第二話 再会した君は、君ではなかった。
私の意識がその男の子の身体に入った直後から、女だった頃の感覚は少しずつ薄れていった。
今では、自分が男であるという事実に、ほとんど違和感はない。
まるで前からこの身体を知っていたみたいに、自然に扱うことができた。
男の子になっても、顔のパーツは昔の私と全く変わらず、みよがそのまま男の子の身体になった__そんな感覚。
生まれ変わった直後に目にしたカレンダーは、2006年。
死んでから、もう50年も経っていた。
前世の恋人レオも、どこかで生まれ変わっているのだろうか。
それともまだこの世界で、老人になった彼が生きているのだろうか。
彼のことを気にかけつつ、見つける宛てもなく平凡な子供時代を過ごした。
高校生のとき、前世で暮らしていた街にひとりで訪ねた。
私が死んだあと、この街では歴史的に名を残すほどの大火事があったらしく、一度すべて破壊されたという。
そのため、私がもともと住んでいた家は消え去り、街のかたちは大きく変わっていた。
「っ……」
けれど、不思議なことに。
私が事故で亡くなったあの交差点だけは、当時のままの形で残っていた。
それは、私の記憶を、否応なく鮮明に呼び起こす。
「ここで……僕……」
前世の記憶に、この体では感じたことのないはずの痛みが全身を蝕んだ。
思わず自分の身体を掻き抱く。ここで僕、全てを奪われたんだ。
生きるはずだった未来も、大切な人たちも。
震えが止まらない。それでも、僕はその交差点を目に焼き付けた。
このやるせなさと悔しさを忘れず、今世生まれ変わった意味を胸に刻み込むために。
交差点があった場所を頼りに街を辿る。しかし僕の大切な場所はすべて、新しい住宅街に塗り替えられていた。
80年という時間がどれほど多くのものを変えてしまうのかを、その景色が静かに教えてくれた。
それから僕は、その街の図書館へ向かった。
昔の新聞、地元誌、古い記録書。
大火事での死亡者名簿まで、片っ端から目を通した。
レオの名前を探した。
彼が生きていた証が欲しかった。
自分が死んだ後、彼がどう生きたのかをどうしても知りたかった。
外がすっかり暗くなり、司書に「閉館です」と声をかけられるまで、僕はたった一人の名前を探し続けていた。
結局、レオの名前は見つからなかった。
現在、僕は、大学1年生。
昔とは違い、今は大学へ行かなければ、まともな就職先すら見つからない時代らしい。
前世とは打って変わって、僕は勉強に専念した。
18歳になるまでレオを見つけることに必死で夢なんてものは何ひとつなかったが、勉強だけは怠らなかったおかげか、将来安定が見込める大学へ進学することができた。
「出席を取るぞー。えー、1番、青木ー」
講義が始まり、学生は皆各々好きな席につく。僕は、黒板から一番遠い講堂の後方の席に座った。周りに人が少なく、静かだからという単純な理由で。
教授の話を左から右へ聞き流しながら机に突っ伏す。
あーだめだ。講義、だるいな。そんなことを考えていて、後ろからやって来る彼に目を向けていなかった。
カタ……。
机にバッグが遠慮がちに置かれる音で、ようやく顔をあげる。そしてその彼を見つけた瞬間、世界がスローモーションになった。
「え……?」
日本由来でない、色素の薄い瞳と髪の毛。傷一つない真っ白な肌に、頬は血色よく色付いている。
懐かしさが胸の奥を締め付け、信じられない光景に唇が震えた。間違いない。今隣の席にやってきた彼は、紛れもなく前世の僕の恋人だった。
どうして、なんでここに、という困惑とやっと出会えたという喜びが交錯する。
長い間放心して見つめる僕の視線に気づいたのか、彼もこちらに目を向け、いつかのように、不思議そうな顔で僕を覗き込んだ。
「あの……」
あまりにも僕が尋常でない表情で見つめていたのか、彼は目を丸くしながらおずおずと声をかけてきた。その仕草に一瞬で悟る。
「ごめんなさい、ちがくて……」
慌てて黒板に向き直ろうとした時、無地の青いハンカチが、そっと差し出された。
え?とハンカチの意味を尋ねようとして、はじめて自分の頬に雫が伝っていることを知る。こうやって気が利くところも、優しいところも、何ひとつ変わっていない。やっぱり、彼は。
「…ありがとう、ございます」
80年間想い続けた、死の先でも、愛し続けた人なんだ。
「大丈夫ですか? 体調、悪いとか?」
結局、僕たちは講義を抜け出し大学の外のベンチに座っていた。念願を果たした僕は涙が止まらず、彼から借りたハンカチを握りしめる。そのまま彼の言葉には全力で首を振った。
「大丈夫です…全然、そういうんじゃなくて」
ずっと探していた君に会えて嬉しいんだよ。もし僕がそう言ったら、彼は応えてくれてくれるのだろうか。
しかし目の前の彼は依然として僕を不思議そうに見つめるだけで、僕に特別な感情を抱く素振りは見せない。
そりゃそうか。
僕は顔立ちや雰囲気が似ていても、前世とは打って変わって性別が反対で、別の人生を生きているのだから。彼が前世のことを覚えているとして、僕を見て前世の彼女を思い出す可能性は低いだろう。
それか彼は、生まれ変わって前世の記憶を、すべて失ってしまった────。
レオの生まれ変わりに会えた喜びと、僕の存在に気が付かないという現実。
焦りと不安が絡み合って、感情はぐちゃぐちゃだった。
「本当に、ごめんなさい」
「いや、大丈夫……そんなに謝らないで」
名も知らない男が、自分を見て突然泣き出す。彼にとってはきっと恐怖でしかなかいだろう。
それでも彼は爽やかに笑って、こう言った。
「よかったら、友達になる?」
せっかくの機会だし、と付け足して、彼は手を差し出してくる。
「俺、まだ大学に友達いなくてさ」
彼の手を見つめて、その次に顔を見上げた。
「ぼ、僕で……いいの?」
恐る恐るそう聞くと、
「うん。よろしくね」
迷いのない返事が返ってきて、手を握られる。そして、彼は少し照れたように口を開いた。
「俺の名前は、リオン。君は?」
レオ__もとい、リオンは祖父がアメリカ人で、アメリカの血が混じったクォーター。
ついでに彼は父親の仕事の都合で、今世では去年までアメリカに住んでいたらしい。
でも彼はアメリカで日本語学校に通っていたみたいで、日本語は驚くほど流暢だった。
「リオン、か……レオ、って名前に似てるね」
彼の反応を探るように名前を呟いてみる。しかし、
「レオ?まあ、確かに似てるけど」
どっちもアメリカではライオンとか獅子って意味だし、と彼はなんの違和感も無さそうにそう答えた。やっぱり、「レオ」という名前に覚えはないようだ。
いろいろ話題に前世の匂わせを試すものの、どの記憶も同様に覚えている様子はなかった。
それでも、確信できる。リオンの前世は、レオだ。
見た目も、仕草も、80年前と何ひとつ変わっていないのだから。
ある日、リオンと大学構内を歩いていると、サークルの勧誘活動で賑わうスペースを見つけた。僕たちのような1年生を狙う先輩たちに囲まれ、いろんなサークルのチラシを貰った。
「ねえ、リオンはサークルとかって入ってる?」
「いや。今は入ってない」
「そうなの?ほら、この語学サークルとかどう?リオンに合いそうだよ」
「まあ英語できるし、語学に興味はあるけど……未央も一緒に入るならやろうかな」
そう言い、僕の手からチラシを奪い取る彼。僕より背の高いリオンは僕を見下ろして「どうする?」と問いかけてきた。
「ええ……しょうがないな、リオンのために一緒に入ってやる」
「やった。楽しみだわ」
こうして一緒に語学サークルに入会し、友達として距離を少しずつ縮めていった。
語学サークルでは普段、英語でのディスカッションや外国人留学生との交流といった、グローバルな活動をしている。大学内でも比較的規模の大きなサークルだということもあり、思っていたよりも活動内容が濃く充実したサークルだ。
「はい、グループ交代して。3分間のディベート時間を設けます」
僕はもちろん元々英語なんて出来やしなかったが、優しい先輩たちに教えてもらえているおかげでなんとか慣れてきた。
「やった、次リオンくんと同じディベートグループだ!!」
「リオンくん、がちでかっこいいよね。帰国子女だから英語ペラペラだし」
囁き声で噂されるリオンは、サークルに入ってからあのルックスと語学力で女の子からモテまくりだ。
なんとなく予想はしていたが、先輩から同学年までみんなリオンが好きで、巷ではファンクラブまであると聞く。
前世みたいに、外国人だからという差別的ないじめがないことは喜ぶべきことなのだろうが、元カノとしては不服でしかない。
まあ、前世の元カノだなんて言ったって信じてもらえないだろうし、そもそも効力ないし。今の僕がリオンと付き合うなんてもっと可能性ないしな。
というか僕は前世のレオは好きでも、リオンのことは……自分でも複雑で、どう思っているのかわからない。
前世の彼と出会えたことは夢のようだが、そこから先はどうしたらいいか、今でも考えつかなかった。
「未央?なにぼーっとしてるの。次のグループ、未央はあっちでしょ」
完全に考えにふけっていて突っ立っていた僕の目の前で、リオンが手を振る。ちょうど考えていた張本人が現れてびっくりした。慌ててリオンに感謝を告げ、荷物を抱えて次のグループに向かおうとするとまた彼に呼び止められた。
「未央、サークル終わったらいつもの食堂で待ち合わせね」
「わかった!終わったらすぐ向かう」
じゃあね、と手を振り、僕は次の場所に駆けていった。
サークル終わりの夕暮れ時。人のまばらな食堂でひとり、僕はテーブルに突っ伏して目を閉じていた。
「あれ、未央」
「……」
「おーい、みおう」
起きてはいたけど、リオンの反応が気になって、寝たフリをしてみる。
「本当に寝てる?」
「……」
「まじか」
もしかしてそのまま置いていかれるだろうか。そう心配になったとき、目の前の椅子が引かれる音がした。
とさっと優しく座る衣擦れが聞こえたかと思えば、また辺りは静寂に包まる。反応が気になって始めたことだけど、考えてみれば特になにかがありそうなわけではなかった。付き合いたてのカップルじゃあるまいし。
そう思い、諦めて目を開けようとした瞬間。
頭に、何かが乗った感覚がした。
「っ……!」
大きくて、温かいリオンの手。その手は僕の頭上で髪の毛を弄ぶように動いた。
『みよは、かわいいね』
途端、前世で頭を撫でられた記憶が蘇る。あの時も、彼は大きな手を繊細に動かして笑って撫でてくれたっけ。
在りし日の記憶が心を掻き乱す。昔の仄かな幸せが、今の僕には喉に突き立てられた刃のように感じた。
「あれ、未央起きた?」
僕がぴくりと体を動かすと、リオンはぱっと撫でていた手を離して声を発した。ゆっくりと起き上がって、目の前の彼を見つめる。
「未央……泣いてた、?」
「……泣いてない、寝起きだからでしょ」
咄嗟に顔を覆って誤魔化した。触った自分の頬は熱を帯びて熱かった。
「ならいいけど…。自販機でコーヒー牛乳買ってきたけど、飲む?」
「……レオ、ほんとにコーヒー牛乳好きだよね」
「だから、俺は”リオン”だって。何回間違えるんだよ」
わかってる。わかってるよ。目の前の君が僕の愛する人で、僕の愛する人ではないことくらい。
今世の彼もコーヒー牛乳が大好物だと以前初めて知った時、前世の彼の姿が重なった。それは、間違いなく彼がレオの意思を継いだ化身だということを明確にした。
それからリオンとコーヒー牛乳を一緒に飲むたび、前世の彼に罪悪感を抱く。
レオとの最後の約束を、破っている気がして。
「ありがとう、もらっとく」
「今は飲まないんだ」
「今は飲まない」
彼の手から紙パックを受け取る。リオンはそっか、と呟いて、もう一つのコーヒー牛乳にストローを挿した。
リオンと過ごすほど、長年胸に溜め込んできた想いを無理やり押し込んでいる気がする。もちろんリオンといて楽しいことばかりだけど、時々昔の彼が頭の中で存在を主張してくるから。
前世の彼と、容姿も声も性格も変わらなくて、昔に戻った気持ちになってしまう。
『未央』
お互いの名前も、僕らを取り巻く環境も関係も違うというのに。
お風呂から上がり、テーブルの上のコーヒー牛乳を手に取った。
今日リオンからもらった、コーヒー牛乳。
付属のストローを取り出して挿し込む。
ストローに口を付けて弱く吸い込むと甘い味が口の中に広がった。
昔と変わらない味。僕が前世、雪の中買いに行ったほど、”レオ”と味わいたかったもの。
その甘さは残酷で、喉を通るたび、胸が押し潰される。
僕のこの想いは、いつ報われるんだろうか。
濡れた前髪で、顔が隠れる。コーヒー牛乳を飲んでいるはずなのに、やがて塩辛くて苦い味がした。




