Player10 Alex Itokawa
恨みの多い人生を送ってきました。
軽侮せらること多し。あえて主張せぬがゆえに。学のみは修めたゆえ嫉妬せらることも。
満身創痍でした。心より出た言葉が掠りもしませぬ。虚言に対してのみ応えがある。私の魂は魔物か何かのごとく異質であるのでしょう。
さて別世界より現れたるもの。何の因果でありましょうや、元在りし世界とはまた違う処の怪物を飼い馴らすよう命じられまして。
斯かるは常人の仕事ではないのですが、相手が異物ならば異物を当たらせてみよとの安易な考え。功を奏するは異なり具合が似た方向なればこそ。対極でありましたゆえ、心の裡に殺意が芽生えたほど。その末に起こりし事態であることを、あらかじめ了知いただきたく存じます。
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週末の深夜。荒涼たる不毛な大地。
私は走っていました。疲れないように休みを入れて。
リアルの肉体――現実の私は、著しく左脚が悪い。整形外科医も首を捻りますが、右脚と比べて明らかに筋力が弱いのです。加えて強烈な痛みがある。
特別なリハビリを続ければ、あるいは回復したでしょう。仕事以外の全てを擲ち、医師の指示を機械のようにこなし続けたら。さりとてヒトにはストレスがあるし、ただの庶民にプロスポーツ選手が雇うほどの名医は縁がありません。
結局、私は楽なほうに流れました。たとえ贋物だろうと、かつての健康だった――それでも特別速いほうではない――両脚を取り戻してくれる世界へ。ここなら不幸な過去はなかったことになる。仕事のストレスで意識が曖昧になり、慣れているはずの凍結路面で足を滑らせてしまった不運な事故は。
病院は行けません。その代わり、いつもここに来ていました。
精神科へ行けば、ある一定の評価が形成されてしまう。憂き世というものは、感性の野蛮な人種のほうが生きやすいようにできています。
当たり前ですよね。上昇志向の激しい連中が上に行く。別に昇進などしたくはありませんが、仕事をするうえで不要な弊害が生じるのは避けたい。同僚の中で精神科に通っているヒトもいましたけれど、やはり管外の医療機関を受診していました。自分の担当するケースが関わっていない、少し遠くの医療機関でしたね。
さて。散歩とランニングを交えながら、私は目的地へ到着しました。
見える範囲には誰もいない、赤茶けた薄ら寒い原野です。どこか遠くから、音だけは聞こえていました。私と同じかそれ以上のハイランカー達でしょう。岩石砂漠に巣食うロックスコルピオでも狩り立てているに違いありません。あれの持つ強力な毒も、パーティを組んでいるプレイヤーにとっては朝飯前。ソロで倒そうとすれば厄介ですが、自分の狩場は弁えています。姿を見た途端に逃げてしまえばよいのですから。
なるべく高い視点を維持しながら、私は海辺のほうへ移動しました。
戦いの音が消えるまで、十五分は歩いたでしょうか。普通の仮想世界なら、ほんの少し離れただけで無関係な音は消滅します。しかしこの世界は無駄に詳しくできていて、やろうと思えば基礎物理学の簡単なシミュレートもできるとか。ある意味では興味をそそられますが、静寂を求める疲れた給料取りにとっては迷惑な仕様。
(いたいた……で、今どこにいます?)
矛盾する言葉が私の脳裏に響きました。フレンド登録をしていれば、どこにいても意思疎通ができる遠話。ログインしていないときはパートナーペルソナ――インカネイトの人格が対応してくれます。しかし所詮は人工知能。気の利いた返事などできません。
PPS導入直後は、こんな噂も流れました。ペルソナ覚醒の要件をクリアしたのとは別のインカネイトでログインすることにより、自分のインカネイトと一緒に出掛けられる。
実装から三年、而して結論はノー。体感型ということで様々な倫理的問題が生じると踏んだのでしょう。プレイヤーの行動に余計な茶々を入れる、不出来なオートプログラムとでも呼んだほうが近い代物でした。
ちなみに最初の『いた』は『ログインしていた』、次の『いる』は『仮想世界での座標』。理解できる者にとって、彼女の言葉は実に論理的かつ効率的。
「…クルスニク死火山、『サイクロプスの食卓』です」
(野良にはキツいエリアにゃ。デクさんは相変わらず悪いです?)
「ええ、まあ……」
悪いというのは気分のこと。努力義務違反ケースの調査中止を受けて、私のストレス状態は微妙な感じになっていました。
話は変わりますが、仮想世界の私はリアルよりも堂々としています。身体的能力もさることながら、要らぬ世間に縛られることがないからです。
どのギルドにも属さず、自分の力が及ぶ範囲で行動する。必要があれば利害の一致を見た相手と限定的に協力。目的達成と同時に礼を言ってさようなら。そこそこの実力を持ち、多くはありませんが結構な数が存在しています。そんなプレイヤーの誰かが、いつしか強い自負と僅かな自嘲を込めて『野良』を自称するようになりました。
(それで作戦は巧くいったかにゃ?怠け者さん達を一網打尽にできたかって意味にゃけど)
移動している間にも、細かくチャットを撃ってきます。昔のキーボードとディスプレイを使うMMOなら、それなりの技量を要したでしょう。でも今は違います。考えるだけで思念を飛ばすことができますし、どういう仕組みかブラウザすら存在しません。
お喋りな者はお喋りに。寡黙な者は寡黙に。こうして文章だけが達者な戯言職人は消え去りました。斯く言う私自身も、その中に分類される一人だったのです。
「…作戦は中止になりました。押し切るには弱いということで」
(……公務員は大変だにゃ。証拠があっても裁判で負けるし)
彼女は私の身分を知っています。大体どんな仕事をしているのかも。部分的に零してきた情報を拾い集めれば、少なくともミスラ共和国というところまでは分かったはず。実名を晒す愚は犯しませんが、そのくらいには気を許していました。誰しも素性の疑わしいここでなら、女性と話すこともリアルほどは苦にならなくて。
「……とうちゃーく」
明るい肉声が、不意に鼓膜を震わせました。
もちろん比喩です。しかし遠距離チャットの音声は、普通の会話よりぼやけて聞こえます。運営による演出なのかもしれませんが。到着の知らせは、より複雑な情報を伴って私の耳に届きました。最新アップデートの獣人族変身キット――要するに猫耳と猫尻尾、加えて肉球付き猫手足袋――ぴくぴく、ぴこぴこ。古代人による妄想の産物を、これでもかと誇らしげに動かしながら。
「お疲れ様です。今日はどうしましたか?」
私の口調は、リアルとあまり違いません。年齢や性別によって態度を変えるのが面倒だからです。他人行儀に感じる人もいるようですが、ぴいさんは全く拘りませんでした。
「…考えてみると、ここまで来る必要はにゃかったんですょねー。お渡しした情報のアフターケアだったんですけど」
さすがはプロ。私はそう感じました。
報酬は既に払っています。今彼女が身に着けている『獣人族変身キット(三毛猫ver.)』がそれ。仕事の見返りとして求めるものは、十中八九おしゃれ用の非実用品。もっと貪欲になっていれば、今頃は廃人級の冒険者達と肩を並べていたかもしれないのに……
「続報があったにょで、念のため持ってきてみました☆」
文章にすればこうなりそうな明るさで、ぴいさんは宣言しました。
しかし私には、これ以上の仕事に対して払うべき報酬がありません。手に入れた資源は直ちに活かし、装備の強化に使うなりゲーム内通貨に替えるなりしていました。
今回の変身キットについては、たまたまぴいさんの欲しかった色を手に入れただけ。新イベントが始まれば、とりあえずやってみるのがゲーマーの常。いつもなら市場へ流すところ、有効に活用することができたわけです。
「……お渡しできる謝礼がないとです。タダで商品を渡したとあっては、プロの沽券にも関わるでしょう」
つきあいのある相手でも、私は施しを受けるのが嫌いです。無論それは彼女も知っています。おどけて古い方言を使ってみせると、さも心外そうに頬を膨らませました。
「ぴいは情報屋じゃにゃいですょっ!前も言いましたけど、友達を助けたいだけですっ!」
友達。その言葉は、私を戸惑わせるに充分でした。
援護課の同僚でさえ、仲間と思うことはあっても友達ではなく。既存の字面で表すなら『戦友』。私の考える友達という言葉が、世間で使われるよりも重すぎたのでしょう。
何にしても、他人の善意を否定する言葉は持ち合わせていません。そんなことをしても自分の立場が悪くなるだけ。仮想世界においては、リアルと違って騙されたときの影響が限られています。金銭的な損失と個人情報の流出にさえ留意しておけば、その閉鎖社会と縁を切るだけで済むのですから。
「お礼は別に考えるとして……教えていただけますか?」
「もちろんですょ。さ、どれから話そうかにゃ~?」
楽しそうです。ぴいさんは息をするようにお喋りします。ただ顔が広いだけで、情報収集を意識したことはないのだとか。
売ってよい情報と、よくない情報。その線引きが変わっていて、原則リアル割りはナシ。知らないことを頼まれても、気楽に訊いてみて答えがなければ終わり。誰にでも話すことを、収集して纏めているだけ。
リアルでも時流に沿った企業情報を提供する会社ってありますよね。登記簿や株式市場、自社ホームページなどで公開されている内容を集約するみたいな。ぴいさんがやっているのは、そういう類のものでした。
「まずは~……これかにゃ?」
受け取った紙には、三つの単語が記されていました。
『初売り』『菜食主義』『イカお』――何だこれは。それが見た瞬間の感想です。戸惑って見返すと、ぴいさんは無言で自分と私を指差しました。ここでようやく理解します。小さなメモに書かれていたのは、特定プレイヤー達のインカネイト名であることを。
「……これは?」
(誰のものかは分かりませんょ。直接の関わりはにゃいですし)
遠話を使ったことで秘密の話だと分かりました。
(次はコレ。音響封鎖しますから、ちゃんと聞いててくださいね?)
ぴいさんの色が淡く変わって、途端に周囲の音が籠ります。
マジックスキル『精霊親和』――特定のルーンを習得する代わりに選択できる、言わば先天的な才能に近いもの。このスキルを持つインカネイトは、所定の『起爆マナ』を支払うことなく『精霊術』を使用できます。
ただし他の系統に比べると、派手さや決定力に劣ることは否めません。また無理に大きな力を使おうとすると肉体が死んでしまい、漏れなくデスペナルティを頂戴できるというオマケつき。好きなヘアカラやカラコンにできて嬉しいから――それだけの理由でマニアックな技能を使っているぴいさんを、半ば呆れつつも尊敬したものでしたが。
(それじゃぁ、行きますょ……)
ぴいさんの指が再生機のスイッチを押しました。これから何を聞かされるのか分からないまま、私の意識はヴォイジャー社製の試作機に引き込まれていったのです。
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「…せんだっての」
「な。俺が貰ったんだから俺の金。何に使おうと自由」
「ガキはいいから黙れってよ。まあ上が出てきても適当に誤魔化すんだけどな」
「そういや聞いた?ミスラで味見の謝礼が収入認定されたって」
「全部取られた挙句に廃止だってな。役所もひでぇことしやがる……」
「やる気なくなンよな。せっかく稼いだのに。馬鹿くせぇから俺は働かねえけど」
「だな。偽物でも酔えっから、ここで飲んでたほうがいい」
「ミスラのどこだっけ?やべくね?」
「求職登録はしてっから。面接テキトーだけど」
「あー、分かる分かる」
「バレても切られねえから。面倒臭ぇけど」
「そう。面倒なだけ。あと時々イラッとする。二日酔いのときとか」
「することねぇしな。四時には飲んでる」
「真面目じゃん。俺なんて二時だぞ」
「まじで?」
「まじ。月末は警戒すっけど」
「月末な。家に来るやつな」
「そういえば明日支給日だな」
「こっちは四日だ。民間の給料日と離れてっから、いちいち怪しまれんのよ。そういう不便がねえようにしてもらいてぇんだけどな……」
「同じ税金から出てんのに、俺らだけ待遇悪いもんな」
「しつこく嗅ぎまわってうぜぇし。何でだ?」
「暇なんじゃねぇの。仕事なさそうだし」
「だな」
「そろそろ寝っかな」
「じゃ、また」
「また」
「今度は俺が奢っから。馬で当てて」
「じゃ期待してっから」
「おお」
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(……大丈夫ですにゃ?)
心配そうに覗きこんできます。
(あぁ……はい。まあ予想はしていましたので)
(本当かにゃ?気分が悪くなったら、いつでも言ってくださいょ)
本当でした。それよりも驚いたのは、ぴいさんが怒りの感情を露わにしていたこと。楽して生きたいが口癖の彼女も、連中の言い種は癇に障るところがあったようで。
(お世話させられてるデクさんが病気で、この人達が元気とかナイ)
『グラキエル』を始めたのは、今の担当に就く少し前でした。それから一箇月と経たずに体調を崩し、入院して手術を受ける羽目に。
当時は大した財産もありませんでしたから、しばらく留守にする旨ホームの入口に張っていました。その情報が知人から知人へ広まってしまい、退院したときには見舞いの言葉でドアが埋め尽くされていたのを憶えています。ぴいさんと知り合うよりも前なのですが、そのときのことを指していると考えて間違いありません。
明るい茶髪と紫色の目。いつもの姿に戻りながら、先程渡された紙を出すよう身振りで私に示しました。
(今のはコレとコレ。もう一人は一日中ぼ―――――っと。それこそ何もしないで、ひたすら公園の芝生に寝そべってましたにゃ)
誇張された肉球の指が示したのは『初売り』と『イカお』。こいつらの態度は論外と言えます。残る『菜食主義』のほうも、被援護者という立場を考えれば許されるものではありません。ぴいさんのリアルは主婦ですから、上手いこと時間を遣り繰りして監視を続けてくれたのでしょう。
(三人目が『それ』だという根拠は……?)
(誰も落ちるとこを見てないです。悪いことは何もしないケド、未成年エリアに居座り続けてるトカ)
(ニートの線もあるでしょう。年金暮らしの高齢者かも)
(どっちにしろアウトです。制限エリアに居座るにゃんて。アスルタン防犯協会改めエルドラド防犯協会としては、これ以上黙って見てられないのですにゃ)
何故未成年エリアなのか、理由は知らないとのこと。いずれにせよ、どうすることもできません。証拠がないうえリアル情報とリンクしていないのでは。
感情的な理由でした。処断するのは飽くまでリアル――やるなら完全に息の根を止める。仕事に関わる煩わしい些事を、仮想世界にまで持ち込みたくありませんでした。
「…この辺にしておきましょう」
パルプ式の紙を受け取り、ぴいさんに労いの言葉を贈りました。
「ああいう連中に関わると、魂が穢れますからね」
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「…おはようございます」
「おはよう~」
テンション低い挨拶の声。そこはかとなく滲む倦怠感。ヘラルド市地域福祉部援護課では、いつもの見慣れた光景です。
福祉の充実を訴える政治家や団体の構成員などは、希望と慈愛に満ち溢れた明るい職場を想像するかもしれませんが断じて違います。無関係なはずの(それも重かったり雑だったりする)人生を否応なく背負わされ、心身の不調(主に精神)を抱えながら働く人々。
私も年々健康診断の数値が悪化し、このまま仕事を続けたらどうなるか分からなくなってきました。着任早々の一箇月で倒れたとき、最先任の先輩ケースワーカーから教えられたことはひとつ。『関係者が動くまで放置するのも手』――仕事をやらないなんて馬鹿な話があるかと怒ったものですが、今なら先輩の言うことが分かります。
誰にでも適用される諸制度を使いながら自立を目指すのが生活援護法の本来の主旨。援護を受けない普通の人々には、そもそも私達のような援助者がいません。また存在しなくても自立して生活できるように環境を変えてゆく必要があります。それからはなるべく他人事と考えるようにして(事実他人事なのですが)、あと一年は耐えられるかもしれないと思える程度に力を抜いてきたのです。
席に着くなり、私は向かいのH氏に昨日のことを訊いてみました。競馬場やパチンコ店に入り浸るケースはよくいますが、ドリームシェアはどうでしょうか。
「……グラキエル?聞いたことはあるけど、あまりゲームはしないからなぁ」
「無料なのはいいんですが、求職活動しなくなるのがですね……」
説明しました。リアルより簡単に仮想酒を飲めること。その仮想酒が、現実と変わらないほど精密に再現されていること。
「…あー。でも精神にはお似合いじゃね?贋物でお茶濁せばアル中よくなるかも」
「なるほど。Hさん多いですもんね」
「えー。精神多いのK君じゃん。こないだも勝手に絶食して死んだ奴いるし」
「アレですね。関わり拒否の扶養義務者が後で文句垂れたやつ」
「そうそう。それなら自分で面倒見ろっての。税金の世話にならないでさぁ……」
グラキエルに疑似煙草的な効果が認められるか。分かりやすく言うと、禁断症状が出たとき使うことによって体の不調を抑えられる贋物。原理を考えれば意味はあるはず、しかし今度は別の依存症を引き起こしてしまいそうな気も……
「ちょっと出てくる。駅裏にホームレスが居着いてるって通報があった」
これは再先任のWさん。安定感があるため査察指導員からの信頼も厚い。こういう変なのが出たときは、単独で初動の調査を任せられることもしばしば。
「一人で行くの?」
「とりあえず窮迫かどうかだけ見てきます。大丈夫死にそうじゃなかったら、行旅扱いで列車代だけ出して終わり。それも交番に来てもらわないと駄目だけど」
「窮迫だったら七三?やだな~」
「入院なのにBケースという。じゃ、行ってきます」
今日も平常運転。ヘラルド市福祉事務所は普段どおりでした。
八月十九日。新都『エルドラド』表通り。人混みを避けようとしていた私は、面倒なものを見つけてしまいました。
酒代をせびる酔っ払い。況してや相手は見るからに初心者。
どこの世界にも糞みたいな奴はいるもの。糞みたいなら本当の糞塗れにしてやろうか――と思ったのは一瞬。人間は死んだ後も糞を垂れる。
ああ、でモ違いマスね奴らハ人間なンテ高等ナ生キ物ジャナインデスカラ(棒読み)。是すなわち存在自体が汚物、燃やす以外に消毒の術はないわけで。往年の人気漫画で見た台詞回しが、頭の中を駆け巡ります。
しかして善良な市民を脅かす、腐臭に塗れた二匹の排泄物共は。イヤ排泄物モ肥料トシテ役立ツカラ、コノ表現ハ排泄物ニ失(以下省略)。
「初期マネーあんだろ?そいつくれや。悪ぃけど作り直してさ」
「何を言っているのだ?働けばよかろう」
「はいあいぁい、ごもっとも……いいから出せって。もう一軒行くからよぉ?」
酒臭い息を吹きかけ、堪らず被害者が顔を背ける。小柄な人物ですが、屑共に遮られてこちらからはよく見えません。
(…ああ。これがぴいさんの言っていた……)
『初売り』と『イカお』。ボイスレコーダーの声に何となく似ています。
ゴミ確定。今日の私は、虫の居所が非常に悪かった。
「『動くな。いや、お前は動けない』」
固まる不快害虫。いや、この譬えは虫達に失礼。
「おあ、なん……」
「『目標を走査解析、マナによる複製構築』」
「あ、が、げ、は……え、い」
「『目標を走査解析、マナによる複製構築』」
走査解析。複製構築。走査解析。複製構築。走査解析。複製構築。
何を?右手で柄を握り締める、滅多に使わない軍用ナイフ。
どこに?まず喉。それから悍ましい瘴気が充満する、酒に爛れた連中の臓腑へ。
こいつらには死さえ過分。元より存在すべきではなかった。
(やり過ぎじゃないの!?さすがに死んじゃうよ)
これは相棒のクレティアン。多くのマナを扱う後衛の嗜みとして、インカネイトの人格――パートナーペルソナが覚醒しています。話し相手など不要の私にとっては、また余計な機能を追加してくれたと迷惑に感じたものですが。
「構いません。汚物は消毒です」
(で、でもさ。その汚物を撒き散らしてるよ。助けたほうがいいんじゃ……)
「……………………」
掃除せねばならないでしょうか?…はい、そうですよね。こんなのが路上に転がっていたら、誰だって不快でしょうし。
「…やはり、汚物は消毒です。『炎よ。全てを灰燼に』」
煤煙が撒き散らされる。それでも吐瀉物よりはマシ。
次に思いついたのは、携帯式の調整槽を買うこと。そして防犯協会の手が及ぶ前に、さっさとエルドラドを離れる。安くはないのですが、金で面倒を避けられるのなら。被害者の顔も見ないで立ち去りました。苛立つ私に、誰かを気遣う余裕などありません。
「こら。助けて勝手にいなくなるとは、どういうつもりだ。私が見えないわけではないのだろう?」
「あ、いや……」
結構な距離を追ってくると、被害者は私を怒りつけました。
滑らかなアルト、ただし女性の場合。言葉遣いも然ることながら中性的な体つき、瞬時には判別つきません。顔貌の柔らかさを見つけて、私は相手が異性であると仮定しました。反射的に心の殻を厚くしてしまいます。
「私はマサキ。マサキ=アルフォードだ。生身のほうなら勝てたのだが、どうもこの身体は弱い。難儀していたのだよ。ありがとう」
「……はぁ」
助けたつもりは毛頭なく、生返事をしてしまいます。
「とはいえ、見てのとおり貧しくてな。悪いが何の礼もできない」
そのようなことは気になさらずとも結構です。とりあえず可及的速やかに解放してください。これ以上、好奇の視線に晒されたくありません。
「しばらくはここにいる。縁があったら、また会おう」
社交辞令を口にして、颯爽と走り去ったのです。
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ゴミ屑の焼却から数日。未だ私は後方に残っていました。防犯協会のブラックリストに載らなかったこともありますが、他にも気になることがあったからです。
八月二十五日、一八一四時。新都『エルドラド』青少年保護区域。
夏の日暮れは遅いため、時限式の街灯は明らかに周囲から浮いています。目抜き通りに隙間なく並びながら、やっていることは未成年インカネイト達の細長い影を消すだけ。もう少し暗くなれば異国情緒を醸し出すのに一役買うのですが、今の時点では役所へ抗議が行きそうなむず痒い光景を生み出しています。
さて、この青少年保護区域。少しばかり説明が要るかもしれません。あなたも『グラキエル』のユーザなら、聞いたことはあるでしょうか。簡単に言うと、未成年または女性のプレイヤーを性的及び暴力的な表現から守るために作られたもの。
文字列の繋がりでは不要だったのが、現実並みに複雑な進化を遂げた世界では欠かせなくなる。『グラキエル』を含むドリームシェアのタイトルでは、今から六年ほど前まで一部成人プレイヤーの未成年プレイヤーに対する搾取が問題とされていたのです。
ゆえに安全区域を設けました。『女性限定』『未成年限定』『戦闘禁止』『商行為禁止』など、いくつかのシステム外ルールが定められています。
ある街区には女性しか入れず。また別の街区には十八歳未満の未成年(高等科三学年の生徒を含む)しか入れず。更に別の街区では、誰でも入れる代わりに戦闘行為やリアルマネーに直結する商行為が禁じられていたり。鉄道における女性専用車両のイメージ。
青少年保護区域は、必ず後者の二つを内包していました。
普通に考えれば分かると思います。酒類の販売や未成年への公開が禁じられた映像・図画の類。そして未成年者による契約行為の無効等々。子供達を悪質な大人から守るため(引いてはスポンサーから得られる莫大な広告収入を守るため)、『グラキエル』においては徹底した保護観察措置が取られていたのです。
……前置きが長くなりました。
私は今、青少年保護区域にいます。武器の類は取り上げられ、代わりに暴徒鎮圧用言霊『通行止(柔軟壁仕様)』の発動体を与えられて。丸腰同然で往来の安全を見守る様は、まさしく初等科の父兄会さながら。
賢明なる諸氏は、ここで首を傾げられたものと思います。大人の私が、どうして青少年保護区域に入れるのかと。理由は先程述べました。一定の実力基準を満たすハイランカーとして、脱走を試みる青少年の『見守り』業務を任されたため。
「っらぁ!どけよオッサン!!」
「舐めてっと怪我すんぞ。訓練生だって個人差があんだからな!」
「はいはい。いい子ですから、お部屋の中に戻りまちょうねー」
頭痛を圧して潜った私は、七度目の半端な挑発を返しました。早めの夕食を済ませており、あとは寝るだけゆえ多少時間に余裕があります。
有り余る元気を迸らせているモヒカンは、恐らくリアル高等科生。生身では到底戦えない相手ですが、この仮想世界では私のほうが上です。頑強な肉体や反射神経のみならず、理解力や記憶力も直接的な力となり得るこの世界では。言霊の発動体がなくとも、私は彼らに後れを取りませんでした。何故ならソロプレイヤーの常として、敵を倒すよりも一人で大勢を無力化する偏った戦法に習熟していましたから。
「すませんタイプミス。『お部屋の中に戻りましょうねー』」
涼しい顔で謝罪します。とはいえ、かなり挑発です。生真面目な少年達が突っ込んでくれたので、私は改めて説明する手間を省くことができました。
「ざっけんな!タイピング要らねーだろ!?」
「ただの廃課金だって。こんなオッサン大したことねぇよ」
「……えい」
誤解があるようなので、とりあえず実戦用の拘束魔法を使いました。
彼らが言っているのは、スポンサー各社合同開催・月例籤引き大会のことでしょう。リアルマネーの課金額に応じて、高品質装備の当たる籤を引くことができます。未成年も禁じられてはいませんが、所謂『大人買い』ができないことで得られる成果の差は歴然です。
装甲の違いは否めません。しかしどんなに優れた装備でも、使い方が悪ければないのと同じ。また保護区域へ入る前、攻撃的なものは全部取り上げられている。そしてここグラキエルでは、リアルマネーと引き換えに習得できる術式などありませんでした。
「大人は忙しいですからね。地道に稼げる人ばかりじゃないんですよ」
受験勉強はしたほうですが、それでも今よりは時間がありました。病院通いや大人ならではの用向きがない分だけ。力で圧倒されるのは精神衛生によくない。中二病っぽいのさえ我慢すれば、術師タイプは棒立ちのまま大勢の敵を制圧できる。
子供を相手に大人げない?全くそのとおり。しかも今回の場合は、筋違いの意趣返しさえ含まれています。生理的なレベルで、私は脳筋や体育会系が嫌い。物心ついた頃から群れを成し、余所者は全て排除する。そういう動物的な習性を持ち合わせています。
彼らだけではありません。独力で起業した経営者などを除いて、社会的に高い身分を持っているのは大半が多数派工作に長けた者達です。世に言う厭らしい官僚体質というやつでしょうか。好意的に評されることの多い『スポーツマン(=体育会系)』との相性は抜群。求人の場において在学中はスポーツ系クラブに所属した人材が好まれるのも、群れを作りたがる上役達の感覚を肌で理解してくれるからかもしれません。
そんな口に出しづらい私怨もあり、私は疲れない範囲で彼らを打ちのめしました。
フェリック社からも後遺症を残さない程度の攻撃は認められています。今はゲーム世界の設定上『訓練生』でしかない彼らですが、十八歳を迎えれば晴れて成人。ギルドへの加入資格を得ることになります。無名の中小ギルドにとっては、若年層の憧れを勝ち取ることで新規メンバーをリクルートするための場でもありました。
「仕返しなら、いつでも……」
そう言いかけて、ふと口を噤みます。
「…やっぱりやめ。私は面倒なの嫌いですから」
だったらこんなバイトするなよ――血気盛んな坊や達の恨み節が聞こえてきそう。
交替にやってきた彼は、死屍累々の現場を見て苦笑しました。ここまでやるか――そう考えているのが伝わってきます。見たところ格闘士のようでした。術師系よりは理不尽感が少なく、これからの二時間はひよこさん達も楽しめるかもしれません。
「よろしくお願いします。夏休みも終わったので、思ったより楽ですよ」
「中間テストが近いですからね。高等科は」
リアルもヴァーチャルも仕事は定時で切り上げるのが理想。貸与された発動体の引き継ぎを済ませると、私は保護区域の外れにある街区公園へと足を向けました。
私にとっては、ここからが仕事。貴重なプライヴェートの時間を削ってまでボーイスカウトの真似事をしたのは、言うまでもなく理由があります。
Near-Side-Restriction-18――通称『高等科エリア』から成人向けの自由区域に抜けるまでの道程。最後のひとり『菜食主義』は、そこで毎日昼寝をしているとか。
無意識に肩を解しつつ、木立の合間を眺めます。運動不足はリアルのほうですから、この仕種は本来理に適っておりません。それでも気分というのは不思議なもの、こうしていると本当に肩が凝っているような気がしてきます。
黄昏時の公園には、驚くほど人影がありませんでした。ここにいるのは高等科生、芝生で無邪気にボール遊びをする歳ではないでしょう。リアルの友人にばれないよう隠れて楽しむ生徒達も、まばらに見かける程度。目撃証言を得ようにも、これでは徒労に終わりそうです。左肩に手を伸ばしかけ、そろそろと右手を元の位置に戻します。
「……やめやめ」
せっかく自己欺瞞が苦手なのに、こんなところで成功させてどうするのか。年寄り臭い仕種をやめると、私は当初の目的に従って再び周囲に視線を走らせました。
途端にお取り込み中の二人と目が合い、不躾な殺人光線を浴びせられます。どうしてこんな場所に大人が。その疑問はあるにしても、謂れのない逆ギレです。公衆の面前で禁止行為を働こうとしているのは彼ら。私ではありません。
心が折れそうになりながらも、私は捜索を続けました。これは生活援護法第二十九条に基づく調査――とは言っても、傍目には未成年専門の変態。この想像はなかなか堪えるものがあります。
保護区域からの退去期限まで七分。ここから自由区域へは転移のオーブでひとっ跳び。最後の悪あがきをしようと、横柄な少女を睨み返しました。
芝生の帯に沿って遊歩道を歩きます。西日が目に入ってきて、あまり視界はよくありません。見落としを避けるため、私は減光の術を使いました。有体に言えば他人には見えないサングラスを作る感じ。色調が変わらない上、戦いの邪魔もしない優れもの。これを現実世界で売れたら大儲けできるでしょう。
☆★☆★☆★☆★☆
「……いた」
思わず呟き、慌てて息を殺します。
それは唐突に現れました。ぴいさんから聞いたとおり、身ひとつで芝生の上に寝転がっています。こちらに気づいていないのか、まるで猫のような気楽さです。
外見的には珍しくもない成人男性インカネイト。驚いたことに、規則的な寝息を洩らしています。プレイヤーは眠ればログアウトするし、残されたインカネイトもパートナーペルソナが発動して調整槽へ戻ろうとするのが普通。
覚醒していなくとも同じ。例外はあり得ません。そういう『グラキエル』の仕様です。だとすれば巧妙な狸寝入りということになりますが……?
「…あなたが菜食主義か?」
っ、と。先を越されました。私が踏み出すより早く、声をかけた人物がいます。
何とアルフォード氏。初心者であるはずの彼女が、どうやってここに?見たところ装備は変わっていません。酔っ払いに手間取る実力では運営に認められるはずもなく。
話しかけられた男は、半眼を開くと胡乱な態度で睨みつけました。
「……あ?何だお前。昼寝の邪魔すんじゃねぇよ……」
夕方ですが。いずれにしても、かなり柄が悪い。
「菜食主義はあなたか、と訊いている。マサキ=アルフォードという名に覚えはないか」
「ねーな。いいから、どっか行けよ。俺はまだ眠いんだ」
背中を向けるように寝返り。風が涼しくなってきたのに、何度目か分からない眠りを貪ろうとします。話しかけるのも忘れ、木陰に隠れていました。
「本当に覚えはないのか。マサキという名に?」
「あるわけねーだろ。俺とお前は初対面だ。ここは全員偽名だから、聞いたことがなけりゃ知るわけ……」
菜食主義の言葉が唐突に切れました。そして何かを小声で呟く。
「知っているのか?そうなのだな!」
傍目にも分かるほど我を失って摑みかかります。
「おわ、なん……」
「やっと見つけた。あなたは、私の」
「知らねェって言ってるだろ!?」
アルフォード氏の胸を蹴り、その反動で立ち上がる。しかし彼女も諦めません。どうにかリバランス、鍛錬不充分な脚の負担に歯を食い縛りながら追い縋ります。
事情はともあれ、私の目には修羅場と移りました。とはいえ、不実な男の元に捨てられた女が押し掛けたのではないようです。
無駄にケースワーカー・アイ発動。独断と偏見に基づく勝手な生活歴分析。
その一。菜食主義とアルフォード氏の間に直接の面識はない。しかし何らかの形で互いの存在を知っている。それは菜食主義の慌てようからも明らか。
その二。アルフォード氏は菜食主義に悪感情を持っていない。最初に話しかけたときから、一貫して「あなた」という呼称を用いている。声音も全体的に明るい。
その三。一方の菜食主義は……嫌いというより迷惑そう。全く無関係ではないが、そういうことにして縁を切りたい。蒸発した元奥さんの連れ子を、新しい同棲相手のアパートへ置き去りにして自分も雲隠れしようとしているような……?
(…そういえば十七くらいに見えるかな。プレイヤーのほうは分からないけど)
見た目で年齢を読むのは苦手です。気遣いとか忘れないようにとか間違えないようにとか。その手のこと全部。普段は煩い相棒ですが、こういうときは頼りになります。
未成年インカネイトならNSR18にいるのも納得。ただ、さすがにこの口調はロールプレイでしょう。古風な物言いが大仰で……いや中二病を自認する私にとっては悪くないのですが。こうなると中のヒトが本当に女性なのかも判りません。
すなわち目前の修羅場が、アレの可能性も出てきたわけで。
何かもう、どうでもよくなってきました。せめて休みのときは、そういうグダグダな世界観と関わりたくないのですが……
「メールをくれたではないか。私が分からないのか!」
ここで新情報。SNS上では面識がある?少なくとも親しい間柄だった?
「だから知らねえって。そいつは俺だが、俺じゃねえ。俺に憑いてやがった奴の」
「つまり知っているのだな?教えてくれ!一度でもいい。できることなら直接」
「…ぁあもうウゼぇ!知らねえって言ってんだろ!」
男の右手が高速で文字列を描く。内容は見えませんが、術式習得の余録アビリティ『マナ感知』にかかりました。周囲のマナが急速に集められています。
(!?…ねえデク、アレってちょっとヤバいんじゃ……?)
(ええ。まあ、多分)
恐らく菜食主義は強い。よくできたNPCかと思うレベル。
被掩護ケースという疑惑は、すっかり消えていました。あれほどの戦力を調えられる人物が、無職ではあってもリアル寄生とは考えにくい。
それはそうと、保護区域からの退去期限が迫っていました。
(助けなくていいの?)
(先に絡んだのはアルフォード氏ですから)
(話をしただけだよ。あんなに怒らなくたって……どうせ面倒臭いとか思ったんでしょ)
当たり。この手の話は、もう仕事だけで沢山。
(それとも強ければ見逃すの?あいつだって他の二人と同じなのに)
(違いますよ。多分リアル寄生ではありません)
癇に障りました。
さりとて挑発に乗せられるのは、なおのこと嫌い。
斯くもくだらぬシステムを、何故フェリックは導入したのか。窮屈な実社会を脱してグラキエルへ来たはずなのに。自分とは異なる価値基準で横槍を入れられる。これを余計なお世話と呼ばずして何と云う。
答えは読めています。大多数のヒトは他者との関わりを求めているから。当たり障りのないことしかしないゆえ、パートナーペルソナと対立することもない。
だが私にとっては邪魔。無駄にストレスを溜めるだけ。
黙らせる方法はないのでしょうか。この煩わしい人工知能めを。
あるいは……そろそろ潮時なのかも。前衛クラスに変わるつもりはない。となると、このままグラキエルを辞めるか。世界は非力な者に過酷だ。
他人の言葉など、ラーメンを評価するのにカレーの指標を持ってくるも同じ。
「待ってくれ。私の話を……!」
☆★☆★☆★☆★☆
ベッドで目を閉じたまま、暫し惰眠を貪ります。
傍らに杖。これなくして外へ出かけることはできません。
雪国出身として恥ずべきながら、凍結路面で滑ったため。上手く転べば後遺症はなかったのに、左脚で全体重を支えてしまった。
その結果は、原因不明の激痛。腿から膝下にかけて半ば不随意のマシュマロ状態。今では走り方や普通の歩き方さえ忘却の彼方。正確に言えばグラキエルのお蔭で憶えているのでしょうが。痛みを恐れるあまり思うように動いてくれません。
トイレへ行くため、立ち上がることに決めました。
まず左脚を固定し、右足で左足を支えながら右回転。右肘を突いて横向きのまま起き上がります。それから今度は左膝の裏に両手を添えて床へ。左脚を曲げないよう再び右回転しつつベッドに右手を突き、右脚だけを頼りに全身を持ち上げる。
ここまで三十秒。昔の自分はどうだった?そう考える余裕さえも。
構いません。もはや無意味なことですから。整形外科医に見放され、今後とも快癒の見込みがない私には。
同僚KさんとHさんの助言により杖を使うようになってから、多少なりとよくなる兆しが現れました。一生走れなくとも、普通の速さで歩ければ。杖の助けを借りて、一見それらしい歩き方ができるなら……
元軍人ながらインドア派の私は、戦う自分に早々と見切りをつけました。今後は頭のみ使う。だから頑健な肉体は必要ない――走るヒトがテレビに映っただけで、息苦しくなる程度の壮大な決意でしたが。
部屋に戻り。AR表示の仮想ブラウザを起動。本業の物書きに取りかかります。
役人は私の副業。誤解が多いと思われるので、あえて説明しました。
創作は主にファンタジー。軍記物から日常まで、幅広く取り扱っています。しかし今のところ陽の目を見ず、中高生向けのレーベルで一次選考を通過したのみ。文章力はプロとして最小限クリア、世界観は独特のものがある、だが構成は稚拙。
今まで何本か出しましたが、それらは悉く無視されました。私個人の見立てでは、ほとんど出来が変わらないのに。この作品だけ多少なりとも評価された理由。それは別のところにあると考えています――単に主人公が少年少女だから。構成が分からないと言われた根拠も、途中で物語の中心が力ある大人達に変わったせいだそうで。
カタルシスより写実性を選んだ結果。
私は嘘をつけなかったのです。神だ魔法だと吹くことはあっても。無情にして無常であること。歴史の偶然と必然が織り成す綾だけは。
生物種として変わらない限り、ヒトの世界は変わらない。どのような理屈をつけようと、根底に流れるものは先天的な何か。経験と観察を基に紡いでゆくと、大抵は卑俗でつまらないものになります。物語の主人公は、この傾向が尚更顕著に表れてしまう。そして残念なことに、世の大半は現代社会を舞台にした職業系か恋愛系を好む。
一部の本格的な作品を除き、登場人物の行動論理が概ね極端なのだ。
すなわち広く求められる娯楽作品とは、現在という時代の空気から踏み出さず、さながらヒトの本質に関しては大嘘をついたものではあるまいか……?
私が作りたいもの、作ってしまうものの真逆である。しかし。
感性の隔たりが大きすぎるため、偽りに見えるのだとしたら。他の人達からすれば嘘をついているのは私のほう。
今は昔。赤い髪の女と喋る熊がいた。
二人は仲がよく、いつも喧嘩ばかり。熊は女の術を敬い、女は熊の智慧を頼った。
共に多くを愉しみ、泣き、笑った。危ない橋を渡ることさえ。
それでも女は、一番幸せな時を過ごした。
数年後。熊は故郷へ戻らねばならなくなった。
それは雪深い山脈の向こう。氷の季節には白い闇で覆われる。
女は悲しみ、やがて決めた。自分が彼の元へ会いにゆこう、と。
精霊の友なれば、多少の危険は乗り越えられるはず。されど生身の人間が生きて帰れる保証はなく。意を決して入った山の中、女は道に迷った。
「…この愚か者が」
熊が見つけたとき、女は飢えかけていた。熊もまた無事ではない。寒さの中を歩き回り、分厚い毛皮の下は凍えそうになっていた。
互いの姿を見て、女と熊は云った。
「あんた、あたしを喰え。そうすれば、あんただけは死なずに済む」
「お前、俺を喰え。そうすれば、お前だけは死なずに済む」
次の瞬間、女が怒った。
「あんたの肉なんか、不味くて食えたもんじゃないよ。それにあたしは育ちがいいから、生肉が口に合わないのさ」
熊も大きな声で怒鳴った。
「お前の肉などで足りるか。俺は一度に五人以上喰いたいのだ」
一月過ぎ。吹雪が収まると、女は一人で山を下りてきた。
それから女は、決して肉を口にしなくなったという……
保存終了。念のため再展開し、そこに今書いたものがあることを確かめる。
文庫七ページ相当、さすがに頭が回らなくなってきました。
食事と入浴を済ませ、もうひと仕事。三ページも進み、再び疲れてしまう。
仮眠から目覚めると、あれから二時間が経過している。
暇が取れるときは、このように食事や睡眠、入浴を挟んで効率よく回す。深夜だろうとお構いなし、およそ八時間から十時間の労働。結果さえ出るなら、夢のような暮らし。
結果さえ出るなら。
あと五年しか生きられなければ、失敗しても死を待てるのに。
金のない者にとって、都会は砂漠と同じ。惨めな蛇足の人生が待っている。
恐るべき蓋然性の高さ。所詮、奇は小説の中にしか存在しないのだ。
出勤途中、私はよく空を仰ぎます。
現実を見たくないから。下卑た社会とは何も関係がないから。
その意味では、あの場所も同じ。無人の荒野に出れば、在るのは世界と私だけ。
仮想デスクトップから異界の門を召喚します。
週末で疲れている。明日は通院だから、早めに休まなければ。しかし。
「新都エルドラド、インカネイト名『クレティアン』」
右下の時刻は、二三四七を示していました。
「お前は……」
日付が変わる直前。NSR18と十八禁エリアの境を通りかかったとき。
「お前だ。そう……まだ名前を聞いていなかったな。お前は何と云うのだ?」
あの女性だ。自分だけ名乗り、こちらの名前を訊かなかったヒト。
『通行止』の発動体で武装したアルバイトが言う。あと少し待て、時間になったら通すからと。向こうは未成年、こちらは大人。そんな『時間』が来るとは思えず、何が『あと少し』なのか。いずれにせよ、三人がかりとは尋常ではありません。
「まさか忘れたわけではあるまいな?」
涼しげな瞳が細められる。憶えていた、というか日没前に見かけたばかり。あれほど大量のマナを浴びて、まだ生きていること自体が驚き。
一つ前のver.3.0から、死んだインカネイトは蘇らないことになりました。今すぐ落ちたいなどの理由による、安易な自殺が横行したため。ドリームシェアは商業的な過渡期にあり、教育界や警察及び司法、マスコミ対策の正念場を迎えていました。
「いや。憶えています。マサキ=アルフォードさんでしたよね」
私の言葉を聞いて、アルフォード氏は眉間に皺を寄せました。御要望どおり憶えていることを証明しただけなのですが。リアルの私は、この手の扱いに慣れています。呼ばれて気持ち悪いのなら、最初から名前を教えなければよかったのに。
時計台の長針が、また短針と重なるまで六十分の一の時を刻む。
件の女性。軽く腕組みをして、大きな溜息を洩らしつつ。
「…気に入らないな。こちらの人間は、皆そういう言い方をする。私は感謝しているのに、あえて距離を置こうと。信用できないからか?」
今度は噛みついてきました。仕事柄、クレーマーの相手は慣れております。
「いえ別に、そういうわけでは……」
「ならば、そこで捕まるのを待て。私は今、とても怒っている」
そんな無茶な。思わず癖で、星座の違う夜空を見上げます。
このとき初めて、周囲の盛り上がりに気がつきました。真夏であることを差し引いても、異様な熱気。週末の深夜とはいえ、心なしか人出が多い。
「ですから……待てと言われましても。そちらはここに来られないでしょう。未成年エリアにいる以上、アルフォードさんは未成年なのですよね?」
「……違う。便宜上、そうしただけだ……言っておくが、逃げても無駄だぞ。足の速さには自信がある。生身ほどではないが、こちらの肉体にも慣れた。お前のような末生りなど、あっという間に捕まえてみせよう」
「喧嘩を売られているわけでは……」
「ない。私はお前に感謝している」
間の抜けた問答は、折から始まったカウントダウンに掻き消されました。五、四、三、二と順調に数を減らす。それから余分に間を置き、一で群衆の期待は最高潮に達し。
「「「「ゼロ!」」」」
同時に四方八方から、空へ向けて花火が上がりました。
止め置かれていた少年少女達も、争って境界線を飛び越えこちら側へ。そして色取り取りの街燈を見上げる暇もなく、連れ立って雑踏の中へと消えてゆきます。
私は逃げるのも忘れて、茫然と立ち尽くしていました。細い指先が肩に触れ、彷徨う私の視線を待たずに慌ただしく離れる。
「…逃げなかった、な。それはそれで、つまらないが」
彼女は見抜いたでしょうか。誰であれ他人を忌避する、病的な私の性質を。
「怒っていると言ってもな、別に謝ってほしいわけじゃないんだ」
無論です。それこそ意味が分かりません。
「マサキと呼んでくれ。姓で呼ばれるのは慣れていない」
「こちらも名前で呼ぶのは慣れていないのですが?」
断固拒否しました。幼稚園や初等科の低学年以来、そのようなことはなかったため。
それとは別に気づいたことも。これを訊くべきかどうか。
彼女――マサキ氏は、アルフォードという名を姓と呼んだ。つまりマサキ=アルフォードというのは、もしかすると本名ではないのか。だとしたら非常識も甚だしい。よくぞ今までリアル側に被害なく過ごせたもの。
「ところで、お前の名は?まだ聞いていなかったな」
さすがに観念させられました。
「deku3fです。インカネイト名はクレティアンと申します。それでは……」
「待て。まだ用事は終わっていないぞ」
途端に腕を摑まれます。先程は触れるだけだったのが、今度は思いきり力強く。
訝る私に、マサキ氏は満面の笑みを浮かべました。
「先日の礼をしたい。付き合ってくれるな?」
☆★☆★☆★☆★☆
「あの……すみません。どこ行くんですか?」
女性の背中に呼びかけながら、私は急ぎ足で追いました。
「この辺に、よさそうな店があると聞いたのだ。先日の礼をすると言ったろう?」
「…いや。ですから私は、そういうのがあまり」
不案内に見えても、驚くほど器用に迫りくる人の波を躱します。地方に生まれ育った私は、この道行きだけで満腹になってしまいました。
「…それにしても多いですね。今日は何かイベントの日でしたっけ?」
「さあな?この街のことは、私よりお前のほうが詳しかろう」
無駄口を叩くな。そう言われたような気がして黙ります。
集団で踊る猫被りインカネイトの群れ(文字どおり全身着ぐるみだ)を眺めやりながら、こっそり公式サイトを立ち上げました。運営からのお知らせがあれば、ここで見ることができます。その情報によると……
《今日は月に一度の開放日、夏祭りイベントの開催でぇ~す。よい子のみんなも、オトナの街を楽しんじゃってくださいね!》
……オトナって。今更そんな黴の生えた言い回し……
「そういうことだ。せっかくだから礼も兼ねて楽しもうと思ってな?」
わくわくと瞳を輝かせて。移り気な相棒殿も、さすがに呆れるしかなく。
(……発想が子供だよね。マサキちゃんってさ)
(どうでしょう。ただの飲人かもしれませんよ)
面倒な相手に捕まったもの。思わず癖で、凝ってもいない右肩を解しました。
『エルドラド』の自由区域は、いつもながら猥雑な活気に満ちています。
一番多いのが商人プレイヤー。前線の掘り出し物や職人プレイヤーの生産物を買い取り、差額で儲けて資金の足しにする者。彼らは中堅冒険者でもあり、装備を充実させて自ら開拓に向かいます。そして運営会社の衛兵、試供品目当ての俄か、そのモニタリングをするスポンサーのマーケティング担当者達。季節限定のイベントが起こると、未成年者にも開放されてシニカルな大人の街が瑞々しい華やかさに彩られます。
常在の『住民』ばかりではありません。新規開拓した土地の権利を登記する『聖堂』が他にはないため、古参の冒険者達も時々ここを訪れます。
人種構成は現実以上に多彩で、少数種族のエルフやホビットに獣人族。果ては実在しないとされるリザードマンやオアンネス、出展不明の『グレイ』なる異世界人までいたりします。趣味の仮装や特殊メイクまで含めれば、一体幾つの非公式種族が存在しているのか。その総数を把握することは運営会社にも不可能でしょう。
「ああ、ここだ……何か食べるものを。酒は後から頼む」
その一角に、私達はやってきました。広場に面した開放的な造りのビアガーデン。
普段酒を飲まない私としては、他の知り合いに見つかって連行されるのではないかと恐れること頻り。それほどここは人目につきました。贋物の酒で本物の苦しみを紛らわせようとする、せこいのか賢いのか分からない飲人達の擬装が施されているにしても。
「お茶で結構です。それと未成年は一応やめておいたほうが」
「本当は二十歳だ。十六のときから、いつもルーク小父にこっそり林檎酒を分けてもらっている……どうした、急に頭を抱えて。どこか痛むところでもあるのか」
「胃が少々……それと若干、胸焼けも」
「場所が違うだろう。飲み過ぎたバルザ様は、いつも腹を押さえているぞ」
リアル情報を臆面もなく次々と。
不似合いでも何でも、さすがにこれは放っておけません。
「……あのですね。アルフォードさん。念のため確認いたしますが……」
「ん?何でも答えるぞ。別に隠すことはないからな」
「いや、隠してください。下手をすると命に関わりますから」
私の悪い予想は、残念ながら的中してしまいました。
「……本名だが。何か問題でもあるのか?」
「ありますよ。例えば私が燃やしたような。ああいうのに付き纏われたら、切りがないでしょう」
小父さんにバルザ様とやら、それと肝心の親御さんは。娘に一体どのような躾をしている。碌でもない環境で育ったはずが、素直に感じられるのも解せません。
「名前を考えればいいのだな。ここでだけ使う、仮初めの名前を」
しばし沈黙。やがて間もなく視線を上げた。
「林檎酒だ。私は、甘いやつが大好きだからな」
「…せめて林檎にしましょう。一応ヒトの名前にも聞こえますし」
「そうか?なら、そうする。私は林檎だ」
マサキ=アルフォード氏改め、VRネーム林檎さん。
折角なのでレクチャーしておきました。濫りに家族や友人の名を喋らないこと。そこから足がついて、リアルの誰かに迷惑をかけるかもしれないこと。
「心配は要らないと思う。皆私より強いし、あの機械とは無縁の場所にいる」
「個人情報を撒かれれば、害はあると思いますが……?」
「多分、ない。元々有名だし、楯突く命知らずもいないだろう」
物騒な言葉が並びました。彼女の家族はマフィアか何かでしょうか。
「詳しい説明は省くが、ここへは父様を捜すために来た。よって必要なときは、本当の名前を出すしかない。相手の目星も最初からついている……はず、だったのだが」
ここから先は物陰から眺めていたことの確認。菜食主義のプレイヤーは自分が父親だと認めず、相手が諦めないとみて実力に訴えようとしたらしい。
あわや殺されるというとき、突然菜食主義が咳き込んだ。芝生に黒いものを撒き散らしながら。最終的には逃げたため、表通りで会ったときと同じインカネイトのまま。
殺さず立ち去った理由は不明。かなり苦しそうに見えたという。
これから当てはあるのですか――職業柄、出そうになった言葉を呑み込む。安易にリアル事情を話すなと忠告したはずが、結局のところ一部始終を聞かされ。
かける言葉もありません。そして何となく分かります。彼女の父親はゲーマーに戻ってしまった。それも他人のことなど顧みない、身勝手極まる廃人に。
「…父様。今頃どこで何してるのかな……」
星を数える横顔は、見た目どおりの幼気な少女と映ったのでした。
☆★☆★☆★☆★☆
三十分後。私と林檎さんは、河岸を変えて飲みなおしていました。
酒は入っておりません。慣用的な表現です。理由は……自分でも何故なのか。
舟を漕いでいるうちに、ぴいさんからの遠話が届きました。
(あ、デクさん。今どこです?)
(エルドラド18禁、アサクラ通り七番街ビアガーデン『ホワイトチェリー』……)
疲れた気分を遠話だけで伝えます。
周囲には中の人が若いだろうインカネイトばかり。中年に片足を突っ込んだへヴィユーザと少女の二人連れは、当人達が思っている以上に目立ちます。深夜組は別の場所にいるようで、今のところ大した被害を受けずに済んでいるのですが……
(とりあえず用件だけ伝えますね。菜食主義は被掩護ケースじゃないですよ)
直通回線の向こうから、ぴいさんの驚く気配が伝わってきます。
(…どうしてそう思ったですか?信用できる筋からの情報でしたにょに)
(プロを使いましたね?あれほど深入りはしないでくださいと言ったのに)
顔が見えない沈黙は緊張感があります。問い詰められる側にすれば、いつも以上の不安を覚えること必至。無論、それが私の狙い。どうなんですか、のひと言を我慢して十七秒。ぴいさんは無言の圧力に屈したのでした。
(……だってぇ~。私もタダ飯喰らいは許せなかったしぃ)
ごもっとも。それは健全な感覚です。
(善良な一市民として、取り締まりに協力するのは当たり前じゃにゃいですかぁ~?)
いいえ。それは警察と役所の仕事です。情報提供はありがたいですけれども。そのために危険を冒されたのでは、逆に仕事が増えてしまうかもしれません。
(…で。幾らで雇ったんですか?プロのリアル割り職人を)
(……うぅぅ……)
(通貨ですか。装備ですか。それとも他の情報?ぴいさんだけに一番あり得ますね)
元より原因は私の仕事。どれだけ時間がかかろうとも返してゆくべき。
(……ももちゃんに借りました。てへ☆)
かける言葉もありません。林檎さんとは全く違う意味で。
ももさんというのは、私とぴいさん共通の知人。南部の臨海都市に住む主婦で、今は不動産業の事務職をしているとか。
腕の立つ実力派プレイヤーですが、あまり戦いは好まないらしく。土地や財宝を目当てに最前線まで赴くことは滅多にないと聞かされています。
(ここまで嚙んじゃったら、もう逃げようがないですょ☆)
だから仲間に入れろ。そういうことでしょうか。
頭痛がしてきました。他業種の皆さんが思うように、福祉とは親切にすれば事足りる仕事ではありません。それに何から逃げるというのでしょう。まさか民族系ギルドとのいざこざでも?抜き差しならない状況まで追い詰められているとしたら。
(……駄目です。この件からは手を引いてくだ)
(…おやや?噂のナマケモノを見に来たら、可愛い女の子が座ってるですょ?)
街路樹の陰から猫耳がぴょいと現れます。思わず飲んでいた烏龍茶を吹きかけました。噎せる私の醜態を、呆気に取られた様子の林檎さんが見つめます。
「大丈夫か?」
「い、いや……御心配なく……」
(どうして来てるんですか!駄目だって言ったでしょう)
音声と念話の二つで同時に意思を飛ばします。林檎さんは何事もなかったように食事へ戻りました。私を一過性の食道炎に陥れた犯人は、こちらも平和な涼しい顔で後ろの丸テーブルを陣取りました。
「お姉さんっ!私にも生ビール!」
仲間に入れろと言った傍から――最初はそう思いましたが、やがて私は幾つかのことに気がつきました。いつもの一人称『ぴい』や『にゃんにゃん語』を使わなかったのです。これらを衒いなく言うことができるのは、仮想世界広しといえどもぴいさんくらい。アップデートされたばかりで今は獣人族が溢れかえっていますから、少しは個人の特定を避けやすくなるかもしれません。
それにしても限度はあると思いますが。あれよあれよという間に、ぴいさんは中ジョッキ七杯を平らげてしまいました。
「今いるみんなに二杯ずつ~。飲んで飲んで。今日は私の奢りだょ☆」
どこからともなく湧いて出た給仕妖精によって、全ての席に中ジョッキが二杯ずつ並べられました。沸々と泡を立てる黄金色の液体が私達の前にも。顔を顰める私とは対照的に、林檎さんは卓上の魔物を興味津々見つめています。
「……もしかして、一度も見たことが」
「ない。これはどういうものなのだ?果実酒や蒸留酒とは違うのか」
「愉しくなるですょ~!って、未成年は飲んじゃダメ……あ」
無言で倒れました。間もなく留守番システムが起動。しかし酔いが回っているため、今すぐ歩いて調整槽へ戻ることはできません。送り届けようにも場所を知らず。私達にできることと言えば……安全な宿を取り、酒が抜けるまで休ませることだけ。
「…寝ちゃった。コレ、どうしたらいいと思います?」
「お店のヒトには……頼めないでしょうね。こちらが未成年保護規約に引っ掛かります」
「………デスヨネー」
やらかしてしまった感じ。さすがのぴいさんも、未成年インカネイトを酔い潰した経験はないらしく。
「…とりあえず、転がしとくです。後のことは後から考えましょう」
死体の山ができていました。災害時の安置場所よろしく、しかし俯せに並べられます。下の露が逆流、窒息するのを防ぐためだとか。
仕事の話をしますと、深酒から車道で寝転がるケースも珍しくありません。轢かれてしまえと思いますが、轢いたヒトが可哀想なので仕方なく対処しています。
期せず加害者にされた側としては、人生を棒に振らされる罠が張られているようなもの。見知らぬ他人を命懸けで陥れるなど、まさに陰湿の極み。幸い私の担当ケースにはいませんが。本当に迷惑で糞みたいな奴ら。
また仕事のことを考え、鬱に陥りました。自分のすぐ後ろへ、もっと恐ろしい悪魔が忍び寄っているとも知らずに……
「そこのお兄ーぃさん♪私の酒が飲めないのかなぁ?」
笑顔のぴいさんが、新しいジョッキを片手に私の首根っこを摑んでいました。
獣人族変身キットは、ただの衣装ではありません。着用者のマナ耐性を若干下げる代わり、筋力と敏捷性を飛躍的に高める効果を持っているのです。
「いいえ。私はおぢさんです。だから……」
「逃げるの禁止☆まだまだいっぱいありますからねぇ~?」
よい子は真似をしてはいけません。それだけは言っておくとしましょう。
☆★☆★☆★☆★☆
「……うぇ」
潰された蛙のような。いえ潰れた生き物は声を出しません。何となくそんな気がするだけ、知的生命体の想像力豊かな感性の賜物です。
「ぅぷ……」
生来知らなかったレベルの嘔吐感は、間もなく消え去りました。リアルに再現されてはいますが、元々現実のものではありません。多少尾を引くことがあっても、インカネイトの肉体的な感覚は現実世界へ戻ったら消滅してしまうのです。
「パスタかスイーツでも喰ったほうがマシだ……」
炭水化物と動物性脂肪の塊。過剰摂取したときの健康被害は、ビールに含まれるプリン体と大差ありません。『ドリームシェア』の登場は、ストレス過食との戦いを終焉に導きました。不摂生に相当する部分の食欲を仮想世界内で発散すればよいからです。
かといってインカネイトが肥えすぎることもありません。運営が定めた範囲内のスタイルを指定すれば、留守番AIがログアウトしている間に体型を整えてくれます。抜群と言えるレベルのオート指定はできませんので、そこまで望むプレイヤーには現実よりマシな程度の厳しい自己管理を求められましたが。
ペットボトルの紅茶を空けると少し落ち着きました。ぼんやり天井を眺めながら、ログイン前のことを思い出そうと記憶の糸を手繰ります。
ノート型端末からアラーム。私書箱にメールが届いたお知らせです。差出人はぴいさん。そこにはこんなことが書かれてありました。
From:debup To:lt-03f 0419/08/26 09:13
Sub:お疲れ様でしたぁ
二日酔いがひどいから、今日はログインしないほうがいいですょ。面白いことが分かりましたにょで、また明日連絡しますね☆
処理速度が上がらない頭で、文面の主旨を吟味します。お湯を沸かしてインスタント食品の準備をしていると、少しずつ理解が浸み込んできました。
(……面白いこと……?)
状況的に考えて、それは額面どおりの意味ではないでしょう。割と異常な事態ですが、急ぐ必要はなし。言葉の裏まで考えれば、どこぞの大ギルドによる抗争の嵐が吹き荒れているから来るな。そういう意味にも取れなくはありません。
私の仮想世界での記憶は唐突に終わっています。意識を失って五分経つと、自動的にログアウトさせられる仕組み。幸い今日は週休日です。あの乱痴気騒ぎで何があったのか、それを突き止める時間は充分にあります。
そうと決まれば善は急げ。リゾットを塩辛いスープで流し込み、排泄を済ませ、『ドリームシェア』の筐体に横たわります。
手遅れになったことはありませんが、そこは多分に精神的な問題。ログアウトした直後にトイレへ駆け込むのは、かなり情けない気分にさせられます。時間停止現象を逆手に取った設計で、ログイン中に事故が起きる可能性はゼロとの話でしたが。
「ユーザ名lt-03f、パスワード07844870deku3f。インカネイト名『アルフィム』」
肉体の感覚が消え、遅れて周囲の景色も変わります。コミュニケーション用のフィールドをショートカットし、一気に仮想世界へ飛び込みました。
毎日来ているような準廃人プレイヤーでもなければ、やめたほうがよい愚行です。三半規管が敏感なほうで、私も最初の頃は別の意味で酔いました。現実世界同様、あの浮遊感だけは何度繰り返しても好きになれません。
地方の無人駅にある待合室ほどしかない空間で覚醒すると、久々に扱う亜人種型インカネイトの身体と貧弱な装備に視線を落としました。
古参プレイヤーの中には、こういう『2ndキャラ』を持っている人が結構います。名前に由来はありません。私が創作したファンタジー小説において、奮戦空しく惨めな最期を遂げる哀しい神様の名前です。
長らく使っていないため、こちらの肉体は激しく痩せていました。エルフとはそういう種族であり、主に中二病患者の学生か新社会人が好んで使います。みすぼらしい木製の扉を押し開けると、まだ人が少ないはずの目抜き通りへ向かいました。
生身の肉体同様、インカネイトの体質にも運があります。
浴びるように仮想酒を飲みたくてアカウントを取得したのに、ランダム生成されたキャラクターは下戸だった。パスタの店を開こうと思っていたら、あろうことか小麦アレルギーのインカネイトができてしまった。等々、涙を禁じ得ない話がちらほらと。そこまで決定的なミスマッチは珍しく、そう滅多にあるものではありませんが。
それとは逆にベストマッチというものも存在します。まさにぴいさんがそれでした。社交的な宴会好きのザル。容姿も思いどおりとくれば、これ以上の幸運はないでしょう。
そんな酒豪体質ゆえ、ぴいさんは今日も1stキャラでログインしているはず。遅れて参戦した友人達は、私と同じく2ndキャラで来ているものと。
グラキエルでは何人キャラクターを作ろうが無料。顔の使い分けによる虚構を楽しんでほしいという、運営会社からの余計なお世話でありました。
MMOの例に漏れず、ここも朝は過疎化します。バイトの衛兵ばかりが目立つ街路を歩いてゆくと、噴水の傍に見覚えのある女性型インカネイトが二人。何やら無声映画よろしく身振りで意思疎通をしていました。片方は激しく、片方は淡々と。傍から見ているダイレクトチャットの会話が間抜けなことを再認識してしまいます。
どちらも上級クラスの冒険者らしき外見です。使い込まれた装備には風格もあり、どこから見ても陽気で頼れる気さくなお姉さん。対してこちらは容貌重視の、いかにも初心者っぽいエルフ。静寂の余韻を楽しみながら近づいてゆくと、二人の女性インカネイトは近所の子供を見かけた母親のように優しく語りかけてきました。
「おはようございます。もしかして始めたばかりですか?」
「もしそうなら、基本のところをレクチャーしますょ。うちのギルドに入らなくてもおk。もちろん入ってくれたら嬉しいですケド」
後者の発言は言わずもがなぴいさんです。いつもと同じ三毛猫タイプの獣人族。私と同じくらいのはずですが、相変わらず年齢が読めません。軽妙かつ可愛らしい言動は、未成年の壁を突破して高等科生にすら近いものがあります。
もう一人の女性は、やや地味めの(失礼)穏やかな雰囲気を持つ戦士。二十歳そこそこに若作りしていますが、実年齢を三十代と公言しています。この仮想世界が誕生した頃に知り合い、今でも頻繁に言葉を交わす古い知人の一人でした。
「おはようございます、ももさん。もしかして今は、『桃』さんですか?」
彼女の2ndキャラの名前は、1stキャラの名前と同じ音を持つ魔法言語の名詞になっています。暮らし向きは豊かで、外国へ出張する旦那殿を尻目に、昼間から探索を愉しんでいるのだとか。1stキャラは私と変わらないハイランカーの域にあり、また珍しいことに3rdキャラまでも所有しています。
「え、ナニ?実はこの人、ももちゃんの知り合い?」
フレンド登録はしたけれども、弱すぎるせいで忘れられている。ぴいさんの視線が、そんな哀れな人を見る目になりました。当のももさんは思案顔、じ―――――っと私の顔を見つめた後で納得したように呟きました。
「…アル君じゃないですか。珍しいですね。今日はデクさんのお遣い?」
やっと思い出してくれたようです。人好きのする顔でにこりと笑います。ぴいさんの頭の上には無数の疑問符が浮かんでいました。
「え?え?どゅこと?」
「残念ながら今は『腿』です。『桃』はメインと同じ術師タイプですよ」
「そうでした。すみません」
「いいえ~」
ぴいさんを無視して会話は進みます。可哀想に思えてきたので、『腿』さんに紹介してくれるよう頼みました。ぴいさんが膨れっ面になったのは言うまでもありません。
「……何か面白くないんですケド~。私だけ仲間外れトカ」
「違うよー。知ってるのは私の他に一人でしたっけ?ね、デクさん」
「はい。別に隠していたわけではありません」
新発売の大盛り海鮮パフェを奢ることで決着しました。どんなものかは分かりません。名前からして、あまり知りたくはないですけれども。
「サブで来ているということは、昨夜あの場にももさんもいたんですね?」
「うん。ぴいちゃに呼ばれて遅れ馳せながら参戦しました」
あの場というのは、アサクラ通りにあるビアガーデンのことです。
「デクさんはもう、ダウンしてたかな。私が来て間もなく留守番に変わりましたよ」
と苦笑い。滅多に見せることのない私の醜態を思い出しているのでしょう。
「林檎さんは送り届けてくれましたか?」
「もちろんですょ。責任を持って公式シェルターに運びました☆」
「疲れてたんですかね?ひと口だけで眠るなんて。さすがに早過ぎますよ」
この話は終わり。続いてメールの件、何か面白いことが判明したと。
「分かったというより、あったの。ちょっと信じられナイかもしれにゃいケド」
そう言って『腿』さんと視線を交わします。
「でも一人で確かめたわけじゃないんですよね。というより一人では無理」
「まだ確認ちぅ。明日の朝には、はっきりするかも」
珍しく言葉を濁します。あまりにも変な話なので、確信を持てるまでは言いたくない。そんな印象を覚えました。これ以上訊ねても今は無駄ということ。
「……分かりました」
諦め半分の気持ちで溜息と共に頷きます。
二人だけではないのでしょう。菜食主義に関わってしまったのは。誰が敵なのか、そもそも敵がいるのか分かりませんが。挨拶をしてログアウトしかけた私は、もう一つ確認すべき事柄があったのを思い出しました。
「菜食主義が被掩護ケースっていう話、どこから出てきたんです?その……実力を考えると、とてもそうは思えないのですが」
林檎さん――マサキ=アルフォード氏の父親という話は伏せています。
しかし昨日NSR18で乱闘騒ぎがあったことは知られていて、この情報は二人の耳にも届いているはず。繊細な話であることは分かっていました。仕事や戦利品の取り合いなどゲーム内の事件ではなく、複雑な裏の事情があるのだと。
「そのことなんですケド……実は、ちょっと分からなくなってきて」
ばつが悪そうにしながら、ももさんに促されて再び話しはじめます。
「…菜食主義ってヒトの話、元ネタは晒し専門の掲示板だったんですょ。でも今は、どこを探しても載っていなくて……」
雇ったクラッカーによれば、二日前まで菜食主義のリアル情報が掲載されていた。投稿日時は確認済みであり、改竄された形跡もないという。
通常なら依頼完了だが、そのあたりプロは違った。実際に住所まで赴き、そういう名前の人物が存在しないことを確認。
有体に言えば、私達は踊らされた。
今回の騒動は、そのように考えればよいのでしょうか。全身の力が抜けるのを感じました。今にして思えば、無駄な努力だったのかもしれません。
「だから完璧に誤爆だったんですぅ。ごめんなさいっ!」
「曖昧な情報だったから、そのクラッカーさんも後金は受け取らないんですって。ぴいちゃんにも悪いところはあったし、今朝返してもらった額だけで充分に足りてますよ」
つまり私からももさんに支払いをする必要はないそうです。それでは気が収まらないので、今度好きな狩場でお手伝いする約束をしましたが。
「……今回の件。もしかして一番儲けたのはももさんでは?」
ぴいさんから利子を取り、私の一日奴隷使役権を獲得し。改めて考えるまでもなく、間違いない事実でした。
「あはは。そうかもしれませんね」
無為自然。天衣無縫。私の好きな言葉です。自分がその境地に辿り着けないとしても。あまり近寄らず、決してそれらを汚さないように。
「にゃにおー。今度はぴいが儲けてやるです~」
「あ、痛い痛い。ぴいちゃん爪が鋭いから……」
私は苦笑を浮かべながら、猫ぱんちと弾んだ悲鳴に背中を向けました。複雑な表情で顔を見合わせる二人に、全く気がつかなかったのです。
☆★☆★☆★☆★☆
午前の執筆を始めた頃、ももさん達はバイトを終えて戻ってきました。
お子様エリアのやつです。大人の階段を駆け上ろうとする若者の夢を、圧倒的な実力差で無碍に踏みにじってやるアレ。
主婦ゆえの気兼ねでしょう。必要な小遣いはゲーム内で稼ぐ。今回の件とは関係なく、元々二人は仮想マネー稼ぎに精を出していました。これが独身プレイヤーなら、クレジット上限額まで注ぎ込むストレス患者も珍しくありません。
これとは別に、チュートリアル・シーフなる一風変わったアルバイトも存在します。
転生したてで右も左も分からないインカネイト相手に盗みを働き、三十分ほど逃げ回った後で金品を返してやる。プレイヤー有志のエルドラド防犯協会が主催する、非公式オリエンテーションのようなものです。
自力で取り戻せたら特典もあるのですが、その中身は先輩冒険者に任されています。
初心者には手が届かない中級者向けの防具や、それらの素材集めを無償で手伝ってあげたり。なかには自ギルドの体験入団など、ありがたいのか迷惑なのか分からない代物を示してくるプレイヤーもいたりします。
ぴいさんはこちらもやっていて、旧市街を歩いていると時々にゃんにゃん語が聞こえてきます。彼女を捕まえられた新人は、今のところ一人しかいないのだそうです。
ちなみに前身のアスルタン防犯協会には、私も世話になりました。追いかけるのが面倒だったので無視したところ、市内ミッションで同額を稼ぎなおした頃に返却されました。事情を説明するシーフ役が、不満そうな顔をしていたのは言うまでもありません。
同じように退屈な男が、ももさんとぴいさんの目の前にいました。
未成年エリアを迂回して、少し離れた街の辺縁部へ。ここは逆に大人しか入れない場所。林檎さんが追いかけてくるのを嫌気したとも考えられます。
特に変わった様子はなかったとか――ほんの一点だけを除いては。
「…ももちゃんはどう思う?」
「どうって?何が」
「アレがログアウトしないって話。アニメや小説じゃあ、よく聞くけど……」
ももさんは額に手を当てて考えました。
ぴいさんの言うとおり、それは多少使い古された設定に含まれます。その場に私がいれば、同じく手の込んだ悪戯を疑ったでしょう。
「……そうだねえ」
釈然としない様子で槍の柄を傾けます。
「眠っても落ちないインカネイト。留守番モードにも変わらないし……これってやっぱり、何かのバグなのかな」
そうとしか考えられません。無抵抗の身体を放置されるなど、他のプレイヤーに比べて大きすぎる不利です。街中にもせこい小悪党は大勢いるのですから。
公園に辿り着くと、菜食主義はいつものように寝転びました。仰向けのまま空を眺めて、何するでもなく過ごしています。やることと言えば、時折懐から薬のようなものを出して飲み込むだけ。繰り返しになりますが、あとは寝てばかり。そこそこ整った容姿に憂いを含んだ表情は、悲劇的な物語の主人公に見えなくもありません。
((…これが一日中じゃなければね……))
心の声が揃います。
人気のまばらな公園には、逆鯖読みと思われる女性プレイヤーがちらほら。
ももさんやぴいさんの姿を見かけると、引き潮のように逃げてゆきました。幾つかの小波を捕らえ、尋問めいたことを始めます。捨てアカ行為は口座の個人情報と照合しなければ分からないため、内部からの摘発は不可能に等しいのですが。
「何なんですかぁ~?私、何も悪いことは」
「教えてほしいことがありまして。あなたは、あの男性と親しいですか?」
この騒ぎにもどこ吹く風の、寝転がる男を指差します。
「通報する気はにゃいですよ。ただ、ちょっとだけね」
眼鏡の女の子は、ようやく落ち着きを取り戻しました。
聞けば彼女は『ハイレベルの』菜食主義ウォッチャーということでした。休みの日には朝五時にログインし、露店のホットドッグを齧りながら観察する。トイレは公園内にありますから、それほど長い時間は目を離さずに済みます。他にも二人の仲間がいて、撮った写真などを融通しあいながら分担して監視……もとい観察を続けているのだとか。
ほんのり顔を赤らめつつ、イケメン過ぎないところがいいですよね、とウォッチャー女史は恥じらいを込めて呟きました。
「そ、そう……じゃああなたは、彼のことに詳しいんだ?」
絶句するほど引きながらも、「キモいにゃ」と言いかけたぴいさんの口を塞いでいるのはさすがです。
仲間だと思ったのか、もはや怯えの色はありません。かなり饒舌になっています。そのまま誤解するに任せ、幾つかの情報を引き出してくれました。意外というか納得というか、直接言葉を交わしたことはないのだそうです。
「協力して四十八時間耐久撮影に成功しました。私達に抜かりはありません♪」
布教用の記憶媒体を差し出されましたが、とりあえずスルー。
二日間ぶっ続けで眠らない荒行の記録か、眠ってもログアウトさせられないインカネイト。変態さんの話が真実なら、いずれにせよ奇妙なものが映っています。
「…仲間を増やそう。ぴいちゃは何人呼べる?」
「今すぐ連絡がつくのは十人くらい。一人二時間と考えて……ぴい達が動けないときも、一日弱は続けられるかにゃ」
旦那殿は外出&出張中であり、休日にもかかわらず長時間のログインが可能でした。交替の隙を埋めてもらえば、ストーカー少女達と同じことができます。
イベントは予想以上に盛り上がり、六日間も続いたのでした。
☆★☆★☆★☆★☆
「毎度、いらっしゃい」
「キムチとんこつ大盛り。餃子もお願いします」
「あいよぉ」
その日の夕方。私は新市街のラ~メン屋さんにおりました。
そういう店の名前です。何やら深いこだわりがあるのだとか。
アルフィムの姿でした。暴飲暴食をしたいときはエルフに限ります。
私の意図が読めるらしく、三十路前の女将はおばちゃん臭くにやりと笑いました。
「お客さん、サブですね。エルフで大食いする人は、大抵そう」
「分かりますか。最近ストレスが多くて……」
勝手に水を酌みながら、店主の問いに応じます。
「レベルの割に高いメニュー。普段あまり使わないから、次のときには痩せている。大体そんなところでしょ」
何人かが苦笑を浮かべます。私の他にも不届きな輩はおりました。
「女の場合は?男より見た目を気にする奴が多いじゃん」
これは他の男性客。帰ってきた答えは意外と黒いものでした。
「お喋りが主ですから、お互い誰なのか分からないと。仲間外れにするときは、わざと顔を変えるのかな……?」
「他にも思いつくよな。浮気をするときなんかさ」
二股や三股、あるいは四股五股……ヒトの欲望に限りはなく。
同じ存在が何人いるのか、分かったものではありません。
怖っ、と震えてみせると、女将は注文の品をカウンターの上に置きました。
いつもながらよい香り。駆けつけスープを一口、濃厚なコクとにんにくの刺激がじわりと鼻腔を突き抜けます。
この一杯を食べるために、昔は隣町まで車を走らせていました。今はこうして仮想世界にも開かれたので、いつでも食べに来ることができます。店の側にも遠方の客を迎えられるメリットがあり、加えて宣伝効果も少なくありません。まさに仮想世界様々です。
女将の話を信じるなら、この味は神代から続いているとのことでした。この大陸に移民する前、ヒトの先祖が神々の世界に住んでいた頃。そもそもそんな時代があったのかどうかさえ眉唾物ですが、一部の人々は今でもこの伝説を信じています。
ちなみに私は信じていません。そうだったら面白いなとは思いますが。
現在の暦年が始まったのは四百十九年前。混沌のマナで満たされた世界の各地に精錬所が建てられ、社会基盤のエネルギーとして用いられるまでに二百三十年の歳月を要しました。その直後から近代化が始まり、何度かの小競り合いはありましたが大きな戦争もなく発展。百年前には今と変わらない生活水準を手に入れました。そして精錬マナをロジカルトランスポートラインで配送する技術の確立と漏出事故の発生が五年前のこと。
世界を破滅から救ったのは、東の最果てリトラ島に住む亜人を中心とした軍勢。彼らは競うように各地を解放し、怪物と化した人間や動物達を狩りたてました。
驚くべきことに、その英雄達は今なお生きています。俗世との関わりを断ち、故郷の島でひっそりと暮らしながら。ゆえに創作めいた逸話にもかかわらず、それらが事実であることを認めない者はおりません。
とはいえ神代まで遡るとなれば話は別です。それほど美味いと称賛するに吝かではありませんが。神代はおろか紀元前のことでさえ記録がほとんどないのです。
例外と言えるのは、太古の昔から大陸北部を治め続ける国エルニア。南部諸都市の解放が終わり、大陸中東部にある紅水晶の平原まで辿り着いたとき。ちょうど彼らもやってきました。全く露出のない戦闘服に身を固め、筒状の武器らしきものを向けながら。リトラ共和国の部隊に対し、こんなことを告げたと言われています。
我々は『白銀の鷹』騎士団。
この先は千年王国エルニアだ。
よって亜人種の侵入は罷りならぬ。
許可なく立ち入らば、人間であろうと容赦しない。
警告されたエルフの若者は、古風な物言いに一瞬理解が遅れたそうです。
使節の派遣も拒否されました。最初に遭遇した平原を緩衝帯とし、相互不干渉を基調とする協定に署名したのみ。
エルニア王国を名乗りましたが、果たして本当にそうだったのでしょうか。
素顔を見せなかったため、一時はヒトであることさえも疑われました。苦難を生き抜いた亡国の民が、はったりの利く看板を求めたのかもしれません。
紆余曲折を経て、原種の浄化師に限り受け入れを承認。そのとき分かったのは、エルニアの領土がほとんど浄化されていなかったこと。王都と近隣の一都市が無事なだけで、他は変異体が跳梁する廃墟と化していました。
エルニアの首脳が助けを求めなかった理由は伝わっていません。ですが素人考えにも、国を預かる立場の人間が考えることは分かります。未曽有の危機を解決できるほどの力を持った外国勢力。そんなものを相手に大人しく頼れというほうが無理な相談でしょう。
しかし彼らは、我々と同じ原種でした。そして技術は、常に低いほうへと流れます。亜人の入国を拒むエルニアが折れるのも時間の問題だったのです。
交易が進むにつれ、人々の生活水準は飛躍的に向上しました。市場に溢れる作物、次々と開発されてゆく新しい工業製品。貧困とは過去の遺物に過ぎません。
キムチに使われている白菜は、エルニア北部の寒冷地でしか採れないものです。平坦な大陸南部は暑い土地が多く、また乾いているため葉野菜の作付に適しません。細麺を安く大量に作る加工機械も然り。ミスラでは考えもしなかった技術系統が使われており、彼らの存在なくしてはあり得ないものでした。
☆★☆★☆★☆★☆
「毎度、いらっしゃい」
「…ツォンそばと半餃子」
「ビールは切らしてまして。申し訳ないです」
常連客の表情が曇りました。軽く咳払いすると、気を取り直してカウンターへ。他にも空席はあるのに、どういうわけか私の隣。店の性質上、女性の一人客は目立ちます。新聞の蔭から覗いた色の濃い横顔は、なおのこと強く私の注意を惹きつけました。
「…アレックス=イトカワさん」
「!?」
私だけに聞こえる声で、その女性は呟きました。
「単刀直入にお願いします。これ以上、菜食主義とは関わらないでください」
何を言っているのか。関わるも何も、自分は菜食主義と面識がない。
食べるのを中断して、相手の素性を推し量る。ひとつだけ言えることがあります。ぴいさんに偽のリアル情報を摑ませたのは、ほぼ間違いなく彼女だということ。
「…考えても無駄ですよ。私とあなたは会ったことがありません」
格闘タイプの軽戦士は、レオン=ユーカーと名乗りました。
空ろな涼しい声。本当にヒトなのだろうか――ビールがないと言われたときの表情を思い出し、非現実的な思考に歯止めをかける。
女将の反応を見る限り、私と接触するためだけに来たのではなさそう。つまりこのユーカーさんは、本心から餃子やラ~メンが好きなはずで。
「けろ氏のことは知ってますね」
私が書く小説の読者さん。優雅な女性キャラクターが好きで、期待に応えられているかは分かりませんが一応目を通してくれています。就職して忙しくなったのか、最近はあまり会っていませんが。
「あなたは彼女の知人。だから特定の人物と繋がりがあるかも。私の父は、そんなふうに考えています」
分からないことが二つ。
菜食主義とけろさん、二人がどこで繋がるのか。
特定の人物というのは、誰のことを指している?
「……すみません。何のことかさっぱりです」
率直に言いました。
「けろさん本人は知っていますが、その交友関係となると……」
けろさんとは、元々他のSNS上で知り合った。アカウントがグラキエルへ移行できたため、緩やかな関係が今も続いているに過ぎない。
このとき私は迷っていました。林檎さんのことをユーカーさんに相談したものか。
いずれ菜食主義は、一般的なプレイヤーではありません。六日間もログアウトせず、そのままゲーム内で眠ることができるなど。
たまたまインカネイト名が同じだけの完全な別人?単なる偶然にしても、あえて特殊性を無視する違和感は大きい。
疑問として残るのが、何よりもこの命題。
「…プレイヤーはどこへ行ったのです?」
それさえ聞ければ、極論インカネイトのことはどうでも。新しい技術に興味はありますが、教えてくださいと頼んで分かりましたという話でもないでしょう。
「もう一度警告します。心当たりがあるなら、その人物とは手を切りなさい。深入りしないほうが、身のためです」
「ツォンそばと半餃子、お待ちぃ」
☆★☆★☆★☆★☆
他の客が帰った後。
餃子を平らげた私は、伸びきった主食と向かい合っていました。
とっくにユーカーさんも。女将と世間話をしながら食べ、代金を置くと去ってゆきました。聞けば酔っ払いを叩き出したのが縁で、今のように親しくなったらしい。
「…替え玉、しますか?」
女将が訊ねました。確認しただけで、もう湯がきはじめています。せっかくの申し出、ありがたく受けることにいたしました。
茹でたばかりの麺は、淡く艶やかな輝きを放っています。
同じ麺類ながら、パスタとは似て非なるものです。表面が硬く内側は柔らかい、アルデンテと真逆の食感。ニケア人の類縁に当たる民族の文化であり、移民によって世界中へと広まりました。その逞しさたるや想像を絶しています。この大陸の何倍もある土地を、鉄道もない時代に西から東へ駆け抜けたのだとか。
(今の世界にも、殺したって死なないような連中がいるけどな……)
逞しさという意味では、この料理を発明した人々も負けてはおりません。どうやって帰るのかさえ分からない、こんなところまで来てしまったのですから。
また伸びないうちにラ~メンを掻きこみます。この美味しさは、多少健康を損ねたくらいでやめられるものではありません。
ツォン人が生み出し。
ニケア人が育て。
エレン人の一部も愛し。
時にはハン人伝統の漬物を加える一品。
大陸西部に連綿と引き継がれ、暗黒の時代でさえ改良が続けられてきたもの。
もはや奇跡としか言いようがなく。この小さ……くもない器の中では、三国の文化が親しく融合しているのです。
「……御馳走様でした」
「毎度。またよろしくっ!」
小銭を置いて店を出ます。この安さも愛される理由でしょう。
(現実も、このようにあればいい)
似合わないことを考えたのでした。
☆★☆★☆★☆★☆
再び週が明けて。いつもどおり出勤します。重い左脚を引きずりながら。
「…おはようございます」
「ん。おはよー……今聞いたんだけど、W君と査察が朝から中央病院行ってるって」
「……何です?いきなり誰か発狂でもしましたか」
掩護ケースが深夜に死のうと、遺体の引き取り手がいなければ朝まで待たせる。それが福祉事務所というもの。灰にした後なら書庫の隅にでも保管しますが、まあそれはさておき。いずれ朝駆けとは、只事ではありません。
「以前、駅の近くでホームレスが見つかったじゃない?アレが行き倒れになったって」
憶えています。何日か前のことでした。そのときは大丈夫だから、食糧は持っているからと丁重に追い返された旨をWさんに聞いたような。
結局、無理が祟って倒れた。救うべき相手は救いを求めず、卑しい連中が根こそぎ富を喰らい尽くす。全てとは申しません。されど忌むべき福祉行政の現実。
Hさん(♀)が安堵した様子で言いました。
「七三調べてみたんだけどさ。次イトカワ君の番だったね。厄介そうなやつだし、私じゃなくてよかったかも」
年齢はともかく、ケースワーカーとしての経験は私のほうが一年上。
これでまた出来の悪い親戚が一人増えた。竜の首でも獲ったが如く、やれ身元保証人になれだの法的根拠のない要求をしてくる医師の姿が目に浮かびます。
説明が遅れました。七三というのは、生活援護法七十三条に該当する『帰来先を持たない被掩護ケース』のこと。三箇月以上の入院により賃貸住宅を解約されたケースや、身元不明の行倒人がこれに当たる。
「外国人だけど、登録証は持ってなかったって」
とHさん(♂)。
「若い女性みたいなんで、俺の担当でもいいですよ」
「マジっすか?w」
「あぁ……でも、やっぱ面倒そうだから止めておきます。マサキ=アルフォードって、こっちに家族がいるとか嘘ついてたんですよね」
…………。
………………。
……………………何ですと?
「精神入ってんじゃない?そもそも外国人ってのが妄想かも」
「ただの家出とか?有り得ますね」
雑談モードの二人を余所に、私は『ふれあい』システムを起動しました。ヘラルド市の福祉畑で共通に採用している情報管理システムです。
奴らと触れ合いたくなどない、そんな使い古された本音はさておき。マサキ=アルフォードの名を入れ、全ケースの世帯情報から検索します。
該当がありました。ケース番号56382、マサキ=アルフォード。住所不定の外国人。行政区は七十三条適用。だが、まだ偶然の一致という可能性も。
「……これはまた」
年齢二十歳、〇三九九年四月二十四日生まれ。
緊急搬送先のスタッフが、持っていた旅券を見て教えたのでしょう。
不良債権と長期入院患者を何より嫌うがゆえ、とにかく掩護開始決定通知書の写しを求めた。いずれは福祉事務所を、退院勧奨の手駒として使うために。
出勤してきた隣のKさんが、耳聡く聞き咎めます。
「どうした。親愛なるケース諸氏が、巨大隕石の落下で全滅したような声を出して……あ、違うか」
「いや、それはそれで嬉しいんですけど。廃止のケース記録書くのが面倒でも、休日返上でやりますね」
「だな。それは俺も言えてる」
向かいのHさん(♂)が、更に話を混ぜ返します。
「いや、俺は泣きますよ。ハートフルCWですから」
「戯言タイム終了。顔が喜んでますって」
くっくっ、と捻くれた笑いを洩らします。
しかし私の心は晴れません。
とりあえず待つしかありませんでした。
マサキ=アルフォードを拾ったという、上司と先輩が戻るのを。
――メインフレーム配信記事『ふれらぼ』 〇四一九年九月一日更新
仮想世界こそが人の心を映す鏡ではないのか
一般家庭へのサブフレーム普及が始まってから、三十年以上が経過しました。通信、医療、金融、治安、国防、マナや水道などのライフライン――それらの全てが、今やメインフレームにより管理されています。かつては研究者の連絡手段だったものが、社会の根幹を支えている。携帯型端末の高機能化も進み、遠話回線を使う据え置き型端末のみに対応していた当時とは隔世の感があります。その良し悪しは別としても、日進月歩の技術は私達の社会に大きな影響を与えてきました。(中略)
私が特に注目しているのは、体感可能な仮想世界を実現した『マインドリンク』です。元は遊びの道具でしたが、あまりにも多種多様な可能性を秘めています。
たとえば不慮の事故で両脚を切断した障害者がいるとしましょう。つらい歩行訓練を受けて高価な義足を使えば、どうにか歩けるようになるかもしれません。しかし大地を蹴って風の中を突き進む、あの爽快感を味わうことはできない。仮想世界の中でならば、たとえ作り物の世界でも両脚を取り戻すことができるのです。リハビリや訓練としての側面を期待できるのは、言うまでもないでしょう。(中略)
『光』の面を取り上げてきましたが、無論『闇』の側面も強くあります。それは体感ゲームであるがゆえの、現実社会との酷似性です。(中略)
仮の肉体を使い捨てにした売春や擬似殺人体験。行為そのものには年齢による制限を受けますが、前者をリアルマネーのやり取りと一緒に把握するのは難しいですし、後者に至っては禁じる法制度自体が存在しません。写実的すぎる殺し合いの体験がプレイヤーの心理に何をもたらすのか。エルニア浄化隊の帰還兵を思えば明らかでしょう。(中略)
『マインドリンク』が社会に重大な変革をもたらす可能性も指摘されています。
ゲームに熱中して現実へ戻ってこない中毒患者は、昔から多く存在しました。
『寝落ち』するまでプレイを続け、夕方に目覚めたらレトルトを掻き込んで再び仮想世界へ潜る。そして十数時間後に再び寝落ち、毎日同じことの繰り返し。
ログイン中のプレイヤーは、周囲のマナ濃度を下げることにより時間の進行を遅らせています。身体保護を目的としたものですが、この間は歳を取ることがありません。
現実への帰還を最小限に留め、ほぼ全ての時間をグラキエルで過ごすなら。以前より成熟した仮想社会において、その人物は不老長寿を手に入れることになるでしょう。
ゲームで稼ぐ上級者にとり、『ドリームシェア』のマナ料金と家賃分の費用を得ることは容易い。本物の食事は数年に一度。驚くほど出費が少なくて済みます。
消費は仮想通貨が中心。あえて換金しなければ、収入がないため所得税はタダ。これまでと同じ贅沢をしながら節税が可能。
庶民にも動機はあります。不労所得を有する人々――身体機能が衰えた年金生活者達。介護の手間をなくしたうえで生活費の低減を図る。『ドリームシェア』の出現は、高齢化問題から人類を救う偉大な福音となるでしょうか。
ざっと考えただけでも、これだけのことを思いつきました。
よいことばかりではありません。戸籍の有名無実化、匿名性の蔓延、増え続ける人口、事故発生時に予想されるプレイヤーの大量餓死。
その先に待つものは、現実と仮想が主客転倒した世界。社会インフラの多くが、いずれは仮想世界内に移されることでしょう。(以下略)




