Player11 Cynthia Bell
ずっと、ずっと彼の背中を追いかけてきた。
でも今は違う。違うのだと信じたい。
そうじゃないと、また彼を縛りつけてしまうから……
☆★☆★☆★☆★☆
「じゃ、また明日ね?」
「うん。また明日!」
「さよならー!」
明るい昼下がり。退屈な私は、陽光に目を細めていた。
灰色の短い柱や網目の柵、高い並木に囲まれた広場と大きな建物。学校と呼ばれる場所では、よくある造りだという。最近は不審者が多くて、わざわざ見張りを置いてるところもあるそうだ。攫われかけたこともある私は、そんな親の気持ちが分からなくない。他の学校を見たことはないし、本当かどうかを確かめる気なんてないけれども。
二本ある柱の間は、今も私くらいの歳の子達を次々と送り出している。
みんな、この学校に通う生徒達だ。お揃いの制服を着て同じ教室に入り、大勢の師匠から交替でいろんなことを教わる。見たところ何もないし、危険な獣がうろついている様子はない。一部が広場へ出てきたかと思えば、小一時間くらいで中に戻ってしまう。
これで何が学べるのか知らないけれど、場所が違えば必要な知識も異なるのだろうと。ひと昔前では考えもしない、我ながら微妙な理屈で納得しておく。
私が待ってる人も、その中のひとり。ずっと一緒に暮らしてた子が、二年前に飛び出したきり。一度も顔を見てないから会いにきたのだ。
親代わりのエア様は、大事な役割があるため国を離れられない。血は繋がってないどころか異種族だけれど、実の子のように私達の身を案じてくれる。事情が重なったとはいえ挨拶もなしに消えた彼のことを、どれだけ心配してるか分からない。できれば一度帰るように、無理でも叱ってくるのが、遠出を許可してもらった表向きの理由。
それにしても――遠巻きに門の前を見つめながら、何だかなぁと思う。
男も女も太ってるか痩せてるか。森で獣に出くわしたら美味しく頂かれそうな連中ばかり。違うのもいるけど、戦の心得はないみたい。それだけ安全なんだ――と和みかけて。怖い想像をしてしまい、思わず腰が砕けそうになる。
「まさか、そんなことはないと思うけど……?」
そのときは会わずに帰ろう。街の暮らしに馴染んでいたとエア様に報告する。それは彼が森の子じゃなくなった証。無事に暮らしてゆけるのなら、プロトスのあなた達が森に縛られる理由はない。エア様ならきっと、そんなふうに仰るだろう……
だとしても、やっぱり私は彼に会いたい。今の私があるのは彼のお蔭。あの場所を連れ出してくれた。怯える私を庇ってくれた。自分の道を選べるように、甘えてばかりの私を突き放してくれた。会うまで帰らない。せめて一目、顔を見るまでは。
門の前へ視線を戻す。国伝手に調べてもらったから、この学校にいるのは確か。街へ出て捜すのは、全員見送り終えてからでも遅くない。待つこと三十分。空が茜色に染まりかけた頃、ようやく待ち人が現れた。私はもう、居ても立っても居られない。
「レイっ!」
姿を見るなり叫んだ。道の反対側から人を掻き分け、自動車の合間を縫って走る。
声が届いたのか、黒山の向こうで一際目立つ黄金色が辺りを見回す。残念ながら私を見つけてはくれなかったらしい。また背中を向けると、さっきは気づかなかった数人と連れ立って歩き始めた。
どうしたら気づくだろう?荷物を漁った私は、咄嗟にあるものを摑みだした。それを思いきり振りかぶって投げる。赤くて丸い何かは、狙いどおり頭に命中した。選択も含めて、我ながら見事と言いたい。霜が降りる前、高木に可愛らしい実をつけるそれは私達にとって特別なもの。もう一度、彼と私しか知らない秘密の名前を呼ぶ。
「三二八五一番っ!」
はっと息を呑んで、薄青色の瞳がこっちを向く。
「七四九一二番……?」
今度は大丈夫だった。遠目にもはっきり、私の姿を見止めている。
背が高くなったろうか。どことなく疲れた顔。でも変わらない。レイは別れたときのまま、私の知ってるレイだ……!
「…シンシア……本当にシンシア、なの?」
「うん。我慢できなくて。来ちゃった」
「無茶だよ。エア様の許可はいただいたのかい?」
「大丈夫。私だって、いつまでも子供じゃないよ……」
仔犬のように飛びつく私を、戸惑いながらも受け止めてくれた。肩に顔を埋め、久しぶりの感触を楽しむ。照れてくれるのが嬉しくて何度も繰り返した遊び。レイの手が肩に触れ、私の身体を押しやる。窘められるのはいつものこと、ただ今回は少し早い。
その理由は、すぐに解った。
「ねえアルフォード君。その子、誰?」
険がある。それと、やけに毒々しい。残念ながらこっちの台詞だ。輪をかけて不愉快なのが、レイも照れたように笑ってること。
「家族だよ。とても大切な」
「田舎のお姉さんみたいな?じゃあ関係ないっか」
「カラオケ行きましょうよ。こないだの店に新曲が入ったんだ」
要するに私のことなんか、放っとけってことらしい。遥々やって来た家族は無視して、自分達暇人の相手を優先させろと。
森の監視があるから、実は結構忙しい。異状がないか毎日見てまわる。もっとも戦は数百年前に終わった。ルーク様お一人で充分と言えなくもないけれど。
「…あの。家族は、大切にしたほうがいいと思います……」
「え?みぃは黙ってなって」
「余計なコト言うと、連れてってあげないよ?」
「……………………」
連れは女の子ばかり。三人とも黒髪、原種プロトスにはよく見かける。エルフ慣れした目には今更だけど、私達みたいのは少数派。何となく、また腹が立ってきた……
「…ごめん。今日は本当に」
止める間もない。昔と一緒で、悪くないのに謝る。
「埋め合わせはする。だから……」
二人が溜息をつく。べたべたと纏わりついて、なかなかレイを離そうとしない。残りの小さな子は、連れと私の顔を不安そうに見比べてる。
「…しゃーない。必ずだよー?」
「今度、何か奢ってね」
「そ、それじゃあ失礼します」
ようやく私達は邪魔者から解放された。
☆★☆★☆★☆★☆
二年。ヒトを変えるには足りないし、壁を作るには充分な時間。
レイと私は、どう話していいか分からなくなっていた。
必然――私達は、あの瞬間からやり直すことになる。災厄前の姿を残すという、千年都市の佇まいはほとんど目に入らない。
「アウラ様の教えは守ってるよ。今はもう、誰に頼らなくても判断できる」
強がりも含めて言い切った私を、レイは眩しそうに見つめてきた。お土産のリンゴを大切そうに弄びながら。
そんな顔をしないでほしい。多少マシになっただけで、今でも半人前には違いないんだから……
「…そっか。君は強くなったんだね」
食べ物を粗末にすると、エア様に叱られるよ――そう教えてはくれなかった。いたたまれなくなって、立派な建物の上を覗こうとする。
「レイは違うの?」
あんなに女の子侍らせてるじゃない――言外の厭味は通じなかったらしく。
相変わらず鈍い、こういうことだけは。聖域にいた頃、私が手酷く振ったようなものなのに。でも助けてくれて、今もこうして無事に生きてる。
「友達だよ。家族ほど親しくもない」
全然慌てなかった。つまり本当のこと。嬉しいの半分、一方で口惜しさが半分。少しずつ調子が出てきた。私とレイの会話は、こんなふうじゃなくちゃいけない。
「本当に?嘘ついてるんじゃないの?」
さっきの小さな子。割と優しそうな感じだった。
レイはああいう子に捕まりやすい。見たことはないけど多分そう。
ここはリトラじゃない。目を離しても命まで取られることはないと思う。安全なはずの街の中で、疲れた顔をしてる理由は……
「門限まで時間があるし、街を案内するよ」
歩き出したかと思えば、急に足を止める。
「一応訊くけど、泊まるところはないんだよね?」
「もちろん」
レイのところに行くつもりだった。ライセンでもそうだったし、聖域では全員が同じ広間に寝かされていた。今更遠慮することなんてない。
実は、お金ならある。出発前にエア様が渡してくれた。でも貴重な外貨だから、できれば使いたくない。エルフは自給自足が基本。現金収入の伝手は限られている。
「一緒でいいよ?」
「そうもいかないんだ。相部屋だし」
寮というところに住んでるらしい。そこの決まりでは家族でも男女別。
「バレなきゃ大丈夫」
「子供じゃないんだから……」
「レイはそうだったよね」
アトルムの村では十五歳から。男も女も、大人は全員戦士になる。
「シンシアだって同じだろ?」
「残念。戦士として認められました。だからお姉さんのこと頼ってもいいよ?」
また虚勢を張る。言ってみたかっただけ、なのに。レイの顔がくすんでしまう。こんなはずじゃない。そんなつもりじゃなかった……
「…レイは、さ。今の生活、楽しい?」
公園の芝生で俯せになる。
案内すると言ったのに、ここを離れようとはしなかった。
「嘘はつかない。けど正直にも言えない。そんなところでしょ」
「後悔はしてないよ」
「うん。知らずに帰ってたら後悔したと思う」
それと今の暮らしに満足かどうかは別。
迷路を彷徨いながら、逃げることもできず、立ち向かえば罪に問われて。疑うことも許されない。そうしないと騙される、利用されるだけなのに。表向きは信じるふり。善人という名の硬くて厚い面の皮を。
リトラでは単純。外敵は潰す。私を売ろうとした男みたいに。
訊くまでもなかった。こっちの世界は嘘が多すぎる。
「一緒に帰ろう?ライセンの村へ」
言ってしまってから、そうすべきなんだと改めて思う。
レイは強い子だ。私より頭がいいし、必ず戦士として認められる。
でも帰らない。ここには彼の求める何かがあるから。
「エア様もルーク様も、みんな待ってる。いなくなってから毎日」
止められなかった。言葉が溢れてきて。
「黙ってるけど寂しいの。分かるでしょ?エア様はそういう方だって」
「…………………」
「とにかく一度。家族のためなんだし」
これは私の気持ち。
他人に隠れてものを言う、そんな臆病者をエア様は許さない。
「何か言いなさいよ?」
俯いたまま静かに呻くばかり。
ごめん、でもいい。何か言ってくれないと。
震えて見えたのは、多分私の思い上がり。
「……それが答えなのね」
一緒にいられない。つまりは、そういうこと。
来なければよかった。
もう会えない。ずっと……
☆★☆★☆★☆★☆
あれから二日。シンシアは僕の前に現れなかった。
どこで何を?もうライセンに帰ったのか。森の住人は遠話を持たないから、気になっても確かめようがない。
ファムとリカも遠慮してる。週末だというのに、遊園地やテーマパークへ誘われない。みぃのことは心配だけど、静かな時間を手放す気にもなれなかった。
自然に足が向く。シンシアと別れたあの場所へ。
公園の芝生は、初等科の子供達が遊んでいた。
僕らに父親はいない。母さんは物心がつく前に亡くなっている。
(…エア様……)
いろいろ教えてくれたヒトを思い出そうとした。
それは寸前で妨げられる。
過去の足音に、気がついてしまったから。
☆★☆★☆★☆★☆
「……三二八五一番」
半月前の放課後。やはり不意を突かれて、僕は思わず立ち止まった。
忘れることのできない、かつて家畜だった証。
あの場所から逃げたとき。エア様に名前を貰ったとき。アウラ様が戸籍を偽ってくれたとき。僕は少しずつ今の僕になった。三二八五一番からライセンのレイヘ、ライセンのレイからレイ=アルフォードへと。
ややあって無視を決め込む。
僕は急いでいた。あまり親しくない相手との約束がある。根無し草の僕は、生活の一部を区役所に依存していた。
「君のことは憶えているよ。配給に遅れる子だったからね。食事と交渉以外に何もない場所で、おかしいとは思っていた」
なおも食い下がる。
過去は消えない。追いつき絡めとる機会を虎視眈々と狙っている……
「…何の用ですか。ヒトを待たせています」
「昔のことを調べている。君と一緒に逃げた子……彼女の居場所を教えてもらえるかな」
「お断りします」
「ふむ。知らないではなくお断り、か。彼女に会わせてほしい。奴を斃すには、どうしてもあの子の記憶が必要になる」
「…………………」
この声。抑揚ある話し方。憶えてないけど忘れてもいない。
教誨師の誰か。全部で十二人いる聖域の指導者。神を殺すというのだから、あのとき襲いかかってきた二番と十一番の仲間。つまり……
「…教えたくないか。無理もない」
簡単に諦めてくれるとは思えなかった。ここで初めて相手の姿を確認する。
意外と老けていた。右手に杖を突いている。苦労したのかもしれない。運よくエア様に拾われ、名前までいただいた僕達と違って。
その男は、左手の指を三本立ててみせた。そして疑念を認めるように、中指と人差し指を示しながら頷く。
「次の、だよ。母は君達を庇って殺害された」
「………………!」
僕達が去った後、何があったのかを聞かされる。
村で目を覚ましたとき、最初に考えたのがそのことだった。魔物なんかいない、あれは僕達を廃墟に閉じ込めておくための嘘じゃないか。いいように働かせて結果が出たら皆殺し。三人も生き残れたのは運がよかっただけ。本音は腹が立つ。でもせっかく拾った命。やたら捨てるのも死んだ同胞に申し訳ない。
「…もう一度訊きます。僕に何の用ですか」
「見たものを聞き出してほしい。座標だけでは足りなかった」
新たな大地の、時間を動かすのに苦労してるという。
アウラ様に会ったとき、シンシアは言っていた。街を見下ろしながら、これと似た景色を見たことがある、と。鉄の鳥が飛ぶ話は、さすがに信じられなかったけど。
幸いシンシアは、今ここにいない。
「理由がありません。平和な暮らしを捨てる理由が」
「仮初めの平和だ。奴を斃さぬかぎり安息はない」
「どうして?」
「邪魔だからだよ。我々は秘密の一端を知ってしまった」
桁数の多いほうが、特定しやすいため尚更危険らしい。
けれど僕達は名前を変えた。すっかり馴染んだ今、知らなければ居場所を特定できないはず。二年前は間もなかったから、定まりきらなかっただけ。
「言葉は記憶される。礎の女神が裡に。奴は、それを覗き見ているのだ」
この世界は女神が見る夢。エルフの伝承によれば、目覚めたとき全てが終わるという。これが何を意味するのか、学者からオカルト研究家までいろんな解釈がある。科学的な根拠がないとして、歴史の授業では神話扱いされていたけれども。
十七歳と十八歳の孤児。彼が僕達を捜したのは、そういうやり方だった。戸籍上は死別だから、見つけるのに時間がかかったらしい。
「誰が捏造した?アルフォードなる一家が元から存在したように?大抵は養子の形を取る。戸籍を買うには必ず売り手が必要だ」
僕の場合は違う。誰からも戸籍を買っていない。詳しいことは知らないけれど、全部アウラ様が調えてくれた。元の僕を知らなければ気づけないくらいに。
「魔神と契約を?なら私の前にも現れるべきだろう。女神を誰より憎んでいるのだから」
仲間を殺されたのは一緒。彼の場合、母親と妻子までも。
「……礎を押さえられては勝てぬ。このままでは、いかなる努力も水泡に帰すのだ」
礎が何なのかは解った。アウラ様も聖域の主に囚われている?
「記憶の改竄、さすれば世界は書き換わる。糸を差し替えた織物のように……だがそれも四年前、新天地を見つけた後のこと」
やっと理解した。主は今の僕達を殺すのに躊躇いがない。その一方で、全部やり直すこともできなくなっている。僅かな差が歴史を大きく変えてしまうから。
ラフィニアは、星の発見がなかったことになるのを恐れてる。
「代行分体を見かけた。認識を逸らす擬装が施されていたよ」
「他の教誨師は?」
「三番にのみ伝わる秘法だ。しかし」
主なら使える。このままではいつか。
「やるしかあるまい。それとも座して死を待つかね」
「……………………」
自分だけなら仕方ないと思う。とりあえず生きて、それなりに多くのものを見た。けれどシンシアは、これからも生き続けたいに違いない。
そして三番。利用するためとはいえ、彼は危険を知らせに来てくれた。
先代が本当に僕達を庇って死んだのなら。その借りは返さなくてはいけない。外へ逃げると決めたのは僕。シンシアは僕についてきてくれただけ。
だから教えた。彼女との約束を。僕は必ず会いに行く。それまで待ってほしい、と。後を尾けるようなことがあれば、そのときは容赦しないとも。
先延ばしにしたつもりだった。森なら危険が及ばないだろうと。
結局僕は、自分の甘さを思い知らされることになる。
☆★☆★☆★☆★☆
(…『C分類』、管理番号を口にした個体を捜しなさい……)
同時に全員が動く。
私達は同期している。全ての情報を共有し、監視者の指示に従う群体。
痛覚や精神の働きは微か。役割を果たすうえで邪魔なもの。
例外は、自ら端末となり取得した情報。他の個体より詳しくならざるを得ない。
時折、記憶が整理される。仔細はどうあれ、そのような経緯だろう。情報量の差により判断の違いが生じるのはあり得ること。
監視者より不定期の情報更新。三二八五一番または七四九一二番と発言した個体のリストが送られてくる。前者は女性のみ、後者は男性のみという条件を満たすもの。
確認済みは除くゆえ、少なかった。
個体数は二。雄雌一匹ずつ。
(念のため接触した者も洗いなさい。検索時の前後六百秒で構いません)
追加の命令があった。しかし、これは不可能。私達にアカシャを閲覧する権限はない。エラーを報告、監視者の指示を待つ。
(…命令を保留。追って連絡します)
作戦が再開された。
私達は今、セリム市街を覆っている。
時点修正により目標の容姿も明らか。予想どおり、人混みの中で見つかった。
女のほう。三二八五一番の姿はない。
処理についての指示は、そういえばまだ何も。
(削除なさい。もはや不要なものです)
頭の中で何か弾けた。
落ち着かない何か。それも忘れて、獲物の背後へ忍び寄る。
逃げた家畜を捕まえる。飼い主として当たり前のこと。
自分のものを拾う。誰に憚る必要もない。
それなのに。
どうして近づくほど足が鈍る……?
「…レイ。うっ……う」
何か呟いた。
名前?確か、もう一匹の。
そちらは、まだ見つかっていない。
泳がせれば辿りつけるかも。
しかし。
指示を仰ぐ暇はなかった。
(七四九一二番の座標に着きました)
(七四九一二番の座標に着きました)
(七四九一二番の座標に着きました)
迷いなく突き進む。自分以外の私が目標へ向かって。
(削除します)
(削除します)
(削除します)
槍の先が迫る。それも見えていない。
柵を越えて逃げた末路。
あれが家畜なら、名もない私達は……?
「だめ」
「……………っ!?」
槍が喚く。二つしか弾けなかった。
私と私達は、実存と虚無の狭間で向かい合う。
☆★☆★☆★☆★☆
「え………!?」
近い。
くぐもった小さな、けれど耳障りな響き。
紙のように白くて、今にも死んでしまいそうな。
見覚えのある服を着ていた。大きな布を被っただけの。
相手は見えない。ううん……何かいる。分かっても長く見つめられない。どういうわけか忘れそうになる。消されそうになる。今、手に入れたばかりの記憶を。
「逃げなさい」
貫かれた無惨な姿のまま言う。
どうして?会ったことも心当たりすらないのに。
考えている時間はなかった。
「炎よ、在れ」
聖域を離れたときの記憶が蘇る。同じことを数回、きっと牽制のつもり。また見えない敵とやりあう。驚いた私が、どうしたらいいのか決めかねていると。
「死にたいのですか。早く」
言いかけるのを、二本目の槍が遮った。
続けざまに四本――赤い影に囲まれて見えなくなる。
こういうときエア様はどうした?勝てそうもない敵とぶつかったときには?
すぐに考え直す。あの島でエア様に敵う者はほとんどいない。
私が手本にすべき身近な相手は……
「こっちよ!あなた達の狙いは私なんでしょ!?」
「……………?」
「そのヒトは関係ない。私はアウラ様の居場所を知ってる!」
ぞろりと蠢く。不気味な何かが。ここは修業の成果と自慢したいところ。
策のほうも上手くいった。口先八丁はレイの得意技。
もちろん嘘。あれから私は一度もアウラ様にお会いしてない。
「えっと……」
問題はここからだった。ダガーを摑む利き手が震える。
ヒトに向けるのは今回が初めて。
それでもやらないと。何かいる場所を、思いきり力を込めて突き刺した。
「……っ!」
捩る。獣の肉を抉り取るように。
食べるための仕事ならやってきた。弓矢で射止め、最後に近づいて命を奪う。
これは生きるための戦い。そういう話なら、獣もヒトも関係ない。
たとえ相手が神様だとしても。
全員こっちを見てる。殺意は感じない。どうやら騙されてくれたみたいだった。
「う……」
認識できないものが集まってくる。じわりと輪を狭めながら。
怖い。どうしようもなく気持ち悪い。
多分これで私は終わり。無駄かもしれないけど、後悔はなかった。
誰かを助けられるようになりたい。
ずっと、そんなふうに願ってきたから。
あの女のヒトが起き上がるのを、目の端で捉えた。
傷は治っていて……ふわりと景色に溶け込んで見えなくなる。
硝子玉のような目。それは本当に無駄だった。
一度は救ってくれた手が、私の右腕を摑む。
「…七四九一二番の捕獲に成功。これより記憶を走査します。バックアップ用の個体を選別してください」
そう言ったかどうか。私の意識は闇の中へ沈んでいった。
☆★☆★☆★☆★☆
「…シンシア。シンシア……」
「う……?」
「気がついた?僕のこと分かる?」
レイの声。忘れるはずもない。私は彼と会うために来たんだから。
「息を吸って。吐いて」
何をそんなに。まるで子供扱い。
言われなくたって、気を失ったときの対処法は教わってる。あまり強い刺激を与えるのはよくない。まさか自分がされる側になるとは思わなかったけど。
「ゆっくり目を開けて。ゆっくりとだよ」
眩しい。もう日は暮れていたはずなのに。
建物の中?…だとすると、ここはレイが住む家?
「あ。目が覚めたっポイよ」
「マジ?てか今時、腹減って倒れるとかありえないし」
どこかで聞いた声が笑う。馬鹿にしてるのか、ちょっと判らなかった。
「う……あれ………?」
「寮の客間だよ。事情を話して、特別に許可してもらった」
「私は反対したのだがね。我々は同じ場所にいるだけでも危険が大きすぎる」
その声は。特徴的な話し方に覚えがある。僅かに首を向けると、老けた男のヒトが私に指を三本立てて寄越した。
「詳しいことは彼から聞くといい。くれぐれも迂闊に番号を口走らないことだ。再び同じようなことが起こりかねない」
神妙に頷く。それから私は、仰向けに寝かされたまま室内を見渡した。
殺風景な部屋。と言ってもエルフの丸太小屋よりは家具が多い。大きな姿見のほか、湯沸かし器やアウラ様の命を削って使う道具の数々。ここで暮らしてる以上、レイも何度かは使ったことがあるんだろう。
彼は枕元に。その後ろが元教誨師。あの頃はまだ『次の』だった。
少し離れて、レイを遊びに誘おうとしてた三人組。彼女らも寮に住んでるんだろうか。校門の前で見たときより気楽そうな格好をしてる。あれは身体を動かす授業のときに着ていたやつだ。名前は、確か『ジャージ』。
窓側から順に、膚だけはアトルムみたいな子。彼女は一番背が高い。一見して怖そうだけど、目許は意外に素直な感じがする。
隣は白い膚の、髪はやや不自然な茶色。多分、染めてる。私と目が合った途端、気まずそうに視線を逸らした。その仕種が、やっぱり意外と可愛らしい。
最後は戸口に立ってる子。前髪を揃えた長い黒髪で、身長だけ言えば十歳でも通りそう。下手すると子供に間違われるかも。そういえば『みぃ』って呼ばれてた。外見どおりの性格なのか、今も他の二人を窺いながら不安げにレイの顔を見つめている。
(…ああ。そう、なんだ……)
何となく解ってしまった。そんな気はしたけど改めて。
頭病みがする。時々、脈打つように重く痛い。
どこかで打ったのかも。お腹が空いたってこうはならない。だけど怪我をするようなことなんて。何度考えても霞がかかったように思い出せない……
「…てかさ、このオッサン誰。ケーサツ呼んだほうがよくね?」
「知らないヒトには気をつけないと……」
「あんた達失礼だよ。キモいのは確かだけどさ、悪人じゃないっポイ」
「…何とかしたまえ。また頭痛がしてきた……」
「………すみません」
遠くでみんなの声がする。
今後は接触しないと言い置いて、三番が部屋から出た。用があるときは無関係のヒトを間に立てると。私やレイと違って、それなりに裕福そうだった。あるいは彼も名前をつけたのかもしれない。外の世界へ溶け込むために。
(訊かなくちゃ。名前とどこに住んでるのかを)
何となく、そう思った。
理由はない。ただそうしなければと感じただけ。
「それでは警察を呼ばれないうちに失礼するよ。叩けば埃の出る身なのでね」
「あ、あの……」
上手く声が出ない。咳払いをしてるうちに、三番はどこかへ行ってしまった。
「シンシア。喉が痛むの?」
「…え。あ、うん……」
「無理したら駄目だよ。都会は空気が悪いから」
真顔のレイに色黒な長身の子――ファムが抗議する。
「何ソレ。あたしら生まれたときからセリムなんですけどぉ?」
「まああんたはともかく、みぃまで雑草みたいに言われるのは気に食わないよねー」
「ちょっとリカ。あんたあたしに喧嘩売ってる?」
「あ。もしかして分かっちゃった?ちなみに私もそっちには入ってないけど。初等科は転校しまくりだったし?」
「そっち言うな!こら、勝手に変な境界引くなぁ!」
「いえその、あのっ。あのあの私は……」
苦笑しながら、レイが喉にいいというお茶を飲ませてくれる。しばらくして収まると、今度は私達のほうに矛先が向いた。
「とゆーわけでアルフォード君。今日のところは帰ってちょーだい」
「え?」
「ここ女子寮だよ。それとも私達の部屋に来る?見回りくらい何とかなるでしょ」
みぃの顔が、茹でたように赤く染まる。
私を一瞥すると、レイは諦めたように溜息をついた。
「…仕方ないな」
もう一度、額に手を当てて私の顔を覗き込む。
「シンシアを頼みます」
「任された。その代わり……」
「分かってるよね?」
「カラオケ。今度の休みには付き合うよ」
頷くレイは、私のほうを振り返らなかった。
胸の奥が疼いてる。何とも言いようのない感じで。
☆★☆★☆★☆★☆
二十分後。食事が運ばれてきて、みぃ達三人と一緒に。
まるで病人食だったけど、このときはそれでよかった。というより、何を食べても味が分からない。疲れてるはずが、眠いとすら思わなくて。
一人にはなりたかった。些細な行き違いから喧嘩して、なのにまた面倒をかけてる。さもそれが当たり前のように。家族とはそういうものだって、レイは笑うかもしれない。
でも私は許せなかった。甘えてばかりの自分が。勝手に見えたファムやリカでさえ、初対面の行き倒れを手厚く看護してくれている……
言葉にしてみれば、そんなことを考えてたと思う。ただそのときの私は、彼女らの相手をするのに忙しくて。落胆する暇もなかった。
「じゃあさ、そろそろ始めよっか」
「さんせーい」
みぃも無言で頷く。妙に意気込んで見えるのは私の気のせい?
仕切り屋のリカが、このときも口火を切る。
「ファンクラブの私達としては、黙って見過ごせないわけなのよ。アルフォード君と親しすぎる、あなたの存在をね」
自己紹介は前哨戦。どこの生まれで何が好きとか嫌いとか。学校の教科を言われても全然。一度も通ったことがないから。そのあたり、どんなふうに話してたのか。
「田舎の分校でさ、山歩きばっか教えられたって。幼馴染みってことは、あんたも似たようなもんでしょ。それより……」
リカの視線が不意に妖しい色を帯びる。
「七四九一二番だっけ?何の暗号よ、それ」
「すげー。よく憶えてたなぁ……マジすげえ」
「二人だけの秘密とか?ウザいしキモい。んな中二病、今時流行らないって。いいから何なのか教えなさいよ~」
「………………………」
私の固有番号だった。けど、もう無意味な数字。だから何てことない。
適当な言い訳を考える。その前に沈黙を誤解したみぃが助け舟をくれた。
「そんなに虐めないであげてください……」
「あ。ナニ逆らうの?いつもお膳立てしてやってんのに。罰としてお遣いー。あたしとリカにミルクティー買ってきなさい。期間限定のお高いやつね」
「…はうぅぅ~。普通ので許してくださいぃ~~」
「ダメ。誠意が足りないぞ?行動で示したまえ」
「この場合、金額だけどねー」
渋々出かけていった。よく知らないけど、あまりと言えばあまりな言い種。
「…まぁ、ね。傍から見れば、虐めてるとしか見えないかもだけど。でも本当のトコは違うんだ」
「みぃの奴さ、アルフォード君が好きなんだよ。でもあのとおりの性格だから、口に出しては言えないんだよね」
「めっちゃ可愛いのに反応ないし。ガチホモかと思ったっての。でもまぁ、しゃーないって感じだよねー」
それから延々と聞かされて。喋り疲れる頃にみぃが戻ってきた。
「…シンシアさんの分も。お口に合うか、分かりませんけど」
「やるわね。まずはお姉さんからオトそうってわけ」
「あたし達も負けてらんないねー」
ヒトの体液に似せて作られたという飲み物は、どこか懐かしい味がした。正直、薬臭くてあまり好きになれないのに。ライセンの村では水と林檎酒しか飲まない。どうしてそんなこと――理由を知ってるような知らないような……?
「テレビつけてもいい?音絞るからさ」
ファムの言葉に頷いた。
画面に石造りの古い建物が映し出される。近くにある遺跡の紹介番組らしい。
ああ、そうだ。思い出した。さっきの飲み物も。これと似た感じの映像も。全部、聖域の中で触れたものだった。なら何も不思議なことは。
ほっとした私は、深く毛布に包まる。あの場所で使ってたのより清潔で柔らかい。三人の気配を感じながら、そっと静かに瞼を閉じた。
☆★☆★☆★☆★☆
辺りが寝静まる頃。私は全然眠れずにいた。そっと寝台を抜け出す。
枕元には、みぃ。ファムとリカも床に寝ている。テレビはつけっ放し。結局、三人とも自分の部屋に帰るのを忘れた。起こさないよう、忍び足で廊下へ。
一睡もしてない。なのに意識ははっきりしてる。それでいて実感が乏しかった。自分が何をしてるのか、よく解らない。女子寮と男子寮を繋ぐ渡り廊下に着いた。迷わず階段を上がって、二階の角部屋に向かう。
(ここは……?)
この中にレイがいる。聞いたわけじゃないのに、何となくそれが分かる。気持ちのほうも疲れてるのかもしれない。無性に彼の顔が見たかった。
その一方で、必死に踏み止まろうとする気持ちも。命に関わるほどの規則じゃない。私は何を、そんな深刻に……?
鍵は開いてる。外の人が入れない場所だし、まあこんなもの。街を歩くだけで売り飛ばされる、ウゥヌス=リトラの表通りとは違う。
扉を潜って中に入る。レイも一緒の部屋の子も眠っていた。
二段ベッドの、都合よくレイが下。ここでまた、更に意識が弱まる。ふらふらと歩み寄って、レイの頭に両手をかざす。私は何をしようとしてるんだろう?
唇が勝手に呪文を唱える。これはアトルム語。だから意味はよく解った。目標の記憶を複製、アカシャのパーテイション領域へ――ここから先はニウェウス語で少ししか聞き取れない。????をお願いします、監視者……?
いけない。肩に力を入れて、どうにか自分を止めようとした。でも止まらない。見えない力に動かされるように、私が私じゃなくなったみたいに。
レイの記憶が流れ込んでくる。私を通してどこか知らないところへ。
いや――本当は知ってる。全部思い出した。どうして倒れる前のことを忘れたのか。身体は何ともないのに激しい頭痛を覚えるのか。そもそも私という存在は――
「…何か見つかったかい?君の欲しい情報は」
「!?レイ、あなた起きて……」
「待ってたよ。必ず来ると思ってた」
もうすぐダウンロードが終わる。生まれてから今までの十七年を垣間見た。
早くに母親を亡くし、物心つく前から孤独な環境で過ごした少年の夢。そしてあるときから、急に一人の少女に関する記憶が増えはじめる。彼を見向きもせず、他の男の子に惹かれてた女の子。こんなにも前から、私のことを気にかけてくれてたんだ……
今の彼は、その温かさを私に向けてくれなかった。それが言いようもなく悲しい。
「…君は誰?本当にシンシアなの」
「シンシアだよ」
言い切った。そうしないと生きてるのが辛かったから。
「でも……あなたと一緒にこの街を歩いた私じゃない」
どういうこと?とは訊かれなかった。レイはもう理解してる。だから今夜、私がここに来ると思っていた。その上で私のやることを黙って見ていた。
誰の入れ知恵?そんなの決まってる。賢しらな教誨師の生き残り。しかしどんなに調べても、彼の今の名前は分からなかった。仮に分かったとしても、明日には変わってるかもしれない。名前が変わったヒトを追う手もあるが、楽な仕事ではない……
「シンシアは、そういう顔をしないよ」
「……………………」
言いながら、レイは廊下へ出るよう促した。今更だけど、他人が聞くべき話じゃない。知られたら殺すしかなくなる。自然にそう考えたことも、今の私は驚かなかった。
「別人だけど無関係じゃない。何か裏があるんだろ。その気になれば、僕の口を封じるくらい簡単なことも解ってる」
俯いたまま頷く。全部、彼の言うとおりだったから。
このときレイは、シンシアがもうこの世にいないと気づいていた。
☆★☆★☆★☆★☆
倒れてるシンシアを見つけて。最初、僕はすぐ駆け寄ろうとした。
でも何か、おかしい。ひ弱な都会人に負ける子じゃないし、特別な病気があったとも聞いていない。数刻前に別れたときも、昔と同じで元気そうだった。
少し前から、三番が会いにきていたこともある。そのときの僕は、聖域に関わることを思い出しやすくなっていた。
(名前は、言わないほうがいい)
咄嗟に判断して、辺りの様子を窺う。もしかしたら、いるのかもしれない。三番が言うところの化物が。ヒトの形をした、無慈悲にヒトを殺すもの。
(どこだ。どこにいる……?)
目を凝らそうとしてできない。その範囲が広すぎて驚く。これも三番から事前に教わっていた。主の代行分体は、存在を隠すために不認識の呪いをかけている。まともに見渡せない今の状況は、視界一面そいつらで満たされてることにならないか。
だとしたら小細工は無駄。その気があれば、とっくに殺されてる。つまり僕には、まだ何らかの利用価値があるということ。
もうひとつ思い出した。リトラを離れてきたとき。アウラ様は僕に切り札をくれた。次の目覚めが遅くなるから、なるべく使うなとは言われたけれど。その一方で、また同じことがあったら迷わず使いなさい、とも。
――アウラが友の名に於いて命ず。
――名前なきものよ、この場を去れ。そして二度と近づくな。
あのヒトは教えてくれた。アカシャは記憶にあるものだけを従わせる力。名簿にない人物を拾い出すのは骨が折れる。厳密には支配していないため、そこにいるからといって自殺しろとか消滅しろとかいう極端な命令は下せない。
これで目覚めるのが三年遅れる。だから本当に危ないとき以外は頼っちゃいけないと。遅れた分だけ、聖域の主による傍若無人が続く。
効果は覿面だった。真っ白な女神の一団が現れて、シンシアの周りから風船のように飛び立ってゆく。全部同じ顔で無表情。まともな人間じゃないと分かる。
綺麗だった。恨みや恐怖を差し引いても。普通のヒト達なら、社の壁画を思い浮かべるかもしれない。神使の光臨とか昇天とか。晴れやかな神話の夢を。深夜のことだったため、見た者も少なく大きな騒ぎにはならなかった。
「……行ったか」
「はい。とりあえずシンシアは無事みたいです」
僕達だけになったのを確認して、三番が姿を現した。近づいて担ぎ上げようとすると、もう少し待っているように告げられた。
「…名を知らせ。名を知らせ。偉大なる御柱の子が名を知らせ……」
片言のアトルム語で唱える。考えてみれば、おかしな話だった。孤島に潜む集落の指導者達が、遠く海を隔てた異種族と同じ言葉を使う。おまけにどちらも特別な力を持っている。エア様達の祖先は、運命の監視者に抗うプロトスの集まり。出自こそ違え、そのあたりはニウェウスも一緒。伝説を信じるなら、聖域の主とエルフ族は不倶戴天の敵だ。
ほっとした様子の三番が寄ってきて肩を叩く。
「君の友達で間違いないようだよ。確かに名前も刻まれている。だが……一つだけ気になったことがある」
行動の意図が見えないこと。神の分身達は、シンシアに何をしたのか。
「身体に別状はない。口封じなら既に殺している。冷徹な聖域の主が、未だにこの娘を生かしておく理由が分からぬ」
あのときと同じなら記憶を覗かれたんだろう。でも、それはもう終わったはず。二年前に僕達は捕まり、間もなくアウラ様に助け出された。僕が村を離れる切欠になった出来事だから、忘れもしない。
(…加わった記憶に興味がある?)
ぞっとする想像だ。つまり僕達は、泳がされてるということ。自由に見えても、結局主のために情報を集めてくる家畜。その扱いは変わってないのか……
何のためかは分からない。いずれ警戒したほうがよさそうだった。
「…う……?」
シンシアが目覚めようとしている。怒られるかもしれないけど、襲われたんだから放ってはおけない。
「どうするつもりかね?」
「寮に連れていきます。来客用の部屋が空いてました」
「無関係の者を巻き込むことになるが?」
「しばらくは来ません。統制者の名で呪いをかけましたから」
「奴ならば、すぐさま新しい代行分体を生み出してこよう」
「分かっています。けどシンシアを見捨てる理由にはなりません」
頬に触れる。ちゃんと息はあった。鼓動もしている。眩暈や出血がなければ、慌てて救急車を呼ばなくても大丈夫。
幸い、見つけた場所は寮の近くだった。そっと抱き上げ、歩いて戻る。客間のベッドに寝かせて呼びかけること数回。ようやくシンシアの睫毛が動いた。
この間、三番はファム達の後ろから様子を窺っている。
「う……?」
「気がついた?僕のこと分かる?」
焦点が合わない。ぼんやりしていて、まだ状況を摑みかねているようだ。
「息を吸って。吐いて」
刺激は避けて緊張を解かせる。エア様に教わった介抱の基本。
「ゆっくり目を開けて。ゆっくりとだよ……」
☆★☆★☆★☆★☆
話し終えると、レイは哀しそうに微笑んだ。
「…何となく分かってた。君は贋物じゃないかって。洗脳されてるだけ、そういう期待も少しはしたけど」
「嵌められたんだ?私は……ほんと酷いよね。家族に嘘をつくなんて」
酷いのはどっち。なりすまして記憶を盗み見た。
主のためと言い訳しながら、結局レイの気持ちを確かめたかった。期待してる以上だったけど、その結果がこれ。私は彼の敵。愛される資格なんてない。
「…私はラフィニアの代行分体。あなたに取り入るため、他に協力者がいないか探るためにシンシアの記憶と身体を与えられたの」
全部、喋ってしまった。
アウラ様への干渉が増えていること。聖域の主の力を以てしても、未だその相手を特定できていないこと。
他の代行分体とは違うこの身体も、いざとなれば主の思うままに動く。
贋物とはいえ、私はシンシアの記憶を持っている。たとえ嫌われても、憎まれても……レイを大好きな気持ちに嘘はないこと。彼を愛さずにいられない。
ここでレイが、また複雑な顔をした。
「…本物のシンシアなら……」
「言えない、よね。昔の私なら、こんなこと」
言う必要もなかった。分かってくれてると思ってたから。
私はシンシアじゃない。与えられた立場が違う。
「でも変わったんだよ。主の記憶がさせるんじゃない。こういうことだって」
レイの手を取って自分の胸に当てる。
そのまま、じっとしていた。
贋物だけど生きてる。ただの人形じゃないと分かってほしかった。私の鼓動は、ちゃんと彼に伝わったろうか。温もりは彼に届いてるだろうか。
「……………………」
俯くレイは、何も言わず手を引っ込めてしまった。
照れてるわけでも、怒ってるのでもない。
関心がない。そういう感じだった。
背中を向けて二言か三言。何か辛いことを言われたような気がする。
殺してくれればよかったのに。けど多分、死なせてはもらえない。
あのヒトが決めた目的を果たすまで。レイの口から三番の新しい名前を聞き出すまで。または私自身が三番と接触、彼の記憶を調べないことには。
最悪だ。
彼の傍にいたい。でも一緒にいるほど、レイや周りの情報が主へ伝わってしまう。結果、ますます彼が追いつめられる仕組みになっている。
シンシアは私を庇ってくれた。人形の私達を、ヒトと同じように見てくれた。あの子のためにしてあげられること。それは多分ひとつしかない。
窓が開いていた。そこから下まで一気に飛び降りる。
レイの手が後ろ髪に触れたけど、それだけだった。捕まえる気だったのか、助けるつもりだったのか。そんなことは、もうどっちでもいい。衝撃を殺して着地すると、私は全力で駆け出した。どこへ行こうというわけでもなく。一晩中消えない明かりの中を、国道沿いに走って走って走って走り続けた。
知らない場所に着いたとき、息も絶え絶えに呟く。
大声の必要はない。私が呼べば、主は聞いてくれることになっていた。
「…作戦は、失敗です……もう…彼の心、に、入り込む、ことは、できません………再構築と手法の見直しを提案します」
主の答えは簡素だった。
何の感動もない。でも、それでいいんだと思う。私の存在には最初から意味なんてない。勝手に盛り上がって沈む。そんな茶番は、もう終わり。
「……さよなら」
私は消える。正確には、元の味気ない私に戻る。
涙は出なかった。次こそきっと上手くいく。そうなると信じて。願わくは、二度と私達が出会ったりしませんように。
もう一つ、今は眠ってる別の神様に願う。聞こえていれば、こっちのほうは必ず叶えてくれるはずだった。
二人が無事でいられますように。
いつか、また一緒に暮らせますように。
そして何よりも。
あの子が、幸せになれますように……
☆★☆★☆★☆★☆
「…シンシア。シンシア……」
「んっ……」
「よかった。怪我はない?」
「うん。大丈夫……ぁっ」
「無理しないで。近くに寮があるから、そこで休もう」
目を閉じるように言われて従う。まだ痛む、それどころか酷くなってきた。地面に倒されたとき頭でも打ったんだろうか。息をするのも途切れがち。
幾つか記憶が飛んでる。たとえば命拾いしたときのこと。
最後に憶えてるのは、槍を構えた主達に睨まれた場面。こうして背負われてるからには、レイが何とかしてくれたんだろうけど。正直まともに戦える相手じゃない。となると……元教誨師のヒトに助けてもらったと考えるのが自然。
「…三番……?」
「うん。彼も力を貸してくれた」
「今はどこにいるの?」
「もう帰ったかな。君に仕掛けられた洗脳を解いてね。代行分体達は、僕を通して彼の名前と居場所を聞き出させるつもりだったらしい」
頭痛がするのは、その後遺症とのこと。解呪に失敗してたら、見られた時点で新しい身元が割れるかもしれない。そう考えて姿を隠したんだとか。だとすれば今この瞬間も、遠巻きに私達の様子を窺っている可能性はある。
「彼は敵じゃないよ。だから心配しなくていい」
不安に先回りして言う。相変わらずの間合いに、つい可笑しくなってしまった。
「急にどうしたの?やっぱり、どこか」
「ううん。昔と一緒だなぁって。そう思うと……嬉しかったの」
レイも笑ってくれた。心が温かくなる。けど、これで終わらせちゃいけない。いいところはそのままに、悪いところは直していかないと。彼に頼ってばかり、それを当たり前に思う。そんな私は、今日を限りにさようなら。
「……ごめんなさい。また迷惑かけちゃったね」
「え……!?」
こんなことを言ったのは初めて。レイの顔が不安に曇る。変かもしれないけど、そこまで驚かれるのは不快。勘のいい彼のこと、まだ洗脳が解けてないとか、私が誰かに入れ換わられてるとか。そういうことを考えてるに違いない。
「…本物だもん」
「思い込まされてても、そんなふうに答えるよね?」
追い詰められてしまった。このままだと贋物扱いされるかも――本気で困ってると、レイが唐突に吹き出した。
「ごめん。らしくないこと言うから……」
「………最悪。信じられない」
一瞬躊躇った後、昔のように抱きつく。
受け入れてくれた。そして肩や背中に優しく触れる。
ああ、これだ。私の欲しかったものは。二年頑張ったけど、やっぱり私には無理。彼がいない生活なんて。
だから。
「…私もこっちで暮らすね」
驚いた顔は見なかった。見えなかった。ぎゅっと摑まって離さない。
「私のヴィザ、族長が書いたものなの。時間はかかるかもしれないけど、無期限の就労許可は貰えると思う」
そういう問題じゃないのは分かってる。私がプロトスの社会に適応できるか。私はレイと違って不器用だ。敵と見れば倒すことしか知らない。でも、やってみせる。帰ってこないのなら私がついていく。そう決めたから。
何でも彼に従ってた。それじゃいけないって教えられて、今度は戦士になれば認められるかもって。誰かと生きるってことは、そんな簡単じゃない。
「反対しないの?」
「無駄と分かってるからね」
「それでも言ってくれないと。どうでもいいのかって思っちゃう」
違うのは知ってる。ただ拗ねてみただけ。
「本当?」
「うん」
「なら明日、ちょっと付き合って」
☆★☆★☆★☆★☆
入国管理事務所には、十日間留め置かれた。
留置場、というらしい。でも待遇は悪くなかった。遠話のないリトラ首都へ連絡を取る間、閉じ込められはしたけど日に三度の食事をきちんと与えられた。これがリトラだったら、こうはいかない。
学校もあるし、付き添いは寮に帰した。どうせまたすぐ会える。彼が姿を晦ませないかぎり。そしてその日は、割と呆気なくやってきた。
「…今までが異常だったんだよ。僕達の場合」
レイは、そんなふうに言って笑った。これからは、ずっと同じ毎日が続く。それこそ飽きるくらいに。窒息してしまわないよう気をつけるのが大変だ、と。
住むところを借りて、そのために働いて。食事は郊外へ出れば何とかなるけど、レイが暮らす市街地からは遠い。
一見原野に思える場所も、実は自然公園だったりして勝手に狩りをしたらいけないことになってる。そうじゃなくても漁業権がどうとか、ややこしい話が沢山。既得権益の縄張りを躱し、自給自足の生活を営めるようになるまで二月。ようやく落ち着けるかと思い始めた矢先のことだった。
「妊娠?」
「うん。父親は誰だと思う?」
「ファムやリカには、怒られるんだろうなぁ……」
みぃには気の毒でも、四年前から先約済み。こればかりは譲れない。
子供はライセンの村で育てる。示し合わせたように私達の意見は一致した。
この期に及んで、レイは残るつもりらしい。村にはエア様達もいるから、私ひとりでも大丈夫と言えば大丈夫。そういう話とは別に、子供が生まれる以上のきっかけなんて。不幸も考えにくい。村の誰より私達のほうが先に死ぬ。
「半端にしたくないんだ。今年で卒業だから」
本当は大学も行きたいのに、高等科が終わったら帰るという約束で。
結局その約束は守られなかった。毎度騙されるこっちが馬鹿なんだけど。ライセンへ戻った私は、恨みごとを呟きながら元気な女の子を出産した。
名前はマサキ。これなら男の子と間違われるかもしれない。それに、どっちが生まれても考え直さなくて済む。用心深いのか適当か悟らせないところが相変わらず。
監視も続いてるらしかった。狩りへ出かける都度、セリムへ行く前はなかった視線を感じる。それでも手を出してこないのは、前と同じヒト達なのかも。私には、あの古くて新しい世界を見にいくつもりがない。そのことさえ気づかれなければ、まだ泳がせておいて得るものがあるのではと誤解させられる。マサキには聖域のことを教えない。三番がやってるらしい危険な仕事にも、私は一切関わらない。そうすれば全くの無関係になって、この子は静かな人生を送れるはず……
マサキが六歳の雨季、ついに来るべき時が来てしまった。
「父様は、どこで何をしているのですか?」
答えに困る。本当のことは教えられないし、あまり変なことを言って悪い影響を与えるわけにも。実はこのとき、私は彼が何をしてるのか知ってた。あえて詳しいことは聞かなかったけど、三番の仕事を手伝ってるらしい。
何となく、そうなんじゃないかと思ってた。三番の話を信じるなら、マサキも含めた私達は彼の母親のお蔭で生きてることに。義理堅い性格だから断りきれなかったのかもしれない。ある日突然、言霊の応用か何かで頭の中に直接声を送ってきた。携帯遠話とは違うんだそうだ。翌年の発売に向けて、最後の調整を急いでるとか。
いつも元気だったけど、一度だけ様子がおかしかったこともある。
友達の奥さんが亡くなって、その友達は気づけないまま仕事の付き合いをしてた。彼と娘さんの間に行き違いがあって、どうすることもできなかったと。
次の節目は、マサキが十歳の乾季。私はマサキの傍にいられなくなった。
あの日も主の代行分体は、森の巡視へ出かける私を遠巻きに見張ってた。こっちが気づいてることも解ってて、にもかかわらず手出ししてこない。彼女らの強さを思えば、私なんか逆立ちしても敵わないのに。アウラ様から授かった奥の手のことは、私もレイに教わってた。それで油断したわけじゃないけど、忍び寄る別の気配に気づかなかった。
「…え……!?」
一瞬のこと。そう考える暇さえなく。
私はいなくなった。ライセンの村から、マサキやレイのいる世界から。
何も変わってないはずなのに。もしかしたら、レイ達のほうで何かあったのかも。それを引き出すための足掛かりとして、私の記憶が必要になった?
どういうわけか、思考の片隅に微かな意識が残ってる。薄目を開けたぼんやりする視界の横、とても綺麗な女のヒトが甘く微笑んだ。周りの景色は全部真っ暗。こんなところで一体何を?また浅い眠りの底に引き込まれていく……
レイの夢を見た。彼と話をしてる。仕事のことを訊く私にレイが沈黙して……ううん、あれはどちらかと言えば絶句。そんなのどうでもいいことなのに。
私は消えてしまった。
その後、何があったのかは知らない。
――東方見聞記 ~幻の果実~(抜粋)
トシヤ=カーペンター著 ヘイゼイ出版
皆さんは、リンゴというものを知っているだろうか。
果物である。赤くて丸い、片手に収まるほどの物体だ。産地はリトラ共和国、輸出されないため普通はお目にかかることができない。樹木を管理しているエルフ族の片割れに因み、こう呼ばれていたこともある。『アトルムの瞳』、と。彼らはリンゴの木を特別大事に扱ってきた。数多の果樹の中で、何故リンゴなのか。それには幾つかの理由がある。
一つには、リトラ島の環境がリンゴの栽培に適していたこと。寒暖の差が激しく、年間を通して雨量が多い。併せて水捌けがよい土質も挙げられるだろう。
二つ。エルフ族の主神『アウラ』がリンゴ好きと伝わっていること。折々の神事には、必ずリンゴの実や酒を供える。
ならばニウェウス族も同じでよさそうなものだが、彼らは他の果物しか栽培しない。仇敵を連想するから避けているとも、本当に女神が愛するのは葡萄のマスカット――ニウェウスの瞳と同じ草色だ――そう信じているからなのだとも。
そして最後。アトルム族が殊更リンゴを大切にする理由は。失われた祖先の記憶を、いつの日か取り戻したいと考えているから。
それを思い出す手掛かりがリンゴなのだ。ニウェウス族は神の末裔を名乗っているが、アトルム族は違う。我々と同じ原種の人間である。伝説を信じるなら、私達は他所の土地から今の世界へ渡ってきた。そこではリンゴの栽培が盛んに行われていたという。
帰れるとは思わない。されど故郷は遠くに在りて想うもの。信仰を抜きにしても、秘密の一端が解き明かされたら心揺れるではないか。
我々の故郷。それは幻の果実と同じく、深い謎に包まれている。(以下、略)




