41.後で良いことをしてあげるから
ワイトはソンジュとユウとの間で交わされた話に内心で首を捻る。
そしてユウをじっと見詰めている。
なんだ? ユウは魔法の事を知りてえのか? あれだけの魔法を使えるってのにか?
ソンジュは魔法に関して詳しくねえのかもしれんが、ユウの魔法はどう考えても国家最高位魔法士より上なんだぜ。
三人もの負傷を、それも俺の脇腹の怪我やユウの太腿に開いた大穴さえ、あの短い呪文で瞬時に癒したんだからよ。
それも相手に触れずにだぜ。そんな回復系の魔法なんて聞いた事もねえ。
そもそもあの麻痺ってなんだよ! 治癒応用の麻痺だと!? どうやったらそんな真似出来るんだよ! それも単体に対してでなく範囲に効果を及ぼすだと!?
そりゃ俺の炎の幕だって範囲って言えねえ事もねえよ。でもありゃ自分の周りに張った幕を拡げていってるんだ。
風の刃だって自分の周りに発生させた刃を飛ばすんだよ。直に相手を切り刻んでいる訳じゃねえ。
離れた相手に直接魔法の効果を及ぼせる? 言っちゃなんだが、それが出来るなら暗殺だって簡単に出来ちまうだろうが。
「なんだ? その目は? ユウを襲う気なら、またユウに麻痺させてもらうぞ」
「違えよ! それに麻痺はもう勘弁してくれ! あんたも掛かったから分かるだろうが! あれ喰らうと息も出来なくなるし、心臓の鼓動だって瞬間的に止まってたと思うぜ!」
え!? 息が出来なくなる? 心臓も動きを止める? なんで!?
……あ、自律や随意の関係無しに運動神経に魔法の効果が及んじゃうんだ。
うわあ、意識を失う前にソンジュやワイトに回復の魔法を掛けられて良かった。下手すると二人を死なせちゃうところだったわ。
範囲魔法って怖いわね。敵味方の関係なしに効果が出るんだもの。
ゲームなんかだと範囲選択なんてのもあるけど、それって複数指定と変わらないじゃない? その複数ってのが何十何百体って数に増えるだけで。
うん。やっぱり治癒応用のデバフ魔法は使わないでおこう。
……でもやっぱりいざと言う時のためにも、自律神経には効かないように麻痺の魔法が使えた方が良いわよね。
でも自分に対して掛けられる筈もないし、ソンジュを実験台にする訳にもいかないもの。練習……と言うか確認しようが……あ! ワイトがいるじゃない。
彼だって私が回復系の魔法使いって事を知ってるんだし、頼んだら確認させて貰えるかも?
「ねえ、ワイト。お願いがあるんだけど」
「なんだよ、その猫なで声は。気持ち悪いな。なんだ、言ってみろ」
「えーとね。ちょっと麻痺を掛けさせて欲しいんだけど」
「ちょっ、お前! さっきの話聞こえてねえのかよ! あれ死ぬほど苦しいんだからな!」
「ユウ。いくらワイトが相手でも、さすがに何もしていない内からそれは気の毒だと思うが」
「俺が相手でも、ってどういう意味だよ!」
「あ! 違う違う。その……息が苦しくなったり、心臓が止まらないように麻痺させるから」
「ほう、そんな事も出来るのかい? なら試して欲しいな」
「冗談じゃねえ! 絶対やだよ! なんで俺が実験台なんだよ!」
「だって他の人に私が回復系の魔法が使えるって言えないでしょ。ソンジュをモルモットにするのは申し訳ないし」
「俺だと構わねえのかよ!」
「後で良いことをしてあげるから……お願い!」
両手を合わせて上目遣いで自分を見詰めるユウに、ワイトは息を呑む。
ワイトは既に逃げられない事に気付いている。いくら拒否したところで、ユウは相手に触れずに魔法の効果が及ぼせるのだから。
それにユウが言った「後でしてくれる良いこと」も気になっていた。
「……仕方ねえな。でもすぐに解除してくれよ」
「うん。そこは大丈夫よ。じゃあ麻痺の魔法を掛けるわね。『ワイトの自律神経を除いた運動神経に麻痺』」
ユウは日本語で呪文のように魔法で行いたい事を唱える。
ワイトが魔法を使っているのを見たおかげで分かっている。この世界の魔法には呪文や詠唱が必要だという事は。
いくらユウが無詠唱で魔法を使えるとしても、そこまで晒す気は無いのだ。
ユウの呟きが聞こえると、ベッドにワイトの身体が崩れ落ちる。運良くベッドに座っていたおかげで、床に倒れ落ちるという事はなかったようだ。
その状態のワイトを、ユウもソンジュも数秒間眺めていた。
そしてユウは再度日本語で呟いた。「ワイトを回復」と。
ワイトもその声に身体が動くようになった事に気付いたようだ。身体を起こして両腕を振り回したりしている。
ワイトは身体に不調が残っていない事を確認すると大きな溜息を吐いた。
「それでどうだった? 息が出来なくなったりした? 心臓が苦しくなったりしなかった?」
「え!? ……ああ、身体は動かなくなったよ。でも息が苦しくなったり、心臓が止まったような感じはしなかったな。どうやったんだ?」
「それはね。麻痺させるのを自律……」
「ユウ、そこまでにしておくんだ。いくら信用している相手でも、全てを明かして良い訳じゃない。それはユウだけの切り札として残しておくべきだよ」
「あ!? ごめん、ソンジュ。……ワイトもごめんね」
「ああ、構わねえよ。魔法兵だったら自分の力を隠すってのは仲間に対する裏切りみてえなものだけどよ。冒険者なんかだと違うだろうしな。いや、ユウは冒険者でもねえのか?」
「探りを入れるな! ユウに対する詮索は認めないと言っておいた筈だが」
「分かってるよ。つい口から出ただけだ。答えてくれなくても気にしねえよ」
うん、やっぱりソンジュがいてくれないと私は駄目だ。つい自慢げに喋っちゃいそうになったもの。
この世界で自律神経と随意神経の違いを理解しているとも思えないけど、その違いすら話していたかもしれないわね。私も詳しくはないけど自分の意思で動かせるかどうかくらいは分かってるもの。
「……それで後でしてくれる良い事ってなんだよ。あ、いや、別に期待している訳じゃねえけどよ」
何気ない口調でいながらも、それでもある種の期待を含んだ声でワイトはユウに問い掛ける。
だけどそんな声色になっている事はソンジュもユウも気付いている。
「うん。ワイトの膝を見せてくれる?」
「……はあ!? なんだ? あんた男の膝に興味があるってのか?」
「馬鹿なこと言わないで! 傷を負った膝を見せてって言ってるの」
「いや、構わねえが……既に治癒魔法を受けてるんだぜ。魔法を重ね掛けしたところで意味ねえだろ」
ユウの言葉に少し残念そうな顔をして、それでもワイトはズボンを捲り上げてユウに膝を見せる。
見せられたワイトの膝は綺麗なものだ。傷痕一つ目に入らない。
ふーん、見た目ではちゃんと治っているみたいね。でも、それなら走れないっておかしくない?
たぶん鏃を抜いた後に表面の傷だけを治してると思うんだけど。
疑問だったのよね。なんで治癒魔法を受けた筈なのに、元の状態に戻ってないのかなって。
私は治癒と回復って別物だと考えてるわ。傷や怪我を癒すのが「治癒」で、状態異常や体力を元の状態に戻すのを「回復」って呼んでるのよ。
もちろん本当は違うのかもしれないけれど、それでも私のイメージした通りに魔法が発動しているんだもの。問題ない筈よ。
それでスプルの時に使った魔法よ。あの時は言葉では単に治癒とか回復って唱えたけれど、心の中では「スプルに付けられた傷」の治癒とか「スプルとの戦いで消耗した体力」の回復と考えていたわ。
だって自分にだって治癒を掛けた筈なんだけど、子供の頃に付いた傷痕は残ってるんだもの。
本当に全ての傷や怪我を治せるのなら、その痕だって消えていないとおかしいんじゃない?
今朝目覚めてそのことに気付いてたわ。だから隠れて試してみたのよ。
ガラスの欠片で深く傷付けた痕にね。今じゃほとんど分からなくなってるんだけど、それでも良く見たら傷痕が見える指先にね。
信じられなかったけど……綺麗に痕が消えていたわ。
「ねえ、ワイト。走れないってどういう状態なの?」
「あー、そうだな。走ろうとすると、なんか膝が固まっちまうんだよ。歩いていても長時間だと同じようになるな」
ロッキングね。運動やってた友達が同じような状態になったから知ってるわ。
きっと膝の半月板の損傷よ。あれって自然治癒はしないそうだもの。
もしかしてこの世界の治癒って、自己回復を加速しているだけなの? 自然に治らない怪我には効かない? だからワイトも治癒魔法を受けたのに走れなくなった事を納得しているの?
ユウはワイトの膝に手を当てて呪文を唱える。もちろん日本語でだ。
「ワイトの膝を普通に走れた頃の状態まで治癒」
ぼんやりした淡い光が、ワイトの膝とそこに添えられたユウの手を灯した。
ソンジュもワイトも驚いたように目を見開く。だが声は上げなかった。
「ふう。これで元の状態に戻ったと思うわ。たぶん走れるようになってる筈よ。これが『後でしてあげる良いこと』よ」




