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私の中のリアル  作者: 五月雨
Account-List 3
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Intermezzo  Idol talk

 人混みで孤独を感じるのは何故か?

 そいつぁお前さん、言葉を間違ってるな。

 本当は『抑圧』。孤独じゃない。

 誰もいなけりゃ、心は静かなもんさ。


(口が悪い老人の繰り言)

「はいキンブルです……あらランディ。こんな時間にどうしたの?」


 下着を身につけながら、私は受話器の向こうに語りかけた。


「そろそろ出るところよ。心配しないで。朝食は摂ったから」


 笑わせようと思ったのではない。彼はそういう過保護な男だ。厳しく突き放されたかと思えば、あるときは不思議なくらい私の身を案じてくれる。


 よく分からない、と言えれば簡単なのだけれど。私はランディのことを、彼は私のことを家族のように知っている。彼との関わりは、五年や十年の話ではない。


(……本当に、やるつもりなのか?)


 半信半疑なランディの声を、私は軽い調子で振りきった。


「大丈夫だって。一度してみたかったのよ。こういう仕事」


 Tシャツににカジュアルパンツ、変わりやすい天気に合わせて薄く羽織るものも。


 仕事へ出かけるにしてはラフな格好だ。こちらの姿が見えないコールセンターのアルバイトは、他の接客業ほど服装に煩くない。


「じゃ、行ってくるから。くれぐれもニアと喧嘩しないようにね?」


 遠話を切ると、私はスニーカーを履いて外に出た。安アパートの重いドアを開けた途端、清冽な空気が流れてくる。蒼穹には雲ひとつない。緑の風を胸一杯に吸い込み、新鮮さで心と身体を満たす。


 濡れているけれど、路面の状態は悪くない。そして今日は、怠けるのが勿体ないくらいの天気。この分なら、歩いてゆけば会社へ着く前に乾く。


「……よしっ!」


 短く気合を入れると、私は最寄りの駅に向かって駆け出した。



 ☆★☆★☆★☆★☆



《次はフルド。お出口は左側です。フルドの次はセワラに停まります……》


 無機質な地下鉄の放送が響く。声の主は生身の人間だけれど、洗練されすぎて存在感を失っている。毎日少しずつ変わるから、魂の抜けた仕事とは違う。臨機応変に的確な説明を行う、職人技とも呼ぶべき仕事だ。


 でも私は、この声があまり好きじゃない。正確さと聞きやすさを追求した結果、誰しも持っているはずの揺らぎや偏りを喪ってしまった。


 完全ではありえないはずの人間。それが一部分にせよ、完全を手に入れる。そのために差し出すものは、手にする完全性の大きさに比例する。そこから滲み出る不気味さが馴染めない。生まれつき歪んでいるのなら、それは仕方ないと思うけれど。


《…西岸線は、次のセワラでお乗り換えです。終点のミランダまで、特急はエメルノ・ファロス、急行はエメルノまでの各駅に停車いたします……》


 ここミスラ市は、大陸の南西に位置する。首都クラスの大都市では、二〇〇年前にできたばかりの最も新しい街だ。何もない原野に生まれた計画都市は、大きなチェス盤状の街路と地下鉄の環状線で構成されている。


 設計はエルフの賢者と言われていて、地下道を始め街の基礎は一夜にして築かれたという。強大な力を持つ精霊の依代が、百人がかりでこの偉業を成し遂げた。そこに後から来た人間が手を入れ、近代的な街並みが形成されて現在に至る。最初はある目的のために造られた基地だったけれど、それは忘れ去られて久しい。


《セワラ。お出口は左側です……》


 ここで降りるのだった。吊り革を離し、押し黙った人混みの後をついてゆく。会社は駅の近くにある。これからお昼まで、箱の中に閉じ篭らなくてはいけない。まだ時間があることを確かめ、遠回りして職場へ向かった。



 ☆★☆★☆★☆★☆



 遠話だけの仕事は、傍目の騒々しさほど煩わしくない。


 苦情の対応ならともかく、通信販売の客は買うつもりで受話器を握っている。商品を受け取った後で不満を持つかもしれないが、それは別の話。私達アルバイトは、少し訓練すればできる程度の簡易な労働力を提供するだけでいい。


「……はい……はい。健康緑湯二セット承りました。ありがとうございます……」


 洗練された聞き取りやすい声は、この業界に長く勤めた熟練者の証だ。自己紹介が終わった後、私も含む新人を集めて事務所内の過ごし方を教えてくれた。


 印象だけを言えば、私より十歳くらい歳上に見える。子供が生まれて仕事を辞めてはみたものの、働く自分に未練があるというところか。会社慣れしたバイト頭の存在を、正社員達も重宝している様子だった。後輩の子達からは『班長』と呼ばれているらしい。


「……あ。もうこんな時間。適当に流さないと」


 お手洗いへ行くため、『離席』のスイッチを押して遠話の着信を切る。


 時間給の仕事は、決められた時間にどれだけ多くの客を捌くかが評価の指標だ。だから皆なるべく席を立たないし、客に不快感を与えない範囲で早く会話を打ち切ろうとする。


 とはいえ始業から三時間。ほとんど全員が一度席を立ち、ささやかな休息を済ませている。その気になれば何時間でも凌げるけれど、あまり目立ちたくない事情もある。


 席に戻ると、班長さんから昼食に誘われた。今日のシフトは先休み。早いような気もするが、休憩の時間である。勤倹節約と縁遠い私は、彼女の申し出を迷わず受け容れた。


 私は地元の人間じゃない。勝手を知った相手に教えてもらえるのは心が躍る。遊びに来たわけではないけれど、楽しみが多いに越したことはない。


 準備ができると、他の新人達も集まってきた。どうやら非公式なオリエンテーションの一種らしい。反射的に堅苦しくなければいいなと思った。そういうのが嫌で、私はこの仕事を選んだのだから。


「正式な歓迎会は後として。これからよろしくお願いしまーす」


 その言葉を合図に、昼食会が始まった。まずは改めて自己紹介。お堅い話ではなく、趣味や居住地、職歴など。私は、この場で言えるような仕事をしたことがない。適当に誤魔化さなければならないわけだが、すっかり弱ってしまった。


 他の二人は、どちらも無難な答えを並べている。当たり前だ。無難な人生を歩いてきたのだろう。下手な嘘をついて襤褸が出るより、あえて曖昧な言い方をするのが得策か。


「……まだ働いたことがなくて。就職浪人のようなものです」


 見た目、二十三歳くらい。割とカジュアルな服装。それほど生活感はないつもり。明言はしないけれど、つい最近まで学生でしたって感じ。我ながら隙のない答えね。馬鹿にされることも、過度の反感を買うこともない。それでいて分からないことは、普通に教えてもらえる美味しい位置。上手く機転を利かせてくれた、自分の灰色細胞に感謝したいわ。


「そうなんだ?じゃあキンブルさんって……」


 引きこもりかニート。そういう誤解はあるかもしれない。間違えられたら、笑って否定すれば会話に弾みがつく。他に考えられるのは、中途退学を余儀なくされた学生。離婚した専業主婦……はないと思うけれど。いずれにせよ同情を受けられること間違いなし。


 そう喜んだのは一瞬。話の流れは、私が思いもしない方向へ展開した。


「…本当はお嬢様だったりします?これも社会勉強のため、みたいな」


「………は?」


「そんな感じがしてたんだよねー。雰囲気が全然違うんだもん」


「場慣れしてるっていうのかな。社交界っていうの?そういう経験あるでしょ?」


 絶句。そこから先は、一方的に押し切られてしまった。他人を肴にした妄想は、どこまで膨らんでも尽きることがない。


「厳しそーう。門限とかあるの?」


「執事さん雇ってたりして。家帰ると『お帰りなさいませ。お嬢様』とか」


 ……もう勝手にして。


 二十分後。私は『何かと厳しい』『執事や使用人のいる』『やや進歩的な旧家の』お嬢様になっていた。下手に否定すれば、本当のことを話さなくてはいけなくなる。全部が全部嘘ではないし、とりあえず話に乗るしかないか……ごめんなさい、お父様。ちょっとだけ悪口を言わせて。


「きゃー。お父様だって!」


「でも分かりますー。みんな一緒ですよね!」


 まあ一応事実。他人と同じなのが、どうして嬉しいのか分からないけれど。何にしても、襤褸が出るから早めに切り上げたほうがいい。なるべく自然な動きで、携帯遠話を取り出す。本当を言うと、こんな端末私には必要ない。


「あっ。もうこんな時間」


 期待どおり、班長殿が慌てた声を上げる。休み時間は残り十分を切っていた。歩いて五分の距離だから問題ないと言えば問題ない。他に用事があるならこのくらいが限界か。今日は奢りだという先輩の好意をありがたく受け取り、私達は先に会社へ戻った。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「キンブルさん。ちょっといい?」


 夕方。また遅めの休憩を取っていると、離れた席の女性二人に呼び止められた。名前は憶えていない。特に紹介もなかったから、ごく一般的な立場だろう。初めて顔を合わせるのに、心なしか刺すような視線を感じる。


「あっ……はい。お疲れ様です」


 ハンカチを仕舞いつつ、隣の洗面台に目を向けた。ここはお手洗いの入口。蛍光灯の怜悧な明かりの下、一枚の大きな鏡が私と彼女らを映している。


 下手を踏んだか。あるいは何か致命的なミスでも?そう考えたとき、二人の雰囲気が変わった。有体に言えば、少し嫌な感じが凄く嫌な感じになったというところ。猫撫で声の囁きには、直線的な鋭さよりも不快な毒々しさがある。


「キンブルさん達、あの班長さんとお昼したでしょう?順番だから仕方ないけど、ちょっと可哀相なのかなぁって」


「……え?別に悪い人とは思いませんでしたけど……?」


「まだ今はね。そのうち分かるわよ」


 手柄の横取り、誹謗中傷、特定の誰かの無視の強要。気に入らない相手が辞めるまで、ずっと嫌がらせを続けるのだという。あんな人達とは関わらないで、自分達と楽しくやりましょうよ、とのことだった。


「…あの人ってね、外面いいけど本当は違うのよ。大体、あの偉そうな態度が気に入らないのよ。歳下だからって生意気とか、思い出しただけでもむかつく」


「あんなのがよく結婚できたわよねー。旦那の前では猫かぶってるんじゃない?」


「言えてる。でも若い男子社員には優しいよね。他の子庇ったりしたら、一気に冷たくなるけど」


「そうそう。あれきついよね。最近ジョージ君顔色悪いもん。私も入ったばかりの頃に虐められて、マゴットさんに助けてもらったんだから……」


 不自然に口を噤む。そのとき別の誰かが入ってきた。仕事へ戻る先輩方に続いて、私もお手洗いの外に出た。


「とにかくね。嫌な人なのよ。ちょっと考えてみて?」


 言い残して立ち去ると、今度はお手洗いで擦れ違った人が寄ってきた。もう事務室の中なので、自然と声が小さくなる。


「ねえ、何話してたの?あの人達のグループは、関わらないほうがいいわよ。あることないこと吹き込んで、いつも誰かの悪口言ってるんだから」


「………………………………………」


 疲れた。このときの気持ちを表せば、その一言に尽きる。


 他人の悪い噂をしてはならない。子供の頃から、私はそう厳しく躾けられてきた。父とは折り合いが悪くなり、結局家を飛び出してしまったけれど。その教えだけは、今も忘れず忠実に守っている。不要な敵を作らないし、何よりそのほうが楽しいからだ。つまらない相手のことは、なるべく忘れてしまったほうが精神衛生にもいい。


 お昼前、彼女は『班長』と親しげに話していた。つまりマゴットの敵。日銭を稼いでいるだけなのに、大仰な『敵』という概念は理解に苦しむけれど。


「……本当、嫌な連中なのよ。いつもコソコソ陰口言ってさー」


 それは、あなた達も同じでしょう。


「そのくせ男の前では外面いいし。知ってる?さっきの二人の小さいほう。旦那が歳下なんだって。若い子飼えるほどの顔じゃないのにね」


 ほら来た。顔の話は、あなたの言う『あることないこと』じゃないの?


「そのうち誘われると思うけど、気をつけてね。関わってもあまり、いいことないから」


「そうですね。いろいろありがとうございます」


「よかった。いいとこのお嬢さんって聞いてたから、もっと気難しい子かと思っちゃった。マゴットさんも育ちだけはいいのよ。お父さんが偉い役人で、その伝でいい人と知り合ったみたい。食べるだけなら働かなくてもいいんだけど、あの人派手でしょ?遊ぶお金が欲しいから、まだ小さな子供ほったらかして……」


 その日残りの二時間、私は一生懸命働いた。不慣れなことを差し引いても、結構頑張っていたと思う。昔取った杵柄、声だけで相手の心を読むのはお手の物だ。一番とまではゆかないまでも、なかなかの好成績を上げた。熟練アルバイト達の視線が痛い。『班長』もマゴットも、間違えて腐肉を口にしたゴブリンのような顔をしている。


 そして終業の十七時四十五分。そのときを限りに、私はこの仕事を辞めたのである。



 ☆★☆★☆★☆★☆



「…だから言っただろう。お前にそういう仕事は無理だと」


 若い男の声が、溜息混じりに苦言する。今朝出勤前に、遠話の向こうから聞こえていたものだ。いつも尖っているため、どのくらい怒っているのかは図りかねる。それでも言いたいことは分かるし、お説ごもっともだから反論はやめておく。心の中で耳を塞ぎ、こっそり舌も出しながら通り雨が過ぎ去るのを待つ。


 久しぶりにガールズトークがしたかった。歳の近い(ように見える)女の子達と、肩肘張らない気楽なお喋り。孤独で平板な日常に、ほんの僅かな潤いを。私のささやかな願いは、呆気なく踏みにじられたのだった。


「貴様はいつも勝手なのだ。我々の忠告を聞かず、ふざけた真似ばかり。少しはバックアップのことも考えたらどうだ」


 これが他人の意見だったら、きちんと言うことを聞いたかもしれない。だが困ったことに……彼は親しい友人の息子だった。物心がつく前にあやしていたこともある。ついつい甘えてしまうけれど、諸般の事情もあって私には厳しい。


「うっさい。もう聞き飽きた」


 年代物のソファに腰掛け、着慣れた戦闘服の両脚を伸ばす。


「大体ランディ、あなたでしょう。目立たない仕事を探せって言ったの。まさか忘れたなんて言わせないわよ」


 ごろりと仰向けになり、逆様で線の細い渋面を覗き込む。こんな色の薄い青年が、巷ではアトラ――ダークエルフの神なんて呼ばれていたのだから笑えてくる。昔の世界には、ダークエルフなんて種族は存在しなかった。そういう名前を生み出したのは、この世界で創造された新しい人間達。時として神と称されるハイエルフに、光も闇もない。


 私の全身を見下す(この場合、本当に『見下す』で正しい)と、さも不快そうに追加の小言を繰り出した。


「…言い訳は、それだけか。ステラ=キンブルの戸籍は、これで廃棄だ。その意味が分からない貴様ではあるまい」


「あ……うん。えぇ……っと……」


 ステラ=キンブル。それは私の本名じゃない。ミスラ市で潜伏するために、ランディが用意してくれた名前だ。戸籍や系譜に至るまで完璧に捏造されている。詳しく言うと長くなるので今は説明しないが、そのためには彼の姉の力が必要であり、また彼女の命とも密接に繋がっている。


「何度も仕事を変えれば、それだけ注目も集まる。確かに目立たない仕事だが、拘束時間が長いうえ無難にもこなせなかった。真面目にやる気があるのか?」


「……………………………」


 もちろん、ある。ランディ同様、姉のアウラも大切な子だ。期せず預かることになった友の遺児を、目覚めないまま放っておくわけにはゆかない。


「そのくらいで許してあげたら……?」


 ようやく着いた助け舟に、私は上体を起こした。


 白地のトガに革のサンダル、幾重にも重なる複雑な渦巻模様の銀細工。およそ時代に釣り合わない、かなり古風な出で立ちである。今の言葉は、彼女のホログラフが発したもの。儚げな容姿にもかかわらず、この場で一番の力を有している。


 名はラフィニア。時々凍りつくこともあるけれど、優しい穏やかな笑顔とくすんだ砂色の髪が綺麗な子だ。私が生きていられるのは、全て彼女のお蔭。ランディの母も含め、共に多くのことを研究した仲間だった。


 ニアが――私はそう呼んでいる――口を挟むと、途端にランディは黙ってしまう。彼は彼女を苦手としている。理由は知らない。が、子供の頃はそんなこともなかったような気がする。行方不明になっていたけれど、先日ニアが連れてきた。千年以上も私達に隠れて、一体何をしていたんだか。そのときの不貞腐れた様子は、今でもはっきり憶えている。


「……ねえ。次の仕事の話だけれど」


 気まずい沈黙を破るのは、いつも私の役目。


 ニアは私の味方だ。何をどう決めても、諸手を挙げて賛成する。あまり反対しないため、掌の上で転がされているのではないかと思わなくもない。今も静かに頷き、くすぐったくなるような笑みを浮かべている。


 ランディは我関せずを決めたようだ。ニアに見つかったとき、余程怖いお仕置きをされたに違いない。でも今度の仕事は大丈夫。本当の目的を果たすうえで、これなら自然に多くの情報を集められる。


「フリーの、作家。ノンフィクションライター。また負担をかけるけれど、擬装の手配をお願い」

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