57.今日は雨が降りそうなのでな
翌朝ユウが目を覚ますと、ソンジュは部屋の窓際に立って空を見上げながら何かを考え込んでいるように見えた。
険しいとまでは言えないのだが、それでも少し憂鬱気な表情をソンジュはしているようだ。
「おはよう、ソンジュ。どうしたの?」
「ああ、ユウ。おはよう。いや、今日は雨が降りそうなのでな」
ソンジュの言葉に誘われるようにユウも窓際に近付いていく。
見上げた空は前日までと異なっている。晴れてはいるのだが、その青い空も少しくすんでいるようだ。
雲も薄くたなびくような感じではなく重たげな様子だ。そして雲が流れるのも速くなっているらしい。
雨! 雨が降るの? ……って、そりゃ降る事だってあるわよね。この世界に来てから雨に降られた事がないから気付かなかったけど。
いくら乾期だからって全く雨が降らないわけじゃないものね。
でも空模様からすると降るとしても霧雨のような感じじゃないかな。
「それで今日は街を出ないの? 明日まで次の街には向かわないの?」
「いや? 雨が降る程度で休んだりしないよ。ユウもワイトもローブを被っているだろう。私も鎧の上から被る物は持っているしね」
「傘はないの?」
「傘? 日差しを遮るためじゃなくてかい? ユウの世界では雨に濡れるのをそんなに嫌っているのかな?」
そう言えば、欧州なんかだと雨傘が使われ出したのって近代に入ってからだって聞いたわね。
傘を差すんじゃなくて、撥水性の高いコートや帽子を身に着けていたって。
それに冒険者だと傘に片手を取られるのも嫌なんでしょうね。旅人にとっては、いつ降るのかも分からない時にだけ使う余分な荷物が増えるだけだもの。
それに嵐や暴風雨だと傘なんて却って邪魔になったりするからね。
「『春雨じゃ、濡れてまいろう』ってことね」
「うん? ユウはたまに変な事を言うね」
……ごめんね、変な趣味で。どうしてもポロッと出ちゃうのよ。
性とでも言うのかな。あのサークルの仲間達ってそういう人が多かったから、私も影響を受けちゃってるみたい。
そう言えば異世界に行ったり生まれ変わったりするマンガや小説では、オタク趣味の人が多い気がするわね。
たぶん内政チートをするために知識が豊富な人って事でそんな設定なのよね。
でもその主人公達って本当にそんな趣味の人は少ないと思えるんだけど。
彼が言ってたわね。本物のオタクが内政チートなんて出来る訳が、する筈がないだろうって。「本物」の知識があるなら、絶対に世界に対する影響を考えない筈がないだろうって。
それにオタクの知識ってのは実生活に役立つようなものじゃないって。
火薬の配合比や石鹸の作り方を知っていても、本当に作ったりしたことはないだろうって。
確かに廃油を使っての石鹸作りなんて主婦の方が実際に行なっている筈よ。
まあ、マンガや小説には逆行転生していながら目の前の相手が分からないオタクなんてのも居るんだから言うだけ野暮なんだけどね。
吉法師や三郎、上総介や前右府で気付きなさい。信玄や謙信じゃなくて晴信や輝虎で分かりなさい。惟任日向守くらい知ってなさいよ。
私の個人的な考えなんだけど。オタクって言うのはね。実生活では全く役に立たない無駄知識が豊富でない人が名乗っちゃダメなのよ。
少なくとも私が呟いた台詞が月形半平太のもので、そのモデルになったのが土佐の武市瑞山だって事くらいは知ってないとダメなんだからね。
私は自分がオタクだなんて名乗れないわよ。その域に達してないもの。果てしなく続く坂道に一歩足を踏み入れた程度だもの。……その時点で手遅れなのかもしれないけれど。
それから二人は着替えなどを行なって出立の用意をしていた。
ソンジュはユウに着せたあのポンチョを被っている。雨具としてのコートの代わりなのだろう。ユウはローブを纏いフードも頭から被っていた。
しばらくしてノックの音が聞こえる。ワイトが呼びに来たらしい。
宿を出て朝食を取れる店に向かう。当然ワイトの案内だ。
朝食を食べながらワイトが二人に話し掛ける。
「どうも今日の空模様から見るに雨でも降りそうなんだがよ」
「ああ。商人達との距離を少し詰めておく必要がありそうだな」
「それってどれくらい近付くの?」
「今までは大体五、六千オークくらい離れていただろう。そうだな、四千オークくらいまでの距離に変えておくべきかな」
単純に換算すると今までは三百メートルくらい離れていたのを、二百メートルに変えるってことね。
雨で遠方の様子が分からなくなっても、そんなに近寄らないのね。同行者か護衛だと思われない距離のままって事よね。
まあ、冒険者って慈善事業じゃないものね。街道を行く商人や旅人の安全を保障する必要なんて無い筈よ。それは領兵や軍の仕事よ。
商人や旅人だってそんなことは先刻承知でしょ。自分達で雇った護衛ならともかく、たんに同じ街道を行く冒険者が身を挺して護ってくれる訳が無いってことくらい分かっている筈よ。
物語の主人公の正義の冒険者パーティなんかが、魔物や盗賊に襲われている馬車を助けたりするけれど実際にはありえないのよ。
もしその馬車の人達が全滅したとしても、それは護衛を付けないか、護衛に掛かる費用を安く済ませようとした馬車を運用していた人の問題でしょ。
なんで自分の身を危険に晒してまで助けに行くのよ。謝礼が貰えるかすら分からないのに。
あれ? でもワイトは前に商人達と談笑しながら付いて来てたわよね。
ワイトは元軍属の魔法兵だからかな。まだ冒険者登録もしていないし民間人を助けるって意識が抜けてないのかも。
でも冒険者になるのならその意識は捨てなきゃダメだと思うんだけど。無料で護衛してくれる存在なんて、他の冒険者にとっては邪魔にしかならないでしょ。
もっともワイトの場合は一人で行くのが寂しいって気持ちの方が大きかったのかもしれないけれどね。
……そうよね。どちらかと言うと私達の方が、商人や旅人を見張り扱いしているんだもの。
……そしてもし魔物に襲われても私達は彼等を助けたりはしないわ。私達三人の身を護ることだけに注力するわ。
もし彼等が魔物に襲われたりしたら、それは「私だけ」を亡き者にしようとする存在とは別の筈だから。たぶん、その魔物達は「偶然」この場に居合わせただけに違いないもの。
前にも考えたけれど、私はこの世界に責任を持つ気はないわ。その責任を取るべきなのは、私をこの世界に喚び出したか送り込んだかした存在よ。
朝食を終えて、昼食になる物を買い込むと三人は王都方向の城門に進む。
簡単な検査を受けて出市税を払い、その城門を後にする。
城門を抜けた先には麦畑が拡がっている。他の街と変わらない。この春先の季節だと青々とした景色が映し出されている。
ソンジュ達三人はそんな景色の街道を、他の商人や護衛と少し離れて先行しながら歩いている。
少し青さがくすんだような空を、重たげな雲が足早に流れていく。この様子だと昼刻に入った頃くらいに雨が降りそうだった。
はるか後方の商人達も雨が降りそうだと考えているのだろう。
馬車の荷台には大きな布が掛けられている。商人達もフードの付いたコートを被っているようだ。まだフードは背にたらしているようだが。
護衛している冒険者達も同様の格好をしている。
雨くらいでは街で休んだりしないのだろう。定期的に街々の間を行き来する商人にとっては雨に降られるのも珍しいことでもないようだ。
旅人達も無駄な宿代を払ってまで街に留まる気はないようだ。ワイトやユウと似たようなローブを纏っている。
三人は適宜休憩を挟みながら街道を進み続ける。
向かう先の街を出立したであろう旅人や商人ともすれ違っている。やはり次の街にも移動阻害や認識阻害の魔法などは掛けられていないらしい。
昼休憩を終えた頃に雨が降り始めたようだ。
とうとう降ってきたわね。でもこれって霧雨じゃない? 全然雨足も強くないみたいだもの。
この辺りで乾期に降る雨なんてこの程度なのかな。なんか本当に恵みの雨、豊穣の雨って感じね。
街道だって泥でぐちゃぐちゃになってる訳でもないようだもの。馬車の車輪も泥濘に取られて立ち往生することもないと思うわ。
うん、こんな雨くらいで街に留まる商人や旅人がいる筈ないわよね。
霧雨のせいで視界は悪くなっているが、はるか後方に馬車を牽く商人達の姿もかろうじて見えている。
ソンジュもワイトも気にした様子もなく街道を歩き続けている。
そろそろ昼二刻も半ばに掛かる頃だろう。雨足自体は強くなってはいないが、霧のために視界が悪くなっていった。
そして何かに気付いたようにソンジュが声を上げる。ワイトも慌てたように喚いている。
「何だ!? この気配は!」
「おい! ソンジュにユウよ! 後方の商人達が全く見えねえ!」
「え? え? え? 先行し過ぎたってこと?」
「そんな訳ねえよ! 俺達は連中に合わせるように休憩を取ってただろ? 直前の休憩なんて四半刻前なんだぜ! そんな短時間に連続して休憩取る訳ねえよな? 半刻も歩けば次の街に着くんだからよ」
「たぶん一セオークくらいは距離が開いているのだろうな。この時間だと向かいの街から来る人々も居ない筈だしな。なるほどな。同じ街道を進む人達に、ある場所から先に進ませないような魔法でも掛けたのか」
「……『敵』は神様ってか?」
「神なんている訳なかろう。それにそんな奴なら魔物なんて使わずに直に襲ってくるだろうしな」
「そりゃそうだ」
ソンジュとワイトは少し緊張した様子で身構えている。ユウも二人の傍でいつでも魔法を放てるように準備していた。




