7色目-黄色との別れ-
翌朝、いつものように美影と登校すると下駄箱にはボロボロになったぼくの上履きが入っていた。
「ひどい……。一体誰がこんな……」
となりでは美影が眉をしかめてその光景を見る。
「なんで……こんなこと……」
いじめられる理由は本当に見当もつかなかった。
「梓、先生に言った方がいい。これ以上酷くなったら……」
美影はわかっていない。先生に言ったところでいじめはおさまらないことを。むしろエスカレートする。
「だめだよ──先生には言えない……。いや──誰にも言えない……」
ちゃんと平静を装えただろうか。声は震えていなかっただろうか。
バカらしいと思ってはいるけど、やっぱりこんなことされたら心が痛い。
「今は何もできないよ……行こう」
「上履きはどうするの?」
「先生に来賓用のスリッパを借りることにするよ」
作り笑いを見せると、美影はますます心配そうにしていた。
「行こう? ぼくは大丈夫だよ」
柔らかい笑みを浮かべると美影は納得しないながらもあとをついてきてくれた。
先生には珍しいと言われたが、すぐに貸してもらえた。
「許せない。梓にこんなことするなんて……」
後ろで美影がそう呟いたのが聞こえた。
「じゃあ、先生に時間をもらったので、クラス展示の内容を決めたいと思います。一応ぼくと泉堂さんで候補を考えたけど、これ以外にやりたいことがあったら言ってください」
「…………」
クラスには沈黙が流れる。そうだろう。面倒に思っている人が多いのだから。
「新しい意見もないみたいだからこの中から決めます。決め方は多数決にするので、一人一回やりたいものに手を挙げてください」
「じゃあまず、お化け屋敷やりたい人」
ポツリ、ポツリと手を挙げる人がいる。あれ、予想が外れた。
お化け屋敷はみんなやりたがると思ってたんだけどな。まあいいや。
「次、射的やりたい人」
こちらはもっと少ない。エアガンの使用は禁止されているからつまらないと思っているのだろうか。
「じゃあ、ヨーヨー釣りがいい人」
これは誰も手を挙げなかった。水を使うということもあって片づけが面倒なのだ。
「最後。ぼくはこれが一番いいと思う。クラスアートやりたい人」
誰も手を挙げない。というかみんな話を聞いてくれない。
「──ちゃんと答えて。決まらないと困るから」
チョークで正の字を黒板に書いていた美影が振り向いて言った。その目は怒気をはらんでいて心なしか少し赤く見えた。
「──もう一度訊くから……ちゃんと答えて……」
静かに、けれども物凄く美影は怒っていた。きっとぼくへのいじめも関係しているんだろうな。
美影が言ったとおり、もう一度多数決を取ったらみんなしっかりと手を挙げてくれた。そして決まった結果はクラスアートだった。大方理由は店番が必要なくて遊べるからだろう。
まあ、それでもいい。ぼくとしてはやりたかったことなのだから。みんながどうだかはわからないけれど楽しめるだろう。
「じゃあ、明日のホームルームまでにクラスアートのテーマを考えてきてください。それじゃあ今日は終わります。授業頑張りましょう」
まるで学級委員のようなことを言ってぼくらは席に戻った。担任の先生は既に居なくなっていて、時計を見れば授業開始直前だった。かばんから教科書やらノートを取り出して授業開始に備える。
「実行委員って、思ったより難しいかもしれない」
放課後、唐突に美影はそんなことを言い出した。
「そうでしょ? 去年はもう少しみんな協力的だったんだけどな」
「学年が上がると何かあるの?」
「学校に慣れてくるのかな。みんな個性を主張し始めるんだよ。中学校のときもそうじゃなかった? 二年生になって少しずつ校則を破る人とかいたでしょ?」
「そういえば……」
「きっとそんな感じなんだよ。それにクラス替えとかあったから人間関係とかも変わっちゃったでしょ?」
「私はあまり変わっていないけど……」
「ぼくもだけど、みんなは違うでしょ?」
「よくわからない」
ぼくだってよくわからないよ。今まで友達とかいなかったんだから。
「そんなことよりそろそろ本題に入ろう。明日の朝の時間をもらったとはいえ、今日みたいに時間に制限があるんだからさ。またぼくたちで候補を挙げてみんなに選んでもらおう?」
「解った」
「そこでさ、美影の話を少し聞きたいんだ。美影は中学校のときクラスアートを経験してるでしょ? だからどんなテーマがあったのか、教えてくれる?」
「いいよ。──私が中学校の時は学年ごとに大きなテーマが決まっていて、クラスごとにそのテーマに沿った小さなテーマを決めて金賞を競ってた」
「具体的には?」
「私の学年のテーマが『おとぎ話』だったら、クラスごとに『白雪姫』や『赤頭巾』、『シンデレラ』とかを題材にしてクラスを装飾していくの」
「そうなんだ。それってどういう風につくるの?」
美術部員として純粋に興味を惹かれることだ。
「どうって……梓が想像している通りだと思う」
「やっぱり壁に紙で作った装飾品貼ったり、ビニールテープ裂いたりして雰囲気作るの?」
「そう。そこにどれだけ工夫を凝らせるかっていう観点で点数を競うの」
「工夫っていうと?」
「それは私にもわからない。私はほとんど参加していないから」
「──参加してない?」
「梓に話した、私の家族のことがあったでしょ? そのことを思い出す度に──姉さんの存在を思い出す度に私の心は不安定になった。だから私は毎日保健室に登校していた。だからクラスにはあまり関わっていない」
美影の過去にはまだ随分と深い闇が残っているみたいだ。
ぼくには到底想像もつかない暗くて深い闇のような過去。きっとぼくの何倍──いや、何千倍もの苦労を強いられてきたのだろうというのが容易にわかる。
「そっか……。考えてみればこれは訊ねることじゃないね。工夫っていうのは自分たちで考えてこそのものだしね」
ぼくは沈みそうな気持ちを明るく振る舞うことでとどめた。美影もクスリと小さく笑った。
「そうだね。既存のものを知ることで人間は常識という枠組みの中に囚われてきた。私達はそこに陥らずに私達の作品を作ろう」
美影が言っていることは誰かの受け売りのようだった。明らかに彼女の言葉ではない。不器用ながらも美影の言葉には柔らかさがある。でも今言ってたことはプラスチックのように硬い。
「ねえ、美影。さっきの──さっき言ってたことって誰かの受け売り? その──どうしても美影の言葉には思えなかったんだけど……」
「そう。よくわかったね。全部姉さんの受け売り。姉さんは私が知らない多くのことを知っていた。私の知識の八割は姉さんからもらった知識。人間を越えた神様のような人から授かったもの」
驚いた。美影はこんなにも姉を尊敬……というか──崇拝していたなんて。
「お姉さんは──生きていると思う?」
自分でも何をきいているのかわからなかった。しかし不意に口から飛び出たから撤回も出来なかった。
「──あの姉が死ぬはずない」
「──生きていてほしいと……思ってるの?」
美影は静かに首を横に振った。
「私の願望なんかじゃなくて、死ぬはずがないと思ってる」
「根拠とか……あるの?」
「今思えばとても不思議な人だった。養子として迎え入れられてから両親が狂ったみたいに姉を溺愛していたから。まるで両親の心を奪ったみたいだった」
「それが──根拠?」
「そう。何て言うか、人間らしくなかった」
「そう……なんだ……」
気付けば陽は沈んでいた。教室は暗くなり、すぐ近くにいる美影の顔も見えないほどになっていた。
ぼくは電気を点けた。思えばどうしてこんな話になったのか……。
「そろそろ遅いから帰ろうか。話、全然進まなかったね」
ぼくは苦笑して頭を掻く。
「帰り道、歩きながら決められると思う。家は遠いから」
「じゃあ、行こうか」
ぼくたちは教室を──学校を出た。街灯は薄暗く足元を照らしている。時折点滅する古いものもあって、つくづくこの街は新しさの中に古さを残していると実感する。
「私が中学校の時のテーマは『ファンタジー』『おとぎ話』『現代』『自然』……覚えてる限りではこの位。梓は他に何か思い付く?」
「……今のところはなにも。今夜一晩考えて思い付いたら明日の朝教えるよ」
「わかった」
そう言った美影を見ていると、視界の隅で何かが一筋きらりと光った。そちらに目をやると多くの流れ星が空を埋め尽くしていた。
「これは──」
「今日は流星群の日……だったの……?」
「──美影──ぼく……テーマ──思い付いたよ……」
流れ星の光に圧倒されながらもぼくは伝えたいことを口に出す。
「テーマ──『神話』なんて──どうかな……」
「神話……」
同じように流れ星に目を奪われた美影もなんとか繰り返す。
こんな星空を見ていて浮かんだテーマだけどいいテーマだと思う。
「いい……とても素敵なテーマだと思う……私は……これがいい……」
──『神話』。星空の神秘的な雰囲気から思い付いたテーマだ。みんなに是非ともこれを選んでほしい──というのはわがままだろうか。ぼくはこれをテーマに教室を装飾したい。これをテーマに作品を作りたい。絶対、楽しいと思う。
「明日──みんながこのテーマを選んでくれるといいね」
「そうだね──じゃあ美影、また明日」
「また明日。おやすみ、梓」
「おやすみ」
家に明かりは点いていなかった。同居人がいないことにほっとしたのと同時に、どうしようもない寂しさがぼくの胸を掠めていった。一人が寂しいなんて思ったのは何年ぶりだろう。確か両親が死んだのを最後にそんなことすら思わなくなっていった気がする。
どうしてぼくはこんなことを思ってるのだろう。こんな感情はとっくになくしてしまったと思ってたのに。
おかげで対処する方法も忘れてしまった。一人が当たり前だったのにいつのまにかそんなこともなくなっていた。最近では必ず美影と一緒に行動をしている。
「ぼくは──幸せなのかな──」
ポツリと誰に告げるわけでもなく呟いた。
自分を不幸だなんて思ったことは一度もないといえば嘘になるけど、あまり思わない。だからといって幸せなのかと問われたら「はい」といえる自信もない。
自分の状態すらわからないなんてぼくはすっかり自分に興味を失っていたみたいだ。
「毎日──楽しいな──」
美影と出会ってから変わったのは美影だけではなく、ぼくもなのかもしれない。孤独を知って、毎日が少しだけどにぎやかになった。こんなことは初めてだった。──いや、忘れていただけかもしれない。また明日って言い合って帰るような毎日が楽しくて仕方ないのかもしれない。
──美影もそう思ってくれてるといいのに。
ふとそんなことを思ってしまうのはわがままかな。
でもいいよ。強要なんてしないから。
今日は月がきれいだ。ぼくは今、部屋の明かりを消して窓際に座って空を眺めている。
窓の外に見える雲一つない空に満月が浮かんでいる。太陽の強い光を柔らかく優しく反射して夜ですら地上に光をくれる。
月の優しさがぼくは好きだ。夜の魔法というわけではないけれど、この光の下では嘘なんて無意味で、すべてを見透かされた気分になる。こんなときなら本音を明かせるけれど、今ここに話せる人はいない。
「独りは──嫌だよ──」
この一言をきっかけに次々と口から声が漏れた。溢れそうになる思いは口から言の葉となって漏れて、ぼくの心を少しだけ軽くしてくれた。
そのまま疲れて眠ってしまったぼくは翌朝、三回目の絶望を味わった。
────黄色が──ぼくの世界から消えていた。
「なんで……どうして……」
どうして──こんな怪奇した現象がぼくの周りで起こっているのだろう……。
病院に行ってみた方がいいのかな……。
真っ白になって上手くまとまらない思考を無理やりまとめて学校に電話をした。そしてこの街で一番大きい組合病院に向かうことにした。
「それではこちらの問診票に必要事項を書き込んで保険証と一緒に出してくださいね」
病院の受付の人にそう言われ、受け取ったボールペンで必要事項を書いていく。
信じてもらえないことだろうが、そういう病気もあるのかもしれない。
出した問診票を見て、受付の人はずいぶんおどろいていたけど、ぼくはそれを気にしている場合ではなかった。
診察を待っている間の記憶はない。ぼくの頭の中はパニック状態を継続しており、余計なことなんて覚えている余裕なんてなかった。
「御上さん、診察室へどうぞ」
促されるままに診察室へ入り、医師と対談する。
簡潔にこのあとのことを述べるとこうなる。
なんだかよくわからない検査をして帰ることになった。この時の出費が相当なことになったのは言うまでもないだろう。生活費が消えそうだ。
そして結果がでるまで待合室で延々待たされ、結果は異常なし。精神的な要因かもしれないから精神科の受診を進められて帰ることになった。
帰宅したのは夜になった。
検査結果も異常なしってなったらぼくは一体どうしたっていうんだろう……。もうわからないよ……。
疲れた重たい頭でそんなことを考えて、帰宅早々にベッドに倒れ込んだ。疲れたしもういいよ。このまま寝よう……。




