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私の中のリアル  作者: 五月雨
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Player 07  Kasumi Florence

 冷厳な死。その余韻が残っている。


 溜息を洩らすと、私はバスルームへ向かった。寝汗を洗い流すためだ。二度目とはいえ嫌なものは嫌。実害はなかったのだから、気分を変えて忘れてしまうに限る。


 着ていたものを洗濯機へ放り込み、スポンジ片手に浴室の中へ。シャワーの温度を上げる。肌にはあまりよくないとのことだが、気持ちいいのだから仕方ない。


 どこの中年親父かって?今更実年齢から目を背けるつもりもないけれど。風呂上がりにはよく冷えたビール。これ千年経っても変わらない真理よね。


 開封したときの破裂音を夢想しつつ、私はバスタブに横たわった。ゆっくり目を閉じ、拾い集めてきた情報を精査する。


 世界の構造については、概ね最初に予想したとおり。あれは間違いなく、アウラの記憶を改竄して作られた物質的な仮想世界だ。


 現実そのものと言い換えてもいい。統制者の記憶を操る真言法は、アカシャの記憶に書き込むことで意のままに事象を改変する。アウラが想像だにしないことはできない、それ単体で物理現象に逆らうことはできないなどの制限はあるが、この世界は彼女が見ている夢のようなもの。他の事象との整合性は無視されるから、実際はかなりの自由が利く。ドリームシェアのゲーム『グラキエル』も、現実世界の入れ子として作られたものなのだろう。


 ここまではいい。幾つか疑問点はあるものの、まあ概ね納得できる。


 一番分からないのは動機。まさかリアルな遊びの場を提供するためだけに、莫大な資源を投入して新たな箱庭を創造するとは思えない。運営母体のフェリック社には、何か別の目的があるはずなのだ。


 軍事目的の線が最も考えやすい。現にエルニアの特殊部隊が目をつけていたようだし。真言法師団『蒼き飛竜』、やや頭が固いあの連中は、ドリームシェア技術の核心部分を盗み取ろうとしている。こちら系の技術では、南部諸国に対してエルニアは百年以上遅れている。対等の関係を維持するためには、やむを得ないことかと思う。


 私達が動いているのは、これ以上アウラに負担をかけないためだ。景気よくマナを使い過ぎれば、それだけ統制者たる彼女の目覚めも遅れる。加護の消滅に備え、言霊なしに文明社会を維持する算段も。小さな陸地が一つあるだけの世界ゆえ、機械で空を飛ぶという発想すら湧かないのは大きな誤算だったけれど。


(一度、誰かがやってみせたほうがいいのかな……?)


 研究者の夢枕に立つ。それが一番簡単な方法だ。これまでにも私達は、何度かそうやって文明の方向性を示してきた。


 リトラ島のエルフ達が混沌のマナを浄化した技術も、元はといえば私達が授けたもの。アウラが親しくしていたらしいニウェウスの大族長ティターニア。そして……名前は忘れたけれどアトルムの若長を務める女。彼女らを通して世界を滅亡から拾い上げたのは、昼夜を問わず働いた私とランディの仕事だ。私はニウェウスへの使者に立ち、あいつはダークエルフの神とか呼ばれていたからアトルムのほうを当たってもらった。


 このときラフィニアは、とにかく裏方に徹した。彼女が一部の社会で何と呼ばれていたかは知っている。『運命の監視者』――自由な精神活動の結果であるべき歴史に介入し、意のままに操ろうとする良し悪しの神。農耕と狩猟を司る豊穣の女神とも呼ばれるが、それは信仰を広めて走狗を得るための手段でしかない。


 ラフィニアを敵視する者達は、彼女の積極的な行動を以て『監視者』と呼ぶ。確かに独善的なところがあるのは否めないし、世界やアウラ、その中に住む人々のためというよりは――これは怪しげな妄想に過ぎないけれど、どうも私個人を喜ばせるために動いているような気がしなくもない。


 我々も舞台に上がる役者のひとり。しかし俗世の権力者にとっては、個人で予想外の流れを作り出す厄介者。先が見えなければ、それだけ極端な展開になる可能性が増す。力があるからこそ、逆に窮屈な思いをすることもある。


 今の状況を整理すると、三つ巴になるだろうか。


 まだ出てきていない要素もある。決定的な何かが欠けているような気がする。

 情報が足りない。次は何を調べるべき?今ひとつはっきりしなくて……


 ……今ひとつ………


 ………………。


 ……………………。


 ……のぼせた。


 軽く湯あたりしてしまったらしい。


 喉も乾きすぎ、少し嗄れてしまっている。


 だが、これだけ温まればビールは美味しくいただけそうだ。


 wktkしつつ湯船を出ようとする。我ながら転んでもただでは起きない。


 と、そこで俄かに動きを止めた。


(…………………?)


 微かな気配。部屋の中を害虫が歩き回っているような。


 生理的嫌悪感。脱衣所の向こう側に、何かがいる。


 ランディではない。あの子なら堂々と来るはずだ。そして早く上がれと怒る。


 空き巣の類。盗られて困るものは……預金通帳。ドリームシェア。買ったばかりの家電。それと冷蔵庫の中のよく冷えたビール。


 あ。衣類を持ってゆかれるのもちょっと。七〇七歳の下着を持ち去ってどうしようと勝手だけれど、買いなおせば地味にお金がかかるのだ。いざとなればアウラにコピーしてもらうなり通帳の残高自体を弄ればよいが、それはそれで彼女の負担になる。シスコンのランディに叱られてしまうのもいただけない。


 面倒だけれど、撃退するしかなさそうだ。私がここにいることは相手にも気づかれているはず。つまり私自身が目当てではないということ。コールセンターのアルバイトで恨みを買った何某さんとか、そういう湿っぽい流れではなく。


 水音をさせないように、ゆっくりと上がる。身体を拭き、脱衣所まで戻って室内の様子を窺う。衣擦れの音がするから裸のまま。おっと若い子の目には毒、バスタオルだけ巻いておこうか。濃やかな心遣いが憎らしい。


(…どういうこと?気配が複数ある……)


 話し声が聞こえた。何かを捜しているような気配。体重によっても音域が異なる――パターン数、一、二、三、四、五。かなりの人数だ。


 空き巣?いいえ何か目的がある統制された組織。エルニアの特殊部隊には、ミスラ市内に潜伏していると教えた。もう居場所を突き止められたのだとしたら、絶望的に頭が悪いとの評価は改めるべき。思ったより厄介な連中かもしれない。


 寝室兼居間のほうから、若い男と中年の声が聞こえる。


「…クラリス=ヴェルファーシアって、そんな名前いるわけないでしょうが」


「まあな。偽名丸出しだ……不遜にも程がある。それより手が疎かになっているぞ」


「あ、すいません」


「物音にも気をつけろ。ターゲットが上がってくるかもしれん。とりあえず身元に繋がりそうなものを見つけるんだ」


 ベテラン指揮官に新人君といったところか。女の一人暮らしをガサ入れするだけだから、とりあえず連れてきたって感じ。そう考えると、このフットワークの軽さは国外組織ではあり得ないような気がする。


(ミスラ共和国の公安警察……?)


 私が導き出した答えはそれだった。どちらの声も悪辣そうに聞こえなかった。他人の暮らしを脅かすことに慣れているものではない。ターゲットとはいえ、若い女の寝床に無断で上がる居心地の悪さみたいなものを感じている。犯罪組織や企業が雇った仕事人では、そういうお上品な連中など皆無。


 どうやら物取りではなさそうだ。このままやり過ごすことにする。


 見られて困るものもないし、ここで姿を現す危険に比べたら。とりあえず生かしておいたステラ=キンブルの戸籍が、正真正銘使えなくなるだけのことだ。次のをランディが用意してくれているから、それについては何の問題もない。


「ボスはセラ教だったんすか?うちはルースアで……と言っても冠婚葬祭ですけど」


「ん?まあ似たようなものだ。それでも祖母が生きていた頃は、毎週礼拝に連れてゆかれたな。聖人クラリスの昔話を、よく聞かされたもんだよ」


「俺は全然憶えてませんけど……そういうものですか?」


「そういうもんだ。祭りとかある分、無神教よりは楽しいと思うぞ」


 いつまで話しているのか。少しずつ苛々してくる。この国の治安当局は、どうやら士気が低いようだ。大国エルニアと面しているものの、天然の要害に守られているお蔭で平和だというのは理解できる。それにしても限度というものがあるだろう。


 すっかり湯冷めしてしまった。これではビールを美味しくいただけそうにない。


「…ステラ=キンブル。復興暦○三九一年十月七日生まれ、二十三歳です」


「運転免許証か。車はなかったのにな……」


「これから買うんじゃないですか?あまりお金なさそうですし。ゲームのアカウントを作ったのもフランク=プールと繋ぎを取るためじゃないですかね」


「家族を亡くした就職難のお嬢様が、いけないアルバイトに手を出したってか?」


 厭だ厭だ、と頭を振る。余計なお世話よ、と心の中で毒づいておく……それよりフランク=プール?聞いたことのない名前。とりあえず頭の中にメモ。


「よし、引き上げだ。明日、朝イチで区役所に問い合わせる。復元を忘れるなよ。財布ひとつ変わっても、女は気がつくからな」


 速やかな撤収だった。ここだけはよく訓練されているのかもしれない。逃げるのさえ上手ければ、最悪見つかっても大した被害を受けずに済む。見かけによらず優秀な指揮官のようだ。気配を感じることについては、落第と言わざるを得なかったけれども。


 サブフレームウィンドウを開き、シオメラのアドレスにメールを出す。


 手遅れかもしれないが、今すぐ家を離れること。無事外へ出られたなら、しばらく家には戻れない。どういう危険があるか分からないから。


 メールの着信音で発見される恐れもあるが、それは彼女の運次第。黙って家にいたら確実に捕まってしまう。とりあえずリアルで会いたいから、住所の街区を返信するように書き添えておく。さして間を置かずに返信が届いた。


「……あらら。随分と可愛らしい文面ね」


 送られてきたメールは、やや舌足らずな印象だった。大人の女性然としたシオメラの姿からは似ても似つかない。仕草が子供っぽいかな?と感じたのは、どうやら私の思い過ごしではなかったようだ。


 運がよいことに、出先のサブフレームカフェからログインしていたらしい。ますます幸いなことに、その店は同じ主要路線沿いにあった。これなら二十分もあれば着く。


(未成年だとしたら、完璧に補導の対象よね……)


 今は深夜の一時を回ったところ。こんな時刻に出かけているなんて。シオメラを演じているのは、どういう環境で育った女の子だろう?


 話した感じでは、純朴そうな少女だった。歳上の男に恋をして、そのことにも自分では気づけないような。


 会うのが楽しみだ。手早く服を着ると、薄いネイビーのパーカーを羽織った。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 外は雨が降っている。季節に違わぬ長雨、少しばかり肌寒い。


 私の読んだとおり、シオメラことアイシャ=ルシエンテスは十七歳だった。現役の学生で、児童養護の世話になりながら公立高校へ通っている。


 家族はいなかった。父は母と別れて家を離れ、今も生きているのか分からない。詳しくは聞かされていないが、言葉の端々から読み取れる人物像はどうしようもないろくでなしだったそうだ。仕事の話が全く出ないのだから、それは何となく想像できる。


 育ててくれた母も九年前に他界。生活を支えるべく必死にバーを切り盛りした結果の過労死だった。母の名はシオメラ、屋号はラプサス。どちらもアイシャが『グラキエル』世界内で使ったものと一緒である。


 卒業を半年後に控え、彼女は悩んでいた。奨学金を受けて進学すべきか。昔からの夢である母の店を再現するために、他の店で働いて経験を積むべきか。前者は経営を学べる代わりに借金が残ってしまう。後者は茨の道だ。失敗したら即退場、学もコネもない生活苦の女など、この不況で拾ってくれるところはない。結婚も言わずもがなだ。どうしても店を持ちたければ、いかがわしい商売に身を落とすしかないだろう。


 児童相談所の職員が上手く処理してくれたため、限定承認という形で負の遺産は相続せずに済んだらしい。母が遺してくれたものは、この身体と思い出だけになっている。できることなら大切にしたいと、アイシャは涙を滲ませながら語った。


「あ……ごめんなさい。会ったばかりの人に、こんなこと」


「いいえ。話してくれてありがとう。ずっと不安だったのよね?」


「少し楽になりました。レオンさんの言葉を聞くと、生きる力が湧いてきます」


 大袈裟なことを言いつつ、何やら落ち着かない様子で周りの人々を気にしている。


 追手に怯えているのではない。私達の今いる場所が問題なのだ。


 メイド喫茶。最近増えた業態で、世間ではそのように呼ばれている。やや肩を竦めて、身を乗り出したアイシャが遠慮がちに囁いた。


「……こういうお店は初めてで。レオンさんは、よく来られるんですか……?」


「奇遇ね。私も初めて。ちょっと面白そうだったから」


「でも女だけで来てる人って、相当珍しいですよね……?」


 確かに。店内を見渡すと、吹けば飛ぶような末生り男か脂肪過多の色白君ばかり。幸せそうな笑みを浮かべて、メイドさんの微妙な歌やサービストークに聴き入っている。


「あー……うん。場違いなことは認めるわ」


 私は諸手を挙げて降参した。それでも、こういう店を選んだのには理由がある。不似合いな場所だからこそ見つかりにくいと踏んだのだ。食事が出るところという意味ではカラオケボックスも選択肢だったが、あれはサブフレームカフェと一緒で密室。騒いでも気づかれない分、追われる側にとっては都合が悪い。


「御注文はお決まりですか?お姉さま♪」


「…っ……!」


 不意討ちでこれである。密談する者にとって、いきなりは心臓に悪い。プロのウェイトレスなら、客の会話が途切れた頃を見計らって上手に割り込んでゆく。しかし彼女達はアルバイトだ。専業もいるかもしれないが、大方は大学生の小遣い稼ぎだろう。


 自分より上の子にお姉様と呼ばれて、アイシャはかなり引いている。決まり文句だから仕方ないのだが、まだ営業というものを理解する歳ではないようだ。好きでやっているのか、笑顔は死んでいないのが唯一の救いである。


「私は紅茶に……このオムライスと『萌々おむらいす』って何が違うの?」


 明るく元気な声で、はきはきと嬉しそうに教えてくれた。


「はい、お姉さま!『萌々おむらいす』は、私達メイドが御主人様のために愛を込めて、萌え萌えな唄を歌いながらケチャップでお好きな文字を書かせていただきます!」


 アイシャの表情がげんなりしたものに変わった。大人の女と現役女子高生が二人、歳の近いメイドさんに文字を書いてもらう様は残念を通り越して痛々しいものがある。その光景を想像してなお屈しない彼女は――前言撤回。正真正銘のプロ。


 だが断ります。私達は腹拵えをしに来ただけなので。また今度ランディを騙して連れてきたときにでも、散々からかってやってください。


「普通のオムライスで。アイシャは何にする?遠慮しないで好きなものをどうぞ」


 彼女は紅茶だけ頼んだ。思い詰める子なのは分かっていたし、ここは絡まないでおく。憧れのスミス氏は、聞くところ優しげな人だったらしい。口調は粗雑で悪ぶって見せているけれど、教養もあって理知的。彼女はそういう男性が好みなのだ。同年代の男の子達に比べれば、それは魅力的に映るか。


「畏まりました!もう少しだけお待ちくださいね、お姉さま♪」


 息継ぎなしで御苦労様――そんな台詞が脳裏に浮かぶ。とりあえず邪魔者は去った。しばらく休んでから、話を本題に戻す。


「それでスミス氏のことだけれど。結論から言えば、死んでもらったほうがいいかもね」


「……えっ」


 アイシャの顔が蒼くなる。予想以上の強い反応に驚いた。文字どおりの意味で伝わったのだと気づき、身振りを交えながら激しく訂正する。


「違う違う。そういうことは考えていないから。ただね……ここまでの騒ぎになると、透明人間のほうが生きやすいのかなって」


 透明人間。アイシャが鸚鵡返しに呟く。


 戸籍上は死んだことにし、どこにもいない人間になる。表立った犯罪者ではないから、頻繁に名前を変えれば追跡するのは難しいはずだ。


 問題はスミス氏のプレイヤーが、そういうことに気づく人物か。アイシャに聞いた限りでは、なかなか聡いようだ。しかしこういった手口は経験が大きくものを言う。


「さっきも言ったけれど、私のアパートに怖い人達が来たの。今頃あなたの部屋にも来ているのではないかしら。スミス氏のところにもね。国はフェリック社とグルよ」


 アカシャを使って念のため確認した。指揮官らしい男の名前はヴィンセント=アームストロング。長いから仮にヴィンスとしておこう。復興暦○三七三年八月九日生まれ四十一歳。子供は十二歳の女の子と八歳の男の子。二十二歳のとき内務省へ就職、昨年四月から公安部経済二課分析一係長。本人が目の前にいれば、こんなことも即座に分かる。


 世界の始まりから終わりまで、あらゆる事象を紐解くことができる『全知の間』。ラフィニアはいつもそこにいて、私から情報検索の要請が届くのを待っている。


 まず最初にすべきは安全の確保。人形兵のことはゲームのイベントと思ったで通せと教えたし、エルニアの特殊部隊については何が何やら分からなかったろう。思わず連絡を取ったけれど、あまり心配することはなかったのかもしれない。


 私は念のため住居を変える。ステラ=キンブルの戸籍は処分が決まっていたから、今頃ランディが新しいのを準備してくれているはず。それが終わるまでに、とりあえず私は二つほど仕事しなければならないが。スミス氏のリアルにおける位置確認、そしてフェリック本社中枢ブロックの内偵だ。


 公式ページによると、大型バージョンアップ及びそれに伴うメンテナンスのため、一箇月程度アスルタンを進入不可領域に指定すると書かれている。言葉だけの措置ではないだろう。断絶の結界を張るとか、そういうレベルのことはするはずだ。つまり再びログインして、スミス氏の調整槽を確認することはできない。


 何も見ておらず、実は運営のアナウンス前に落ちていました。アイシャにしてみれば、それが理想の展開だろう。一箇月待っていれば、何事もなかったように再びスミス氏と会えるのだ。護衛の騎士はお役御免、調査は一からやり直しとなる。


 他にも残っていた人がいなかったか、掲示板の書き込みを調べてみるのもいいかもしれない。こういうのは嘘と悪意の宝庫だが、思いもしない形で真実が転がっていることもある。珍しく得意顔のランディにそう教わった。


 残っていたと言えば、『蒼き飛竜』と外壁で戦った二人。前者はともかく、後者にこちらから接触してみるのも面白いかもしれない。


「……学校へ行っても大丈夫なんでしょうか。これから全部休むと、卒業には出席日数が足りなくて……」


「余計な心配かけたわね。さっき言ったとおりにしていれば、今までと同じで大丈夫よ」


 ほっと溜息をつく。このまま太陽の下を歩けなくなるのではないか。そう考えると不安で仕方がなかったのだろう。


 ランディから電波が届いた。やはり連中はアイシャの部屋も調べたらしい。簡単に身元が割れ、人畜無害の気弱な高等科生と分かって一件落着。背後関係もなさそうだし、一応マークは続けるものの実質的には無罪放免――そんなところ。


 ずっと考え込んでいたアイシャが、ふと顔を上げて呟く。


「あれは……ゲームなんですよね。普通の会社も来ているから、いっぱいお金が動いてるっていうのは分かります。でもそれで家を荒らされるとか……殺される、とか」


 また怖くなったのだろう。自分の腕で抱き締めた身体が震えている。


 そんな彼女に、私は立派な護衛をつけてあげると約束した。少し無愛想だけれど、間違いなく腕は立つ。なかなかの美青年だし、気に入ったら押し倒してもいいと言うと、顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。


「まあ冗談は措くとして。スミス氏のことは私に任せなさい。何か分かったら必ず教える。これも約束」


 ちょうどよいタイミングで、萌えの足りないオムライスと紅茶が二つ届けられた。


 親戚のお姉さんが都会で暮らす妹分を訪ねてきた、とでも思われているのだろうか。営業トークを繰り広げることなく、静かに下がっていった。


 甘いものは心の不安を取り去ってくれる。太るからと遠慮していたアイシャだったが、私がデザートにチーズケーキを頼むと、いよいよ誘惑に屈した。


 それからは他愛のないお喋り。学校でのこと、アルバイトのこと。フレームカフェも無料ではないから短時間の仕事をしている。児童給付との兼ね合いもあるが、区役所の担当者によれば金額に影響しない範囲だという。


 最後にアイシャのほうから、ひとつお願いがあると切り出された。


「どうしたの?改まって」


「……私、ずっと一人っ子だったんです。あまり遊びに行けないから友達は少ないし、母が亡くなってからこういうふうに話をすることもなくて……」


 児童相談所の職員は月に一度訪ねてくるそうだ。三十代の女性で、必要なことは話せるけれど雑談をする雰囲気ではないらしい。他人事とはいえ修羅場をよく見る職業だから、どうしても鋭くなってしまうのかもしれないが。


「お姉さんって、呼んでもいいですか?あの、御迷惑じゃなければ、です、けど……」


「………………っ!」


 ちら、と上目遣い。なかなか破壊力がある。これでスミス氏も落とされたのだろうか。


 私も兄弟姉妹を持ったことはない。周りにいた同年代の子達も、権力者の父を意識せずにはおれなかった。妹がいるのはこういう感じなのかと、ついさっき考えたところ。


「いいわよ。無精者の姉でよければ。こちらこそ迷惑をかけるかも?」


 ぱっと嬉しそうな顔になる。こんな可愛い妹なら、いるのも悪くない。


 さてお会計。当然お姉さんの奢りだ。碌に値段も見なかったから、意外と高くて驚く。例の『萌々おむらいす』に至ってはファミレスの二倍。頼まなくてよかったと思う。


 一応家まで送ってゆく。深夜に女の子が出歩くのは、普通の意味で問題がある。今後は公安が見張るため、むしろ今までより安全になるかもしれない。


 年代物の部屋の中にはランディが待っていた。灯りも点けず潜んでいたらアイシャでなくとも驚く。目立たないようにとは言ったけれど、相変わらず不器用な子である。


「…他に手はなかったの?」


「効率を優先しただけだ。連中にも見つかっていない」


「そういうことではないのだけれど……」


 ガサ入れがあったにしては片づいている。几帳面な子なのだろう。そういう意味では完璧主義者のランディとも馬が合うか。


 ラフィニアを呼び出し、アイシャの記録に細工させた。心拍数が増えたとき、自然な眠り以外で意識を失ったとき。それらに反応するとアカシャ経由で情報が入る。余計な気を遣わせないよう、詳しい仕組みは伏せておく。一緒に行動するのではないと知り、どこかほっとした様子だった。


 コーヒーでもと勧めてくるのを断り、早々に退出する。彼女は明日も学校だし、ランディは私のほうに用があるのだ。


 ランディは隣人に成りすまし、私は堂々と正面から。アイシャの部屋を後にした。音もなく壁を破壊、汚れまで再構築する腕前は見事。鍵を瞬時に複製して外から掛けなおす念の入れようだ。目覚めた住人が見ても、きっと分からないに違いない。


 深夜二時。はみ出し者である私達には、まだまだ宵の口だった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「新しい拠点を用意した」


 前を進むランディが、独り言のように呟く。


「…もう見つけたの?相変わらず仕事が早いわね」


 素直に感心する。私は基本、面倒なことが嫌いなのだ。


「これで人づきあいが上手かったら……お母さんは悲しいわ」


「誰が母親だ。血縁すらあるまいに」


「そこはそれ。少しくらい懐いてくれたっていいじゃない」


 私とランディの母親は旧知だ。同じ研究所に勤めていた同僚の関係。その職場は既になく、他の仲間も散り散りになってしまったけれど。アウラと彼の双子が幼い頃は、代わりに託児所へ迎えに行ったこともある。


「見つかるまでの代役。それともニアのほうがよかった?」


「……………………」


 彼女の名前を出すとランディは沈黙する。どういうわけか苦手意識があるらしい。何があったのか訊いても頑として口を割らない。


 七歳で家族と生き別れたランディ。アウラが統制者に選ばれ、多くの相手から身柄を狙われるようになると、彼の孤独は決定的となった。両親は物心つく前に離婚。一番傍にいてほしいとき、抱き締めてくれる家族はなかった。


 そのことには私も責任の一端がある。正確に言えば、遺伝上の元に当たるセラフィナ=カスキと呼ばれた人間。詳しくは知らないが、騒ぎが大きくなった頃の彼女は重い病に臥せていたという。ほとんど不治の病で、ラフィニアはそれを克服するための……かなり眉唾な話だけれども、古代の異星人?とやらが遺した技術の解析に没頭していた。


 創術【クレアラス】と法術【レクサルス】である。量子論は専門外だったけれど、彼女には情報学の知識があった。その研究は功を奏し、お蔭で今も生きている。


 私はこの世界に生まれた複製体。だからアカシャの支配を受ける。向こうの世界で生を享け、そのまま生き続けてきた二人とは違う。ランディが私との間に一線を引くのも、そのあたりに理由があるのだろう。さりとて私のほうも、口で言うほど『過去の自分』を認めきれてはいなかったが……


「黒幕の連中、好きにやっているみたいよ。面白くなってきたじゃない?」


「影響が広範に及んでいる。楽観はできないと思うが」


 本音だった。不謹慎かもしれないけれど、戦っているときは――戦っているときだけは、生きているという実感が湧いてくる。


 油断禁物、そこはランディの言うとおりだ。神と呼ばれる私達も全能ではない。ただほんの少し、普通のヒト達が扱えない技術を知っているだけ。数で圧倒されれば捕まるしかないし、それゆえ肉体を捨てられる仮想世界での調査を選んだ。どうしてもリアルで進めなければならないことは、慎重派のランディに危険を冒しながら進めてもらっている。


「フェリック本体の調査だが、もう少し時間がかかる。今キルケ支社の解析が終わったところだ。膨大な術式書を保管できる空間は、そこと本社にしかない」


 この仮説は見直す必要が出てきている。常時発動型にしては、マナの消費が少なすぎるのだ。つまり当初心配していたほど、アウラの負担にはなっていない。むしろイレギュラーだから、この先何をしでかすか分からないから。やんちゃな若者達の手綱を握っておこう。今回の作戦は、そういう趣旨に変化しつつある。


 不意にマナの働く気配。頭の中を掻き混ぜられたような感じがして、それから今の自分とは微かに違う道を歩く自分がいたことを思い出す。


「…この会話。前にも同じことを言わなかった……?」


「再編前の記憶だ。同時刻になるまで再生はされない」


 過去、現在、未来。あらゆる情報を集めた世界の記録――アカシャ。統制者アウラの記憶を検索しやすい形に調えた『全知の間』。必要に応じて上書きもできる『全能の間』。バックアップ担当のラフィニアは、私の支援要請に応えるべく朝から晩までそこにいる。正確に言えば場所ではないが、今は分かりやすいからそうしておく。


 作戦を遂行する上で深刻な事態が発生したとき、世界の依代たるアウラの記憶を書き換えることで過去を修正してもらう。または未来の事象に収束をかけてもらう。とはいえ思いどおりの結果を生まなかったり、途中の過程に別な不都合を生じたりすることもある。真言法や言霊が伺いを立てる一方、こちらは頭ごなしに命令を書き込む。それも他人の脳に直接だ。無神経な表現をすれば、真言法の究極奥義と言えなくもない。


 その技術を私達は『再編』と呼んでいる。アウラの精神にかかる負荷も大きいため、ランディに反対されるまでもなく頼らないよう心がけていたが。


 今回に関しては全く覚えがない。そして『再編』を行えるのは『全能の間』を展開できるラフィニアだけ。つまり彼女の独断によるものと推察される。


「……っ!…アリス=フェアチャイルド……それにチュ=ユンイェ。この二人も調べてみて。忘れられないのは……多分、繰り返し何度も関わったから」


「どのような形か分かるか?…敵、それとも味方」


「喧嘩友達。強いて言うなら、そんなところ」


 ランディは再編の影響を受けない。アカシャに記述がないからだ。再編前の私が余すところなく説明しているはず。変わらない答えだったのか追及はされなかった。


「実体を持つ仮想世界。そんなものがあると、本当に思っているのか?」


 夢の中に夢。無茶な話ではある。しかし可能性はあった。ニアとランディを除いて、私やこの世界に住む人々の身体は、現にアウラの夢からできている。


「……贄を、突き止めねばならないか。虹の橋は目立つ。辺境の地を隈なく探せば、必ず見つかるはずだ」


「それはニアに任せましょう。あなたは引き続き、フェリックの調査をお願い」


「………………………」


 また黙り込んでしまう。私が彼女に全幅の信頼を置くような発言をすると、決まってこのような反応をする。表立って対立することは減ったが、やはり彼はラフィニアを警戒している。それどころか敵とさえ思っているのではないか。


「覗き見はしたくない、そう言ったのはあなたよ。だから私は……」


 アカシャを俯瞰していると、アウラの性癖としか言いようのない現象に遭遇することがある。肉親とはいえ、そういうものを勝手に見てしまうのはいかがなものか。ランディは姉の心が傷つくのを恐れているのだ。こういうときでもなければ、私は彼に従ったろう。しかしラフィニアは全く気にも留めなかった。


「……了解した。その件については、俺からあの女に伝えておこう」


 私と同じ立場の彼女を、ランディはそう呼んだ。託児所へは迎えに行かなかったかもしれない。それでもセラの記憶にある彼は、同僚達に分け隔てなく懐いていた。


 少なくとも私のほうは、彼のことを信じている。姉を助けたい心情は理解できるし、人々を犠牲にするつもりがないことも認められる。


 一方ラフィニアに対しては、少なからず疑念を抱いていた。常に味方ではあるけれど、それは私個人に限ってのこと。平和な現状を捨ててまでアウラを目覚めさせるべきではないと考えており、ランディとは真っ向から対立している。収拾がつかなくなっても困るから、なるべく二人の間を取り持つようにしていたが。


「ところで一つ、頼まれてほしいことがあるの。『グラキエル』の顧客リストを調べてもらえないかしら。インカネイト名しか分からないから難儀すると思う」


「あの娘の関係者か。そういうところはセラに似ているな」


「実感はないけれどね。記憶だけ持たされるって結構大変なのよ」


 二日あれば調べられると約束してくれた。ランディも肉体を強化しており、その気になれば一年や二年は不眠不休で働ける。ラフィニアと違って精神のほうは普通の人間と変わりないから、彼の場合は個人の資質による部分も大きい。


「こちらから連絡する。それでお前は、どうするつもりなのだ?」


 二日間遊んでいるのか、と言いたいのだろう。無論そんなつもりはない。


「面白い記事が配信されているの。MBCのフレーム版、上から三行目読んでみて」


 そこには、こんなことが書かれていた。



【リカルド精錬所で事故発生か FP通信 0414/Oct.10/02:07】

 十日深夜、リカルド郡全域に陸軍参謀本部より緊急避難命令が発せられた。管内十七か所に設置されたマナ濃度の観測機器が、全て異常な値を示したことによる。未だ原因不明であり、記者会見を行ったシュトウ郡知事は「国と連絡を取りながら、まずは情報収集に努めたい」と語った。(後に加筆して再送します)



「……これがどうかしたのか?」


「あるべき単語がない。精錬所を運転する会社の名前。消防本部ではなく、いきなり軍が動いたことの理由も」


 被災地域の首長として、普通こんな言い方はあるまい。事態の把握と収拾に全力を傾けるとか、そういう表現を用いるはずだ。あれではまるで……無謀な人権派が危険情報を無視して国外へ渡り、現地の武装勢力に拘束されでもしたかのよう。


「仮想世界の漏出事故と軍による緊急避難命令。いずれにしてもタイミングがよすぎるとは思わない?」


「……圧力をかけられているのか」


「多分。マナ濃度の上昇自体が嘘かもしれない……そちらはどう?何か分かった?」


 『全知の間』に待機するラフィニアをコール。アイシャの部屋に着く前、私は彼女に大陸全土でマナ濃度が急変した場所がないか調べるよう頼んでいた。町工場が眠りに就く深夜なら、ポイント単位で検索することも難しくない。


(あなたの予想したとおりよ、セラ。ミスラ共和国リカルド郡の精錬所付近でマナ濃度の急激な上昇を確認。その後は高い数値を維持したまま、ほとんど変化していないわ)


 結界で無理矢理閉じ込めるなりしたのだろう。消防にも技術者はいる。わざわざ軍を持ち出したのは、彼らでなくてはならない別の目的があるから。


 一石二鳥。いや三鳥四鳥、もしかしたら数十鳥を狙ったのかもしれない。


 不安な群衆は妄動する。外からの情報を選別し、そうなるように仕向けるのだ。ドリームシェアとの関連性を隠すのみならず、プレイヤーがいれば一定の処置を試みるだろう。隣の家族が丸ごと消えても、不審に思える者は少ない。


「私は中に入ってみる。何か面白いものを見つけられるかもしれない」


「見つからない可能性はあるがな。いや、それ以前に……」


 ぽつりと呟き、割と綺麗なアパートの前で足を止めた。鉄筋コンクリート二階建ての築七年。暖色系の装いが何となく可愛らしい。配置はいざというとき逃げやすい一階の角部屋。しかしながら家賃はそこそこ。高すぎるのは論外だが、あまり安いと怪しげな住人が多くて困る。こういうことには気の利く子。不器用なのは相変わらずだけれど。


「家賃は二箇月分前納。マナと上下水道も含めて口座振替の手続きを済ませてある。契約書の類はいつもの場所に入れておいた」


「壁の中ね。二階で床に隠したら、取り出すとき下の浴室に落ちたこともあったっけ」


 意地悪く言うと、不貞腐れたように他所を向いた。


 一階の部屋には自意識過剰な熟女殿が住んでいて、それは激しく揉めたものである。精悍な中にも繊細さのあるランディの容姿が、好みのツボに嵌まったらしいのだ。


 業を煮やした彼は雑務を俺に押しつけるお前が悪いと言い、元から後ろめたいところのあった私はラフィニアに頭を下げて頼み。『全能の間』からアカシャを書き換えてもらい、被害者(?)の記憶を部分的に改竄することで終息した。姉に負担をかけたと知ったときは、怒るに怒れない微妙な表情をしていたが。


「……先に渡しておく。ドリームシェアも設置済みだ。名前はカスミ=フロレンス。父方がニケア系、母方がエレン系。間違えるなよ」


 切り替えのよさが彼の長所でもある。他の荷物は折を見て運ぶと言い、普段どおりの醒めた表情で部屋の鍵を渡してくれた。


 いつもすまないわね、との台詞にはまったくだと応じる。「それは言わない約束」と返すのが決まりだと言うと、そんな約束はしていないと切り捨てられた。ランディが人々の間に混じって暮らせるようになる日は未だ遠い。


(……っ!…また、これだ……)


 フラッシュバック。身に覚えのない記憶は、必ず頭痛と共に現れる。


 学校へ行かず一人で端末の前に座っていた幼い頃のランディ。父は生まれた時点でおらず、母は多忙な研究所勤め。姉も一緒に連れてゆかれ、幾日何週間と戻らない。


 郊外の自宅を訪ねた私を見て、捨てられた仔犬の目をした彼はそれでも笑った。保育園を出てから二年、一度も顔を合わせていなかったのに……


「どうした?具合でも悪いのか」


「!?…いいえ、ううん。何でもないわ。何でもない」


 怪訝そうに私の顔を覗いていた。幻の光景が現在の彼と重なる。


 余計な心配をさせないよう、頭痛のことは今のところランディに黙っていた。言えばまたニアと喧嘩になる。これ以上頭痛の種が増えるのは勘弁してほしい。


 実のところ、私は恐れている。フラッシュバックが訪れる度、セラフィナとの記憶融合が進んでゆく。融合ならまだいい。いずれ全ての記憶を置き換えられ、自分が誰だったのかも分からなくなるとしたら。やがてセラフィナの意識と記憶を持つ肉体だけが残る。すなわち私の魂が消えることを望んだのは……


「少し休むのだな。今夜は俺に任せて寝ろ」


 背中を押され、よろめきながら玄関へ踏み込んだ。考えごとをしていて、鍵を開けたのにも気づかなかったらしい。稀に見る優しさも、あまり長くは続かず。


「その代わり、明日からは働いてもらうぞ。容赦なく扱き使うから、そう思え」


「……はいはい。感動した私が馬鹿でした。というか明日って今日じゃない。要するに休ませる気がないってこと?」


「元気なら働け。本社の内偵が滞っている」


「いいえ遠慮します。それでは御機嫌よう、お休みなさい」


 下手な考え休むに似たりという。ドアを閉めると後ろ手に施錠した。


 そのまま寄りかかる。頭痛はもう治まっていて、今は不思議な充足感に満たされている。あえて例えるなら、大切な仲間と倒れるまでお酒を飲んだときみたいな。心配は要らない、この人達と一緒にいれば大丈夫。私は愛されているのだと。


(…お父様。あなたの娘は、やっと幸せになれそうですよ……?)


 翌朝の私は、やや機嫌が悪かった。数百年ぶりに再会した父は、現実と同じで私を甘やかしてくれなかったからである。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 それから数日は、情報が津波のように押し寄せた。


 まず軍の装備。普通の災害出動なら、重火器を取り揃えて出撃という話はない。恐らく住民の一部が変異している。彼らの技術力では魔物化した人間を治療できないからだ。斯くも高濃度かつ未精錬のマナが漏出したという深刻な情勢が一つ。自ら被災地域へ赴き、生身の目と足を使って稼いできた情報。マスコミは当てにならない。


 そしてこちらはランディの手による。フェリック社の防壁は固くて破れなかったが、代わりに役所のほうを覗いてきた。


 アウレアの情報インフラは、ニアやランディの故郷の世界とは違う。全てがアウラの記憶に間借りしていて、概念的にスタンドアロンというのは存在しない。それゆえ原理上は、何であれどこからでもハッキングできる。


 フェリック社の情報が調べられないのは、純粋に検索性の問題もあった。アカシャには全ての情報が収められているが、『スミス』と名のついた生命体など掃いて捨てるくらいいる。況してリアルネームが不明とくれば、実際のところ判別は無理だろう。


 念のためアイシャ達の戸籍を洗わせると、重要なお宝情報が紛れていた。『アリス=フェアチャイルド』の父『ジェイコブ=マクファーレン』の役員報酬が、フェリック社と密接な関わりを持つ提携企業から支払われていたのである。


 更に調査を進めると、ますます興味深いことが分かってきた。


 ジェイコブ氏はその企業『M&Fリンケージ』の創業者であり、VRインターフェース技術を手掛けて伸し上がった人物。投機市場における注目株ではあったが、フェリック社との提携が始まった頃から前にも況して急激な成長を遂げている。


 売上が前年比一二七四パーセント。設備投資の増大で純利益は圧縮されたものの、やはり異常な数字だ。余程の勝負師か――政府のお墨付きがあったと考えるのが普通だろう。ジェイコブ=マクファーレンとは、そこまで深みに填まり込んだ男なのだ。


「……これは、調べてみる価値がありそうね……」


 プロフィールは簡単に見つかった。十数年前、経済誌のインタビューに機嫌よく応えている。親子で姓が違うのは複雑な家庭の事情があるからか。さて……?


「…継続調査。二人の意見も聞いてみよう」


 仮想ブラウザを放り出して寝転んだ。


(どうせニアは、まともに答えてくれないけれど……)


 全部セラちゃんの思いどおりにしていいのよ、とか。万事そのような調子。


 必然、私はランディを頼ることになる。彼女はそれが面白くないようだ。なら、何か?並ぶ者なき絶対神のごとく、私が勝手に決めればいいというのか?


(……アホくさ)


 私は多神教の社会で育った。おまけに疑いようもなく不完全な人間だ。その点はランディも同じらしい。父方は最大勢力の一神教、母方は自然崇拝の民族宗教。二つの国は文明観の違いから相手への不信が拭えず、経済的な対立を発端に世界を巻き込む大戦争をやらかしたことがあるという。


 ニアが属するのは、一神教のほうの文化圏だ。セラフィナも同じ国の出身だが、宗教的には緩かったようだ。頭痛が起きるほどの差異もない。


 そういえば一神教の信徒は、私やニアのような白い膚の者が多かったと聞く。私達に比べると、ランディは母親の分だけ色が濃い。アウレアの住人は大多数が有色、今更そのようなつまらないことを……


(どうして仲よくできないのかしら?)


 無性に腹が立って、五本目のビールを開ける私だった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



(……きろ)


「ん……」


(起きろ……)


「何よまだ暗いじゃない……朝まで寝ないと美容に悪いのよ……?」


 長めの寝言を呟いた途端、雷様がお出ました。


(いいから起きろ!非常事態だ!)


「ふぇ!?」


 出力は落としてある。が、私を目覚めさせるには充分だった。接地も充分、要するに痛いだけ――ただし、かなり。


 生じた静電気に文字どおり後ろ髪引かれながら、ようやく羽毛布団を這い出した。


(昼間から酒飲んで寝るとは、いい御身分だな?)


「……一六三七時。秋にしても日照が少ないのは、上空に雨雲が近づいているから。天気予報では十ミリ以上の雷雨。お出かけの際は傘を忘れずに」


(満点と言いたいところだが九十点だ。雷はない)


「いいえ、これでいいのよ。もう落ちたもの。状況は?」


(動きが変わった。実戦部隊と思われるものを出している)


 三人やその程度なら問題ない。術式を使えなければ尚更。私は耳を疑った。


「二十人!?」


(大統領府を押さえて釣りが来るな。半分は他へ回したようだが油断はできん。貴様も片づけるのを手伝え)


 あの気配も読めない連中が?その疑問はとりあえず仕舞っておく。数というのは厄介だ。九人潰す間に残る一人が目的を果たせば、それで向こうの勝ちなのだから。


 手際よくやり過ぎたらしい。私を完全に見失ったことで、アイシャとスミス氏のリアルを狙う誰かは『神』の介入を疑った。道を拓く意思のある人間にとって、それは不愉快なものでしかない。


 精鋭が来る。酩酊の抜けない頭で思った瞬間、玄関の呼び鈴が鳴った。ライフラインのメーターは動いているから、ここに住んでいるのは明白。三十秒ほど居留守を使うと、来訪者は容赦なくドアを蹴破った。


 最初の一人が小銃を構えて踏み込む。後ろにバックアップが二人。窓の外にも二人。周囲の警戒に三人、そして指揮官及び補佐。ランディの網を抜けた十人だろう。狙いは私の捕縛。あわよくばニアの居場所を吐かせるつもり。


「プリースト3、目標ロスト」


(プリースト8。バスクリア)


(プリースト6。目標の脱出確認できず)


 指揮官の慌てる顔が目に浮かぶ。


 プリースト3が銃口を天井に向けた。なかなかの線、しかし充分ではない。


「…変わりゆくもの。一が十の如し」


 即席の複製天井が十倍の重力を得て突入チームの二人を直撃。廊下へ逃げた一人も背後から意識を刈る。裏の窓から外へ、同士討ちがなくなった途端に仕掛けてくる。銃撃ではなかった。信仰が絶えて久しい神々の奇跡。


「セフェリノ。震わざるべし」


「リネーア。viscosity=2.3×10⁸」


「変わらざるもの。gas-constant=8.31×10¹³」


 空気がアスファルト並みに粘りを増しかけて戻る。これは真言の綴りを阻害するため。音が消えたのはレクサルスやクレアラス及び言霊への対策。が、これは少し動けば消えてしまう。またスピリタスには効かない。次を詠唱する隙は与えなかった。


「変わりゆくもの。集約、加速」


 残り七人。そちらも『神官』と考えたほうがよいだろう――エル、ディアナ、ルースア、ミラン、ザ=フィルそしてセラ。他にも人々が神と呼ぶ者はあるが、祈りに応えるつもりがないか存在そのものが架空だ。アウラと私達三人、ランディの母を含む六人の同僚。他に当て嵌まりそうな人物はセラフィナの記憶にもない。


「気概は買う。しかし彼らの相手は、あなた達には重すぎる」


 後頭部に微かな熱。普通の人間では気づけない――赤外線スコープによる照射。


「変わらざるもの。歪曲の盾、仰角十七度」


 私を狙った銃弾は逸れ、雲の彼方へ消えてゆく。威力を強化してあるのだろうが、当たらなければ意味はない。全員一緒ならともかく、散発的にかかってきても無駄。国内最強――その驕りが彼らに致命的な愚を為さしめた。


「私を倒したければ、複数属性による飽和攻撃を仕掛けなさい」


 あと五人。まともな隊長なら撤退を考える頃合い。用兵の常識として、半数の損耗は部隊の壊滅を意味する。逃げの手を打たないのは神官二人が私のコントロール域内にいるから。代わりの利く駒ではないが、助けようとすれば全滅の危険もある……


「出てこないつもり?ここにあなた達の仲間がいる。簡単に見捨てたりしたら、部隊の維持にも関わっ……」


 足元からの銃声が掠めた。防御しきれず赤いものが頬を伝う。それも長くは続かない。数秒で止まり、あっという間に傷口を塞ぐ。セフェリノの神官が再び気を失ったときには、何事もなかったかのような元の瑞々しい肌に戻っている。


「…化物が。邪神ラフィニアの狗め……!」


「そうね。我ながら嫌になる。でも一応まだ人間よ」


 無言のランディが気になった。万一はないと思うが、彼はアイシャの身も護らねばならない。私やニアのような復元式が使われていないこともある。


「今回は見逃してあげる。話したければいつでも来なさい」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 アイシャのアパートまでは四駅。目立つのを恐れなければ、ものの数分で着く。


 もう暗くなっていたが、駅前は街燈に照らされて明るかった。翌朝のスポーツ新聞は、首都圏に現れた未確認生物の噂で持ち切りだろう。


 アパートの床には争ったような跡がある。動線を考えれば……窓から外へ出てブロック塀の上、それから屋根伝いに……一組だけ足跡が見つかった。このルートを進めば捕まえるのは無理。恒常的な生体強化技術でも確立しない限り。


「ランディ、聞こえる?合流したいのだけれど」


(……今、どこにいる?)


 返事が遅れた。心なしか呼吸も乱れている。


「アイシャのアパート。まさか襲われているの?」


(そのまさかだ。手が離せそうにない……あの女は何をしているのだ!?お前のサポートは任せろと豪語したくせに!)


「あら本当。反応がないわ」


 全知の間をコールしたが梨の礫。居眠りでもしているのだろうか。


(今から送る場所へ向かう。その後はお前に任せた。いいな!)


 立入が禁止されている廃墟の屋上だった。区役所前で人通りも多く、物騒な特殊部隊の格好はいかにも目立つ。いずれ警察を動かすだろうが、それを許すほど時間をかけるつもりはない。ツォン語の諺にも言う、『兵は拙速を貴ぶ』と。


「怖かったわね?もう大丈夫だから」


 アイシャは言葉を失っていた。ちょうど帰宅したところか学校の制服姿。酷く蒼褪めているのは寒さのせいだけではあるまい。


「そちらにも現れたか……」


「ええ。リネーアとセフェリノの名を口にしていた。十中八九エルニアね」


 驚いたようだった。ランディのほうには神官が現れなかったらしい。アイシャが本命ではなかったのか?それともランディの存在を見落としていたか?


「鬼ごっこは避けねばならん。その女を連れて逃げろ」


 フェンス越しに眼下を見遣った。追って視線を向けると、黒い影のようなものが集まっている。私が戦った連中とはスーツの色や形が違う。


「…強化されているな。アカシャを利用するタイプだ」


「振りきれないじゃない。どうするのよ?」


「任せると言った。囮にはなってやる」


 アイシャの額に触れ、ランディは複製人形を創り出した。


 人肌の水を入れた素朴なものだが、注意を逸らすダミーとしては充分。そいつを小脇に抱えると、地上の一団が覗く位置から反対の方角へ飛び去った。騙されてくれたようで、ここに残ったのは私とアイシャの二人だけ。


「…さ、行くわよ」


 お姫様抱っこすると、本物は不快そうに眉を顰めた。


「…お姉さん、お酒臭いです……」


「あ。ごめん」


 二秒で加水分解を完了。


「あの……どこへ?」


「怖いヒトのところ。落ちないように、しっかり摑まってね」


 目指すは郊外のマンション。アリス=フェアチャイルド仮住まいの大きな部屋。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 通信が回復するなり、ニアは私の身体を気遣った。怪我はしていないか。どこも痛いところはないか、と。まるで子供扱い。


 全能の間を開いていて気づくのが遅れたという。


 先程の再編だ。目的が気になる。しかし今はそれどころではない。ニアの直通回線は端末なしでも会話できるが、使えるのは彼女が全知の間を起動したときに限られる。


(ところでセラちゃん)


「え?」


(…新しいインカネイトのことだけれど……)


 そらきた。必ず何か言われる、私の予想したとおり。


(作り直しなさい。ああいうのは、あなたに似合わないわ)


「…………………」


 ランディには聞かせられない。喧嘩が面倒とかそういう話は措いといて。本人にはどうしようもない理由で差別されたら傷つく。


(前の子はよかったわね。とても綺麗で)


「…そう?私は今のも好きよ。色の濃い膚って健康的じゃない」


(輝くような髪と肌。瞳の色も素晴らしかったわ。まるで至高の女神フレイアみたいだったのに……それでも本体のほうが細かく設計しましたから、比べものにならないくらい素敵で優雅なのですけれどね?)


 自画自賛。結局そこに落ち着くらしい。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 途中、荒らし屋少年の家にも寄っていった。


 記憶のとおりなら、アスルタンで戦った後は一度も会っていない。第三者へのリアル割れという洒落にならない仕打ちをしたが、彼自身イスカさんには懐いているから大丈夫。まだマシだった。彼のほうがイスカさんのリアルを知ることにならなくて。


 台所では母親と思われる女性が野菜を茹でていた。仕事の合間に抜けてきたのか、やや堅いスーツ姿。急いではいるものの穏やかな顔をしている。


 少年の姿はない。学校や習い事……いるとすれば、やはりグラキエル。


「…こういうのって憧れます。平和で裕福な家庭」


「行くわよ。ここは無事みたいだから」


 途中、アリスを見つけてマンションへ先回り。屋上から侵入し、部屋に待ち伏せて拘束。当然ながら清々しいほどに敵対的。アイシャを見張りに残すと、高層ビルが建ち並ぶ新都心のオフィス街へ向かった。


 目的は決まっている。アリス=フェアチャイルドの父、ジェイコブ=マクファーレン氏への恐喝。一人娘を盾にしてフェリック本社への侵入を手伝わせるのだ。もう少し練り上げてからのつもりだったが、ここまで事態が進んだ以上は実行に移すより他ない。


(雑誌で見た写真は、かなり獰猛そうだったけれど……?)


 いかにもイスカさんの父親という感じ。かれこれ十数年は昔のもの。


 見送られもせず会社を出て。運転手付きの社用車に乗り込むでもなく。駅方面へ向かって歩き出した白髪混じりの男。雰囲気はともかく、外見についてはランディのシミュレートと寸分も違わない。急ぎ、後を追う。


「…私に何の用だ?話があるなら秘書を通せ」


 ジェイコブ=マクファーレン氏は、敏捷そうな初老の紳士だった。


 穏やかそうに見えるが、取りつく縞のない感じ。一代で成り上がった研究畑の経営者というのは、まあこういったものかもしれない。


「…さすがに豪胆ね」


 半ば呆れながら、暗器を頸動脈に当てた。


「世間ではフェリック社の下請部品メーカー。実体は基幹技術の特許収入を押さえる提携企業M&Fリンケージの代表取締役CEO……」


「金目当てか。なら諦めるんだな。私は命に執着がない」


 直立不動を保っている。普通は少しくらい怯えたりするもの。長い溜息をついた男は、だが露ほどの緊張も感じられない。


「……娘さんを預かっています」


 最初のカードを切ることにした。


「場所は言えませんが身の安全だけは保証します。私の仲間がとある場所で、娘さんの身柄を拘束しています」


「…………………」


 身体に力が入る。この父親、まだ失格ではないらしい。


 場所は本人のマンション。仲間というのは荒事の経験がない高等科の女の子。一応動けないようにはしてきたが、これで誘拐と呼ぶのは無理があろう。念のため録音したアリスの声も聞かせておく。


「……何が望みだ」


「あなたの持つコネクション。より正確には、フェリック社中枢へのアクセス権限。調べたけれど、社長の他に持っているのは何故か部外者のあなただけ」


「競合他社の飼い犬。そこまでして勝ちたいか?」


 喉の奥で嗤う。掠って傷ついたが、あまり気にしなかった。


「いいだろう。要求を呑んでやる……どうせ連絡の取れない娘だがな」


「……目を閉じて。揺れますが、動かないでください」


 フェリック本社の座標を確認。三つほど高層建築を迂回すれば辿り着けるか。


「変わりゆくものよ。千が一のごとし。我らが身は風に舞う木の葉なり」


 ジェイコブ氏を抱えてアスファルトの路上から跳ねた。放物線を描いて飛び、最初の中継地点へ到着。角度を補正して再び跳ねる。眼下の景色が猛烈な速さで流れてゆく。最初に目を瞑らせたのは、乗り物酔いを起こされたら困るというのが主な理由。


 その心配は、私の杞憂に過ぎなかった。


「これは……!?」


「見るなって言ったのに……まあ、別に構わないけれど」


 二つ目のポイントへ到着。ここが一番距離を稼ぐ。


「しっかり摑まって。かなりの衝撃だから」


 缶コーヒー一本分。二人の体重を合わせるとそれくらい。もしも百メートルの高さから落とせばどうなるか。普通、生身の筋肉では荷重に耐えきれない。


「大丈夫?」


「ああ。それにしても凄い……」


 今回は三百メートル。着地まで十七秒の時間がある。


「…娘さんと連絡が取れないって。あれはどういう意味?」


「そのままだ。遠話番号を知らない」


 やたら淋しそうな声が気になった。


「酷い娘ね。お父さんを悲しませて」


「だが自慢の娘だ。私の命に代えても、無事に返してもらいたい」


「…それは」


 着地の衝撃に備えながら、私は囁いた。


「あなたの協力次第です」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 何度か腰を摩った後、ジェイコブ氏の手を借りて立ち上がる。


「……響くわ。さすがに歳かも」


「見たままではないのか?」


「理由あってね。十人分は生きている」


 怪我や病気がなければ、理論上は死なない。ドリームシェアの認証機能を設計した男は、それ以上何も訊かなかった。


「さて、入るわよ。ここから先はあなたが頼り。裏切ったら……」


「分かっている。それより娘のことを教えてほしい。情けない話だが、三年言葉を交わしていない。声を聞かされたときも、はっきりとは自信が持てなかった」


「……本当に大概ね。実は金目当ての強盗だったらどうするの?」


 ゲーム内でイスカというプレイヤーと知り合ったこと。レアイベントを巡る競争相手と誤解されて襲われたこと。システム外スキルの使用を隠すため、彼女ともう一人のリアルを割ったこと。しばらく別件を追っていたが、数日後自分から会いに行った。グラキエルの写実的すぎる特性や、もう一人のリアルについて意見を交わしたこと。


 イスカの名を告げたとき、ジェイコブ氏は意外なほど強く反応した。


「知っているの?」


「元ギルドのメンバーだ。まさかあいつが……開発者のひとりとして、私もドリームシェアのアカウントを持っている。ただ見回るのも退屈だから、童心に帰って剣士の真似事をしていた。インカネイト名はハンス」


 その名前、実は私のほうも憶えがある。一緒に飲んだことさえあるのだが、奢りだと言ったくせに酔い潰れて足りない分を払わされた。目の前の紳士とは似ても似つかない、やんちゃな暴れん坊だったと記憶している。


「なら娘さんの件は解決?話す機会も多かったでしょう」


「いや。嫌われていたから遠巻きにしていた。二度も同じ目に遭うとは……改めてショックを受けているところだよ」


 社友の身分証を提示、難なく警備員詰所を通過する。私は一時的なIDを発行してもらい、彼について本社の中へ。残業する社員も多いため、深夜だろうと取引先の客はよく来る。仕事を楽しむ者が多ければ、それでもブラック企業とは呼ばれない所以だ。


 秘書を通してくれなんて言うから、無駄に気位の高い男かと思っていた。だが私の見る限り、誰からも歓迎されていたように思う。時には厳しめの冗談すら飛んだ。仕事仲間とはグラキエル同様、気さくな関わりをしていたのかもしれない。


「ところで、そちらの女性は?さてはジェイさんもいよいよ……」


「馬鹿言え。レイ君に客だ。最近見ないが、社長は元気にしてるのか」


 お互い多忙な身の上、元より交遊はグラキエルに限られていた。それが最近、全く姿を見せなくなったという。業務上は問題ないため遠慮していたそうなのだが。


 私は聞くまでもない。おおよその状況を調べてある。フェリック社CEOレイ=アルフォードは、人々の前から忽然と姿を消した。かつては時の寵児としてマスコミを賑わせていたにもかかわらず。今や業務命令は全てメール、部下の前にさえ現れない。


 デザイナーの答えは、それらの情報を裏づけるものだった。アクセス権限がどうなっているか知らないが、中枢ブロックへ行っても会えないだろうとのこと。ジェイコブ氏の顔にも拭えない苦々しさが浮かぶ。適当に切り上げ、開発部を後にする。


「開かなかったら、娘は返してもらえないのか?」


「いいえ。ここまで楽に来られただけでも感謝しているわ。ただし荒事になった場合、あなたには人質のふりをしてもらう」


「ふりか。ならば俺も、自分の意思でレイ君の安否を確かめるとしよう」


 この扉の向こうが執務室。特別な生体認証を受けた人物しか入れない。


 例外は許可された者が客を連れている場合。相手が敵対的な意思を持っているなら、間違いなく弾かれるだろう。それとも誘き寄せて袋の鼠にしようとするか。


 いずれにせよ戦いは不可避。友人の無事を祈るジェイコブ氏のためにも、レイ=アルフォードが生きていてくれることを願う。


「……開いた」


 この扉は三秒で閉まるという。後に続いて暗闇へ駆け込んだ。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 ――声を出さないように。


 自動ドアの閉まる音を聞きながら、隣のジェイコブ氏に目配せした。


 こういうときアカシャは助かる。レクサルスやクレアラスより優先度は低いが、発動するのに声を出さなくともよい。


 生身の存在は我が半径二メートル以内に近づくこと能はず……術式が完成した瞬間、驚きとも苦痛とも取れる唸りが聞こえた。即座に状況を理解して謝罪する。


「あっ……ごめん」


「いきなり押し倒されるとはな。次から愛の言葉を先にしてくれ」


「ええ。なるだけ努力する」


 昔馴染みの顔を見て若返ったか。先程までとはジェイコブ氏の雰囲気が違う。


 念のため警備用の術式を検索する。これが驚くほど少なかった。引っかかる間抜けは盗っ人稼業を引退すべき。普通に歩いても避けられるはず。


「……うそ」


 警報が鳴った。曲がり角の向こうから警備ゴーレムが殺到する。


「用心しすぎると、金持ちでも女の子にもてないわよ!」


「レイ君は妻帯者だよ。シンシアさんといったか。そういう君は、独身なのかね?」


「…男はいたもん。私より国を選んだけど」


 負け惜しみが空しく響いた。やられる心配はないが、かといって無視するには数が多い。ここは少し本気を出すか。


「変わりゆくもの。右腕を軸に構築。半径○.五メートル、延長一メートル。材質はPb。変わらざるものよ、前述を理論剛体と成せ」


 警備ゴーレムを打突。一撃で粉砕した。かなりの重労働だが、ここまで来たらやるしかない。迫りくる犬型の二体を纏めて薙ぎ払う。


「棒だ。五フィートでいい、早く!」


 護身用の武器は必要だ。長すぎる気もしたが、注文どおり作って渡す。


 上着を脱ぎ捨て、企業戦士が正眼に構える。次に起こった出来事は、私の目を丸くするに充分だった。


「こっちも童心に帰る必要がありそうだな……!」


 一閃。二足歩行の大物が吹き飛ばされ、やがて動きを止めた。得物を担ぎなおし、不敵な笑みを浮かべる。優雅に取り澄ました経営者の顔ではない。


「昔取った杵柄だ。そう簡単には……やられねェ」


 全部片づけるのに五分とかからなかった。ゴーレムの残骸に座り、口の中で一つ術式を唱える。ほんの一瞬だけ視界の色が変わった。


「…変わらざるもの。青方偏移」


 空間に歪められた壁が軋む。その間を縫うように網目状の赤い線が走っている。


 赤外線というやつだろう。見るのは初めてだがセラフィナの記憶に残っていた。見えないゆえ気づかずに触れてしまい、それで侵入者を察知する仕掛け。術式が発達したアウレアには、元々このような機械は存在しない。レイ=アルフォード以外の何者かが、やはり何らかの目的で来たことがある。


 頭痛に苛まれつつ、全知の間を呼び出す。


「……っぅ……ニア。視てる?」


 返事はなかった。途端に妙な胸騒ぎを覚える。


「…ウェアラブルもか。通信機器は全滅だな」


 真言を唱えたのは自動ドアが閉まる前。創術と法術はその後だった。


 これと似た状況を知っている。敵の追跡を逃れるために使う『断絶』の結界。


 正確に言えば違うもので、内側はアカシャの干渉が及ばない別次元として独立する。まさに究極の防御だが、代わりに術者も外の世界と関われない。


 余談だが、長年ニアを避けていたランディは私達の中で一番この術が得意である。


「…閉じ込められた?」


「手動式だ。余計な奴を入れないよう、客が帰るときは外の様子を確かめている」


 それはおかしい。内外の連絡を禁じるからこそ『断絶』。一部だけ解除し、映像回線を開いているのか。この手法は人の出入りが多いと役に立たない。アカシャの干渉を防ぐために結界を求めたのなら。


「そうか、重力子通信……どこで操作できる?CEOの執務室?」


「いや。続きの秘書室だ。一年前は遠話が通じたし、他の幹部社員も出入りしていた」


「念のため退路を確保しましょう。力比べに勝てるとは限らない」


 私が使えるマナは結界内にある分のみ。対してこの結界は半永久的な隔離を見込んでいる。外界のマナを取り込み、部屋の主へ渡すように仕組まれている公算が高い。またこれほどの式を構築できる術者なら、同格の相手と見ておくべき。ニアは異次元としても、この先にランディと肩を並べる熟練の『神』がいる。


「私が正面から。あなたは秘書室へ」


「逆じゃないのか?レイ君がいた場合、俺のほうが話しやすい」


 音沙汰なくなったのは一年前。上層部からの指示がメールのみで送られるようになった時期と一致する。


「念のため訊いておく。アルフォード氏のインカネイト名は?」


「菜食主義」


「…それって名前なの?」


 肉や魚を普通に食べるらしい。特に意味はないだろうとも。言われてみれば、この手のゲームでは訳の分からないプレイヤー名が多い。


 ジェイコブ氏も秘書室の配置は知らなかった。いきなり攻撃される危険は少ないこと、要人の嗜みとして防弾装備があることを気休めに役割を交換。私は速やかに扉の開閉装置を見つけた後、彼と執務室にいる何者かの会話を聞かせてもらうこととする。身の危険を感じたら、とにかく大声を出すよう指示を出すのも忘れなかった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…入りたまえ。ロックは外れている」


 深呼吸をすると、俺は執務室と廊下を隔てるドアの前に立った。聞き覚えのある音がして、昔と同じように分厚い減量鉄の鋼板がスライドする。


「珍しいね。こちら側に訪ねてくるなんて。今日は狩りのお誘いかな?それとも飲み比べ。酒はあまり好きではないが、君は見ていて飽きないからな」


 肩を震わせて笑った。寸分違わぬ同じ顔、あいつとそっくりな柔らかい声で。にもかかわらず、ここまで印象が変わるものなのか。


「そうそう、二年前のあれは傑作だったよ。野良プレイヤーが飛び入りで賞金魔獣の討伐を手伝ってくれたときだ。祝杯を上げて寝入った隙に首級を持ち逃げされ……」


「……ムカつく口を閉じろ。この贋物野郎」


 様子見のつもりが耐えられなかった。我慢が足りない、昔を知る連中にはよく言われる。しかし誰だって嫌だろう。気の置けない相手が別人のように変わっていたら。


「貴様はレイじゃない。顔を誤魔化しても俺には分かる。一体何者だ?」


「見縊っていたか。さすがは協会序列第四位ギルド『あいす☆とーねーど』のサブマスター……女神を弑し奉る尖兵としては申し分ない」


「……っ!」


 怖気が走る。


 危険を察したらすぐ呼べ。誘拐犯の女は俺に言った。


 できるわけがない。戦友を侮辱した奴には相応の礼が必要。こいつの言い種じゃないが、一撃も浴びせず逃げたとあっては斬り込み隊長ハンス様の名が廃る……!


「おおぉっ!」


 手加減すれば殺られる。気魄を込めて殴りかかった。


「『床を打て』」


「『動くな』そして『伏せろ』」


 手加減しなくとも殺される。


 馬鹿な。


 ここは現実だ。にもかかわらず指一本動かせない。



 ☆★☆★☆★☆★☆



(エレン語の言霊……!?)


 一応あり得ること。アウラはエレン語も話せるから。しかし。


 効果が安定している。ここは既にグラキエルなのか。


(……セラ。聞こえる?ようやく通信が回復したわ)


「ニア!?一体何がどうなって……!」


(話は後。彼を確保しなさい。きっと私達の知らない何かを知っている)


 開閉スイッチは見つからなかった。ならば強引な手を使うのみ。


「アウラよ汝の干渉を解き放て!此の場には我と彼、既に育まれし存在のみ!」


「変わりゆくものよ。分解再構築。X=H₂O+Q」


「変わらざるもの。比熱変更。C=100J/g・K」


 壁が降り注ぐ。思った以上の冷たさに半分くらいでよかったかと反省しながら踏み込む。水とのエネルギー差が小さめの物質でできていたらしい。


「Freeze……!?」


「効かない。ここは自然の領域だもの」


 当て身を喰らわせる。色白な金髪の男は、あっさり崩れ落ちた。真言法師としては当たり前。肉体強化はクレアラスの領分に含まれる。


 真言法の技術も、どこから手に入れたのかは謎だ。入れ子として新世界を構築し、双方の肉体と意識を繋ぐなど驚嘆に値する。遠話やマナ制御の基礎を除き、私以外のアウレア人は理解できないようにしてあったはず。


「…こいつも魔法使いか。レイ君はどこへ行ったんだ……?」


「分からない。あるいは元々傀儡だったのかもね」


 会社が成長し知名度も上がれば、無論マスコミ対策が欠かせない。


 十中八九、アルフォード氏はインカネイト。言い換えれば、そういう人間は最初から存在しなかったことになる。この肉体を操っていた人物は、マインドリンク技術を応用して現実世界にもインカネイトを製造するに至ったのだ。


 ここまで厳重にする以上、このメインブロックには何かがある。アカシャを使って調べられると困るようなこと。そいつはラフィニアの存在を知っていて、絶対に知られたくない何かを行っていたことになる……


 ランディからの通信が入った。状況終了、とだけでいつもながら愛想が悪い。


(お帰りなさい。報告は後で聞く……調べれば調べるほど、あなたが怪しく思えてくるんだけど?)


(愚問だ。一人でラフィニアを出し抜けるなら、とっくの昔に終わっている……)


(…随分高い評価ですこと。機会があれば、こいつと話してみたい?)


(それこそ愚問だな。力そのものに罪はない)


(お喋りはそこまで。見つけました……結界辺縁に不自然な質量の空白があります。送信したAR座標の(-696,1261,-4254)、この情報から推測される構造は地下室。ここが既に海抜以下ですから、地下中二階というところね)


 その座標を調べてみる。間もなく隠し部屋の入口が見つかった。場所はCEO執務机の真下。毎日出入りする秘書達でも無暗と凝視するわけにはゆかない。


「何か見つけたのか?」


 来客用のソファにアルフォード氏の姿をしたものを寝かせ、ジェイコブ氏がこちらへやってくる。本当に贋物か決めかねているらしい。催眠術の類に洗脳されただけと思いたい気持ちがあるのだろう。


「ちょいとヤバそうなものをね。社長の足元にある落とし戸に、我が家秘伝の梅干しが仕舞われています……なんてことはないと思うし」


 床材を蹴り抜くと、二秒後に砕ける音が返ってきた。少なくとも八十メートルの深さがある。中二階どころか弾道ミサイルとやらの発射坑も真っ青。


「どこを笑えばいいんだ?それは」


 エレン人の壮年紳士には、ニケア固有の独特な言い回しが通じなかったらしい。


「…先に潜るから。あなたはここを見張っていて」



 ☆★☆★☆★☆★☆



「変わりゆくものよ。重力低減。十が一の如し」


 竪穴に身を躍らせながら、頭上へ鉤付きのロープを放つ。


 登るつもりはない。途中で速度を殺すための単なる小道具だ。戻りは鉛直方向を変えればよいし、今はこのほうが手軽に下りられると思っただけ。


「熱源情報。着地予定ポイントの状況知らせ」


(ないわ。ただし予定ポイントから三〇の距離に集中している。数は……全部で十二)


「十二!?こんな場所に十二人もいるの?」


 光も差さず空気は淀んでいる。とても人の住む環境ではない。一時的に隠れるならともかく。アルフォード以外の取締役達もここに監禁されているのか。


 フックを直接右手で摑み、摩擦によって減速する。着地に際して予想された銃撃はない。垂直な岩肌を暫しの枕に、横穴の手前で転寝する。


「歓迎はなし……か。随分と無愛想ね」


(無駄口は叩くな。慎重に行け)


 ありがたい忠告に頬が緩む。私のいないところでは相変わらず険悪なのだろうが。


(失礼ですよ。セラちゃんに謝りなさい)


(言われる筋合いはないな。貴様は俺の敵だ)


「はいはい二人とも。喧嘩されて困るのは、私なのですけれど?」


 物陰になる位置へ飛び降りて、中の様子を窺う。


 ここがグラキエル世界なら、私も『智慧の力』を使える。サーモグラフィを表示すると、確かに熱源が十以上。しかし動いているものが一つもないのはどういうことか。


「ニア。動いているものがないのだけれど?これって人間なのかしら」


(そうね。邪魔だったから片づけておいたわ。安心して奥へ進んで)


「…了解」


 相変わらずの早業。物音がしなかったところをみると毒殺系か。『全能の間』を展開し、瞬時に敵の情報を書き換えたのだろう。


(景気よく使いすぎだ。少しは姉のことも気遣え)


(配慮していますよ?この程度の改変なら、あと二万七百六十九回実行可能です)


「……はいはい。今後は節約志向で行きましょうね?」


 上と同じく警備ゴーレムは残っているかもしれない。慎重に息を殺して進む。


 やがて広い空間に出た。そこは舗装されており、下りてくる途中の洞窟に比べれば清潔な印象を受ける。さりとて埃が積もるのは免れず。無数の足跡は棺桶のような縦置きの箱から出ていた。私は、これと同じものに見覚えがある。


「…インカネイトの調整槽」


(なるほど。ここで製造したのだな。中身がないものはあるか?)


 一つ。上でジェイコブ氏が見張っているCEOもどきの分だろう。こうなると俄然、他の棺桶に寝かされていた屍の顔が気になってくる。


(……開けるの?)


「何事も確かめないと気が済まない性質なのよ」


 惨殺体は見慣れている。鍵がかけられた棺桶の蓋を力任せに引き剝がした。


 全部同じ顔かと疑ったが、焼け爛れて判別不能になっている。残り十個も一緒、ニアのやり過ぎは今に始まった話ではない。


「……うぇ。嫌なもの見た……」


(吐くなよ。現場が乱れる)


 検証はランディの仕事だ。私が気づかなかったものでも、時間をかければ見つけてくれるかもしれない。彼の観察力は称賛に値する。


(では撤退ね?…セラフィナ、お疲れ様)


「はいお疲れ様……早く帰ってビールでも飲もっと」


(こら。上の後始末が残っているぞ)


 そうだった。ジェイコブ氏とアルフォード氏もどき。あの二人をどうするか。


 順当に考えれば前者は口止め、後者は連れて帰るだろう。素直に吐いてくれるとは思えないが、一応尋問を試みなければならない。


「連れて戻るの?ホームまで?」


(三度の食事と下の世話をやるなら、お前に預けても構わないが)


「……分かったわよ。連れて帰ればいいのでしょう。ここから結構遠いのに……」


 アジトのある島までは、高速鉄道並みに急いでも一日かかる。


 危険性を鑑みればジェイコブ氏に任せる案は却下。いつ『ログイン』してくるか分からない。友人の姿をしているだけに、情が移ってしまうことも考えられる。


 ここで見たものは教えない。顔を整形した犯罪者が本物のアルフォード氏を連れ去ったことにしておく。また暴れるかもしれないから、事件が解決するまで彼の身柄は私が預かる。必要な情報を引き出したら、あとは煮るなり焼くなり好きにどうぞ、と。


「念のため確認……」


 ざっと室内を照らしてみる。生物型の光は弱いが、細菌をキャリアにすれば半永久的な維持すら可能。水や栄養がなくても死なずに休眠するだけ。明度の低さを気にしなければ、これほど長く使える懐中燈もない。


 柔らかな燐光の彼方に目を凝らす。壁際の低い場所に視線を彷徨わせた私は、暗闇の中で見つけられなかったものを見つけた。光の進行を捻じ曲げてしまう『断絶』。歪んだ鏡のごときそれは、不可視の球体として私の目の前に横たわっている。


 こちらはアカシャを使ったにもかかわらず破られていない。もしや本物のアルフォード氏では――直感的に答えを悟る。それがジェイコブ氏を惑わせた違和感の正体。完璧な人間の個体を無の揺らぎから創り出すのは難しい。


「……見つけたわよ、本日最大の戦果。座標を送る。何があるか確認して!」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 改めて観察する。


 結界内に結界。念の入ったことだ。これを構築した者は、余程触れられたくないらしい。


(破れそう?)


「大丈夫だと思う。閉鎖系に隠していただけあって、外部のマナを吸収するタイプではないみたい。自己修復性能も知れている」


 中枢ブロックに至る認証ゲートのところは凄かった。あれは内側から破ろうと思えば、恐らく二秒や三秒が限界だろう。


(早速お願い。無人の海域から支援のマナを転送します)


「……了解」


 気が進まなかった。あれだけ興奮しておいて何だが、落ち着いてみると引っかかるものがある。


 地下へ降りてからだ。狭い場所の圧迫感?惨殺体を見たこと?実は細かい虫があまり好きではない。アスルタンの事件から一週間、ほぼ不眠不休で働いている。


 疲れているのかも。それがありもしない不安を感じさせて。どうせ幻覚が現れるのなら、北エルニアはリエント地方の白ワインあたりにしてほしいのだが。


「一応確認するけれど、全能の間からは見えないのよね?」


(ええ。座標に穴が開いている。内側に何があったとしても、現場にいない私からは干渉できないわ)


「分かった。では……やるわよ」


 超越者『変わらざるもの』にアクセス。この結界を造るも壊すも、同一存在への働きかけに他ならない。


 なかなか公平な性質で、求められるのは強制力――つまりマナ量の多寡だけ。セラフィナの記憶に基づいた推測だが、私などは一種の高冗長性情報処理プログラムではないかと思っている。こう考えれば誰の依頼でも拒否しないこと、大雑把な表現さえ意を汲んで実行してくれることの説明がつく。


 無論、誰が作ったのかという疑問は残る。これもセラフィナの記憶だが、彼女らは見つけただけで人間の手によるものかさえ明らかではないらしい。


「変わらざるもの。彼我の間に横たわりし無の揺らぎを締め出せ……」


 俄かに周辺のマナ濃度が増した。ニアがアカシャを書き換えたことによるもの。影響を認識されない他の地点から汲み出し、私の座標へ流し込んだのだ。これだけ集まれば爪の先くらいの隙間を開けられる。内部の状況を調べるには、とりあえず充分。


(ランディはどうしたのかしら?)


 ふと気になった。CEOもどきの処遇を話したあたりから、彼は一言も発していない。マナ濃度の勾配を変えることにも異議を唱えなかった。姉への負担を最小限に留めようとするランディとしては、非常に珍しいことだ。


(アイシャとイスカさんの護衛を頼んでいたっけ。敵に見つかって余裕がなくなったか……ま、そんなところよね)


 余念を払い、再び施術に集中する。もう少しだった。この調子で数秒もマナを送り続ければ、卵の殻が割れるように漆黒の表面をひびが走って……


(おい、何をしている!)


 ランディだった。お早いお帰りだが、どういうわけかいやに慌てている。


「何って……お仕事。あなたも地下の様子は知りたがっていたじゃない」


 疲れているところに横槍が入って、私は機嫌が悪かった。帰ったら強いのを一杯やって早く寝る、そう思っていたのに。どうしてこの子はいつも、他人の細やかな愉しみを邪魔しようとするのかしら?


 私の不満を余所に、力押しで捩じ込んでくる。


(いいから中止だ。マナの注入を止めろ)


「無茶言わないで。ここだけ時間が速くなるわよ?」


(それでも構わん。今すぐだ!)


 その瞬間、音を立てて温泉卵の殻が割れた。


(ありがとうセラ。あとは、私に任せて)


 言った途端、マナの流れが変わる。レクサルスやクレアラスとは違う。これはニアがアカシャを書き換えたときの感覚。中の様子を調べるだけなら、ここまで強大な力は必要ない。一体何をするつもりなのか?


(修復しろ!)


 ランディが叫ぶ。顔を見なくとも分かるほど明白に慌てていた。


(奴はアルフォードを殺すつもりだ。俺では止められない!早く!)


 まさか。しかし万一ということもある。今はランディを信じるしかない。


「変わらざるものよ。無の揺らぎに隔てられし彼我。其は破られたり。希う今一度、遍く縁の断たれ……」


 激流。溢れ出した暴威。私の周りが恐ろしい速さで流れてゆく。気づいたときには既に終わっている。凍りついたのは私。周りは何も変わっていない。


 結界は修復されていた。元のとおり黒々とした闇を漂わせている。


 どうなったのだろう。それ以前に、どのくらい時間が経ったのか。恐る恐るランディとの回線を――開けなかった。アカシャの制約は未だ解除されていない。


「ニア!どういうこと!?説明しなさい!」


 結界の中に誰かいたのか。アルフォード氏なる人物が本当に存在したのか。全知の間を使えない私とランディには確かめる術がない。


 黙殺。等閑。軽侮。あるいは無視。


「……そういうつもりなら考えがあるわ」


 もう彼女の指図は受けない。今後は私のしたいようにさせてもらう。


 死の淵から拾われたことは感謝している。普通の人間でしかなかった私を導き、永遠を生きる者の心構えを教えてくれたことも。だが、これは違う。明らかにやり過ぎだ。何も知らなくていいと言わんばかりの傲慢を、私は断じて許容しない。


 一命を取り留めた私に、ラフィニアはある人物の記憶を与えた。


 セラフィナ=カスキ。後に自由の女神と謳われる人間の女性。二人は同じ国に生まれた友人であり、情報学と量子論の研究者だった。


 ランディによれば、私の出生自体が仕組まれたものだという。ヒトとして暮らした短い生涯も、誰かに視られていたのかと必然的に考える。


 十四の誕生日にエルの教えと父を捨て、聖地へ亡命してセラ教に入信した。仲間を護るために傀儡の王を立て、戦争推進派の無神教徒を弾圧した。尊敬する父の期待を裏切ることもあった。どれもこれも、弱くて頼りない定命の者として決めたこと。それらの意思が全て、操られたものだったとは思いたくない。


「別れはやってくる。それを否定した時点で、あなたはヒトではなくなったのよ」


 私はクラリス=ヴェルファーシア。自閉症を患う神が作り上げた亡き友の人形。


 寿命を失くし、在るべき時代も喪った。一緒にいたいと願う全ての人々と引き離され。


 だが生きている。今も昔と同じ、不完全な人間のまま。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 上ではジェイコブ氏が秘書室を調べながら待っていた。


 無意味ではないが無駄だ。確認できたことは、アルフォード氏が紛れもないCEOだったという事実。他の人物が干渉した形跡はなく、ラフィニアの暴走によって唯一の証拠も失われてしまった。斯くなる上は――とりあえず逃げるしかない。


「そちらは?何か分かったか」


「謎は深まるばかりよ。分からないことが分かっただけ」


 具体的に何を見つけたのかは教えなかった。私にとっても憶測の域を出ていない。ラフィニアの暴走については話しておいた。二人いるバックアップメンバーのうち、より力の強いほうが不審な行動に出た。その結果、調査の手掛かりが何もなくなったこと。


「最も危険な相手。私には彼女の考えが分からない……分からなくなった」


 怖気を震う。今すぐ殺されたりはしないだろうが。


「軍や警察の力を借りてもか?」


「次元が違うわね。全く」


 まずランディの無事を確かめなければ。彼さえ無事なら、まだ終わりではない。


 アルフォード氏もどきは抱えて堂々と連れ出した。株価は下がるだろうが、そこまで配慮する余裕もない。


「今までどおり生活すること。何かあっても言い訳できる」


「…何かというのが何か、訊かないほうがいいんだな?」


「娘さんのためにもね。彼の身柄は預からせてもらいます」


 タクシーの後部座席に乗り込むと、ジェイコブ氏は無言で頷いた。友人が無事に戻ることはないと、既に諦めているのだろう。


「そうそう忘れてた……はいこれ。約束の報酬」


 紙切れを一枚、差し出した。


「申し訳ないけれど、仲裁の暇はなくなった。今アリスさんは、初等科の男の子と親しくしている。優秀な可愛い子でね。養子に取るのも悪くないと思うわ」


「なっ……それはどういう意味だ!?」


「言葉どおりよ。相談されたら乗ってあげて。それでは御機嫌よう。お休みなさーい」


 父親をからかうのは楽しい。車が見えなくなるまで見送った。


 さて次は自分の心配。遠話を使えばニアに気づかれる。二秒ほど悩んだ末、アリスさんのマンションへ戻ることにした。


 何事もなければ、アイシャは今もそこにいる。護衛を頼んだランディも近くにいるはずだ。アリスさんの役目はここで終わり、誰かに狙われることもないだろう。


 そのはずが。予想に反して、彼女の部屋は無人だった。


 荒らされた形跡はなく。警察や軍、エルニアの特殊部隊によるものではなさそう。その程度の連中では、十対一でもランディに歯が立たない。


 場所を移動したのだ。何か穏やかならぬ事情により。それにしても遠話が使えないのは不便。いっそ映像回線を開き、手話を使ってやり取りするか……


「…ハン語は使えるな?確かセラフィナが学んでいたはずだ」


 忽然と現れた男が、少数民族の言語で話しかけてきた。


 ランディだ。毎度ながら彼は、言葉というか思慮が足りない。


「ごめん、あまり得意じゃない……三日で通信講座をやめたようよ。理由は……ツォン語のほうが役立つから?」


 セラフィナの記憶は思い出したくない。頭病みを追い払う。


「ならば、こちらで話すことにしよう」


 ランディもツォン語に切り替えた。ラフィニアが分からない言語なら、解析に時間がかかるため安心して話すことができる。


「で。どこへ行っていたのよ?護衛対象も放ったらかしにして」


「放ってなどいない。進んで死地へ飛び込もうとするから、やむを得ず火の粉を払ってやった。思わぬ連中を呼んだゆえ、全力で働く羽目にはなったが」


 焦げ目のついた濡れ鼠を見つめる。なるほど確かに全力だ。この分ならアイシャもずぶ濡れだろう。インドア派の彼が傘を差す余裕もなかったのは珍しい。


「でも、まだ足はある。安心したわ」


「お前こそな。ここに来るかは半々だと思っていた」


 可笑しさが込み上げてきて、肩を揺らしながら自嘲する。


「私が人形だから?亡くなった友達を思い出すための?」


「そういうことだ。あの女にとって、お前の代わりは幾らでもいる」


 憎まれ口は相変わらず。そのくせ妙に気遣うところも。冷酷な現実を突きつけるのは彼なりの優しさ。そう考えることにしている。いや、そうでも思わなければ……


「……私は大丈夫。さ、あの子達のところへ案内して」



 ☆★☆★☆★☆★☆



 ランディが私を連れてきたのは、都心の市立病院だった。


 深夜の救急体制が充実している拠点病院。ここに搬送されて助からなければ、運が悪かったと諦めるしかないところ。


 普通の人間は、マナへの抵抗力が弱い。多少の怪我ならクレアラスで治すが、重傷になるほど厄介な副作用を呼ぶ。体力が衰えているときは私達も同じで、結局このような施設の必要性はなくならない。


 つまりランディは、どちらかを護りきれなかった。話を聞いてみると、それは意外にもアリスさんだという。


「何があったの?一時的に注意が逸れたことと関係ある?」


「三人抱えて対応するのは難儀だった。早く治療を受けさせねばならなかったし、連中もすぐ諦めたわけではなかったからな」


 アイシャとユンイェを囮に、ランディは重体のアリスさんを病院へ。荒事続きで度胸が据わり、危険な役目を買って出たのだとか。あわや手遅れとなる前に再び救出。これでもかというほど圧倒的な力の差を見せつけて。


「ミスラの公安だ。割と善良な組織らしい。裏はなかった」


 家守のように壁を伝い、示された窓の向こうを覗く。


 寝かされているのはアリス。絶対安静ということで、医局に近い個室を宛がわれている。見たところ被爆による異常はないようだ。安堵の溜息が洩れる。


「軍や政治家にはあったのね?」


「金が流れていた。安全性に疑問符のつくビジネスだからとも言えるが……」


「流すべき相手が違う。口を封じるなら軍より警察」


 公安は動いていた。フェリック社の不正を探る形で。これは通常の治安維持活動に他ならない。組織の体質にもよるが、どちらかと言えば彼らは味方だ。


「アイシャとユンイェ君は?」


「元の家に戻してある。連中にはヤンシャオ魔雫開発集団の裏帳簿を叩きつけておいた」


 咄嗟に意味が摑めず首を傾げる。


「前に言っていたろう。リカルド郡の精錬所を建設した会社だ。ここの筆頭株主はフェリック社と同じ人物になっている」


 ゼネコンが政治献金を行うのはよくある話。しかし軍にまで手を広げるのは解せない。世間を欺くにしても、かえって不自然ではないのか。


「…これが、役に立つかもね?」


 背負った大荷物の肩を叩く。どうやら息はある。あれだけ飛び回ったにもかかわらず眠ったまま。一体いつになったら目を覚ますのか。


「例の男だな。しかし容れ物に過ぎなかったのだろう?」


「目は見ている。耳も聞いている」


 インカネイトにオリジナルの人格があればの話だが。


「それで、どうするのだ?ラフィニアに逆らったところのお前は。思い残すことがあるなら、できる限りのことは聞いてやろう」


 優しいことを言われると、死の影が現実味を帯びてくる。今までにも存在した数あるコピーのひとり――改めて思い知らされる現実が重い。


 風の冷たさに震えながら、私は率直に駄々を捏ねた。


「まだ死にたくない。だから生き残るために力を貸して」


 普通の人間には、あり得ない時間を生きている。それでも理不尽な死は御免だ。


 未練がましく思われようと嫌なものは嫌。代わりの肉体を得て新たな場所へと向かう。一度姿を消すが、そのうち必ず戻ってくる。


「アリスさんをよろしく。私には事情を説明している暇がないから」


「…………………?」


 一緒にアパートへ戻ると、ようやく意図が伝わった。この先は単なる確認。


「ログインしたら結界を。多分戻れない。向こうでやれるだけのことをやる」


 シャワーを浴びて。食事を終え、歯磨きと排泄を済ませ。その間ランディは黙っていた。夜遅く女の部屋へ上がり込んでいるのに、いつもながら色気のないこと。


 部屋着に着替え、ベッドの上で横たわる。あとはドリームシェアを起動するだけ。


「……では、またね」


 この段に来て、ようやく挨拶らしい言葉を口にする。


「とりあえず向こうで。連絡はこちらからする」


 ランディの返事を待つ。その数秒が怖ろしくて。


「……了解。気をつけて行ってこい」


「うん。では、行ってきます」


 声だけでも笑う。今度こそ本物の幸せを、自分のところへ呼び込めるように。


「インカネイト名レオン。中世エリア、魂の故郷ミロスへ!」


 それが生身の鼓膜に聞く、この世で最後の響きだった。

――復興の近現代史Ⅰ ~再植民国家の隆盛とリトラ共和国の衰退~

 忌むべき『空白の世紀』を乗り越え 偉大なる先人達は我々の世界を復興した

                  『STATE』編集部 南部復興検証チーム



 大陸復興運動が始まってから、今年でちょうど四〇〇周年の節目を迎える。その事実を否定する者はいない。東の果てにある小さな島国リトラが、長い時間と労力をかけて大陸全土を救ったのだ。文化破壊や侵略と見る向きもあるが、それは当たらないと思う。エルフ族の軍勢が現れるまで、大陸南部には全く人間がいなかったのだから。


 かつてこの地方には、セリムと呼ばれる強大な帝国があったという。宗教的な対立を発端として大陸全土を支配していたエルニア王国から独立した。この国に暮らしていた人々は、ある意味私達の文化的な先祖と言えるかもしれない。礎の女神アウラを崇めるリトラ共和国や正義の神エルと勇気の女神ディアナを奉ずるエルニアと違って、自由の女神セラと愛の女神ルースアを信仰していた。


 今日見られる私達の宗教的な慣習は、その影響を間接的に受けながら発達したもの。再入植とそれに伴う遺跡の発掘により、大災厄で滅びる前の社会像が見えてきた。リトラ共和国の住民は、エルフ族を除いて大陸南部から渡った者達の子孫が多いという。進取の気風溢れる帝国の文化は、元々ツォン人の体質に合っていた。故郷の土地へ戻ることによって、見事なまでの先祖返りを果たしたのである。(一部抜粋)

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