92.弱くなってきたようだな
ソンジュは会議室に案内される。
小さな部屋だ。ユウだと六畳くらいと言いそうだ。
真ん中に机が置かれており、その周囲に背もたれのない椅子が散乱している。
どうやら昨日緊急会議をした後に碌な片付けも行なっていなかったようだ。
受け付けの男は軽く片付けながら、ソンジュに椅子を勧めている。
そして案内してくれた受け付けとは異なるギルドの職員が、水の入ったカップをソンジュの前に置いていた。
やはりソンジュが赤弧狼の二つ名持ちだと分かっているのだろう。
受け付けの男と職員が部屋を出て行くと、ソンジュはカップを手に取る。
部屋には窓もあるのだが、さすがにこの大雨で鎧戸も閉じられている。
だが机の上に灯された燭台のおかげか少し薄暗い程度で済んでいる。
窓を叩く強い雨音を聞きながら、ソンジュはカップの水をゆっくり飲んでギルドマスターが来るのを待っていた。
しばらくするとギルドマスターと副長らしき男が部屋に入ってくる。
ソンジュはギルドマスターの顔を見て少し驚いているようだ。
「待たせたかな。赤弧狼、いや、ソンジュ」
「……久しぶりだな。まさか王都に隣接する街のギルドマスターになっているとはね。出世したようだな」
「君のおかげでもあるさ。何しろ塩漬けとなっていた依頼を幾つも処理してくれたのだからな」
「あの時は他の冒険者の力も借りた筈だが?」
「それでも君が主軸となっていたことに違いはないさ」
その言葉にソンジュは肩を竦める。
副長の男は親しげに話をしているギルドマスターと女性冒険者に驚いている。
しかもその女性冒険者が赤弧狼の二つ名持ちである事にもだ。
准国家機関である以上はギルドマスターに任命されるのは貴族が多い。もちろん辺境の支部などではその限りではないのだが。
当然その対象は年金扶持の低位の貴族、子爵以下の者になっている。
そして実際の雑多な業務を引き受ける副長になるのは、やはり冒険者上がりが多い。
これも当然だ。
あくまでギルドマスターはお飾りでしかない。冒険者から貴族に任命される者など、王が在位している間に一人いれば良い方だ。
つまりギルドマスターは冒険者の事など知りはしないのだ。
もともとギルドの職員は怪我をした冒険者がなることが多い。もしくはある程度のランクまで上った者だろうか。
依頼や報酬の妥当性などが分かるからだ。その依頼の危険度が分かり、それを受ける冒険者の力量を測れるだけの目が必要となるのだ。
副長はその中でもその街に所属する冒険者全員を、そして近隣の高ランク冒険者までも把握できるほどの者でないとなれないのだ。
そしてこの同席している副長も赤弧狼の名だけは知っていた。だがまさかこんな若くて美しい女性冒険者だとは思っていなかった。
だがギルドマスターが本名まで知って親しげに呼びかけ、相手も否定せずに顔見知りである事から疑いようもない。
ギルドマスターが副長の方を悪戯が成功したような表情で振り向く。
どうやら副長に知らせずにいたらしい。
「さてそれより隣街での君の報告にあった通り、一昨日あの街道を通った者がいなかったようだよ。君だけがそれを不審に思ったそうだが、どうして君はそれに気付けたのだね?」
「それに関しては逆に聞きたいな。どうして貴方達はそれに気付かなかったのかとな。少なくとも門衛は誰一人城門を出なければ疑問に思うのではないのか?」
「……やはり、そう答えるか。そうだな、その事に不自然さを感じなかった我々の方がおかしいのだろう。だがそれならどうして君だけは気付いたのだね?」
「私だけではないさ。ギルドに報告を入れたのは私だが、他にも気付いた者はいたんだけどね」
「ふむ。その者達はどうしてるんだね?」
「さてね。別に連れと言う訳ではないしな。この街に向かったのかもしれないし、隣街にまだいるのかもしれないな」
「その者達に共通点はあるのかね?」
「そうだな。この街でも隣街の住人ではないと言ったところか? それと私も王都の方に来るのは四、五年ぶりだ。もしかすると近隣の情報に詳しくない者だけが気づくのではないかな?」
ソンジュはワイトやユウの事を伝える気はないらしい。
もっとも設定上では、ワイトはたまたま王都に向かうから同行しているだけの他人と言っても良いのかもしれない。
ワイトがソンジュの言葉を聞いていたら、分かっていても哀しげな表情をしそうなのだが。
ユウに関しては秘匿事項だ。黒髪黒目のいかにも異邦人と言った風体だ。代官にでも報告されたら拘束されかねない。
ソンジュはそんな真似をする気は更々なかった。
「まさか街全体に魔法でもかけられていたと言うのかね?」
「さてね。そんな魔法があるとも思えないがな。この街にはまだ届いていないのかもしれないが、他の街でも似たような事があったそうだ。そちらを確認した方が良いだろう」
「……こんな事態が他でもあったのか?」
「詳しくは知らないがそのようだよ。王都か副都になら連絡が言っているかもしれないな」
ソンジュは街道を誰も通らなかった件に関してこれ以上話すつもりはない。
だから自分達がその街でも異常をギルドに報告したことは言わない。
それはユウの特異性を晒すのに等しいからだ。
あくまで伝聞として同じような事態を知っているという風に話していた。
「……そうか。手間を取らせて済まなかったな」
「いや、構わないよ。この雨が小降りになるまでは私も動けないからな」
「ふむ。……しかし本当に久しぶりだな。君はあの頃から辺境巡りをしていたと思ったが、どうして王都に行こうと思ったのだね?」
「ちょっと知りたい事があってね。まあ王都には知り合いもいるから、この機会に訪ねてみようと考えただけだよ。だがまさかあの河に橋が架かってるとは思わなかったけどね」
「ああ、あの橋か。魔法兵団長が代わって魔法兵団が協力したらしいね」
そしてソンジュは雑談で茶を濁していく。
ギルドマスターにも分かっているのだろう。ソンジュはもうその話は打ち切りだと言っている事に。
実際ソンジュの言う通りなのだ。おかしいのは自分達の方なのだ。
誰一人として城門を出ないことに気付かない門衛や、そちら方向の依頼が全くない事に気付かなかったギルドの職員。そして街を出なかった商人の方が。
ある程度の雑談を終えてギルドマスターと副長は部屋を去っていく。
雨が弱まるまでソンジュにこの部屋を自由に使って良いと言いながら。
たぶんギルドマスター達はソンジュの話にあった街について王都に確認を出す者の選定を行なうのだろう。
ソンジュは注ぎ足されたカップの水を飲みながら窓の方を眺める。
雨足はまだまだ強い。しばらくは弱まりそうにないようだ。
ソンジュは昨晩はあれから寝ていない。またあのユウを拒絶する夢を見たくないからだ。
カップを机に置いて軽く目を瞑る。昼間の短時間の休憩ならば、あの夢を見ることもないだろうと期待しながら。
宿で待っているユウはワイトの質問を受けていた。
やはりユウの元いた世界について気になっているのだろう。
証拠として見せられたのはペットボトルだけだが、それでも見たことのないくらい透明な材質とその軽さに驚いたのだ。
他にはないのか、作り方を教えてくれ、などと言っている。
だがユウはソンジュに預けていると言って、ワイトを誤魔化している。
それにペットボトルの作り方なんてユウは知る筈もない。
それどころか石油が原料だとは知っているが、どうしたらプラスチックに変えられるのかすら分からないのだ。
あー、もう。作り方なんて分かる訳ないじゃない。
素材を知っていてもどうやって加工するのかなんて分からないわよ。その素材すらどうすれば作れるのかも分からないのよ。
私も「どこにでもいる普通の高校生」だったら良かったのに。
もしそうならどんな知識だって持ってたでしょ? 石鹸やノーフォーク農法、黒色火薬の配合比だって知ってる筈よ。
私だとせいぜいマヨネーズの作り方くらいしか分からないわよ。それも日本産のサルモネラ菌の心配のない安全な卵を使ってのね。
この世界だとそんな卵はないでしょ? いくらお酢やお塩に殺菌や防腐効果があっても、冷凍冷蔵技術がないこの世界だと一日持たないでしょ?
怖くて教えることも広めることも出来ないわよ。数万人以上の食中毒患者を発生させうるレシピなんて。
昼刻になっても雨が弱くなる様子はない。
さすがにソンジュが戻るまで待つことも出来ない。ユウとワイトは昼食代わりに買っていた果実などを食している。
「ソンジュはどうしてるのかな?」
「たぶんギルドで昼飯喰ってるだろうよ。ユウも知ってるだろ? ギルドの中にはパーティ募集のための空間があるって。あそこなら机も椅子もあるしよ。そこで雨足が弱くなるのを待ってるんじゃねえかな」
「この雨って一日降り続いたりしないわよね?」
「春先の雨だぜ。もう少ししたら弱まるか止むだろうさ。と言っている間に、弱くなってきたようだな。しばらくしたらソンジュも戻ってくるだろうよ」
ワイトの言うように窓を叩く雨音も弱くなってきているようだ。




