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血に飽きぬ化け物たち

 千年王国歴千十四年十月二十四日。同じく戦乙女歴十四年十月二十四日。

 ヴァレンシュタインと悪魔ソフィー・ジェルマンは、王城ブルグント城を目指して東進していた。その間悪魔ソフィー・ジェルマンは魔術の極意をヴァレンシュタインに簡単ながら説明していた。奇跡とはつまるところ現実世界に作用を行使することに過ぎない。魔術はその中でも現実世界に物理作用を行使することに過ぎない。神の奇跡に比べ魔術は直接的な対決では一段劣る。だが、現実世界への作用力では神の奇跡はもはや魔術に全くと言っていいほど及ばない。精緻さに欠けるのだ。悪魔ノルンは悪魔ワルキューレに神の遺物を解析した結果を手渡し続けてきた。それが今ではこのざまだ。魔術には頂点がある。故に極めることが出来る。その媒介は五芒星や六芒星のような魔法陣である必要はない。力ある悪魔にとって媒介は何でもいい。ただ、機械的な手段で魔法を起動させるには五芒星や、六芒星と言った型がある方が望ましい。それだけだ。ヴァレンシュタインは大地をささげいくらかの魔術を与えられていたが、悪魔ソフィー・ジェルマンのように魔術をぞんざいに扱う悪魔は見たことがなかった。それは今まで悪魔との交渉が契約と仕事だけに限られていたせいかもしれない。とにかく、この悪魔は魔術を使えると言うことを鼻にも引っ掛けない。自称最古の悪魔の一人である。悪魔ソフィー・ジェルマンはさまざまな雑多な知識を盛り込んだ話の結びに必ずこの言葉を持ってくる。

『ヴァレンシュタイン。契約によれば私は自由意思を持つはずだ。だから言おう。ヴァレンシュタイン。お前は契約を守るつもりはないんだな?』

 と必ずそう締めくくる。最初の内、ヴァレンシュタインは悪魔ソフィー・ジェルマンが用いる締めくくりの言葉をただの当てこすりだろうだろうとしか思っていなかった。だが、共にブルグント城へ向かい旅する中、その言葉を何度となく耳にするうちにヴァレンシュタインもようやく悟らざるを得なかった。この女悪魔は正気で自由意思を求めているのだということを。

 それは、ヴァレンシュタインにとっていつものこととして道々の村を潰し、教会に火を放っていたときのことだった。悪魔ソフィー・ジェルマンが教会を中心とした五芒星を描き言った。

『ヴァレンシュタイン。見なさい。この五芒星を。そして感じるのです。奇跡の在り様を。この世界を支配する法則を』

 ヴァレンシュタインは言われた通りにしたが、何も感じなかったので素直にそう言った。悪魔は囁く。

『あなたは無知だ。ヴァレンシュタイン。だからまずは信じなければならない。光あれ』

 悪魔の声と同時に教会が淡い燐光となり消えて行った。何とも不思議なことだった。そうして悪魔は死体を積み上げ終えたヴァレンシュタインに言った。

『あなたがやるのですよ』

 だから、彼は仕方なく下手な五芒星を書いてそれから言った。

『光あれ』

 僅かな燐光が集まって来て死体の周りを漂った。悪魔ソフィー・ジェルマンは朗らかに笑って言った。

『あなたは信じた。だから私の秘蔵する知を分け与えてあげましょう』

 ヴァレンシュタインは脳のひどい頭痛に襲われていた。確かに無知は力だった。ヴァレンシュタインの脳に悪魔の囁きがこだました。さまざまな神の遺物が脳内で再現されて解析されて行くのをヴァレンシュタインは見た。そして彼は神の足跡を覗いた。そこには深淵が横たわっていた。そして叫ばずにはいられなかった。

『もういい。やめろ』

 悪魔ソフィー・ジェルマンは契約の履行を迫っていた。ヴァレンシュタインは今や知った。この世界で最も難しい契約を結ばされたことを知った。悪魔ソフィー・ジェルマンは掛け値なしに最古の悪魔の一人だった。だからその絶望たるや、死の谷のごとく深く、空の海のごとく広い。ヴァレンシュタインは元からして農奴だった。だから、彼の今までやってきたことはある意味で正しかった。そして今から履行せねばならない契約はあまりに矛盾に満ちていた。ヴァレンシュタインは今や悪魔ワルキューレたちがたどり着きたくても決してたどり着けない地点に立っていた。彼は最初で最大の契約者であり、最後の魔法使いだった。だから彼は歪んだ魔法陣を書き直して、死んだクズ共を葬った。彼は思った悪魔が持つ力とはしょせんこの程度のものに過ぎないのか、と。だが、悪魔ソフィー・ジェルマンの表情には明らかに否定の色があった。

 悪魔ソフィー・ジェルマンの楽しい魔術レクチャーは、十四日の旅路に及び、ヴァレンシュタインが王城ブルグント城の戦線に加わってからも続いた。戦線に加わってから丸二日、悪魔の饒舌は続いた。だから、ヴァレンシュタインは契約者や悪魔たちに挨拶に行くのが遅れた。それは悪魔と契約者たちにとって不気味な二日間だった。ヴァレンシュタインは自分が戦いに来た事さえ忘れ去るくらいにソフィー・ジェルマンの饒舌に聞き入った。そして、ようやく一区切りがついた時はもう三日目の朝が上るところだった。二人はブルグント城を正面から囲む幔幕に案内されていた。首脳部が集っていた。同じ漆黒の鎧に身を沈める悪魔たちはソフィー・ジェルマンを連れたヴァレンシュタインに対して明らかに驚きの色を隠せずにいた。悪魔ワルキューレのまとめ役である一人の女悪魔が宣言するように言った。

「古きノルンよ。その契約者はお前が従えてよいものではない」

 ソフィー・ジェルマンは首をすくめるばかりだ。ヴァレンシュタインに説明するように視線で促した。

「俺が契約したのだ」

「馬鹿な。ヴァレンシュタインよ。最初にして最大の契約者よ。この古きノルンには神でさえ手が出せなかったのだぞ。このラーズを侮辱するか!」

 その女悪魔のまとめ役ラーズは勢い込んで言った。ソフィー・ジェルマンが哄笑していた。それは自分自身を笑うかのようであり、また、ヴァレンシュタインを笑うかのようであり、悪魔たち全てを笑うようでもあった。

「ワルキューレたちよ。せいぜい恐れよ。私はこの男と契約した。自由意思と決して傷つけず、傷つけさせないという契約を結んだ。私は、魔道の秘儀を全てこの男に下げ渡そうと考えている。せいぜい恐れることだ。ワルキューレよ」

 ヴァレンシュタインが首をすくめる番だった。

「愚かな。今でもこの男は破格の扱いを受けているのだぞ。古きノルンよ。汝が知恵を与えるのは怪物なのだぞ!」

 怪物は首をすくめる。悪魔たちの視線には理解できないものを見るようなおののきがあった。

「ヴァレンシュタインと魔剣グラヴィウスを契約させたのだろう。神と戦うのにふた振りの剣しか与えぬとは愚かしさを通り過ぎて滑稽だぞ」

 悪魔ソフィー・ジェルマンは高慢だった。

「だから貴様たちはあれほどの秘奥にたどり着いても決して神に勝てなかったのだ。古き悪魔よ。私は恐れぬ。神は我々ワルキューレによって打倒された。そして我らは二度と破れぬ。二度とだ」

 悪魔ワルキューレたちのまとめ役ラーズはより高慢だった。ヴァレンシュタインは諦めたように天を仰いだ。舌戦は苦手だった。契約者は余計な会話をしないものだ。契約を守りさえすれば良いのだから。

「ならば、私の契約は達成されてしかるべきはずだ。私に自由意思を与えよ。されば、秘密は墓場まで持って行こう。何ならついでにこのブルグント城を崩壊させてやっても構わんぞ」

 ヴァレンシュタインはこの古い悪魔が言っていることが嘘では無いことを知っていた。嘘ではないからこそ、だからこそヴァレンシュタインにとってこの世界はより救いの無いもののように思えてくるのだった。

「貴様―っ。我々の予定を狂わせる気か!」

 憎悪と怒りがあった。

「どだい我々には神の眷属の真似は似合わぬ。私なら自由に振る舞うことに救いを求めて専念するがね」

 悪魔ソフィー・ジェルマンは恐れられていた。恐れを知らぬワルキューレたちに恐れを与えていた。彼の女悪魔は古い悪魔だった。最古の力ある悪魔だった。神との争いには間接的にしか関わらぬノエルだった。そして悪魔ソフィー・ジェルマンは魔王をもしのぐと言われる最大にして最高の錬金術師であり、最初にして最後の魔法使いという二つ名を戴く破滅の化身だった。

「ならば、問う。このブルグント城には奇跡の担い手たるクリエムヒルトと神に召された我らが同胞、天才ブリュンヒルドが籠っている。その上、聖剣バルムンクを振るう我々の大敵にして豪遊無双の聖騎士ハゲネと、グンデル王に率いられた三千の騎士団が籠っている。戦略級の魔術は皆通じぬ。魔術自体にして数十メーターほどの影響しか及ばぬ。奇跡の担い手が籠っているゆえ。力押しは難しい。ブルグント城の守りは固い。契約者どもは命を惜しむ。我々は城の食糧が尽きるまで囲えばよい。だが、そうすると、我々は隣国に時間を与えてしまう。いや、もうすでに十分与えてしまっている。この地にはわずかな支配しか必要ではない。残りは焦土にして我らが暮らせばよい。なぜなら、我々は、地を糧に、天を糧に、人を糧に生きることが出来るのだからな」

 悪魔たちが冷静に戦況を分析していた。ヴァレンシュタインのように素直に悪魔の命令に従っている契約者は少ない。彼らのほとんどが元貴族であり、元教会関係者だ。彼らは力と領地を欲していた。

「本音が出たな。ワルキューレたちよ。だが、その言葉は誤りだ。私が訂正してやろう。まず、戦略級魔術は展開できる。奇跡よりも魔術の方が精密なのだ。捻じ曲げられた力より法則の方が強く働く。ラーズ。これは君が生まれる二十四億年前に私が気づいたことだが。今それを実証してやっても構わない」

「う、む。一考には値する。貴様ら古きノルンならそれも可能かもしれぬ。それにここには最初にして最大の契約者がいる」

 ラーズの憎悪と怒りが、希望と楽観に代わる。ヴァレンシュタインが相変わらず天を仰いでいると、悪魔ソフィー・ジェルマンが手元で五芒星を描き、エスタンプを何もない空間から取り出すと片手に妖艶な笑みを浮かべていた。

「私の主よ。安っぽい刻印ですが、構わないでしょう?」

 ヴァレンシュタインが苦笑する。事態はヴァレンシュタインを欲していた。

「本当に安っぽい刻印だな」

 ヴァレンシュタインが手を出すと、悪魔はエスタンプを手の甲に押し当てた。魔法陣の決済が成された。

「ヴァレンシュタイン。来なさい」

 ソフィー・ジェルマンが先導するように幔幕の外に出た。そしてブルグント城の正門と跳ね上げられた跳ね橋を見つめながら石ころを一つ拾った。

「ヴァレンシュタイン。見なさい」

 天に向かって石ころをかざしていた手が逆さまになると石ころが地上に落ちた。悪魔ソフィー・ジェルマンはラーズとヴァレンシュタインに言った。

「この小さな小石にこの広大な地面が力を作用させました。これを私は、あなたに一つの力だと説明しました」

「確かに大地は広く大きい」

 悪魔ソフィー・ジェルマンが空を仰いでいた。

「見なさい。ヴァレンシュタイン」

 美麗を極める女悪魔ソフィー・ジェルマンはうっとりするように太陽を見つめていた。

「太陽と大地のどちらが大きいでしょう?」

「そりゃ、大地だろ」

 ラーズが吹き出していた。

「では、あの遠くに見える山の峰と、ブルグント城ではどちらが大きいでしょう?」

「そりゃ、山だ」

 ラーズがまたも吹き出していた。

「では大地と太陽は?」

「難しいね」

 ラーズが腹をよじっていた。

「太陽の方が大きいと仮定しましょう。その場合、小さな石で確認したように、大地は常に太陽に向かい落下していることでしょう」

「逆かもしれん」

 ラーズの周りを囲む悪魔ワルキューレたちも、一部の契約者たちも、吹き出していた。

「そうですね。では太陽は暖かいと思いますか、冷たいと思いますか?」

「そりゃ、暖かいだろ」

 ヴァレンシュタインは意外と真剣にやっているのだが、周りのブルグント城攻囲戦の首脳たちは吹き出してばかりだ。

「太陽の方が暖かければ、地球より重いのです」

「そりゃ、そうだ。だが、重いからと言って大きいとは限らんぞ」

 ソフィー・ジェルマンだけが笑わなかった。

「では、見てみましょう。まずは私の指の輪からあの山を見て下さい」

 そう言うとソフィー・ジェルマンは親指と人差し指で輪を作り、先ほど例に出された山を見せた。

「良く見える」

 ヴァレンシュタインの目に、三百倍ほどになった山が木々を背にして直立していた。

「では、次に太陽を見てみましょう」

「これは」

 太陽は三百倍になると赤い巨大な球体だった。それでも、山が鮮明に映し出されたようには、鮮明には映らない。

「解像度を上げましょう」

 また、山を見た。鳥の姿が鮮明に見える。三万倍近くまで見えていた。そして太陽を見た。

「赤い炎が燃え盛っている。今度は鮮明だ」

 ソフィー・ジェルマンが満足したようにうなずいた。ラーズが、またも吹き出していた。悪魔の首脳たちがやれやれと首を振っていた。

「太陽は、この大地より大きいのです。ヴァレンシュタイン。分かりましたか?」

「そりゃ、そうだ。見たからな。だが、なぜ小さく見えるんだ?」

「遠いからです」

 ソフィー・ジェルマンは当たり前のことを言うように言った。

「それで、嬢ちゃん。この遊びに何の意味があるんだい」

 ヴァレンシュタインがいまいち趣旨が分からなかったのだろう、首を傾げながら問いかえしていた。

「太陽の方が大きいなら、大地はあの小石と同じように太陽に向かって落下します。これが私の魔術についての講義中で取り上げた作用力の一つ、重力です」

「だが、嬢ちゃん。大地が、小石に過ぎないなら俺たちはとっくにあの炎の球に焼かれて死んじまうだろ」

 ヴァレンシュタインが当然の疑問を口にした。大地が小石に過ぎないのだったら、とっくに太陽に向かって落ちて行って燃え尽きているはずだった。

「それは、また、今度説明しましょう。とにかく今は重力について分かればいいのです。さて、力には孔がつきものです。疎と密が存在します。実際、先ほど例にあげた小石の方も大地を引き寄せようとします。大地も太陽を引き寄せようとします。ですが、その力は極めて小さい。その差は自然が埋めています。魔術は自然の法則を援用しつつ現実へ物理作用を行います。奇跡はこの自然の法則を捻じ曲げて現実に干渉します。それゆえ奇跡の方が粗い結果をもたらし、魔術の方が精緻な結果をもたらすのです」

 悪魔ソフィー・ジェルマンは長い講義を終えた。悪魔たちが吹き出したり、意見を交換しあったり、真剣に考え込んだりとさまざまな対応を取った。契約者たちの大半は、ほう、と唸ったきり黙っていた。

「ヴァレンシュタン。あなたの拳で跳ね橋を落とし、正門を破りなさい。単純な力に魔術を加えれば何倍もの効果を上げられます。これは演習です。ヴァレンシュタイン。戦略級の魔術からは私が守ってあげましょう。そしてこれが始まりです。順序を追って、私の生きた四十六億年の知識の集積をあなたに下げ渡してあげましょう。小石にも大地を引く力があるのです。さあ、行け。血に飽かぬものよ。私の主にして、最後の弟子よ!」

 ヴァレンシュタインはやれやれと首を振っていた。結局やることは同じなのだ。力だ。破壊し、奪い、殺し、また壊す。ヴァレンシュタインはブルグント城を見上げていた。広い堀に囲われ、堀にはトネリコ造りの槍が無数に口を空ける落とし穴が口を開いていた。跳ね橋は三メーターもある。つまり落とし穴も三メートルある。ヴァレンシュタインが前線に立てば、そのような罠は無為のものと化すだろう。だが、普通の契約者たちは、この堀を見るだけで憂鬱になる。彼らの契約は限りなく制限されたものだったから。だからこそヴァレンシュタインは憂鬱だった。彼は絶望を知っていた。自由意思の不存在を最古の悪魔から叩きつけられていた。だが、契約は契約だった。ヴァレンシュタインは死なず、老いぬ。彼は時が全てを解決すると信じていた。一体、だが、彼は憂鬱だった。だれが、彼をこの最後の奇跡が集う城に呼びたがったのだろうか。彼は気楽に寒村を巡って廃墟と化す野党まがいの仕事の方が好きだった。英雄など柄では無かった。それでもヴァレンシュタインは血に飽かない。だから、仕事を果たすだろう。ヴァレンシュタインは幔幕から百メートルほど進み出た。矢が飛んできてヴァレンシュタインの顔面に当たり裂けた。矢の方が衝撃に耐えきれず裂けてしまう。城が慌ただしさを増していた。

「矢は当たったはずだぞ。悪魔どもの魔術か!」

 城の城壁上で見張りの兵が叫んでいた。喧騒の中、遠くの城壁の最上段に美貌の女性二人が巨躯の騎士と瀟洒な騎士に守られて姿を現していた。奇跡の担い手クリエムヒルトとブリュンヒルドだろう。ヴァレンシュタインは当たりを付けていた。片方の女性が怪物を目の前にしてよろめいて、もう片方は唇を噛んだ。だが、唇を噛んだ女性の方は直ぐに気を取り直すと、付き添いの騎士から胸当てを受け取り、戦いの準備を始めていた。

 ヴァレンシュタインは悠然と歩いていた。矢の雨が降った。ヴァレンシュタインに何本かが当たり、あるいは鎧に妨げられ、あるいは矢の方が砕け散る。彼はゆっくりと堀の底に下り、トネリコの槍衾を一本ずつ丁寧に折って進んでゆく。矢と石が降って来ては破砕される。ついに熱湯までが降って来てヴァレンシュタインにかかったが、彼の肌に触れるや否や凄まじい量の気体に気化し、一面を蒸気が覆った。三メートルの死地をヴァレンシュタインは何気なく突破した。そして跳ね橋を格納しているロープを手刀で斬り落とすと鉄の正門の始末に取り掛かった。力任せに一発殴った。鉄の正門が揺れる。その場で首をひねるヴァレンシュタインに向かって光の矢が跳び、頬を裂き、鎧がどす黒く輝いた。奇跡の担い手たちが焦りの色を隠さない。突然暴風があれくるう。ヴァレンシュタインは吹き飛ばされていた。堀に投げ出された。立ち上がるとひどく息が苦しかった。ヴァレンシュタインを中心に竜巻が舞っていた。拳に張られたエスタンプの五芒星が怪しく輝いた。拳がひどく重く感じられた。ふたたび堀を上るのは一仕事だった。風と光の刃が彼の邪魔をした。光の刃は伸び放題の彼の長髪を三分の一ほど切り取り、風は何度となく彼を押し返し堀に落とした。兵士たちが、騎士たちが一斉に十字を切るたびにヴァレンシュタインは体が重くなるのを感じた。ひどく気が滅入ってくる。拳に刻印するエスタンプの五芒星がひどく輝いていた。彼はこの拳を正門に打ち込めばよい。単純なことだ。だが、厳しく孤高の戦いだった。悪魔たちは物見高く鑑賞するだけだった。多少の援護くらいあってもいいはずだ。ヴァレンシュタインは苦笑する。もし、俺がブルグント城に来なかったら、やつらずっと遠巻きに城を囲むだけにするつもりだったのだろうか。ふとそんな疑問が湧いていた。もう一度堀を上った。また落ちた。仕方なく首を振ると、彼は刻印ある利き手を避けて左手でぎこちなく魔剣バルムンクを抜いていた。影が姿を作る。城壁の上で戦闘が始まった。奇跡の担い手たちが動揺するすきにヴァレンシュタインは再び堀を上り正門に向かい合った。チャンスは三度も巡って来ない。破らねばならなかった。拳に力を込めて、五芒星にイメージを叩き込む。小石も大地を引っ張っている。彼は、拳を真下の土に振り下ろした。彼の拳は大地を引っ張っていて、そして巨大な鉄の門は大地に引かれている。彼の拳が大地を引っぺがし土の山と成すのと同時に正門が土台を失って傾いでいく。鉄の正門が倒壊した時、彼は小高い盛り土の上に立っていた。悪魔が空を飛びながら契約者たちを死地に向かわせ始めていた。ブルグント城の堅い鉄の門は落ちた。ヴァレンシュタンが一番乗りだった。契約者たちが悪魔との契約の報酬を得るため先を争って、跳ね橋を渡り、遠くを見つめているヴァレンシュタインを追い抜いて元の正門の残骸を飛び越える。この世界は血に飽かない。ヴァレンシュタインがブルグント城の攻囲に加わって三日でその破れぬ正門が陥落した。ヴァレンシュタインは契約者であり、師である、悪魔ソフィー・ジェルマンがなぜ彼にブルグント城を落とさせようとするのか、いぶかしかった。そして悪魔ワルキューレたちがなぜ、契約者を駆るのみで自ら戦おうとしないのか、いぶかしかった。だが、どちらにしろ、もうブルグント城は落ちたも同然だった。ヴァレンシュタインはふと背後に気配を感じた。振り向くと彼の僕にして師がかしずいていた。

「よくぞやった。私の主よ。汝は見事に魔法の神髄を体験なされた。後は法則を導き、力を制御するのです。では、私も戦おう。四十六億年の人生が詰まった魔法を披露することにしよう。さあ、行きましょう。魔剣バルムンクがただのコピーでは無いことを示すのです。神の遺物たる聖剣バルムンクを奪い、勇士ハゲネを斬り刻み、グンデル王の三千の騎士団を滅ぼすのだ」

 ヴァレンシュタインは肩をすくめて彼の僕を見つめていた。この最古の悪魔が王弟ギーゼルヘルに後れを取った理由を探しながら、ヴァレンシュタインは、雪崩を打って攻め込もうとする契約者たちを眺めながら、悠々と自身も城へと分け入った。狩りの時間の始まりだった。この世界は血に飽かない。彼は、刻印を受けた右手の甲を見下ろしながら、ぽつりとつぶやいた。

「俺は、一体、何をやっているんだ?」

 彼は呆れたように自身に問いただした。答えはどこにもない。城内へと歩みを進めようとすると悪魔ワルキューレたちをこの戦場で束ねているラーズが空を飛び、やって来て言った。

「最古の悪魔よ。あなたが連れて来てくれたのだったな。ヴァレンシュタイン。よくやった。汝は英雄だぞ!」

 ラーズの瞳が悪魔ソフィー・ジェルマンと交差し優しくなった。悪魔たちはニーベルンゲンの大地を手に入れるだろう。そうすれば、それがミズガルズ大陸を巡る血に飽かぬ戦いの序章となろう。与え、奪う。さすれば讃えられるだろう。戦いは始まったのだ。

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