隔てる紫
「所で、『お願い』、って?」
「……ぁ、えっと────」
彼女はそう言ってシーツの端を弄び、ほんの少しだけ外方を向いた。
その真意は悟られなかったし、悟ろうともしていなかったけれど、それは仕方の無い事だった。
「────天使さんの事、聞きたいな、って」
「僕の?」
僅かに虚を突かれたものの、それもそうか、暫定の僕は得体の知れない輩でしかないのか、と思い直す。
その客観視も、余りに今更な感じはするけれど。
「……素性も分からない異性を、軽々しく部屋には呼ばない方が良いと思うな」
「呼んでないけどね。言っちゃえば、天使さんが勝手に来てるだけでしょ?」
言葉が刺さる。
「ぐっ……確かに」
そう言えばそうだった。
足繁く通っているのが僕というのは正しく事実だった。
「……兎に角、僕は如何して許されてるの?ほら、上げてくれる、って事は、それなりの信用は有る、って事でしょ?」
彼女は考え事でもする様に僕の頭の上を見詰め、その儘何処か遠くへと目を細める。
目線の先には何も無い。
「う〜ん、『信用に足る』、って言うより、だって、貴方は天使さんだから。それで充分なの」
それは『「天使」さん』と言ったのか、『「天使さん」』と言ったのか、果たして音からだけでは判別が付かなかった。
前者は未知を、後者は魑魅を、招き入れているのだから、何方にせよ不用心ではあるだろうけれど、まぁそうは言うものの、僕の演じるべきは変わらない。
僕は只、彼女の言う『天使さん』である。
生憎にも、それは得意だった。
「────それで、僕の事だっけ?」
「って言うよりかは、天使さん達の世界について、かな。ほら、知りたくなっちゃうでしょ?」
「天界、の事?」
「そうそう」
正直、此処で天界の名が出て来るか、と思った。
僕が神様に勘当されているという事は、彼女を含む他の誰にも伝えていない僕の秘密なのだから、堕天使の身、そんな僕としては、古傷を抉られている感覚がする。
況して、事情を知らない彼女に悪意が無い分だけ質が悪い。
でも僕は、素知らぬ振りをして口を開いた。
「天界、って言っても、一口では言えないよ。棟梁である神様が居て、その一つ下に、有名所だとミカエルとか、ラファエルとか、ガブリエルとか、後はウリエルとか」
「あぁ、一寸だけ聞いた事有る────」
「で、その下に部門が分かれてて、僕達天使は其処で日夜労働に明け暮れてる。預言とか、昇天とか、そんな感じの分け方だね」
「……一気に夢が無い話になったね」
「ほら、テーマパークだって似た様な物でしょ?夢を与えるには自身の夢を割いてから、なんだから。若し君がカーニズムを信条とするならだけど、君が美味しく食べてるお肉だって、言うなれば────」
「止めて止めて、分かった、私が悪かったから」
「……確かに、少し意地悪だったかもね」
でも、訊かれた上で夢を見せる程、僕は無責任では、それこそ意地悪では無かった。
それは彼女に天界への憧憬を抱いて欲しくなかったからだったのかもしれないが、そう感じる理由は何時までも心当たらなかった。
そう思うには、心臓の奥まった辺りが何か糺そうと、胸の澱を主張していた。
そして僕は続けた。
「僕の部門は『天啓』、所謂『神の導き』。言って仕舞えば、結構な窓際だよ」
「何をしてる所なの?『天啓』って言ったら、夢に出て来て、お告げをくれるとか?」
「それは仏教観も混ざってるかもね。本来は、天啓を求めて儀式を行った人間を探して、その人間の願う所を叶える考えを与えるのが仕事」
僕は肩を竦めた。
「でも最近は、その儀式をする程に敬虔な人間は少なくなって来てるから、困ってる人間を地上まで降りて陰ながらに支えるのが仕事になってるよ」
「じゃあ、神聖な何でも屋さん、って感じ?」
「…………」
高遠さと卑近さとで、こんなに食べ合わせの悪い単語群は初めてだった。
「……まぁ僕以外誰も何もしてない場所だったけれどね。周りは定年後の先輩方許りで」
「へぇ────」
彼女はこんなにも、夢の無い、無味無臭な程に現実的な話を聞いて尚、光輝な好奇の眼を瞬かせていた。
良く飽きもせずに聴いていられるものだとは思うけれど、ならば僕も、良く飽きもせずに話せるものだった。
「────ねぇ」
「?」
でも、そう言って、彼女は僕を見詰めた。
僕の感慨何て知った事ではないとでも言う様に、実際知ってはいないのだろうけれど、でも、そう言って、そして僕は彼女を見詰めた。
「天使さんは、如何して、其処で働いてたの?」
「……『如何して』?」
少し許り、其処には静寂が流れた。
そしてその部屋を撃つのは、僕だった。
「はは、可笑しい事を言うんだね、君は。決まってるよ────」
彼女が全ての事情を理解している筈が無い、それは承知していたけれど、それでもそれは余りに想定外だった。
「決まって、決まってるんだよ。人間は神の御下に産み落とされて、全て定められてる、そうでしょ?なら、況してや天使は神により近いんだから、より色濃いだろうね。それで充分なんだよ」
「……そう」
彼女は微かに驚いた様に、何処か失望する様にそう呟いた。
そう僕が感じるという事は、僕の狙いは或る意味で功を奏したのかもしれないけれど、矢張りそう言うには何か、答えの出ない問いを突き付けられる様な気がした。
「如何かした?」
「……いや、えっと────」
彼女は少し躊躇し、諦めたのか口を開いた。
「────私は天使じゃなくて良かったな、って」
「……へぇ、如何して?」
彼女は答えなかった。




