70.十年以上は先の話じゃねえかな
宿に戻った際にワイトが受け付けに頼んでおいたのだろう。湯桶を一つ持った男が部屋を訪れる。
さすがに革鎧などの装備と下着まで脱いで薄着になったソンジュや、ポンチョ一枚だけを被っているユウを前面に立たせる訳にもいかないと考えたのだろう。ワイトが扉を開けて湯桶を受け取っている。
そして衝立に囲まれたワイトに割り当てられたベッドに引き篭もっていく。
翌日の隊列などの相談は昨日の晩に済ませている。だから後は寝るだけだ。
端の方の衝立に囲まれたベッドをワイト用として、一つ間隔を空けたベッドをソンジュが使う。ユウはその隣のワイトと最も離れた逆端側のベッドが譲られる。
ソンジュなら眠っていても、もし深夜にワイトが良からぬ事を考えて衝立を越えたなら気付くだろう。自然にこういったベッドの割り当てになる。
ワイトも洗濯を終えたのだろう。彼は桶を持って部屋を出て行く。自ら宿に返却に行くのだ。
ソンジュとユウの使った桶は、ワイトの湯桶を持ってきた男に渡している。
本来なら一定時間が経つと桶の回収に来る。だがワイトは自分の手で返しにいくのだ。
やはり元平民の生活を知っているワイトだからだろう。その貴族らしからぬ態度が今まで訪れた街の宿でも好意的に迎えられる原因の一つなのだ。
少ししてワイトが部屋に戻ってくると閂を掛ける。
ソンジュが机に置かれた燭台に立てられた蝋燭を吹き消す。そして各々が割り当てられたベッドに潜り込んだ。
翌朝ユウはソンジュに起こされて目を覚ます。
既にソンジュもワイトも出立用意が整っているようだ。
冒険者のソンジュは朝早くに起きることに慣れているのだろう。なにしろ基本的に明るい内しか冒険者は活動できないのだ。
明るくなる前にギルドで依頼を受けて、それが外での作業の場合だとすぐに街を出る必要があるのだ。街内作業ならもう少し余裕があるのだろうが。
ワイトは元職業軍人だ。彼にとっては特定の時間に起きるのは義務みたいなものなのだ。集団生活を送る以上は規律正しい生活が当然なのだ。
決められた時刻に集合して、決められた時間内に食事を取る。
既に軍を抜けて一般の平民となったワイトだが、それでもその習慣は身体に刻み込まれているらしい。
現代日本出身のユウだって社会人だ。会社勤めをしている以上は決まった時刻に起きる必要がある。
だがこの世界でスマートフォンのアラームを設定しておく事も出来ない。なにしろ一日の長さが二十四時間ではないのだから。
それに寝ている間も電源を入れっぱなしになんて出来る筈もない。充電しながらなんて不可能なのだ。実際この世界に来て初日に数枚の写真を撮ってからは一度もスマートフォンの電源を入れていない。
所持している対衝撃防水機能のある有名な腕時計の女性用も同じだ。
こちらは簡単に電池切れなど起きないだろうが、地球の二十四時間に調整された時計など意味がない。こちらもアラーム機能を止めてバッグに格納したままだ。
なによりいくら異世界出身だと教えていても、さすがに電子機器の存在まで二人に明かすつもりはない。
起き上がったユウも慌てて出立の用意を始める。
もちろんその間ワイトは衝立に囲まれたベッドの中で待機させられている。ソンジュに監視されながら。
まるで檻に入れられた囚人のようだ。
用意を終えた三人は宿を出て朝食を取れる店に向かう。ワイトのこの街での行きつけの店だ。
昨日夕食を取った店とは異なっている。ワイトが一季も泊まってた街だ。いくつかの店を廻っていたようだ。
「王都までは後四日ってとこだな」
「この街で増水期に足止めを喰らわなかったのは幸いだったよ。あの橋のおかげだな。お前も役に立っているじゃないか」
「俺だけで橋を架けた訳じゃねえけどな」
やっぱりこの中世っぽい世界だと河を渡るのも大変みたい。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」ってことよね。
……本当にサークル仲間の彼等って無駄知識が豊富だわ。そのせいで私までこんなフレーズを覚えてしまって、つい出ちゃうんだもの。
三人は朝食を終えるとすぐに城門に向かう。
観光もギルドへの立ち寄りも昨日に済ませている。もうこの街に用はない。ユウだけは浴場の方を名残惜しそうに眺めていたが。
城門前は他の街以上に賑わっている。
馬車に荷を積んでいる商人や荷を背負った行商、それに旅人や一時的に依頼で街を出る冒険者で別れているのは他の街と変わらない。
三人は旅人として出市税を払い街を出る。
そう言えば河を渡った時には税を徴収されなかったわね、とユウは思い出す。河の両岸に別れていてもやはり一つの街なのだろう。
三人はさっさと歩を進めて、後ろに続く商人と一定の距離を保ちながら先頭を進んでいく。
まるで露払いのようだ。だが三人にはそんな気は全くない。
前にも考えた事だが、後方の商隊が襲われても構わずに彼女達三人は進み続けるだろう。自分達にまで向かってこない限り。
もっともその心配はない筈だ。この王都と副都を繋ぐ街道は毎日のように魔物や獣の掃除がされているだろう。
それでも魔物が集って襲ってくるなら目的は「ユウ」に違いない。
そしてその時には、後ろにいる商人達は魔物の襲来に巻き込まれないように「何者か」に足止めされているだろう。
だからどちらにしろ後ろに続く者達を気にしても仕方がないのだ。
「ねえ。次の街ってどんな感じなの?」
「そうだな。副都と河の街の間にあった街と変わらない筈だよ。この街道の宿場町と言ったところだろうね」
「まあ、そうだな。王都と河を挟む街、それから副都が主要な街になるからよ。それ以外は似たり寄ったりだぜ」
「あの河は交通手段にもなってるからね。河の上流にある街や下流にある街への船便も出ているよ」
「それで城門も他の街より混んでたのね。でも上流ってどうやって行くの?」
まさか蒸気機関とか内燃機関とかはまだ無いわよね。帆船だと風の向きによって制限があるだろうし。
もしかして魔法? でも魔法で河の流れに逆らって船を動かせるような魔法使いが軍属じゃない訳ないわよね。
あ、でもワイトみたいな人が他にいるのかも。
「まあ、岸から何人もで引っ張り上げるのが基本だろうね。風向きによって帆を広げるけどね」
「つくづく魔法兵団ってのは無駄飯喰らいだと思うぜ。一人でも風を操れる奴が舟に乗っていれば楽になるんじゃねえかな」
「ねえ、ワイト? 貴方以外にも怪我で退役した人っているんじゃないの? そういう人達ってどうしてるの?」
「ああ、貴族に雇われるよ。それも上位のな。もしくは教官かな。魔法兵って奴は基本は随伴の兵に護られているから怪我人は少ねえんだけどよ。それでも俺みてえに走れなくなった奴なんかは出るからな」
「ほう。お前ほどの腕なら引く手数多だったんじゃないのか?」
「はん。今更貴族の堅苦しい生活なんてやってられねえよ。それに言ったろ? 俺は成人近くまで元農民だったんだぜ。せっかく自由に成れたってのに、貴族の私兵なんかやってられるかよ」
「じゃあ船乗り……って言うか、あの河の上下の行き来を手伝うとか考えなかったの?」
「齢とって碌に動けなくなったら、それも良いかなと思ってはいたがな。まあ、十年以上は先の話じゃねえかな」
そうね。やっぱりワイトも若いものね。まだ二十代だもの。もっと色々やってみたいのよね。
それで冒険者なのかな? でも私が脚を治してあげなかったら大変だったと思うんだけどね。
そのまま後方の商隊と付かず離れずの距離を保ちながら街道を進む。
後方の者達が昼休憩を取るタイミングに合わせて彼女達も休憩を取る。
昼食を取りながら三人は雑談を始める。
「やっぱ、あれか? 天気がよくて見晴らしもいいと襲撃もねえってことか?」
「そのようだな。だがよく分からないな。人目に付きたくは無いのだろうが、最初の襲撃に失敗した時点でギルドに連絡される事は『相手』も分かっている筈だ。その後の襲撃で私達が死んだら、私達が目的で私達に何かあると考えるだろう?」
「私の遺品から異界の者だって事も分かっちゃうよね?」
「ああ。魔物に遺品を持ち去るなんて知恵がある訳もないしな」
「つまりユウが異界人だと知られても良いってことかよ。本気でユウの生命だけが目的ってことか?」
「だろうな。だが『この世界の者』じゃないから消し去りたいのなら、他の世界の物が残っていると不味いと思うのだがな」
本当に相手の目的が分からないわ。
私を葬りたいのは間違いない筈よ。でも既にソンジュやワイトだって私が異世界からの迷い人って事を知っているのよ。
ペットボトルや衣類しか見せていないけれど、異世界があるって証拠になりそうな物はまだあるのよ。それに衣類や靴はソンジュの収納袋に入っているのよ。
もし神のような力で遺品を消せるのなら、わざわざ魔物を操って襲撃する必要もないと思うしね。




