4.旅人です
倒れていた女性は背を起こして片脚を伸ばしている。もう一方の膝は立てた状態だった。右手で寝転んでいて乱れた前髪を軽く払っている。
なんだろう。そんな様子もすごく絵になっているわ。
同い年か少し上くらいにしか見えないのに。
何か少し不公平だと思う。やっぱり神様なんていないんだわ。……私をこの世界に連れてきたのは神様なのかもしれないけれど。
「……ほんとうに言葉が分からないのか? 確かにこの辺りで見掛ける服装ではないようだが……」
身を起こした彼女が首を傾げながら問い掛けてくる。
ああ、そうよね。ここが本当に中世っぽい異世界なら化学繊維を使った服なんて珍しいわよね。
って、そんな事はどうでもいいわ。
だけど私って日本語しか喋れないし、なんて返答すればいいのよ。
とりあえず声は出した方が良さそう。そうすれば言葉が喋れない事を分かってくれるでしょ。
「いえ、貴女が言っている事は分かります……え!?」
えええええ!? 何!? どういう事!?
いま私の口から出たのは日本語とは違うわ! 聞いた事も口にした事もない言葉よ! なのに意味は分かるってなんでよ!
……これってやっぱり言語理解のスキルとか技能って呼ばれるものなの?
まさか回復やバフの魔法だけじゃなくて、サークル仲間の言っていた三大チートも備わっているの?
もしかしてアイテムボックスとか鑑定なんかも使えたりするの?
道端に座り込んでいる女性をじっと見つめる。鑑定技能かスキルが発動する事を祈りながら。
だけど残念ながら何も分からない。名前も年齢も持っている技能なんかも全く分からない。
そしてもしアイテムボックスなんかの技能やスキルが存在するとしても、その使い方の見当も付かない。
思わず溜息が漏れる。
これはあれね。確実に神様だか世界の管理者だかの超越者が関わっているわ。それで言葉が分かるようにだけはしてくれているみたい。
それに魔法なんかを与えるって事は、私にこの世界で何かを為して欲しいって事になるわ。
何をさせたいのかは分からないし、与えられた技能やスキルが回復系やバフ系の魔法だけなのが疑問だけど。
だって誰かを癒すのが目的ならば、その対象となる人物の前に出現させるんじゃないかな?
道に横たわっていた女性は腰を下ろしたまま上半身だけ起こして、ころころと表情を変えている相手の様子を面白そうに見ている。
どうやら近付いて来たのは女性のようだ。
初めは呆れた様子だったのに、なぜか言葉を発して驚いた表情をしている。そして次には真面目な顔でこちらを見つめている。
声を掛けた時は相手は言葉が分からないのかと思った。
たしかにこの辺りでは見かけない少し変わった服を着ている。あんな綺麗な染色と光沢をしている生地など見た事がない。
それに髪も瞳も黒い。遠い南方にはそんな髪色や目をした民族がいると聞いた覚えがある。
だから異邦人の旅人かと思っていたのだ。
だけど返された言葉はこの国のものだった。
訛りもなければ、たどたどしい口調でもない。それどころか普段から使い慣れていると言っても良いくらいだ。
そして言葉を発して一瞬驚いた後に、こちらをじっと凝視している。
まるで何かを探るような、相手を見透かそうとしているかのような眼差しで。
でもなぜかすぐに諦めたような表情をして、それから考え込んでいるようだ。
本当に百面相をしているみたいで面白い。
表情が豊かで見ているだけでも飽きないが、さすがにこのまま放っておく訳にもいかないだろう。
再び考え込んでいる相手に呼び掛ける。
「君は旅人なのかな? その姿と格好を見る限り、この近辺に住む者だとは思えないのだが」
鑑定やアイテムボックスのチート能力が無い事にがっかりしていたが、彼女からの問い掛けに慌てて少し考える。
正直に話すのが不味い事なんて考えなくても分かるわ。
異世界からの転移なんて言っても信用してもらえないだろうし、もし信じて貰えても現代地球産の知識があると分かれば危険だと思う。
この世界に隷属の首輪とか奴隷紋なんてのが存在するかは分からないけれど、確実に捕らえられて無理矢理にでも知識を吐かされるでしょうね。
この人だって信用できるか不明だもの。
まあ盗賊狩りをしていたのならば、少なくとも悪人ではないだろうけれど。
とりあえず旅人って事にしておいた方が良いかも。
「ええ、旅人です」
「その割には荷をほとんど持っていないようだが?」
あ! そうよね。着の身着のままだし小さなバッグを持ってるだけだ。これで旅人なんて不自然すぎる。
ああ、もう! なんて言えばいいのよ!
迷子? この齢で?
ならば記憶喪失? そんなの怪しすぎるわよ。
えーとサークル仲間はなんて言ってたっけ?
探索中に魔法の罠で見知らぬ地に飛ばされた冒険者を演じろだったかな。
……無理ね。こんな格好の冒険者がいる訳ないじゃない。
「なるほど。訳ありのようだな。どうも逃亡奴隷ではなさそうだが」
「奴隷!?」
あー、やっぱりそんなのがいる世界なんだ。
いや、現代地球だって完全に廃止されてない事は知っているけれど。それでも表立って口には出せないわよ。
この世界では一人で彷徨っている人を見たら、それが逃亡奴隷だって考えるくらいには当たり前に存在しているって事なんだ。
けれど、ちょっと待ってよ。この人だって一人じゃないの? もっともこの人は冒険者っぽいけれど。
「詳しくは聞かないことにしようか。それで向こうから歩いて来たってことは目的はレリの街かな?」
「レリ?」
そっか、やっぱりあそこって城塞都市なのね。レリの街って言うんだ。
目的地って訳でもないんだけど、あの規模の街なら万単位の人が居そうだもの。情報収集が出来るかもしれない。
私のような異世界からの迷い人か来訪者なんかのね。
座り込んでいる女性は不思議そうな顔をしていた。
相手は滑らかにこの国の言葉を喋っている。
なのにいちいち驚いたり聞き返したりすることや、向かっている街の名すら知らなかった様子に少し疑問を感じる。
本当に異国の旅人なのだろうか。だが碌に荷も持たずにいるのはおかしい。
ただ、なぜだろう。このまま放っておいてはいけない気がしている。得体の知れない相手であるにも関わらず。
「ふむ。どうもこの辺りに詳しくないようだ。どうかな? 私が案内しようと思うのだが」
「え!?」
「そういえば名乗ってもいなかったな。私はソンジュと言う名だ。君の名前を聞いてもいいかい?」
急にフレンドリーな態度で話し掛けてくるのに戸惑う。
名前……本名を名乗るの駄目だろう。と言って全く馴染みのない名だと咄嗟の時に反応できないかもしれない。
それに彼女も名だけを言っているのなら平民には姓が無いのかもしれない。
少し考えてから告げる。
「私の名前はユウです。でも案内ってどういうことですか?」
「この辺に来たのは初めてなのだろう? 私もあの街に詳しい訳ではないがギルドや宿の紹介くらいは出来るさ」
あー、ギルドなんてのもあるんだ。冒険者ギルドかな?
この人は別の街を拠点にしていて、あの街はたまに訪れる程度かもしれない。
どうしよう? 悪い人ではなさそうだけど。
「分かりました。お願いします。この辺りの事は本当に何も分からないので助かります」
えーい、女は度胸よ!
この世界のことなんて分かる筈がないんだから。もし騙されたってチート能力でどうにか出来るわよ。
相手を弱体化して自分を強化できるなら何とかなるわ。……なるわよね。
もしかしたら私に与えられた魔法なんて、この世界では誰もが使えるような一般的なものなのかもしれないけれど。
座り込んでいた女性が立ち上がる。その手で服に付いた土埃を払いながら。
そんな何気ない姿すら絵になっている。思わず見惚れてしまう。
「ならばしばらくの間は相棒だな。よろしく頼む」
そして彼女は握手を求めているのだろう。その右手を差し出してくる。
思わずその手を握り返す。
その瞬間何か衝撃のようなものが身体を駆け抜けた。
静電気なんかとは全く異なる。
もっと別の……そう、まるで運命の相手と出会ったかのような気がする。
え!? おかしいでしょ!? なんで女性相手にこんな事考えるのよ!
まさか私ってそっち側の人だったの!?
彼の事を考える。
うん、大丈夫だ。彼の事が一番好きだ。間違いなく彼を愛している。
……ならばこの女性に感じたものは一体何なの?
そっと相手の様子を窺う。
手を差し出したときには微笑んでいた筈なのに、今は彼女もまるで何かに驚いたような顔をしている。
たぶん自分も同じような表情をしているのだろう。




