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5.私はとても無知ですから

 ソンジュと名乗った彼女からゆっくりと手を離しかけて、けれど再度その手を握りなおす。

 しかし二回目の時には先に感じたような衝撃は襲ってこなかった。


 うん、もう何も感じない。

 本当に運命の相手だったりしたら……触れる度に何かを感じる筈よね。

 何だったんだろう? 先に感じたものって。


 ソンジュと名乗った女性も己の手を不思議そうに眺めている。

 そして頭を振ってから腰に吊るしていた筒から水を飲んだ。

 それから声を掛けてくる。


「ユウ。まずはレリの街まで向かおうか」

「あ、はい。お願いします」


 ユウもその言葉に肯く。

 あれって竹筒かな? やっぱり現代って訳じゃないみたい。

 ならばここでペットボトルなんて取り出せる訳ないわね。

 良かったわ、城壁が見えた時に水を飲んでいて。うん、街までは水を飲まなくても大丈夫そう。


 そして二人は歩き出した。

 しばらくの間はお互い口を開く事も無かった。そう、二人共に何かを考え込んでいるようであったのだ。

 そうして三十分くらい経った頃であろう。ユウがソンジュに問い掛ける。


「あの、ソンジュさん……なんであんな所で倒れていたんですか?」

「少しの間とは言えども私達は相棒だろう。さん付けは不要だ。そうだな、ただ気持ちよくて寝てただけだよ」


 ううう……こんな美人を初対面から呼び捨てになんて出来ないわよ。

 それに気持ちいい天候だったって事は同意するけれど。だからって道の真ん中で寝たりする?

 野盗なんかが来たらどうするのよ。ううん、盗賊でなくってもこんな美人が寝てたら良からぬ事を考える人もいるでしょ。

 ソンジュって自分が美人だって自覚が無いの?


「でも私みたいなのじゃなくて……盗賊なんかだったら危なかったんじゃ?」

「ああ。賊であっても二、三人なら問題ないさ。その方が都合良かったんだが」


 うわー、凄い自信家だ。いや、それだけの実力を持ってるって事よね。

 それに都合良いって。街の近くだし報奨金目当てだったの?

 とりあえず私は運が良かったって思っていいのかな? 少なくとも直近に盗賊なんかが現れても被害に遭わずに済むってことだもの。

 もっともずっと彼女のコバンザメをする訳にもいかないし、たぶん街に着いたらさよならだろうけど。


 うん、街まではソンジュから情報収集に努めるべきだわ。

 えーと、度量衡と貨幣価値が大事だったかな? あ、暦や時制もだっけ?

 サークル仲間達は本当に異世界なら絶対に現代地球、ううん、現代「日本」と同じな訳が無いって言ってたもの。

 それと自分にチート技能があった場合はジョブやレベル、ステータスやスキルなんかの存在も確認しておいたほうが良いって。

 魔法がある世界だったら誰でも魔法が使えるのか?

 もし魔法が一般的でないのなら、どれくらいの割合の人が使えて、それがどの程度のレベルなのかも。

 ……つくづくサークル仲間の彼等って不思議よね。なんでそんな事を思い付けるのかな?


 ソンジュに対して幾つもの質問をしていく。

 なぜそんな常識的な事を訊いてくるのだろうと思いながらも、ソンジュはそれらを丁寧に答えていく。

 ソンジュは答えながら考えている。


 なんだ、このユウという女は? 本当に物事を全然知らない。

 まるで生まれたての赤ん坊のようだ。


 確かに魔法に関しては分からなくもない。農民であったなら詳しく知らないのも当たり前だ。

 魔法の素養が見つかれば、まず軍人としての教育を受ける。

 その中で一定の基準にまで到達出来なかった者達が再び平民となるのだ。例えば指先に火を灯す程度の者や、僅かな水を生み出せる程度の者なんかだ。

 そんな連中でも軍以外だと引く手数多になる。

 職人なんかに雇われるのだ。火種を残しておく必要もなくなるし、水汲みの手間だって減るのだ。

 商人や冒険者ならもっと大切にされる筈だ。行商や探索時には物凄く役に立つからだ。どんな場所や天候であっても火を熾したり、水を湧き出せるのだから。

 だがその程度の者でも千人に一人程度しかいない。

 そして当然彼等は街に住むことが多いのだ。中小の農村なんかでは見かけることなんて無いだろう。

 けれどユウの見た目は着ている衣服からも農民だとは思えない。


 それに暦や時制を知らない? 貨幣価値が分からない? それどころか麦などの値段も知らないだと?

 近隣の国々の暦や時制は同じなのだ。旅人だからって知らない筈がない。

 もしはるか遠方のこの辺と異なる暦や時制を使う場所の出身であっても、ここに辿り着くまでに知る機会なんか何度もあっただろう。

 と言うか、そんな事も知らずにここまで来れる訳がない。


 このユウと名乗る女性はいきなりここに現れたのだろうか?

 この辺りでは見かけない美しい染色の、さらに不思議な光沢を持った布で作られた服を着ているのだ。

 それに髪も瞳も黒い。どちらもこの辺りでは珍しい。

 まさか彼女は天からの御使いだとでも言うのだろうか?


「なるほど。この辺りではそのような感じなのですね」


 ユウは適宜相槌を打ちながらソンジュの教えてくれる事を聞いている。自分が怪しまれている事に気付きながら。


 当たり前ね。いくらなんでも知っていて当然の事ばかり訊いているんだから。

 現代地球で「一年を空に浮かぶ衛星の公転周期で割ってるんだ。その衛星を月って呼んで一ヶ月と言う単位にしている訳ね。それで一年って何ヶ月なの?」なんて尋ねているのと同じだもの。

 でも仕方ないじゃない。

 一年が三百六十五日? 一日が二十四時間?

 お月様、いや衛星かな? それが一つしか存在してなくて二十七日くらいの周期で地球、ううん、この星を回っている?

 本当に異世界だったらそんな訳ないじゃない。

 それ以前にこの世界って球状惑星なの? 亀の上に乗った象が支える平面世界かもしれないじゃない。


 本当にサークル仲間の彼等って凄い。そこが異世界ならばどんな些細な事でも疑えって言ってたけど、確実に私も影響を受けているわ。

 私ももっと能天気でいられたら良かったのに。

 貨幣にしろ度量衡にしろ十進法で現代「日本」換算が可能だったり、暦も一年が十二ヶ月で一ヶ月が三十日で一日が二十四時間だったり。

 それを疑問に思わないような単純さだったら悩まずに済んだわよ。

 そんな風に信じていたら、そういう異世界に送られていたかも。

 ……うん、そんな「甘い」異世界が存在する訳ないわね。


 やっぱり度量衡も貨幣価値も暦法や時制も現代日本とは違っているわ。

 ううん、現代日本どころか現代地球の他の国でも換算は不可能だわ。


 当然よね。貨幣にしても金貨が銀貨の十倍程度な訳ないもの。

 だって現代地球だと同じ重さで四、五十倍くらい価値が違った筈よ。機械を用いて大量に掘削精錬が出来そうもないこの世界だと、もっと差が広がっていてもおかしくないじゃない。

 金貨が銀貨の十倍で、銀貨が銅貨の十倍なんてありえないわよ。

 もしそうだったならば私なら銅貨を集めて金貨に換金して即座に鋳潰して金塊として売っているわ。


 あー、残念。やっぱりマンガや小説でよく見かける現代日本の価値観が通じる異世界じゃないのかあ。

 例えばメテルとか近い名前で同じ長さだったり、貨幣もゴールドって単位で百円相当だったりもしないみたいだから。

 クリスマスもバレンタインも出来ないわね。そもそも月が複数存在していて、一年が十二ヶ月って暦でもないようだもの。


 質問をしながら三十分ほど歩くと城壁に近付いていった。城門も目に入る。


「とりあえず私達はパーティーを組んでいる事にするが良いだろうか?」

「はい。と言うか、とても助かります。……もう分かっているでしょうけど、私はとても無知ですから」

「確かにそのようだな。まあ私から案内すると言ったんだ。特に気にする必要は無いさ」

「ありがとうございます」

「基本は私が話すようにする。君も言葉は分かるらしいが、あまり口を出さないようにして欲しい」

「ええ、そうします。それであの……荷物の検査もあるのでしょうか?」

「ああ、商人ならともかく冒険者相手にそんな事はしないさ。私も君も手荷物くらいしか持っていないしな」


 うん、なるほどね。確かに馬車や背負子だと密輸品だって隠せるでしょう。けれど私のバッグやソンジュの腰に着けたポーチじゃ大した物が入らないわよね。

 ふう、良かった。それは助かるわ。

 プラスチック製のペットボトルや写りが良過ぎる鏡が付いたコンパクト、それにインクも付けずに書けるペンや刃を折るだけで切れ味が戻るカッターナイフ。

 たぶんこの世界だと異常な品々ばかりだろうし。


 そして二人は城門で入城検査の列に並ぶ。

 と言っても、まだ昼になるかどうかと言った時間だ。そんなに多くの人が並んでいるわけではない。

 ソンジュが何か認識票のようなものを見せて、ユウを仲間だと言うとあっさり入城出来ていた。


 ユウはそっと溜息を吐く。


 ソンジュの言うように入城検査は楽にパス出来たみたい。

 と言うより、ソンジュはこの街によく来ているのかもしれない。それどころか有名なのかもしれないわね。

 だってソンジュが同じパーティーの仲間だと告げるだけで、黒髪黒目のどう見ても異邦人な私を簡単に入城させたんだもの。

 たぶん女性冒険者なのに相当の実力を持っているんだ。

 でも手が触れた時の感覚を考えると……ソンジュに出会ったのって本当にただの偶然なのかな?


 ソンジュも驚いていた。


 私だってこの街に来るのは初めてだ。案内すると言っても、前に訪れた街で紹介された宿やギルドの場所しか知らないんだ。

 なのになぜこんなに簡単に入城許可が出るんだ?

 どう考えてもユウは異邦人としか見えないだろう?

 黒い髪に黒い瞳だぞ? この辺では見慣れない衣服も着ているんだぞ? なんで詳しく詮索したりしない?

 ……まさかユウが特殊な魔法でも使っているのか? 相手の認識を阻害したり書き換えたりするような魔法を。

 でも私にはそんな魔法が掛っていないようだし、そもそもそんな魔法が存在するなんて聞いた事もないのだが。


 二人はお互いを誤解しながらも、無事にレリの街に入ることが出来たようだ。

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