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痴辱なる教団の黙示録  作者: 遣隋使
第二章 『醜悪的汚染者』
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第二章2『潜入記録Ⅰ』

 神聖法皇都フランルクスの天頂に位置する大聖堂から、正午の訪れを告げる重厚な鐘の音が響き渡る。その深遠な響きは白亜の街並みを波紋のように駆け抜け、都市外縁を遮断する古代樹の森の奥深くまで溶けていった。

『聖フランルクス高潔騎士学院』──。


 都市の北西区画を丸ごと占有するその巨大な要塞は、そびえ立つ外壁から防衛塔の頂に至るまで、太陽の光を反射する純白の大理石によって隙間なく建造されていた。都市の絶対防御結界と直結した高圧の魔術障壁が空間を歪ませ、上空を通過する鳥影すら寄せ付けない。


 その威容を誇る外門の前には、本日より始まる『特別高潔練成期間』に合わせて全国の管区から選抜された若き編入生たちが、寸分の狂いもない二列の縦隊をなして整列していた。


 彼らが纏うのは、黄金の刺繍が施された各地方騎士団の正規制服。一ミリのシワも許さぬよう入念にアイロンがかけられた布地、太陽光を受けて眩しく輝く真鍮のボタン、そして寸分違わぬ三尺刻みの歩幅。誰もが緊張と誇りに胸を張り、視線は垂直に前方十五度上方を凝視している。その規則正しい行進と統制された静寂は、ここが単なる最高学府ではなく、都市の強迫的な倫理観を肉体化するための「完璧な檻」であることを無言のうちに証明していた。


 だが──その幾重にも整えられた高潔な隊列の、文字通り一番最後尾において、あからさまな不協和音を奏でる男が一人だけ存在していた。



「……ふわぁぁあ……。日差しが強すぎて目がチカチカするな。朝から歩かされた上に、なんでこんな炎天下で整列させられてんだよマジで……。一刻も早く、あの宿のふかふかベッドに潜り込みたいところだが、あーと……」



 無造作に伸びた黒髪をガシガシと雑に掻き回しながら、深々と欠伸を漏らす少年──アルク・メルクリウス。


 彼が纏っているのは、昨夜からの旅人用のくたびれたダブレットだった。胸元のボタンは二つほど緩められて肌が覗き、腰紐はだらりと解けかけている。さらにその腰元には、昨夜大聖堂の地下禁書庫でムツリヌスの不落の結界を破り、重厚な多重梱包が剥ぎ取られたままの黒鉄色の直剣が、無骨な鉄塊のように無造作に吊り下げられていた。


 そのだらしのない佇まいと、周囲の緊張感を根本から踏みにじる立ち振る舞いに対し、前方に並ぶ編入生たちから刺すような視線が一斉に浴びせられる。



「……見たか、一番後ろのあの男。服のボタンが外れているぞ……」



「腰の剣を見ろよ。研磨すらされていないただの鉄の棒じゃないか。あんな汚雑な物を腰に下げて聖都の門を潜るなど、正気か?」



「聞こえたぞ、ホレスティアの野蛮な山奥から来た特待生らしい……。マールス将軍閣下の特別推薦だか何だか知らんが、我が校の高潔な品性を汚さなければいいがね……」



 ひそひそと交わされる、軽蔑と冷酷な排斥の感情に満ちた囁き声。周囲の空気は目に見えて冷え込み、アルクを「不浄の不純物」として集団から切り離そうとする同調圧力の波が視線となって突き刺さる。


 だが、当のアルクは眉一つ動かさず、背筋を伸ばす素振りすら見せない。昨夜、クレアナから散々叩き込まれた「社会の常識も品性の呪縛も『だから何?』の一言で鼻で笑い飛ばせ」という極意を、早くも全身で体現していた。


(あーあ、刺さる刺さる。刺さるほどの視線ってのはこういうのを言うんだなぁ。まあ、クレアナのやつが事務棟でうまく立ち回れてんなら、俺がどれだけ浮いてようが知ったこっちゃねえけど)


 やがて、重厚な白銀の外門が地響きを立てて開放され、生徒たちは整然とした足取りで敷地内へと足を踏み入れた。



※



 敷地の中央に鎮座する第一行政事務棟。


 その内部は、天井まで吹き抜けになった白大理石の巨大な空間──「第一照合室」であった。


 壁面には歴代の偉大な騎士たちの肖像画が整然と掲げられ、天井の魔導結晶からは、一分の陰りも許さない透き通った白い光が降り注いでいる。室内には私語どころか、靴底が床を打つ音すら憚られるほどの重苦しい沈黙が満ちていた。


 部屋の奥、一段高く作られた長机には、純白と黄金の法官服を完璧に着こなした三人の「照合官」が並んで着席していた。彼らは卓上の魔導通信器と手元の羊皮紙を交互に睨みつけ、編入生一人ひとりの身元、過去の言動記録、そして『品性評価値』を眉間にシワを寄せて照合している。



「──次。ホレスティア辺境管区出身、特待編入生アルク!」



 朗々とした、しかし一切の温度を含まない声が響く。



「へいへい……」



 だるそうに返事をしながら、アルクは両手をポケットに突っこんだまま前へと歩み出た。歩幅はバラバラ、腰の直剣は歩くたびに金属音をガシャガシャと鳴らしている。


 中央に座る年配の筆頭照合官が、眼鏡の奥の鋭い眼光をギロリと光らせ、アルクのダブレットの胸元と、腰の直剣を不快そうに見つめた。



「止まれ、不届き者。……法皇都の最高学府、聖フランルクス高潔騎士学院の照合室に足を踏み入れるにあたり、その散漫な姿勢、緩んだ衣服、そして手入れすらなされていない粗雑な武具……。我が校の品性基準において、貴様の佇まいは明確に『不純』である。法官記録に記された『素朴な忠誠心』という評価すら疑わしく思えるぞ」



 氷のような怒りを孕んだ詰問。周囲の照合を待つ生徒たちが、まるで大罪人の処刑でも見るかのように息を呑むのが空気伝いに分かった。


 だが、アルクは困ったように片眉を上げると、気のない声で短く応じた。



「はぁ。辺境の山奥育ちなもんでね。胸元がパツパツに詰まってると、どうにも風通しが悪くて体が重くなるんすよ。剣も削り直すより、このまま引っ叩いた方が強いんで」



 一切の敬意も、恐縮の色すら感じさせない平然とした回答。


 照合官の額に青筋がピキリと浮かび上がる。だが、彼が叱責の言葉を叩きつけようと口を開かけたその瞬間、卓上の魔導端末が静かに淡い青光を放ち、一通の優先特筆メモを画面上に浮かび上がらせた。

そこには、教務の臨時補助員として先行して事務棟に入ったクレアナが、巧みに手配しておいた根回しデータが記載されていた。



『──対象者アルク・メルクリウス。ホレスティアの過酷な山林地帯において野生の獣や魔物相手の警備に明け暮れてきた経緯あり。言辞は極めて荒削りかつ教理の知識に乏しいが、その身に宿る素朴な忠誠心と戦闘の実効性はマールス・グラディウス将軍の直接の保証するところである。粗野な振る舞いは教化の余地ありとして容認されたし──』



「……チッ」



 筆頭照合官は苦々しい顔で舌打ちを漏らすと、手元の羊皮紙に「通過」を示す重厚な朱印を力任せに叩きつけた。



「……マールス将軍閣下の直筆推薦状、および内務省の公式刻印に偽りなし。身元照会は通過とする。だが勘違いするなよ、少年。この学院において、その粗野な野生が許されるのは最初の数日だけだ」



 照合官は冷酷な手つきで、部屋の鍵と刻印された金属プレートをアルクへと放り投げた。



「これより貴様を男子生徒寮・第3舎104号室へ配置する。なお、貴様の相部屋となるクロード・アストレイ生徒は、当校が誇る特級風紀委員であり、最高級の品性を体現する模範生だ。彼の完璧な指導に従い、一刻も早くその無教養な態度を改めよ。行きなさい」



「はいはい。お世話になりますよ」



 受け取ったプレートを指先で弄びながら、アルクは振り返ることもなく照合室を後にした。



※



 敷地の西側に広がる巨大な寄宿舎群。その一角に佇む『男子生徒寮・第3舎』は、まるで修道院を思わせる静謐な石造りの3階建てであった。


 整然と磨き上げられた廊下を歩き、アルクは「104」と真鍮の数字が刻まれた重厚な木製ドアの前に立った。鍵を差し込み、静かに扉を押し開ける。


 室内へと足を踏み入れた瞬間、アルクは思わず鼻を鳴らした。


(うわ……なんだこの部屋。息が詰まるほど整いすぎてて気味が悪いな……)


 広々とした室内の中央には、二つのベッドと勉強机、そしてクローゼットが左右対称に配置されていた。


 だが、右側のスペースの整頓具合は常軌を逸していた。ベッドカバーは一ミリの弛みもなくピンと張られ、掛け布団の折り目は幾何学的な正確さで折られている。机の上には、定規で測ったかのように正確な直角で教科書が並べられ、その脇には一滴の汚れもなく磨き上げられた短剣が、寸分の狂いもなく置かれていた。


 そして──その完璧な空間の真ん中に、一人の少年が背筋を定規のように伸ばして立っていた。


 完璧に仕立てられた紺色の制服。胸元には、銀色の鋭い鷲を象った『特級風紀委員』のバッジが、鈍い光を放っている。


 少年の名は、クロード・アストレイ。


 短く整えられた髪の陰から覗く彼の瞳は、アメジストのように深く澄んだ綺麗な紫色をしていた。だが、その瞳の奥には、優しさや温もりといった感情の類は一切存在せず、ただ過剰な規律と教理によって固められた、透き通るような狂信の光だけが宿っていた。



「……君が、本日ホレスティアの管区より編入してきたアルク・メルクリウスか」



 クロードの静かな声が部屋の空気を振動させる。その声音には一切の抑揚がなく、まるで精巧に作られた魔導人形が記憶された音節を再生しているかのようだった。



「ああ。今日から世話になるわ、クロード。よろしく頼む」



 アルクは適当に返事をしながら、室内へドカドカと踏み込み、左側のベッドへと自分の荷物を放り投げようとした。


──その刹那。



「……静止しろ」



 クロードの声が一瞬で冷徹な刃へと変貌し、部屋の空気が凍りついた。


 クロードの手が素早く動き、自身の胸元のバッジの上へと添えられる。彼のアメジストの瞳が、狂気的なまでの鋭さでアルクの足元を射抜いていた。



「室内に立ち入る際の歩幅が三尺を超えている。ドアの開閉における角度の儀礼が欠落し、あまつさえ、挨拶の際に腰の武具への敬意も示していない。……アルク・メルクリウス、君のそのすべての所作は、我が聖フランルクス高潔騎士学院の規律において、明確な『品性欠如』および『不届きな不純行為』に該当する」



 クロードの一歩が踏み出される。その足取りには一分の乱れもなく、完璧な圧力を伴ってアルクへと詰め寄ってくる。



「この104号室は、マジエル教官の慈愛と高潔なる意思のもとで生徒が身を清めるための聖域だ。君のような粗野で不浄な振る舞いを、僕が……風紀委員会が許すことはない。……直ちに荷物を拾い上げ、入り口まで引き返し、正しい礼法をもってやり直すがいい」



 部屋の中に満ちていく、息を詰まらせるような圧倒的な同調圧力。


 過剰な規律を強迫的に守ることでしか己の価値を証明できない、マジエルの「包容力」という毒に侵された少年の、痛々しくも狂気的な正義感がアルクへと覆いかぶさる。普通の編入生であれば、その威圧感と排斥の視線に呑まれ、青ざめて謝罪を口にするところだろう。


だが──。


 アルクは投げ出しかけた荷物からゆっくりと手を放すと、くるりと振り返り、アメジストの瞳をカッと見開くクロードの顔を心底不思議そうに見つめた。


 そして、自分の後頭部をガシガシと痛そうなほど強く掻き回すと、心底面倒くさそうに、心底気のないため息を「はぁぁぁ……」と長く吐き出した。



「なぁ、クロード」



「……何だ。反省と謝罪の言辞ならば、膝を折り、視線を十五度下げて述べなさい」



「俺さ、朝からずっと歩かされて、変なおっさんたちにジロジロ見られて、めちゃくちゃ疲れてんだわ」



 アルクは靴を脱ぐのももどかしいと言わんばかりに、そのまま左側のベッドへドサリと横横になり、ふかふかな枕に顔を埋めた。



「だから悪いんだけど、お前のお話は明日して今はとりあえず寝ていいか?」



「────────は?」



 完璧な規律に対する、あまりにも完璧な拒絶。


 特級風紀委員として、完璧な品性の体現者として生きてきたクロード・アストレイのアメジスト色の瞳が、人生で初めて「理解不能な異物」に遭遇したかのように、大きく、激しく揺れ動いていた──。

元々テキトーな性格のアルクでございますが、今回はむしろふざけてなんぼの舞台であります故、これから一層気合いを入れてふざけて行くことになるでしょう。無論、学院側がこれを見逃すかどうかといえばそれはまた話が変わりますが。

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