37.八半刻だけ時間をやる
ワイトを店の前に残して、ソンジュとユウは店に入っていく。
ギルドを出たのも朝三刻をはるかに越えている。二人がこの店に入ったのは朝四刻くらいだろう。この時間だと冒険者達も仕事に励んでいる筈だ。
店内には他の客はいないようだった。
そして昼一刻の鐘が聞こえてくる頃に二人は店を出てきた。
「遅えよ! なんで服を買うだけなのに一刻も掛かるんだよ! って、え……」
さすがに疲れ果てたのか、店の前で座り込んでいたワイトが振り向きながら大声を上げた。
だが振り返ってユウの姿を見ると言葉を途切らせていく。
ユウはローブを羽織っていた。それはワイトが被っている茶色いローブと似たような形状だ。けれどそのローブはチャコール、消し炭色をしていた。
ローブに付いているフードを降ろしているためか、この辺では滅多に見掛けないその髪色も気にならない。ローブの色も相まって気付き難くなっているのだ。
ユウの身長も女性としては高い。体型もローブで隠れている。
普通の男性と同じか少し下くらいの身長があるため、外見上では男女の区別が付かなくなっている。さすがに百七十センチを越えていそうなソンジュと並んでいると小さくは感じるのだが。
ユウもワイトが目を見張った理由に見当が付いている。
ソンジュの進言で全身を覆うローブを被る事にしたのだ。それも出来るだけ黒い色のものを。
髪色を隠せるフード付きのローブを被っている方が役に立つのだ。
ユウは自分の身体を使った戦闘経験などある筈がない。幾らバフ魔法で自らの能力を上げたとしても、十全に使いこなす事など出来はしないのだ。
足元さえちゃんと動かす事が出来れば、敏捷性強化の魔法を自分に掛けて攻撃を避けられる。それに薄い布製であっても多少の防御力はある。
ユウは魔法士なのだ。剣を持って闘う必要など無いのだ。
「ワイト、お前も衣類は買い換えるのだろう? 八半刻だけ時間をやる。その間に服を買って来い。遅れたら放っておいて先に行くぞ」
「……あんた等は一刻もの時間を取ってたのに……俺は八半刻かよ……」
えーと、この世界の一日が二十六時間程度でしょ。それを朝昼夕夜の四つに分けて、更にそれぞれを四つに割って『刻』って単位を使ってるんでしょ。
この世界のこの辺りの国々では季節で時間が変わる不定時法を用いていないってソンジュは言ってたわよね。
それで一日を十六等分しているのなら、一刻って百分に少し足りない程度って事になるのかな? 地球時間での一時間半ちょっとくらい?
……そんなに時間が経ってたんだ。
前の街で纏まったお金も手に入ったし、多少は良さそうな衣類を選んでいたからかな?
服だけじゃなくて夜着の代わりとなるポンチョも買ったし、ローブだって選んでたんだもの。それくらい時間が掛かっても仕方ないわよ。
けれどワイトに与える時間は八半刻? 十分ちょっと? ちょっとソンジュって酷くない? まあ、男性ならその程度でも問題ないのかな?
ワイトは慌てたように店に駆け込んでいく。
ソンジュが指定した時間を越えて待っていてくれるなんて考えもしない。絶対に自分を放っていくだろうと確信しているのだ。
「前の街でもローブを用意した方が良かったかな? とは言え、どうしても動きが阻害されるからな。ワイトのように魔法兵なら問題ないのだろうが……」
「ううん、仕方がないわよ。一昨日の買い物の時にはソンジュは私が魔法を使えるなんて知らなかったんだもの。本当に黙ってて、ごめんね」
「いや、それこそ仕方がないことだ。あの時点で私に話せる筈もないだろう。とにかくユウは体術が全然駄目だと分かったしな。だが魔法には期待しているよ」
ソンジュとユウは店の表で雑談をしながらワイトを待っている。二人共にワイトの着替えなどには興味を持っていないらしい。
ソンジュは軽く笑いながらユウに新調した格好の事を告げている。
ユウも体術が駄目だと言われても怒ったりしない。当然だからだ。
その代わりに自分のやるべき事、出来る事を考えている。そう、神様か誰かに与えられたチート能力の事を。
うーん、範囲で麻痺させるとなると魔力? 精神力? とにかく、そう言った物が辛いみたいね。
だって本来は私の魔法って治癒や回復、強化なんでしょ。それを無理に応用してデバフ、弱体化の効果を出しているんだもの。
気を失ったのが魔力切れか、たんに精神的な負荷のせいかは分からない。それでも、あんな使い方しているとたぶん持たないと思うわよ。
もう、サークル仲間達もそういう事はきちんと言って欲しかったわね。って、彼等だって実際に経験した訳じゃないから分からないかな。
やっぱり私の本分ってヒーラーなんだ。治癒や回復、それと味方を強化する魔法を使う支援系の魔法使いなんだ。
これからはそっち方向で考えよう。余程の事がない限りデバフ系の魔法は使わない事にしよう。
少し経つとワイトがまたも慌てたように店を飛び出して来た。
ソンジュとユウが待っている事を確認して大きな溜息を吐く。その後も深呼吸を繰り返して弾んだ息を整えているようだ。
「どうした? 何を慌てている?」
「はあ!? いやいや、八半刻で済ませろって言ったのはあんたじゃねえか!」
「本気にしていたのか? それは済まなかったな」
ソンジュの言葉を聞いたワイトはがっくりと肩を落とす。
なにしろ店内に入るとすぐに店主に合うサイズの衣類を用意させた。そして並べられた中から碌に選びもせずに買っていたのだ。
ローブだって前に着ていたのと同じ色とサイズと言うだけで購入したのだ。
さらに購入したそれらを着替えてまでいるのだ。
本来なら前に着ていた穴だらけのローブや衣類を、下取りに出すための交渉をしていた筈だ。
多少の穴が開いていても端切れとして使える。この世界では少々の破損程度で、無駄に衣類を捨てる事なんてない。
交渉次第では新規に用意させた衣類の代金の三分の一まで、古着の売却金を充てさせることも出来ただろう。
だがそんな余裕がある訳がない。ワイトに与えられた時間は八半刻しかないのだから。
そのためほとんど言い値を支払い、古着の買い取り額も最小限だったのだ。
そのおかげで店主を急かせながらも、なんとか時間内に店を出ることが出来た。なのに、ソンジュはあれは適当に言っただけだと言っているのだ。
ワイトが疲れたような顔をしているのも仕方がないことだろう。
もっとも昨日のスプルの発見や退治の報酬も牙の売却額も、全てワイトの取り分だとソンジュは考えている。ユウにもその事は伝えて了解を得ている。
だからそこまで細かく値段の交渉をしなくても良いと考えていた。
ソンジュは高ランク冒険者なのだ。多少高価でも良い物を買うという習慣が身に付いている。その額に比べれば、衣類を多少安価にする交渉など面倒なだけなのだろう。
ユウに至っては現代日本の若い女性なのだ。価格交渉なんかは欠片も思い浮かばない。完全にソンジュ任せだった。
古着だって直前まで来ていた物だ。洗濯もせずに売るのに抵抗を感じるのも仕方がないだろう。実際に穴の開いたズボンは売らずに残している。
さすがにソンジュは呆れていたようだが。
「次は防具だが……その前に昼食をとったほうが良いな」
「ああ、なんか疲れちまったよ。俺もゆっくりしてえや……」
「お昼ご飯ってどんな感じなの?」
「ふむ。この辺りだと昼は軽く茶と菓子を摘む程度だな」
お菓子! この世界に来てからは食べる機会が無かったわ!
……けれどあまり期待は出来そうにないわね。たぶん香辛料ほどじゃないだろうけど砂糖だって高価なはずだもの。
お煎餅とかそんな感じ? あ、お米も無いみたいだから、ガレットのような物なのかな?
ワイトの案内でソンジュとユウは飲食店に向かう。
どうやら昨日にギルドに寄った時点で朝食を取った店だけでなく、昼食を軽く取れる店も聞いていたのだろう。冒険者用の量は多いが安くて質が劣る店でなく、それなりの美味しい物を食べられる店を。
「ほう、なかなか良さそうな店じゃないか」
「ほんと。なんか朝御飯を食べたお店に雰囲気が似てるわね」
「まあな。それなりの物が食える筈だぜ。やっぱ並の冒険者が食う物は、ちょっと受け付けられねえからよ」
「ワイト。お前こそお大尽じゃないのか?」
ワイトの言葉に少し呆れたふうにソンジュは答える。
そう、この店はワイトがソンジュとユウを気遣って案内したのではない。魔法兵として準貴族扱いだった自分のために調べていたのだ。
嘘でもいいから、女性二人のためにこの店を選んだと言っておくべきだ。そこに気付かない辺りが、ワイトに彼女も嫁さんもいない原因なのだろう。
ユウは相変わらずソンジュに注文を任せている。お品書きが読めても、それがどのような物であるのかが分からないので仕方がない。
少し待つと三人が腰を下ろしたテーブルに注文した品が並べられる。
お茶とつまみのセットだ。
あー、やっぱりお茶っ葉なんて無いみたい。これはハーブティーのようね。
まあ、サークル仲間達も言ってたもの。「本当」の中世っぽい世界ではお茶なんてない筈だって。近世か近代でないと入手も大変だろうって。
お菓子はやっぱりガレットみたいね。甘味もないし、お蕎麦のガレット? そこそこのお店のようだけど、それでもお砂糖も貴重なのかな。
これは……タイムティーの味かな? あの曲のおかげで、パセリ、セージ、ローズマリー、タイムはハーブティーとして飲んだ事があるから覚えてたのよ。
そしてこの世界に来てから三日目になるけれど、こういう軽食と言うか、お菓子の類も初めて食べるんだもの。
うん、とっても美味しいわ。




