↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
白露  作者: Wrighte
PR
13/15

病むに病まれぬ桃源郷

気付けば、僕は扉の前で佇立していた。

如何やって此処まで歩いて来たかも記憶に定かでないけれど、それでも其処で一人遅疑逡巡していた。

こんなにも底冷える寒さながらに、身体は変に汗水漬になって、稍落ち着かず何か必死に声を張っているらしい肺を宥める。

慢性的運動不足だとか、初心故の緊張だとか、きっとそんな詰まらない事を僕に通知したいのではないのだろうけれど、かと言って酷く重要だとも思えないから如何でも良い。

そう幾ら強く思えど、息が自ずと鎮まって行く筈も無く、寧ろ罵りを加速したけれど、感情を叮嚀に撫で付ければそれは叶った。

案の外それは容易かった。

受付から此処まで無心に歩く間に、僕の制御が卓越して仕舞ったらしい。

必要だけれど、別に嬉しくはない。

────所で、僕は彼女に、何と声を掛けるべきなのだろう。

彼女の内情も良くは知らない段階で伝える科白程、個人的に胡散臭い物は無いと思うけれど、それでも何かを言わずには居られないのが人の性。

それは天使としての仕事柄に因る習い性なのかもしれないけれど、僕が思わなければそれは正解ではない。

都合の悪い可能性、若しくは蓋然性を無視して仕舞えるのも、人界で暫く生きた証なのだろうか。

そしてそうは言うものの、この立場からこの類の状況に片足を入れる事が今までに有り得なかったから、丸で慣れないのは矢張り依然の事実。

何時か慣れるとも思えない、長年の習癖は二度と抜け切らない。

きっと永遠に馴致する物でもない、と思い、それならば一層の事、僕は最大限此処に付け込み続けよう、と暫定決めた。

それに、僕が何を如何言おうとも、結実は結局彼女なのだから、僕の全ては彼女の気に召す隨に。

其処に、醜い自分は根付いて待っている。

「蓬ちゃん、入るよ────」

叩扉し、逸りながらも持ち手を握り、飽くまで安穏に、彼女にその不審を悟られない様に、横に滑らせる。

邪を其処に挟まない為の流れ作業。

それは溶溶漾漾たれど、何れ迸り、そしてその余りに僕は彼女の声を聴き逃していた。

「ぁ、ね、ちょっ、待って────」

彼女が慌てふためく声を上げていたと僕が知ったのは、扉を完全に開け放ち、病室の全てを目下に見渡した時だった。

相も変わらず白一辺倒な部屋。

寧ろ病的に統一され、動もすれば発狂しそうな非現実感に満ち満ちる、彼女の部屋。

享楽や奢侈の対義の内装に、竹を接いだ木製本棚が彼女の寝具の直ぐ隣に設えられ、それも亦白という点では、何方も植物である事と同じく、一種の芸術の様に完成した相貌を保っていた。

部屋はそう、白く染まっていた。

僕は通い詰めの挙句慣れ尽くし、無論僕の髪色も況して、此処に異常は覚えるものの何れ落ち着いた。

でも、先述した病的を特に際立たせていたのは、無垢な程の白妙、彼女が持つ髪の黎黒、その対比構造だった。

生命を直感しない無機質な部屋に、彼女は図太くも尾を泥中に曳いていた。

お世辞にも幸とは言えない遇をその華奢な身体に享け、花の務め、愛でられずとも、可憐に、然れど強かに、此処で萌えていた。

言うなれば、黒一点、それが彼女の第一印象だった。

少なくとも、覚えている内では。

でも現在進行で目撃している彼女は、僕の拙い記憶の中の彼女とは少し違った。

寝具の上でやおらに身体を起こしているのは変わらず。

何時もなら決まって僕を歓待してくれる彼女が、今日は己の頭を抱えて大童である、という事もそれはそれとして扨置き。

その細い指で隠し切るには荷の重い髪が、其処を覗く。

僕の目線を察知して、未だ分からないけれど彼女はそれを何とか直隠しにしようと首を振り、そして、或いは然し、想定より速過ぎたのか恐らく不意図、勢いの儘に髪が反対の首元に絡み付いて、彼女の奮闘虚しく隠していた筈のそれが露わになった。

「あ────」

「……ねぇ、それって────」

先まで矢鱈と強調して来た彼女の黒色。

悍ましい程に映えるそれすらも彼女は糧に、矢張り花の習い、己を魅せているらしい。

彼女は如何にも不服そうに唇を尖らせつつも、匿い続ける事を諦めたのか手許を弄んだ。

「────如何したの、その髪」

「……だから、『待って』、って言ったのに」

彼女の髪の一束は、白く変色していた。

その部屋、その衣服、延いてはその外界に、犯され、蝕まれ、染め上げられ、彼女は酷く歪み、整形していた。

それが無性に悲しく思われ、然し運命は受容されるべき物、それを今や打破する手を失った以上、或る意味の諦観が其処に在った。

それは欠けた僕を丁度埋めて嵌まる様で、偶然なのか必然なのかは露知らず、勿論その願う所は後者なのだけれど、かと言って喜ばしいか、と訊かれれば、きっとそれは首を振った。

白い髪、或いは白、それは証だった。

思うにそれは、特別の色、という特別な色で、雲の色であるのと同時に、雲の上の色でもある。

人間が歳を増し、一月、半年、春夏秋冬、何れは志学、而立、不惑、知命、耳順、従心、と経つに連れ、身体は老い、精神は混濁し、髪は白みを帯びるのは、これは人間という生物の常。

これは、『死』、という、天国、或いは地獄、其処への渡りが近付く証に、その色を得ている、と僕は勝手に思っている。

これは明確な解答の無い、更に正確に言うならば解答が明かされない為に証されない、それだけの仮説だから、想像するだけ無産なのだけれど。

でも、ならば僕は。

そして、ならば彼女は。

僕は未だしも、彼女に於いては言葉にしたくなかったけれど、そう考えずには居た堪れない。

言葉にしないだけ、それだけで満足している時点で、思えば僕は既に何処か可笑しくなって仕舞っていた。

「……『如何したの』、って、別に全然、大丈夫だもん、本当に。髪の毛が白色に────確かになったはなったけど、天使さんが気に掛ける必要無いよ、不都合無いし」

「違うよ、逆でしょ?身体に不都合が在るから、そうなった。だから心配してるんだよ」

「…………」

そう、再三、此処は病院、内に腫瘍を宿す人間の場だ。

漏れ無く彼女も。

それは彼女も重々承知していて、それで黙りこくる。

「……蓬ちゃんは、僕に心配されるのは嫌なの?」

「っ、嫌じゃない、嫌じゃないの、でも、でも────別に、大丈夫なんだもん」

僕には、それが魘された譫言にしか聞こえなかった。

実際、理路も整然とせず、自らの科白を鸚鵡返すだけなのにこんなにも必死なのが酷く可愛らしい。

如何やら甚く無理をしているらしいけれど、彼女には自然体で居て欲しい、と、繕った発露がそれだったのが、この上無く生憎だった。

「大丈夫ならさ、僕が聴いても大丈夫な事なんでしょ?だから話してよ、お願い。何時もお話、してたじゃん」

此処で退く気は更々起きず、何とか彼女の頑なな態度を解そうと僕も亦必死だった。

飽くまで彼女へ宛てた清純な声色の裏には、託けた不純が明け透けに居たけれど、無知な彼女は他人の悪意に鈍い様だった。

其処に浸け込む事を、最早僕は躊躇しなかった。

「────まぁ、別に喋りたくないなら、無理に喋らなくても良いか。蓬ちゃんは優しいから、僕を巻き込みたくなかったんでしょ?御免ね、急かしちゃって。困って話したくなった時で良いから────」

「……分かった」

「ん?」

そして、彼女の陥落は早かった。

少し揺すってあげるだけで、音を上げてくれた。

それは彼女の緊張の相当を示していたのか、僕への好意の這々を意味していたのか、それは分からない。

後者ならば、それは成功していた。

「……お医者さんからは、余り話さないで、って言われてるんだけど────うん、天使さんなら、話しても良いかもね。私の事、凄く想ってくれてるみたいだし」

「…………」

「教えてあげるの、天使さんにだけなんだからね?」

「……有難う、蓬ちゃん」

彼女は多幸感に耽るかの様に、若気ながら指遊んだ。

僕は、それに痛める程の心は持ち合わせておらず、代わりに覚えるのは同じく多幸感で、口端を保つのに精一杯だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。