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第六章④ 総司令部の続き

 部屋が再び静まり返ったとき、ぽつんとルソーの声が響いた。

「ところでよ。……あの、陰の濃い書記官。名前、なんつったか」

「ベルリオーズ君ですね!」

 即座にアルフォンスが応じる。

「頭脳明晰で仕事も完璧、書類の処理速度も異常なくらい早いんですよ。僕も大いに助けられてます」

「うーん……」

 ルソーは腕を組み、うなりながら天井を見上げた。

「なんだろうな……どっかで会ったような、見たような気がしてよ」

 エリオットがさらりと補足する。

「ユルリッシュ、彼は我々にとって極めて重要な人材だ。執務能力においては、総司令部でも群を抜いている。疑う余地なんてどこにもないよ」

 それでもルソーの表情はどこか浮かないままだった。まるで記憶の中の影がまだ形にならないように。

 イザベルがふと思い出したように言った。

「それにしても、海賊の動きはこれまで以上に注意深く見たほうがよさそうですね。各司令部に伝えますか?」

「ああ。ただ、確証のない情報を鵜呑みにするわけにもいかん。だが、警戒を怠るなとは言える」

 エリオットは重々しく頷き、続けた。

「第二部隊と第五部隊、それに第九の、港の警備担当部隊にも通達を。少しでも怪しい動きがあれば細かく報告するように、と」

 そのときだった。

「情報、か……」

 ぽつりと呟いたルソーが突如、大声を上げた。

「そうか!!」

「うわっ、いきなり大声を出すな」

 エリオットがしかめ面になる横で、ルソーはひとり納得したように拳を握った。

「あの野郎、そういうことだったのか……!」

「ひとりで盛り上がらない。報告して」

 イザベルがきっぱりと釘を刺す。

 ルソーは彼女に振り返ると早口で言い放った。

「ベルリオーズといったか。あの陰気な書記官……どこかで見た顔だと思ってたんだが、ありゃコルヴァンに似てる」

「……まさか、伝説の情報屋のことか?」

 エリオットが眉をひそめる。

「公にはできませんが、かつて我が軍も彼に世話になったと聞いています」

 イザベルが補足するように呟いた。彼女の言葉を受け、ルソーは腕組みをして天井を仰いだ。

「そうそう、たしか十四代目で終わったはずだが……。いや。ありゃ後継がいるな」

「えええ……もしかして、それがベルリオーズ君だって言うんですか?」

 思わず声を上げたのはアルフォンスだった。信じられない、といった顔をしている。

「……それ嫌だなあ」

「君、彼とそんなに親しかったのか?」

 エリオットが苦笑混じりに問うが、すぐに真顔に戻る。

「だがユルリッシュ。顔が似てるだけで決めつけるのは早いぞ」

 エリオットの声は落ち着いていたが目には鋭さがあった。

 ルソーは腕を組んだまま視線を遠くに泳がせるようにして言い放つ。

「いや、根拠はある。あいつの指輪だ。オレはこの目で見た、あれはワタリガラスの刻印だった」

 アルフォンスが小さく眉を上げ、思わず口を挟んだ。

「指輪、ですか? ベルリオーズ君はいつも黒い指輪をつけてますけど、それがどうかしたんですか?」

「……なるほど。それなら話は変わってくるな」

 エリオットは静かに頷き、知識を整理するように語り始めた。

「コルヴァン。通称『伝説の情報屋』一族だ。始祖はイングランド、ロンドン塔でワタリガラスの飼育を命じられた只の男だった。ところが、その彼がなぜか国家絡みのスキャンダルを暴露したのち、三羽のワタリガラスと共にフランスへ逃亡。以後、情報屋として暗躍し、ワタリガラスを用いた正確な情報と迅速な伝達は子々孫々に受け継がれていった。伝説と称される所以だな」

 ルソーがエリオットの知識量に感嘆して口を開く。

「おお、さすが知識人だな! そう、まさにオレが言いたかったことだ」

 エリオットの知識披露はこれで終わらなかった。

「加えて、一族の長は必ず漆黒の指輪を装着するんだ。刻印のワタリガラスは、『自分こそコルヴァンである』という証。ベルリオーズ君の指輪も刻印付きなら、間違いなくその象徴だろう」

 アルフォンスは納得するように目を細めた。

「なるほど……だからいつも身につけているんですね。普段のベルリオーズ君は『ただのアクセサリー』って言ってましたけど」

 頭の中で、あの淡々とした声といつも指輪を触るベルリオーズの姿が浮かぶ。アルフォンスは会話のきっかけのため彼の指輪を話題に出すたびベルリオーズに冷たく対応されるのでまた自分の胸が痛むのを感じた。

 エリオットは重々しく頷いた。

「そうだな、顔が似ているだけでは根拠が薄すぎる。しかし指輪の刻印とその意味を考えれば、彼がコルヴァンの後継である可能性は十分にあるな」

 その時、ルソーが顔を顰め再び口を開く。

「それと、これも一応聞くが……ここ数ヶ月で領海内に不審な動きはなかったか?」

「……地中海とガスコーニュ湾で、一時的に海賊が活発になった時期があったな」

 イザベルが思い返すように言えば、ルソーも頷く。

「たしかに、オレのところにも通達が来てた。第一艦艇部隊は、ひたすら外国との戦闘に追われていたが」

「おかげで第七艦艇部隊の各隊が海に出ていて、港も司令部もガラガラだったと。ブレストでは謹慎中の部隊まで出動したそうです」

 アルフォンスが補足し、ルソーは顎をしゃくって今度はエリオットに問いかける。

「それ以前はどうだった?」

「気になるのは、第五艦艇部隊の内部の揉め事か。第七の人手不足はいつものことだが……。だからこそ徴兵対象を拡大するよう助言もした」

「それだ」

 エリオットの言葉に、ルソーの声が鋭く跳ねた。

「第五と第七。両方とも人員が足りず、混乱が起きやすい。海賊たちが狙うなら第七だ。あそこは討伐任務を担っている。仇討ちをするなら格好の相手だろう」

「……たしかに」

 エリオットが唸るように答えた。

「そういえば、国王によるフランソワ討伐依頼の件。参謀本部は第七艦艇部隊のマクシミリアン・ブーケ隊に討伐命令を与えたな。その部隊、今は謹慎中だとか」

「はい。ただし、先月の頭には緊急出勤の要請で再び現場に出ています。相手はエドガー海賊団の分隊二隻。そのうち一隻はマクシミリアン隊の尽力により討伐したとのことです」

 アルフォンスが言いかけたところでイザベルが小さく呟く。

「……その部隊が、狙いだったと?」

「おそらくな。その動向を探るには内部から潜入して情報を得るしかない。つまり、海軍全体の動きを見渡せる今この場所は——」

 ルソーが意味ありげに沈黙する。言葉の続きを誰もが理解していた。

 エリオットが記憶を掘り起こすように呟く。

「……ああ、そういえば。夏頃に各艦艇部隊と第七の徴兵拡大への助言に関する書類を作成させたな。書面の担当書記官は……ベルリオーズ君だった」

「そんな……。僕は、信じたくない。彼が内通者なんて……!」

 アルフォンスの声は震えていた。だが、イザベルがすっと前に出る。

「まだ結論は下せません」

「は?」

 ルソーが反射的に声を上げる。

「ユルリッシュ。あなたの言い分は、現時点では証拠のない絵空事です。指輪も、彼自身が本当にただのアクセサリーとして着けているだけかもしれない。私だってアクセサリーの一つは身につける。…まあ、風紀上の問題で規則の改善余地はあるが。したがって、今この場で彼を告発することはできません」

「チッ……!」

「——今日のところはここで終わりにしましょう。エリオットも、少し休憩が必要です」

「そうだな。考え込んでばかりいても仕方がない。紅茶でも飲もうか」

 エリオットがそう言ってイザベル、アルフォンスとともに執務室をあとにする。だが、ルソーはその場に残った。

「オレは帰らんぞ……内通者を引っ張り出すまではな。ベルリオーズの仮面を、必ず剥いでやる」

 そう叫んだ直後、重厚な扉が音を立てて閉じた。真昼の陽光が廊下の高窓から差し込んでいた。石造りの床に映る影が歩くたびにゆっくりと伸び縮みする。

「それにしても……第五部隊の内部ゴタゴタは、いったいいつになったら落ち着くのだろうか」

 エリオットの呆れにイザベルが肩をすくめる。

「仕方ありませんよ。あそこは以前、警備隊を二隊、壊滅させられたんですから。その後は編成の見直しに人員確保、隊員の異動に激務の増加と……以前より、ずっと忙しいそうです」

「……ブレスト司令部での一件か。あれも、海賊の仕業だったとか」

 エリオットが眉をひそめると、アルフォンスが茶をすすりながら口を挟んだ。

「ええ、でも参謀本部はほとんど関与してませんでしたよね。援護くらい入ってもいいのに」

「まったく、彼らは何をしているのか……。いや、作戦を練る方が好きな連中だ。そんな奴らが在籍する部署に期待するだけ無駄か」

「大元帥も、かつてはその筆頭だったでしょう?」

「……何も言い返せないな」

 三人が小さく笑ったそのあとで、アルフォンスがふと思い出したように口を開いた。

「そうそう。総司令部内でも一時騒ぎになっていた、例の『五人組海賊』の件。ようやく正式な名称が決まって指名手配ファイルに載ったそうですよ。以前、共に行動していた軍医からの情報提供により前々から段取りはあったそうですが、他の案件が立て込んで後回しになっていたようで」

 エリオットが興味を示すように背筋を伸ばす。

「ほう。ようやくか。時間のある時に目を通しておこう。今は、あらゆる海賊の情報が必要だ。……その五人組、正式には何という?」

 アルフォンスは軽く咳払いをしてから満足げに言った。

「通称、五鬼衆いつきしゅうだそうです。英語では『The Five Oni』、 鬼の言葉はそのままに、異国風の通称で通されています」

 エリオットの口元にうっすらと笑みが浮かぶ。

「……鬼か。いい名だな。はるか東の島国には『百鬼夜行』という考えがあってな。妖や鬼が夜毎に列をなして練り歩くという古くからの伝承だ。姿を持たぬ異形の群れが人の世を脅かす……そういう意味では、正体不明の海賊に当て嵌めるのも悪くない」

 イザベルが静かに目を伏せる。

「たしかに、今の海には正体不明な存在が多すぎますね」

 アルフォンスがひときわ低い声で呟いた。

「五人のうち一人。それはもう恐ろしい海賊らしくて。顔も怖けりゃ、剣術の腕も桁違い。素性も不明で、あの参謀本部でさえ警戒度を最上位に引き上げているとか」

 エリオットの表情がすっと引き締まる。

「……本物だな。そういう男は、一人いるだけで戦局が変わる。しかも五人組で息が合っているなら尚更だ」

 廊下に静かな緊張が走る。窓の外、パリの街から吹き込む風がかすかに窓ガラスを揺らしていた。どこか遠くで海がざわめくような気がする。

 まるで──それが再び眠りから覚ましたかのように。

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