第八話 密告する雲、拒絶するミサイル
**第8話:密告する雲、拒絶するミサイル**
放水口の手前で青白く火花を散らす「電磁スクリーングリッド」。
その光を睨みながら、レンは思わず舌打ちした。
「くそ……ここまで来て」
『レン、下がって。私たちだけでも、隙を見て突破を試みるわ』
サラの声には、レンを巻き込むまいとする決意が滲んでいた。だが、その提案にレンは即座に首を振った。
「待て。俺は監査官だ。このグリッドの管理コードなら知っている」
レンは腰の端末を取り出し、震える指で操作した。監査官のIDは凍結されているはずだが、境界壁の防犯設備そのものは、まだ辛うじて彼の旧権限を受け付ける古いシステムだった。
「頼む……まだ、生きていてくれ」
数秒の沈黙のあと、グリッドの一部が明滅し、細い隙間が生まれた。
『やったわ、レン!』
そのとき、上空から轟音が響いた。
下水管の天井を突き破り、政府の追跡ドローンが数機、青白い探照灯を放ちながら侵入してくる。
「サラ、迷子たちを先に行かせろ! 俺が時間を稼ぐ!」
『だめよ、あなたを置いていけない……!』
サラが叫んだその瞬間、放水口の外――夜空の彼方から、異様な唸り声のような音が響いてきた。
見上げれば、月明かりに照らされた分厚い黒雲が、猛烈な速度でこちらへと近づいてきている。それは自然の気象現象とは思えない、明確な「意思」を持った動きだった。
「あれは……まさか」
『雲になったリキッドたち……! 隣国から来たのね』
サラが震える声で呟いた。
陸の政府が完全に封鎖したはずの国境の上空を、水蒸気となったリキッドたちが自由に越境してきていたのだ。彼らの正体は、隣国の汚染地帯で不法投棄された有害物質の記憶を、蒸発という形で運び続ける「密告する雲」だった。
政府にとって、これほど危険な存在はない。国境の壁も、下水のフィルターも、空を飛ぶ水蒸気の前では無力だからだ。
「迎撃だ! 乾燥ミサイル発射!」
遠く陸の方角から、無機質な合成音声が響いた。
続けて、複数の閃光が夜空を切り裂き、黒雲へと向かって飛翔していく。政府軍が開発した、大気中の水分を強制的に凝固・落下させる特殊兵器――乾燥ミサイルだった。
「くそ、あの雲ごと撃ち落とす気か……!」
レンが叫んだ瞬間、ミサイルが次々と黒雲に着弾した。
轟音とともに、雲の一部が凍りついたように白く固まり、重力に引かれてボロボロと地上へ崩れ落ちていく。それは、隣国の記憶を運んできたリキッドたちの、悲鳴にも似た断末魔だった。
『いやあああ……!』
『まだ、伝えきれていないのに……!』
崩れ落ちる雲の欠片から、無数の悲痛な声が降り注ぐ。
レンはその光景に、拳を強く握りしめた。政府にとって、彼らは「侵略者」でも「密輸業者」でもない。ただ、真実を伝えようとしていただけの、水の旅人たちだった。
『レン、見て……! グリッドの防衛リソースが、上空の迎撃に割かれている!』
サラの声が、はっと鋭さを取り戻した。
見れば、ドローンたちの探照灯が一斉に夜空へと向けられ、放水口周辺の警戒が一瞬、手薄になっている。
「今しかない……! みんな、行くぞ!」
レンは残されたグリッドの隙間へと駆け出した。
サラと、下水網から救い出した迷子たちの水流が、レンの背中を追うようにして一斉に放水口へとなだれ込んでいく。
視界の先に、月光を映してきらめく、広大な「海」が姿を現した。
数十年、いや数百年ぶりに目にする、陸の乾いた瞳には眩しすぎるほどの、圧倒的な水の世界だった。
『レン……海よ』
サラの声が、初めて聞くような、震えた歓喜に満ちていた。
しかし、その歓喜も束の間、レンの端末に、トウマからの緊迫した通信が飛び込んできた。
『レン! 喜んでる場合じゃない! 政府が電磁沈殿剤の照射座標を、ここ――君たちが向かっている海域に、再設定し直した! 奴らは全部知ってるんだ、レンの動きを最初から!』
(第8話 了)
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