七話 魔女狩りの夜
誰かが泣いているんです。
ひざを抱えてないているんです。
誰なんでしょうね。
あれは、どこの誰なんでしょうね。
そんな風に思って眺めても、わたしにはわかっています。あの黒髪は『わたし』。ぐしゅぐしゅになった青い瞳も『わたし』。ひとりぼっちのあの子は、遠い昔にいた『わたし』。
――名前がなかったころの、アルテミシア。
わたしはずっと孤児院にいたのです。
名前がないころに、覚えてもいないころに捨てられていたのです。
要するに、赤子だったそうです。
全部、伝聞です。だって覚えていないから。いつもないている記憶しか、わたしには残されていないから。どこともわからない場所で、ひざを抱えて、ただただ泣いていたから。
他の子はみんな名前がありました。
わたしだけが、まだ名前が決まっていませんでした。
選びなさい、とシスターが言ったから。
でもわたしは名前って、何のことなのかよくわからなかったから。選ぶフリをして、ほったらかしていたんです。だって価値がわからなかった。それに意味があるのかわからなかった。
そのせいか、みんなには『名無し』と呼ばれてからかわれました。
だけど決められなかった。
思いつかなかったから?
やっぱり価値を見出さなかったから?
……もしかすると、負けたくなかったのかもしれません。捨てられた子はみんな、名前を書き添えられていたから。だから、自分でつけるのは何だか悔しかったのかもしれません。
そんなわたしに手を差し伸べてくれた、お師匠様。
強くてきれいな、優しい人。
愛情深い、厳しい人。
『お前には魔法の才能があるね』
お師匠様はそう言って、笑ってくださいました。
『どうだい? アタシのところにこないかい?』
そう言って、手を差し伸べてくれました。
わたしは、わたしは、わたしは――。
○ ○ ○
懐かしい夢を見た気がする。
「……お師匠、様?」
ミシャは、目を覚ました。
硬い石の床に置かれた、実に質素な毛布の上で。
外はまだ薄暗い。朝、いや早朝だろうか。夕方かもしれない。町についてすぐ、何かの薬をかがされて眠らされてしまった。なので、時計がないと時間の感覚がわからないのだ。
窓は高い位置にあって、小柄なミシャでは立ち上がっても外は見えない。
「牢屋……だもんねぇ」
しばらく悪戦苦闘するも、疲れて座り込む。
無意識にポケットを探るが、やはり何も入っていない。
あの時計も、ない。
「お師匠様……」
昔のように、ミシャはひざを抱える。そこに顔をうずめ、小さくため息を零した。
魔法の訓練で失敗したとき、いつもミシャは物陰に隠れてこうしていた。恥ずかしいし情けないしで、昔のように一人で泣いていた。自分には才能なんてないと、痛感しながら。
師の弟子は、姉弟子や兄弟子は、みんなみんな優秀だった。
なのにミシャだけが、何をさせてもダメだった。
根気強く師が付き合ってくれたおかげで、人並みの魔女にはなれたと思う。だけど、あの魔女の弟子としては失格以外の何物でもなかった。絵に描いたような、失敗作だった。
なのに師はミシャを見捨てず、母のように姉のように大事に育ててくれた。
……だから、余計につらかったけれど。
その愛に答える術を持たないこと。
愛という名の期待にこたえられないこと。
自分のせいで、師が周囲に笑われていることも。
何もかもが辛くて痛くて、ミシャは故郷から飛び出した――いや、逃げ出した。
戻れないのではない。
戻りたくない。
今戻れば、師はさらに物笑いの種にされてしまう。シェルシュタイン一門に、その魔女ありと言われたあの人を、これ以上そんな目にあわせるわけにはいかない。
実力で何とかならないなら、消えるしか……。
「お師匠様。ごめんなさい、ごめんなさい」
ミシャは小さく、声を漏らす。
ここは罪人を入れる場所、すなわち牢獄。
牢獄に入ったものの運命など、火を見るよりも明らかだ。
ましてや自分がいたのは、そして連れて行かれたのは魔法嫌いの町。魔女のミシャは、どんな目にあっても不思議ではない場所だ。気まぐれに飛び出した、バチがあたったのだ。
これからどうなるのかわからない。
ネールは、いったい何を考えているのだろう。
確か彼は『領主の館に行く』と言っていた。
……まさかここが、その館なのだろうか。それはさすがにないよね、と自らの考えを即座に否定するものの、場所がわからない以上は『絶対に違う』とは言い切れないと思う。
それに、ネールが言った手違いというのも気になる。
こうなることを、たぶん彼は想定していなかったのだろう。それが、何かあってこうするしかなかったと。……本人に聞かないことには、はっきりとはわからないのだけれども。
もう一つ気になるのはリオのことだ。
さすがに親友まで牢屋に入れてないはずだろう……と、思う。
適当に理由をつけて、被害者として仕立て上げられなくもない。その場合、ミシャのイメージはさらに悪いが、ケガ人がこんな場所に押し込められたら最悪の場合、足を失いかねない。
結局、考えても今できることはない。情報も何も入らないし、物音一つしない。風にこすれる葉の音がするだけだ。ミシャの周囲には人の気配が、感じられない。
考えれば考えるほど高まる不安に押しつぶされそうになるが、睡魔の前にはどうしても抗えず。ひざを抱えたまま、ミシャはまた眠りの中に落ちていった……。




