滅びに際して。
千年王国歴千十四年十月二十四日。同じく戦乙女歴十四年十月二十四日。
「来るべき時が来ました。兄上様。ハゲネ殿。ブルグント城は落ちるでしょう。私の悪夢の通りになることでしょう。おそらく、あれが、最初にして最大の契約者ヴァレンシュタインです。あの男はハゲネ殿の持つ聖剣バルムンクを解析した末につくられた魔剣バルムンクを手にしています。かつてまだ神が千年王国を維持していた時でさえ、背約者がいました。ニーベルンゲンが落ちる今、背約せぬものがあるでしょうか。いいえ。皆争って背約者になるでしょう。彼らは金貨一枚で己の人生も、約束の大地も、現実のものも全て売り払うでしょう。ハゲネ殿、ブリュンヒルド様、頼みます。あの男を討てるのはハゲネ殿か、ブリュンヒルド様しかいません。フォルケール殿は私を守ってください。私にできる限りのことをします。私は分かっていたのです。千年王国は終わったのです。残されるのは血塗られた道です。ジークフリード王が来るまでこの城が持つ道理もなかったのです」
飴色に輝く金髪をした、ペンより重いものを持ったことが無い、深層の令嬢にして古今における最高の美貌の担い手にして、奇跡の担い手クリエムヒルトが長い悲嘆の声をあげていた。ブリュンヒルドは、邪魔なドレスを引きちぎり、胸当てをつけていた。男勝りの彼女は、漆黒の髪を持つ黒目勝ちな顔を露骨に歪め、舌を打っていた。魔剣バルムンクの力により呼びさまされる影法師たる剣士たちを斬っては捨て、斬っては捨てていた。巨躯の勇士ハゲネは苦々しい顔をしながら剣聖ヒルデブランドに向き合い、一閃八刀の太刀筋を受け流し、あるいは受け損ながらも鎧に守られ彼の主たちを守っていた。グンデル王はただ憤慨に任せて王弟ギーゼルヘルの元にいたはずの剛勇の元騎士の二人の亡霊を何度となく切り倒していた。そして王の親衛隊、栄光騎士団五十名の長フォルケールは恭しく頭を下げていた。
「クリエムヒルト。お前も武装せよ」
黒ずくめの堕天使、ブリュンヒルドが最後の戦いの為の準備を整えながら言った。
「ブリュンヒルド殿、クリエムヒルト様に無理を言われては困ります」
巨躯の勇者ハゲネが剣聖ヒルデブランドを力任せに城外に突き落とす。それから振り返った彼は苦虫を噛み潰したように顔を歪めながらも、クリエムヒルトに一応の礼儀を払い言った。その手が従者の支えていた聖剣バルムンクへと延びている。ハゲネは一呼吸置いて剣を抜くと剣を太陽に向けて高々と掲げた。剣の閃きと共に十二ダースの光に輝く天の騎士団が現れていた。
「私は一足先に背約者ヴァレンシュタインに顔を見せに参りましょう。グンデル王は五十騎の栄光騎士団をフォルケールと共に率いクリエムヒルト様をお守り下さい。私の聖剣バルムンクが誇る天の騎士団にヴァレンシュタインの持つ魔剣の影共の相手と悪魔の相手をさせましょう。聖剣がまがい物に負けるかどうか試してみましょう。今や、事態は流動的です。私に残りの騎士団の指揮権をお与えください。では王よ。さらばです」
「ハゲネ。お主に許可をやろう。だが、その指揮下には私も入れよ」
グンデル王が栄光騎士団の主催者たる白銀の鎧に真っ赤なマントを翻しながらニヤリと笑った。
巨躯の勇士ハゲネが鎧を揺らしながら同じように笑った。
「王よ。そのようなことはニーベルンゲンを起したシャル・フォン・グーン大帝以来のことですな」
グンデル王はその狼にも似た獰猛な顔に笑みを張り付けると、ジークフリード王の前で王弟ギーゼルヘルが言った言葉をそっくり繰り返した。
「ニーベルンゲンは滅ばぬ。何度でも蘇るさ」
二人の男が背後を五十名の栄光騎士団と十二ダースの天の騎士たちに任せて、城内の階段へと走り始めていた。
「ブリュンヒルド様もお早く」
漆黒に覆われた全てが暗い堕天使ブリュンヒルドは頷いて、城内に駆け戻ると、階下に向かって階段を駆け下り始めていた。クリエムヒルトが天を仰ぎ、神を降臨させようと最後の祈りをささげていた。
「神よ。あなたにとってニーベルンゲンは、ミズガルズ大陸は、この程度のものに過ぎないのですか。我々はもはや敵を愛すべきことが出来ません。なぜなら、敵はあなたの敵だから。神よ。全ては矛盾してしまっています。主よ。今こそ裁きの時なのです。審判の日が来たのです。それなのに、主よ。あなたは信仰者を見捨てられるのですか? 主よ? 主よ…」
栄光騎士団五十名がクリエムヒルトを囲むように展開する。神は千年王国の契約を守り、決してもはや歴史に姿を現してはくれないだろう。クリエムヒルトはそんな予感がしていた。クリエムヒルトは神の降臨を諦め戦略級の奇跡をその手で発しようとしていた。悪魔たちが空を包囲し、契約者たちが陸を包囲する中、彼女は城壁の上に十字の魔法陣を描き始めていた。『ニーベルンゲンは滅ばぬ。何度でも蘇るさ』彼女は兄とそして彼女が知らぬうちにどこかにいる弟が発した無責任な発言をぼんやりと考えていた。彼女の兄も弟もその存在そのものがニーベルンゲンだった。そして彼女もそうだった。クリエムヒルトは残酷な決断を迫られていた。ニーベルンゲンを守るのに全力を尽くすか、逃げ出すか、だ。『ニーベルンゲンは滅ばぬ。何度でも蘇るさ』。クリエムヒルトは突然兄弟の嘲り声が聞こえたような気がした。だから、彼女は引かぬことにした。このニーベルンゲンが滅びる最後の戦いを終幕まで付き合うことにした。クリエムヒルトは知らな過ぎた。だから、隣国の英君の誉れ高きジークフリード王に祈った。彼はザクセン、アンザス、ロレーヌを切り取る算段の最中だと言うのに彼女は祈っていた。救いはどこからも来ないのだ。天の騎士団が何度となく悪魔に焼き払われては飛び立って最後の攻防を繰り広げていた。救いはどこからも来ないのだ。




