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第九章③ マクシム隊……と海賊たち

 休憩のはずなのに、空気は休まらなかった。

 砂埃と硝煙の匂いが漂う訓練場。隊員たちは無言で水筒を傾け、磨き上げた銃や砲の調整に没頭している。誰もが眉間に皺を寄せ、視線は鋭い。海賊と対峙する前の、張り詰めた刃のような時間だった。

 そんな中、ジョルジュがぽつりと口を開く。

「……訓練するのはいいけどさ、砲撃のレクチャーばっかりじゃん。武器持って突っ込む訓練がないのがなあ」

 指先で弄んでいるのは一丁の燧石銃。軽く重量を確かめるように手首をひねるが、その口調はあくまでぼやきだった。

 彼の隣で水を飲み干したダヴィットが渋い顔で答える。

「しょうがないだろう。今回の作戦は防衛戦だ。防衛陣地で海賊の攻撃を一身に受けて持ちこたえるのが、俺たちの仕事だ」

 ジョルジュは肩をすくめ、銃身を撫でながら小さく呟いた。

「……それだと、海賊が攻め続けるんじゃないかな」

 独り言のはずなのに、近くの数人が一瞬だけ視線をよこす。その目に同じ不安がちらりと宿っていた。ジョルジュの独り言に別の方向から声が飛んだ。

「いいじゃないか」

 サミュエルが片肘を膝に置き、口元に笑みを浮かべる。

「うちの部隊はメリッサだけが火薬係と砲手を兼ねているからな。剣ばかり振るってる我々が、こうして砲撃の基礎を学べるのは有意義な時間だと思う」

 冗談めかした口調だったが、その目は笑っていなかった。

 ロザリーも弾倉を点検しながら口を挟む。

「それに、いくらエドガー海賊団の元にその他の海賊団が集まるとはいえ、彼らだって長期戦は望まないはずよ。短期で好きなだけ暴れて、散りまくるか帰るかのどちらかになるかも。少なくとも上層部はそう判断したと思う」

 淡々とした口調だが、その上層部という言葉の裏に彼女なりの距離感と不信が滲んでいた。

 それでも、休憩場の空気は緩みきらない。銃の手入れを続ける手、砲の角度を確認する目線、すべてが次に来る嵐を知っている者の動きだった。

 砲撃訓練の合間。汗と火薬の匂いが混ざった空気の中、グウェナエルはひとり訓練場の端に立っていた。視線は遠く、鈍色の海。水平線の向こうを何度も何度も測るように眺める。風が強まり、潮の匂いが一層濃くなると彼の眉間に深い皺が寄った。

「……防衛、本当にそれだけでいいのか?」

 誰に向けるでもなく、彼は低く呟く。

「どこかで奴らをぶった斬らないと終わらないぞ」

 グウェナエルの背後では笑い交じりの会話や愚痴がまだ飛び交っている。だがその声は、海を睨みつける彼の耳にはほとんど届いていなかった。その眼差しはいずれ現れるであろう、嵐の中の甲板。敵の旗が揺れる最前線に向けられていた。


 港全体が海の獣の咆哮の前触れのようにざわめいていた。

 夥しい数のマストが空を裂き、桟橋は人と荷で溢れ返っている。樽が積まれ、火薬の匂いが漂い、船大工が最後の調整を急ぐ音が混ざり合う。

 そこに並ぶのは、エドガー海賊団の船だけではない。

 カリブや地中海から流れ着いた、名も無き船団たち。老朽化したガレオンから最新のブリッグまで、あらゆる艦がこの港に押し寄せていた。

 港の奥、黒漆塗りの巨艦。その船長室の窓辺に、無口な男が立っていた。

 フェルナンドの代理として座すこの席は誰にとっても畏れの対象だが、男自身はその重みを意にも介さない。ただ命令を遂行するために存在している。

 サン・マロ撤退の裏で、自らの船団と他の仲間たちはこの港へ先行してきた。しかし、主であるエドガーは陸路で別行動を取っている。

 彼はその事実にも一切動じず、ただ懐中時計を開いて時を確かめた。時刻は計画通り。港の喧騒を背景に、静かに時計の蓋を閉じる。

「遅れるなよ、船長」

 その声に熱はなかった。ただ、合流と開戦の刻を待つ者の冷たい響きだけが残った。

 その時、扉が勢いよく開かれ、部下から「エドガー到着」の知らせが届くのだった。


 港を埋め尽くす船と人の群れ。その中心で、ひときわ大きな船の甲板が高く突き出している。

 そこに立つのは黒い外套を翻す男、エドガー・ロジャース。

 背後にはジャスパー、ニール、コリン、マテオが静かに並び、その姿は王の玉座を固める近衛兵のようだった。

「——諸君」

 甲板から放たれた声が、港全体を震わせた。ざわめきが潮のように引き、数百の視線が一斉に彼に向かう。

「まずは……フランソワに哀悼を」

 その口元は悲嘆を形作っていたが、眼差しには別の熱が潜んでいた。群衆が息を呑むたび、彼の胸奥に甘い震えが走る。

「彼は我らの友にして、海原の王者。その死は……決して波に呑ませはしない。我らがこの手で、必ず報いを受けさせる。……海軍に」

 甲板下から怒声が轟く。エドガーはその熱を掌中で転がすように受け止め、さらに焚きつけた。

「今こそ、海賊の民主主義が試される時だ! 我らが団結すれば、海軍は倒れる。これは夢ではない。現実だ。そして……」

 右手をゆっくりと高く掲げ、彼方の水平線を指す。

「自由のために戦うのだ!」

 歓声が爆ぜ、足踏みと鬨の声が船体を震わせた。

 エドガーはそのざわめきを、手綱を引くように制御しながら視線を群衆の上に滑らせる。

 帆も、人も、港も、この瞬間すべてが自分の支配下にあるという確信が唇に冷たい笑みを刻んだ。

 その後ろでコリンがわずかに顔を伏せ、息のような声を洩らす。

「……嘘つき」

 歓声が甲板を包み込む中、エドガーの背後でジャスパーが低い声でつぶやいた。

「思ったより早かったな。戦闘開始までもう間もなくってか」

 ニールは冷静に天を見上げて言う。

「天候次第だね。こんな冬の季節に戦争とは、まさに体力消耗戦だ。海賊も海軍も過酷な戦いになるよ」

 マテオは少し苛立ちを滲ませ、短く言い放つ。

「……話、長ぇな。オレはしばらく席を外す」

 皆が察したように視線を送る。

 ジャスパーは軽く合図を返す。

「おう、見つかるなよ」

 マテオは無言で甲板の階段を降りていく。

 船の最下層に近い場所、そこは弾薬や貨物が雑然と積まれ、陽光すら届かぬ薄暗さだった。

 ひときわ目立つ古びた扉の前で、マテオはふてぶてしく口元を歪めた。

「……死んでないといいがな」

 冗談めかした言葉を漏らしながら彼は熟練の手つきでピッキング工具を取り出し、錠を静かに解いていく。扉に手をかけ、ゆっくりと重い扉を押し開けたその先へ——。


 エドガーの演説がようやく終わると、甲板のざわめきが徐々に静まっていった。

 エドガーはゆっくりと歩み寄り、背後に控えるジャスパー、ニール、コリンの顔を一瞥した。

「よう待たせたな。マテオの姿がないが」

 ジャスパーは肩をすくめ、微かな笑みを浮かべて呟く。

「ああ、たぶん酒に浸かってるんだろうな」

 エドガーの目に一瞬、苛立ちが走るが、それをすぐに押し込める。

「相変わらずだな、奴は。さて、今こそお前らの賢い頭が必要だ。次の戦いでマクシミリアンの野郎を捕らえたい。だがな、あの様子じゃブレストはひたすら守りに入るだろう。どうにかして奴を戦場に引きずり出せる手はないのか?」

 沈黙が甲板を包み込む。誰もが答えを探し、互いの目を交わす。やがて、ニールが呟くように言った。

「結局、人任せってわけか」

 エドガーは鋭い視線を向け、声を低くした。

「頼む。昔からの仲間じゃないか」

 コリンの声が小さく割り込む。

「本当にフランソワ船長のための弔い合戦なのか怪しいよ」

 ジャスパーは挑発的に笑みを浮かべ、問いかける。

「なあ、エドガーさんよ。あんたの目的は戦争か? 復讐か? どっちなんだ?」

 エドガーの表情が暗転した。眼光は冷たく、声は鋭く切り裂くようだ。

「両方だ。欲しいものは、どんな手を使っても奪い取る」

 ジャスパーは顔を引き締め、目を光らせる。

「…なるほどな、今ここでハッキリしたぜ」

 ジャスパーは口の端に薄い笑みを浮かべる。笑っているのか、呆れているのか。その表情には微かな皮肉が滲んでいた。

「王様気取りでおれたちを操ろうってわけか。忠誠心も誇りも、全部あんたの手のひらで転がす駒に見えるらしいな」

 その言葉と同時に、ジャスパーの指先がそっと腰の側に置かれた剣の柄に触れる。冷静だが視線は鋭く、微かに火花を散らすような光を帯びている。

「けどよ、これだけは覚えとけ?」

 口元の笑みは消えず、静かに圧を伴う。

「おれはあんたに本気で死んでくれと思ってる。おれの仲間を駒呼ばわりして悦に入るのもいい加減にしろよなぁ」

 一呼吸置き、ジャスパーはゆっくりと視線を巡らせ、ニールとコリンの顔を一瞥する。その目には深い決意と譲れぬ誇りが映っていた。

「おれたちは、お前の支配欲を満たす燃料じゃねえ。……覚悟しろよ、エドガー・ロジャース」

 その言葉が終わるや否や、周囲の海賊たちが一斉に武器を構え、三人を包囲した。刃が太陽の光を受けて煌めく。緊張の糸が限界まで張り詰める。

 三人は冷静に、決意をもって武器を手に構える。互いの視線が確かな同盟を伝えていた。

 エドガーは彼らを一瞥し、冷酷な笑みを浮かべながら言った。

「吠えるがいい。抗えるならば、な」

 エドガーの背を見送りながら、甲板には獰猛な殺意が満ちていた。

「待ってろ、フランス海軍。目にものを見せてやる、殺し合いの舞台でな」

 エドガーの声が風に乗り、海の彼方へ消えていった。


 薄暗い牢獄の一角。鉄格子越しに差し込むわずかな光が、フェルナンドの疲れ切った表情を照らしていた。心の奥底で戦いの足音が近づくのを感じながらも、彼はどこか遠い場所を見つめていた。そんな時、鋭い足音が響き、扉が開く。

「珍しい客だね」

 フェルナンドは軽く笑いながら声をかけた。

 入ってきたベルリオーズは冷ややかな視線で返す。

「話がある」

 フェルナンドは肩をすくめ、皮肉交じりに答えた。

「話し相手ならボクで十分だろう。君も悪事がバレて居心地悪いんじゃないか?」

 ベルリオーズは鼻で笑い、言葉を返す。

「そのうち、余裕なんて言ってられなくなるさ」

 そして不意に周囲を見渡し、低い声で告げた。

「使いの者が来た。パリで何度かやり取りした男が、エドガーからの伝言だと。証拠を残さぬため、口伝でな」

 フェルナンドの眉がぴくりと動いた。

「なんだって?」

 ベルリオーズは身を乗り出し、耳元でささやく。言葉は聞き取れないが、その内容はフェルナンドの顔色を瞬時に変えた。

「……この局面で、あの男は一体何を考えているのか」

 声に震えが混じる。

 ベルリオーズは静かに頷き、厳しい口調で言った。

「よく考えろ。決断を誤れば、自分の命取りになる」

 言い残してベルリオーズは部屋を後にした。

 フェルナンドはひとり、頭を抱え込む。胸の奥で渦巻く不安と苛立ちが止まらない。

 廊下を歩くベルリオーズはふと立ち止まり、不敵な笑みを浮かべた。

「この地に来て、まだ俺を苦しめるつもりか、エドガーめ」

 影が彼の表情を覆い、冷たい風が通り抜けていった。


 マクシミリアン・ブーケ隊の宿舎。

 部屋の中は薄暗く、誰もが重苦しい空気をまとっていた。窓の外には冷たい風が吹き荒れ、街のざわめきさえ遠く感じられる。

 マクシムは硬い表情で、低い声で告げる。

「では、頼みました。絶対に見つからないように、慎重に動くんです」

 リー・ウェンは鋭い目つきで頷くと冷静に答えた。

「おまかせを。マクシムさんは特別な得意先ですから。必ず期待に応えましょう」

 その言葉を残し、静かに部屋を後にした。

 残された者たちが息を呑むように静まり返る中、グウェナエルが厳しい表情で口を開いた。

「戦の知らせを聞くと胸が騒ぐ。だが、なぜかこの空気は……不吉だ」

 マクシムも肩を揺らしながら吐息をつく。

「僕も同じ気持ちです。何か、悪いことが起きる予感がする」

 シャルルは拳を固く握り締めて、真剣な眼差しで言う。

「このまま黙って見過ごせません。いざとなれば、上層部に対しても声を上げましょう」


 一方、小さな港の岸辺。

 夜明け前の薄暗さのなか、潮の香りが冷たく鼻を刺す。

 ソフィーは凍える指先を胸元に寄せ、鋭い眼差しで海と空を見つめた。

「ジョルジュ、風の様子はどう? 海は……?」

 ジョルジュは海面をじっと見つめたまま冷たい声で答える。

「海は嘘みたいに静かだ……風はいつも通り、冷たい」

 彼の声が港の静寂に溶け込む。そして、ジョルジュの表情が一変し低く、重くつぶやいた。

「……この空気の重さ、感じるかい? 霧が、確実に立ち込めてくる」

 その言葉が告げられた瞬間、港全体の空気が一層冷たく引き締まり、どこか不穏な気配が辺りを包み込む。

 まるで夜明け前の静けさの裏に、地獄の帳がじわじわと下りてくるように。

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