Intermezzo Childhood
記憶の喪失は、ヒトの死である。
たとえ肉体が生きていても、
それは同じ可能性を持つ新たな人格に他ならない。
(聖クラリス語録第二章より)
子供が食べている。街灯の明るさだけを頼りに。
兄弟姉妹はなく両親が共働き。どちらの祖父母とも暮らしていない。彼は少し違うが、核家族化の進む経済大国では普通のこと。
まだ手作りなら親の気配を感じられたろう。ディスプレイを眺めながら抓む。不味くはないが飽きてしまった。台所へ行って半分捨てる。
nothin:ただ
茹で汁:おか
キョンシー:おかいも
左手だけで打ち込むと、響くように短い文字列が並んだ。意味としては「ただいま」に対して「おかえり」「おかえり」。ソーシャルネットワークやオンラインゲームでは、このような略語や変形を用いることが多い。
茹で汁:戻ってきたwじゃあリダ返すね
nothin:あと二人は?
キョンシー:塩もみと話ついてる ラストはリダのセンスでよろ
茹で汁:キョン嬢の心当たりって塩もみだったのかああああ
雲行きが怪しくなってきた。裏で何があったのか。様子を見守る。
キョンシー:え?え?どしたの?何かマズい?
茹で汁:あいつ事故厨だよ 泥分けしないで持ち逃げするし
簡単に言えば、機会均等または結果平等のルールを破る者。
狩りやイベントに参加する資格もないほど弱くはないが、仲間を援護しなかったり協力して得た成果の分配を拒否する。実力が足りないのに結果を得ようとする寄生と並んで、ゲーマー達の間では評判が悪かった。
茹で汁:あいつ来るなら俺帰るね また今度
茹で汁がパーティから抜けました。
キョンシー:あう
ログアウトしたのかショートメールにも反応はなかった。
キョンシー:茹で汁氏~?
野良プレイヤーの募集も不調。そして件の塩もみは来ない。
キョンシー:ごめんね今から代役探すの無理だし解散でよろ
(……え)
こちらも離脱。入れ替わりに知らないプレイヤーが現れた。
誰かを捜しているらしいが、話しかける気は起こらなかった。ブラウザを閉じてログアウト。マウスを置き、しばし黙考する。
逡巡の後、違うアプリケーションを起動。恐らく会員専用サイトか何か――すぐにユーザIDとパスワードを求めてくる。淀みなく入力、数秒のラグを経てトップページが表示された。地味な作りで、顧客を対象にしたものではないと分かる。
少年の母親が勤める研究所のサイトだった。以前セキュリティ試験に協力した際、防壁を破れたら公式アカウントをやると言われて本当に貰った。相手は情報関連の研究者だが、実践面では少年のほうが優れていたのだろう。お互い気分転換をしたいときなどにチャットルームを訪れ、他愛無い雑談を交わしたものである。
Landy:hi
それが今では。誰からも反応はない。姉を被験者とした研究が始まって以来、このような状態が続いている。
同僚の女性が訪ねてくることもなくなった。母ユルハは、のめり込むと周りが見えなくなる。仕事から手が離せないとき、保育園へ迎えに来たり食事の世話をしてくれたもの。
もっとも姿を見せなくなった最大の理由は――小学校へ上がったことがひとつ。そして母に言われるまま、何も知らされず逃亡生活を送っていることだったが。
その同僚、セラフィナ=カスキとヴァルマ=ルースア。
大抵はセラフィナ、彼女も都合が悪ければヴァルマ。エキセントリックな母と違って穏やかなセラフィナを少年は好み、考え込む癖のあるヴァルマには懐かなかった。
その勘が当たったのかもしれない。バル――例のアカウントを貰った研究者だが、彼から最後の連絡があったとき言っていた。ルースアに気をつけろ、と。しかしセラフィナのことを訊いても、話を逸らされるばかりで何も教えてくれなかった。
Valma:I found
「え……?」
成りすましの可能性は低いと思われる。研究所のセキュリティは厳重、ヴァルマ=ルースアはリアルでIDを抜かれるほど他人に気を許さない。一体何を見つけたのか。
Landy:Whats found ?
Valma:Stay there I soon catch up with you
「……………!」
悪寒に震え、理解する。政府の様子が変だから誤解していた。そこにいなさい、捕まえてやる――これが滅多に冗談を言わない主任研究員の悪ふざけでもなければ。
(落ち着け。落ち着くんだ……)
ディスプレイに視線を戻す。このとき少年は、文字列が異常な速さで流れていることに気がついた。二人だけのチャットルームは一定のパターンにより埋め尽くされている。攻撃的なものではなかったが、破壊力は下手なウィルスを上回る。
Valma:youaremineyouaremineyouaremineyouaremineyouaremineyouaremineyouaremineyouaremineyouar
「………っ!」
戦慄が走る。思わず腰が砕け、床に崩れ落ちた。
別の意味があるかと思った。あるかもしれないと期待した。
何度読み返しても、同じ文面が浮かぶ。
お前は私のもの。
お前は私のもの。お前は私のもの。
見つけた。そこにいなさい、すぐ捕まえてやる――
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男は目を覚ました。
そして思い出す。あれは自分の元になった少年の夢なのだと。
母と姉の名前を呼ぶ。
応えてくれたことは、一度もなかった。




