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KARASU  作者: 猫又


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鬼女紅葉 2

 吉永春子は悩んでいた。

 夫が出て行った家で夫の家族に囲まれててひとりぼっちだった。

 義両親は何でも春子を悪者にする。ちゃんと調べたわけでもないのに、不妊の原因も春子、夫の洋一が浮気するのも妻としての心得がなってないからだ。義両親を敬わない。家事もおざなりで、パートに出るくらいの能力しかない。隣の嫁さんは正社員で働いているのに。子供も持てない洋一が可哀想だ。昔なら三年で嫁が自ら身を引くべきだ。

 そんな悪口を堂々と春子の前で正論のように言い放ち、浮気相手の元から戻らない洋一を可哀想だと言う。

 春子にしてももう洋一に何の未練もないのは確かだ。

 だが自分が出て行った後に、若い女を連れて来て新しい家庭を築くのが許せなかった。

 春子のせいかどうかもはっきりしていない不妊をかざし、無一文で放り出すつもりはありありと見える。それがどうにも許せなくて、春子は居座っていた。

 結婚して六年だ。それなりに夫にも義両親にも尽くしてきたつもりだ。

 新婚から同居して、この家の家事も義両親の世話も、パートにも出ている。

 近所付き合いもきちんとしてきた。

 春子は二十九才になってしまった。

 今ならまだまだいけるとも思うし、もう遅いとも思う。

「意地をはってないで、さっさと離婚しなよ」

 と言ってくれる友達もいる。

 時間を無駄にしているのも分かる。

 だけど、どうしても許せない。

 そんな事をぼーっと考えているうちに、義母に呼ばれた。

「お昼はまだなの? 草むしりはしたの? 明日から娘夫婦が三日ほど戻ってくるから掃除して、布団の用意ね。夜はみんなでお寿司でも食べに行くから用意しなくてもいいわ」

 と言いつけられた。

 寿司を食べに行くみんなの中に春子は入っていない。

 いつもの事だし春子も一緒に行きたくもない。

 家で残り物でも自由に食べるほうがよほど美味しいしほっと出来る。

 

 春子が決断出来ない理由は、六年間狭い世界で暮らしてきてしまったからだ。

 夫とその家族と近所、近くのスーパーでのパートタイム。

 自転車で回れる距離だけが春子の生活圏だった。

 そこへ閉じこもってしまった春子は自分だけが追い出されるのに躊躇していた。

 追い出されるのではなく、自分が捨てて脱出するという方向に考えればよかったのだ。

 何を捨てても自由を、人間の尊厳を選ぼうとすれば簡単な話だ。

 だがそれを選ぶには小さいな世界で凝り固まった憎しみが邪魔をする。

 自分が出て行った後にあいつらが幸せになるのが許せない。

 夫が新しい妻を迎えても幸せになるかどうかは分からないのに、春子はただただ自分だけが追い出されるのが嫌だった。

 

 昼食の用意をして、庭の草むしりをして、客用の布団を干して、客室を掃除して、夕食を用意する。風呂は一番最後にはいり、春子が出る頃には義両親は文句を言いながら春子の作った料理を食べ終わる。一人で夕食を済ませ、食器を片づけて、一人でひっそりと春子は眠る。洋一が愛人宅へ出て行ってから、ずっとそんな生活だった。

 ひっそりと泣いてしまう時もあるがだんだん脳が麻痺でもしてるのか、それも少なくなっていく。

(哀れな女やろ? 紅葉姐さん)

(同情の余地もないな、こんな女。家畜みたいに繋がれてるわけでもなし、嫌なら自分の足で出て行けばよいだけ)

(まあ、そう言わんと……男が悪いのははっきりしてるなぁ……このおなごはんも、目が覚めたらええんやないの? きつい毒でも身体に入れたら目が覚めるぇ?)

(紅葉姐さんの毒はきついからのぉ。ほら、ばっちり頭も冴えよるやろ)

 青女房がヒッヒッヒっと笑った。

 紅葉と鬼子母神は顔を見合わせてにやりと笑った。


 その夜、春子は夢を見た。

 素晴らしく綺麗で豪華な着物を着た女が三人、春子を手招きしている。

 近寄ってみると、一人は赤ん坊を腕に抱いていて、一人はまだ若そうな娘だった。

 もう一人は真っ赤な髪の毛で、その頭から真っ赤な角が二本生えていた。

 大きな杯を手にあぐらをかいて酒を飲んでいるようだ。

「鬼……」

(鬼? それは嫁をないがしろにして女遊びしてるあんたの亭主の事か? それともよそから嫁に来てくれた娘にあんな仕打ちができるこの家の者か?)

「……」

 綺麗な鬼の女性にそう言われて春子はぎゅっと唇を噛んだ。 

(わっちも長い間人間を見てきたが、繋がれてるわけでもないのに、奴隷のような暮らしをする女が多いのはどういうわけだえ? あんたの亭主は何故、あんただけを愛せないんだぇ? そんな男と一緒に暮らすのが楽しいか? 楽しいなら何故そんなに悲しそうなんだぇ?)

 春子は首を振った。少しも幸せなどでない。

(あんたはどう思うんや? いつかあんたに娘が出来て、今のあんたみたいな目に遭うたらどう思うんや? あんたの親はこんな目に遭わせる為にあんたを産んだかぇ)

 春子ははっとしたような顔になった。

 自分の親には心配をかけないように何も言っていない。

 幸せな振りをしている。

「どうしたら……いいんですか。私……どうしたら……」

(どのようにでも)

「え……」

(あんな男を捨てて自由になるのもあんたの自由。そんな男に縋り付いたまま年をとって醜く老いさらばえるのもあんたの自由や)

「醜く……老いて?」

(そうやな。このままのあんたの先を視てやろうか。何やら心の病になって、医者にかかってる……薬漬けの毎日や。あんたの亭主はもう戻ってこんやろう。あんたはあの家で亭主の親を……そうや。年取った亭主の親だけがあんたに縋り付く……あんたはほんまの年よりも老けて見える……ああ、亭主の親が寝たきりになって、下の世話まであんたの仕事やぁ。忙しゅうなるなぁ。それはそれであんたの人生やろうけど) 

「嫌! 絶対に嫌!」

 春子は大きな声を上げて、頭をぶんぶんと左右に振った。

(そやかてこのままでは紅葉姐さんの言う通りやで……)

 若い娘がやけにしわがれた声でそう言った。

(ほんまになぁ。気の毒に……このままではこんな可愛い赤ん坊を抱く事もなく……)

 と赤ん坊を抱いた女が言い、赤ん坊がきゃっきゃきゃと笑った。

「どうすれば? 教えてください!! どうすればいいんですか?

(勇気をお出し……鴉のあにさんをお訪ね……ええようにしてあげよう)

(そうや、この間、名刺を渡したやろう……)

(待ってるからなぁ。楽しみや)



 

 洋一は辺りを見渡した。

 急に身体がぞくっとしたからだ。

「課長、どうしたんですか?」

 樹里が洋一を見た。

「いや、風邪かな。ちょっと寒気がして」

「大丈夫ですかぁ? 何か暖かいものを食べますぅ?」

「大丈夫さ、樹里にこの後、暖めてもらうからね」

「やだー、課長ったら……ねえ、課長、奥さん、まだ家に居座ってるんですか?」

「ああ、どうにも離婚届けに印を押さなくてね。年を取ると女は強情になって駄目だな」

「あたしが悪いんですよね。課長の事、好きになっちゃったから……」

「君が悪いんじゃないよ。思い詰めないで」

「ごめんなさい。樹里が、樹里が、課長の事を諦められたら……いいのに」

 弱々しく儚げにそう言った樹里は二十三才で洋一の会社に新卒で入ったばかりの受付嬢だった。 

 若くて瑞々しい。

 ミニスカートも似合うし、スッピンでいても弾けんばかりの綺麗な素肌だ。

 ぴちぴした肉体は魅力に溢れているし、笑って座っているだけでこちらまで明るい気分になれる。樹里は三十二才の洋一には素晴らく素敵な女の子だった。

 洋一は年若く課長になり、対外的には仕事も出来るスマートな男だった。

 いつもぱりっとしたスーツで靴もぴかぴかだし、持ち物もセンスが良い。

 気前も良く部下にも評判がいい。

 甘え上手で可愛い樹里とは出会ってすぐに惹かれ合った。

 出会うのが遅すぎた、とさえ思った。

 春子さえいなければ、可愛い樹里と一緒になれるのに。

 あいつと来たら子供も生めない上に、暗い女だ。

 親ともうまくやっていけない、間に入って俺がどれだけ神経をすり減らしてると思うんだ。

 倹約倹約でちまちまするのも窮屈だ。

 洋一は何とか春子を追い出して、樹里と結婚したかった。 

 早いとこ、何とかしないと。

 一度家に戻って、押さえつけてでも印を押させるか。

 こんなに健気で可愛い樹里をこれ以上悲しませるわけにはいかない。

「樹里、しばらく家に戻るよ」

「えー!」

「やっぱりちゃんとしたい。君ときちんと結婚したいから、何としても離婚届けに印を押させて家も出て行かせる」

「本当?」

「ああ、約束する。不妊なんだからあっちが有責になるし、もうこれ以上文句も言わせないよ」

「嬉しい! 課長!! 早く結婚したい!」

 樹里はウフフフと可愛い声で笑った。

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