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痴辱なる教団の黙示録  作者: 遣隋使
第二章 『醜悪的汚染者』
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第二章 裏幕⚀

美徳の過剰摂取(オーバーフロー)とかいうふざけた名前を命名したのはムツリヌスです★。

 神聖法皇都フランルクスに、静けさと狂気が同居する夜が訪れようとしていた。


 白亜の街並みを茜色に染めていた夕日がおだやかに沈むと、都市を覆う幾重もの街路灯が一斉に淡い青白い光を放ち始める。その完璧な規則性に基づいた明かりの配置は、都市そのものが一つの巨大な精密機械であることを物語っていた。


 その白亜の都の北西区画、鬱蒼とした古代樹の森に囲まれた巨大な要塞──『聖フランルクス高潔騎士学院』。


 明日からの『特別高潔練成期間』の開始を目前に控え、本来であれば静まり返っているはずの夜の校舎には、不気味なほど研ぎ澄まされた緊張感が充満していた。


 敷地の中央に聳え立つ、第一行政事務棟。


 その最上階、重厚なオーク材の扉で閉ざされた『特級教官室』の内部は、甘やかで濃密な薔薇の香気に満たされていた。


 室内を照らすのは、壁際に配された数個の魔導ランタンの光のみ。


 部屋の奥、豪華な装飾が施された執務机の前に、一人の青年が静かに佇んでいた。


 一筋のシワすら存在しない純白と深紅の特級教官服。胸元には、昨日失われたはずの薔薇のロザリオに代わり、新調された深紅のロザリオが怪しい輝きを放っている。


──『薔愛』のマジエル。


 彼は白革の手袋を嵌めた細い指先で、机の上に並べられた何十枚もの『明日付けの編入生名簿』を、愛おしそうに一枚一枚めくっていた。首元に刻まれた生々しい火傷の痕は、高めに立てられた教官服の襟によって完璧に覆い隠されている。



「……ふふ、実に素晴らしい。今年も全国の管区から、これほどまでに『高潔な』少年兵たちが集まってくれるとはね……」



 マジエルは心底満足そうに目を細め、琥珀色の瞳を怪しく明滅させた。


 名簿に記載されているのは、各地の騎士団や名門貴族家から「神童」「期待の新生」と持て駄書された若者たちの記録だ。彼らの生い立ち、剣の流派、そして何より『品性評価値』が、完璧な数値として整然と刻み込まれている。



「過酷な規律に縛られ、大人の期待に応えようと必死に背伸びをし、自分のわずかな不純さに怯える健気な少年たち……。ああ、愛おしい。愛おしくてたまらないよ……。彼らがどれほど『自分の無力さ』に傷つき、涙を流すか……今から楽しみで仕方ががないね」



 マジエルは細い指先で、名簿の一角──とある少年の顔写真の頬を、まるで本人の肌に触れるかのように優しくなで下ろした。



「大丈夫だよ、私の可愛い生徒たち。このフランルクスの過剰な規律によって、君たちの心がポッキリと折れてしまったとしても……私がすべてを包み込んであげよう。君たちの誇りも、プライドも、去勢された健気な心も……私の『薔愛』の中で、永遠に甘く溶かしてあげるからね……」



 ねっとりとした、うっとりするような呟き。


 それこそが、彼が掲げる最高至上の美学──「未成熟な少年のプライドと健気さの完全な去勢」。


 マジエルは、新法によって極限まで高められた学院の同調圧力と規律の重圧を利用し、生徒たちの精神を意図的にへし折ってきた。そして、傷ついた彼らに「甘やかし」という名の毒を投与し、自分なしでは生きていけない完全な盲信者へと作り替えてきたのだ。


 その時だった。


 教官室の重厚なオーク材の扉が、ノックの音すらなく、ぎりりと耳障りな音を立てて押し開けられた。



「──相変わらず、薄気味の悪い独り言を垂れ流してるな、マジエル」



 冷え切った厳格な声とともに、部屋の暗がりから姿を現したのは、身に合わないほどダボついた黒い魔導試作衣を纏った小さな体躯の男──いや、その幼い外見からは信じられないほどの凶悪な圧力を放つ怪人。


──『矮殖』の罪媒介者、ロリアール・フレデモム。


 ロリアールは小さな手をポケットに突っこんだまま、侮蔑の色を隠さない冷徹な瞳でマジエルをねめつけた。



「夜更けに勝手に人の部屋へ踏み込んでくるとは、相変わらず無礼な男だね、ロリアール。私には私なりの聖務と、優雅な準備の時間があるのだがね」



 マジエルは琥珀色の瞳をわずかに細め、ねっとりとした微笑みの裏に敵意を滲ませた。


 教団の幹部として行動を共にしてはいるものの、この二人の仲が決して良好ではないことは、組織内でも周知の事実だった。互いが抱く「性癖」と「美学」の方向性は決定的に異なっており、隙あらばそれを相手に押し付け合い、主導権を握ろうと牽制し合うのが常なのだ。



「聖務だと? 貴様がやっているのは、ただ萎縮した青二才どもをなぶって、自分の歪んだ独占欲を満たしているだけの矮小な気休めだろうが。そんなまどろっこしい真似をしているから、昨日の大聖堂地下であんな無様な失態を晒すことになるんだよ」



 ロリアールは忌々しそうに鼻を鳴らし、マジエルの首元──教官服の襟元で隠された火傷の痕をあてつけるようにじっと見据えた。



「ムツリヌスのノートを燃やされ、自分の身代わりたるロザリオを木っ端微塵に砕かれた気分はどうだ? 脳筋の騎士団長一人にそこまで追い詰められるとは、口ばかりが達者な無能の証明だな」



「……言葉を慎みなさい、ロリアール。昨日の件は、あくまで私の計算の枠外からあの男が乱入してきたイレギュラーに過ぎない。新法による『美徳の過剰摂取』のシステムそのものは、すでに正常に稼働している」



 マジエルは微笑みを維持しようとしたが、頬の筋肉がピキリと痙攣した。ロリアールの侮蔑的な物言いは、彼のプライドを確実に逆なでしていた。



「正常だと? 笑わせるな。貴様がのろのろと手懐けている間に、マールスは裏で確実に反撃の芽を育てている。昨日手に入れたあの『アルク・メルクリウス』というイレギュラーの存在こそが、我が計画の最大の障壁になり得るというのに、貴様はまだそんなお花畑の妄想に浸っているつもりか」



 ロリアールはポケットから小さな魔導映像を放り投げた。


 そこに映し出されたのは、明日付けの特待編入生名簿の最後に記された『ホレスティア辺境管区出身・特待編入生アルク』の書類だった。



「……あの少年が、システム外のバグであることは私も認めている。だがね、ロリアール。貴様のやり方──ただ幼い者を囲い込み、強引に未発達な本能を歪めて屈服させるだけの野蛮な手法では、あのような野生のイレギュラーの心まで完全には絡め取れまいよ」



「あぁ? 私の手法が野蛮だと? 貴様ァ!」



 ロリアールは低く唸るような声を上げ、その幼い顔立ちを凄まじい歪みへと変貌させた。彼の全身から、見る者の脳髄を物理的に圧迫するようなドロドロとした狂気の魔力が漏れ出し、教官室の空気を激しく揺るがす。



「大人のプライドだの規律だの、そんな面倒くさい殻を被った生意気な男ガキを捏ねくり回して悦に浸っている貴様と一緒にするな! 無垢で、まだ何も知らん幼子だけが持つ『完璧な可憐さ』を解さぬ貴様こそ、この上なく不躾で!目障りなんだよ!」



 幼少の対象にのみ執着し、その無力さと従属に異常な快楽を見出すロリアールにとって、マジエルの誇り高き少年兵のプライドを挫く過程を尊ぶ嗜好は、理解しがたい蛇足でしかなかった。



「……相変わらず、救いがたいほど下劣で余裕のない思考だね、ロリアール。人間の尊厳やプライドが絶望に染まっていくその『過程の機微』すら理解できないから、貴様はいつまで経っても矮小な執着の域を出ないのだよ」



「黙れ! 貴様のその、ねっとりした回りくどい変態趣味を押し付けるな! 私の『矮殖』の権能の前では、どんなに気高い者だろうが、すべて等しく私の愛でる無力な玩具へ変えてやれるのだからな!」



 ロリアールは一歩、マジエルの執務机へと詰め寄った。その瞳は肉眼の限界まで見開き、血管が異様なまでに浮き上がっている。



「くだらないプライドなど、私の領域で影も残さず溶かしてやる。貴様のその醜い教官服も、私の美学の邪魔をするなら一緒に赤子同然にしてやってもいいんだぞ!」



「おや、それは恐ろしい。だが、余計なお世話だよ。明日から始まるのは、私の可愛い生徒たちが、私の包容力の中で完全に美しく去勢されていく最高の演劇なのだからね。貴様はせいぜい、己の矮小な箱庭で幼子でも弄んでいればいい」



 一歩も譲らない二人の視線が空中で激突し、バチバチと火花を散らす。


 互いの歪んだ欲望と美学を呪い合いながらも、フランルクスを崩壊させるという狂気の目的に向けて、最悪たる怪人たちの夜は、さらなる深みへと沈んでいくのだった。



※



 同時刻。


 騎士学院の男子生徒寮・第3舎の一室。


 明日からの編入生を迎え入れるために整頓されたその部屋で、一人の少年が静かに夜空を見上げていた。


 ピシリと一筋のシワもなく整えられたベッド。机の上には、定規で測ったかのように寸分の狂いもなく並べられた教科書と、磨き上げられた短剣。


 少年の名は、クロード・アストレイ。


 高潔騎士学院の2年生であり、明日から編入してくる『アルク』の相部屋となる人物であった。


 クロードは自分の制服の胸元──そこにつけられた『特級風紀委員』の銀色のバッジを、愛おしそうに、頼りにするように何度も撫でていた。



「……明日は、ホレスティアの辺境から『特待生』が来る……」



 アメジストのように深く澄んだ紫の瞳には、過剰な品性と規律によって強固に塗り固められた、狂信的な光が宿っていた。



「辺境の不届き者が、我が聖フランルクスの品性を汚すことなど絶対に許さない。……もし彼が少しでも規律を乱すようであれば、僕が……僕たち風紀委員会が、完璧な『指導』をして正してあげなければ……。それが、僕たちを温かく包み込んでくださる……マジエル教官への恩返しなのだから……」



 少年の呟きは、あまりにも清らかで、そしてあまりにも狂気に満ちていた。


 マジエルが与えた「包容力」という名の毒は、すでに生徒たちの血肉となり、彼らを自発的な「監視者」へと作り替えていたのだ。


 明日、この狂気の檻へと足を踏み入れる、一人の少年。


 二人の怪物による歪んだ欲望の押し付け合いと、高潔な生徒たちの狂気が交錯する『潜入劇』の幕が上がるまで、あと数時間──。


 白亜の都の夜は、どこまでも冷たく、静かに更けていくのだった。

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