悪魔たちの騎行。
千年王国歴千十四年十月二十四日。同じく戦乙女歴十四年十月二十四日。
ヴァレンシュタインと神槍を抱えた彼の僕は、契約者と騎士たちの累々たる屍の跡を追って城を索敵していた。狭い通路があれば、そこに必ず一つは死骸があり、広間に出れば一ダースの死骸があった。彼の魔剣バルムンクは彼のエスタンプによる刻印が押された利き手に収まっていた。ヴァレンシュタインでさえもがこの規模の戦いでは警戒するということを思い出していた。そしてそうであるとするならばどの契約者もそうするだろう。最初にして最大の契約者たるヴァレンシュタインたち最初期の契約者は莫大な力を与えられている。次の年代の契約者に対しては契約が渋くなり、その次はさらに渋くなり、今では金貨一袋分の価値も無い契約が結ばれる。契約者の数は倍々に増えていた。悪魔が最初の契約を結んでから既に十年以上が経っている。
渋い契約を結ばれたものたちほど、命を張る。彼らは賭ける。永遠の園を追われた代償を現実に求める。彼らは全て矮小なヴァレンシュタインであった。彼らの死体が幾重にも重なっている。騎士の死体も重なっている。だが、それがどうしたというのだ。ヴァレンシュタインは血に飽かない。
強大な契約者たちは未だに姿を現さない。彼らはもう十分に持っていた。だから、最後になってやって来て奪うだけで良かった。アドルフ、ケーニヒスブルク、シュタインベルク、それにヴァーグナー。ブルグント城の攻囲に加わっているという最初期の契約者は姿さえ見せていない。
戦線が見えてきた。謁見の間が騎士たちの防衛する最終ラインだった。
「ヴァレンシュタイン。この神槍の真の力を魔法によって引き出して見せましょうか?」
悪魔が囁いた。
神槍が何もない空気を左右に切り裂いた。すると、全ての騎士が自重に負けて地面に向かって押しつぶされていた。契約者が唖然としながらも、即座に気を取り直し、倒れ込んだ騎士たちに刃を突き立てていた。
「重力とやらの作用かね?」
「そうです。私が用いるのは全て作用と法則に過ぎません」
彼の僕はそう言うと親指と人差し指の間に雷を走らせた。騎士たちが戦線を持ちなおそうと必死で抗っていた。そして聖騎士たちも謁見の間の奥で十字を結び契約者たちから力を奪っていた。
「雷もただの作用と法則かね」
彼は刻印のエスタンプを見下ろしながら、やれやれとおっくうにも首を振った。彼は十四日間の講習で教わったことを思い出していた。神は摂理をねじまげることができる。悪魔はその真似ができる。悪魔は法則の値を書き換えることによって力を引き出す。これは、人間にもできる。だから重宝される。隣国ネーデルランド王国や、西の果ての島国インテグラル共和国は魔道工学が発展しつつある。また、東方の大秦国では、魔道は秘奥でも何でもなく庶民のものだという。ヴァレンシュタインは雷とは神の怒りなのだと教わり、それを信じてもいた。だが、この蠱惑的で魅惑溢れる高強度繊維のドレスと胸当てで武装した悪魔ソフィー・ジェルマンは、彼の脳がそう考えることを許そうとはしなかった。彼女はしつこく彼女の四十六億年の成果を何度となくヴァレンシュタインの脳裏に再現してみせた。彼女が味わった絶望の永世の記憶を思い出すと、ヴァレンシュタインはせっかくの戦場が色あせたものに見えてしまい、陰鬱な気分に苛まれるのだ。
「そうだ。雷の源は見分けがつかない。置換対称性がある。軌道とスピンだけで見分けねばならない。ここにも孔があるのだ。疎と密があるのだ。雷の源はアトムを構成し、雲を作って回っている。そこに法則がある。作用がある。ヴァレンシュタイン。これを上手く使うのはあなたにはまだ無理だ」
「そこまで到達する必要があるかね?」
ヴァレンシュタインはおっくうだった。
「ネーデルランドを支配するシークフリード王は神の眷属が創りあげた秘中の秘たる連装式神銃ユピテルを持っている。これは雷どころの騒ぎでは無い。神の領域に手を伸ばさねば勝ち目が無い。おまけにあの王は神の寵児だ。ヴァレンシュタイン。お前が悪魔に魅入られているように、あの王は奇跡に魅入られている。老いず、死なぬ。あの王は永久の十七歳だ。ヴァレンシュタイン。お前が永遠の二十何歳であるのと同じように、だ」
だから、ヴァレンシュタインはそれ以上考える気力を失って戦場に身を投じていた。もう考えたくなかったのだ。彼の僕にして師が求めるものも、政治という名の惨劇がもたらす結果も、そして彼自身が交わした契約の数々のことも、何も考えたくなかった。魔剣バルムンクが触れる端から騎士たちを淡い光に分解する。その度に剣から影が伸び、新しい犠牲者が戦列に加わっていく。謁見の間の奥の階段から、巨躯の勇士は青ざめた鎧で印象的だった。聖騎士が二人奥の階段から現れていた。ヴァレンシュタインと巨躯の勇士の目があった。ヴァレンシュタインはあれがニーベルンゲン最強を自称する聖騎士ハゲネであるのだと思うと何故だか感慨深くなった。彼は魔剣バルムンクで五十騎目の騎士を斬った。魔剣バルムンクがこれほど多くの血を一つの戦場で奪ったのは始めてだった。同じように青ざめた巨躯の勇士が聖剣バルムンクを振るって契約者たちをなで斬りにしていた。
乱戦だった。グンデル王の騎士団はその数を三千から減らしつつあった。もう二千五百を割っていたかもしれない。だが、いまだに巨躯の勇士ハゲネは健在であり、王グンデルは健在であり、栄光騎士団の筆頭フォルケールの姿も未だに捕えてはいない。階段から一際目立つ漆黒の色で白い肌を包んだ堕天使ブリュンヒルドが転げるように落ちて来て参戦する。契約者たちは青ざめた勇士ハゲネが前線に出るに従い自然に逃げ腰になった。十七人目が聖剣バルムンクの青白い炎に焼かれ餌食になったとき、ついに契約者たちは割の合わない賭けだと思い始めていた。これでは、命を張るのではなく捨てるようなものだった。彼らは賭ける。永遠の園を追われた代償を現実に求める。だから彼らはこの戦勝がほぼ固まった戦争に自分の張れる持ち分の全てを張った。契約者は全て、天を糧に、地を糧に、人を糧に、生きることが出来る。それゆえ彼らに必要なものは時間と知と力だけだった。彼らの大半が農奴か、貴族の冷や飯食いの五男とか私生児とかだった。彼らは悪魔に魂を売り、楽園から追放された人間だった。だから彼らは証を求めていた。現実に彼らが存在した証を求めていたのだ。悪魔たちは囁くのだ。戦いによって死ぬ契約者は全て悪魔の歴史に刻まれるのだと。後ろ向きに倒れる者は悪魔にさえも見捨てられるのだと。だが、ヴァレンシュタインは彼ら契約者が究極に置いて求めるものを知っていた。そして、それは決して手に入らないほど高価なものだった。ヴァレンシュタインは今ようやくそれを認める気にもなれたのだが、それは、この彼の後ろに従う最古の、そう最古の悪魔の一人であるソフィー・ジェルマンでさえもが、恋い焦がれ手にすることができぬものだった。ヴァレンシュタインたちは永遠を約束されていたのに、背いた仮初の生を生きる影だった。仮初の生に仮初の自由。仮初の自由に仮初の喜び。ヴァレンシュタンは陰鬱に頭を振った。悪魔は囁く。ヴァレンシュタインの前にいた最後の契約者がハゲネの聖剣バルムンクの餌食となった。最低限の力しか与えられていないこの流されるままに契約した契約者たちではこれ以上に戦えと言うのが無理な注文だった。ヴァレンシュタインと魔剣バルムンクが創り出す影たちが最前線に立っていた。ハゲネが影法師を斬り倒し、そしてその影法師が他の影法師の相手をする間に魔剣バルムンクの影から再び現れ出でるのを知って舌打ちする。
「王よ。騎士を下がらせてください。あやつの魔剣は人を喰い、影法師を残す。あの最初にして最大の契約者を討つまで、私と、ブリュンヒルド殿の手助けに専念して下さい」
漆黒の堕天使ブリュンヒルドが、騎士たちをかき分けて最前線へと躍り出た。そしてヴァレンシュタインを一瞥し、それから悪魔ソフィー・ジェルマンを穴が開くほど見つめて、それから声を上ずらせて狼狽したように言った。
「ハ、ハゲネ殿。敵は最初にして最大の契約者、ヴァレンシュタインだけだと聞いていたのが?」
「あの大男以外に何が見えると言うのだ?」
「聞いていないぞ。ソフィー・ジェルマンがいるなんて。あれは最古の悪魔の一人だ。あれが本気になれば、こんな城なんて何の役にも立たない」
ブリュンヒルドが低いアルトの声を絞り出すように言って絶句した。悪魔ソフィー・ジェルマンがその研ぎ澄まされた氷の美貌を融かすよう微笑みながら声をかけた。
「久しぶりだ。神に召されたノルン。天才ブリュンヒルドよ」
「ハゲネ殿。私が、あの最古の悪魔の生き残りソフィー・ジェルマンを抑え討ちます。あなたはヴァレンシュタインをどうにかして下さい!」
漆黒の堕天使ブリュンヒルドは、叫ぶと共にヴァレンシュタインの後ろで神槍に体重を預けていた悪魔ソフィー・ジェルマンに向かって短刀を放った。ヴァレンシュタインの小手がその短刀を弾こうと腕が伸びたが、短刀はその腕を透過してすり抜けていた。ヴァレンシュタインが慌てて振り向くと、そこには彼の僕にして師の姿は無く、再び振り向いた時には漆黒を好むブリュンヒルドの姿も消えていた。
青ざめた鎧を纏った巨躯の勇士ハゲネが笑い出していた。
「どうやら因縁というものは案外に強いものらしいな。ブリュンヒルド殿があんなに可愛らしく取り乱すのは初めて見たぞ。なあ、因果というものは恐ろしいものとは思わぬか。もう一つのバルムンクの使い手よ」
ヴァレンシュタインは力なく首を振った。全てのことは成るようにしかならない。契約は破られたかもしれない。彼は傷ついた僕にして師のことを想像していた。彼の血は全てを癒す。だが、死者を蘇らせることはできるだろうか。それも神に敵対する悪魔たちを。ハゲネが聖剣バルムンクを振るう。ヴァレンシュタインが紙一重で避けると、もはや三分の一しか残っていない髪の毛が僅かに切られてちりちりと焦げる匂いがした。急がねばならない。戦士たちの戦いは常に一瞬だ。ヴァレンシュタインは魔剣バルムンクをもって聖剣バルムンクを叩き落とそうと振り下ろした。甲高い音が響き渡って魔剣バルムンクは燃え始め、聖剣バルムンクは燐光を放ち始めていた。どうやら、何度も刃を交合わせるわけにもいかないようだ。神の眷属の秘奥を尽くした聖剣と魔神が製錬したという魔剣とが、演舞を行っていた。二つの剣は決して交わらず、それでいて相手の鎧を、皮膚を軽く薙ぐ。騎士たちも契約者たちも歓声を上げて見守っていた。だが、ヴァレンシュタインは演舞を続けるには少し勇士との戦闘の経験が少なかったし、なにより焦っていた。だから、大ぶりに振りかぶって一気に勝負を決めようとしたとき、腹を穿つ青ざめた鎧の勇者ハゲネの聖剣バルムンクの一撃を漆黒の鎧が耐え切れずもろに受けてしまったのだ。ヴァレンシュタインの腹から血しぶきが壮大に吹き上げ、ハゲネが持つ聖剣バルムンクの青い炎が傷口を焼いた。だが、ハゲネにとって残念なことにヴァレンシュタインは不死にして不老だった。何事も無かったかのように振り下ろされたヴァレンシュタインの魔剣バルムンクの重い一撃がハゲネの兜を貫き、鎧の半ばまでを断ち切って巨躯の勇士を燐光へと変えていった。契約者たちが歓声をあげ、グンデル王が青ざめた表情となりその唇が強く噛まれた。ヴァレンシュタインはひざを着きながら、ハゲネの消え去った体から落下する聖剣バルムンクを左手で掴み取るとそのまま、音を立てて倒れ込んだ。後は影法師と戦意を著しく低下させた騎士たちの攻防が続くだけだった。グンデル王は王者らしく振る舞った。だが、魔剣バルムンクの影から勇士ハゲネの影法師が現れると、地の気を失い騎士たちに隠れて姿を消した。結局のところハゲネと聖剣バルムンクに仕える天の騎士団が消え去った時点でブルグント城に籠るニーベルンゲンの元支配者たちに勝ち目は無くなったのだ。ここを囲む悪魔たちは一騎当千のワルキューレだ。そして彼らは契約者たちにブルグント城を落とさせたがっている。ヴァレンシュタインは腹から流れる血を聖剣バルムンクから手を離し、左手で撫でると口元に持って行った。確かにそれは病みつきになりそうな味だった。だが、彼はとにかく痛みがひどかったので、そのままもう一度聖剣バルムンクを握り直すと暫く横になった。戦況は峠を越しつつあった。




