七話 弟子くん
走った。走り続けた。
あの文字が、呪詛が追いかけてくるような気がして。
あれがこの街の意志のように思えて、足を止めることがどうしてもできなくて。すがるように買い物袋を抱きしめて、覚えている限りの『裏路地』を、誰にも遭わないように。
遭ったら。
ナニカ起こしてしまうかもしれない。
誰かが耳元でささやいている。だから早く逃げろと。けれども、どこへ。この身はどこに逃げられるというのか。自分で望んでここまで来て、無理を通して暮らしている身分の分際で。
だけど逃げなきゃいけない。
にげなきゃ、にげなきゃ。
「きゃ……っ」
路地から飛び出し、もうすぐ家というところ。
しかし、彼女は、ミシャはその動きを止めざるをえない状況となった。有り体にいうならきちんと左右を見なかったがために、通りかかった見知らぬ少年にぶつかってしまったのだ。
ミシャより大きい彼は、彼女にぶつかられてもビクともしない。
驚きを宿す黒い瞳が、ミシャを見ていた。
「あ、大丈夫ですか?」
「え……あ、はい」
手を差し伸べられ、素直にそれを掴み返した。自分より大きい、異性の手だ。だが改めて見たその少年は、線が細くとても華奢。服装からして旅人らしいのだが、あれでは長距離の移動など難しいのではないか、と自分のことを棚に上げたことを思ってしまう。
「ケガがないようでよかったです」
にっこり、と笑みが向けられる。
柔らかそうな黒髪を、少し長めに伸ばした少年。
黒髪黒目といえば、エルディア王国にある異世界出身者の都市、ヒメモリ自治領の住民のそれと同じだ。異世界の、同じ国から集団で飛ばされてきたという伝説を持つ彼らは、この世界の人々と血を混じらわせながらもその特徴的な容姿と力を失わず、文化も守っているという。
彼らの特殊な力はこちらにはないものが多く、それでいて他の技術の取り入れに躊躇いがほとんどない。シェルシュタインの里にも数人が在籍して、勉学に励んでいるようだった。
遠目に見るだけだったが、やはり彼らの黒髪はどこか違う。
この世界にも黒髪の一族や家系はあるし、ミシャもそうだが、ヒメモリ自治領の市民が持つ黒とは深みが異なる。彼女自身もそう思うし、世間一般でもそう言われることが多い。年齢より見た目が幼く見えるので、昔は人身売買などの対象ともなっていたという。エルディア王国が自治を認めたのも、彼らを守るための一環だったのだろうか。
それまでは、難民か何かとしての立場しかなく、とても危うい存在だったそうだから。
と――そこで、ミシャははっとする。
また思考が過去にとんで、ぼんやりと目の前の誰かの黒髪を凝視してしまった。
「ご、ごめんなさい! その、急いでいて」
ぺこぺこぺこ、と慌てて頭を下げる。あの息苦しく、胸を締め上げるような何かは、すでにどこかに消え去っていた。今はただ、自分の不注意から迷惑をかけた相手への謝罪しかない。
ましてやジロジロと、不躾、といえるだろう視線までも向けている。
本当に、今日はもうふんだり蹴ったり。
どうしようもない。
ましてや。
「いや、それより君の方こそ大丈夫?」
少年はミシャの方を心配してくれるのだ。
こんな良い人に迷惑をかけるなど、何という不覚。
すっかり落ち込みつつ、改めて謝罪をしようとすると、少年はそれを止めた。
「僕もよそ見してたから」
そういって笑うその人は、どうやら『探しもの』があるらしい。もの、というより人のようなのだが、聞けば数日前にランドールに来てからずっとその誰かを探して回っているという。
「もしこのランドールにお住まいの方だったら、知り合いに商店街とかでお店をしている人がいるので聞いてみましょうか? 教会なんかでも、何か手がかりがつかめるかも」
「あー、たぶんそれでは見つからない……と思うな」
と、少年は言って。
「実は連れとはぐれてしまって……あの、僕のお師匠、見かけませんでしたか?」
これくらいなんですけど、と示された大きさに。
ミシャは、とても心当たりがあった。
○ ○ ○
うわーん、弟子くん弟子くん弟子くーん!
どこに行ってたの弟子くんのバカー!
セラ一人でさみしかったし、怖かったんだよぅ! なんでもっと早く探しに来てくれなかったの弟子くんのバカー! 弟子くんがどれだけ心配だったと思うのー! あのねあのね弟子くんはまだまだこの辺のことわかってない子供なんだから、セラが頑張らなきゃなんだよぅ!
なのにどうしてセラのことほっとくのー! ばかー! ばかー!
おっかけられて怖かったよぅ。
ここはあのランドールなんだよぅ。
セラがどれだけ怖かったと思うのー! ミシャが拾ってくれたから、セラは五体満足無事でいられるけど、もし危ない人に拾われてたらどうするのー! 弟子くんのばかー!
……以上、彼を連れ帰ってからのセラの叫びだ。
今は弟子くんと呼ばれている少年の服の中に潜り込んで、えぐえぐと泣いている。聞けばセラはそれなりに大人らしいのだが、それでもやはりこのランドールで一人、というのは恐ろしかったようだ。……ミシャにも覚えがあるので、彼女の叫びを笑うことはできない。
あれから、思い当たるところがありまくりだったため、いくつか質問をした。
探している人の名前、容姿、それと大雑把な性格や口調など。
それらがばっちりセラに該当したため、自宅に招き、今に至る。
「アルテミシアさんがお師匠を保護してくださったんですね、ありがとうございます」
「い、いえ! そんなお礼を言われるほどでは!」
特に何をしたわけでもないし、とミシャはいきおいよく首を横に降った。
自分がしたことなど、目の前に落ちてきたセラを拾っただけである。むしろ魔女としてのキャリアの長い彼女のアドバイスをもらうなど、世話になったのはこちらの方だった。
ひとまず三人分のお茶を用意するが、あの様子ではセラは当分あのままだ。
なんだかんだといいつつ、心細かったのだろう。
ミシャにも多少は覚えがある。
「えっと……それでは改めまして。僕はシオンといいます」
「あ、はい! アルテミシア・シェルシュタインと申します!」
互いに挨拶をして、頭を下げ合う。
シオン、という名の響きも、確かシェルシュタインの里にいたヒメモリ自治領出身の人と似たような感じだ。あまり他所では見ない、独特な音がするようにミシャは思う。
セラは相変わらずだったが、とりあえず事情を聞いた。師である彼女とはぐれてから、シオンはずっとあちこち探しまわっていたらしい。すでに数日、滞在残り日数もほとんどない。
これから二人は、いくつかメルフェニカの街を経由しながら、街道沿いに進んでノイン王国との国境を超えるという。そこからうまく行けば迎えがあり、そうでないならまた街道を進んで自宅へ戻るとか。ざっと計算しても二週間以上かかる、のんびりした旅路らしい。
「せっかくなので観光ついでに、あちこち見て回るので」
「へぇ……」
「ヒメモリ自治領にも行ってきたんですよ。ちょうど知り合いが自治領の近くに行く用事があったので、一緒に乗せて行ってもらったので早かったです。……普通は船、でしたよね?」
と、シオンが視線を下に。
そこにはひょっこりと顔を見せたセラがいて。
「そーだよぅ。うちから一番近い港にいって、そこから船でいくの。国境沿いだったり、他によるところがあるなら街道で馬車に乗るほうが早いけどねぇ。ゆっくりするなら船だよぅ」
「……だそうです」
「そうなんですか……」
頭のなかに地図を浮かべるも、どこに港があるかわからない。
まぁ、ヒメモリ自治領があるエルディア王国と、彼らが住んでいるというノイン王国は結構離れている。なぜなら間にこのメルフェニカ王国があるのだ。メルフェニカに特別用事でもない限りは、直接移動することになる船の方が早いのかもしれない。
「ヒメモリ自治領はやっぱすごかったよぅ。あそこはまさに異世界だねー」
すぽんっと外に飛び出したセラが、そんな調子に旅の思い出を語り出した時だ。
「おい、邪魔するぞ」
タイミングがいいのか悪いのか、扉を叩く音と聞き慣れた声がする。
あれはリオの声だが、彼が訪ねてくるのは随分久しぶりのような気がする。シオンとセラに一言断って、ミシャは扉の方へ向かった。鍵を開けて、その先に立っていたリオを入れる。
彼は片手に荷物を持っていた。そこそこ大きい、重量感のある荷物だ。
それをリオはミシャには渡さず、近くのカウンターに置く。ごとん、という音から、渡されても持てずに落としたのではないかという予感がした。だからリオは渡さなかったのだろう。
だが、そんな重い荷物が、なぜ自分のところに。
「ん」
リオが差し出すのは紙切れ。
見れば、綺麗に整った文字の踊る『注文書』だった。旅に重宝する傷薬を中心に、十数個ずつ作ってほしいと書かれてある。材料なら何とか手元にあるので、この分だけなら大丈夫だ。
「これはジュジュからの預かり物だ。あんまり外、歩けないだろ? そのうち取りに行くからこれくらい作って置いといてくれ、だそうだ。……それから、こっちは差し入れだとよ」
「……これ、干したお肉? ですか?」
近寄って袋の中を覗きこむと、そこにはごろごろとした肉の塊が数個。
ジュジュが働いている酒場『踊り羊亭』では、ミシャが作る薬の他に保存が効くように加工された食料も販売している。おそらくこの肉も商品のはずなのだが。
「ラベルがないです、けど」
「新商品なんだと。試作品ってヤツだな。薄切りにして炙るもよし、細かく切ってスープに使うもよし。あとで感想訊かせろとさ。近いうちに新商品にしたいらしいから」
「は、はい。わかりました」
じゃあ、とリオは手を上げて。
しかしそのまま動きを止めてしまって。
「……客か?」
部屋の奥を見て、口を開く。
「はい。ちょっとしたお客様で……」
「おーい、ミシャー、どうかしたのかなー?」
ふわふわ、と飛んできて、ミシャの肩にちょこんと座るセラ。おそらく妖精種は初めて目にしたのだろう、リオがぽかんとしている。珍しい表情に、ミシャも同じようにぽかんとした。
彼の視線は家の奥、微かに見えるシオンと、すぐそこにいるセラに向けられている。
その視線に気づいた二人が、立ち上がって近寄ってきた。
ちょうどミシャとセラを挟む形で、リオとシオンが向かい合い。
「……あんた、確か」
「あぁ、あの時の」
と、何かに気づいたように、ほぼ同時に声を発した。
「リオさん、シオンさんのお知り合いなんですか?」
「いや、公園でちょっと話を……で、例の連れは見つかったのか?」
「お陰様で」
そこに、と指差される先のセラが、よくわからない様子だがとりあえず挨拶をする。
――そしてなぜか、非常に居心地の悪い沈黙が流れ始めた。




