。


 どうやって送ったのか、アウラ様にも見当がつかないという。この時代のメールシステムは、わたしの記憶をメインフレームにサブフレームの術式端末から入力を何やら……と難しい話はさっぱり。数日かけて安全かどうか調べてくれた。


 結論は……限りなくシロに近いグレー。さっきの窓枠を勝手に入れられたことの怪しさは残るが、それ以上の違和感はない。


 その気になれば、管理者権限とかで戻せる。だから私には、相手の目的が分かるまで付き合ってほしいと。メールに返信して反応を見るのだ。


 父様ではない。監視者でもない。


 なら誰が?何者が私の気を引こうとしている?


 まずは文面を。頷き返すと、メールの題名に指先を触れた。


 そこには、こんなことが書かれてあった。



From:vegitarianism To:Namelss 0409/12/17 12:36

Sub:愛する娘へ

 名前は呼ばない。見つかりやすくなってしまうから。

 君の名前は僕がつけた。いつか真実の花を咲かせられるように。

 彼女のことは任せてほしい。

 信じられないかもしれないけれど。僕は君達のことを愛している。

 あのときの約束を、今度こそ必ず。



「…………?」


「レイは言っていました。いつかシンシアを訪ねてくると」


 いや、だが、しかし。


「…結局、戻ってはきませんでしたが」


 だとしたら、この父様は……


「分からない。何がどうなっているのか」


 かつて存在したという記憶はある。だが今この瞬間、父様の居場所を認められない。死んだわけでもなく、死亡日時は空白のまま。見つからないのでは、いないのと同じだ。五百年前から山奥に棲むという、魂消しの竜みたいに。


「未来を読めても、時系列には縛られます。絶対確実とはゆかないのです。この介入が幸を呼ぶか……あるいは」


 悩んでいる。失敗できない、そう思い詰めての苦しみか。


「迷っても変わらない。母様のこともある」


 覚悟を決めたものの、メールの使い方が分からなくて。


 自分も不慣れというアウラ様に教わり。嬉しさ半分、恨み半分の言葉を並べ。


 返事は来るか?そもそも罠ではないか?その矢先にメールが帰ってきた。とはいえ全く読めない。何故ならそれは、馴染みの薄い大陸文字で書かれていたから。


「アドレスが、消えた……?」


 耳を疑う。が、何度読み返しても同じらしい。このメールは宛先のアドレスが存在しないため届きません――自分の用だけ伝えて、こちらの話は聞かないつもりか。


 子供の私が頼りにならないのは分かっている。だが、これでは……もう連絡が来なくても、私のほうからは何もできないことになる。


 ちょうど一箇月後、またメールが届いた。母様はまだ見つからない。そのことを率直に謝る言葉と、くれぐれもエア様の言いつけを守るようにとの教え。内容からして、私のことは母様から詳しく聞いていたようだ。あのようなことになる前は、もしかするとメールの遣り取りをしていたのかもしれない。


「……母様、ずるい……」


「巻き込みたくなかったのですよ」


 また次も。そのまた次も。毎月同じ日にメールが届く。内容は様々で、こちらを騙すための機械的な送信ではないだろうと。そのうち私も、自分から連絡を取りたいとは思わなくなった。待っていれば必ず――そう考えられることが支えになったのかもしれない。一年が経つ頃には、あまり母様の話をしなくなっていた。


 結局、父様は約束を守れなかった。私も諦めていたから、他人のことは言えないが。



From:vegitarianism To:Namelss 0411/01/17 00:11

Sub:愛する娘へ

 こちらは暖かいけれど、そちらは寒さが厳しいと思う。

 同じ海辺でも、他の条件によって大分違うらしい。

 ところで、もうリンゴ酒の仕込みは終わったのかな。

 僕は子供のまま村を出たから、結局飲まず仕舞いだったけれど。

 いつか帰りたい。

 そのときは全部飲まれないよう、残しておいてほしい。

 とても甘いやつが、兄様の大好物だったから。



From:vegitarianism To:Namelss 0412/05/17 23:55

Sub:愛する娘へ

 暖かくなってきたね。こちらは暑いと言ってもいいくらい。

 前にも言ったけれど、ここは特別な条件があるのかもしれない。

 今度、大きな仕事をすることになった。

 でも正直、あまり気が乗らない。狙いはともかく、方法に問題がある。

 帰りたいよ。無理と分かっていても。

 あの子を見つけないかぎり、僕の居場所はない。



 十四歳の夏。ついにそのメールも途絶えてしまった。


 気づいたのは暑さが盛りを迎えた頃。仕事が忙しいのだと、軽く考えていたのがよくなかった。二度連続で来ないとなると、まず何かあったのだろう。


 アウラ様によれば、父様も母様も相変わらず。どこにいるのかは分からないが、死んだとも言えないという。母様はアカシャに名前だけあって、存在がどこにも見当たらない。父様は名前も見当たらなくて、ただ存在したこと自体を抹消されたのではないから、アウラ様も私も父様のことを憶えていられる。


「これは……防御的な結界。私のオリジナルの弟の、複製体が得意としていた。あの子と一緒にいるのなら、心配はないのかも」


 でも、と消え入りそうな顔を曇らせた。


「…それよりごめんなさい。そろそろ、もう……」


「……はい」


「エアのときもシンシアのときも、わたしは二人が成人するのを見守っていた。もちろん、あなたのときもそうするつもりだった。生まれる前からの約束だったのに」


「生まれる前からの?」


「そう。レイとシンシアが消えたとき、エアは二人の無事を願った。できる限りのことはしてきたけれど、とても充分だとは言えない」


 母様を取り戻せないからだろう。父様のこともあるかもしれない。だが面倒見きれないからといって、そのことに責任を感じるのは違う。二人とも子供ではないのだ。


「そして彼女の願いは、対象をあなたに変えていまも続いている。あの子が生きているかぎり、わたしはあの子の願いを叶える……ううん、たとえ死んだとしても。わたしが存在するかぎり、永遠にエアの願いを叶えてゆく」


「…………………」


 アウラ様の色が薄い。出会ったときより透けている。


 近頃はマナの消耗が激しく、姿を現すのも難しいという。もっとも最小限のマナは人々の魂から漏れてくるため、静かにしていれば大丈夫なのだとか。


 私を危険に曝したくないのだろう。衰弱の原因を教えてはくれなかった。消える前の母様より絶対強くなったのに。エア様ほどではないにしても、私にだってできることはあるはずなのだ。信じてもらえないのが、どうしようもなく哀しい。


「……エア様には?」


「会えません。友達との約束も守れないのに」


「そんなことはない。エア様は、きっとあなたに会いたがっている」


 そうなのだ。この四年ずっと私と共にいながら、アウラ様は一度もエア様の前に現れていない。会わせようと考えたが、毎回いつも逃げられてしまう。


 本来なら私が口を挟むことでもない。直接言うのは憚られた。


「……気をつけて。わたしがいないと知れば、ヴァルマはもっと仕掛けてくる。もしかしたら、アカシャを丸ごと支配する、ことも………」


「アウラ様?」


 突然聞こえなくなった。姿も見えなくなっている。どうやら本人の思った以上に消耗が激しかったらしい。


 これから数年、あるいは数十年。アウラ様は深い眠りに就く。


 その間に私達がすべきことは、何とかして生き残ること。目覚めたとき希望を見失わないように、私達が今のままであり続けること。


 力が足りない。成人まであと一年、もっと鍛錬を重ねて力をつけなければ。


 父様も母様もいないのだから。これからは自分で考え、より慎重に動く。


 情報が不足している。父様はどこにいるのか。母様はどこへ連れてゆかれたのか。いや……そもそも私は、自分の力で情報を得たことがあったか?


 全て受け身。アウラ様から教わったり、突然父様からのメールが来たり。結局のところ、自分ひとりの力では何もできていない。


「そう、だったのか……」


 その考えは私を打ちのめす。


 何もできない。母様を救うことも。父様の助けになることも。


 護られるだけ。ただ老いて死ぬ日が来るのを待つ……


 母様が消えてから。私は初めて、声を潜めながら泣いた。



 ――メールが届いています。



「っ!?」


 懐かしくも特徴的な音色に、私は寝台から跳ね起きた。一番暗い夜明け前、日の長い季節とはいえ今時分は何も見えない。


 それでもこいつは、私の視界に押し込んできた。理屈を教わった気もするが、そんなことは今どうでも。差出人の名を真に受けてよいのか。もしやという期待、まさかという諦め――開いた途端に攻撃されるかもしれない。監視者が仕掛けた罠という惧れ。


(父様からのメール……!六年ぶりの……!)


 私は二十歳になっていた。成人の儀を終え、今では末席ながら戦士のひとり。


 答えを出すのだ。アウラ様がいなくとも。自分だけの力で。それを為し得たとき、本当の意味で一人前と言える。だから私は、まだ一人前ではない。


(だが、あの頃とは違う。私ももう、子供ではないのだ)


 若長達ならどうするだろうか?


 バルザ様は死地に臨む。いつでも逃げられるよう準備して。今は身体が悪くて無理だが、ニウェウスと戦っていた若い頃はそうだったという。


 アローナ様は慎重だ。見たものを持ち帰り、時間をかけて考えてみる。会合の場でも調整役だから、自然についた癖かもしれない。


 どちらも私には無理。力がなければ判断材料すら拾えない。バルザ様の手は無論、アローナ様とて闇雲に退いているのではないはず。


 エア様は……前にこんなことを言った気がする。



 ――難しいことがあったとき?

 ――そうね。私は頭が悪いから、とりあえずフランに相談する。

 ――あとはゼクスかしら。彼も頭は悪いけれど、行動力だけはあるから。

 ――別の意味ではフランも馬鹿よ。あなたは関わらないようにね。



 余計なことまで思い出した。


 要するにエア様の言いたいことは。


 仲間を頼め。できないことは誰かに助けてもらう。


 願いの森へ足が向く。仲間とは違うが、他に頼る相手を知らない。


 自分で考えなければ――そうして考え、出た結果がこれ。


 頼るだけでは駄目。一人で突き進むのも駄目だ。つまり。


 助言を求める。そして決めるのは私。今の自分に出せる最善の答え。


「まだ、か……」


 あれから六年。十七年起きたと思えば、あと十一年は寝ている道理。また動き出した以上、そんなには待てない。順番が回ってきたと考えるべきだ。事が事だけに、話せる相手は一人しかいない。


「相談があります」


「…………」


 返事は短い溜息だった。


「父様を捜しに行きます。先程、父様からメールがありました」


「駄目よ」


「こちらを見てください」


「見れば言うことを聞くの?このままライセンに残ってくれるの?」


「いいえ。もう決めました。まずセリムへ向かいますが、そこにいるとも限りません。長くなりそうですから……」


「査証?」


「はい。母様と同じものを」


「……………」


 森のエルフ族は、数日の滞在なら自由な出入りが認められている。だが私も母様もエルフではない。リトラのプロトスは危険、犯罪の温床というのが一般的な見方だ。首都ウゥヌスや港町ドゥオに行ったことがある私も、それを否定するつもりはない。


「貰えなくとも行きます。狩りの腕があれば、どこでも食べるのに困りません」


 このときの私は、本気でそう思っていた。結局、世間知らずの戯言と証明されてしまったが。悪事を働くならともかく、都会では戦いの技が直接糧を得る力にはならない。


 言うべきことは言った。どれくらい待ったろう。ここへ来たときは、足元をついてくる影の丈も短かった。西日が丸太の壁を滲み込むには早かった気がする……


「…長い夢を見てた」


 他は何も。それから舶来の紙にペンを走らせる。


 書き終えたものを差し出された。私のほうは見ない。ずっと昔から、そうすることを決めていたように。


「……ありがとう、ございます」


 視線を落とすと、そこにはこんなことが記してあった。



 ――マサキ=アルフォードに貴殿が為し得る最大の加護を。

 ――リトラのアトルムは、最大の感謝と誠意を以て報いるだろう。

                        ライセンのエア 



「必ず戻ってきます。父様と、母様を連れて」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 旅は順調だった。森を出て島を離れ、小人族の護る鉱山道を潜り抜けるまでは。


 その先は別世界。ミスリルマインも外国だが、自然の法が及ばない意味において。


 想像とは大きく違う。誰しも忙しそうに動き、他人のことなど気にかけない。気にかける余裕などない。道案内程度ならしてくれたが、それ以上のことを頼めば『金』。または知らないという。愛想笑いを浮かべながら去る者が多かった。知らないことだらけの場所で、彼らは一体どのように暮らしているのか。


 ただ、一つだけ分かったことがある。父様の仕事というのが、今や誰でも知っているものを造ることだった。


 起きながらにして夢を見る機械――ドリームシェア。ここでは、そう呼ばれている。それを最初に売り出した企業の経営者として、父様は結構有名らしい。


 危ないことをするものだ。父様の名前は、もう監視者に知られている。アウラ様からは、名前を知ることで相手を支配できる力があると聞かされていた。母様が消えたり父様のメールが途絶えたりしたのは、そのせいだろう。またメールが届くようになったのも、もしかしたら同じ。あるいは支配された母様から、父様を惑わす内容のメールが送られていたのかも。そして今度は、支配された父様から私宛てに。


 少しだけ親切なヒトが教えてくれたのは、図書館という場所に行けば金を払わずドリームシェアを使えるということ。時間帯は限られているが、それでも使えないよりは。ブラウザの扱い方は、幸いメールボックスで慣れていた。さほど新しいことを学ぶ必要もなく、父様が興したという会社の名前と場所を知ることができた。


 フェリック・コーポレーション。ミスラ共和国ミスラ市。大陸の西の果て、南部独立同盟に属する国のひとつ。復興途中で生まれた一番新しい国の首都だ。故郷から最も遠く離れた土地で、父様は孤独な戦いを続けていたらしい。


 怪訝な顔をする図書館員に教わりながら、とりあえず機械を使ってみる。


 現実並みに精巧であり、また別の身体を得られることには驚いたが、ただそれだけ。これをありがたがる者達は、手足に古傷を抱えているのだろうか。母様を救うこととも何の関係があるのか分からなかった。


 母様の寝泊まりしていた場所、父様の通っていた学校にも行った。何か手掛かりがあるかもしれないと思ったからだ。


 学校のほうは、個人情報をお教えすることはできませんの一点張り。娘だと名乗っても、胡散臭そうにするだけで結果は同じ。本当に親子か疑われたのだろう。言われてみれば、直接会ったことのない私も絶対の自信があるわけではない。


 母様が寝泊まりしていたのは、公園の片隅にある東屋。そこで同じように宿がないヒト達の相談に乗ったりしていたらしい。彼らはまず私の顔を見て驚き、ありがたいものでも拝むように両手を合わせた。野外の食糧集めや護身術を教えた母様は、女神も同然の扱いを受けていたとか。ウゥヌスの住人と違って、目に危険な色を感じない。


 母様の出自や監視者のことは、何も知らなかった。私を身籠ったため故郷に帰ると聞いて以来、一度も会っていないという。


 残る手掛かりはひとつ。最初、歩いてミスラを目指した。しかしミスリルマインからセリムにかけてと違い、このあたりは自然の森が少なかった。必然食べるものがなく、そうなると買わねばならない。悩んだ末、大陸南部循環鉄道に乗り込んだ。


《…ミスラ。ミスラです。フォルテ線をご利用の方は七番ホーム、ファロス線をご利用の方は九番ホームへご移動ください……》


 図書館の端末を使って調べた情報によると、フェリック創業者のひとりレイ=アルフォードは、五年前の秋から行方が分からなくなっているという。父様からのメールが途絶えた時期と合わないが、死亡を確認されたわけではない。いないという事実がそのとき判明しただけ。つまりいつからいなくなったのか、この記事を書いた者にさえ分からない。もっとも私だけは、メールが途絶えたときこそ父様が消えたのだろうと知っている。


 それからCEOの不在が発覚するまで一年と少し。その間、秘密を隠したままフェリックを取り仕切っていたのは誰か。その人物こそ父様を陥れた奴だろう。


 一番怪しいのは、父様の不在に最も早く気づいた男。現フェリックCEOのジェイコブ=マクファーレン。社員でこそないが、昔から一緒に仕事をしていたと。


 問い質すのだ。捕まえて直接。父のことを最も知る、仇かもしれない男を。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「ジェイコブ=マクファーレンに会わせてくれ」


「……は?」


「ジェイコブ=マクファーレンだ。五年前から、ここの長をしているだろう」


「CEOは四箇月後まで予定が埋まっております。ご用件と連絡先を承りまして、後日詳しい日取りをお知らせいたします」


「レイ=アルフォードの子と言えば解る」


「!?…今、何と?」


「時間がない。通してもらうぞ」


「お、お客様!?」


 入ること自体は構わないのか、声に戸惑いが滲む。


 やがて『STAFF ONLY』の文字が見えてきた。ここから先は、本当に立入禁止らしい。武装した大柄な男達が四人。穂先が三日月状に広がった槍のようなものを向けてくる。ヒトを傷つける力はない。しかし訓練されているようだ。


「直ちに、この建物から退去してください。お客様の行動は、弊社の営業に深刻な影響を及ぼす恐れがあります」


「事情がある。こちらも退けない」


 右の拳を左手に打ち合わせた。そして、戦いが始まる。


 まず手始めに、四人は私を取り囲もうとした。だが、それはさせない。退路を失っては身動きが取れなくなる。どうしても彼らを気絶させる必要があろう。


 一番右の槍を叩き折り、怯んだ隙に左を牽制。いっそ分かりやすく捕まえに来てくれたら楽なのだが……もしかすると増援を待っている。あまり時間をかけられない。


「どうした。来ないのか」


「逃げても構わないぞ。今後は大人しくすることだ。用があるなら指示に従え」


「……………っ」


 次の機会はない。明日になれば、もっと警備を固められてしまうだろう。そしてマクファーレンの予定が空くのは四箇月後。会うのは、やはり今しか。


「侵入者は大型ナイフを所持している。各員、警戒を怠るな」


 ヒトに使うつもりはない。だが注意を向けてくれるなら好都合。


 ふと面白いことを思いついた。敵の知識次第では、もっと気を逸らせるかもしれない。


「…母なる闇、其を司るティアマト。汝が慈愛を以て……」


「止めろ!」


 かかった。私は魔法を使えない。そして精霊術には言葉など不要。


 捨て身の攻撃に合わせ、こちらも突き進む。三日月の槍は手放していた。距離を詰めるのに支障はない。一人の横顎を殴り昏倒。その勢いを借って回し蹴りを見舞う。さすがに防がれたが、間合いの不利はなくなった。乱戦に持ち込めば勝機はある。


 まだ気づかれていない。交替で無謀な突進を仕掛けてきた。転ばせたりして連携を断ち、一人ずつ意識を狩る。最後の四人目を倒す頃には、遠巻きに様子を窺う姿も幾つか。ここの社員だろう、視線を向けるとすぐ隠れてしまったが。


「お客様……」


 数十歩離れて、受付のヒトがいた。


 膝が笑っている。会社というものは、そこまでして護らねばならないのか。


「…すまない。あまり時間がないのだ」


 分かっています、と答える代わりに頷く。優しげな笑みさえ浮かべて。


 あるいは最初からそうだったのかもしれない。私の目が曇っていただけで。説明しなければ、伝わらないこともある。


「CEOがお会いします。どうぞ、こちらへ」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 白い壁に囲まれた、窓ひとつない部屋だった。


 ヒトと会うには足りるだろう。低めの机を中心に向き合った椅子が二列。柔らかすぎて沈むため、少しばかり落ち着かない。


「今しばらくお待ちを。マクファーレンはこちらへ向かっております」


「……ここにはいないのか?」


「VR環境の視察です。身体はありますが、眠っているようなものですので……」


 途方に暮れて部屋の中を観察する。こうしている間に数を揃えられたら負けだが。いずれ待つしかない。ようやく摑んだ手掛かり、たとえ罠だったとしても。


 壁の一部に円形の継ぎ目を見つける。空いた穴を後から埋め戻したような感じだ。ひび割れはないし、鋭利な刃物で切り取りでもしたのだろうか。当たっていたとして、そのようなことをした理由が思いつかない。隣の部屋へ行くための扉はある。ここだけ壁を替えねばならなかった、あるいは壁が失われてしまった……


「……どうした?」


 女のヒトが落ち着かない顔をしている。


 都会のヒトは遠慮しすぎで、用足しひとつ他人がいるときには我慢してしまう。構わず行ってくるよう伝えると、一瞬固まってから声を出して笑った。


「暴れるつもりはない。その……信用は、できないかもしれないが」


「いいえ。この部屋に入るのは、私も初めてなんです。前の経営者――レイ=アルフォードがいた頃は、よく使われていたそうですけれど」


 今のCEOも来客の一人です、と受付嬢氏は表情を引き締め直して言った。歳は私より三つほど上、父様に会ったことはないのだろう。


「伝説上のお方です。私達、若手の社員からすれば」


 テレビや雑誌で見るヒト。それくらいの認識に過ぎなかった。


 世の中を変えてしまう技術と共に現れた青年。富と名声を持ちながら、どこか素朴さが抜けない。そんな父様の姿に、母親世代の多くが夢中だったという。


 親しくしている女性はいたが、いつも三人一緒で恋人には見えなかったと。本人達が学生時代の友人と答え、それらしい相手の噂を訊かれても否定した。どこまで知っているのかはともかく、母様や私のことは黙っていてくれたらしい。


「その友人達は今……?」


「亡くなりました。全員、よく解らない事故とか事件に巻き込まれて」


 最初は七年前、三人の仕切り役だったひとりが。その半年後、汚れ役を引き受けることが多かったひとり。最後は更に半年後の六年前、受付嬢氏の母親の妹が。


「…あなたの母様は、父様に会ったことがあるのか?」


「一度だけ。叔母に紹介されて……でも変な期待はしないようにと。自分の好きなヒトだからとかそういうのじゃなくて。ずっと昔に諦めているふうでした」


 受付嬢氏はルリ=ササキと名乗った。叔母の名前はミヨ=エグチ。後のほうは、そういえば母様に聞かされたことがある。


「ファム=グローヴズとリカ=エイドリアン……?」


「…本当に娘さんなんですね。叔母の親友二人を御存知なんて……」


 目許を隠しながら拭う。口惜しい気持ちは私も同じ。父様に繋がる手掛かりが、見つけたときには消されていた。これも監視者の仕業だろう。三人を半年に一人ずつ、脅しているとしか思えない。母様を奪われても屈しなかった父様が負けるはずないのに。


 ミヨが殺されてすぐ、父様は姿を消した。時を同じくして、私宛てのメールも届かなくなった。聖域から共にいた母様と違い、三人は本当の友達だった。父様が負った心の傷はいかばかりか――この二つには深い関わりがあると思う。


「…その先を伝えるのは、私の義務だろうな」


 扉を開けて現れた男は、挨拶もなく呟いた。


 私達親子と同じ、ニウェウスに近い膚と髪の色をしている。白髪が多いため、ゆっくり見なければ気づかなかったろうが。老いたプロトスの年齢を見抜くのは苦手だ。


「ジェイコブ=マクファーレンです。こちらが……」


「言われずとも解る。レイ君に生き写しだ。女性とすれば、こうなろう」


 真向かいに座ると、ジェイコブは不器用に笑った。親しみよりも警戒が湧く。意図はどうあれ、そういう顔だった。


「君は戻っていなさい。ここへは誰も近づけないように」


「はい」


 ルリが去ると、部屋の空気は重さを増した。


 捜しているのだから、とりあえず順を追って訊くべきだろう。


 しかし。


「本音を言えば、君はこのまま故郷へ帰ってほしい」


 できるはずもないことを。やはりこの男は、父様達を害した者のひとりか。


 立ち入りが禁じられていたCEOの部屋で、父様を見つけたのがジェイコブ=マクファーレンと言われている。本人もそのことを否定はしなかった。記事に間違いがあるとすれば、一人で見つけたのではないという。


「あのときはクラリスと名乗っていたな。よく変わるから本名ではあるまいが」


 危険な相手。恩人ではあるものの、裏で何をしているか。それゆえ関わらないに越したことはない、と。だが一方で矛盾していた。顔も名前もよく変わる、そんな摑みどころのないものと、どうやって距離を置けばよい?


「確かに難しい。あの女は、前触れもなく現れる」


「何者だ。そいつは父様を知っているのか」


「知っていよう。だが全てを話していない。我々も蚊帳の外なのだ」


 殺されるところを見た者もいると。しかし数時間後には別の姿で現れた。まるで何事もなかったように。顔は変えられる。が、死者を蘇らせることはできない。


「監視者ではないのか?」


 豊穣の女神とも。あるいは、その手先。


 まさか、ここで笑われるとは思ってもみなかった。


「迷信を持ち出すまでもない。我々の敵は見えるものだ」


「怪しい者なのだろう。無関係と言い切れるか」


「考えにくいな。救われておいて何だが、彼女は甘すぎる。数百年を生きた者の無情さを感じない」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「あの女がしていることには、我々も関心がある」


 素早く席を立つと、ジェイコブは私を隣の部屋へ誘った。机の足元を探り、蓋を開けて床下にあるものを明らかにする。


 空洞だった。光が届かないため、どれほどの深さがあるのか分からない。


「あの女は言ったよ。レイ=アルフォードなる人間は、最初から存在しなかったのかもしれないと。この会社を建てた者が、魂の器として造ったのだと」


 それは違う。断じて違う。父様の生まれは北の孤島、そのことはアウラ様も確認している。二十五年前にリトラへ流れ着き、母様共々エア様に拾われた。


「分かっている。君が現れた時点で、クラリスの言葉は誤りだと確信した。だが」


 明かりを灯し、慎重に梯子を下りてゆく。様子を窺っていると、ジェイコブが来ないのかというふうに見上げてきた。まだ彼を信じきれないところはある。しかしながら、虎穴に入らずば虎児を得ずというところか。


 十数分後、私達は竪穴の底にいた。


 何も見当たらない。剝き出しの土と石が転がっているだけ。隅から隅まで歩き回っても、それは変わらなかった。


「…ヒトの気配がする」


 奥のほう、右手の入り組んだ隅。ジェイコブが明かりを向けると、背が高い三十過ぎの男が姿を現した。動きに無駄がなく、そこそこ鍛えている。


「来ていたのか」


「ルリちゃんに言ってな。少し面倒だが」


「仕方なかろう。社員でもない君が自由に出入りできるのは不自然だ。私の護衛ということにでもするか?」


「冗談じゃねえ。これ以上、別の顔を増やされて堪るかよ」


 男はデイヴィッド=ボーマンと名乗った。が、それも偽名だという。クラリスやらといい、プロトスの国では本名を伏せるのが流行っているのか。


 詳しく訊かなかった。父様の行方を探すのとは、多分関係ない。


「ここに何があるのだ?」


 わざわざ来たからには、重要なものが隠されているのだろう。


 その問いにはデイヴィッドが不満そうに答えてくれた。


「何もなかった。あるかもしれんと言われて掘ったんだが。無駄骨だったぜ」


「ここを出るとき、彼女は明らかに怯えていた。何かを見たのは間違いない」


「…………………」


「あらゆるものが土砂に置き換えられていた。元は空洞だったことを、私はこの目で確かめている。だが騒ぎの翌日、下まで行ってみようと机下の落とし戸を開けたら」


 土に埋まっていた。まるで最初から何もなかったように。ならば何故、落とし戸自体を塞いでしまわなかったのか。痕跡も残さず隠蔽できたのに。


「警告だろうよ。クラリス嬢からの」


「関わるなってことさ。だが納得はできねえ。『大株主』の野郎には……俺達はそう呼んでるんだが、二人とも煮え湯を飲まされてるんだ」


「…本物のレイ君は、まだ見つかっていない」


 ジェイコブが呻くように続ける。


「結果がどうであれ、退くわけにはゆかないのだよ。本物の姿を確かめるまでは」


 五年前。ジェイコブ達は、ここで父様の贋物に遭遇した。『神を弑し奉る尖兵』として、次期代表に指名されたという。断固敵対したが、結局従わざるを得なかった。昔の仲間が大勢いたため、人質に取られたと考えても無理はない。


 一方、このことを好機とも捉えた。年中グラキエルにいても仕事のためと言い訳が利く。しかし理解できない。誰でもない誰かになりすます遊び――そのようなものが父様達の行方不明と一体何の関係がある?


「…菜食主義。この単語に憶えはないか。父様がメールをくれるとき、差出人はいつもこれだった」


「グラキエルのアカウント名だ。リアルから出しにくい事情があったのだろう」


「そうか。教えてくれて感謝する」


 関係あるのかないのかは不明だ。それでも父様を見つけるためには行くしかないのなら。上へ戻り去ろうとする私を、デイヴィッドが呼び止めた。


「どうするつもりだ?」


「決まっている。父様を捜す」


「ああ。でも当てはあるのか。こっちに知り合いはいないんだろ」


 確かにいない。が、当座の金はある。エア様がくれた書状の分だけ、母様のときより条件はよい。きっと私も何とかなる。


「本当に大丈夫か?近くに俺の妹みたいな女がいる。暇な店をやってるから、何ならそこに寝泊まりしてもよ。金はこの成り上がりもんに出させりゃいい」


 苦笑しながらもジェイコブは否定しなかった。何故そこまでする?それほどまでに父様と親しかったのだろうか。いずれにせよ、他人の施しを受けるわけにはゆかない。働かざるもの食うべからず、アトルムの集落に伝わる昔からの掟だ。仲間に頼れというエア様の言葉も、このような意味ではなかろう。


「心配するな、当てはある」


 ジェイコブやデイヴィッド、ルリに見送られながらフェリック社を出た。事情を知らない社員達は、暴力的な闖入者が丁重に送り出されるのを怪訝そうに見守っている。焦りがあったとはいえ、彼らには余計な不安を与えてしまった。この国を離れる前に、謝罪の機会は訪れるだろうか。今は警戒が先立ち、まともに話などできまい。


 父様のこと。会社のこと。裏で糸を引く『大株主』。そしてグラキエル。


 まだ整理がつかない。新しく得た情報と期待や不安が綯い交ぜになって。自分の後を尾ける者がいたことに、このときの私は気づけなかった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「これからどうしたものか……」


 フェリックを出るなり、私は途方に暮れた。


 ここも森がない。海辺の緑豊かな土地と聞いたが、それは一部のようだ。言わば灰色の竹藪。実は生らないし集まってくる獣達もいない。


 このままでは食い詰める。街へ出たことのない私にも、何となく分かった。口下手な私は、母様と同じ真似などできない。仕事を探さなくては。街で暮らす大半のヒトは誰かに雇われて働き、対価を食い潰しながら生活すると聞いた。あの紙に役立ってもらう時が来るも、むしろ特別な査証であることが裏目に出てしまう。


 誰も見たことがないのだ。エルフの直筆によるものなど。


 持ち込む相手が悪かったのかもしれない。されど私にできる仕事は限られていた。所謂肉体労働だが、それも身元の不確かな外国人は、怪しげな会社の日雇いでしか使ってもらえない。稼ぎが少ないうえ厳しく、体力には自信もあったが、ヒト捜しをする余裕まではなかった。本末転倒であり、時間と労力を費やす意味がない。


 薄汚れた貧しい格好で歩いていると、今度はやたら愛想のよい男に声をかけられた。この感じは、どこかで見たことがある。ただ、それがどこだったのかを思い出せない。男が言うには、客の話し相手をするだけで充分な額をくれるそうだ。私は口下手だからと断ると、今度は慌てた様子で別に喋らなくともよいという。どちらなのだと問い質すと、できれば喋ってほしいが、無理なら仕方ないとのことだった。そういう好みの客もいる、と。背に腹は代えられない。首を傾げつつも、私は男についていった。


 高層集合住宅の一室で、どういうわけか風呂に入れられた。


 着替えも用意されていて、それから簡単な食事――最後の飲み物を含んだところで、最初の引っ掛かりが何だったのかを思い出す。あれは人攫いの目だ。昏い欲望を秘めた卑屈な澱み。急激に瞼が重くなる。どうにか立ち上がろうとしたときは、もう遅い。


 私の様子に気づいて、どこにいたのだろう三人の男達が襲ってきた。眠気に耐える低い姿勢のまま、次々と膝の裏に蹴りを見舞う。思わぬ抵抗に戸惑ったが、それでも女ひとりと侮る奴らは諦めなかった。常ならばともかく、こうなると手加減は難しい。元より手加減するつもりなどなかったが。


 リトラにおいて、かどわかしは死刑だ。それだけではない。殺しや付火のみならず、盗みも、傷害も、他のありとあらゆる現行犯が死刑。止めに入った者が勢い余っても、罪を問わないようにするためだという。この特権とも言える規定がなければ、とうの昔にエルフ族はプロトス達を見限っている。


 結果として、私は人攫いの手から逃れることができた。どうやって脱け出したのか、そのあたりは詳しく憶えていない。一人二人は殺したろうか?とはいえ身を護るためにしたことだから後悔はない。今はああいう連中との関わりを断つことが大事。


 なるべく人目がある場所を列車で乗り継ぎ、居眠りを挟みつつできるだけ遠くへ。夜明けの光を目にした頃は、ヘラルドという駅の古い長椅子に腰掛けていた。ミスラよりは静かなところで、それなりにヒトはいるが懐かしさを覚える雰囲気があった。


「…………………」


 もう一度、状況を確認する。まず着ているものから。


 季節に合わせて袖が短い。薄く真っ白な布地は涼しげ。膝から先はなく、柔軟性に富んだ黒の素材。いずれも簡素な造り。機能的という事実は認めざるを得ない。


 荷物は失った。現金と査証を除いて。風呂に入るときも肌身離さず、結果あのようなことに。着替え、毛布、狩りの道具、その他旅に必要なもの。人攫いの窟を脱け出すとき、一切合財を置いてきてしまった。


 そういえば裸足。サンダルも脱ぎ捨てたまま、多少足の裏を火傷している。話には聞いていたが、街の地面は黒く塗り固められていて熱い。冬は冬で雪が残るため、凍りついてしまい滑りやすくなるのだとか。そこまで長居するつもりはないが、とりあえず新しいものを買っておく。これで残高は一七三九イェン二八セン。


 体力にはまだ余裕がある。駅前で寝泊まりしていると、ある朝知らない男がやってきた。追い払われるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


 まず彼は、私がどこからきてどこへ行くつもりなのか訊いてきた。行く当てはないと答えると、今度は金。強盗ではなさそうだから、正直に持っている額を教えた。すると男は関心を失くしたように、できるだけ早く故郷へ戻ること、移動する列車賃もなくなったときは交番か市役所へ来るよう言い置いて立ち去った。


「……誰の世話になる気もない。私は一人前の戦士だから」


 紆余曲折はあったが、自力で父様の会社がある国まで辿り着いた。ここまで来れば、あと一歩なのだと思いたい。もう一人だけ、調べられそうな者が残っている。これは一人と数えてよいのか分からないが。


 ――『菜食主義』。父様から送られてくるメールは、全てこの名前によるものだ。監視者の追跡を逃れるには、そこまでしなければならなかったのか。


 ジェイコブの話によれば、父様はドリームシェアの仮想世界にいる。『古代』『中世』『近代』『近代戦場』『現代』『近未来』……時間の河を分かれた六つの流れのどこかに。


 急がなければ。また姿を消さないうちに。見つけなければ。監視者より早く。


 無理を承知で部屋を借り、ドリームシェア端末を一揃い買った。これで残高は二五七イェン。稼がず捜し続けるなら、二食に減らしても一月半が限界だろう。元より私は生活力に欠ける。ここでは普通に暮らすことさえ叶わぬ、惨めな無能力者だったが。


 最後に送られてきたメール。


 中身はなかった。空白が届いただけ。


 解っている。父様本人ではないことは。ジェイコブの態度からも明らか。父様の身に何かあったのは間違いない。しかし……



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…分かりました。これで終わりです。それから今後のことですが」


 寝台脇の丸椅子に座った男が、抑揚のない声で呟いた。私に語りかけているらしいのだが、その声はどこか虚ろで窓の外の青空へ吸い込まれてゆく。


 名はアレックス=イトカワ。病院で私が目を覚ますと、数日を置かずに現れた。ヘラルドの駅で故郷のことや持っている金額を訊いてきた男の仲間らしい。行き倒れの私は生活掩護を受けられると言い、既に施しを受けてしまったそうだ。


 治療費の額を訊ねても教えてくれなかった。売って金に換えられる財産がないのだから返す義務はないとして。その代わりというわけではないが、今すぐこの国を出たほうがよいのではないかという。


「本国では自立していたわけですよね。慣れたところへ戻る手もあるのでは?」


「それはできない。父様に会うまでは」


 困ったような顔を見せる。私のほうも意味が分からない。見ず知らずの他人など、捨てておけばよいではないか。


「これ以上面倒はかけない。国を出るまでに、借りた金は必ず払う」


「いえ。お貸ししたわけではありませんので……」


 では何だというのだ。何の得があって私の世話を焼く?憲法がどうとか、最低限文化的な生活がどうとか理屈を唱える。何となく分かったのは、それがこの男の役目であり、欲得ずくでも善意でもないということだった。


 ところでと前置きし、また視線を逸らしながら続ける。


「失礼なことをお伺いしますよ。戸籍上レイ=アルフォードさんはおられます。職権消除も失踪宣告もされていません。しかしあれだけ著名な方が、行方不明のままというのは考えにくいのですが……」


 死んだとまでは言わなかった。この国の人間は、つくづく奥歯にものの挟まったような言い方をする。要は、父様を見つけるなど無理だと言いたいのだろう。


 まるで彼と同じだ。グラキエルで私を助けたにもかかわらず、そのまま無視を決め込もうとした男と。不埒者共を焼き尽くした術の威力は見事だった。母様がウゥヌス=リトラで攫われかけ、エア様に助けられたという話を思い出す。


 彼はどうしているか。その数日後、一度食事に付き合わせたきり。結局あれも無理矢理だった。強引に呼び止めなければ、知らぬ顔で私の前を通り過ぎただろう。


 腹が立ってきた。それと同時に、もしかしたらという想像が湧く。本当の名前や家族のことをあまり喋るなと、要らぬ心配をしてくれたあの男なら。マサキと林檎、二人の私の関係性を知ったところで、何も悪いことは起きないはず。


「この国では……リンゴが珍しいのだな。献立表を見たが、向こう一箇月は供される予定がないようだ」


「あ、はぁ……まあ。そうですね」


 突然何を、とでも言わんばかり。しかし顔色は相変わらず。


「リトラでは毎日出るのだがな。お前は、リンゴを食べたことがあるか?」


「いえ。聞いたことはありますが、一度も」


「そうか。あれは旨いぞ。生でもいけるが、火を通すとまた違った味わいになる。アローナ様のアップルパイは、頬が落ちそうなほどの美味であった……」


 苛立っている。何故リンゴの話をしたがるのかと。だが、それはこちらとて同じこと。何故こうも見知った相手を無視できる?今にも爆発してしまいそうだ。


 そもそもこやつ、ここへ来て最初に私の名前を呼んでいる。一度は向こうでも名乗ったのだから、アレックスがデクなら分からないはずはない。


 本当に違うのか。物言いが似ているだけの別人?


 私は彼のことを知らなさすぎた。いや……向こうが知られないようにしていたのだろう。望まぬ相手に現実側でも付き纏われないように。


 それゆえ大胆に振る舞えた。他人を言霊で焼き尽くすなど、秩序を前提とした大陸の法では考えられない。最初からあの男は、私と関わりたくなかったのだろう。


「…今後の方向性ですが、まずミスラに残るかどうかを決めることになります。リトラに帰られるのでしたら、そこまでの交通費はお出しできます。退院までに考えておいてください。ミスラに残る場合は部屋を……あ、部屋はもう借りているのでしたね。だとすると担当が変わることになります。後日連絡しますね」


 最後に質問はないか訊ねられた。


 訊ねたいことはある。それこそ数えきれないほど。


 どうすればよかったのか。これからどうすればよいのか。ライセンへ戻るのが無難なことは分かっている。だが、どの面下げて帰ればよい?必ず父様と母様を見つけてくると断言しておいて。成人だ戦士だと気を張りながら、結局ひとりでは何もできない子供だった。進むことも退くことも、流れに任せることもできない。


 そのような意味ではないと思う。よって別の質問をすることにした。


「……勝手に消えたら、迷惑がかかるのか?」


「アパートの契約が残っていると厄介です。大家さんは福祉事務所を保証人か何かと勘違いしてますから。それと家財道具の処分も。冷蔵庫やテレビのリサイクル料は出すに出せませんし」


「……そう、なのか……」


 いろいろ窮屈なようだ。公園で寝泊まりしていた母様は正しかったかもしれない。


 私はもう、大陸社会のしがらみに絡め取られていたのだ。


 いずれにせよ、ライセンへ帰る選択肢はない。恥も外聞も忘れて頼むしかなかった。


「教えてくれ。私は、どうしたらよい?今すぐ戻るわけにはゆかないのだ。ここで生きてゆくには、私は何をすればよい?」


「まず治療に専念、それから職探しです。職業安定所へ行ったことはありますか?」


 なかった。そのようなものの存在自体を知らなかったから。


 肉体労働で生計を立てることはできたのだ。それで精根が尽き、父様を捜すどころではなくなったが。他に何ができよう?技術がなく愛想も欠ける私に?


 知っているつもりだった。森の外では、とにかく金なのだと。


 本当は分かっていなかった。金がない者にとって大陸の街は砂漠と同じ。いやそれ以上の悪意を以て逸脱者に牙を剝く。


 完全に呑み込まれるか。そうなる前に出てゆくか――父様は前者を選び、母様は後者を選んだ。私の場合、どちらにせよ目的を果たせない。重しをつけて水の底に沈められるような、絶望的な思いがした。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…はい?」


 扉を二度、叩く音がして。アレックスが私の代わりに応答した。


「話は大体終わりました。どうぞ」


 入ってきたのは、ここの看護師ではなく鋭利な雰囲気の男。髪は黒、膚にもやや色がある。一般的なプロトスの人種だ。武装はないが力を感じる。多分この国の戦士だろう。


「マサキ=アルフォードだな。お前を迎えにきた。同道願おう」


 寝台の前に立つと、男は一方的に宣告した。いきなりのことゆえ状況が読めない。見ず知らずの相手に、何故私がついてゆかねばならないのか?


「あの、どちら様で?」


 先に立ち直ったアレックスが私の疑問を訊ねてくれた。だがその答えは、私には意味の分からないものだった。


「首都警察の公安七課だ。規則により名前を明かすのは禁じられている」


 精密な絵姿入りの証明を見せた。文字は書かれていない。本物かどうかは無意味だ。シュトケイサツやらコウアンナナカを知らなければ。


「公安……ですか」


「市長と福祉事務所長には話を通してある。他法他施策による自活が可能な場合は、生活援護法の適用外となるのだったな。この娘は今から、公安七課が重要参考人として身柄を預かる。言うまでもないことだが、衣食住の全てを保証しよう」


「!?」


 何を勝手な――文句を言ってやろうと思ったが、割り込む隙はなかった。


 アレックスも淡々と答える男も負けていない。


「アルフォードさんは入院中でして。まだ治療が必要なのですが」


「彼女はテロリストに狙われている」


「本国へ戻ればよいのでは?リトラの要人とご家族だそうですし」


「そういう次元ではない。相手は神なのだぞ」


「は?」


 状況が見えてきた。


 喋り過ぎと思ったのか、コウアンナナカが訂正する。


「…ものの譬えだ。敵は、それくらいの力を持っている」


 私に目を向けると、視線で了解を求めてきた。一方的に連れ去られるかと思っていたから、少し意外だった。あるいは、それで失敗したことがあるのかもしれない。


 父様の手がかりがあるなら一緒に行く。


 しかし狙われているというのはどういうことか。私が直接、監視者の攻撃を受けたことはない。森に籠っていたからではないと思う。同じく聖域にいた母様は、見回りに出たまま消息を絶ったのだから。


 二人の娘であることを知られていないか、それともさほど危険視されていないのか――いずれにせよ、私は狙われていないと考えるのが自然。強引な物言いや名乗らないことも気になる。申し出を受けるべきか否か……


 と、そこで再び戸が叩かれた。


「…先客がいたか。それも二人」


 入ってきたのはデイヴィッド。フェリック本社の地下にいた男。


 アレックスを一瞥し、すぐコウアンナナカに視線を移す。先日の陽気な雰囲気とは違った。思わず寝台の中で身を固くする。


「彼女の件は、軍の預かりとなった。大統領の命令も出てる。七課は手を引いてくれ」


「我々は法の埒外にある。大統領とて行動を阻害する権限はない」


「ここは法治国家だぜ?いつまでもそんな理屈が通ると思ってんのか」


「時の権力者による恣意的な運用を避けるためだ。ミスラ市長も我々に対する指揮権は持っているが、行使しない慣例となっている」


「だとしたら尚更だろ。いち部署の暴走を許すわけにはいかねえ」


 大統領の命令と言っているが、ジェイコブの意を受けて現れたのは明らか。ミスラ政府とフェリック社は仲間なのだろうか。対してシュトケイサツはその敵。争うからには目指しているものが違うはず。あるいは……やり方が気に入らないか。


 ジェイコブとデイヴィッドは私と同じ。だが政府や軍、シュトケイサツとコウアンナナカの考えは分からない。


「あの……ちょっと、よろしいですか?」


 壁際で空気になっていたアレックスが控えめに手を挙げる。


「そちらは軍の方ですね?で、こちらは警察の方。福祉事務所としては、自立できるならどちらでも構わないのですけれど。ただ調整ができていないのは困るんです。どちらが何月何日からアルフォードさんを援助する。お互い協議したうえで、もちろんアルフォードさんの同意が前提ですけど、できれば書面で通知をいただけないでしょうか?」


 デイヴィッドが面倒臭そうに溜息をついた。コウアンナナカは解っている、と言わんばかりに頷く。それを見たデイヴィッドも仕方ねえな、と呟いた。


「あんた、役所の人間か?そういう臭いがする」


「あ、はい。ヘラルド市福祉事務所から参りました。アレックス=イトカワと申します。アルフォードさん、今は窮迫により生活掩護を受給しているんですよ」


 デイヴィッドが舌打ちする。


「解ってる。スーパーの前で倒れてたんだってな。それで俺が来たんだ。親父さんの友人が俺の知り合いなんだが、俺個人でも親父さんの仕事とは無関係じゃない。そいつも含めて、彼女の身柄を引き取らせてもらおうと思ってる」


 今日はその代理人さ、と小さく肩を竦めた。


「身分証の類を見せていただけますか?」


「ああ。デイヴィッド=ボーマンだ。一応、技術大佐をやっている」


「これは……私も軍にいたことがありまして。士官候補生学校を中退しただけですが……すみません、ありがとうございました」


 目に見えてアレックスの態度が変わる。デイヴィッドを信じることにしたようだった。


「福祉事務所さん、そろそろ時間……って。何でこんなに増えてるんです?」


 許可されていたのはアレックスだけだったらしい。


 今日のところは、これで終わり。他の二人共々、看護師に追われ病室を出ていった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…不穏な動きが見えるな。連中は病院を包囲してる」


「本当か?」


「ああ。こりゃ何かやらかすつもりだぜ」


「君がケースワーカー殿に信用されたことへの意趣返しかね」


「分からん。だが少なくない戦力だ。残りのプリーストとナイトを掻き集めてるんじゃないか」


「連中も本気だな。ならば、こちらも本腰を入れねばなるまい」


「どうする?軍は当てにできねえ。三顧の礼で迎えておきながら、俺には重要な情報が来なくなった」


「『あいす☆とーねーど』と『深紅の大熊』を動かす。他にも二、三のギルドから手を借りられるはずだ。防犯協会が約束してくれたのは大きい」


「事情が事情だ。魔法使いは何人いても足りねえ」


「使えるものは全て使う。最愛の一人娘であろうと、な」


「道具は揃えておく。招集はそちらに任せる」


「分かった。くれぐれも用心したまえ」


「そっちもな。大将」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…ここにいたの」


「全員揃ったか」


「ええ。プリースト四名。ナイト十七名。これで生き残った者全員よ」


「……少ないな。俺達も含めた数か?」


「みんなあいつのせい。世界を護るとか言って、結局神々の内輪揉めだった……名無しのエルフに聞いたわ。オリジネイターが魔神グランディスだったなんて」


「当てにならん。本人の口から聞いたわけではない」


「同じことでしょう?四百年前アトルム族の前に現れた魔神とオリジネイターは似ていた。そいつはエルニアの特殊部隊に対して魔神グランディスを名乗った。ここまで来れば、偶然の一致で片づけるのは思考停止と怠慢よ」


「俺達の為すべきことに変わりはない。この世界を護ることだ」


「新たな神の出現など認めない。そのためには――」


「使えるものは何でも使う。無辜の民を人質にすることも厭わない、か」


「彼が命懸けで護った世界。それを消させたりなんかしない。目覚めれば滅ぶというのなら、眠っていてもらう。この世界は、私達人間は。神々の気紛れで壊してもいい安物の玩具じゃないのよ」


「あいつは……リノは、満足して死んでいった。復讐のつもりなら止せ」


「そんな名で呼ばないで。私達に名前はない。なくても充分幸せだった。それを」


「リノは感謝していた。今となっては、俺達が口を挟むべきことではない」


「……………………」


「……時間だ。配置につけ、ナイト1」


「了解、プリースト1。私は……あなたを信じることにする。あなたの他には、もう何も残っていないから」


「生きて戻れ。やるべきことは山ほどある。今回の作戦は、そのための一歩だ」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「……動きだしたわね」


 遠巻きに病院を眺めながら、そのヒトは残念そうに呟きました。


「何やっているの……ここでコケたら本当に死ぬのよ?A型インカネイトの私達はともかく、生身の体しか持たないあなた達は」


 心配というより苛立ち。状況は気に入らないが、個人のことは別によい。そう考えているのかも。いずれ私には何のことか。彼女が病院を見ていることも、そうと聞かされたから分かるだけ。ここから病院までは、それくらいに遠い。


 エルドラド防犯協会の会長が集合場所に指定したMRヘラルド駅の、すぐ隣にある雑居ビルの屋上。私はメンバーではありませんが、よく世話になる知り合いが所属していることもあり。若い女性の誘拐を未然に防ぐためとか何とか、加えて向かう場所が担当ケースの入院先となれば。やむを得ず仕事として足を運んだもの。


 とはいえ似非障碍者の私では、荒事の役に立てず。誰が誰なのか知らないまま様子を窺う私は、不審人物として捕えられました。警察や防犯協会のメンバーにではありません。どういうわけか……フリーライターを自称するこの女性に。


 私の頭の中は、時折呟く彼女の言葉に対する疑問で占められていました。簡単に纏めると、およそ次のようなことで。


 本当に死ぬとは?ならば贋の死というものが存在するのか。


 A型インカネイトとは何か。話の内容から察するに、この背が高いエレン人女性はインカネイト。リアル世界においても仮初めの肉体を持っている。そして同じような人物が、彼女の他にも何人かいる……


 どうするんですか、とは訊きません。それは問題意識を持つ者の台詞。


 どうでもよい。奇妙ではあるが。疑問はあるが。謎を解いたところで何が変わる?人類の福祉に貢献できるか。それとて所詮、儚い利益ではないか。劇的に変わらなければ、結局何もしないのと同じ。私の一番の望み――生の苦しみから逃れることはできるか。


 否。この大きな何かは、私と無関係なところで進行している。


 フリーライター氏は、首を左右に傾けて解しながら微笑みました。


「さて。そろそろ行かないと。あなたもグラキエルのプレイヤーなら、危ないことは控えたほうがいいわ」


「…………………」


 新たな情報。この女性は――ヒトひとり抱えてビルの屋上まで跳んだ化物は、グラキエルのアカウントを持っている。


 くだらない噂だと思っていましたが、本当にゲームの魔法をリアルでも覚えたのか。重力低減の創術、そうとでも考えなければ先程の跳躍は説明がつきません。


 集まってきた防犯協会のメンバーは、もしや全員がそうだとでも?


 だが……やはり、そんなことはどうでもよかった。


「きっと今よりマシな状態になると思う。いずれ大統領が公表するから、その時が来るのを楽しみに待ちなさい」


「…そうですか。とりあえず地上に下ろしていただけると助かるのですが。多分鍵が閉まっているでしょうし、階段を使えても不法侵入は免れませんから」


 今にも飛び降りそうだったフリーライター氏が足を止めて振り返ります。


「……意外と冷静なのね?」


「アマチュアの物書きですから。こういった妄想は日常的にしています」


「あそこに仲間はいないの?」


「止める理由はないですし。別に悪いことをしているわけでもありませんから」


「助けたいとは……思わないのでしょうね」


「この身体では役に立ちませんよ」


 私は杖を突いています。私の左脚は、怪我のため筋力がありません。そうでなくとも、個別に頼まれなければ手伝わないでしょう。やりたいことをやり、失敗したら死ねる。惨めな蛇足の人生がない、それは実に気楽なこと。ただただ羨ましいかぎり。


 武装集団が特定のグラキエルプレイヤー……ええ、もう分かっています。林檎さんことマサキ=アルフォードさんを誘拐すると。病室での会話の流れから、武装集団は恐らく公安七課。エルドラド防犯協会や他のギルドを煽動しているのが軍関係者。民間人の力を借りているのは、ボーマン大佐とその友人の私的な意向で動いているから。


 手に余る状況です。文官の生活掩護ケースワーカーとしては。ちなみに公安七課の拉致が成功した場合は、受給者行方不明につき掩護廃止。逆の場合は、これまでどおり自立するまで掩護を続ける。ただ、それだけ。自立のための助言や支援は行いますが、相手の人生に責任を持つわけではない――持てるはずがない。


 だからこうして、遠くからアルフォードさんの行く末を占っている。このように荒唐無稽な、それでいて事実としか言いようのない話を。どうケース記録に書くべきか。あるいは一部を伏せて、あるいは全体を矮小化して?足りない頭を悩ませながら。


「参考までに。あなたは、どちらの側ですか?」


 答えはありませんでした。本当に記者なら、そうあるべきかもしれません。このような頼みをするのは、奇妙を通り越して愚かとすら言えるでしょう。


「…アルフォードさんのこと、悪くないようにしてあげてください。私は力がありませんから、力のあるあなたに根拠のないお願いです」


 何が面白かったのか、フリーライター氏が笑います。


「ニンゲンしているじゃない。神以上に神らしいかと思ったけれど……」


 どのあたりが?戯言にしても笑えません。この三品をして神などと。


 子供の頃の私は、遠洋航海士になりたかった。


 船酔いと社交性の乏しさから中等科のうちに諦め、自然科学だけでも修めようと理系の大学へ。その際、歴史の現場に対する興味から軍の士官候補生学校を選んでしまった。


 身体的に特筆すべきもののない私は、疲労とストレスから負傷。落第が確定した時点で自主退校、普通の国立大学に入りなおした。負荷が少なくなって勉学に勤しむかと思えば、研究をそれほど面白いと感じていない自分に気づく。


 数学が致命的に駄目だった。雲を摑むようで主旨すら呑み込めない。理系の研究者に対する敬意は増しこそすれ、自分がやろうとは思えなくなってしまう。


 代わりに興味を抱いたのは、民族や宗教の歴史と政治経済。答えの出ない分野であり、畑の者達はそのことを以て難しいのだと吹聴する。ただ私に言わせれば、むしろ逆です。答えがないからこそ妥協でき、目標を諦めるなら如何様にも済ませられる。


 要は単なる屁理屈、自己満足と正当化の世界だ。


 そのようなものに傾倒しておきながら、幸い学位は貰えた。教授が理解ある人物だったため、最低限の論文を書き上げるだけで許されたのです。


 研究者の道も外れ、職を転々として最後に辿り着いたのは事務系地方公務員。夢も希望もなく生活の糧を得るための。そうやって働くうち、また変な方向性を見つけてしまう。


 物書きだ。他人の屁理屈を読み漁り、とうとう自分で考えるまでに達した。


 それも中途半端な形で終わろうとしている。商業的に成り立つものを書かなかった。書くことができなかった。能力が不足しているとは思いません。クリエイターとしては致命的ですが、世間との感性的な隔たりが大きすぎたのでしょう。


 やがて理解しました。私は傍観者になりたかったのだと。


 自分では何もしたくない――極端な関心の薄さ。それが無気力の正体。


 澄んだ声音が、創術の定型文を口遊みました。


「……これでよし。そういうことは、自分の手でやるものよ」


 誤解があるように思います。とはいえ……


 脚の痛みがなくなっていました。まるで時間を巻き戻したかのような、かつて軍人だった頃の力強い身体に。


「もう一つおまけ。徒手空拳では戦いようがないものね」


 彼の者にマナとの親和を。されど留まることも勿れ、さながら水の濠を過ぐるが如し――

今度は法術の定型。が、それに続く内容は全く聞いたことがないもの。


 マナの流れが感覚的に解る。これなら可能かもしれません。仮想世界のクレティアンにできたことが、もしかするとリアルのアレックスにも。


 何故力を貸す?無言の問いかけに対する答えは、何とも無責任なものでした。


「私は神を辞めたの。だから好きなほうに肩入れするのよ」


 そして明日の予定を伝えるように、とんでもないことを洩らしたのです。


「数日から半年。この世界は、そろそろ終わる。やり残したことがあるなら、できるだけ急いでおきなさい」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「……何だ?」


 外で物音がする。何かを破裂させたような……精霊術や言霊の爆発ほどではない。店で貰えるレジ袋とやらに息を吹き込み、叩いたときの音と似ているだろうか。


 迷惑な話である。皆もう寝静まっているのに。程度の差はあれ、夜に騒ぐと叱られるのはライセンの村も同じだ。私達の場合、やり過ぎると朝まで木に吊るされるから、それなりの覚悟を以て騒がなければならないが……ゼクス様もフラン様も、いい歳をしてエア様に面倒ばかりかけておられる。


 今度は、連続して二つ響いた。これは、なかなかに難しい。同時に割るのではなく、僅かにずらして音を別々に鳴らすのは。ほんの幼い頃、紙袋で一度だけやった遊び。小一時間ほど吊るされ、母様が赦しを乞うてくれたのは数少ない温かな思い出。


「ん……?」


 また様子が変わった。過去から現在へと意識を戻す。


 無数の足音。しかも病院の敷地内だ。歩いているのではない。靴底と瀝青の衝突に怒号が混じる。火の手はないが、まるで昔話の戦場さながら。


 そこに年配の看護師長が駆け込んできた。


「アルフォードさん、起きてます!?」


「ああ、問題ない。物音で目覚めたところだ」


「そ、そうですか。とにかく、あなたは安静ですので。私達が命に代えても守りますからね……あぁもう、警察は何をしてるんでしょ」


「……………」


「他の病室も見にいかないと……廊下を巡回してますから、何かあったらすぐ呼んでくださいね。こんなときだからって遠慮しないで」


 一方的に捲し立てると、看護師長は部屋を出ていった。


 多分、警察は来ない。警察というのは、シュトケイサツのことだろうから。この襲撃はコウアンナナカが指揮しているはず。仲間の足を引っ張るような真似はすまい。


 抵抗しているのはデイヴィッド達の一派か。ジェイコブの言を信じれば、父との義理ゆえに動いているのだろう。監視者の代行分体は、このような回りくどい手は取らない。騙すのでも力ずくでも直接本人を攫ってゆく。どこからか滲み出るように現れるため、標的以外の者に見つかることは珍しい。


 と、窓の外からガラスを叩く者がいる。


 目を向ければ、黒ずくめの女が張りついていた。ここはベランダとかいう足場がない。にもかかわらず、どうやって留まったものか。壁に片手を触れさせ、風が吹くごとにゆらり、ゆらりと大きく揺れ動いている。かなり不安定な姿勢だが、至って本人は平気だ。慌てたりしている様子はない。窓枠が重なるあたりのガラスを指先で溶かすと、そいつは鍵を開けて病室内に躍り込んできた。


「初めまして。林檎さんことマサキ=アルフォードさん……私はニナ=リヴィングストン。グラキエル世界のインカネイト、レオンの育ての親よ」


 居住まいを正す。すぐ戦えるよう、あるいは逃げだせるように。


「いかにもマサキ=アルフォードだ。が、レオンという者のことは知らない。何か行き違いがあるのではないか?」


「クレティアン氏かデク氏、とにかくイトカワ氏に聞いていないかしら?…うーん、あなたとは直接会っていなかったものね」


 まさか伝わっていないとは思わなかった、そのような態度である。


 だが私にとっては、やはりという感じ。あの男は他人の噂をするほうではない。いずれ第三者の口からデクがアレックスだと確認できたのは収穫。


 フクシジムショの者であり、仕事の話しかしなかった。そのことを伝えると……額に手を当てながら仰け反り、細長い溜息をついた。


「…どうした?」


「何でもないわ。少し眩暈がね」


 またやってしまったとか何とか。でも悟られていたからいいじゃないとか。これだからニッケイ人の男は、振り回される身にもなりなさいよ云々。八つ当たり気味な言葉を呟いている。意味不明だが、最後のひとつは同感だ。


 いずれ次に会ったときは、堂々と問い詰められる。エルドラドの表通り、ビアガーデンとやらで酔い潰された日の続きだ。重々覚悟しておくといい。


「…嬉しそうなところ悪いけれど。少しだけ話を聞かせてほしいの。声を出すのが辛いなら、頷くか首を横に振るだけでも大丈夫」


 頷き返した。なら始めるわよ、とすかさず宣言。デクの名を出せば、私が断らないと踏んだのだろう。ニナ=リヴィングストンとやらは何をどこまで知っている?


「あなたはレイ=アルフォード氏の娘さん。間違いない?」


 肯定。他に同姓同名がいなければだが。私の知るかぎりでは。


「あなたは父親を捜しにきた。一度帰ってくるよう、部族の長から言伝を受けて」


 肯定?シェラ様やエア様からは指示を受けていない。が、戻ってきてほしいと考えているのは明白だ。その意味では、間違っていないかもしれない。


「当初レイ氏の目的は復讐だった。同胞の大半を殺した監視者への。しかしあなたが生まれたことで空しくなった。気づいたときには後戻りできなくなっていた」


 否定。それは違うと思う。母様が言っていた。父様は最初から恩返しのつもりだったと。聖域の廃墟から逃げ出すとき、あるヒトの母親が身を挺して護ってくれた。自分達の代わりに死んだようなものだから、できるだけのことはしなければと。


「……?…話が違うわね。もっと積極的な人物を想像していたのだけれど……」


「好奇心旺盛だが慎重。家族からは、そのように聞かされている」


 これもエア様の話だ。私自身、直接言葉を交わしたことはない。メールの遣り取りが会話と言えるのなら別だが。


「三番という単語に心当たりは?」


 否定。暗号にしても一桁では少なすぎる。重要な選択肢の答えか。


 悩んでいるふうだった。


 ここまで嘘はついていない。隠してもいない。聖域のことを知っている時点で、隠すべき事柄はなくなった。エルフの森がライセンの外れ、そこにアウラ様の投影体がいること。幻の都と呼ばれる異界が、現れたり消えたりすることを除いては。


「私も訊かせてもらう。お前は味方か?父様の行方を知っているのか」


「どちらもYESよ。そのことについては謝らないといけない。私が不用意に結界を解いたせいで、あなたの父親はラフィニアに殺されてしまった。ジェイコブ氏には言わなかったことだから、彼が嘘をついたわけではないの。そこは信じて」


 父様が……もう死んでいる?それはいつのことだ。ならば何故、アウラ様は教えてくれなかった?再び眠りに就いた六年前まで、無事に生きていたというのか。


「五年ほど前よ。フェリック本社の地下にある大空洞、あの場所で彼は亡くなった。ラフィニアの底意に気づかなかった私も責任の一端がある」


「…………………」


「焦っていたかもしれない。得体の知れない何者かが、未知の奇跡を起こしている。些細なことでも、とにかく情報が欲しかった」


 父様を殺めたことについて、ニナは監視者を責めた。そのことをきっかけに監視者と袂を分かったらしい。何度も命を狙われながら、逃亡の日々を送ってきた。今はある目的のために、マインドリンクを造った人物の庇護を受けているという……


 まだ分からないことがある。この大きな絵のどこに、私の姿が描かれるのか。


 両親とグラキエルの創造者が昔、同じ場所に幽閉されていただけ。母様の見つけた土地がグラキエルということも今初めて知った。


 どう考えても、自分の居場所などないように思える。アウラ様がよくしてくれたのも、エア様との友誼があったからだ。そしてそれは、アウラ様やエア様と私達親子以外、誰も知らないはずのことである。


「人質になるからよ。プリースツはグラキエルの主が新たな神だと思っている。唯一の縁者であるあなたを押さえれば、少しは言うことを聞かせられると踏んだのね」


「一度も会ったことがないのにか?」


「外孫みたいなものでしょう。友人の子供を預かったことがあるけれど、それはもう可愛くて仕方がなかったもの」


 これで話は繋がった。グラキエルの主は監視者を、神を斃したい。プリースツもそこまでは同じ。目的が一致しているのだから、共に戦えない理由はない。


 だが、その後は?神亡き後の世界はどうなる。


 ラフィニアを殺した者は、アウラ様のアカシャを手に入れるかもしれない。奴を無敵たらしめてきた絶対の矛。狙われたが最後、いかなる抵抗も意味を為さない。


 それでは同じことの繰り返しになってしまう。ならば自分達が管理するまで。未来永劫、再び神となる者が現れないように。プリースト達は、そんなふうに考えたはず。


 私にとっては、結局同じことのように思える。アカシャを手に入れたら、そのときは彼ら自身が神。新たな監視者となり敵を滅ぼすだろう。リトラのエルフにも害が及ぶかもしれない。アウラ様の復活は我々の悲願。その力を望む者とは相容れないのだ。


「……理解したみたいね。このままでは、どちらが勝っても不幸になる。私達は、第三の道を探さないといけない」


「そう、らしいな。何をすればよいか、皆目見当もつかないが……」


 思わず顔を伏せる。倒れる前の気持ちを思い出したからだ。


 頭が悪いのは生まれつき。ものを知るには時間がかかる。つまり私は、今すぐこの状態で役に立つ方法を考えなければならない。


「大丈夫。できることなら、あるわ」


 項垂れる私の肩に、そっと掌を置く。母親を思わせる優しさだったが、それも一瞬のこと。耳元で囁かれた言葉は、私を呆れさせるに充分だった。


「だからお願い。私の人質になって」


「………は?」


 窓の外は、雨が降り悩んでいる。

――MBCテレビ 〇四一九年九月二五日一七時五一分報道特番

 臨時ニュースにつき題名なし ~ヘラルド中央病院銃撃事件について~



 回ってますか?カメラ?


 あっちですね。ヒトが逃げてきます。


 移動しながら。はい。


 …私達は今、ヘラルド市という町に来ています。


 ミスラ駅から列車で二時間ほどの閑静なベッドタウンですが、その中心市街地で銃撃戦が行われているという情報提供を受けて飛んできました。


 仕事を終えて今から帰宅される方も多いと思われますが……通行人の方に、ちょっとお話を訊いてみましょう……どちらから参られましたか?


 列車の時刻だそうです。他の方に訊いてみましょう……どちらから参られましたか?


「アヤノパーク。あっちは今、大変ですよ」


 アヤノパークというのは……?


「病院とか福祉施設が集まってる。危ないから避けてきました」


 どんなふうに危ないんでしょうか?


「戦争みたいな。撃ち合いになってて」


 銃を持ってるのは、一人じゃないんですね。


「隣の交差点からだったんで、ちょっと……」


 ありがとうございます。他の方にも、お話を伺ってみたいと思います……アヤノパークのほうから参られ……


 ――ジェニファー。そちらの状況は如何ですか?スタジオのメアリ=アンダースンです。ようやく中継が繋がりました。


 あ、はい。ジェニファー=マクドネルです。私は今、銃撃戦が行われているとの通報があったヘラルド市のアヤノパーク近くまで来ています。アヤノパークというのは病院や福祉施設が集まっている場所で、今通行人の方からお話を伺ったのですが、入院患者や施設入所者、それらの場所で働く施設職員の安否が気遣われます。


 ――具体的な状況、例えば誰と誰が、争いの原因は何かとか。そういう背景事情は解りますか?警察はまだ現場に着いていないのでしょうか?


 双方少なくとも二人以上いるとのことです。詳しいことはまだ分かっていません。一一〇番はされていると思いますが、警察はまだ現れておりません。


 ――分かりました。一旦スタジオに戻しますね。気をつけて取材を続けてください。


 はい。現場からジェニファー=マクドネルでし……



 Blam,blam!blam!blam!



 銃声です!今、銃声が響きました!


 四発!ここまで銃声が届きました!


 近くのようです!行ってみましょう!


 地図によると、やはり病院――ヘラルド中央病院のほうから逃げてきます。死傷者の有無は不明ですが……あ!ヒトが倒れています。血を流して倒れています!意識がないのか、ぴくりとも動きません!


 あちらにも!二人、三人、四人……ほとんど丸腰です!一方的に撃たれたのでしょうか?年齢性別は様々。服装もまちまちで、ギャングやテロリストのようには見えません。


 犯人はどこにいるのでしょうか?まだ銃声や爆音が近くで響いています。そちらへ向かう前に、まずは善良な市民としての義務を果たしたいと思います……


 大丈夫ですか?大丈夫ですか?…駄目です、反応がありません。聞こえますか、聞こえますか?返事をしてください、返事をしてください……


 七人声をかけましたが、生存者はいない模様です。


 あ、今。警察と救急車が到着しました。早速救助に向かうようです……隊員達が、首を傾げています。何かあったのでしょうか。


 カード?今カードと言いましたか?カードはどこだと言っています。未確認ですが、個人情報識別カードのことと思われます。身元や病歴が分かりますからね。


 ――識別カードを盗まれている?なりすましにしては手口が乱暴すぎると思いますが……かといって持ち歩かないのも。身分証明書になりますし、バス運賃の支払いから役所の手続きまで、いろいろなことに使うものです。


 はい。そのあたりも取材を続ければ分かると思います……


 あ、一人。カードが見つかったようです。三十代くらい、スーツ姿の男性。身元の確認は後でしょうか、遺体の回収が始まりました。他の六名の方についても、順次作業にあたる模様です。犠牲者の方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。


 これから私達は、再び銃声のするほうに向かいます。一度スタジオにお返しいたします、現場からジェニファー=マクドネルがお伝えいたしました。

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