87.私こそ不用意だったわね
ソンジュ達の一行は歩いて街の間を進んでいる。一日に七刻、ほぼ八時間だ。
その一日で進む距離はたぶん三十キロくらいだろう。
当然休憩を挟みながらだが、現代日本人だったユウには辛い距離である。ワイトやソンジュは特に気にもしていないようだが。
そんなユウが旅路を問題なくこなせているのは彼女の持つチート、回復魔法のおかげだ。
適宜設けられている休憩の時間に、自身に体力回復の魔法で疲れを取ったり、足に治癒の魔法を掛けている。
おかげで疲れて倒れこんだりしないし、足に肉刺が出来て痛むこともない。
もちろんソンジュやワイトに請われれば、彼女達にも回復魔法を掛けている。
たぶんMP、マジックポイントかメンタルポイントが減っているのだろうが、その程度の魔法だと精神的な疲れも酷くはないようだ。
ソンジュとユウが横になって一刻くらい経った頃だろうか。
微かな呻き声が聞こえてくる。ユウではなくソンジュのベッドの方からだ。
前の街では何者かの作為により丸一日の余分な休養も取れている。
そのためユウは今夜は肉体的な疲労も精神的な疲れも少なかったようだ。
だから隣から聞こえる呻き声で目が覚めたていた。
え!? ソンジュ、どうしたの? 夕食に当たりでもしたの? 苦しそうな呻き声のようだけど。
苦しそうな声を出すってことは眠り病じゃないと思うけど。
灯りもない部屋なのだが、窓は鎧戸になっていて風や月明かりを取り入れられるようになっているため暗闇ではない。
ユウは慌てて薄い掛け布をかなぐり捨ててソンジュのベッドに駆け寄る。
横たわっているソンジュはまるで悪夢に魘されているようだった。
ユウはそんなソンジュを揺り動かして起こそうとする。
そして目を開いたソンジュはユウを突き飛ばしていた。まるで化け物を見たかのような表情をしながら。
相当の力だったようだ。ユウは自分のベッドの辺りまで弾き飛ばされている。
さすがにユウも驚いた表情で床に座り込んでいた。
ソンジュは薄い月明かりの中で部屋を見回した後に、ユウを目にする。
そして自分がどこにいて何をしたのかに気付いたのだろう。
慌ててユウに向かって謝り始めた。
「あ! す、済まない! ……夢見が悪かったようだ。ユウだと気付かなかったんだ。ユウの方は大丈夫かい? 思いっきり突き飛ばしてしまったが」
「ううん。そっか、悪い夢を見ていたんだ。苦しそうな声が聞こえたから起こそうとしたんだけど。私こそ不用意だったわね」
ユウもソンジュの謝罪を簡単に受け入れて、自分こそ悪かったと告げている。
だが頭の中では違う事を考えていた。
嘘よ。
ソンジュ、貴女ちゃんと私を認識した上で突き飛ばしたでしょ?
あの表情は相手を認識した上での表情だったわ。
そう。私である事を分かった上で、それでも化け物でも見たかのような。
たぶん悪夢って言うのは本当でしょうけど、その夢の中に私がいたんでしょ?
そしてその夢の私は忌避すべき存在だったんでしょ?
全力で避けるような、ううん、倒すべき相手だったんでしょ?
そっか、そんな手できたのか。
私を殺そうとしている相手は、人間の認識を弄れるのよね。
ソンジュもワイトも、もう私達三人だけを隔離しようとするのは無理だろうって言ってたわね。
私もそう思ってたわ。
人目に付かない状態で私を消し去る方法。
……ソンジュを操るのが最善よね。二人だけしかいない部屋で仕留めるのが確実だと思ったんでしょうね。
さすがにソンジュも寝る時まで武具を持ってなかったから、私は運良く助かったんじゃないかな?
剣を持っていたら一刀両断されていたかもしれないわね。
あはははは。本当に上手い手を考えたものね。
ソンジュも、そしてたぶんワイトも私を信用させないようにするなんて。
魔物のように操ることは出来ないんでしょうけど、私から二人を引き離そうとしているんでしょ?
確かに私一人だけだと放っておいても野垂れ死にするものね。
何の伝手もない、この世界の常識も知らない女に手を貸す相手はいないもの。
そして私自身も、もうソンジュを使用できなくなったのよね。
ソンジュだけでなくワイトもよ。彼も隣の部屋でソンジュと同じような夢を見て魘されているんじゃないかな。
そして二人共に直接操られたりはしないでしょうけど、毎晩夢の中で私を殺すことになるんでしょうね。
その内にソンジュもワイトも、私と一緒にいることが嫌になるんじゃない?
それでも私は今まで通りに二人と接する必要があるのよ。「まだ」二人は敵じゃないんだから。
……本当に上手い手を考えたものね。
そんな事をユウが考えていると手首が疼きはじめた。
ソンジュに突き飛ばされて床に手を付いた際に痛めたようだ。
ユウは治癒魔法を発動してその手首を治している。薄暗い部屋の中でユウの手首が微かに光っていた。
それに気付いたソンジュが再び謝罪の言葉を述べる。
「済まない! そんなに強く突き飛ばしたつもりは……いや、言い訳だな。本当に済まなかった。どうすれば許して貰える?」
「だから気にしなくても良いわよ。夢なんて自分で選んで見たり出来ないでしょ。ほら、まだ夜明けまでまだまだよ。明日に備えて寝ましょう」
「ああ。……いや、また悪夢を見るかもしれないしな。今夜は起きておくよ」
「ダメよ。明日には王都に着くんでしょ? 寝不足な状態で王都に入るなんて出来ないんだから。大丈夫よ。また魘されていたら私が起こしてあげるわよ」
ユウは軽くソンジュに返している。
自分が考えている事を相手に悟らせないように、あくまで気楽な様子で。
ソンジュはそんなユウには気づいていない。
先程まで見ていた「悪夢」と、自分がユウに怪我を負わせたことで混乱しているようだ。
悪夢? あれが悪い夢なのか?
ユウが元の世界に還る事を諦めて、世界中を駆け回りながら眠り病の治療をしている夢が?
そしてその護衛をしながら私とワイトが一緒に付き添って旅をしている夢が?
ある意味理想的な夢じゃないか。
ワイトの件で自分にも分かっているだろう? 一度眠り病から生還した者は二度と同じ病には罹らないことが。
眠り病の患者を全員助けることは出来ないかもしれない。だけど助けられる生命はあるだろう。
なのになぜ私はそんなユウを化け物のように考えていた?
なんでそんな旅をしながらユウを疎ましく感じていた?
どうしてユウがこの世界にとって邪魔な存在だと考えていた?
そしてなぜユウを「殺そう」とした?
分からない。いや、分かりたくない。
なぜこんな夢を悪夢のように感じていたのか。
なぜそんな夢に魘されていたのか。
それにソンジュは気付いてもいた。
これは眠り病の症状でない事にも、あの意識を逸らされていた者達とも違っている事にも。
そう、誰かに見せられた夢ではない事にだ。
ユウは自分のベッドに潜り込んで再び上掛けを被っている。ソンジュに背を向けるような姿勢で。
ソンジュはそのまま起きている。もう眠る気はないようだ。
高ランク冒険者のソンジュにとって一晩寝ない程度では問題がない。
そして眠らないのは、たぶん再びあんな夢を見たくないからだろう。




