88.閑話:スーサの街
「それで昨日の状況は確認できたのか!」
「いえ……それがまだ」
ギルドマスターの大声に申し訳なさそうに受け付けの者が答える。
少し声が震えているのは普段は温厚な上司が怒声を上げたからだろう。
大きな声を発したギルドマスターの机も様々な書類が高く積まれている。下手に触れると崩れ落ちそうだ。
声は聞こえるがギルドマスターの顔は窺えない。たくさんの書類に埋もれているから姿が全く見えないのだ。
それでもさすがはギルドマスターに任じられただけの能力はあるのだろう。直接見えていなくても報告に来た者が誰かは把握できているようだ。
「ああ、怒鳴って済まない。許してくれ。私も昨日から街道の往来に関しての書類を見るのに疲れていたようだ」
「いえ、私こそ確認が遅れて申し訳ありません。ただ向こうの街との遣り取りもあるのでどうしても時間が掛かります」
「そうだったな。しかし丸一日向こうと往来がないなど考えられん。そしてそれを誰一人として疑問にも思わなかったとはな」
「その件に関しては魔法の疑いもあるので王都にも問い合わせる必要があり、尚更時間が掛かりますので」
その言葉にギルドマスターは溜息を吐いた。
王都と副都を繋ぐ主要街道の途中に位置するこの街で、全く往来がない日などありえないのだ。
それもこちらから隣街に向かう者達だけでなく、隣街からこの街に来る者達すらいなかったのだ。
しかも王都の方向にある街と往来する者達だけがだ。逆の副都側への往来は普通にあったのだから。
これが主要街道から外れた街や辺境の街なら考えられなくもない。
街に住む商人の数も少ないだろうし、行き来する回数も減るだろう。
だがこの街の場合は違う。
主要街道だけあって街の規模はそこそこある。商人だって多いだろう。
それにこの街に住んでなくても王都と副都に物を運ぶ者もいる筈だ。そう、この街を経由するだけの商人も。
冒険者もだ。
少なくとも街道の見回りを行なう依頼はある。さすがに毎日ではないが、それでも数日に一回は行われているのだ。
それがなくとも採取や退治の依頼だってある。もちろん王都方向の街道を使って目的地に向かう依頼がだ。
それが一件もなかったというのも考えられない。
そしてなにより問題なのは、その事を誰も不思議に思わなかったことだ。
門衛もギルドの職員も商人組合の者すら疑問に感じなかったことがだ。
そんなことはありえない。ありえないのだが、あの三人の冒険者に言われるまで誰も気付かなかったのだ。
あの三人の冒険者。いや、厳密には冒険者は一人しかいなかった。赤弧狼の二つ名で呼ばれる女性冒険者だ。
そう驚いたことに赤弧狼は女性だったのだ。
辺境で活躍している冒険者だと聞いたことはあった。
幾つもの困難な依頼や、塩漬けと言われるような依頼をこなしている。そのうえ不良領主や不良ギルドマスターを解任に追い込んだりしていると。
噂だけだと齢を経た老獪な男だと考えていたのだ。
受け付けの話だと妙齢で美貌の女性だったそうだ。冒険者らしく大柄だったらしいが。
一緒にいた男もそれなりに名を知られた者だそうた。幾度も遠征経験のある熟練の元魔法兵だったらしい。
遠征の途中で何度もこの街に立ち寄っていたそうだ。
商人からの又聞きになるが、この街道の途中のあの大河の街辺りからは名が知られているようだ。
自分だって貴族だ。ギルドマスターを任じられる程度の爵位だが、それでも代々続いてきた貴族なのだ。
魔法兵が一代爵を賜るのも知っている。そしてそのことを勘違いする者が多い事もだ。王都に腰を据えて動きたがらない事をだ。
王から爵位を受け取る以上は直臣の扱いとなる。それゆえ王都に居残ることこそ大事だと考えるのだ。
代々続く貴族は違う。もちろん領地持ちの大貴族以外ではあるが。
王に望まれればどんな地にだって赴く。例えその地が辺境であったとしても。
それが実績となって子孫に爵位が残るのだ。だからどんな地に送られても不平など漏らしたりはしない。
そんな魔法兵の中で遠征任務を何度も行なっていた者だ。他の者達とは異なり実践の経験も豊富な筈だ。
そんな者が赤弧狼の二つ名持ちと同行していたのだ。信用出来ない訳がない。
後の一人はよく分からなかったらしい。異国人と思われるが、どうも荷物持ちのようだと言っていた。
赤弧狼はソロの冒険者だと聞いている。稀に臨時のパーティーに参加することもあるようだが。
ともあれ二つ名持ちの冒険者だ。パーティーメンバーでなくとも、荷物持ちの者くらいはいても不思議ではないのだろう。
そしてこの三人以外は異変に気付かなかったのだ。
そう、異変といっても良いのだろう。なにしろ主要街道なのに誰一人として往来しない異常な事態だったのだから。
彼女達がこの街にも向こうの街にも属していなかったからかもしれない。
だがこの街に所属していない商人だっていたのだ。あくまで経由地としてこの街に訪れていた商人がだ。
なのにその商人達も疑問に思っていなかったらしい。商人組合での聞き取りでそのことも判明している。
ならば彼女達だけが気付けたのはどうしてだ。
二つ名持ちの高ランク冒険者だったからか? 熟練の魔法兵だったからか?
それだけとは到底思えない。
そして彼女達が何かをしたとも思えない。
それならわざわざギルドに異常を報告したりする筈がない。ギルドに来る前には門衛にも異常を告げていたそうだ。
自らが何らかの作為を行なっていたのなら、それを代官にまで知られるような真似はするまい。
今日はいつものように隣街との間に往来があった。明日の予定も書類を確認する限り通常通りだ。
昨日だけを足止めする意味が不明なのだ。そもそも隣街まで影響を及ぼすなど、魔法兵ですら起こしえないだろう。
隣街へはギルド職員を伴った冒険者達に早駆けさせている。明日の朝刻の間には報告が届くだろう。
たぶん隣街でも異常に気付きもしなかったのだろうが。
「ふう」
報告に来た受け付けが部屋を出てからギルドマスターは溜息を吐く。
これから代官の館に報告に行くのだ。そして代官側の調査も聞くことになる。
隣街へとは別に王都へと向かわせた早駆けが戻るのは早くても明後日だろう。
二つの街の全ての者に不審を抱かせずに街道の往来を堰き止める存在がいるとは思えない。そんな真似が出来る魔法があるとも思えない。
なのにこんな状況に陥った事を王都では信じて貰えるのだろうか?
信じ難いが魔王などと呼ばれるような存在がいるのかもしれない。
もしくは神だろうか。
そんな馬鹿げたことがあるものか、と考えながらギルドマスターは報告用の書類を纏め始めた。
二刻ほど後に代官の館に向かったギルドマスターが戻ってきた。
出迎えた副長が声を掛ける。
「それで代官や領兵の調査はどうでした?」
「うちと変わらんよ。原因は不明だ。門衛にしてもなぜ疑問を感じなかったのかが分からんそうだ」
「商業組合からの報告もあったんでしょう?」
「そちらも同じだよ。どうして昨日だけ商人達の出入りがなかったのかは分からんらしい」
「魔法……ではないのですね?」
「たまたま代官の館には魔法兵が派遣されていたそうだ。彼の言葉によると、向かい合った相手なら意識を逸らせられる魔法兵もいるらしい。だが街全体を覆うように魔法を掛けられる存在はいないそうだ」
「あの異常を報告に来た三人の内の一人が魔法兵だったそうですが?」
「ああ、彼の名前は知っているようだったな。どうやら彼は便利屋扱いされていたそうだ。彼の上官が腐った貴族子弟の典型だったらしくてな。彼のおかげで更迭されたらしく感謝しているようだったよ。それから彼は『元』魔法兵だ。遠征先でその上官に嵌められたらしい。大怪我を負って退役したそうだ」
「大怪我……ですか? 対応した受け付けの話では、彼女達は三人共健康そうに見えたとのことですが」
「腕の良い治癒魔法士に癒され……いや、それなら退役する必要もなかった筈……その対応した受け付けを呼んで来い! それと代官の館に話を聞きに行かせる者を用意しろ! 彼がどこでどんな怪我を負ったのかを聞き出すんだ!」
「はい!」
魔法兵を退役せざるを得ない程の怪我をしたのに、それが分からないだと?
退役後に治癒魔法を受けたのだろうか。
いや、魔法兵団に所属していない高位治癒魔法士など王都にしかいない筈だ。それこそ王族お抱えの者しか存在しないだろう。
そしてあの三人は王都側の城門で異変に気付いたのなら、王都の方に向かおうとしていた筈だ。
ならば王都以外にそんな怪我を治せる治癒魔法士がいたと言うのか?
あの三人はもうこの街を出ただろう。引き止める権限も理由もなかったのだ。
彼女達に直接相対しなかったことが悔やまれる。異変の報告を受けて自分も各所を駆け回っていたのだから
……やはり彼女達三人には何か秘密があるのだろうか?




