21.馬鹿な事を言うな!
ユウを背後から抱いていた男は、急に女の力が抜けたような気がした。
恐怖のあまり失神でもしたのかと思ったのだ。
だが力が抜けているのは抱きかかえた女でない事に気付く。自分の力が抜けていくのだ。
慌てて女の首筋に翳したナイフを操ろうとする。だが手足も、それどころか身体全体が全く動かない。声も上げられない。
握っていたナイフも手から滑り落ちていく。
その男は自分の身体が崩れて倒れていく途中に、ナイフで脅していた女の顔が目に入った。
無機質な表情、いや、冷たさを感じるような無表情だろうか。怯えや恐怖が一切感じられない表情をしていた。
ユウは小声で呟いている。
「麻痺、筋力強化、器用度強化……」
その言葉は日本語だったため、倒れていく男には意味が分からなかった。
だが自分が落としたナイフを拾おうとしている姿に、何をするつもりか分かったのだろう。
男は必死に「よせ! 止めろ!」と叫ぼうとするが、口も動かないのだ。
ユウは崩れ落ちた男を蹴りながら仰向けの状態にする。
それから拾ったナイフを倒れた男の胸に突き立てた。わざわざ刃を水平にして。奥まで刺し込んだ後には、その刃に捻りも加えている。
「心臓の位置は胸のほぼ中央。男性なら乳首の少し上あたり。刺すのは血液を送り出す左側から。肋骨に邪魔されないように刃は水平に。刺した後は空気を送り込むために捻って……」
ユウは呟き続けながら、その行為を続けていた。淡々と、迷いもせずに。
そして男の死を確認して叫ぶ。
「ソンジュ!」
ユウの変貌を見ていたソンジュはその叫びにすぐに対応する。
腰のバッグから剣を引き抜く。その剣で自分を殴った男の首を斬り飛ばす。
最後に見えた男の顔は恐怖でなく、驚愕に染まっているようだった。
この女の剣は届かない場所に蹴り飛ばした。だから武器は無かった筈だ。
なのに、なぜ今武器を手にしているんだ? あの大きさの剣を隠し持てる訳がないだろう?
首だけになった男はそんな事を考えながら、だが次第に意識は薄れていった。
残っていた十人の男達は呆然としていた。
背後から新人冒険者らしい女を抑えていた男は、この部隊の指揮官だった。
そして自分達の前に立っている女を殴ったのは副官とも言える男だった。
その二人は共に部隊を指揮できるくらいの実力を持っていた筈だ。
それなのに、もう既に両人共に死んでいるのだ。片方は胸を刺されて、もう片方は首を撥ねられて。
駄目だ、逃げなければ。この二人は手を出しちゃいけない相手だった。
新人冒険者? とんでもない。あの指揮官だった男を殺せる相手だ。
もう一人の女だって、十人もを相手にして全員を戦闘不能に追い込めるのだ。
男達は慌てて逃げ出そうとしていた。
だがソンジュは剣を構えてその中に突っ込んでいく。
背後ではユウが木陰から姿を現してソンジュを指差しながら呟いている。
「治癒、回復、敏捷性強化、筋力強化、器用度強化……」
ソンジュは走りながら、男達を斬り付けながら、自分に驚いている。
なんだ!? 頬の痛みが消えていく!? 腫れも引いていくだと!?
それにこの身体の軽さはなんだ!? まるで羽が生えたみたいだ!
狙った場所に必ず当たるし、力を入れずとも剣を振りぬける?
……ユウが何かをしているのか? まさかユウは魔法士なのか?
今度は脅しではない。殲滅戦だ。
この者達は多少怪我させたところで引くような連中じゃなかった。
それどころかユウに手を掛けようとした。
許せる筈も、許す気も無い。確実に仕留めていく。
たかが十人程度だ。しかも相手は戦意を失っている。
ソンジュは男達の腕を切り落とし、脚を切断する。そして動けなくなった相手の首を撥ねる。
中には武器を放り出して降伏を叫ぶ者もいた。
その相手にソンジュは冷たく告げる。
「さっきの男が言っていたな。お前達に優しくしても意味が無いと。生命を奪わないのは『甘い』のだろう?」
そう言ってソンジュは首を撥ねていった。
ほんの数分で十人の男達は全滅していた。
ユウは先にソンジュに斬られて、だがまだ生きている十人の男達にその指先を向ける。
そして再び小声で呟く。
「麻痺を範囲で」
途端に傷付いた身体で逃げ出そうとしていた男達もその動きを止めていく。
驚いたような、信じられないような顔をユウに向ける。その行為が男達に出来た最後の動作だった。
ユウは無言で男達の方に近付いていく。自分に抱きついていた男を刺したナイフを持ったままで。
男達も自分の先行きが分かったのだろう。喋る事が出来ない男達は必死に懇願の視線をユウに向けている。
ユウはその視線を無視して、手近の男から蹴り上げて仰向けにしていく。
そして順に仰向けになった男の胸にナイフを刺していく。全く躊躇いを見せる様子もない。ただ作業を繰り返しているだけのようだった。
十人の男達全員の処理を終えると、ユウはその場にへたり込む。そして大きな笑い声を上げた。
「あはははははは!」
こんなに簡単だったんだ! 人を「殺す」のって!
ソンジュが殴られた瞬間に何かが切り替わった気がする。
こんな奴等を許して良い筈が無いって。自分達の欲望や利益のためだけに、赤の他人を襲うような奴等を野放しにしちゃいけないって。
今からすぐにでもレリの街に戻って、あの店主や裏組織に関係している者達を皆殺しにしたいくらい。あんな連中を残したままだと被害者が増えるだけだ。
今の私になら出来るわ!
……そう、私は何も感じなかった。躊躇いもなかったし、後悔だって微塵もしていない。
それどころか遣り遂げた事で笑い声を上げているくらいだもの。
たぶん私はおかしくなりかけてる。……ううん、違うわ。もう壊れてるんだ。
ソンジュがユウの元に戻ってくる。
腰のポーチから布を取り出して、ユウに差し出しながら話し掛ける。
「無事のようだね。それで涙を拭いた方が良いだろう」
「……え?」
「ユウは自分が泣いている事に気付いていないのかな?」
ユウはゆっくりと両手を頬に当てる。何かで濡れているらしい。
その両手を顔の前に持ってきて眺める。
殺した相手の血で濡れているのではない。涙を流し続けているのだ。
あはははは、私は泣いてるんだ。涙を流してるんだ。
心と身体がぐちゃぐちゃだ。笑っているつもりなのに泣いているなんて。
「ソンジュ、怖いわ!」
「ああ。私の見通しが甘かったよ。半数を怪我させれば襲撃者達も手を引くだろうと思っていたんだ。その半数を囮にしてユウを狙うなんて考えてなかった。怖い思いをさせて済まなかったね」
「違うわ! それも怖かったけど、でも違うの! 私は『人』を殺したの! 平気で人を殺せるの! それが何より怖いの!」
「ユウ。君のいた世界には盗賊がいなかったのかい? 女性に襲い掛かるような男はいなかったのかい?」
「……いたわ。強盗も、強姦魔だって。だけど……それでも……」
「君のいた世界には正当防衛とか緊急避難と言われる概念は無かったのかい?」
「……あるわ。……でも……」
「なら君は自分が殺された方が良かったと言うのか! 馬鹿な事を言うな! 悪いのは奴等の方だ! 殺されて当然のことをした奴等だ!」
ソンジュが怒鳴り声を上げた。
心底からユウに対して怒っているのだろう。いつもの優しい口調ではない。
ユウにだって分かっている。自称平和主義者の言葉が馬鹿げている事くらい。
ソンジュはユウを抱きかかえる。その頭を胸に押し付けるように。
「ユウにとっては初めての事だったんだろうね。低ランクの冒険者なら誰もが経験する事だよ。それに君のいた世界では許されない事かもしれない。だけどこの世界では違うんだ。襲われたら撃退するのも当然だし、その結果相手が死ぬのも良くある事なんだ。だから『この世界にいる間だけ』は切り替えるんだ。襲ってきた相手を殺すのは当然の事だと考えるんだ」
ユウは昨夜のようにソンジュの胸に頭を押し付けながら泣き続けていた。
ソンジュの告げる言葉に肯きながら。




