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背約と契約。悪魔の契り。

 千年王国歴千十四年十月八日。同じく戦乙女歴十四年十月八日。

 漆黒の鎧をまといし契約者ヴァレンシュタインは、剣を持って斬る。門番の騎士がまた一人倒れ、館の前での攻防は激しさを増していた。ヴァレンシュタインの戦闘スタイルは単純だ。力でもってねじ伏せる。剣の切れ味は関係ない。彼にとって背中に背負う二本の長剣の他はただの鈍器に過ぎない。彼の契約者である悪魔ソフィー・ジェルマンは戦場で先ほど作ったばかりのドレスと胸当てを着込み、短剣を片手にして怯えていた。悪魔ノルンは足でまといに過ぎなかった。二人の兵団は二人の捕虜を離れた大木に結わえつけると、突如として王弟ギーゼルヘルの館へと侵攻した。悪魔は館を中心とした大型五芒星の魔法陣を描き、相手に気づかれぬよう戦力の大半を殲滅しようと提案し、ヴァレンシュタインはその申し出を丁重に断った。ヴァレンシュタインは血に飽かぬ。彼は、この戦場に魔剣バルムンクで斬らねばならぬものがいることを知っていた。そして何より彼は契約を重視した。ヴァレンシュタインは悪魔ソフィー・ジェルマンを傷つけてはならない。傷つけさせてはならない。それが、ヴァレンシュタインがたった二人の兵団で王弟の館に攻め寄せた理由だった。門衛の騎士がまた一人倒れた。館に人が集いつつある。奇襲の効果は薄れつつあるだろう。倒れ込んだ門衛が取り落とした剣と自身の剣を見比べて、ヴァレンシュタインは剣を入れ替えた。馬のいななきが始まっていた。近辺にいる騎士から集いつつあった。ヴァレンシュタインは一個の攻城兵器でもあった。材木作りの門を手に握る剣で大きく叩く。木材の門がたわんだ。二度叩く。きしみがあった。三度叩く。気味の悪い音とともに門が破れる。ヴァレンシュタインは悪魔ソフィー・ジェルマンを守りながら館をかけていた。館の主と彼がようする筆頭騎士を探していた。曲がりくねった廊下の出会いがしらに騎士の兜をかち割り一人を撲殺する。悪魔ソフィー・ジェルマンが行くべき先を口の端に乗せて行く。ヴァレンシュタインは、好きに寄り道しながら、殺したいように殺してゆく戦いばかりをやって来た。剣聖ヒルデブラントたちとの戦いを除けばずっとそうだった。目的を持った戦いと言うもの以上にヴァレンシュタインを幻滅させるものは無かった。与え、奪え。それがヴァレンシュタインに課せられた運命の糸だった。彼が課せられ、そしてこれから課していくであろう運命の糸車だった。だが、ソフィー・ジェルマンが現れた。彼にとって、ただの悪魔だったものは契約の時、法外な要求を盛り込んだ。ヴァレンシュタインは知っていた。その契約が決して法外では無いことを。なぜなら、また、かつて彼が交わした契約もそうであったから。ヴァレンシュタインは生きていた。かつて彼は死を生きていた。今、彼は生を生きている。憎悪と怒りだけが、彼を人間にしてくれる。悪魔が囁く。王弟ギーゼルヘルと二人の聖騎士と巡り合ったのは、階段を境目にした境界線だった。館の主は見下ろし、ヴァレンシュタインは見上げた。そして戦いは始まった。階下から大きく剣が振り上げられた。筋骨たくましいダンクワルトが盾で持って受け、吹き飛んだ。若く力あるオルトウィーンが鋭い刺突でもって剣戟を漆黒の鎧に向かって叩き込み、折れた剣先を不思議な表情で眺めていた。王弟ギーゼルヘルが叫んだ。

「まずは悪魔が先だ。女を狙え」

 彼は資質あるものだった。そして神槍を授けられたこの館における対悪魔、対契約者の最大の戦力だった。奇跡の担い手の表出だった。若き力たるオルトウィーンが、十字を切った。光があった。奇跡は未だ滅ばずして悪魔を退ける力があった。悪魔が目を背け、契約者ヴァレンシュタインの動きがわずかに鈍った。筋骨たくましいダンクワルトがひびの入った盾を放り投げ階段の上段から空を飛んだ。銘もない剣が悪魔をかばったヴァレンシュタインの額に向かって振り下ろされた。兜さえ被らぬヴァレンシュタインの頭髪に剣が振り下ろされたとき、剣が硬い音を立てて左右に割れた。死なず。老いぬ。ヴァレンシュタインは最初にして最大の契約者だった。筋骨たくましいダンクワルトが飛びのいた。その後をヴァレンシュタインが投擲した剣が鈍器と化してダンクワルトの胸当てを砕いた。王弟ギーゼルヘルが神槍ロムルスを大きく突き出し階段の下の不死の契約者のほほを裂いた。神槍の名は伊達ではない。槍に込められた奇跡の力は悪魔とその契約者に特別に力を発揮する。ヴァレンシュタインがほほから流れ出る血を手の平でふいてなめる。ヴァレンシュタインは笑っていた。

「久しぶりの獲物だぞ。バルムンク」

 大柄な体を揺さぶって農奴は笑う。ヴァレンシュタインは背中に背負った二本の魔剣が一本、魔剣バルムンクの柄を取った。筋骨たくましいダンクワルトがよろよろと立ちあがる。

「主よ。時間がありません。このままでは挟み撃ちです」

 修羅場を知らぬ足手まといの悪魔ソフィー・ジェルマンがそう告げるのにヴァレンシュタインはわずかにうなずいた。バルムンクが抜かれると同時にその剣の影が落ちる。影が形を造り出し始めていた。一瞬のことだ。ソフィーの背後には輝く人影たちが現れていた。影の騎士団だ。

「エインヘリヤル」

 ソフィーがうめくように呟くのと同時に、人影の中心を目にした王弟ギーゼルヘルの表情が陰った。

「剣聖ヒルデブランド。噂は真実だったか!」

 オルトウィーンが虚空から光を取り出し、そして、未だ神の名残は絶えない証に、その光が刃と成る。若く力あるオルトウィーンはヴァレンシュタインの背後に守られた悪魔へ向かい光の剣で突き抜こうとする。筋骨逞しいダンクワルドが、小技に走る。剣の欠片を掌に集めては親指で弾き飛ばしヴァレンシュタインの目を狙う。王弟ギーゼルヘルは再び判断を迫られていた。燐光を纏いし剣聖ヒルデブランドは、その旗下の剣士たちとともに館に駆けつけつつあった騎士たちを号令一下に軽くさばき始めていた。ヴァレンシュタインが階段を駆け上がる。光の刃を両手でもって防御を捨てたオルトウィーンに向かって魔剣バルムンクが輝いた。オルトウィーンの両手がヴァレンシュタインの首元に一筋の血を流させていた。だが、そこまでだった。ヴァレンシュタインが振るう魔剣バルムンクがオルトウィーンの鎧ごと体を断ち切っていた。傷口からは血も流れず淡い光だけがあふれては消えていく。ヴァレンシュタインが魔剣バルムンクを引き抜くと、若き獅子オルトウィーンの体が輝く粒子となって消えた。筋骨たくましいダンクワルトが憤怒に燃えていた。次代の芽が摘みとられ、ニーベルンゲンの若き血が流された。その時、壮年の聖騎士ダンクワルトは自身の役割を知った。ダンクワルトは、王弟ギーゼルヘルに掴みかかると、その体を持ち上げ、階下に向けて放り投げた。

「何を…」

 剣聖ヒルデブラントの旗下の剣士と、騎士たちの乱闘に投げ込まれた王弟ギーゼルヘルに向かってダンクワルトは叫んだ。

「王弟よ。逃げられよ。ネーデルランドだ。そしてやつを連れ帰るのです。その時こそ契約者と戦うべき時が来るでしょう」

 ふっとダンクワルトのそばに失われたニーベルンゲンの若き血潮が、オルトウィーンが現れていた。ダンクワルトが気づいたときにはもう遅かった。筋骨たくましいダンクワルトがかつての聖騎士の影に羽交い絞めにされていた。ヴァレンシュタインが魔剣バルムンクを片手に筋骨たくましい勇士ダンクワルトに迫っていた。王弟ギーゼルヘルは旗下の騎士団に守られながら情けなく叫ぶことしかできない自分を恥じていた。

「私一人でおめおめと逃げ延びよというのか!」

「この農奴が、下賤の輩め。貴様が思うより世界はずっと広いぞ。なぜなら我々が思うよりもずっと広かったからな。怪物よ。当代最高の聖騎士ジークフリードが必ずやって来て貴様を討つだろう。神はいまだに地上の全てを見捨てたわけでは無い。怪物め、怪物が、この…」

 ダンクワルトの叫びは絶たれた。ヴァレンシュタインの魔剣バルムンクがその首筋に叩き込まれていた。血潮の代わりに輝く粒子を輝かせながら、王弟ギーゼルヘルが持つ騎士団の勇士は消え去った。

「王の弟さんは、配下を見殺しになさったようだーね」

 一言も声を発しなかったヴァレンシュタインは、ダンクワルトが消え去ると同時に、にやにやと笑いながらそう言った。騎士団に囲まれた王弟ギーゼルヒル歯噛みして、地団駄を踏んだ。

「ヒルデブランド。もういいぞ。あまり本気は出すな。適当に相手してやれ」

 そして言うに事欠いてその台詞だ。王弟ギーゼルヒルの怒りは頂点に達した。王弟の腕から神槍ロムルスが投擲される。それは一度起こり、二度起こる。神槍は投げられた。悪魔ソフィー・ジェルマンに向けて。だが、結果は違っていた。ヴァレンシュタインは契約を守った。可愛らしいドレスを揺らしながら逃げようとする悪魔を守るように巨躯が立ちふさがっていた。その腹から槍が生えていた。

「無謀な勇気だな。王弟ギーゼルヘル。これでまた一つ貴様は点数を失ったぞ。神槍ロムルスは貰い受ける」

 血潮を惜しげも無く流して神槍を抜いたヴァレンシュタインはさすがに青ざめ肩で息をしていた。

「せいぜいジークフリードの関心を引くことだな。徴税吏よ」

 騎士団に守られながら退却する王弟は今や戦況に対して何の役にも立たない死に駒だった。王弟は全てを失いつつあった。その神から授かりし王家の秘宝も、脈々と受け継がれてきた神に与えられし土地も、そして自らを支えてくれた重臣たちも、そして最後に残った王家の者への信頼さえもが失われつつあった。蒼白の貴公子ギーゼルヘルは今やその館を落とされた敗残者だった。ブルグント城にもこの悲報は届くだろう。一両日か、二日、あるいは三日か。このまま事態が推移すればそれが誇りある王家の人間としてギーゼルヘルが振る舞える最後の時間となるはずだった。剣聖ヒルデブランドがその剣を一瞬の間に三線し、あるいは振り下ろさる剣を払い、あるいは小手の隙間を縫い、あるいは剣の柄を切った。伝説の剣聖はそれで適当にあしらっているつもりなのだ。噂が真実なら彼は一瞬の間に八回太刀筋を振るう。悪魔ソフィー・ジェルマンが、ヴァレンシュタインの体から流れ落ちた血を集め、こっそりとなめていた。それは淫靡だった。背徳的だった。血をなめる小悪魔は、心底嬉しそうだった。全てがギーゼルヘルにとっていとわしかった。主城ブルグント城を囲まれておきながら救援にも行けず、助けも仰げず、挙句に背約者に館を落とされた。蒼白の貴公子の打つ手は全て潰された。だが、それでも彼は資質ある王弟だった。引き際は間違えない。

「…退け」

「馬鹿な。王弟。狂ったか!」「ここを失えば終わりなのですぞ?」「あの農奴の言う通りになさるというのですか?」

 様々な声が響いては消えた。だが、士気の高さだけではどうにもならぬことがある。どれほど徒党を組んでも一人の敵さえ倒せぬこともある。ヴァレンシュタインは血に飽かない背約者だった。悪魔そのものだった。ようやく騎士団が剣聖ヒルデブラントの旗下の剣士を打倒した。だが、寸刻もたたぬ内に同じ剣士が現れて、それに加わるように筋骨たくましいダンクワルドまでもが戦列に加わった。それは数を頼る王弟の騎士団の士気をくじくのに十分な光景だった。

「皆、聞け。私はネーデルランドに落ちる。ジークフリード閣下に直々に援兵を要請するつもりだ。我が判断に不満があるものにまでは指図せぬ。各々随意になされよ」

 王弟は再び引いた。主要な騎士がそれに従って引いてゆく。潮の流れが変わるのを見て出血も収まったヴァレンシュタインが魔剣バルムンクを鞘に収める。剣聖が、剣士が、騎士が輝く光となって消えた。同時に悪魔ソフィーに神槍ロムルスを手渡したヴァレンシュタインが狩を始めていた。背中を向けて倒れた死者から剣を奪い取り縦横に振り回し、撲殺、撲殺、撲殺の嵐だった。骨の折れる嫌な音ばかりが王弟の館に響き渡る。そして潰走は始まった。後は残党狩りと成りぬ。ヴァレンシュタインは当たるを幸いに剣を振るえばよかった。やがて思い出したかのように悪魔ソフィー・ジェルマンが館の正門へと転移し、王弟ギーゼルヘルが引いた後の残党を逃がさぬように結界を張った。恐慌が騎士たちを支配した。残忍な狩が始まっていた。悪魔ソフィー・ジェルマンの思うつぼだった。悪魔は結界を残した消え、その高笑いがいつまでも響いた。ヴァレンシュタインが残忍な笑みを浮かべていた。兜を割り、鎧を裂いた。剣を何度なく奪い取り使い捨てにし、撲殺を続ける契約者ヴァレンシュタインはその日一個の伝説となった。この日ザクセンに居を構えし王弟の館は陥落し、百五十の騎士がたった一人の契約者に討ち取られた。

 神の千年王国は黄昏た。ニーベルンゲンの国では不作が十数年続いている。悪魔は人間を魅了する。契約者は悪魔を魅了する。ブルグント城は悪魔に攻囲されていた。悪魔が闊歩する時代だったのだ。ヴァレンシュタインは血に飽かない契約者の一人だった。彼は何年もの間一人きりの兵団だった。そして王弟の館が陥落した今日、その兵団は二人に増えていたのだった。

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