42.できたらいいな
ワイトは驚きの目をユウに向けている。ソンジュも同様だった。
そしてソンジュはワイトに目で合図を送る。
その目線に気付いたのだろう。ワイトはベッドから立ち上がり、その場で駆け足を行なう。
傷を負って以来久しぶりに全力で膝を曲げ伸ばししている。それなのに膝が固まるような状態にはならない。
ワイトは何度も何度も駆け足を繰り返した。
「あはははは! 動く、動くぜ。膝の痛みもねえし、固まったりもしねえ。俺はまた走れるんだ! あはははは……」
ワイトはまるで泣き笑いのように声を震わせながら駆け足を続けている。しばらく繰り返してから、ようやく足を止める。
そしてユウを見詰めなおす。
「これが本当の治癒魔法なんだな! アイツが使った治癒なんて、紛い物に過ぎなかったんだ。ユウ、あんたは最高の回復魔法の使い手だ。まるで神様だよ!」
ワイトの大げさな賛辞に、ユウは少し引いているようだ。それでも嬉しそうに肯いている。
良かった。ちゃんと治ってるみたい。もしかしたら無理かもしれないって思ったんだけど。
でも、やっぱり不味かったかな。またソンジュに怒られるかもしれないわ。不用意に私の魔法を見せびらかすような真似をするなって。
でもワイトはあのスプルの群れに襲われた時に、自分の身を省みずに私を護ろうとしてくれたのよ。
ちゃんとお礼をしたいじゃない。私に出来る限りの力を使って。
でもそうなるとやっぱり治癒の魔法って事になるじゃない?
ユウは少し気になってソンジュの方に目を向ける。
そこで目にしたのは、微笑ましそうにワイトを見ているソンジュの姿だった。
ユウの視線に気付いたのだろう。ソンジュは良くやったと言いたげにユウに視線を向けた。
「ユウ、ありがとよ。俺は一生掛けてもあんたを護るぜ」
「……ごめんなさい。私には付き合っている人がいるの」
「求婚している訳じゃねえよ! ……そうかよ、ユウには付き合ってる野郎がいるのかよ……」
ワイトはプロポーズじゃないと言いながらも、誰にも聞こえないような小声で少し残念そうに呟いた。
だがその後に少し考え込みながらユウに問い掛ける。
「それで、その付き合ってる男は何してんだよ? 自分の彼女があんな危険な目に遭ってるってのによ。と言うか、なんであんたを独りで放ってるんだ?」
「……」
「碌な野郎じゃねえだろ。どんな事情かは分かんねえが、女性を単独で異国に行かせる奴なんてよ」
「彼の事を悪く言わないで!」
「俺なら絶対放っとかねえけどな。嫌がられても付いていくぜ」
「だって仕方ないじゃない! 彼は知らないんだもの! それに来たくても来れないのよ! ここは『私達がいた世界』じゃないんだから!」
「ユウ!」
ソンジュの怒鳴り声に、ユウは自分が言ってはいけない事を喋ってしまったのに気付いたらしい。その顔を真っ青に染めながら口元を手で抑えていた。
「……は!? ユウのいた世界? え、どういう意味だよ? ユウ、あんたはこの世の者じゃねえってことか? 天からの御使いなのか? それとも死者の世界から蘇ったってのかよ?」
ワイトはユウの言葉に呆然としながら問い質している。ユウは真っ青な顔色をしたまま黙り込んでいた。
ワイトの首筋に剣が突きつけられる。ソンジュの手によって。
だけどワイトはまるでそんな事は気にならない様子だった。
「詮索するなと言っただろう。ユウには付き合っている相手がいる。事情があって彼はユウの境遇を知らずに地元に残っている。それで納得しろ」
「……ソンジュ……つまりあんたはユウの状況を理解してるって事か?」
「答える気はないな」
「……俺は絶対にあんた等を裏切ったりしねえ。……だから最低限の事情くらいは教えてくれよ」
「教えなかったらどうする? ユウの事を言いまわるつもりか?」
「そんな事しねえよ! ユウには膝を治してもらった恩もあるしよ! けど、この先も口裏を合わせる必要があるだろ?」
「なんだ? もう膝も問題ないのだろう? ユウには付き合ってる彼がいるし、私もお前とどうにかなる気はない。良い格好して見せたところで意味が無いぞ。それでも付いてくるつもりか?」
「……もうそのことは忘れてくれよ。それに俺は恩返しもせずに済ませるような恥知らずじゃねえ。付き合ってる奴がいても関係ねえよ。なにがなんでもユウを護りぬくさ」
ソンジュは剣をワイトの首筋に当てたまま、ユウの方に向き直る。
ユウは諦めたような表情で首を縦に振った。
だが説明はソンジュに任せるつもりなのだろう。
ソンジュに言った以上の事まで話すわけにはいかない。それに自分で喋ると余計な事まで言いそうだ。
あー、もう! 彼の事を悪く言われたせいで、つい喋っちゃったじゃない! 私が異世界への、ううん、異世界「から」の迷い人だって。
向こうの世界でも同じように時間が過ぎているのかな? 三日も連絡が取れないんだもの。彼も気にしてくれているかな?
……彼に会いたいな。こんな凄い経験したんだよ、こんな大変な目に合ったんだよ、って伝えたいな。いいえ、ただ優しく抱き締めてくれるだけでいいわ。
……ダメ、考えたらダメよ。動けなく、進めなくなっちゃうから。
ソンジュは抜いていた剣を腰に戻した。それからワイトにユウの事情を簡略に話し始める。
ワイトはソンジュの言葉を黙って聞いている。さすがに疑わしそうな表情を浮かべながら。
「……信じられねえな。こことは別の世界があるなんてよ。でもまあ、このペットボトル? ってのを見せられたら信用するしかねえんだろうけどさ」
ユウが証拠として机の上に置いた五百ミリリットル入りの天然水のペットボトルを弄びながらワイトは呟く。
信じられないほど軽く、それなのに中に入っている水が零れることがない。透明で中に入った水の色がわかるどころか向こうの景色すら見ることが出来る。
周りを覆っているのも紙ではなく、なにか固く透明なものだ。濡れても破れる様子が見受けられない。
それには文字が描かれているようだが見た事もない複雑さだし、あんな微小な文字を書けるなんて信じ難い。それに濡らしても滲みもしない。
ワイトはこんな水筒のことなど見たことも聞いたこともなかった。
これほどのものだ。とても高価なのだろうとユウに訊いてみると、一レイ出せば三つや四つは手に入る価格らしい。しかもそれは中に入っている水の値段らしく、ペットボトル自体は単に中に入っている物を零さないための容器だそうだ。
使い捨てが当たり前とのユウの言葉に、ワイトは驚きの表情を浮かべていた。
「……それでユウが元いた世界に還れる方法を探してるって訳か。時空魔法なんかの情報を求めて王都の学校に向かうって事かよ」
「ああ。時空魔法や召喚魔法なんて失われた技術だろうからな。だが研究している者も王都にならいるだろう?」
「確かにそんな魔法が昔はあったって話は聞いたことがあるな。遺跡の罠の中には召喚されたとしか思えねえ魔物が出てくるものもあるし、見た目より容量がでかい袋なんかが見つかったりするからよ。けどさ。王都なら研究してる奴もいるかもしれねえが、使える奴はいねえんじゃねえか?」
「それでも魔法の断片くらい解れば、ユウになら使えるかもしれないからな」
「まあ、あんな途轍もねえ威力の魔法が使えるんだ。ユウなら可能かもしれねえけどよ。……ユウの世界だと、あの魔法すら誰でも使える程度に過ぎねえのか?」
「いや。ユウの世界には魔法なんて存在しないらしい」
「はあ!?」
ワイトは再び驚きの表情を見せる。
いやいや、そんな事ありえねえだろ。
魔法は魔力を感じ取るだけの素養があって、魔力を操る力を身に付けた者だけが使えるんだぞ。
なんで魔法のない世界出身のユウが魔法を使えるんだよ。元の世界には魔力なんかもねえって事だろ。感じ取れる訳ねえじゃねえか。
って言うか、魔法のない世界の人間が魔法の存在なんて知ってる筈ねえだろ。
「なあ、ユウよ。改めて訊きてえんだが、なんであんたは魔法が使えるんだ? いや、そもそもなんで魔法なんてものがあると思ってんだ?」
「……こんなこといいな、できたらいいな、なんてワイトは思った事がない?」
「そりゃあるさ。その思いが様々な技術の発展の元になるんだからよ。だけどあんたの世界には魔法なんてねえんだろ。使えないものの技術が伸びる訳ねえよな」
「だから想像の産物? 憧れ? そう言った感じの創作物があるのよ」
「はあ!? え、なにか? あんたは思い込みで魔法を使ってるってのか?」
「たぶん違うわ。私だって実際に魔法が使えるだなんて思ってなかったもの。でも『この世界』に来てから急に使えるようになったの。私だって未だに信じられないわよ」
「ユウに訊いても無駄だよ。ユウは異界の者なんだ。そういう存在だと考えるしかないのだろうな」
「そんなんで納得出来るかよ! ……って、するしかねえんだろうけどな……」
ワイトは魔法兵だったのだ。どうしても理詰めで考えてしまう。因果がはっきりしていないと気持ち悪いのだろう。
現代日本で言うところの理系脳とでも言うべきだろうか。




