89.私はまだ生きてるんだ
扉をノックする音が聞こえてきた。
朝になりワイトが二人の部屋に訪れてきたのだ。
ソンジュが扉を開ける。もちろんソンジュは既に着替えも終わっている。
「よう。空模様なんだが……どうするよ?」
「ああ。大雨が降る、いや、嵐でも起こりそうだな」
そう言って振り返った窓の先には、厚い雲に覆われた空が見える。その雲の流れも速いようだ。
先日の霧雨の日とは異なり青空の欠片も窺えない。
「まあ、この時分には大きく天候が崩れる日があるんだがよ」
「春の嵐と言う奴だな。温かくなり始めるか、寒くなり始めた時によくあることだからな」
「……まさか『敵』は天候まで操れる訳じゃないよな?」
「それこそ、まさかさ。それなら今までだって霧を起こして人目を晦ませることも出来ただろう?」
二人はそう言って窓の傍に近寄っていく。
窓から見下ろした先はいつもの景色とは異なっている。動き回る者達の姿がほとんど見えない。
強い風に土埃も舞い上がっているようだ。
さすがにこの部屋はそこそこの宿にあるためか窓枠がガタガタ揺れたりはしていないが、他所の建物が音を立てているのは聞こえてくる。
街の者達もこの空模様から今日は嵐になると感じているようだ。
幾つか見える商店などは店を開こうともしていない。
そして二人は振り返り、まだユウが寝たままのベッドを見る。
ユウの寝相は悪くないようだ。上掛けを被って穏やかな寝顔を見せている。
「ユウは……まだ眠っているみてえだな」
「お前と今日の出立を相談してから起こすかどうかを判断したいのでな」
「なら、やっぱ今日は街を出ねえ方が良いんじゃねえか?」
「……ああ、そう思うのだがな……」
ユウの寝顔を確認してからなぜか歯切れの悪いソンジュの返事に、ワイトは首を傾げる。
ワイトは少し訝しげな声でソンジュに話しかける。
「あん? 確実に天候が崩れそうだしよ。こんな天候じゃ商隊だって街を出られねえだろ? 前の街の時とは違えよな。ちゃんとした理由があるんだからよ。そりゃユウのために急ぎたい気持ちは分かるけどよ」
「……いや……そういうことではなくてだな……」
ソンジュはいつもとは様子が違っている。
天候程度でこんなに悩むような奴ではなかったんじゃねえか、と思ってワイトは問い掛ける。
「おいおい。具合でも悪いのかよ。いつものあんたらしくねえんだが」
「……ああ、そうかもな。……お前は昨夜おかしな夢は見なかったか?」
「はあ? いや、俺の眠り病は治ったんだろ? それとも本当は治ってなくてまだ夢の中にいるってのか?」
「少なくともユウを認識できている以上、お前も夢を見ているのではない筈さ。ところで本当にへんな夢は見ていないのだな?」
「まあ、あの夢にユウがいなかったからには眠り病だったんだろうがよ。だが変な夢だと? そりゃどんな夢だよ?」
「いや、見ていないのならそれで構わないさ」
どうやらワイトの奴はあの夢を見ていないらしい。三人で眠り病を癒すための旅をしている夢を。
神の如き者が私達を操ろうとしているのかとも思ったのだがな。
だがそんな事もないようだ。実際に夢の詳細なんかは私も覚えていない。
今となってはうっすらとそんなイメージが残ってるだけだ。
ワイトが眠り病のときに見た夢のように毎日を過ごしていた訳でもない。
だからあの夢は何者かに見せられた夢ではなかったのだろう。
だがそうすると自分が分からなくなる。
私はユウとワイトと旅をしている事を楽しいと感じている。
可能ならばこの先もずっとユウやワイトと一緒にいたいと思っている。
あの三人で眠り病の患者を助けて廻る旅の夢なんて、ある意味では理想的な状況じゃないのか?
なのにどうしてその夢を忌避した?
どうして「恐怖」を感じたんだ?
ユウが気付いているのかは分からない。
だけど私を気遣って起こしてくれたのがユウだと分かっていながら、私は突き飛ばしたんだ。
ユウが心配そうな表情をしていると分かっていながら、それでも恐ろしいと感じてしまったんだ。
ユウの戦闘力なんて冒険者以下だ。下手をすると一般の街人にも劣る筈だ。
確かにあの麻痺の魔法は強力だ。だが自分への負担も大きいのだろう。ユウもなるべく使わないようにすると言っていた。
だからユウ自身に対して怯えていたのではない。
ユウが眠り病を癒すことに対して恐怖を感じていたのだ。
眠り病の患者が目を覚ますたびに、これはダメだと思ったのだ。
それはユウに影響があるかもという意味ではない。
眠り病を治すたびにユウがその分の負担をしていくと言うことではないのだ。
ワイトの回復でも感じていただろう? なぜかユウ自身には何の影響もないと不思議と理解していた筈だ。
つまり私は眠り病が癒されるが嫌なのか? 眠り病の患者が減ることを忌避しているのか?
そうかもしれない。
だがなぜそんな考えが湧き上がる?
「おい! ソンジュ!」
ワイトの強い呼び声にソンジュは考えを止める。
ワイトは何度も声を掛けていたのだろう。 どうやらソンジュは自分の考えに沈みこんでいたようだ。
「まずはユウを起こして状況の説明をすべきじゃねえのか? 今日の出立を止めてもう一泊する必要もあるしよ」
「あ、ああ。そうだな。済まない。少し余計な事を考えていたようだ」
「俺に聞いてきた昨夜の夢に関してか? 詳しく教えて欲しいんだが……その様子じゃ言うつもりはねえようだな」
「……済まない。自分でもよく分からない夢なのでな。いつかは話すかもしれないが今は勘弁してくれないか」
「まあ、あんたがこうして起きている以上は、眠り病で見た夢じゃねえのは確かだしな。なら俺は宿の受け付けに行ってもう一泊する事を伝えてくるぜ。あんたはその間にユウを起こしておいてくれや」
「分かった。宿についてはお前の方が信用もあるしな」
ワイトはソンジュの態度に不自然さを感じながらも部屋から出て行く。
それでもユウが普通にぐっすり寝ている姿に安心している。
そのユウを護り続けると言ったのはワイト自身だ。その誓いは今でも変わっていない。
それにいくら様子がおかしくてもソンジュがユウを害そうとはしない筈だ。そのつもりならユウが寝ている間にいつでも行なえるのだから。
ソンジュはユウを起こそうと寝ているベッドに近付いていく。
そしてユウの寝顔を見た時になんとも不思議な感情が湧いてくる。
なんとしても護ろうとする気持ちと、寝ている間に苦しまないように殺めた方が良いのではないかとの気持ちの二つの感情が。
ソンジュは慌てて首を振る。やはり自分は何者かに操られているのではないかと考えながら。
そして努めて優しくユウを起こす。
「おはよう、ユウ」
「あ、ソンジュ。おはよう。……そっか、私はまだ生きてるんだ」
寝起きの挨拶の後に小声でユウは呟いていた。しかもソンジュには聞こえないほど微かな声で。
そう、ユウは寝ている間に殺される覚悟すらしていたのだ。それもソンジュの手によって。
昨晩の事でソンジュに完全な信用を置けなくなったことに気付いている。
それでも寝ないわけにはいかないし、ソンジュに頼らずにこの世界で生きていく自信もない。
ある意味諦めているのだ。ソンジュになら殺されても仕方がないと。
自殺する勇気は持ち合わせていないが、死こそが元の世界に戻れる条件ではないのかとの期待すらしながら。




