6色目-小さな一歩-
ぼくが教室に入ると、空気が一変した。それまで賑やかにざわめき立っていた声が一瞬で途絶え、冷たい視線が集まった。
その空気に一瞬怯んだけれど、ぼくは自分に与えられた席に向かって歩き出す。
「おい……あいつ……」
「なんで泉堂なんかと一緒にいるんだ……?」
冷ややかな視線と共に送られる冷たい言葉の数々が耳に届く。人間の五感というのは厄介で、それが例え受け入れたくないことであっても頭にその事実を叩きこんでくる。
しかしそんな声を無視していつものようにスケッチブックを広げる。持ち歩き用の小さなやつだ。部活で使うような大きなものはあまり持ち歩かない。
芯が柔らかい鉛筆を手に取り、いつものように描き始める。浮かんでは消えるアイディアの中から、気に入ったものだけを複写する。
絵なんて頭の中に出来上がっているものを線として興すだけだ。これほど簡単なものもないだろう。
無心で描き続けること数分、チャイムが鳴った。担任の教師入ってきてホームルームが始まる。特に連絡事項もないというのに長々と話を続ける担任に、すこしだけうんざりしていた。早く終わらないかな。授業の準備もあるっていうのに。
スケッチブックは机の上に広げたままだ。机に書かれた暴言の数々を見られるわけにはいかない。クラスの空気を乱してこれ以上被害を広げたくはなかった。
「あ、そうだ。今日の七限目のホームルームでそろそろ文化祭実行委員決めるから、考えておく様にな。じゃあ、授業頑張れよ」
担任は最後にそう告げると教室を出ていった。ぼくはスケッチブックをしまい、代わりに教科書やノートをカバンから取り出す。
「梓……」
「どうしたの? 美影」
「机、見せて」
「どうして急に……」
美影はスッとポケットから除光液を取り出した。わかっているらしい。
「油性はそれで消えるっけ?」
「多分消えるよ。パッケージにはそう書いてた」
「放課後にしよう。もう授業始まるし」
「わかった」
美影は頷いて自分の席に戻った。
それから授業はいつも通りに順調に終わっていき、昼休みになった。
「美影、お昼作れなかったから購買か食堂行こう?」
「うん。今日は私が奢る。いつものお礼」
「ありがと」
美影の厚意を素直に受け取り、ぼくはノートを机いっぱいに広げて書かれた文字を隠して教室を出た。そういえば、購買には時々行くけれど食堂に行くのは初めてかも知れない。そのことをつげると美影は食堂に行くと言ってくれた。
「人が……多い……」
食堂は購買に比べて圧倒的に人が多かった。美影が思わずそんな言葉を漏らすほどに。
「……食券買わないとね」
ぼくもなんとかそう言って券売機を探す。しかし食堂内にはそんなもの見当たらない。少しの間キョロキョロ探していると食堂の外にそれらしいものがあった。
「どれにしようか……」
「私はこれにする」
美影はぼくより早く決めると硬貨を投入した。ぼくも決めてそれを指差すと美影が硬貨を投入してそのボタンを押した。出てきた色つきの札を取ってカウンターに向かう。
美影の札は赤いもので、ぼくのは灰色。きっと緑か青なんだろう。けどぼくにはそれを判別することが出来なかった。
二人揃ってカウンターに札を置く。プラスチック製のそれはパチンと軽い音を立てて台の上に置かれた。
「美影はなににしたの?」
「スープスパゲティ。梓は?」
「味噌ラーメン。美味しそうだったから」
「二人とも麺類だね」
「確かに」
クスリと笑うと美影もつられて笑った。
待ってる間も美影と話していたから退屈ではなかった。友達っていいね。
ほどなくして料理が出来上がった。僕たちはそれぞれの料理が乗ったトレーを持って空いている席に向かった。人が多くてなかなか空席は見当たらなかったけど、窓際の日差しが当たる席が空いているのを見つけた。暑いからだれも使わない席。でもそんなのおかまいなしに美影はその席に歩み寄って行く。
「美影、そこでいいの? 暑いと思うよ。もう少し待って他の席空くの待った方がいいんじゃない?」
「でも、麺が伸びる」
その一言で仕方なくぼくらは窓際の暑い席に腰を落ち着けた。
「それにしても……」
「?」
「どうしてぼくたち、この暑い日に暑い場所で暑い料理を口にしてるんだろう……」
「そういえば……確かに……」
美影はぼくの言葉で一旦食べるのをやめた。
「私、冷たい料理が苦手だからかも……しれない」
自信というか、確証がない話だったから声が次第に小さくなっていく。
「そうなんだ」
相づちを打って麺をすする。
「美味しいね、食堂のごはんも」
「そうだね。たまにはこういうのも悪くないと思うよ」
ただ、経済的な理由で毎日ここで食べるのは無理だけど。
「でも、私はやっぱり梓の料理が一番好き。一番――暖かいから」
とても嬉しくて、心が弾むようなひとことだった。やはり美味しいという感想やは嬉しい。今回は少し違けど、喜んでもらえるのなら変わりはない。
「美影――ありがとう」
「? これはいつものお礼だから――」
「そうじゃなくて」
「?」
「ぼくの料理食べてくれて――ありがとう」
「――変な梓。私がお礼を言う側なのに」
「いいんだ、これで」
そうしてぼくらはお昼を有意義に過ごした。
「それじゃあ、文化祭実行委員を決めるぞー」
午後の授業も終わったホームルームの時間、担任は朝言ったように実行委員を決めると宣言した。
「誰か立候補するやつはいるか?」
案の定、教室は静まり返っている。誰もやりたがるわけがない。バラバラなクラスの意見をまとめて、やる気のないクラスメイトを動かす。並大抵の努力じゃできないことだ。
去年実行委員を経験したぼくはそれをよく知っている。実行委員はひとつのクラスから二人選ばれるけれども、去年のぼくはもう一人と仲があまりよくなかったから実質ぼくは一人で作業をこなさなくてはならなかった。
「困ったな……。誰もいないようなら、先生の方から指名するぞ?」
みんなはそれを聞いたとたんに先生から目を逸らす。目が合ったという理由だけで指名されてはたまったものではない。
「じゃあ、御上にお願いしてもいいか? 去年も実行委員やってるし、要領は分かるだろ? もう一人は御上が決めていいぞ」
お願いしてもいいか、なんて言ってもぼくに否定の権利はない。強制だ。
「――わかりました。じゃあ、もう一人は泉堂さんにお願いしたいと思います。いいよね?」
美影に目をやると、美影もいいよ、と承諾してくれた。どうせなら仲がよい友人との方が動きやすい。
「じゃあ決まりだな。実行委員は御上と泉堂だ。文化祭までの間、クラスをまとめて頑張れよ。ホームルームはこれで終わりだ。解散してよし!」
担任の合図で一斉に静かな空気が打ち破られ、帰る準備を始める生徒達。そんな中で担任はぼくらを呼んだ。
「お前たち、責任重大だからな。ちゃんとクラスまとめあげて文化祭成功させるんだぞ」
「はい。頑張ります」
「解ってます」
「そうか。それじゃあ、来週からよろしく頼むぞ」
「はい」
「……はい」
担任はそういうと教室を出ていった。
本格的に動き始めるのは来週からだ。文化祭まであと少し。これが終わればぼくは美術部としての大仕事を終えたことになる。先輩は文化祭を期に引退、受験勉強に専念するのがわが部の伝統らしい。
「美影に実行委員の仕事を説明しておくね」
実行委員の仕事は大きく分けて二つある。一つはクラス展示の企画、そしてもう一つは生徒会の手足となって文化祭を運営することだ。
クラス展示は主にクラスでの出し物をする。お化け屋敷や、射的、ヨーヨーなどだ。
これがまた難儀で、やる気に満ちた人が少ないから作業がなかなか進まない。早く帰りたいがために与えられた仕事をサボる人だって大勢いるのだ。
「だから、実行委員って大変なんだよ……」
「そう……なの……」
「明日から頑張ろうね」
「うん」
「さしあたっては、クラス展示の内容を決めないとね」
「明日のホームルームの時間をもらえるように先生に交渉してこよう」
「私が行ってくる」
「じゃあ、お願いね」
美影はコクリと頷いて教室を出ていった。クラスメイトもだいぶ帰って、教室残っているのも数人だけだ。
机の汚れを落とすのは誰も居なくなってからだ。見られてはいけない。犯人がわからないから。
美影が戻ってくるのを待とう。除光液を持っているのも美影だ。
ぼくは自分の席で、静かに人が居なくなるのを待った。
「梓ごめん。遅くなって。先生から一応許可貰ってきたよ」
美影が慌ただしく帰ってきたのはそれから一時間後のことだった。
「おかえり、美影」
「ただいま。先生からの条件で、十分以内に決めてほしいだって」
「わかった。朝は時間ないもんね」
「うん。効率的に決める為にも私たちで候補を絞ってみんなに選ばせた方がいいよ」
「そうだね。じゃあ、決めようか」
「でもその前に――今なら誰もいないから……」
「えっ……?」
ドキリと心臓が力強く鼓動を刻む。
「――机の落書き、消さないと」
美影はそう言って除光液を取り出した。
「あ、ああ……うん、そうだね!」
何を想像していたんだろう恥ずかしい。照れ隠しをするために元気よく振る舞う。
「? どうしたの? 顔が赤い……」
「いや! 何でもない! 何でもないから……」
「? 変な梓……」
美影は除光液を少し机にかけると、ポケットティッシュを取りだし、力強く机を擦っていく。ぼくもティッシュを取り出して美影にならう。
――一時間後。
「だいぶ取れたね」
「でもまだ残ってる」
「これだけ取れたら大丈夫だよ。少なくとも悪口の部分はもうわからないし」
「明日またやろう」
「そう……だね。じゃあ、出し物決めようか」
ぼくは自分の席に座り、美影もぼくの前の席に座って振り向いた。ルーズリーフを一枚取り出してペンを握る。
「まず定番なのはお化け屋敷だよね」
ルーズリーフにサラサラと書き綴っていく。
「射的や的当ても一般的」
美影の意見も書き込む。
「あとは……ヨーヨー釣りとか?」
「喫茶店もありかも」
「あ、それは無理だよ。衛生上の理由で食品を扱えるのは三年生だけだから」
「そう……」
「せっかくなのにごめんね」
「梓が悪いわけじゃないから……大丈夫」
「じゃあ、進めよう」
「他には……クラスアートなんて……どう?」
「クラスアート……?」
「教室を一つの世界って考えて、その世界を再現するの。私の中学校では毎年やってた」
「面白そう!」
ぼくの言葉が嬉しかったのか、美影の口元が綻んだ。
「ファンタジーっていうテーマなら、おとぎ話の世界を作ったり、絵本の世界を再現したりするの」
「ぼくとしてはこれが一番面白そうだと思うな」
「でも決めるのはみんなだから」
「わかってるけどさ、きっとこれやったら面白いって!」
「――じゃあ、候補はこれでいい?」
「ん~……そうだね。こんなものだね。あとは明日多数決をとって、それで決めよう」
「わかった。……すっかり暗くなっちゃったね」
「そうだね、早く帰らないと危ないよ」
「梓もね」
思い出したくないけども、思い出してしまった。そして、自然に気を張っていた。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
その後、ぼくらはいつものように帰って一日を終えた。明日から忙しくなるだろうなと思って早めに眠ることにした。




