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私の中のリアル  作者: 五月雨
Account-List 3
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Player 06  Stella Kimble

 合成紙を捲る音が、深夜のダイニングルームに響く。


「なになに?まず箱の中から分解された筐体を取り出して……」


 個人用の冷蔵庫ほどもある化粧箱には、メーカー側が考えたらしい『新たな世界。新たな自分。そして新しい感動を――』なんて気取ったキャッチコピーが記されている。


 これはその説明書。箱買いした輸入物のビールを含みながら紐解く。長いものではないのだが、エレン語、ツォン語、ハン語果てはエルフ語やドワーフ語に至るまで。五つもの言語で書かれているため、相応に分厚い。まるで遠話帳だ。


 ものの数分で組み立て完了。天井と床に四個ずつ、計八個の部品を取りつけた。


 一番重要な操作系はソフトをウェアラブルにインストール。最初はこれを使うが、慣れてきたらマニュアルで充分だろう。


 オプションは興味ないから、邪魔にならないよう元の箱に……もとい、ベッドの下へ放り込んでおく。ワンルームのインテリアとして、個人用の冷蔵庫は大きすぎる。


「…目覚まし機能はいつでも設定することができます。誤動作の原因となりますので、最初に必ず標準時との時刻合わせを行ってください……」


 体内時計で適当に合わせる。フリーランスだから、時間はあまり気にしなくていい。


 空き缶をリサイクルの篭に抛った私は、袖なしタンクトップと下着のみの格好でベッドの上に寝転んだ。八つの部品から成る直方体の、およそ中央に位置している。


「開放系のディセラレータ……こんなもので本当に大丈夫なの?」


 一抹の不安を覚える。いっそプログラムを解析してやろうかと思ったけれど、残念ながらそれもできない。時刻には縛られないが、無限に時間があるわけではないのだ。


(ま、危険はないでしょ……これで商売してるんだし)


 業界全体で見れば、別に新しい製品でもない。世に現れて十年以上、バージョンアップを重ねながら着実に浸透してきた。最初は高級な玩具として、今や誰でも扱える革新的なインフラストラクチャーとして。


 通称『ドリームシェア』。ゲーム機として広まった経緯から、娯楽産業や食品関係の業界ではそう呼ばれている。お堅い名前もあるけれど、今後のことを説明するにはそれで充分。目的は何であれ、傍から見た私はゲームをしようとしているだけなのだから。


 とはいえ、いつかは全ての機種を解析しなければならない。


 現在を支配する社会――南部独立同盟SIAはやり過ぎた。得体の知れない企業フェリック社の尻馬に乗り、その影響は仮想世界を越えて現実世界までも侵しつつある。


 全ての端末を破壊し、あらゆる関係者の脳から『ドリームシェア』に関する記憶を消し去るのが私の使命だ。


 非人道的に聞こえても、そこは許してもらいたい。私だってこの世界を愛している。


 ジグムント産のビールが飲めなくなるのは惜しいし、小腹が空いたときに掻きこむラーメンの味は格別だ。強硬な手段に訴えるのは、それほど危機的な状況ゆえ。余計なお世話かもしれないけれど、このまま変な方向に進んでもらっては困る。


 …話が逸れた。結構忙しいのだから、さっさと登録を済ませてしまおう。


 初期設定のコマンドワードを唱えると、私の意識は夢の世界へと沈んでいった。後で解析するため、アカシャを検索しやすいように極低温タグを作っておく。


 入力言語はエレン語を選択。これも初期設定だから変えなくていい。他にもツォン語、ハン語、ドワーフ語、エルフ語とあるけれど、それらの表示に首を傾げる。前の二つはともかく、エルフやドワーフのプレイヤーなんているのだろうか。


「性別は……女。これって選ぶ意味あるの?」


 考えようによっては、マイナーな思考言語が存在する以上の謎だ。現実世界と近すぎるため、違う性別を選ぶのは規約違反とされる。オンオフを繰り返していると、性差に基づく感覚的な狂いを生じてしまうのが主な理由らしい。


 なら別に選ばなくてもよいではないか――大多数のユーザが、私と同じように考えたことだろう。実名は登録するのにアカウント名……インカネイト名?は入れなくていいというのが、ますます疑念を強くする。



 ――それでは最初に名前と住所を教えてください。



「クラリス=ヴェルファーシア。ミスラ共和国ミスラD.C.レガシーレーン四七四番地、ヘリテイトアパート二○三号室」


 これは本物の情報。偽名を疑われるなら、むしろ攪乱できて都合がいい。



 ――確認いたしました。次は生年月日を教えてください。



 愚直な受け答えに、私は思わず笑ってしまった。


 自信を持って言えるけれど、今の時代このような名前の人物は存在しない。悪戯心を刺激されて、正直に生年月日を教えたくなる。意外にもそれはエラーを起こさず、当たり前のように吸い込まれていった。



 ――確認いたしました。次は指定の口座を教えてください。



「やば……エルフの範囲内か」


 慌てて口を噤んだが、もう遅い。私の年齢は七○七歳で認識されてしまった。確認の連絡が来たら、肉体年齢と同じ二十三歳に修正するとしよう。


 口座の名義とプレイヤー名が違うのは構わなかった。親が子の料金を払うことはあるし、何より業務用なら『株式会社×××× 代表取締役社長 △△△△』なんてのも珍しくない。日雇いのイベントスタッフなどは捨てアカも同然だ。


「バンクオブルシア、フォルテ支店。普通一三七一五九四」



 ――確認いたしました。後日、指定口座の金融機関宛て照会させていただきます。



 予め用意しておいた口座を答える。金融国家の大手銀行だ。政府機関に協力する意思はあっても、大組織だけに出足は鈍いと思われる。



 ――全ての確認作業が終了しました。それでは空想の世界をお楽しみください。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 フェリック社のロゴが大きく表示された後、私は仮想世界に降り立った。


 重力が戻ってくる。そこは風通しの悪いロッカールームのような部屋。


 あまり広くもなく、棺桶サイズの調整槽が五十基ほど並んでいる。これで薄暗かったら、地下墓地と誤解しなくもない。不気味さを感じさせないよう、温かみのある木目の材質を柔らかい光で照らしているのだ。


 一般のプレイヤーは、それだけで騙されてくれるだろう。


 でも私は――ここで何か奇妙なことが行われているのではないかと疑っている私は。見せかけの優しさなどに惑わされたりはしない。


 週末の二十三時。それは最も人が集まりやすい時間帯だ。


 群衆に紛れ込めば、多少のおかしな行為は埋もれてしまう。じっと私だけを見ている者がいない限り、決して気づかれることはない。


「…っとと。現状確認。まずはそこからね」


 両腕と両脚、どちらも二本ずつ。指は普通に五本。焦点が合わないとか痺れているとか、先天的な異常はないようだ。『グラキエル』はリアルな世界。プレイヤーの分身――インカネイトに与えられる資質は、年齢と性別を除いてランダムだと言われている。運が悪ければ、そういう障害を持った肉体が造られることもあるという。


 基本線はクリア。次に肘を曲げ、ぺたぺたと自分の顔を触る。普段の感覚とあまり変わらない。お肌の曲がり角が少し気になるくらいか。現実の肉体と違って強化されていないから、こちらでは気をつけたほうがいいかもしれない。


 最後に体型。腕と脚は長くて胸が小さめ。これは正直助かる。走り回ることが多いだろうし、あまり大きいと動きの邪魔になるのだ。年齢は二十三歳に設定しておいたから、これ以上成長することはないだろう……ちょっとだけ残念のような気もしなくはないけれど。


 装備は古風なチュニックとパンツ、硬いサンダル。武器の一つも持っていないのは、必ずしもそういうゲームではないから。ゆっくり最初の街を歩いてみて、それから何をしたいか決める。目的のために有利なら、喫茶店を経営しても構わないのだ。


(いきなりチートをするのも面白くないかな?)


 時間と肉体を操る秘法――創術を使おうとして、とりあえず今はやめておく。


 いざとなればどうとでもできるし、たまにはか弱い女の子ぶってみるのも悪くないだろう。重い樫の扉を開けて、私はセーブポイントがある部屋を後にした。


 明るい静謐さ。廊下に出たとき、最初に思い浮かべた言葉はそれ。お祭り中の境内のような、浮かれた空気が漂ってくる。


 それでも静かなのは、大理石の壁と柱が街の喧騒を吸収してくれるから。厳密に言えば違うのだけれど、今はそんなふうに感じられてならない。


「ようこそ新世界へ。我らはあなたを歓迎します」


「神なき世。人は自らの足で立たねばならん」


「剣の力。技の力。智慧の力。どれでもよいだろう」


「私達の前には、可能性が示されているのです」


 聖堂までやってくると、四人の男女に話しかけられた。


 ノンプレイヤーキャラクター、略してNPC。プレイヤーが操るのではなく、運営会社の管理人かプログラムによって制御される人形。一般に狭い意味で解釈され、その場合は後者のみがNPCということになる。


 筋骨逞しい女。頑固そうな中年。柔和に微笑む老紳士。それぞれ体現する力の表象を携え、私の前に立っている。女は短剣を。中年は金槌を。老紳士は……彼だけは何も持たなかった。持っているように両手を掲げ、見えない何かを恭しく押し戴きながら。


「選んでください。あなたの進むべき道を……」


 三人の後ろに控えた聖職者らしい女が告げる。


 説明書によれば、今すぐ選ぶ必要はない。これから街でチュートリアルが行われる。でも私は、迷うことなく老紳士に向かって右手を差し出した。


「智慧の力を。情報が貰えるのでしょう?」


 私の問いかけに、老紳士は重々しく頷いた。


 簡易版『全知の間』のようなものか。ものづくりの道はまた今度として、私は素手でも戦える。目的を考えるなら情報は大切。


「…承知いたしました。ではあなたに智慧の力を授けます……」


 巫女と老紳士が頷く。儀式自体は、拍子抜けするほど簡単に終わった。虚空に文字を描くこと三秒。真言法のようだが、それほど高度な術ではないらしい。力を与える側よりも、むしろ扱う側に優れた資質が求められる。


 座標と必要なパラメータを唱えれば解となる数値が、特定のパラメータにおける閾値を唱えれば条件に合う座標が。複雑な操作が要るため、一瞬を争う場面では使いにくいような気がする。時間帯ごとの人口や商品の流通状況を調べたり。基本的には企業関係者のために設定された力だろう。


 とはいえ何かの役に立ちそう。人肌の温度で周囲を検索し、見えない敵を察知するなど。要は使い方次第、すなわち『智慧の力』ということか。


 NPC達に礼を言い、私は聖堂の外へ出た。振り返ってみて、その威容に驚く。譬えるなら山、あるいは巨大な蟻塚。これをプログラムするのは、現実で同じものを建てるより難しい。プレイヤー全員分の調整槽を並べるには必要なのかもしれないが。


 私が今いるのは、『始まりの都』アスルタンの中心市街地。そのまた中心部にある『転生の社』と名づけられた場所。本質はどうあれ、そう決まっているのだから仕方ない。ゲームの説明書や市販のガイドブックには、およそ次のように記されている。



 虚無の侵蝕に襲われた人類は、魂のみの姿となって混沌界へ逃げ込んだ。


 それから千年。ようやく物質界への復帰を果たすも、かつての強靭さを取り戻すには至らなかった。肉体と精神の結びつきが弱く、定期的に調整しなければならないのである。さもなくば混沌に侵され、別人格に身体を乗っ取られてしまう……



 ここでの肉体、インカネイトというのだが、それは正確に言えば転生者という意味ではない。『肉体を与えられたもの』『抽象概念を具体化したもの』――後者は迂遠過ぎるにしても、素直にリインカネイターと呼ばない理由は何なのか。そのあたりにもフェリック社の思惑が伏せられているのだろうし、それを暴くのが最終的な目標でもある。


「ランディ。リセットプログラムを用意しておいて。明け方には強化を始めるから」


(直ちにやれ。お前はいつも遊び気分が抜)


「……これでよし、と」


 遠話を切った。ドリームシェア側から現実世界へかけることはできるが、逆は繋がらない仕組みになっている。同じ小言を繰り返し聞くほど、私は人間ができていない。


「そこで見ている人は、誰かさんに私を監視するよう頼まれたの?」


 笑いかけると逃げていった。ニアではない。あの子は粘着質だから、やると決めたら徹底的に纏わりつく。それは千年の恋も冷める勢い。


 邪魔者が消えた後、改めて自由な空気を満喫する。


 階段から見下ろす景色は、これ以上ないほど賑わっていた。日付が変わる今時分、街は一番多くの人出に見舞われる。猥雑な活気に満ちており、人の波はひとつ所に留まったりしない。貪欲にして清新、あらゆる想いを呑み込んでゆく。


 どこから手をつければよいのやら。こことの付き合いは、きっと長くなるに違いない。


(とりあえず歩いてみよう。仕事はそれから)



 ☆★☆★☆★☆★☆



 人混みへ入ると、まず販促スタッフに話しかけられた。


 ほとんどが試供品で、広告ティシュは数えるほど。原材料はタダなのだから、本物を見てもらえとの戦略だろう。菓子、清涼飲料水、運動靴、化粧品、ビール、脂取り紙。最後の一つは断ったけれど。リアルもインカネイトも、私は光を反射してなどおりません。


 人口の大半は、これらが目当ての連中。ゲーマーと呼ばれることを不快に感じる人が少なくない。そして有料の試供品を愉しむため、軽く冒険者稼業に従事する者が三割。企業関係者が一割、真正のゲーマーが一割といった具合だ。その中でもライトユーザとヘヴィユーザに分かれるが、両者の比率はタイトルによって違うらしい。


 加えて後者の頂点(底辺?)に位置する『廃人』。現実世界よりも仮想世界に軸足を置く彼らは、社会生活を犠牲にして得た恐るべき力を持っているという。


 広場を回っていると、いつの間にかお腹が満たされていた。日用品の数々も、きっと何かの役に立ってくれる。鞄の類を貰えなかったのは、残念と言えば残念だけれど。


 これから調査を行うのに必要なもの。荒事に耐える丈夫な服。同じく靴。野外活動に備えて、サバイバルナイフ、水筒、できれば機械式の火種。雨風を凌ぐテント、寝袋。バックパック。それらの道具を保管する拠点。要するに家だ。一番最後は無理にしても、せめて火種のところまでは今夜のうちに手に入れておきたい。


「…三、四……五十ドルか。靴はトレッキング用で足りるわよね」


 仮想の紙幣を指折り数えた。これでは着替えの分すら不足する。最初からそういう前提のバランスなのか。物乞いが苦手なプレイヤーは、この時点で脱落だろう。随分と世知辛い夢の国があるものだ。


 とりあえず私は、冒険者協会を訪ねることにした。聞くところによると、儲け話を斡旋してくれるらしい。時間を無駄にせず済むのは助かる。


 驚いたことに、そこの管理者もプレイヤーだった。仕事の難しさを見極め、失敗しない程度の冒険者を紹介する。成功した暁には仲介料を取る仕組みだ。私が生まれた時代にも、こういう店は実在した。考えてみれば、おかしな話ではない。


 初心者向けのお遣いミッションは無視して、高額報酬の約束された危険なものばかりを調べてゆく。フンババ、リュンクス、グリフィン、バグベア――はっきり言って意味は分からない。戦いの腕に自信はあるが、私は幻想の世界にあまり詳しくないのだ。


「リュンクスとグリフィンはいるそうですね。見たことはありませんけど……」


 愛想笑いを浮かべると、店番の男は残念そうに呟いた。彼もここに登録している冒険者で、時折仲間を募っては出掛けてゆくのだという。その経験者に言わせてもらえば、と前置きしたうえで、やめたほうがいいと忠告された。実在しないだけあって、フンババとバグベアは廃人級五人以上が基本。メンバー構成にもバランスを求められる。それより劣るリュンクスやグリフィンであれ、私のような駆け出しは一瞬で殺されてしまうのだとか。


 ここで言い争っても得るものはない。まずは実績を示すこと。頑迷な愚か者でなければ、どれほど信じ難い話でも耳を傾けるようになる。


「……なら登録証だけください。無理はしませんから」


「はいよ。じゃあここに、インカネイト名と性別を書いて」


 住所を書かないのは、まだホームがない初心者のうちに入ることが多いからか。協会を貶める行為があったときは、聖堂の前で待ち伏せすれば必ず捕まえられる。


 賞金魔獣の生息地は、さっき見た依頼票で確認済み。一匹だけ近場に棲みついたのがいるようだ。先を越される前に片づければいい。


 ふと、そこでペンを持つ手が止まった。


 インカネイト名である。どういう名前にするか、全く考えていなかったのだ。


 戸籍も何もないから、適当なことを言っても嘘にはならない。あまり知られていなければ、後で変えることもできるはず。私はペンを走らせ、しかし綴りの途中で書くのをやめた。登録申請書を目の前の男に手渡す。


「レオンさん、ですね。冒険者協会へようこそ」


 差し出された右手と握手。協会の規約やら冒険者同士の不文律など長ったらしい講義を経て、ようやく会員証を受け取る。


 ひとつ気になったのは、仕事を斡旋してくれるのがここだけではないということ。他にも『冒険者同盟』『冒険者連合』という組織があって、それぞれの下に数人から百人程度の冒険者ギルドがついているという。冒険者協会とは競合関係にあり、辺境では廃人プレイヤー同士が土地の領有権を巡って冷戦状態にあるのだとか。ミッションの獲物を横取りするくらいなら問題ないが、直接的な行為だけは避けるようにとの話だった。


「…仕掛けてきたら、いいのよね?」


「なるべく逃げてください。暗殺も禁止です」


 やっているくせに、とまでは言わずにおく。組織を動かす立場になると、他人には言えないことも出てくる。現実経済と深い関わりを持つ、この世界ではなおのこと。


 店番に別れを告げて、私は外へ出た。写真も何もついていない身分証を眺め、少し早まったかしらなんて後悔してみる。


 他にも仕事を紹介してくれる団体があるなら、そちらも覗いてみてから決めればよかったかもしれない。長い付き合いになることを考えると、なるべく肩の凝らない関係を維持できるかどうかは、とても大切なことだと思うから。


(同盟……暑苦しいからパス。連合……堅そうだから、やっぱりパス)


 協会も似たり寄ったりなのはさておき。まあこんなものかと、前向きに考える私だった。この直後、とんでもない騒ぎに巻き込まれてしまうとも知らずに。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「はいはい、ごめんなさいにゃ」


「え?」


 思わず意表を突かれた。次の瞬間、はっとして自分の手を見る。


 ない。今貰ったばかりの、冒険者協会の登録証が。


 風のように駆け抜けていった、猫耳尻尾の獣人を視線で追う。


 そいつが盗んでいったのだ。金蔓の大切なプラスチック板を。


「鬼さんこちら~手の鳴るほうへ~♪」


 かなり腕が立つ。そして素早い。生体強化はまだにしても、私の上前を撥ねるなんてなかなかやるじゃないの……!


「待てと言われて待つ馬鹿はいないにゃ~って、誰も言ってないかw」


 ひとりボケツッコミ。余裕だ。身体能力差を思えば、初心者相手に侮るのは無理もない。しなやかに舞いながら、ひらりひらりと人の波を掻き分けてゆく。


 彼女の狙いは何なのか。走りながら考えた。このまま追いかけっこをしていても、まず勝てそうにない。頭を使うのだ。そうすれば方向性は見えてくる。


 可能性その一。金目当て。消費者金融から金を借りる。ほとんどゼロ。同人サークルみたいな団体が発行したものに証明力などない。


 可能性その二。同盟系か連合系ギルド構成員による嫌がらせ。こちらはあるかもしれない。動機はなし。単なる遊びだから。


 可能性その三。本当は友達になりたい。


 ……考えるだけで恥ずかしくなった。とりあえず三を除外。一の危険は無視するには大き過ぎる。二への配慮も必要。協会以外のメンバーだった場合、登録証を取り返す以上のことをするとややこしくなるだろう。


「ああもう、面倒……!」


 奇妙なのは、誰も介入してこないこと。下心満載の善人気取りはいないのか?


 最初、少しだけ期待した。そうすれば、こんな目立つ真似をしなくても済むのに。大きな負荷がかかるから、一時的な肉体強化はできるだけやりたくない。


「…『変わりゆくもの』。我が双脚に倍する力を……」


「…『変わりゆくもの』。時を越さしめよ。三が二の如し」


「…『変わらざるもの』。体内にて二酸化炭素を還元。6CO₂+6H₂O→C₆H₁₂O₆+6O₂」


「……よし」


 ちゃんと発動した。ゲームのシステムを介さなくても。やはりここはプレゼンターの領域内にある。一気に加速し、今は亡きルーマ族との間合いを詰めてゆく。


「……にょにゃっ!?」


 驚いたようだった。しかし敵もさるもの、この程度で諦めたりはしなかった。街灯の柱を攀じ登ったかと思うと、屋根の上に飛び移った。そこで腰に両手を当て、「どうだ」のポーズを取ってみせる。強化といえども、垂直な壁を駆け上がることはできない。


「参ったと言えば、許してあげますょ?ここまで頑張っただけでも大したものですにゃ」


 腕組みしてもっともらしく頷く。


 盗人猛々しいとはこのことだが、嫌がらせにしては嘲りが感じられない。新手の勧誘か何かだろうか。いずれにしても、登録証を返してもらわなければ困る。


「言ったら返してくれる?それなら何度でも言ってあげるけど」


「そういうわけにはいかないにゃ。悪いケド三日だけ預からせてもらうです」


 意味が分からなかった。やはり消費者金融の線だろうか。


「そこを何とか。お金に困っているわけではないのでしょう?」


「さぁてね~。コレを持って『無心くん』にでも行こうかにゃ~?」


 両腕をふりふりと、身体の前で上下に動かしながら踊る。


 『無心くん』というのは、現実世界のキャッシングのことだ。利子つきの有償で文字どおり金の無心に応えてくれる。嘘か真か、やはり捕まえるしかない。


「じゃあ仕方ないか。こちらも本気を出すから覚悟してね」


 いつの間にかギャラリーができていた。拍手喝采、飛び交う野次。さんざめく笑いは、まるでお祭り騒ぎだ。おまけに伸るか反るかの賭けの声まである。


(……何なの。この人達)


 かくりと肩を落とす。重力を捻じ曲げようと思ったけれど、これ以上目立つのは拙いような気がする。そこで考えてみた。壁に足をつける一瞬だけ――それを繰り返したなら、素人目には上手な三角跳びに見えないだろうか……見えないわよね。うん。


 屋根に移るとき、浅い角度から回し蹴りをお見舞いした。当たるとは思っていない。威嚇のようなもの。向こうもさらりと躱し、充分な距離を取る。しかしながら、新参者に追いつかれたという焦りの色は隠せない。捕まえるなら今だ。


「…にょぉっ!?…ちょっ、とわぁ!」


 全部避けられたが、慌てさせる役には立ったらしい。反撃するつもりはないのか、再び尻尾を巻いて逃げ出した。獣人と思ったのは勘違いで、よく見ると髪の間にヘアバンド、腰回りに尻尾が付いた目立たない色の帯が巻かれている。特殊な効果はなく、単なるお洒落アイテムのようだ。こんなものにまで気を遣うあたり、もしかしたら名のあるベテランプレイヤーかもしれない。


 運営が治安を守るのは中心市街地の往来だけ。ここから先の郊外では、あらゆることがプレイヤー間の力関係に基づいて処理される。無法地帯とまでは言わないが、賄賂や腕ずくが横行する世界だ。外国の下町に踏み込んだ観光客よろしく、美味しくいただかれてしまうため不慣れなうちは近づかないほうがよいという。


(罠でもあるのかしら)


 反射的に踏み止まったけれど、結論は変わらなかった。この際カードより、動機を確かめるほうが大切。そうしないと何度でも同じことが起こるからだ。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 雑然とした裏路地の一角。追いかけっこを再開して数分、私はそこへ猫の獣人を追い詰めた。街灯なんて気の利いたものはなく、三方全てが垂直な壁。手掛かり足掛かりもないとなれば、もう勝負は決まったようなもの。


「さ、返してくれる?これでも結構忙しいの。遊びで来ているわけじゃないから」


 しばらくは真面目に稼ぐつもりでいる。生体強化を施さなければならないし、身体に無理なく進めるためには意外と長い時間が必要なのだ。


「あなた何者ですヵ。初心者でこんなに速いの、見たことないですょ……まさか!」


「規約違反はしていない。非常識なのは認めるけれど」


 右手を差し出しながら、じりじり間合いを詰めてゆく。同じだけ猫娘も退がる。しかしここは路地裏。逃げ場にも限りがある。


「~~~~~~ッ!」


 口惜しさ爆発の顔で投げつけてきたものを摑み取る。


 冒険者協会の登録証だ。これで彼女に用はない。一時的な増強を続けるのは、そろそろ限界。戦いを仕掛けられていたら勝ち目はなかったろう。


 じゃあね、と挨拶して立ち去ろうとしたとき。異変は起こった。


 空気が澱む。思わず噎せ返りそうなほど纏わりつく。葉巻の煙とか、そういう次元ではない。微妙に重さがあるのだ。この感覚は、大昔に何度か体験したことがある……


 半ば無意識に遠くのほうを見る。時間のずれはないか――十中八九、これはマナ密度の過多によるものだ。居並ぶ石造家屋のどれかで、誰かが実験でもしているのか。


「ここって連合の直営だったかにゃ?アノ人達もこういうミスするんだ♪」


 呑気に聞こえたのは最初だけだった。見えないスピーカーから緊急メンテナンス及びログアウトを呼びかける木霊が聞こえると、途端に色を失くして慌てた。懐に手を入れ、丸い宝珠のようなものを取り出す。反射的に身構えたが、攻撃用の品ではないらしい。思わず安堵した私を見て、全身の毛を逆立てた。


「何してるの!『帰還のオーブ』持ってないですヵ!?」


 初耳だった。正直に否定する。


 後で知ったのだが、自分の調整槽に近い聖堂のテラスまで飛ばしてくれるものとか。文字どおり飛行するため、天井のある場所では使えない。旧市街の『道を歩いて出るときに』運営NPCから渡されるのだという。これで攪乱されたら到底捕まえられなかったことに、このときの私は気がつかなかった。


「とにかく急いで!まだ間に合いますから!」


 猫耳は光の矢となって消えた。ほんの一瞬で到着。しかし長大な廊下を駆け抜けて、混雑するロッカールームの中から自分の調整槽を見つけ出すには数分かかるだろう。況してや走ってゆくとなれば尚更だ。彼女はああ言ったけれど、運営の指定した時刻までに出られるとは思えない。


 回線を強制的に切断されると、プレイヤーは自分の部屋で目を覚ます。気絶した後のような違和感は覚えても、取り立てて後遺症らしいものは残らない。運営会社に悪態をつきながら、メインフレーム上の掲示板で愚痴を呟きあう。お詫びの声明と共にサービスが再開されれば、すぐ忘れて再び作り物の世界に没頭する。


 これが本当にゲームなら、だ。


 あの猫耳が慌てていたのも、何らかのペナルティがあるからだろう。分かりやすいのは身体能力。このタイトルには数値で示されるパラメータが存在しない。


 調整槽と呼んでいるものが実はシェルターであり、ここに避難しなければインカネイトは死ぬ。生身のヒトとして考えれば当たり前のこと。納得できないのなら、ミスラの西にある精錬所で沸き立つマナの泉にコトコト煮られてみるといい。


 短時間で肉体を再築するだけでも、かなりの離れ業と言える。不可能ではないが、できるのはニアか基礎理論を作った当人くらい。過去のタイトルは、統制者に「こういうゲームがある」との無味乾燥した説明文を書かせるようなもの。云わば相互作用のある模式図。具体的に想像させ、現実かもしれないと信じ込ませるのとはわけが違う。


 と。近くで悲鳴が上がった。鬼気迫る、恐怖に怯えた女の声だ。


(今度は何!?)


 辟易しつつ通りのほうを見る。慌てて転んだとか、火事場泥棒なら無視していたかもしれない。エプロンにロングスカート姿の娘が、武装した連中に囲まれていた。


 明らかに普通ではない。装備が統一されているにもかかわらず、彼らの動きかたは下手もいいところの操り人形みたいだったから。


(……まだ動ける)


 軋む筋肉を叱咤し、私は異様な兵士に襲いかかった。軽装を幸いに、部位を問わず殴りつける。怯んだところを見ると、一応生物のようだ。これが機械人形なら、また何事もなかったように押し寄せてくるだけ。


「言葉は分かる?あなた達が何者かって意味だけれど?」


 反応はない。今の小競り合いで勝てないと悟ったのか、意外なほど俊敏な身のこなしで郊外のほうへ走り去った。代わりに別のところから返事が届く。


 娘……というか女は、シオメラと名乗った。


 幼く見えたのは仕種のせいだろう。ひどく怯えていて、こちらから水を向けなければ話もできなかったほど。化粧は薄く地味。初心な雰囲気も手伝って新妻を思わせる。歳の頃は二十三、四。とはいえゲームのことだから、実際のところは訊いてみるまで分からない。


「あ、あの。ありがとうございました。危ないところを助けていただきまして」


 行儀よく頭を下げる。声質は低め、落ち着いた滑らかなアルト。それでも暗くならないのは演じているプレイヤーの資質か。


 勘に過ぎないけれど、多分彼女は背伸びをしている。作り込んだ大人の顔から、ふとした拍子に垣間見えるあどけなさ。男の人にとっては、そういうところが魅力に映るのかもしれない。歪なバランスの上に成立する、偽りの仮面だったとしても。


 そして彼女のことより、私にとっては人形兵のほうが大事だった。せっかくの貴重な情報源、逃がしてしまったことが悔やまれる。とはいえシオメラを責めたところで始まらない。要するに今の状態は、典型的な後の祭りというやつで。


「あの……?」


「いや、こっちのこと。気にしないで。帰還のオーブだったかしら?それを使って早くログアウトしなさい。まだ間に合うはずだから」


 言われて思い出したようだ。はっと息を呑み、それから大切そうに握り締めていた宝珠を掲げる。これで大丈夫だろう。私は人形兵を捜しに行――


「……あの」


「ん?まだ何かある?使い方は知っているのでしょう?」


 いろいろ棚に上げたのはさておき。シオメラは見るからに混乱していた。幼子がいやいやをするように首を振って。どうやら最悪の事態が起こったらしい。


「オーブが、使えないんです」


「…………は?」


 思わず固まってしまった。


 嘘をつく理由はない。私が黙っていると、今にも泣きそうな顔になる。


 一人で帰らせるのは無理。縋りつくような視線を、私は溜息交じりに受け止めた。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…無事を確かめたい人がいるんです」


 シオメラは遠慮がちに語りだした。


 彼女が営む酒場の常連で、名前はスミス。飲み代程度の仕事だけを請け負う、典型的な市内冒険者らしい。つい先程まで店にいたが、リアルの関係で今日は早く閉めることを伝えると、幾分寂しそうな様子で帰っていったとか。


 本当は違う。気分が落ち着かなくて、いつもの演技ができそうになかったから。


 ログアウトしても眠れないため、最近は明け方近くまでここにいることが増えている。生活苦と将来への不安、それらを原因とする不眠症。スミス氏がいるときは決まって胸が苦しい。かといって彼のことが嫌いなわけでもなく。いろんなことが積み重なった結果、どういう顔をして会えばいいのか分からなくなってしまった。


(……これって、もしかしたら)


 そっとしておいたほうがよいかもしれない。まだ安否が分からないうちは。ここでの事故に巻き込まれた者が、リアルの心身に受ける影響は解き明かされていなかったから。


 スミス氏がログアウトしたかどうかは知らないそうだ。本人の話によれば、仕事が落ち着いたので長めの休暇に入ったという。まだこの界隈を出歩いている可能性もある。


 とはいえ確実なのは、まずロッカールームへ行くこと。部屋番号を聞いていなければ虱潰し。手当たり次第に調べてゆく。シオメラを一人にするのは危険だから、ここは是非ログアウトしてもらって私ひとりが捜すことにしたい。


 そういう主旨を彼女に伝えた。最初は抵抗を示したけれど、自分が足手纏いであることは解ってくれた。大人しく調整槽に入り一足早くリアルへ。帰還のオーブ同様、機能が止まったりしていないか心配である。


 人形兵が蠢く街路を避け、屋根の上を通ってゆく。シオメラは軽かったから、抱えて走っても問題ない。もう一時的な強化は限界に近づいていたが、これならどうにか保ちそうだ。どうせ次に来たとき、この肉体は処分されているだろう。


 どう考えても殺人だ。私が倒した人形兵も含めて。自分も身綺麗ではないが、それなりの動機があるのかは知りたい。納得できなければ全力で叩き潰す。


 聖堂の前に着いた。十体ほどの人形兵を蹴散らし、中へ入ろうとするも正門は閉まっている。鍵まで掛ける念の入れよう。自分達の命令に背いた者は、何が何でも処刑しなければ気が済まないのか。法術で金属結合を阻害し、重そうな鉄扉を溶けたチョコレートのように流失させる。これにはシオメラが目を丸くした。高度な術であり、共有結合に応用すればヒトの身体に対しても同じようなことができる。冒険者ではないゆえ、ゲームのルールを逸脱していることまでは気づかなかったようだが。


「メールアドレスだけ教えておいて。スミス氏のこと連絡するから」


「あ……はい。捨てアカでも大丈夫ですか?」


「そのほうがいいと思う」


 自分のメールボックス宛て、聞き取ったアドレスを送信。こうしないと外から送ることができないのだ。


「……あまり穏やかではさそうだし」


 言い終わるが早いか、私達は黒装束の集団に囲まれた。


 人形兵ではない。動きには知性が感じられる。あれでは勝てないと悟り、フェリック社が新手を差し向けてきたか。今度も身形は統一されている。しかし得物は人それぞれ。剣、槍、槌、斧……素手。これが一番厄介だ。術と格闘技だけは何を奪っても最後まで残る。


 その中から一人、印象の薄い中肉中背の男が進み出た。判別しやすい格好をしているのは作戦中ゆえだろう。意外なことに、こちらと話をするつもりらしい。


「…お前は、何者だ。どうやってここにいる?」


「どうやって、って……普通にログアウトし損ねたのだけれど。そちらこそ、どういう意味?何を言いたいのか分からない」


 いきなりの尋問。前置きすらなく、自分の名前も伏せたまま。彼の仲間は武器を下ろしていない。私の問いかけには応じるつもりがないということか。


「答えろ。我々は研究を重ね、技術の粋を凝らしてここまで来た。貴様の背後にいるのは何者だ。企業か、国か。それとも個人か」


 シオメラに傍へ来るよう手招きする。今にも気絶しそうな顔をしながら、少しでも邪魔になるまいと離れていたらしい。健気な子である。いざとなれば抱えて逃げるから、ぴったりくっついているよう耳打ちしておく。


「その発音、北部系ね。私も生まれ育ったから分かるわ」


「…………………!」


 男は無言だったが、微かに動揺が伝わってきた。心の中で拳を握る。確かに北の生まれだけれど、住んでいたのは十四歳まで。大陸と周辺各地を転々とし、最後に落ち着いたのは南部セリム王国の首都。言うほど北の発音を憶えているわけではない。


「どこに潜伏している?」


「ミスラ国内。これ以上詳しいことは、そちらも素性を明かしてくれないと」


 実質的に分かったようなものである。潜伏などという言い方、北方訛りを指摘されて動揺する。彼らはエルニアの特殊部隊だ。前身は王立騎士団のひとつ『蒼き飛竜』。六百年前の内乱を機に、騎竜兵団から空挺真言法師団へ様変わりしたと聞いている。ちなみにメインフレームとサブフレームの技術は、真言法の民生転用により発明されたものだ。


(また厄介な連中が……)


 迂闊な部分はあるけれども、戦力と技術力だけは一流。


 言葉から察するに、彼らとフェリック社は敵対しているらしい。このことが分かっただけでも、こちらとしては収穫だ。あとはどうやってこの場を逃げ出すか。


「そろそろお暇させていただく。こんな場所に長居したくないもの」


「待て。まだ話は終わっていない。お前の後ろにいるのは誰なのだ」


「そちらが明かさない限り、教えないって言ったでしょう?」


 相手の顔に険が篭る。今の一言で境界線を越えたかもしれない。それでもここは貫き通す。不利な状況で譲ったら、捕虜として扱われるのは明白だ。


「……どうしても、か?」


「ええ。どうしても、よ」


「後悔することになるかもしれんぞ?」


「そちらがね。私は必要な情報を貰ったもの」


「何だと……?」


 まだ気づいていないとは、おめでたい限り。前言の一部を変更する。戦力と技術力はあっても絶望的に頭が悪い。


 調整槽の位置はシオメラから聞いている。一つ上の階の、テラスから程近くにある三二七五号室だ。


 このまま殺されても私は別に構わない。気分のよいものではなかったけれど、一度だけ致命傷を負わされた経験がある。しかし堅気の彼女は別。殺し合いを見ないに越したことはないし、悪意を以て殺されるのは尚更だろう。


 結界を張り忘れているのはありがたかった。これなら思いきり、どのような術でも使うことができる。


 徐々に緊張が高まってゆく。交渉決裂は明らか。黒装束が動き出す前に、私は先手を打つことにした。シオメラの身体を両腕で抱え、軽い会釈をして別れの挨拶とする。


「では失礼。またどこかでお会いしましょう」


 何気なく言ったものだから、連中は虚を突かれたようだった。にやりと浮かべた私の笑みを見て、交渉の矢面に立っていた指揮官らしい男が大声で叫ぶ。


「言わせるな!言霊だ!」


「遅い。『摺動せよ』」


 爪先で軽く石床を蹴る。足元が揺らぎ、黒装束達はよろめいて倒れ伏した。振動が下を支える柱まで伝わり、テラス全体の滑落が始まる。建築工事を容易にするため、軽量化が施されていたのだ。データのみの仮想空間なら、こんなことをする必要はない。


 私とシオメラは浮いていた。跳ねた瞬間に重力遮断の創術をかけたのである。


 もっとも、これだけでは動くことができない。敵が崩落に巻き込まれたのを確認、通常の二割程度の加速度を持つ重力場を形成。突き出た三階のバルコニーを迂回して、ゆっくり聖堂内へ進入する。幸いにして人形兵の姿はなかった。


 私の筋肉は、既に限界を迎えている。無理に動かしたから、筋繊維の中に至るまでズタズタだ。反動に見舞われ、代謝機能も働かなくなっている。どうにかシオメラを立たせると、三歩も進まないうちに跪いた。


「お、お姉さん!?大丈夫ですか」


「……そういえば、まだ名乗っていなかったわね。私はレオン。見た目のとおり初心者よ。このゲームは今日始めたばかり」


 自虐の台詞も切れ味が悪い。贋物といえども、やはり死ぬのは怖いか。


 時間は稼げた。ここから走れば、連中が追いつく前に調整槽の部屋まで辿り着ける。正常にログアウトできるならよし。もしもできなかったら――そのときは悪いが一緒に死んでもらう。無事リアルに戻れる保証はないけれど、他に手段はないのだ。


 そんな意味のことを言うと、シオメラは表情を強張らせつつも頷いた。その顔に励まされ、全身を鞭打って立ち上がらせる。スミスとかいう男も、勇気を貰えるような気がして彼女の店に通い詰めていたのかもしれない。


「さ、早く行きなさい。私も足掻いてみるから。また後で連絡する」


 必ずですよ――そう念を押して走り去った。程なくして真言法の発動する感覚。聞いていたロッカールームの方角だ。どうやら無事にログアウトしたらしい。帰還のオーブが働かなかったときは、どうなることかと思ったが。


 安堵すると同時に、再び痛みが襲ってきた。今度こそ力を失い、襤褸屑のように床へ投げ出される。手足がマシュマロになったよう。正真正銘の死に損ない。


 しばらくして、黒装束が一人やってきた。


 息遣いからすると、あの隊長らしい男。意識は朦朧としていたが、まだそれくらいは分かる。抵抗しない――というかできなくなった私を見て、感慨深そうに……あるいは残念そうに。得物の具合を確かめながら淡々と呟いた。


「身を挺して護ったか。その精神力、惜しいものだ……」


 短剣の刃を急所に当てる。ひやりとした感触が私の心を萎えさせた。何度経験しても慣れることはないが、斬られたら痛みを覚える前に逝けるだろう。


「尋問も意味を為すまい。せめてもの騎士の情けよ」


 私の意識は中断された。言い換えれば、このとき一人目のレオンが死んだのである。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「……っ……………」


 首筋を押さえながら、私は寝台から跳ね起きた。


 刃先を当てられたときの余韻が、まだ頭の中を支配している。


 痛みはない。かといって万全でもなかった。


 死の恐怖というものは、意識しないところでも人の体を蝕む。


 シオメラが捜していたスミスなるプレイヤー。彼が今どうなっているのか――それを確かめなければ。可能なら救出し、どこかログアウトできそうな場所まで連れて帰る。



 ――このアカウントは現在使用できません。



 ログインしようとしたら弾かれた。理由は不明、それを調べる時間も惜しい。


 新たなインカネイトの作成にかかる。氏名ステラ=キンブル、エレン語と二十三歳の他は適当。あとで影響を考えながら直せばよい。


 定型句を聞く暇もあらばこそ、棺桶のような調整槽から飛び出る。


 そこは知らない場所だった。詳しくはさておき、部屋の配置が全く違う。


 マナ濃度は正常。つまりアスルタンではあり得ない。そして何より人の気配がする。会話も聞こえるから、外にいるのは不気味な物言わぬ兵士達ではないだろう。


「…だからよ。パラダイムシフトイベントなんか、廃人の暇な奴らしか手が出せねーものなんだって……」


 薄暗い廊下へ出ると、幾つかの人溜まりが議論していた。


「でもよ、これってチャンスじゃね?古参の俺らが協会と同盟の奴らにデカい顔されまくりって、なんかすげぇ気分悪ぃし」


 冒険者らしい。長剣に丸盾、革鎧と革靴。欲の深さと比例するように丈夫で大きな背負い袋。昔はよく見かけた典型的な遺跡荒らしスタイル。


「んなこと気にしてんの?アライアンスなんて形だけじゃん。効率よく稼いで自分とギルメンが強くなる。俺はそれでいいと思ってるけどなー」


 口振りからすると長いようだ。話を聞くだけなら事足りるか。


「ちょっと……いいかしら。ここはどこ?」


 男達は怪訝そうに顔を見合わせた。


「どこ、って。自分が所属してるアライアンスも知らないの?」


 別の男が一応といった感じで教えてくれる。


「イーサだよ。夜光都市イーサ。連合の本部がある街」


「観光客かな?だとしたら運がないよね。こんなときに来るなんて」


「あんま関係ねえだろ。ここ平常運転だしw」


「ゆとり多いしねww」


 なるほど。大体呑み込めた。中級者以上のベースキャンプ、ただし連合所属限定。ここはそういった街らしい。


「ちなみにアスルタンは……?」


「東。ここを出て時計回りに九時。でも今は行かないほうがいいよ。PSE始まってるらしいし……あ、PSEってのは先着限定イベントね。お祭りみたいなもんかな」


 必要な話は聞いた。郊外を東の方角に向かう。


 小一時間かけて現場へ。筋肉疲労にも注意しながら。ルーマとの追いかけっこがなければ生きていた。再び『蒼き飛竜』と遭遇しても、次は必ず勝つ。


「その前に……まずは、やることやらないとね」


 手近なコテージで遺留品を漁る。有体に言えば火事場泥棒だ。


 アスルタン新市街、そのまた外縁のテント村。このあたりも今は完全な無法地帯と化している。役に立つ品があれば、ありがたく使わせてもらおうというわけ。


 武器からサバイバルキットまで一揃い。中でも嬉しかったのは靴。同じブランドでサイズちょうどの新品というオマケつき。足回りは武器以上に重要だから助かる。


 濾過フィールドを展開、自分の周りだけマナを浄化しながら聖堂へ。建物の中に入っても、エルニアの特殊部隊はいなかった。彼らは真言法師であり、根源的な『Arus』の使い手ではない。ここまで濃度が高いと不純物を除けなくなる。


(それはインカネイトも同じ。解凍士か言霊使いがいなければ、混沌のマナに曝され続けた生物の肉体は……)


 歪な化物が襲ってきた。身体の一部だけ大きかったり、表面が波打っていたり。共通点は元が人間だったらしいこと。上の階へ行けば一人目のレオンにも会えるだろう。


 グラキエルの公式プレイヤーは一一〇〇万人。うち二割が中世として、全部倒すのは骨が折れる。いっそ直接スミス氏を捜したほうが手っ取り早い。


 とりあえずマナの中和が先。発生源を辿って城壁公園に足を向けたとき。


(…あの連中は何?どうやって今ここにいるの?)


 上り階段の途中で腹這いになり、仲間同士と思われる二人の会話を聞く。


「離してください。先を越されたらどうするんです」


「落ち着きなって。あの場所は外からでも行ける……」


 白いローブに杖の女と――まんま初期装備、冒険者とは思えない少女の二人組だ。


 戻ってきたにしては早すぎる。考えられるのは、郊外へ出たところで今回の事件が起こったか。素手のほうは私と似たような感じ、白いローブは古風な樫の杖を握っている。


 面倒なことになった。一般プレイヤーが相手でも、可能な限りアルスを使うところは見られたくない。時間をかけ過ぎれば、スミス氏の捜索にも支障が及ぶ。


「……そこに隠れてるのは誰?出てこないなら、こっちから行くよ」


「!?」


「気をつけて。かなり強いよ。気配の消し方も只者じゃない」


 見抜かれていた。さすがに一番乗りするだけのことはある。


 二人は私の邪魔をしてきた。よく分からない理屈を並べて。PSEがどうとか言っていたが、あれはこういう話だったのか。『イベントをクリアすれば、理不尽なまでに強力なアイテムか魔法が手に入る』。だから競争相手と見做して戦いを仕掛けたのだと。


 結局やり過ぎてしまった。無意味な円環術式でマナだけを減らそうとしたら、似たようなことを考えた人間がいたらしく。七色の霧が晴れた新市街の裏路地に、ほぼ普段着の男が見つかった。時の流れを司るマナが欠乏したため、氷の彫像みたいに固まっている。あれが恐らくスミス氏だろう。


 解凍士だった。最初から教えてくれれば、こんなミスはしなかったのに。言っていた?私は市内冒険者としか聞いていないわよ。シオメラも意外とお茶目さんね。とりあえず、そういうことにしておいて。私の精神衛生のために。


 状況を難しくしたのは分かっている。だから放っておくつもりはない……けれど、今すぐ助けるのは無理。あの中に飛び込めば私も凍ってしまう。別の方法を考えなければ。


 そうと決まったら用がない。襲ってきた二人をリアル割りし、爽やかな気分で離脱。夜光都市へ舞い戻る。街の様子は出てきたときと変わりなかった。


(あ……)


 ガラス張りのカフェテラス前、容貌の変化に今更気づく。


 黒髪の、やや色がある膚。きめ細やかで綺麗だ。身長百六十センチメートル、起伏は前よりも乏しい。人種的なことを言えば、ニケア人やツォン人が属する多数派。別に嫌いではないが、いきなりだったので驚いた。ニアは私の外見も愛している。前のインカネイトを失ったと知ったときの反応が見もの。


(これからよろしくね。新しい相棒さん)

ギルドとアライアンス

(株式会社リスキー刊 グラキエル公認ガイド一四年版より抜粋)



《ギルドとは?》

 複数の世界観に跨って存在する『グラキエル』。それぞれのパラダイムにプレイヤー間の相互援助を目的とした組織『ギルド』がある。一緒に狩りをしたり、時には領地を巡って争ったり。広大な世界を味わい尽くそうとしても、一人の力だけでは道半ばにして倒れてしまうだろう。そのためにギルドが存在するのだ。


《アライアンスとは?》

 しかし他のパラダイムに移ってしまえば、ギルドは全く機能しない。中世エリアの知人が近未来エリアにもいるとは限らないし、いたとしても誰が誰だか分からなくて当然。

 そこで考え出されたのが『アライアンス』だ。メンバーは他のパラダイムに移ったとしても、そのパラダイムにいる同じアライアンスの仲間から援助を受けられる。具体的にはチュートリアルやパーティメンバーの募集など。ギルドに入れば自動的に所属アライアンスへも参加することになるから、時空を超えたギルドの連合体と表すこともできるだろう。

 大きなところを三つ、『同盟』『協会』『連合』の順に紹介してゆく。短く感じられるが正式な名称だ。大抵そのまま呼ばれるが、時代や世界観に応じて変わることも多い。


1.同盟

 三つあるうち最も新しいアライアンスで、後述の『協会』から分離独立して成立。ドリームシェアでプレイできる全三十七パラダイム中、十六に支局を有する。古参ゲーマーが多く個々の実力は折り紙つきな反面、ライトユーザーには取っつきにくい部分も。メンバーの多くは勝敗に拘り、格付けやランキングの類を好む武闘派。総本部は『近代戦場』エリア南西五区にある。


2.協会

 プレイヤー有志により結成された初のアライアンス。だがグラキエル世界で一番目に設立された組織ではない。詳細は次項の「3.連合」で説明する。ドリームシェアでプレイできる三十タイトルに支局を有し、歴史ある組織の風格を垣間見せる。同盟の大半は元協会メンバーであり、○四一二年の分裂に際して地道な領土経営や仲間と楽しむことを主眼に置くメンバーが居残った。総本部は『中世』エリア南部『魂の故郷』ミロス。


3.連合

 狭義に解釈した場合、アライアンスとはこの『連合』のみを指し示す。グラキエル史上最も古いアライアンスであり、これに先立ついかなる組織も存在しない。何故なら『連合』は、運営会社によって設立されたアライアンスだからだ。正確には別パラダイムへのコンバートをサポートしていた公式SNSに端を発し、構成ギルドの名簿も仮想世界内で人格のない社団を形成したことの記録に過ぎなかった。『連合』という名称も独立を宣言した『協会』に対して生まれた用語であり、フェリック社の公式設定には現在も存在しない。よって本部や支局といった捉え方自体が存在せず、最大勢力を誇りながらアライアンス内の結束は一番弱い。初心者サポートは従来のSNS同様、掲示板への質問書き込みとベテランユーザの回答という形で行われる。

 設立以来マスター不在の状態が続いたが、○四一四年八月ユーザ側の度重なる要望に応えて『中世』エリア西部『夜光都市』イーサにNPCが配置された。プレイ内容には直接干渉しない見込みだが、他のパラダイムにおいても順次進む予定である。

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