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悪魔降り立つ地。浄化の時。

 千年王国歴千十四年十月八日。同じく戦乙女歴十四年十月八日。

 戦後処理の時間だった。血塗られた館の外へと鎧をはいだ死体を集める。ヴァレンシュタインはその数が百を超えるまでは数えていたが、それ以上は数えるのも面倒になり、土の上に人だったものを放り投げるだけになった。館は広く、遺体の数は多い。鎧、兜を集める。それだけで一財産だった。ヴァレンシュタイン覗いた限り蔵にはほとんど蓄えが無かった。騎士の数からいって今年を乗り切れるかどうかだった。それでも苛政をせぬギーゼルヘルを讃えるべきか、貶めるべきか。ヴァレンシュタインはただ苦笑するだけだ。その王弟の名が高く唱えられるのも後、二、三日の間だけとなってしまった。後には領地を失った不覚人との評価が残るだけだ。農奴に家伝の神槍を奪われ、領地を奪われ、名声を奪われたおおうつけという評判が残るだけだろう。

 悪魔ソフィー・ジェルマンは神槍に見とれていた。ヴァレンシュタインの中で彼女の評価は確定した。この女悪魔が取った行動は称賛されるべきものでは無かった。人が流した血の上に立ち、不気味に血をなめる変態だった。彼女は結界を張り多くの血を流させた。逃げる者は追わぬものだ。それがヴァレンシュタインの主義だったが、今日は少々勝手が違っていた。ヴァレンシュタインは血に飽かぬ。他者の血を流すことにも、自らの血を流すことにも。ヴァレンシュタインの身を巡る血はアンブロシアであり、全ての傷を癒し、昂揚感を与えてくれる。その血を欲しがるのも無理なきことではある。無理なきことではあるが、そこで実際に血を欲してしまう辺りにヴァレンシュタインは悪魔ソフィー・ジェルマンに一種の憐れみと不気味さを感じていた。ヴァレンシュタインは心の内をごうも表に出さず、漆黒のドレスから重たそうに胸当てを外して座り込み、神槍に見入るソフィー・ジェルマンに向けて声をかける。

「嬢ちゃん。その槍、珍しいか?」

「ええ。私は研究一筋でしたから、神の作った最終兵器を数々分析してきました。これは中でも珍しい部類に入ります。重力歪曲に加えて、空間転移までもが組み込まれています。たった一本の槍によくもこれだけ呪を詰め込めたものです。神の眷属たちの技量もまだまだ捨てたものではありませんね」

 女悪魔はその端正な容貌に朱の色を加えて、興奮したようにそう言った。

「嬢ちゃんは、だいぶ高位の悪魔のようだが、なぜ、あんな仕事を押し付けられていたのかね」

 ヴァレンシュタインは世間話のように女悪魔の肺腑をえぐる一言を口に出した。孤高の女悪魔がどこでもないどこかを見つめながら答えを返す。

「解けぬ謎は無く、極めきれぬ技は無く、現し切れぬ法則は無い。我々ノルンが力を発揮できた時代は去ったのです。今やワルキューレたちは全てを知っています。我々が何の役にも立たぬことさえも知っています」

 ヴァレンシュタインが首を傾げた。

「よく分からん返答だな」

 契約者は神槍を抱きかかえるようにして沈鬱に沈む悪魔を見下ろしながら、先をうながした。悪魔が首を振りその漆黒の髪を振り回した。その暗い漆黒の瞳がヴァレンシュタインを見上げていた。瞳が曇るとはこのようなことを言うのだろうとヴァレンシュタインは思っていた。

「我々は道を違えたのです。我々もワルキューレのように神と正面からぶつかるべきだったのです。我々は道を違えたのです」

 悪魔は大別して二種類に分けられる。痛みさえ捨てた戦鬼たる悪魔、ワルキューレと、知と魔術に特化し痛みによる責めに対して容易く命を失うことにより秘密を厳守する式鬼たる悪魔、ノルンとに分けられる。ヴァレンシュタインはこの美貌の悪魔がノルンであることは知っていたが、何に苛まれているかまでは掴みきれずにいた。

「道など知らずとも、どうにでもなるものさ」

 ヴァレンシュタインが悪魔の深刻な悩みに向かい合うのを避けて気楽に言うと、思わぬ強い口調の反論が待っていた。

「それは違う。道とはつくられるものです。あなたは道を使うだけだからそう言えるのです。作り方も知らず、その真の価値も知らず、使うことだけを知っている。だから、あなたは人に与えられた大地を売り渡すことができるのです」

 悪魔ソフィー・ジェルマンは知と魔術の製錬者だった。彼女は探究者だった。だから彼女は『道』を知りつくしていた。そして絶望していた。悪魔は真の法則を知っていた。だからいつだって彼女には絶望だけしか残されていなかった。

「嬢ちゃん。俺は農奴だった。自ら土地を持たず、他人の土地を耕す農奴だった。だから、不作になると真っ先に飢えた。神に祈った。応えたのはあんたらの方だった。後で神が千年王国を失ったと聞いた時には憤慨もしたものだよ。俺はね、嬢ちゃん、何度も何度も使える土地なんてものがあるからいけないと思うんだよ。もし、神が人を愛していたなら千年の内にきっちり仕事をやってくれたはずさ。掛け値なしに言うがね、嬢ちゃん。人には無限に続く土地がいるんだ。自由になるには無限の土地がいるんだよ」

 ヴァレンシュタインはどこか投げやりな返答を返す悪魔に対して少しだけ本当のことを言った。ヴァレンシュタインは悪魔ソフィー・ジェルマンを傷つけてはならないし、傷つけさせてもならない。それが契約だった。ヴァレンシュタインは確固たる一つの意思を持って契約に望んでいた。彼は信仰者では無くなったが、強い信念だけは持っていた。彼の信念は悪魔でさえも誘惑する。ヴァレンシュタインはそれが必要であるとするならば何物も惜しまない。

「今となっては、ワルキューレがやることも、私たちノルンがやることも、神の眷属どもの出来の悪い真似にしか過ぎません」

 漆黒の髪と漆黒の瞳が揺れていた。悪魔が感傷的になるなど、奇妙なことだった。ヴァレンシュタインの出会ってきた悪魔は、いつも高慢と偏見とに満ちており、毒舌と機知を誇りにしていた。

「なあ。嬢ちゃん。その敬語もそろそろやめようや。契約が俺たちを結んでいる。自由意思は契約で保証しているよ。だから、もう少し本音でやってくれ。俺は久しぶりに会話しているんだから」

 ヴァレンシュタインの言葉に悪魔ソフィー・ジェルマンが立ち上がっていた。その漆黒の瞳が怒りの色に燃えていた。

「ヴァレンシュタイン。貴様に私の何が分かる! 貴様に我々ノルンの何がわかる! 我々に背負わされた運命の何が分かると言うのだ! さあ、答えよ。契約者にして、我が主よ! 決して果たされぬ契約の何がわかる。あなたに、私の、私の」

 そこで言葉がぷつりと切れた。ヴァレンシュタインは力を失っていく悪魔の言葉に肩をすくめてみせるだけだった。ヴァレンシュタインはそうして傷つけられた悪魔の何かに触れぬよう、再び死体を運ぶ作業へと戻った。何かを傷つけないことということは難しいことだ。関わりがある以上、何かをなすたびに何かが傷ついてゆく。ヴァレンシュタインも悪魔ソフィー・ジェルマンも孤高に生きるものだった。だから、お互いが接近しようとすると激しく傷つく。まるで戦い合うように、二人の言葉は交わって、そして、ある点から先は決して交わることが無い。契約とは悲しいものだ。そして契約とは無慈悲なものだ。それゆえ契約とは勝手なものだ。

 百五十七体の遺体がヴァレンシュタインのこじ開けた門の間近に積み上げられた。悪魔が神槍の矛を逆さにして柄でもって五芒星を描いた。積み上げられた死体が燐光をなし、光となって、粒子となって消えてゆく。

「ヴァレンシュタイン。あなたは卑怯だ」

 悪魔が漆黒の瞳を向けてくる。その瞳が何かを言いたそうにヴァレンシュタインを捕えていた。

「元が農奴だからな」

「ヴァレンシュタインよ。汝は、最古の悪魔が一人、ノルン、ソフィー・ジェルマンと契約した。我は問おう。汝、この混沌の大地で何を成したい」

 悪魔が燐光を浴びながら硬い口調でそう口にする。ヴァレンシュタンは気楽に肩をすくめながら、かつて結んだ契約のことを思い起こしていた。かつて純粋な信仰者だったころのヴァレンシュタインが結んだ契約。最初にして最大の契約を、彼は思い起こしていた。だから、彼は真実を多少話さねばならなかった。彼が、その老いず、死なぬ、その朽ちぬ身が朽ちるときまで黙っていようと決めていた秘密の一端を契約者に与えることが唯一、この悪魔を傷つけない道だったから。

「悪魔ソフィー・ジェルマン。俺は、いや、違うな。確かこうだったはずだ」

 ヴァレンシュタインの瞳が虚空のどこかから記憶を引き出すように、茫漠たる空に浮かんだ燐光の輝きに答えるように輝いていた。

「私は求めます。全ての人が救われますようにと。不滅の体を頂けますようにと。世界が浄化されますようにと」

 悪魔は諦念したように首を振る。それから、燃えるように瞳を輝かせて背約者ヴァレンシュタインを見つめていた。

「ヴァレンシュタイン。噂は本当だったようだ。汝は、あなたは、それがどれほど法外な望みかわかって言っているのか?」

 ヴァレンシュタインは首をすくめる。

「ただの冗談だよ」

 そして彼は悲しそうにそう言った。決して敵わぬ契約は、最初にして最大の契約者を今でもしばりつけている。彼は、土地を浄化して、荒野にすることが自身の契約から導かれる仕事なのだと考えていた。そして今でもそう考えている。

「嬢ちゃんは、大地を汚すのが嫌なんだろ?」

 ヴァレンシュタインは王弟の慈しんだニーベルンゲンの第二の中核ザクセンを廃墟と化すことを願っていた。

「やぶさかではない。だが、ヴァレンシュタイン。魔王が降臨する日は近い。支配の方が効率的だ」

 悪魔ソフィー・ジェルマンが渋い表情でヴァレンシュタインの本音を探るようにまじまじと最初にして最大の契約者を見つめる。筋骨たくましい体に乗る比較的小さな頭が魔女の視線に射抜かれていた。ヴァレンシュタインは血に飽かぬ。全てを与え、全てを奪い、殺し、捧げてきた。だから、彼は悪魔を傷つけるかもしれないと思いながらも渋い表情を浮かべていた。

「俺に徴税吏になれというのか?」

「そうだ。ヴァレンシュタイン」

 ヴァレンシュタインは肩をすくめる。ソフィー・ジェルマンの射すくめるようなきつい視線をヴァレンシュタインは面白がるように見ていた。

「嬢ちゃんが嫌なら別の悪魔に頼むが?」

 ヴァレンシュタインは契約者だ。悪魔の召喚法は嫌というほど知っている。普段通りなら、悪魔は仕事を成してヴァレンシュタインに僅かな報酬を与えて去るだけだ。ヴァレンシュタインにとりその僅かな報酬で十分だった。知の欠片を、魔術の欠片を彼らは、使い捨てるように置いていく。ヴァレンシュタインはその報酬を楽しみはすれども、憎みはしない。確かに割に合わないこともあるが、だと言って彼は自分の目的が達成できる以上、それから先の報酬はちょっとした手当のようなものに過ぎない。

「そこまで憎いものか。ヴァレンシュタイン?」

「憎いね。憎悪と怒りが俺の全てだ」

 与え。奪え。さすれば讃えられるだろう。ため息の数だけ与え、喜びの度に奪え。さすれば讃えられるだろう。呪いの言葉の度に与え、祝福の言葉の度に奪え。さすれば讃えられるだろう。

 ヴァレンシュタインは契約者だ。

「では、私の持てる知の全てを、魔術の全てを提供しよう。汝は徴税吏になるのだ。ヴァレンシュタイン」

「それは、また、豪勢なことだが」

 ヴァレンシュタインが言葉を濁した。神の眷属たちが奇跡を隠したように、悪魔たちもその知と魔術を容易なことでは明かさない。神の眷属は、悪魔は似通った秘密主義を採る。彼らは決して人間を信用しない。この自身を最古の悪魔の一人であると自称する漆黒の髪に漆黒の目をした悪魔は、与えぬものを与え、奪えぬものを奪おうとしている。ヴァレンシュタインのよすがとも言える生き方をかの悪魔は奪おうとしていた。

「不死の戦士よ。不朽の勇者よ。汝はこの世の森羅万象を知り、極めたいとは思わぬか?」

 悪魔は囁く。悪魔は誘惑する。

「嬢ちゃん。これでは、どちらが契約者なのか分からんね」

 ヴァレンシュタインが呟いた。ヴァレンシュタインは最初にして最大の契約者だった。そして今、悪魔を僕として契約を交わす側となっている。ヴァレンシュタインは悪魔ソフィー・ジェルマンと契約した。悪魔は自由意思を持つ。ヴァレンシュタインは悪魔のことを決して傷つけず、傷つけさせてはならない。どちらも不可能な事に近い。そして今、その悪魔が主を誘惑する。この世の森羅万象を知り、極めたいとは思わぬか、と。元々彼は農奴に過ぎない。彼は農奴の常として恐れ、敬い、飢え、疲れ、眠る。ただ、それだけを人生の大半として過ごしてきた。ヴァレンシュタインは、悪魔が求める自由意思の真の価値を知らなかったし、知ろうとも思わなかっただろう。森羅万象を知り、極める。ヴァレンシュタインはそう言われても、いま一つ焦点が合わないのだ。

「背約者よ。この世を支配する真の法則を知りたくはないか? 背教者よ。神の領域に手を伸ばしたくはないか?」

 悪魔ソフィー・ジェルマンの口元が蠱惑的な言葉を紡ぐ。神槍ロムルスを手にして直立する悪魔はまるで神が問うように、ヴァレンシュタインに向かって問いかけていた。それは、決してかなわぬ願い。決してかなわぬ契約。決して触れてはならぬ神と悪魔の物語。それは、契約者にさえ秘匿される闇の歴史。

「俺のような馬鹿ものに分かると言うのなら。知りたいとは思うがね」

 ヴァレンシュタインが素直に答えた。彼は戦士だった。勇士だった。怖れを知らぬ怪物だった。無知が彼の力だった。無知が彼の源だった。農奴であったことが彼の力だった。源だった。ゆえに彼は戦士であり、勇士であり、背約者だった。

「では、今日より汝は私の絶望を共にするものとなるだろう。ヴァレンシュタイン。汝は私の主だ。汝は決してワルキューレの言うままに千年紀を過ごしてはならぬ。ヴァレンシュタイン。汝は真の自由意思を知らねばならぬ。そして戦うのだ。運命に逆らうのだ。背約者よ」

 悪魔は、僕は主のごとく振る舞った。そしてヴァレンシュタインはそれを許した。何ともなればヴァレンシュタインはその程度のものを自由意思だと信じていたのだから。

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