第五話 パイプラインの再会
**第5話:パイプラインの再会**
中央管理棟の地下検収庫は、ひんやりとした人工の冷気に満ちていた。
レンはトウマの制止を振り切るようにして、自身の愛車である電動四輪駆動車のコックピットへ飛び乗った。
「トウマ、お前はどうする」
コンソールを起動しながら、レンは助手席のトウマに叫んだ。
「僕はここに残って、中央サーバーの防衛ログをハッキングし続ける。作戦の電磁照射の正確な座標が割れたら、お前の端末にデータを送るよ。……死ぬなよ、レン。僕たちの皮膚が46億歳なら、僕たちの友情だって、それくらい頑丈なはずだからな」
トウマは不敵に笑うと、検収庫のシャッターの緊急解放レバーを引いた。
重い金属音とともに、地上の乾燥した砂漠へと繋がるゲートが開く。
レンはアクセルを限界まで踏み込んだ。四輪のインホイールモーターが甲高い悲鳴を上げ、駆動車は夜の砂漠へと弾け飛んだ。
バックミラーの中で、中央管理棟の警告灯が赤く激しく明滅し、数台の追跡用ホバーカーが放つライトの光が、レンの背後を追いかけ始める。
(待っていてくれ、サラ……!)
レンは胸ポケットのシリンダーを一度だけ確かめると、第一管理区の最も古いインフラである「旧・地下給水パイプライン」の搬入口へと車を滑り込ませた。
ここなら、上空からのホバーカーの追跡を撒くことができる。
真っ暗な地下パイプラインのトンネルを、ヘッドライトの光だけを頼りに激走する。
ここは数十年前、まだこの街に十分な水が行き渡っていた頃に使われていた、巨大な水の通り道だ。今は完全に干からび、不気味なコンクリートの空洞がどこまでも続いている。
追っ手を完全に撒いたことを確認し、レンはパイプラインの分岐点にある、かつての保守用管理室に車を止めた。
車から降りると、あまりの乾燥と激しい逃走劇のストレスで、レンの喉は完全に限界を迎えていた。血の味が口の中に広がり、視界がチカチカと明滅する。
「う、くっ……」
壁に背中を預け、ずるずるとその場に座り込む。
配給水はもうない。スマートウォッチの体内水分量アラートは、いよいよ危険域を示す赤色に点滅している。
その時だった。
カサカサに乾いたコンクリートの壁の隙間から、信じられないものが漏れ出してきた。
さらさら、と小気味よい音が響く。
それは、一筋の、驚くほど透明で美しい「水」だった。その水は重力に逆らうようにして壁を伝い、レンの座る床の上へと集まると、見る間に滑らかな塊となって盛り上がった。
『レン……ひどい渇きね』
頭の中に直接響く、あの鈴の音のような声。
水の塊は、ゆっくりと、レンがよく知る「サラのシルエット」を形作っていった。
「サラ……! どうしてここに……」
『水のネットワークは、この古いパイプラインの地下水脈とも繋がっているの。あなたの車の振動が、水を通じて伝わってきたわ』
サラの形をした水の質量が、レンの目の前に膝をつくようにして屈んだ。
彼女の身体からは、陸の世界では絶対に味わえない、圧倒的な「潤い」の気配が放射されている。その瑞々しさに触れるだけで、レンのひび割れた皮膚が、微かに痛みを和らげるようだった。
「サラ、政府が今夜、海を丸ごと『初期化』する作戦を行う。君たちの記憶を、すべて消去するつもりだ」
レンは喘ぎながら、胸のシリンダーを差し出した。
「これの中に、君が言っていた、国境の向こうの記憶が入っているんだな? これを海へ還せば、作戦を止められるのか?」
サラの水の顔が、シリンダーを見つめて寂しげに揺れた。
『ありがとう、レン。でも、今のあなたには、それよりも必要なものがあるわ』
彼女はそっと、自身の「水の指先」を、レンの乾ききった唇へと近づけた。
『私を、少しだけ飲んで』
「な……何を言っているんだ! 君の身体を飲むなんて、そんなことできるわけがない!」
『いいの。私の水分子の一部をあなたに分け与えれば、あなたの渇きは癒える。……それにね、レン。私を体内に取り込むということは、私の記憶を、あなたが直接知るということでもあるのよ』
サラのシルエットが、さらにレンへと近づく。
彼女の身体から、一筋の清らかな雫が離れ、レンの唇へと滑り込んできた。
拒絶する気力すら、今のレンには残っていなかった。
その一滴が口内に触れた瞬間、レンの全身の細胞が、これまでにない衝撃とともに歓喜の音を立てて目覚め始めた。それは単に喉を潤すという次元を超えた、魂そのものが「融和」していくような、圧倒的な感覚だった。
そして同時に、レンの脳裏に、凄まじい濁流のような「サラの記憶」が流れ込んできた。
(第5話 了)
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