第六話 雪の中で、君を失う。
次の日、僕たちはお土産を買いに街に出た。
「ねえ、これ見て!可愛くない?」
「いいね。可愛い」
昨日見に行った白い花の、小さいキーリング。未央はそれを手のひらにそっと置き、大事そうに見つめた。
「気に入った。これ買おう、お揃いで」
「お揃い?いやいいよ俺は」
「やだ、お揃いがいい」
頬を膨らませて未央がごねると俺たちの会話が他のお客さんに聞こえたのか、後ろからくすくすと笑い声がした。俺は途端に恥ずかしくなり、勢いよくキーリングを手に取った。
「わかったよ、一緒に買うから」
未央の持つキーリングも奪い取り、足早にレジに向かう。
「あっ、お金は僕が出すよ」
「いいよ、俺がプレゼントする」
二つの白い花が小さな袋に包装される。商品を受け取って、未央に渡した。
「ん」
「ありがとう。一生大事にする」
「大げさすぎ」
手にした白い花を大切そうに見つめる彼は、少年のようなきらきらしていた。
こんな小さなことで、世界でいちばん幸せみたいな顔をするから、愛おしくてたまらない。
自分用のチャームを袋から取り出す。俺らしくない花の白い花のチャームをどこにつけようか。考えた挙句、一旦ポケットに仕舞った。
旅館に戻ってきて、ふとコーヒー牛乳が飲みたくなった。
「俺、近くのコンビニ行ってくるけど、何かいる?」
「あー、水買ってきてほしい」
「分かった。行ってくる。未央はゆっくり休んでて」
そう言って再び旅館を出る。秋の空気を纏った空は、青いのに白い靄がかかり、冷たい風が吹いていた。
さっき通ってきた道をゆっくり歩きながら、旅行中の思い出を振り返る。花畑で二人だけの時間を過ごしたり、お土産屋さんでおそろいのものを買ったり。いつの記憶にも、未央の屈託のない笑顔が思い出される。
黒髪を揺らして、けたけたと笑う未央。本当に楽しそうで、俺を含めた周りの人を明るく照らすパワーがある。
そんな未央が今は俺だけのもので、もちろん未央は誰のものでもないけれど、帰したくない。
「……帰りたくないな」
よし今日は未央の分のコーヒー牛乳も買っていって、帰ったら一緒に飲もう。そう決めて前を向いた瞬間、俺の足が止まった。
「っ……!!」
頭の奥で耳鳴りがする。キーンとうるさい不快な音に思わず顔をしかめた。
次の瞬間、考える間もなく見えない何かに引っ張られるように足がコンビニへ向かう道から逸れた。まるで道を全部知っているみたいに次々と住宅街の間へと進んでいく。角を曲がって、T字路も迷うことなく右を選んだ。
なんだこれ。今世で経験したことのない潜在的な何かが濁流と化して頭の中を駆け巡る。
その濁流に流され、俺はなぜか走り出していた。
来たことがないはずの目的地に、地図無しで向かう。
「はぁっ、はっ」
コンビニはとうに遠ざかった。それなのに俺の足は止まらない。
街が走馬灯のように流れてゆく。その景色はいつの間にか、存在し得ない記憶と繋がった。
『帰ってきたらコーヒー牛乳一緒に飲も』
そう言って、微笑む女の子の声がした。
この街に抱いていた懐かしさや心惹かれる気持ちが、一本の線で繋がった気がした。
全部、全部。
俺がこの世に生まれた時から___いや、その前から、もう始まっていたのかもしれない。
何のために走っているのかも分からないのに、体だけが覚えている。理由なんてなくても、意識の根底に秘めていた記憶が俺を突き動かしていた。
「っ、あぁ……」
ある交差点で足が止まった、その瞬間、鮮明な映像が脳裏に蘇った。
真っ白な世界に浮かぶ、赤、赤、鮮血。
担架で運ばれていく、ひとりの女の子。
整っていたはずの顔立ちは、原型を留めないほどに崩れていて。
その子は脱力したまま、二度と動かなかった。
『みよっ、、みよぉっ!!!!!』
寒くて冷たい、雪の日だった。
すべてを理解し終えたとき、耐えきれなくなって膝から崩れ落ちる。
コンクリートに、涙の染みが広がった。
静かな交差点で、ひとり。
80年ぶりに思い出した悲しみに、声も抑えずに泣いた。
あの時の取り返しのつかない後悔が、容赦なく俺を襲う。
__みよ。
俺の、愛する人。
『……ずっと片想いでさ、相手は僕のことなんか忘れてるのに』
『…今じゃなくていい。いつか、思い出してほしい』
未央。未央は、みよの生まれ変わりだったんだな。
未央は、俺を覚えていてくれた。今世でも俺を探してくれていた。
だから初めて出会った時、あんなに泣いてたんだ。
未央の今までの行動がすべて結びついていく。
俺をどう想い、どう支えてくれていたのか。
その反面、俺の前世の記憶がなかったせいで、どれだけ辛い思いをさせていたのか。
「未央……っ」
会いたい、今すぐ。
「みよ、みよっ……」
スマホを取り出して、通話ボタンを押す。震える手で耳にスマホを押し付けると、電子音3回の後に繋がった。
”リオン? どうしたの?”
「早く来て……会いたい」
”泣いてる…?え、何があったの? 今どこ?”
「みよ……っ」
早く、この気持ちを伝えたい。
そして__今まで何もわかってあげられなかった懺悔も、ぜんぶ。
抱えきれない思いをひとり抱えながら、ただひたすら、未央の名前を呼び続けた。
「リオン!」
未央が、携帯を片手に向こうから走ってくる。彼を見つけた瞬間、俺は駆け寄って抱き締めた。
彼は俺の急な行動に驚いたのか、体を硬直させ困惑した。
「っ、 どうしたの……」
「未央、俺だよ。レオだよ……覚えてる?」
「れ、お……? 」
腕の中の彼はきょとんとし、無垢な表情を浮かべて俺をまっすぐ見つめた。まるで、知らない人を見るような目で。
「80年前の、みよの恋人だ」
「80年前……」
復唱しながら、未央はこめかみを押さえた。何かを探すように、目は必死に彷徨っている。
そして次の瞬間、はっとした表情になった。
「……そんなこと、書いてあったかも」
1年前の、ある朝。
僕はいつも通り目を覚ました。
ただひとつ、いつもと違ったのは、テーブルの上に走り書きのメモが置かれていたこと。
「80年前、君を好きになった……?」
そんな言葉から始まる、不可解な手紙だった。
“前は80年前の記憶を持っていることが辛かった。
でももう、明日にもこの記憶を全て無くすと思うと怖くてたまらない。
今は、もう名前も顔も分からない君を、好きだということだけが心に残っている。
この涙が乾いて、君を忘れても、永遠に君を愛していると、ここに誓う。”
メモには、濡れた跡が残っていた。同時に、自分の目がひどく腫れぼったいことにも気づく。
「……でも昨日、こんなの書いたっけ?」
深夜テンションで、変なことを書いたんだろうか。それで自作の物語に感情移入して泣いた……?
いくらなんでも、感傷的すぎないか。
そう思ったのに。
このメモを読むだけで、異常なほど胸がきゅっと締めつけられた。
捨ててはいけない気がして、思い出すまで冷蔵庫にマグネットで貼っておくことにした。
それくらいの頃からだ。
雪が降ると胸がざわつき、コーヒー牛乳を見ると必ず彼に会いたくなった。
コーヒー牛乳を買って、彼といっしょに飲むその時間が前よりも愛おしかった。
__リオンに、恋をした。
今だってそうだ。
こうして抱きしめられているだけで、心臓がうるさい。彼は本気で泣いて、僕と向き合っているというのに。
互いの熱を交換できるほど、近くにいるのが愛おしくて場にそぐわずときめいてしまう。
80年前、何があったんだろう。そんな昔、生きているはずがないのに。
リオンは、何を見て、何を失って、そんな目で僕を見るんだろう。
彼の潤んだ瞳が問いかけてくる。
__未央も、覚えているだろう、と。
「なんで……思い出せないの……」
どれだけ記憶を辿っても、80年前の記憶など思い出せるはずがない。
しかし僕が思い出せないと分かったら、リオンは離れてしまうだろうか。
抱きしめる腕を、ほどいてしまうだろうか。
「それってきっと、僕にとっても大切な記憶なんだよね……?だって、理由も分からないのに苦しいもん……思い出したいのに……なんで……っ、ぼくの、ばか……」
暗いところへ、沈んでいく。
思い出せないことが怖くて、目の前のリオンに、必死にしがみついた。
苦しい。どうして、自分のことなのに分からないんだろう。
リオンが思い出したことを、僕も同じように抱えていたかったのに。
「……未央は、きっと俺よりもこの記憶を長く持ってた。ずっと、俺を待っててくれてたんだ」
静かな声だった。リオンが今なにを考えているのか、全く理解できなかった。
「だから……もう忘れてても、仕方ない。辛いなら、無理に思い出さなくていい」
その言葉を聞いて、彼の肩に顔を埋めた。ウッディな香りが僕の胸を締め付ける。
「未央、」
名を呼ばれて、ゆっくり体を離す。潤んだ彼の瞳が僕を貫いた。
「もう、前世を忘れていい」
リオンの大きな手のひらが、僕の頬を包む。同時に、僕の左目から一粒の雫が落ちた。
その温もりを最後に、僕の意識は途切れた。
夢を見た。
吹雪でホワイトアウトした視界の中に、誰かの影が映る。
それが誰なのかはわからない。
声を出そうとしても出ない。
でもその人を見失ってしまってはいけない気がして、必死に手を伸ばした。
まって。いかないで。
僕を、置いていかないで。
声にならない言葉は届くはずもなく、その人は吹雪の向こうに消えてしまった。
「────おう、未央」
体が揺れる。ゆっくりと意識が浮上していくと、目の前にリオンの顔があった。
辺りを見渡すと、そこは外でも道端でもなく、僕たちが滞在している旅館の部屋だった。いつのまにかリオンの腕の中から、布団に移動して寝かされていたようだ。
「あれ、僕……」
「外で急に倒れたからびっくりしたけど、寝息立ててたからここまで運んできた。疲れたんでしょ。もう今日はどこも行かずに、部屋でゆっくりしよう。」
リオンは立ち上がって僕のそばを離れた。慌てて呼び止めようとするも、寝起きでうまく声が出ず、声にならない息を喉の奥に飲み込んだ。
「はい、水、」
「ありがと」
リオンの手からペットボトルを受け取る。しかし、ペットボトルが僕の手に渡っても、彼の手は宙に浮いていた。
「ん?どうかした?」
「あ、いや……なんでもない」
「ほんとに?」
部屋に沈黙が流れる。この旅行でこんなにもふたりが静かになるのは初めてだ。
気づけばリオンは、窓際の椅子に浅く腰掛け、何か考え事をしていた。
少し陰った曇り空を見上げて、彼はそこにどんなものを描いているのか。
きっと、さっきあの交差点で泣き崩れていた、前世にまつわることだろう。
僕にもあるはずの、前世の記憶。
思い出せないその記憶は、リオンの苦しそうな表情を見ても想像すらできなかった。




