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痴辱なる教団の黙示録  作者: 遣隋使
第一章 『賢聖都市』
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第一章3 『旅人/一抹の不安』

【旅人】


 人混みを避けながらしばらく歩くと、大通りから少し外れた場所に、目指す高級宿が佇んでいた。周囲の白大理石の建物に負けず劣らず、見事な造りで気後れしそうだ。


 アルクは恐る恐る重厚なガラス扉を押し開けて、フロントの女性従業員へと滞在券を差し出した。従業員は手際よくそれを魔導具の光に透かして確認すると、丁寧な所作で小さな真鍮の鍵を取り出した。



「確認いたしました。こちらは部屋の鍵となります」



「はいっす」



 無事に宿を取ることができ、アルクは安堵する。受付の左右から上へと伸びる階段の片方を登り、客室の並ぶ上の階へと向かった。


 ふかふかの絨毯が敷かれた長い廊下を進み、部屋の扉の前まで来たところで、鍵穴に真鍮の鍵を差し込んで静かに回す。カチャリと軽い音がして扉が開いた。



「うわ……広っ……」



 一人で泊まるには贅沢すぎるほどの空間だった。隅々まで掃除が行き届いた清潔な部屋には、大きな天蓋付きのベッドと、街並みを一望できる開放的なバルコニーがある。アルクは背負っていた多重梱包の直剣を壁際にそっと立てかけると、吸い込まれるようにふかふかのベッドへと倒れ込んだ。



「……最高。じいちゃんに無理やり来させられたときはどうなることかと思ったけど、このベッドだけで全部許せるわ……いや、流石にそれはないか」



 天井の美しい彫刻を眺めながら、アルクは深く、長くため息をつく。


 道中の山賊騒ぎや、入国時の兵士の視線、そして先ほどの神父の姿──色々なこ

とがあったが、今はとにかく、この贅沢な空間を独り占めして泥のように眠りたかった。アルクは寝返りを打ち、柔らかい枕に顔を埋める。


 本当にただそれだけの、静かで平穏な、入国初日の午後のひとときであった。


※


 ふかふかのベッドで泥のように眠り、目が覚めた頃には、窓の外にすっかり帳が下りていた。

 

 『神聖法皇都 フランルクス』の夜は、昼間とはまた違った幻想的な美しさを見せている。街路に設置された魔導具の灯りが白亜の街並みを淡く照らし、遠くそびえる大聖堂の尖塔が、夜空を背景に白く浮かび上がっていた。だが、その静寂と過剰なまでの清廉さは、どこか息苦しさを感じさせるものでもある。


 アルクは小さくあくびをしながらベッドから起き上がり、部屋の机に備え付けられていた羊皮紙と羽ペンを引き寄せた。



「着いたら手紙をよこすのじゃぞ、か。……まったく、人使いの荒いジジイめ」



 口では悪態をつきながらも、約束は約束だ。旅費も宿代も出してもらっている以上、流石に無視するわけにもいかない。アルクは羽ペンの先にインクを浸すと、さらさらと文字を書き連ね始めた。


じいちゃんへ


 そっちを出てから数ヶ月、何とか無事にフランルクスへ到着できた。


 送ってくれた滞在券の通り、本当にめちゃくちゃ豪華な宿に一銭も払わずに泊まれてる。部屋が広すぎて逆に落ち着かないくらいだ。ベッドが最高にふかふかで、これならいくらでも自堕落に過ごせそうだな。じいちゃんに無理やり来させられたときは最悪な気分だったけど、この圧倒的な寝心地の良さに免じて今回は許してやるよ。


 ただ、道中は本当に散々だったからな。じいちゃんが仕入れてくれたあの怪しい丸薬がなかったら、山賊に全部身ぐるみを剥がされてたところだ。ただ、爆発的に足が速くなったのはいいけど、急斜面でスピードが出すぎて大樹に激突しかけた。死ぬかと思ったもんマジで。もっと制御の効く安全なやつにしてもらいたかったよ。


 あと、入国のときに検問の兵士に変な顔をされた。じいちゃんのサインを見た途端、めちゃくちゃ不審そうに眉間に皺を寄せてたぞ。昔ちょっと行ったことがあるなんてレベルじゃないだろ。じいちゃん、あの国で一体何をやらかしたんだ? 後で絶対に問い詰めてやるからな。


 それと、俺が持たされた直剣だけど、兵士が「巨樹の紋様」とか言って驚いてた。曰く、特定の性質に高い特効性がある珍品らしい。子供の頃、実家の庭で玩具みたいにぶん回して素振りの道具にしてたのが申し訳なくなるような物だったぜ。知ってたのか?


 であと最後にこの国についてだが、街はとにかく白くて、綺麗すぎて目がチカチカする。でも売店で買った頭がシャキッとする飴玉は美味かった。宿に向かう途中で、めちゃくちゃ立ち姿の綺麗な、若い神父と肩がぶつかったんだけど、なんだか綺麗すぎて逆に不気味な感じの奴だった。


てなことで、とりあえず無事の報告はここまで。明日手紙を出しがてら、例の「招待状の主」とやらに会ってみるよ。じいちゃんの言う「やってもらわねばならんこと」についてはまだサッパリだから、さっさと話てもらおうか。じゃないと帰れない。土産物は気が向いたら探しておくよ。


アルクより


 書き終えた手紙をふっと息で乾かし、丁寧に折りたたむ。

 

 手紙を書きながら、昼間に出会ったあの神父の姿が、なぜか何度も脳裏をよぎった。誰もが羨むような、慈愛の塊のような男。しかし、あの手袋越しに触れ合った瞬間の、ほんのわずかな違和感──。



「……まあ、考えても始まらないか」



 アルクは手紙を机の端に置き、壁際に立てかけられた多重梱包の直剣をちらりと見た。

 

 明日は手紙を出した後に招待主の元を訪れるべきか、それとももう少しこの国の観光を楽しもうか。何にせよ、今夜はもう何も考えずに、この最高なベッドでもう一度眠るだけだった。


※



【一抹の不安】


 翌朝、窓から差し込む容赦のない純白の光によって、アルクは目を覚ました。



「ん……あー、よく寝た……」



 ベッドから起き上がり、大きく伸びをする。ホレスティアからの数ヶ月に及ぶ旅の疲れは、その見事なふかふかのマットレスによって完全に解消されていた。


 アルクは顔を洗って身支度を整えると、昨晩書き終えたじいちゃんへの手紙を懐にしまい、壁際に立てかけてあった多重梱包の直剣を再び腰へと下げる。


 真鍮の鍵をポケットに放り込み、部屋を後にした。受付の階段を軽快に下りてロビーを抜けると、外にはすでに、眩いばかりの陽光に照らされた白大理石の街並みが広がっている。



「さて、まずはじいちゃんへの手紙を出して……それから大聖堂に寄って、そんで招待主のところだな。そうしよう」



 宿の近くにあった郵便窓口で手紙の投函を無事に済ませたアルクは、そのまま街の中央へと歩みを進めた。目指すは、この国の中心にそびえ立つ大陸最大の聖堂

──『聖フランルクス大聖堂』だ。


 大通りへ出ると、朝の活気に包まれた法皇都の日常が広がっていた。だが、やはりホレスティアの田舎町とは何もかもが違う。


 道行く市民たちは、すれ違いざまに上品な挨拶を交わしている。軒先に並ぶ露店には、珍しい果物や魔法の道具が整然と並べられていた。物珍しい景色を眺めているだけでも、いくらでも時間を潰せそうだった。


 ふと視線をやると、風紀の取り締まりを行う下級法官が、空き缶を道端に放り投げていた若い男を鋭い声で注意していた。男は少しバツが悪そうに顔を赤くして謝っている。その様子を、人混みも足を止めて見守っていた。


(……うわぁ、おっかねぇ……)


 アルクは関わり合いにならないよう、無意識に背を伸ばし、すっと足早にその脇を通り過ぎた。


 少し歩くと、小さな広場に出た。中央の噴水では美しい水が跳ね、その周りで子供たちが遊んでいる。よく見ると、子供たちまでがお行儀よくおもちゃのチェスを囲んでいた。もちろん、普通に水遊びに興じているやんちゃな子供もいるが、街全体の調和は崩れていない。


 そんな風に、法皇都の景色を眺めながら歩くこと十数分。


 やがて建物の隙間から、天を突き刺すような純白の尖塔がその圧倒的な姿を現した。


 『聖フランルクス大聖堂』。


 近づくにつれ、そのスケールの大きさにアルクは思わず足を止め、見上げる。狂いなく施された緻密な聖彫刻の数々。大聖堂の周囲には、熱心に祈りを捧げる敬虔な信徒たちや、一分の隙もなく衣服を正した美しい騎士候補生たちが溢れていた。


(すげーな……。ルーミナスが滅びた教訓でこれを作ったって言うんだから、この国の人たちの執念ってのは大したもんだよ)


 アルクはそんな感想を抱きながら、大聖堂の巨大な大理石の門をくぐろうとした。


 ──その時だった。


 大聖堂の中からぞろぞろと出てくる、白衣を纏った若い騎士候補生たちの集団とすれ違う。彼らは誰もが頬を紅潮させ、どこか、うっとりとした熱っぽい瞳で身を寄せ合ってひそひそと話していた。



「……今日の教官の講義も、本当に素晴らしかったですね」



「ああ、僕たちの未熟な心をすべて見透かした上で、あんなに優しく包み込んでくださるなんて……。もっと教官に相応しい、立派な戦士にならなくちゃ……」



 その会話が耳に飛び込んできた瞬間、アルクの足が奇妙な重さに捉えられた。


 彼らの間からふわりと漂ってきたのは、大聖堂の厳格な薫香の匂い──だけではない。その奥に、昨日あの神父とすれ違ったときと同じ、甘く、ねっとりと濁った

『何か』が混ざっている。


(……あの教官って、もしかして、昨日すれ違ったあの神父か?)


 少年たちの顔は一見、向上心に燃える清らかなものに見える。だがアルクの目には、彼らの自立心や防衛本能が、圧倒的な「包容力」という名の毒によって静かに蝕まれているように見えてならなかった。



「……あの神父、やっぱり何かがおかしいよな」



 アルクは無意識に、多重梱包された腰の直剣の柄に手を当てた。


 大聖堂の最深部、この国の絶対防御の核へと続く場所のすぐ近くで、確実に何かが起きている。その底知れない不気味さに背筋を冷たいものが走るのを感じながらも、アルクは謎を確かめるべく、大聖堂へと足を踏み入れるのだった。

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