鬼女紅葉 3
酷く痛かった。
刺すようなチクチクとした痛みと毒が広がるようなじわじわした痛み。
春子の背中には今、鴉が紅葉を刺している。
鬼女紅葉は難しい配色であり、その分、時間もかかりそして痛みも酷い。
彼女の美しさを表現するのも力が入る。
そして何よりその妖気の強さ。
春子の肌に徐々に染みいる鬼女紅葉の姿。
それは美しかったが邪悪だった。
「我慢せなあかんで。自分のやりたい事を掴み取るんやったら、死ぬ気で我慢するんやで。素晴らしい失敗作品はもういらんからな」
と鴉が言った。
施術の前に会わせられた須藤という男、失敗したらこうなる、と言われた。
いけないと思いつつも、悲鳴を上げてしまうほどの醜い姿だった。
(我慢しなくちゃ、あんな姿になりたくはないし、私は自由になるんだ。その為の一歩なんだから、あいつらに復讐してやる、笑ってやる!)
紅葉が春子の背中に入ってからも春子の背中が酷く痛んだ。
まるで焼けたアイロンでも背中に押しつけられているようだ。
これが復讐の痛み。
風呂に入っても、シャツがこすれただけでも痛い。
それでも春子は我慢した。
毎日、毎日、毛布を握りしめて、冷や汗を流しながら布団で転げた。
昼間は平気な顔で家事をした。
義理両親の嫌味にも耐えた。むしろ、そんな嫌味くらいは何とも思わなくなった。
意地悪をされても平気になった。
この痛みに比べれば、何ともない。
野良犬が吠えているかのような雑音にしか聞こえない。
そしてある日、(よう、我慢したなぁ、あとはあっちに任せときな)と声がした。
背中は少しも痛くなく、それどころか夫や義理両親に対する怒りも憎しみも春子の仲から消えていた。
その日、久しぶりに洋一が帰ってきて、何度目かの離婚を申し入れられた。
「え? 本当かい?」
洋一はあっけに取られたような顔で春子を見た。
「ええ、離婚に同意します。でも、財産分与はきちんとしてもらいますよ。私の不妊がどうとかおっしゃいますけど、きちんと調べたわけでもないし、何ならはっきりさせてもいいです。もし私に何の問題もないのにこちらを有責にするなら、裁判してでもはっきりさせますけど」
晴れ晴れとした表情で春子は離婚に同意した。
裁判になどなるのも世間体が悪い、春子の気が変わらないうちに離婚した方が良いと判断した洋一は春子の申し出を受け入れた。財産を等分して、そして春子は離婚届けに印を押した。少しばかりの身の回りの物を持って、春子は吉永家を出て行った。
喜んだのは樹里とそして両親である。
若い嫁が来れば、すぐに子供が出来ると思い込んでいるようだ。
だが、ここからが洋一の下り坂だった。
洋一と樹里は無事に結婚したが、浮気者というのは一つ手に入ったらまたすぐ次に目が行くものだ。仕事の付き合いで訪れたバーで洋一は新しい女に出会った。
素晴らしく美しく、そして、色っぽい。色白でもっちりとした肌がたまらない。
「あっちの名前は紅葉と言いますのさ、旦那」
「紅葉か、君にぴったりないい名前だ」
「新婚さんと聞いたけど、いいんですか? 早く嫁さんの所へ帰らなくても」
そう言いながらも紅葉は色っぽい流し目をくれる。
「いいんだ。若いだけが取り柄の女でね。家事も料理も上手くない」
そう言いながら洋一は笑い、紅葉と関係を深めていった。
すぐに閨をともにするだけの関係になった。
紅葉は何もねだったりせず、余計な詮索もしない。
会えば身体を重ねるだけだ。
洋一は紅葉に溺れていった。
結婚した樹里はそんな洋一に文句も言わなかった。
仕事を辞めて専業主婦におさまり自由に遊び歩ければいいようだ。
洋一の両親はそんな樹里が不服そうだったが、樹里は少しも気にしない女だった。
家事も掃除も洗濯も近所付き合いも何もしない女で、子供が出来ればと期待をしていたが子供を授かる兆しもなかった。
これなら春子の方がましだったと言ってみても遅かった。
何度も×がつくのは世間体が悪いので、洋一は樹里と離婚しようとも思わなかった。
「もう、お前とはおしまい」
とある日紅葉が言った。
「え、何故?」
「もう、用事はすんだからさ」
「用事?」
「そうさ、お前から頂く物は全部頂いたからね。お前の仲はからっぽさ」
そんな簡単な会話だけで紅葉は洋一から去った。
気がつけば洋一は四十を超えていた。
樹里も三十を過ぎた。洋一は仕方なく、家庭に目を戻した。
そして愕然とした。
今まで見えていなかったのか、家は荒れて、両親は年老いていた。
貯金は無く、それどころか樹里の借金が発覚する。
若作りしてホストクラブへ通う為に、ブランド品を買いあさり膨れあがる借金。
それを怒ると樹里は洋一の浮気三昧をまくし立てる。
仕方がなくこれからは堅実にいこう、子供も作ってきちんとした家庭を築こう。
「残念ですが精子の数がゼロに等しく……まず望めませんね」
励んでも励んでも妊娠する兆しがなく、重い腰をようやく上げて病院で診てもらえば医師からの残酷な宣言だった。
年老いた両親は失意のまま、床につく日が増えた。
樹里がそんな両親を介護するはずもなく、洋一はショックで惚けが出始めた母親を自分で面倒みなければならなくなった。
春子が出て行ってから近所付き合いもしておらず、むしろ近所に好かれていた春子を追い出したと評判が悪い。母親がそうなっても誰も手助けも助言もしてくれなかった。
子供を持つ未来もなく、年老いたて弱っていく両親の面倒を見ながら、まだ浪費を続ける樹里の為に働き続けなければならない。
洋一の人生の後半はそんなどん底にまで落ちていった。
「紅葉に会いたい」
と洋一は呟いた。
綺麗で優しく、素晴らしく魅力のある身体だった。
何度も何度も紅葉を抱いた。
どうして紅葉はいなくなってしまったんだろう。
母親のおむつを替えながら、洋一はずっと紅葉の事を考えていた。
紅葉の事を考える時だけが幸せだった。
「お前の中はからっぽさ」
という紅葉の最後の言葉だけがいつまでも洋一の頭の中に残っていた。




