第一話 会いたい。もう一度、君に。
昼下がりの食堂。疲れ切った大学生たちであふれかえっている中で、彼の色素の薄い髪色が輝いて見える。
「おはようリオン」
「あ、おはよう未央」
僕が声をかけると、姿勢よく本を読んでいた彼はふっと力を抜いて椅子の背もたれに背を付けた。
「やばい、講義の内容全くわかんなかった」
「わかんなかったってどういうこと?ノート取ってなかったの?」
「取ってたけどさあ、ちゃんと話聞いてたけどさあ」
彼の向かい側に座って、さっきまでの講義の話をした。こんな些細な話も、彼は頬杖をついて頷きながら聞いてくれる。
「あぁ、その講義なら俺も前に聞いたし、ノート取ってたから教えられると思うよ」
「ほんと!?じゃあリオン、今度教えてよ」
「うん。その代わりジュース奢りね」
「はいはい、どうせそのコーヒー牛乳でいいんでしょ」
いっつもそれしか飲んでないし、とテーブルの上に置かれた飲みかけのコーヒー牛乳を見やる。
大昔から変わらない紙パックのデザイン。それを見る度に僕の胸は抉られる。
切なくて、やるせない気持ちを思い出す、コーヒー牛乳。
「やった、よろしく」
僕の想いとは裏腹に、薄茶色の瞳を弧にして笑った彼。
その姿は80年前から全く変わらない、僕の”愛する人”だった。
リオンの仕草も、微笑んだその表情も、僕が物心ついた頃から____
いや、それよりももっと前。現世に生まれる前からずっとずっと好きだった。
そんなことを言ったら、きっと嘘だってからかわれるだろう。
でも、本当だ。
リオンを見るたび、知らないはずの記憶に胸を焦がし続けている。
今でもフラッシュバックする。
身体に衝撃が走って、すべてが終わったあの音。
あの日から僕は、たったひとつの願いを抱えたまま、生きてきた。
君とまた出会って、恋をする。
僕の前世の話をしよう。
僕の前世は、”みよ”という女の子だった。
80年前。その時代の日本は、戦後の貧しい時期を乗り越え、やっと安定した頃だった。
今でもよく覚えている。当時12歳の私は、ある男の子と出会った。
「あの……」
ぱりっとしたスーツを着た少年が、私の家の前で三角座りでいた。短パンから覗く肌は透き通り、学生帽に隠れて顔はよく見えないが、薄茶色の髪の毛が飛び出ている。好奇心旺盛な私は、その少年に恐る恐る話しかけた。
「どちら様、でしょうか……」
私の声に、少年はぱっと顔を上げた。彼と目があった瞬間、私の心臓は跳ね上がった。
なぜなら、彼の瞳は今まで見たことのない、澄んだ茶色をしていたから。
「おれは、レオ……」
彼が名乗った瞬間、風が強く吹き、桜の花びらが数多舞い降りてきた。それでも私は彼の澄んだ瞳から目を離せなかった。そんな私を彼は不思議そうな顔で覗き込んでくる。
これが私と彼の最初の出会いだった。
数日後、私たちは再び中学校の入学式で出会った。
「あ、この前の」
「あ……こんにちは、」
偶然同じ教室に割り振られ顔を合わせた私たちは、くすっと笑いあう。
「そういえば、この前なんであそこにいたの?」
「引っ越してきたばかりで、まだこの辺りに詳しくなくて……ちょうど桜の木の近くで家族と待ち合わせしてたんだ」
勝手に人の家の木を目印にしてごめん、と謝る彼に慌てて首を振った。引っ越してきたばかりなら、土地勘がないのは当たり前だ。
「なら、今度、街を紹介するよ!一緒に遊ぼう」
「いいの?」
「もちろん。仲良くしようね!」
そう言うと、彼の表情がぱっと明るくなった。これが、私とレオの始まりだった。
仲良くなって彼と話していくうちに、彼のいろんなことを知っていった。
レオは祖先に北欧の血が混じっているらしい。それが、私が最初彼に出会ったときに驚いた、他の人よりも体の色素が薄い理由だった。彼自身は日本人の両親を持ち、日本生まれ日本育ちであったが、彫りが深く目鼻立ちの良い彼は周囲の目を奪った。
その当時は終戦直後、外国の混ざった血を持つというだけで、反感を買う。一切日焼けのしない真っ白な肌、短く切り揃えられた茶髪は、当時の日本男児の理想からかけ離れており、彼は羨望と嫌悪の混じった言葉を浴びせられた。
その上、彼の父親は代々外交官を務めているエリート。私たち一般庶民とはかけ離れた、”富裕層"だった。
「日本人あるまじき不真面目な風貌だ」
「あの家は非国民よ」
「レオくんとは関わらないほうが良い」
私も徐々に、レオと一緒にいることで、同じようにからかわれたり、無視されることも多くなった。
「なんで?レオが他の子と見た目が違うだけで、なんでそんな風に彼を悪く言うのよ」
中身を知らないくせに、知ろうともせずに彼を毛嫌いする連中に腹が立った。
最初は心配してくれた友達も、私が頑なに彼と仲良くし続けると知れば、すぐ離れていった。
「みよ、無理して俺の近くにいなくてもいいよ。俺といると、みよも色々言われるでしょ」
「なんでそんな事言うの。私がレオの近くに居たいんだからいいの。みんなにはレオの良さがわからないだけ」
それでも私はレオとずっと一緒にいた。彼は他の誰とも似つかない特別なオーラがあって、それでいて同い年とは思えないほど穏やかで優しい。そんな彼に私は少しずつ憧れを抱いていた。
彼も最初こそ内向的で、私のやることなすことに無言で付いてくるだけだったが、同じ時間を過ごしていくたび心を開いてくれた。
「レオ、ごめん!どうしてもわかんないとこあって……宿題見せて!」
「また?最初から俺のやつ写すつもりだったでしょ」
「ちがうもん!ちゃんと考えたし!!」
中学校を経て、別々の高校に進学しても、距離感はむしろ縮まっていった。
放課後にはお互いの家を行き来して一緒に宿題をしたり、夕飯をご馳走になったりもした。
ある日、彼の家で夕飯をご馳走になったとき、彼のお母さんがふと成績のことを口にした。
「レオ、今回の中間考査も校内1位だったんでしょう?勉強しか取り柄ないとはいえ、すごいわねえ」
「母さん、ひとこと余計」
「えぇ!レオ、この前の試験も1位だったの!?私知らなかったんだけど!?」
私は大げさに驚いてみるも、隣の彼は静かに味噌汁を啜って箸を置いた。
「別に、言うほどのことじゃない」
「レオにとっては当たり前のことかもしれないけど、私にとってはすごいの!!私はこの前も中の下の成績だったし…」
「みよちゃん、レオはほんとに勉強しかできないけど、これからも仲良くしてやってね」
彼のお母さんが困ったように眉尻を下げるから、私はとびっきりの笑顔で頷いてみせた。
「今度お祝いにコーヒー牛乳ご馳走してあげるね」
「祝いはいらないけど、コーヒー牛乳は飲みたい」
なんだそれ。彼の矛盾だらけの言葉に笑いながら、私も味噌汁を啜った。
いつから、レオへの感情が恋に傾いたのかは分からない。
ただ、お互いがお互いを特別な存在として扱っていたのは明確だった。
でも、友達とか恋人とか、そんな線引きをしなくても一緒にいられるだけで幸せだった。
いつも涼しげな顔をしているのに、たまに馬鹿みたいに大袈裟に笑うところも、「こんなのも分かんないの?」なんて言いながら、ちゃんと勉強を教えてくれるところも、大切そうに、そっと頭を撫でてくれるところも。
一つひとつの仕草が、静かに私の心に積もっていき、気づいたら恋だと自覚していた。
「レオ」
「ん?」
「私たちってさ、これからもずっと一緒にいるのかな」
高校3年生。進路を考え始めたころ、私はそう聞いた。別々の道を選ぶこのタイミングで、この関係に名前がないことに焦っていた。
レオといるのに、珍しく落ち着かない。返事を待つ時間が永遠にも思えた。
「俺たちが一緒にいちゃいけない理由ってあるか?」
「…なにそれ」
どんな答えが返ってくるかと身構えたのに、レオの言葉は普段通り彼らしくて。ふっと笑って誤魔化したけれど、こういう彼のまっすぐなところに、私は胸がいっぱいになった。
「みよが好きだよ」
「うん、私もレオが好き」
彼のそっけない告白に即答すると、レオは目を丸くして、それからくしゃっと笑った。
その何気ない一言をきっかけに、私たちの関係は、ゆっくりと恋人へと傾いていった。
「レオ」
「ん?」
「雪、」
ガラス窓の外で、景色がだんだんと白く移り変わってゆく。暖かい部屋の中から彼と二人、同じ景色を見れば、世界で私たちしかいないような錯覚を覚えた。
20歳になった私たちは、相変わらず地元で暮らしながら、それぞれ働いていた。
レオは小さなアパートで一人暮らしを始め、外交官のお父さんと一緒に海外関係の仕事をしていた。
どんな仕事をしているのかは詳しく分からないけれど、頭脳明晰でないと務まらない仕事らしい。私には想像もつかない世界だった。
私は変わらず実家暮らしのまま、近くの紡績工場に勤めている。
失敗することも多くて毎日疲労困憊だが、こうして仕事終わりにレオの一人暮らしの家に行く時間が、何よりの楽しみだった。
「雪降ってきちゃったなら、もうちょっとうちにいれば?」
普段なら夕飯の前には実家に帰るけれど、今日は泊まっていくことにした。
明日も休みだし久しぶりに、ゆっくりできる。
___そう思っていた、のに。
「みよ」
「え」
布団に押し倒され、そのまま流れ込むように、深い口づけが落ちてきた。
こういうとき、私は決まって変な時間に目を覚ましてしまう。
結局、夕飯も食べられないまま眠ってしまい、夜中の2時に目が覚めた。
水を飲もうと隣で眠るレオを起こさないよう、そっと布団を抜け出す。
少し痛む腰を押さえながら水を口に含み、静かに布団へ戻った。
すやすやと眠る彼の頬に、そっと口づけを落とす。
それから頭を撫でると、色の薄い髪が月明かりに照らされてぼんやりと光った。
実は、来月から私たちは夫婦になる予定だ。
この時代、見合い結婚の夫婦ばかりで、恋愛結婚はかなり珍しく周りにもほとんどいなかった。しかし両家の親戚は快く受け入れてくれて、私たちはまた次の段階へ進もうとしている。
結婚したら、こんな幸せな時間がいつまでも続くのかな。
小説のような、奇跡みたいな出会いだった。
だからこそ、この幸せを絶対に失いたくはなかった。
「あ、コーヒー牛乳ない」
ある日、棚を覗いて、レオが呟いた。いつもは彼の大好きなコーヒー牛乳を買い置きしているのだが、雪のせいで買い物に行けておらず切らしてしまったらしい。
「私、買ってこようか?」
「いや、外まだ雪降ってるから。危ないよ」
「大丈夫。私のこと、いくつだと思ってるの」
もう二十歳だし、レオと結婚もできる年なんだよ。ちゃんと大人なんだよ。
そう言い聞かせると、レオは少し迷ったあと、渋々頷いた。
「帰ってきたらコーヒー牛乳一緒に飲も!」
「……ああ。じゃあ、お願いできるか」
「もちろん。行ってくるね」
__でも、今思えば。
レオの言うことを、聞いておけばよかった。
コートを羽織り、マフラーを巻いて、玄関を出る前に振り返る。
「すぐ、帰ってくるから」
私はなんてことないように、満面の笑顔で外へ出た。
でもそれが、私たちの最後になった。
その数分後。
耳をつんざくような音とともに、自動車が猛スピードで走ってきた。
ただお店までの道を歩いていた、私に向かって。
「イヤっ………!!」
車と衝突した瞬間。人生で感じたことのない凄まじい痛みを感じた。体の部位の、すべての感覚がなくなって。
身体は言うことをきかず、そのまま立ち上がれなくなった。
雪の積もった、白く冷たい地面に無様に転がる。その白は、ほどなくして赤に染まっていった。
「れ、お……」
意識を失う直前、口から零れた名前は、暗い空へと溶けて消えた。
死んだあとの記憶は、あまり残っていない。
ただ次に気がついたときには、何もない空間にいた。
あるのは自分の意識だけ。
浮いているような、溶けているような、不確かな感覚。
動いているのか、止まっているのかさえ分からなかった。
頭の中を占めていたのは、あの時の後悔ばかり。
レオの制止を、ちゃんと聞いておけばよかった。
そして今ごろ、彼はどれほど嘆き悲しんでいるだろうかという不安と心配にも苛まれた。
結婚しようって、決めてたのに。ひとりにさせて、ごめん。彼に対する申し訳なさでいっぱいだった。
それでも、ただひとつ確かな願いがあった。
__会いたい。もう一度、レオに。
しかし、どれだけ願ってももちろん前世には戻れない。
あの制止を聞かなかった罰として、私は永遠にここに閉じ込められているのかもしれない。
もう疲れた。
ここから出して。
レオへの募る思いを願い続けて、何十年が経ったのかも分からなくなった、あるとき。
ふいに意識を引っ張られるような感覚がして、静かに目を開けると。
私は五歳の、未央という男の子になっていた。




