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私の中のリアル  作者: 五月雨
Account-List 5
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Administrator 01  “Aura”

 意識は曖昧だった。


 頭の中が乱れていて、考えをまとめられない。


 記憶はある。自分が誰なのかもわかっている。


 わたしの名はアウラ。この星の統制者を任された者。


 いまのわたしは、とても世界のことを把握しているとはいえない。


 少し前に事件があって、わたしは意識を失った。目覚めてからというもの、その後どうなったのかを考えている。


 まだ毒が残っているのだろうか。気分が優れない。とりあえずわたしは、一番最後の話し相手を見つけることに決めた。


(さて……どこにいるかな?)


 そうつぶやきながら、わたしの意識は真っ直ぐにとある島へと向かう。


 捜しているヒトは、浅黒い膚を持つエルフと呼ばれる種族だった。


 性別は女。あまり背が高くない。あれから五百年以上経つけれど、事故や戦で死んだりしていなければ、まだ生きているはず。


 最初の友人も、この島に生まれた女の子だった。白い膚のエルフで、母さんと同じ匂いがしたのを憶えている。名前は……忘れてしまった。このところ、日に日に意識が薄くなっているような気がする。


 当時のわたしは、元の星に帰ろうと必死だった。


 母や弟、歳の離れた友人達とも生き別れて。


 何がいけなかったのか。どうすれば、こうならずに済んだのか。


 そればかり考え、幾千幾万回と検証を続けた。


 何度試しても、結論は同じだった。


 あの人には勝てない。どれだけ策を弄しても、彼女はわたしの上をゆく。


 失敗は許されない。干渉に気づかれたが最期、わたしの意識は封じられてしまう。


 そんなとき出会ったのが彼女だった。銀髪と紅玉の瞳、浅黒い膚を持つライセンのエア。


 遠慮がなくて無邪気。とても厳しいけれど、すごく優しい。


 彼女の貪欲さが、わたしに希望を与えてくれた。


 最初の友人とは、互いの寂しさを慰めあうだけだった。


 気持ちの奥まで確かめあったのは、きっとエアが初めて。


 あの子はいま、どうしているだろう?


 変わらないままいてくれたか。不安で心が潰れそうになる。


 わたしの本当の名前を、また呼んでくれるだろうか……



 ☆★☆★☆★☆★☆



「若長。あれは何でしょう?」


 やや緊張した男の声が、ふりむいて言った。


 視線の先にいるのは……あの子だ。だいぶ背が伸びて、子供と間違われるような姿ではなくなっている。


 明後日の方向を見つめたまま、彼女は億劫げに呟いた。


「……ここは森の外よ。大佐と呼びなさい」


 誤りを指摘され、複雑な表情で畏まる。


 他の若者達にしても同様。エアのことを軽んじてなどいない。むしろ逆――忠誠を捧げているのに取りあってくれない。そんなやるせなさを漂わせている。


 わたしが眠っている間に、世の中で大きな変化があったのだろう。大佐という呼び名は、母が生まれ育った国で徒花のように使われていた言葉……


「あれを御覧ください」


 最初に話しかけたのとは違う若者が、ふたたび上官の注意を促す。


 警戒を呼びかけているのではないようだ。人の気配はおろか、獣の姿さえ見当たらない。防風林を抜けて砂浜へ下りると、見つけたものが明らかになった。


 人間の少年と少女が、壊れた筏の傍で倒れている。


「…よく気づいたわね」


 若長の賞賛に一瞬顔を綻ばせる。が、すぐに表情を引き締めた。


「脱獄奴隷ではないでしょうか。親の借金で女衒に売られ、弄ばれた挙句に殺される者もいると聞きます……」


 告げる顔が不快にゆがんだ。憐れむというよりも、卑しい人種を蔑んでいるといったほうが近い。不老長寿のエルフ族は、最も理知的な種族と思われている。


 仲間の繰言を無視して、エアは少女のほうに歩み寄った。


 美しい娘だった。水に濡れているが、着衣は乱れておらず暴行の跡は見られない。あおむけの胸が呼吸にあわせて動いている。少なくともいまは、まだ生きているようだ。


 少年のほうを診ていた部下が、こちらも生きていると伝えてきた。本当に若いのか、報告する声にも余裕がない。


(どうするつもりかしら)


 わたしは考えた。あの子は基本的に人間が嫌い。


 森を汚すし、平気で他人を裏切るし。あのときも確か、故郷を護るために人間の冒険者達と戦っていた。わたしも人間であることは、ある程度読んでいたみたいだけれど。


 エアの顔には、何の表情も浮かばなかった。部下達にしても同じ。全員疲れたような顔をしている。エルフの兵士達は、やがて誰からともなく子供達を抱えた。もう興味がなくなったのか、エアの視線は二人のほうを向いていない。


 救っても仕方ないことが、わたしにはわかっていた。近くの街へ意識を飛ばし、そこで行われていることを見たのだ。教科書の中でしか知らない、残酷で恐ろしい仕打ち。知っているからこそ、ああいう態度になったのだろう。


 昔のままだった。言葉遣いや雰囲気は変わったけれど。幻の都で弟を助けてくれたときと同じ。誰かが苦しんでいるのを見過ごせない子なのだ。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…ん………」


 薄暗い部屋の中、少年の声が響く。


 意識が戻ったのだ。手足に触れ、どこも傷ついていないことを確かめる。


 傍には少女の姿。毛布には皺ひとつない。寝かされた姿勢のまま動いていないのだろう。大きく息をついて、離れ離れにならなかったことを安堵する。


 もの珍しそうに室内を見回すが、怯えているのとは違うらしい。ろくな家具もない丸太の壁を、食い入るように見つめている。


 ベッドというものも知らなかったようだ。


 年頃の少女と同衾させられたのに、慌てている様子がない。よほど親しい間柄か、そういうことを気にする習慣のない文化なのか。


 ひととおりの好奇心が満たされると、今度は別の感情が少年の心を覆った。苦々しく歯噛みする様は、まるで誰かに対し怒っているような……


 呪いの言葉をつぶやいている。あれは嘘だったんだ、僕達は騙されていたんだ、と。


 エルフの青年が言っていた奴隷という単語を思い出す。この子達は、そこから逃げ出してきたのだろうか。事実は訊かなくてもわかるけれど、どう思っていたのかは彼の口から直接言ってもらわないとわからない。


 微かに身動ぎする気配がした。少年の瞳から憎しみの色が消える。


 そっと少女の頬に触れると、何か番号のようなものを呼んだ。そういえばわたしは、二人の名前を知らなかった。記憶を遡ろうとして、わたしは愕然とする。


 この二人には名前がないのだ。正確に言うと、アカシャには三二八五一番及び七四九一二番として登録されている。


(どういうこと?この子達にお父さんとお母さんはいなかったの……?)


 本当の名前があれば、以後そう呼ばれなかったとしても統制者の記憶には残る。番号で呼ばれ続けたからといって、それが名前にとって代わることはない。綽名らしい単語なら、上書きされたりするかもしれないが。


 つまりは、そういうことだ。少年と少女には、最初から名前がない。生まれてからずっと数だけで区別されてきたのだ。わたしの生まれた世界にも多くの番号があったけれど、それでも名前はつけられていた。こんなふうに育ってほしいという、親が子に託す願い。そういうものは一切なく、ただ水と食糧だけを与えられて。


 それは家畜だ。もはや人間ですらない。奴隷の子供達にさえ親はいる。そしてよほどのことがない限り、奴隷を使う主人達も、みずからの財産に固有の名前をつける。


 軽くむせながら、ようやく少女も目を覚ました。


 海水を飲んだのか、喉をやられてしまっている。気の毒に思うけれど、治してあげることはできない。力加減にもよるが、下手をすると十年くらい意識を失ってしまう。この星がどうなっているのか、いまはそれを確かめなければならなかった。


「気がついた?」


「………、……、…………」


 ここは、と言おうとしたらしい。声が出ないことに気づいて愕然とする。無理しなくていいというように少年は首を振った。


「わからない。でも悪意はないと思う」


 言いながら、ゆっくりと部屋の中を示してみせる。


「見たことがないものばかりだ。少なくとも連れ戻されたんじゃない」


 少年の言葉に、少女は安心したようだった。微笑むとはゆかないまでも、ほっと溜息をついている。しかし少年の様子は違っていた。


 救助者達の善意を信じる気にはなれないらしい。古ぼけた扉の前に立ち、取っ手を握ろうか迷っている。自分達が目覚めたことを、相手に知らせるべきなのかどうか……


(エアはあなた達のこと、悪いようにはしないのに)


 余計なおせっかいを働く前に、樫の木と蝶番が軋んだ音をあげた。そこにはわたしの思ったとおりの人が佇んでいる。意表を突かれた少年は、気持ちを立て直すと少女を庇う位置に移動した。それを見たエアが、ひと言「勇敢ね」と呟く。


 少年の後ろで声なき悲鳴があがった。やはり彼らは、この土地に生まれたのではないかもしれない。怯える少女の視線は、不機嫌そうな黒い膚と深紅の瞳を映していたから。


「…アトルムが珍しいのか?余所者でもあるまいに……」


 その反応には、嫌われたエアのほうが困惑の表情を浮かべる。彼女のいう余所者の範囲が、昔とは違っていることに気づく。同じ村に暮らす同胞以外のすべてを、かつては余所者と呼んでいた。


「…僕達は、この土地に住んでいた者じゃない。だからあなたのように、違う色をした人間そっくりの生き物のことなんて知らない」


 この言葉には、わたしのほうがむっとした。大切な友達を馬鹿にされたような気がして。


 彼にとっては、精一杯の虚勢だったのだろう。でもそれは、いまの立場と状況では決して許されないもの。


 細めた視線に微かな殺気が宿る。魔獣のごとき迫力に圧され、少年は沈黙した。無論、本当に殺すつもりはない。二度目の試験は、かろうじて合格だった。


「……言葉に気をつけるのね。いまのお前達は、わたしに命を握られている。この島で生き抜くには、命がいくつあっても足りない」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 それからエアは、子供達に多くのことを教えた。逃亡奴隷ではなかったため、他に生きてゆく術がないとわかったからだ。


 二人もそれを望み、まずは食べられる木の実や獣の獲りかたを学んだ。麻の繊維から着るものを作る方法。井戸掘り。薬草の見分けかた。林檎の木の管理。


 若いエルフ達は、どうして若長がそこまで肩入れするのか首を傾げた。そんなことまで教えなくとも、僅かな食糧と路銀だけ与えて放り出せばいいではないか、と。すぐ殺さないだけでも、五百年前とは隔世の感がある。


 やがて部族の者達は気がついた。エアに二人を追い出すつもりがないことを。


 エルフ達の勢力は、白いニウェウスと黒いアトルムの争いを端緒として人間の国に組み込まれた。族長を評議員に迎えるとは名ばかり。人間達が治める首都へ留めおくための言い訳に過ぎない。征服されたわけではないけれど、事実上の降伏だった。


 それでも建国の当初は、まだよかったらしい。獣人族や小人族を含む全人種による五族協和――その理想に燃える冒険者達が実権を握っていた頃は。人間の領域を三つある都市の周辺のみと定め、族長達にも少なくない敬意を払っていた。


 しかし人間の寿命は短く、やがて理想は忘れられるもの。混沌の侵蝕を免れたはよいが、交易相手の滅亡により繁栄の手段を失った人間社会は急速に荒廃した。獣人族は最初の災いで亡くなりすぎ、一定の数を保てなくなった。人間の権力者達が私利私欲に走るなか、ニウェウスとアトルムの代表が秩序の崩壊を防いでいる。


 二年後の雨季。そろそろ現実を見せるときだと思い、エアは二人を人間の街へ連れて行った。集落を預かる若長筆頭から族長への伝令。いつもはお兄さんに任せているけれど、今回は軍に関わる用もあるらしい。


 村を出るのに先立ち、エアは二人に名前をつけていた。いつまでも番号ではかわいそうだし、少年とか少女というのも目立つと思ったのだろう。


 少年のほうはレイ。少女のほうはシンシア。エルフは姓を持たないから、欲しければ勝手につけなさいと言った。名前についても同じようなことを告げたけれど、二人の様子を見る限り、その必要はなさそうだった。


「…黒い膚と白い膚のエルフがいて、エア様達は黒い膚のアトラ。昔は争っていたけれど、ニクス達とは和解しているんですよね?」


 初対面のときエアに向けたような疑念を、振り返りながらシンシアがつぶやく。


 生まれつき不安の強い子らしい。口が減らなくなった彼女の声帯も、エアが『変わりゆくもの』の神に祈りを捧げて元どおり治っている。


 レイのほうは前にも況して慎重だ。彼がついている限り、シンシアが多少危ない真似をしても何とかしてしまうのではないかと思う。


「……シンシア。エア様は言葉に気をつけろと言ったよ。二クスじゃなくてニウェウス。『雪のように白い』と『雪そのもの』では意味が違う」


「アトラというのも蔑称よ。わたし達は『闇』ではなく、『闇のように暗い』の」


 二人に畳みかけられると少女は膨れてしまった。少年はもちろん、あれだけ恐れていたエアのことも信じている証だろう。「三二八五一番がいてくれるから、いいの!」とは、ここ一年の彼女の口癖である。


 人里へ出る前に注意しておくと言い、エアが不意に足を止めた。


「何があってもわたしから離れないで。帰れなくなるかもしれないから」


 二人は首を傾げた。いまでは狼にも後れを取らない。人間の街には、野生のリュンクスでも棲みついているのだろうかと。しかし、あえて誤解を解くことはしない。


「……危険の種類が違うのよ」


 言葉の意味は、すぐにわかった。


 街へ踏み込むなり異臭が漂う。路上に捨てられた汚物の臭いだ。


 力なく項垂れる人々。どこかから悲鳴が聞こえても、誰ひとり顔をあげない。


 ひび割れた舗装を黒く汚しているのは、いったい何の血か。人間のものだったとしても、わたしは驚かないだろう。


 シンシアは蒼褪めた顔をしている。多少は落ち着いて見えるレイも、心の中では似たようなものだった。覚悟はしていても、予想の範囲を超えたのかもしれない。


 これが現実、とエアは言った。人間は二つの種類に分けられているとも。奪う者と奪われる者――盗み、殺し、辱め、かどわかし。悪徳の雨がやむ日はない。


 平等な市民社会とやらは訪れなかった。所詮夢は夢に過ぎない。偉大なる建国者のひとり、愛の女神ルースアの宮司が語ったような理想郷は。


 男は死ぬまで働かされ、女は売られた先で慰みものにされる。生まれた子供も主人のものであり、七歳くらいを迎えると市場で売られる。親子を一緒にしておくと碌なことがないし、同じ血を犯して生まれた子は奇形になりやすいからだ。


 評議会議員が住む街の中心部へは、本当を言うと安全な地下道がある。エルフの兵士達が寝ずの番をし、文字どおり猫の子一匹通さない。しかしエアがこちらを使うことはあまりなかったようだ。道端に隠れる人達の顔を見れば、理由は何となくわかる。


 ものを知らない一人の男が、エア達のほうへ寄ってきた。憐れみを誘う笑みを浮かべ、垢まみれの手でシンシアの身体に触ろうとする。隙を見せれば、攫って人買いに売ろうとの魂胆だ。見目のよい娘は、屈強な労働奴隷の五人分にも値する。


「何か……何かお恵みを」


 対処に困ってレイを振り返ると、男は本性を現し襲いかかった。シンシアに体当たりをかまし、そのまま抱えて運び去ろうとする。腰にしがみつかれているから、後ろに提げた短剣は使えない。使えたとしても、人に向けることなど考えられなかっただろう。


 咄嗟のことにレイは反応できなかった。少女の悲鳴が白昼の街に響き渡る。それでも助けようとする者はない。虚ろな視線を向けてくるのみ。何を考えているのかまでは、全然わからなかったけれども。


「いやっ!助けて!レイっ!」


 男が走り出す段になって、レイはようやく気がついた。シンシアが連れ去られようとしている。このままでは彼女が危ない。


「シンシアっ!」


 飛び出そうとした少年の腕を、エアの細い指が摑まえる。反射的に振りほどこうとするも、

力が強くてできなかった。


「危険だから下がって」


「でも、このままじゃシンシアが……!」


「いいから。黙って言うことを聞きなさい」


 信頼のほうが勝ったのだろう。大人しく指示に従う。


 刹那瞼を下ろし、見開かれたエアの瞳は紅蓮の焔に燃えていた。


 いつもの澄んだ赤とは違う。すべてを焼き尽くす灼熱の怒り。短めの髪、不気味な陽炎も皆同じ色をしている。近くにいるだけでも火傷してしまいかねない。


 それから一瞬のことだった。逃げる男の爪先が揺らめき、腰まわりへかけてを炭化させるまでは。支えをなくしたシンシアの身体は、男の上半身と一緒に石畳へ投げ出された。胸元を押さえながら起きあがり、転がっているものに気づいて短く悲鳴をあげる。


「……未成年者誘拐の現行犯。明らかな過剰防衛だけれど、捕まれば極刑になるから問題ないわよね」


 下半身を失った男は、まだ死んでいなかった。血を流す暇もなく蒸発したために、かえって命拾いさせられたのだ。この状態で生き残っても、徒に苦しみを長引かせるだけ。分かっていてなお、エアは人攫いを殺さなかった。


「訴えたければ訴えなさい。この国の司直に、まともな判決が期待できるのなら」


 地獄の沙汰も金次第。賄賂を払えない者は、食費が嵩むとの理由で獄死させられることも珍しくなかった。


 震える肩を優しく抱いて、レイがシンシアを慰めている。落ち着くまでは、もう少し時間がかかるかもしれない。


「こういうところよ。だから離れないでと言ったの」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 街の中心へ近づくにつれて、少しずつ人影がまばらになってきた。


 議事堂と大統領府が並ぶ区画は、アトルムとニウェウスの部隊が交代で警備を行っている。兵士が多いことを差し引いても、やはり人の数は少なかった。生きるためには後ろ暗いこともするから、あまり近づきたがらないのかもしれない。


 これから半月、エアは同胞の若者達を率いて首都の治安を守る。用事というのは、ニウェウスの若長から警備を引き継ぐことだった。それなりに忙しく、いつも二人を構ってはいられない。このまま残るか、ニウェウス達と一緒に森の境界まで戻るか。一度村へ帰ろうと言ったレイにシンシアが反対した。


「慣れなくちゃいけない……そうでしょ?」


 無言でエアが頷く。わたしも彼女の認識は正しいと思った。


 攫われかけたのはシンシアだし、助けたのもエアだからレイにはこれ以上反対する理由がない。ただ口惜しかったのか、俯いて僅かに唇を噛む。


 世話になるかもしれないからと、エアは二人をニウェウスの若長に紹介した。


 表面上は穏やかでも、どことなく緊張感が漂っている。そういえば私が眠りに就く前、エアと彼――セインが属する部族の間で大きな戦が起こっていた。その争いの中心には、二人が親しくしていた一人のエルフがいたことを憶えている。人間の子を拾ったと聞いたとき、微妙な表情を浮かべたのは当時のことを思い出したからだろうか。


 アトルムの族長シェラへの紹介も恙なく終わった。親しい間柄なのか、「あなたらしいわね」との言葉にはエアもばつが悪そうにしていたけれど。事件の真相から遠いところにいたため、わたしは彼女のことを知らない。


「村のほうは変わりない?バルザがいるから大丈夫とは思うけれど」


「少々お酒が過ぎるようです。エルニアが滅びて、一番好きなやつも消えてしまいましたから……」


「…量で補っているのね」


「はい。このままでは……長くないかもしれません」


 バルザというのはエアの養父。若長の筆頭として村の留守を務めている。若い頃のエアは、心配をかけるようなことをしてはいつも彼に叱られていた。わたしと初めて会ったときも、後で大きな拳骨を貰ったらしい。


(心配なのね。お養父さんのこと)


 バルザとお兄さんを除けば、他にエアの身寄りはいない。お兄さんも老齢だから少しずつ衰えてきている。そのときが来るのは近いだろう。


「……困ったものね。彼にも……」


「わたしやルークが言っても聞かないんです。あの子達を引き取ったら、ますます機嫌を損ねてしまって」


 小人や獣人に対するのと同じで、どちらかと言えば面白がっていた。人間だからとか、そういう話ではないと思う。ニウェウスについては同属嫌悪があるかもしれない。


(悪戯してみようか)


 眠くなるほどではないし、何よりエアが喜んでくれるはず。


 でも慎重に。ほどほどにしておかないと一滴も飲めなくなる。


 それではかえってストレスを溜めてしまうから……


「……シェラさん。いまのは……」


「ええ。言霊が働いた感覚。何かあったのかしら」


「様子を見てきます。竜の爪を出していてください」


 ……どういうこと?


 わたしはまだ、何もしていない。


 エアに続いて部屋の外へ出てみる。


 あたりの様子は、さっきまでと変わらなかった。


 嫌な予感がして、周囲に探索の糸を伸ばす。


 かくして、違いは一つだけあった。


「…レイ?シンシア?」


 いるはずの部屋を覗いて、いないことを確かめる。


 廊下。トイレ。厨房。中庭。すべて無駄な努力。


 二人の気配は、この屋敷から消えてしまった。


 それどころか、街や島の中にさえいない。


 一瞬で消えた。まるで神隠しにでも遭ったかのように。


 わたしの他に、そんな真似ができるのは……


「どこにいるの。返事をしなさい」


 穏やかではないと、ようやくエアも気づいたようだ。


 部下を総動員してウゥヌス・リトラ中を捜しまわる。


 見つかるわけがない。歩いていったのでも、人買いの仕業でもないのだから。


 ついさっきまで。ほんの数分前までは一緒にいたのに。


 エアが悲しんでいる。そう思われないようにしているけれど。


 わたしにはわかる。


 我が子のように愛しているのを、ずっと見てきたから。


 触れられない身体で、そっとエアの背中を抱き締める。


(大丈夫よ)


「えっ?」


(何も心配しないで。二人はわたしが助ける)


 彼女もわたしを感じてくれたようだった。戸惑いながらも、こちらへ視線を彷徨わせる。濡れた瞳を見ているのは、わたしひとりだけ。


「……ミカゼ………ミカゼ、なの?」


(やっと気づいてくれた。起きてからずっと、あなたのことを見ていたのに)


 エアは天を仰いだ。


 救いの神を得たと。そう言わんばかりに。


(あなたの願い、叶えるわ)


 いまのわたしは弱っている。姿を見せられないのが残念だった。


(だって、あなたはわたしの……)



 ☆★☆★☆★☆★☆



 座標値一四〇三二四四七、六九四六〇六一。


 高度一〇五六三九。気温二〇三K。気圧〇.三四三五。


 風速四五。放射線量一.九。マナによる汚染なし。


 未だアカシャ領域の範囲内にある。


 それでも生身の人間が耐えられる環境ではない。


 わたしの記憶の中に、あの人がこれらの単位を入れた。


 母さんやバル達を騙し。弟も手の届かない場所へと追いやって。


 勝てるかどうかわからない。


 でも、絶対に勝たなくては。


(……見つけた)


 広がる雲海の隙間。


 夜明け前の薄暗い浅黄色に、あの人はいた。


 眠る少年と少女を傍らに浮かべながら。


 少年の額に両手をかざし、何かを唱えている。


 まだ気づかれてはいない。


 ここで一気に決着をつける……!


(…裡に宿りし原初の渾沌。汝が業を解き放ち、疾く分かれて安らぎを覚えなさい)


 周りの空気が一変した。


 物質とエネルギー。その境界が曖昧になり、絶えず状態を変化させながら相転移を繰り返す。暴走する熱量が、わたしに次の力を与えてくれる。


(変わらざるもの。[x-14032447]/0.875²+[y-6946061]/0.50²+[z-105639]/0.40²=1.00, [x-14032449]/0.45²+[y-6946063]/0.78²+[z-105639]/0.35²=1.00 閉鎖。以後アカシャと連動。『レイ』『シンシア』)


 ここまで〇.一三秒。わたしは意識の速度を加減できる。


 時間が動きだした。出涸らしの渾沌があの人を襲う。


 極寒と灼熱。真空と凝縮。あるべき平衡を目指す。


 それらが落ち着いたとき。残るものは何もない。


 レイとシンシア、結界に守られた二人だけを除いて。


(……………っ!)


 アカシャへの干渉。記憶を無理矢理書き換えられる違和感。


 対抗速記――カウンターリライト。あらかじめ与えられた命令のみを行う、歪な模造精神による機械的反応。使い捨ての代行分体に、ここまで精巧な容れ物を作るとは思わなかった。時間を遅らせつつ、わたしは自分の迂闊さを呪う。


 仕組まれていたのは、覚えたての術師にも扱える簡易型の結界。こんなものでも特定の現象に対しては完璧な防御を期待できる。そして発動させるのに、必ずわたしの力を使う。仕掛ければ仕掛けるほど不利になるから、なおのこと性質が悪い。


 覇気に欠ける視線がわたしを捉えた。恐ろしい速さで右手と左手を別々に動かす。元からの資質か、適性を装備させられたか。二つの言霊を同時に働かせるつもりなのだ。それでもわたしよりは遅いため、発動の直前で無効化する。


 使おうとしていたのは、直接的な攻撃用の術式だった。ひどく単純であり、目標を視界に捉えたら「炎よ、在れ」と命じるだけ。追尾性能はなく、当たるかどうかは運次第。どちらかと言えば大きな施設を爆撃するほうに向いている。


 わたしは彼女の防御を破れない。彼女もわたしの防御を破れない。レイとシンシアを隔離したから、これ以上何かされるのは防げている。


 しかし、このままでは千日手だ。こうなることを見越して、あの人は代行分体の性能を調整したのかもしれない。殲滅戦では圧倒的に、一定以上の相手とは勝負がつかないように。時間を稼いでいるうちに、本体が様子を確かめにやってくる。


 そうなったらわたしの負け。この精神体は破壊され、また数百年の眠りに就かされてしまう。今すぐあれを倒し、二人を連れてここから逃げる方法は……


「…なぜ、邪魔を、するの。これは、わたしの道具なのに」


 思考を中断された。


 わたしは道具という言葉に反応する。


(その子達に番号をつけたのは、あなただったのですね)


 三二八五一番と七四九一二番。本人達も忘れようとしている、かつて家畜だった証。


 何をさせるために、そんなことをしたのか。いや、するのか。ここにいる二人だけで全部だろうとは思わない。


 乗せられているのはわかっていた。どうせ時間稼ぎのために、注意を引くようなことを言っているのだと。それでもわたしは、気持ちを抑えることができなかった。


(こういう人達が他にもいるのですか。あなたは一体、何を考えているのです)


「…歴史を通して、八一七五人」


(!?)


 意外にも答えてきた。消え入りそうな儚い声で。絶対に秘密なのだろうと、そう覚悟していたのに。


「……かつて、神社庁と、呼ばれたところ。一条の、光も、差さない………滅びゆく、石造りの迷、宮………第二階層から第七階層。その場所に、いまも」


 あるというのか。昔のレイ達と同じような人間の養殖場が。そういえば夢現に見た気がする?絶叫、暗闇、血の臭い、焔。自爆を試みた男の人……?


 わたしは戸惑いを覚えた。


 なぜ教えるのか。そうすることで彼女にはどんな利益がある。


 それを知ったわたしが、どう動くことを期待している?


 わからなかった。あまりにも迂遠すぎて。


 わたしは万能ではない。ただ大きな力を持っているだけで。望まぬ遺産を与えられたものの、傍には誰もいない孤独な幼子のように。


「助けたければ、そうしなさい。あなたにできるものなら」


 意味深な台詞を残して消えた。反応が遅れ、思わず取り逃がしてしまう。


 まあ、いい。続けるならともかく、去ったのなら危険は大きく減った。代行分体の記憶を探ってもたいした情報など出ない。会話を思い出してみても、わたしを特定できるような情報は何も与えていないはず。


 気配のみを頼りに透明なアストラル体を撃ってきたのは、見事と言うより他にないけれど。アカシャに載っていない人物は、わたしの他にも何人かいる。


 去り際の挑発。あれは何だったのだろう。魂のない器にしては、あまりにも人間的だった。代行分体が容れ物というのは、わたしの勝手な思い込みなのか。


(作り物という意味では、わたしも同じかもしれない)



 ☆★☆★☆★☆★☆



 結界を残したまま、レイとシンシアを安全な高さまで下ろす。


 アストラル体のわたしや、術式で護られた代行分体は特別だ。絶対零度でも動けるし、気圧がなくなってさえ破裂することはない。


 どうやら彼女は、二人の記憶を調べていたようだ。隔離結界の内側には、防護の術式らしいものが確認できる。脳細胞を傷つけてしまっては意味がない。それゆえの配慮だろう。こういう場所を選んだのも、この星には飛行機というものがないから。普通の人間に見られて困るのは、あの人もわたしも一緒だ。


(これから、どうしようか)


 二人をエアのところに帰す。それが普通なのだとは思う。だがいいことなのかどうかは、いくら考えても、きっと本人達にもわからない。ゆっくりしている時間はなく、わたしは安易な手段を選ぶことに決めた。問題の先送りである。


 あの街だけが人間の社会ではない。というよりあれは、ほぼ最低の部類に含まれる。


 この世界が持つ違った側面を見せてやれば。それだけであの子達は、目を輝かせながら新しい環境へ飛び込んでゆくはず。帰りたくなったら帰れないことはない。


 まずはレイのほうから。目を覚ましたとき、彼が無事でいないとシンシアは取り乱す。わたしから現実を突きつけるよりも、レイに宥めてもらったほうが安全だろう。


 神経が太いのか、彼はわたしの説明をあっさり受け容れた。エアによる教育の賜物かもしれない。力で負ける相手には、相応の処し方というものがある。まずは様子を窺い、会話が成り立つようなら疑問点を質してみる。一番大事なのは相手の目的を知ること。エアの友達だからと伝えると、さすがに疑わしそうな顔をしていたけれど。


 シンシアの反応は予想以上だった。まず空を飛んでいることに驚き、それからレイにしがみつこうとして届かないことに慌てる。姿を見せない相手なんて信じられない、とにかく下ろしなさいよ云々。レイの言葉も聞かない。この子はエアから何を学んだのだろう。


 とはいえ今回は、彼女の気紛れな性格が幸いした。


 いよいよ騒がしくなってきた頃。わたし達は大きな陸地の上空へと辿り着いた。見渡す限りの平原に、無数の都市とそれを貫く幹線道路が繋がっている。


(リュドミーラ大陸です。この星で最も多くの人々が暮らしています。あなた達が見たものは、後れた辺境のなれの果てに過ぎません)


 天からの眺め。見遙かす地平線。この視座を得た人間は、有史以来誰もいない。


 アスファルトとコンクリートの街並みは、夕闇に追われて茜色に染められている。


 二人とも言葉を失った。初めて見る景色。初めて知る世界に。


 あそこへ行ってみたい。ひとつひとつに触れてみたい。レイの顔からは、そんな気持ちが伝わってくる。だが先に口を開いたのは、意外にもシンシアのほうだった。


「…知ってる。わたしは、こういう場所を見たことがある……」


 レイを起こす前、わたしも二人の記憶を覗いていた。


 異常な生活ではあったけれども、レイのほうに変わった記憶はなかった。


 大きく目を引いたのは、廃墟の地下から逃げ出す直前。シンシアが見つけた群青色の惑星だ。驚いたことに、外宇宙へ広がったアカシャ領域にも含まれている。


 ただし普通ではなかった。何もかも凍りつき、しかしながら生きていた。


 何があったのかは大体見当がつく。世界中のマナを使い果たし、ほとんど時間が流れなくなったのだ。五百年前、わたしの身に起こったことの真逆である。


 一見して豊かな、しかし完全なる死の世界。知らされた長達は、さぞ困ったことだろう。捜索を命じられたものとは違うから、厳密に言えば報告する義務はない。いや捜しているものとは違っても、何かの役に立つのでは。神の加護を受けている以上、見つけたものは残らず御前に捧げなければならない……


 シンシアの記憶は、そのあたりで飛躍した。


 暗闇。混乱。恐怖。苦痛。


 疲労。懇願。羞恥。安堵。


 希望。不安。期待……自責。


 どこにでもある、誰にでもある珍しくない感情。


 すぐに飽きて、わたしは視るのをやめた。


(あなた達が生まれた場所は向こう。ここからでは見えません)


 続けて視界の端、大陸の南東に寄り添う緑の島を指し示した。このときばかりは、意識を高めて淡い人影を作り出す。シンシアが息を呑む気配を感じた。


(あれがリトラ島。ライセンの村やエルフの森、英雄の後継者達が築きあげた街も。すべて小さな島の中にあります)


 わたしは子供達に、どうしたいかと訊ねた。


 曖昧な問いかけである。そう言われたなら、行ってみたいと答えるだろう。


 問題はその後だった。わたしにもしなければならないことがある。いつまでもこの子達に囚われているわけにはゆかない。


「エア様のところに帰るか、ここで生きてゆくか。それを選べっていうんだね?」


 二人一緒でなくとも構わない。ライセンの村まで送ってゆくくらいの時間はある。


 しばらく見てきたけれど、シンシアはレイに頼り過ぎだ。依存と言ってもよいかもしれない。同じ場所に下りたとして、いままでと同じにする必然もないが。


 目を閉じたまま動かない。そんなレイを、シンシアが不安そうに見つめる。


 決めかねているのではなかった。彼の中には、既に一つの結論がある。


 シンシアに決めさせること。彼女がどちらを選んでも、自分は新たな世界へ行く。エアの元へ戻るもよし。同じ道を選んだなら力を合わせて生きてゆく。


 このままではいけない。そう告げたわたしを、シンシアは罵った。どうしてこのままじゃいけないの。いままでだって上手にやってきたじゃない、と。


「…教えてよ。ねえ、答えてよレイ……」


 少年は黙っていた。


 ただ、そのときが来るのを待っている。


 やがてシンシアは、自分の考えを口にした。


「……帰る」


 レイの瞼が、ゆっくりと開く。


「帰る。わたしは、エア様のところに帰る」


 涙が止まらなかった。それでも。それでも。


 きっとわかっていた。レイは新しい世界へ旅立つことが。


 でも彼女には無理。また彼に頼ってしまうだけだから。


 それをわからせることで、引導を渡したのは自分。


 シンシアはわたしを憎むだろう。置いていったレイのことも恨むだろう。


 エアは……どうだろう。早すぎる別れだと、わたしを責めるだろうか。


 でも。


 決めたのはレイ。諦めたのはシンシア。


 わたしは二人の背中を、そっと押しただけ。


「さよならシンシア。僕は、必ず君に逢いにいく」

 統制者アウラの記憶



名称:三二八五一番 → レイ

性別:♂

登録年:二一五一年(変更二一六七年)

膚の色:白

髪の色:薄黄金

虹彩:碧

摘要:エアの養子、虚脱


名称:七四九一二番 → シンシア

性別:♀

登録年:二一五一年(変更二一六七年)

膚の色:白(ややメラニン色素密度高)

髪の色:黄金

虹彩:黒

摘要:エアの養女、依存症


名称:rafinia0967

性別:なし

登録年:二一六七年

膚の色:アルビノ

頭髪の色:白銀

虹彩の色:なし

形状:ヴァルマ=ルースアに酷似、同様の個体を多数確認

摘要:ラフィニアの代行分体、痛覚異常及び魂魄劣化

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